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08月

元NHK経営委員・百田尚樹氏の新聞観と徳富蘇峰の『国民新聞』

日本の骨格を戦前へと覆してしまうような「戦争法案」の審議が厳しさを増す中で、強い危機感を覚えたと思える安倍晋三氏の周辺からは驚くような発言が次々となされています。

今日も〈麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数〉という記事を書き終えた後で、〈百田氏:「言論弾圧でも何でもない」 沖縄の新聞発言で〉という見出しの記事が目に飛び込んできました。

毎日新聞デジタル版によれば、7日に東京都内で記者会見を行った百田氏は、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと自分が発言したことに関して、「一民間人がどこで何を言おうと言論弾圧でも何でもない」と述べたとのことです(太字は引用者)。

しかし、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』があり、さらには元NHK経営委員を務めた百田氏を「一民間人」とみなすことはできないでしょう。 実際、当初は百田氏を擁護していた安倍首相が3日の「衆院特別委員会」で「心からおわび」との発言をしたのに続き、菅官房長官も翁長知事との4日夜の会談で、沖縄をめぐる発言について「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝していたのです。

*   *

「全新聞が(自身の発言を)許さんと怒って、集団的自衛権の行使や、と思った」とも話した百田氏が、「あらためて沖縄の二つの新聞はクズやな、と思った」と発言したことも伝えられています。

ここで思い出して起きたいのは、『永遠の0(ゼロ)』で「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則に、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけさせた百田氏が、「反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた」とも語らせていたことです。

しかし、以前にも指摘したことですが、「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました(『蘇峰自伝』中央公論社、1935年)。

つまり、德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは彼が「反戦を主張した」からではなく、最初は戦争を煽りつつ、戦争の厳しい状況を知った後ではその状況を隠して「講和」を支持し、「内閣の政策の正しさを宣伝」したからであり、その「御用新聞」的な性格に対して民衆が怒りの矛先を向けたからだったのです(拙著『ゴジラの哀しみ』、110~111頁)。

「あらためて沖縄の二つの新聞はクズやな、と思った」と発言した百田氏の発言からも、『国民新聞』の徳富蘇峰やNHKの籾井会長と同じように「事実」ではなく、「権力者」が伝えたいと願っていることを報道するのが、新聞や報道機関の義務であると考えている可能性が高いと思われます。

*   *

「東京新聞」の今日の夕刊によれば、「戦後七十年談話」を14日に閣議決定するために首相と7日夜に会談した公明党代表の山口那津男氏は、談話に先の大戦に関する謝罪の表現を盛り込むよう求めたとのことです。

その発言からは急速に高まっている公明党に対する批判を避けようとする意図が感じられますが、そのような目くらましのような要求ではなく、「核武装」を公言した武藤議員の辞職だけでなく、元NHKの経営委員でありながら安倍内閣の意向を反映して「言論弾圧」とも思えるような発言を繰り返している百田氏を選んだNHKの籾井会長の辞任をも求めることが与党の公明党には求められていると思えます。

(2019年1月6日、改題)

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

武藤貴也衆院議員(36才)がツイッターで記した戦前の日本を彷彿とさせるような記述は非常に問題ですが、より大きな問題を孕んでいると思われるのは、「朝日新聞」のデジタル版によれば、麻生太郎財務相が8月6日の自民党麻生派の会合で、ツイッターでの記述などを念頭に「自分の気持ちは法案が通ってから言ってくれ。それで十分間に合う」と語ったことです(太字は引用者)。

麻生氏のこの発言は、さまざまな問題が指摘され、実質的には「戦争法案」の疑いがますます濃くなってきている「安全保障関連法案」の実態を隠そうとしているばかりでなく、「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs=シールズ)」の言動を「極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろう」と決めつけるような歴史認識と道徳観を、この法案が通った暁には党として積極的に国民に押しつけることを明言しているとも思われるからです。

*   *   *

それとともにとても奇異に感じられるのは、「日本は自力で国を守れるように自主核武装を急ぐべきなのです」と主張し、その理由を「核武装のコストについては様々な試算がありますが、私は安上がりな兵器だと考えています」と記していた麻生派所属の武藤議員に対する何らの批判も行われていないことです。

そのことからは安倍首相や麻生氏が勢力を持つ現在の自民党では、「日本の核武装反対論は、論理ではなく感情的なもの」と考えて、「日本の核武装」を当然視する議員が少なからずいるのではないかと感じられます。

各新聞社は「国民の生命」だけでなく、近隣諸国の国民の生命をも脅かすような「戦争法案」の審議が行われている現在、早急にアンケートを行って武藤貴也氏のように「日本の核武装」を当然視する自民党員が何人いるかを明らかにすべきでしょう。

さらに与党としてこの法案を積極的に進めている公明党にもこの問題を明らかにする責任があると思われます。

*   *   *

核兵器だけでなく劣化ウラン弾の危険性や人道的な問題点については明らかなので記しませんが、「報復の権利」の危険性が全く考慮されていないことをここで指摘するにとどめておきます。

つまり、武藤議員が「安上がりな兵器だ」と考えている核兵器による攻撃は、かつての広島や長崎へ投下された原爆と同じように、一瞬にして「敵の軍隊」だけでなく、その周囲の市民を抹殺することができ、敵の戦意をくじいて一時的には戦争を勝利にみちびくことはできるでしょう。

しかし、人間の心理をも考慮に入れるならば、「兵器(安倍政権の用語によれば「弾薬」)」の威力による勝利は一時的なもので、使用されたことで敗北した民族や国家には暗い憎しみが生まれ、生き残った者の子や孫による「報復の戦争」が起きる危険性はきわめて高いのです。

卑近な例としては、「報復の権利」の行使としてブッシュ政権によって行われた「イラク戦争」こそが、アメリカに対する「報復」を主張してテロ行為を繰り返すISという国家の生みの親だった可能性が高いのです。この危険性を「戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて」と題した論考で示唆していましたが、文学作品にも言及したことで難しい展開となっていました。

「戦争法案」が可決される危険性がある現在の事態に対処するために、稿を改めて現在の状況をふまえつつもう少し分かりやすく、「正義の戦争」と「報復の権利」の危険性を説明したいと思います。

安倍首相の「核兵器のない世界」の強調と安倍チルドレンの核武装論

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(広島と長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲、1945年8月、図版は「ウィキペディア」より)

 

安倍首相が広島市で行われた平和記念式典のあいさつで、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則に言及しなかったことが波紋を呼んでいます。

以下、新聞などの記事によって簡単に紹介した後で、安倍首相が本気で「核兵器のない世界」を願うならば、「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』(2014年4月22日号)に投稿していた武藤貴也議員を参院特別委員会に呼んでその見解を質し、今も同じ考えならば議員辞職を強く求めるべき理由を記したいと思います。

*   *   *

平和記念式典の後で行われた被爆者団体代表との面会では、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として非核三原則を堅持しつつ、世界恒久平和の実現に向けた努力をリードすることを誓う」と述べ、これに関し菅官房長官も同日午前の記者会見で「非核三原則は当然のことで、考えにまったく揺るぎはない」と説明したとのことです。

しかし、これらの「誓い」や「説明」の誠実さに疑問が残るのは、すでに多くの新聞や報道機関が指摘しているように、その前日に行われた参院特別委員会で中谷元・防衛相が、戦争中の他国軍への後方支援をめぐり、核兵器を搭載した戦闘機や原子力潜水艦などへの補給は「法律上除外する規定はない」として、法律上は可能との認識を示す一方で、「非核三原則があり提供はありえない」とも述べていたからです。

枝野幸男・民主党幹事長が批判をしているように、武器輸出三原則などの大幅な緩和をしたばかりでなく、「弾薬は武器ではない、その武器ではないもののなかに、ミサイルも入る(と言う)。それに核弾頭が載っていてもそれが(輸送可能な弾薬の範囲に)入る」と説明した安倍内閣の閣僚が、「非核三原則があります、(だから輸送しない)と言っても、ほとんど説得力をもたない」でしょう。

さらに、被爆者団体代表との面会で安全保障関連法案が、「憲法違反であることは明白。被爆者の願いに背く法案だ」として撤回を強く求められた安倍首相は、「平和国家としての歩みは決して変わることはない。戦争を未然に防ぐもので、必要不可欠だ」と答えたようですが、すでに武器輸出三原則などの大幅な緩和をしている安倍首相が、「平和国家としての歩みは決して変わることはない」と主張することは事実に反しているでしょう。

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今回の安倍氏の「あいさつ」で最も重要と思われるのは、秋の国連総会で新たな核兵器廃絶決議案を提出する方針の安倍首相が、「核兵器のない世界の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意」を表明し、来年のG7(主要七カ国)外相会合が広島で開かれることを踏まえて「被爆地からわれわれの思いを国際社会に力強く発信する」とも述べていたことです。

このこと自体はすばらしいと思いますが、国際社会に向けたパフォーマンスをする前に安倍首相にはまずすべきことがあると思われます。

それは安倍氏が本気で「核兵器のない世界」を願うならば、「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』(2014年4月22日号)に投稿していた武藤議員を参院特別委員会に呼んでその見解を質し、今も同じ考えならば議員辞職を強く求めるべきことです。

参院特別委員会でも「安全保障関連法案」には多くの深刻な問題があることが次々と明らかになっているにも関わらず、「強制採決」に向けて粛々と審議が行われているように見えます。

しかし、国際社会にむけて未来志向の「美しい言葉」をいくら語っても、武藤議員の発言を厳しく問いただすことをしなければ、「日本を、取り戻す。」を選挙公約にした安倍政権の本当の狙いは、戦前の「日本人的価値観」と軍事大国の復活にあるのではないかという疑いを晴らすことはできないでしょう。

 

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(広島に投下されたウラン型原子爆弾「リトルボーイ」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)

 

このブログでは1962年に発行された『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)を分析することにより、「地獄火に焼かれる広島の人々の幻影に苦しみつづけ、〈狂人〉と目された〈ヒロシマのパイロット〉」と文芸評論家・小林秀雄の良心観を比較することで、「原爆」の問題と「道義心」の問題を5回にわたって考察してきました。

明日はまた「広島原爆の日」が訪れますが、日本における「原子力エネルギー」の危険性の認識は深まりを見せていないどころか、岸政権以降、徐々に風化が進んで安倍政権下での「安全保障関連法案」にまで至ってしまったように思えます。

このことを痛感したのは、〈武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観〉と題したブログ記事を書くために、武藤貴也議員(36才)のことを調べている中で、彼が「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』の2014年4月22日号に投稿していたことが分かったからです。

今回は武藤氏の論文の内容を批判的な視点からごく簡単に紹介した後で、「安全保障関連法案」を衆議院で強行採決した安倍首相の核認識との関わりを分析することにします。

*   *

武藤 日本は自力で国を守れるように自主核武装を急ぐべきなのです。日本の核武装反対論は、論理ではなく感情的なものです。かつて広島、長崎に原爆を落とされた国として核兵器を許さないという心情的レベルで反核運動が展開されてきたのです。しかし、中国の台頭、アメリカの衰退という国際情勢の変化に対応して、いまこそ日本の核武装について、政治家が冷静な議論を開始する必要があると思っています。

核武装のコストについては様々な試算がありますが、私は安上がりな兵器だと考えています。何より、核の抑止力によって戦争を抑止することができます。核武装国家同士は戦争できないからです。」

ここでは二つの問題点を指摘しておきます。まず、第一点は「日本の核武装反対論は、論理ではなく感情的なものです」と記されていますが、1948年の時点で小林秀雄が明確に「原子力エネルギー」の危険性をきわめて論理的に、しかも「道義心」の面からも明らかにしていたことです。

次に、日本の核武装の理由として「核武装国家同士は戦争できないからです」と断言していますが、おそらく武藤氏は「キューバ危機」の際には核戦争の寸前までなっていたが、アメリカとソ連首脳の決断であやうく回避できたという歴史的な事実を軽視しているように思われます。もし、「きわめて情念的な」安倍首相があのときアメリカの大統領だったならば、核戦争は避けられなかった可能性が高いと思われるのです。

では、なぜ若い武藤議員が「日本の核武装」を唱えるようになったのでしょうか。 「小渕内閣時代の1999年10月に防衛政務次官に就任した西村眞悟氏は『核武装の是非について、国会で議論しよう』と述べて、辞任に追い込まれました。中川昭一氏も非核三原則見直し論議や核武装論議を提起しましたが、誰も彼に同調しようとしませんでした」という武藤氏の文章はその理由を明快に説明しているでしょう。

つまり、戦争の時代をよく知っている議員が力を持っていた小渕内閣の頃には、「日本の核武装」論は自民党内でもタブーだったのです。

このような党内の雰囲気が変わり始めたのは、安倍晋三氏が官房副長官になったころからのようです。ブログに掲載されている情報では、2002年2月に早稲田大学で行った講演会における田原総一朗との質疑応答では、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸していたのです(太字は引用者)。

この際に安倍氏は国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないとしながらも、岸内閣の国会答弁によりながら憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示していたのです。

安倍氏が首相のときに選挙で当選した武藤氏は、安倍氏に気に入られようとしたこともあり、「日本の核武装」論を安倍氏の主張にそった形でより強く主張していたのだと思われるのです。

*   *   *

今日(5日)の参院平和安全法制特別委員会では、中谷元・防衛相は安全保障関連法案に基づく他国軍への後方支援をめぐり、核兵器の運搬も「法文上は排除していない」と答弁したとの仰天するようなニュースも飛び込んで来ました。このニュースについては詳しい続報が出たあとで考察するにします。

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

自民党の武藤貴也衆院議員(36才)がツイッターで、「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs=シールズ)」の行動を「極端な利己的な考え」と非難していたことが判明しました。

「毎日新聞」のデジタル版は村尾哲氏の署名入りで次のように報じています(太字は引用者)。

*   *

武藤氏は「彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と書き込んだ。

民主党の枝野幸男幹事長は3日、記者団に「自分が戦争に行きたくない、みたいなレベルでしか受け止めておらず、法案の問題や本質を理解していない。戦後の平和主義、民主主義が積み重ねられてきた歴史に、全く目が向いていない」と追及する考えを示した。維新の党の柿沢未途幹事長も「権力を持っている政党の所属議員として、もってのほかの発言だ」と批判した。

*   *

安全保障関連法案について「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎陽輔首相補佐官の場合と同じように問題は、「表現」レベルにとどまるものではなく、より深く「歴史認識」にも関わっているでしょう。

端的に私の感想を記せば、作家の百田尚樹氏を講師として招いた自民党若手の勉強会「文化芸術懇話会」にも出席していた武藤議員の発言からは、小説『永遠の0(ゼロ)』からの強い影響が見られることです。

なぜならば第7章「狂気」で百田氏は戦時中に小学校の同級生の女性と結婚した特攻兵の谷川に、戦場で命を賭けて戦っていた自分たちと日本国内で暮らしていた住民を比較して、「戦争が終わって村に帰ると、村の人々のわしを見る目が変わっていた」と語らせ、「昨日まで『鬼畜米英』と言っていた連中は一転して『アメリカ万歳』と言っていた。村の英雄だったわしは村の疫病神になっていたのだ」という激しい怒りの言葉を吐かせていました。

ここには現実認識の間違いや論理のすり替えがあり、「一億玉砕」が叫ばれた日本の国内でも学生や主婦に竹槍の訓練が行われ、彼らは大空襲に襲われながら生活していたのです。

また「鬼畜米英」というような「憎悪表現」を好んで用いていたのは、戦争を煽っていた人たちで一般の国民はそのような表現に違和感を覚えながら、処罰を恐れて黙って従っていたと思われます。映画《少年H》でも描かれていたように、戦後になると一転して「アメリカ万歳」と言い始めたのも庶民ではなく、「時流」を見るのに敏感な政治家たちだったのです。

しかし、百田氏は谷川に「戦後の民主主義と繁栄は、日本人から『道徳』を奪った――と思う。/ 今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。六十年前はそうではなかった」と語らせているのです。

この記述と「利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろう」という武藤議員の発言に強い類似性を感じるのは私だけでしょうか。

安倍政権は「積極的平和主義」を掲げて、憲法の改定も声高に語り始めていますが、「満州国」に深く関わった祖父の岸信介首相を尊敬する安倍氏が語る「積極的平和主義」からは、「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」が連想されます。

いまだに『永遠の0(ゼロ)』を反戦小説と弁護している人もいるようですが、この小説や共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』に影響を受けた若者からは、「白蟻」のように勇敢に戦死することを求める一方で*1、戦争の批判者を「非国民」としていた戦前の教育や言論弾圧を当然視するかのような発言を公然と行う武藤氏のような議員が育っているのです*2

武藤議員は衆院平和安全法制特別委員会のメンバーでもあったとのことですが、礒崎陽輔首相補佐官が作成に深く関わり、武藤議員のような自民党の議員によって強行採決された「安全保障関連法案」は、廃案とすべきでしょう。

*   *

*1 『国民新聞』の社主・徳冨蘇峰は、第一次世界大戦中の大正5年に発行した『大正の青年と帝国の前途』において、白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても「先頭から順次に」その中に飛び込み、「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを褒め称えていた。

さらに、敗色が濃厚になった1945年に著した「西南の役(二)――神風連の事変史」で、「大東亜聖戦の開始以来、わが国民は再び尊皇攘夷の真意義を玩味するを得た」とした蘇峰は、神風連の乱を「この意味から見れば、彼らは頑冥・固陋でなく、むしろ先見の明ありしといわねばならぬ」と高く評価した。

*2 武藤貴也「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」より

「最近考えることがある。日本社会の様々な問題の根本原因は何なのかということを」と切り出した後藤氏は、「憲法の『国民主権・基本的人権の尊重・平和主義』こそが、「日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」とし、「滅私奉公」の重要性を次のように説いている。

〈「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。…中略…国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」と いう「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。〉   武藤貴也/オフィシャルブログ(2012年7月23日)

 

リンク→安全保障関連法案」の危険性と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造

リンク→「安全保障関連法案」の危険性(4)――対談『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』

リンク→歪められた「司馬史観」――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(11)

(2015年8月5日、注を追加し、題名を変更)

「学生と学者の共同行動」集会の報道を転載

7月17日のブログでは『安全保障関連法案に反対する学者の会』のアピールへの賛同者(学者・研究者)の人数は、8月3日9時00分現在で一万人を超えて10,857人に、市民の賛同者が21.377人に達したことを報告するとともに、その理由について下記のように記しました。

「憲法」や「学問的な知」を侮辱し、「情念」的な言葉で「国民の恐怖」を煽り、戦争の必要性を強調するような安倍政権の手法が、真面目な研究者たちの怒りを駆り立てていると言えるでしょう。

*   *

残念ながら、「学生と学者の共同行動」集会には参加することができませんでしたが、「安全保障関連法案に反対する学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」と学者の会は三十一日、共同の抗議デモや集会を国会前などで催し、約二万五千人(主催者発表)が集まった。大規模な政治デモを学生と大学教員らが共催するのは異例だ」と伝えた「東京新聞」は、次のような水島朝穂早大教授の言葉も報じています。

「東ドイツでも秘密警察は『就職に響くぞ』『退学だ』と脅したが、デモからベルリンの壁は崩れた。日本で新しい民主主義がここ国会前で始まっている」。

*   *

砂防会館にて開催された「安全保障関連法案に反対する学生と学者の共同行動」では、「1部、2部で、学生5名、学者4名の素晴らしいスピーチが行われ、会場には拍手、笑い、涙が溢れた」と記した漫才師のおしどりマコ&ケンさんによる集会スピーチの全文文字起こしからは、スピーチの内容と集会の自由で民主主義的な雰囲気がいきいきと伝わってきます。

リンク→ http://oshidori-makoken.com/?p=1423

詳しくは上記のHPを参照して頂くこととし、ここでは冒頭で語られた廣渡清吾・専修大学教授法学部教授(東京大学元副学長 日本学術会議前会長)の臓腑をえぐるような怒りのスピーチの一部を「文字起こし」より引用しておきます。

「参議院の審議で、安倍首相は専守防衛にいささかの変更は無い、戦争に巻き込まれることは絶対にない、と断言に次ぐ断言を重ねていますけれども、

もし彼が言っていることが彼の本心であるとすれば、法案を理解していないバカだ、ということになります。

また、もし、法案の内容をそのように断言によって国民の目をごまかそうとしているのであれば、それは嘘つきということであります。」

*   *

消費背税の増税や、沖縄の基地建設、原発の再稼働、さらに自衛隊の軍隊化などを「強権的な手法」で推し進める安倍内閣に対する批判の声は確実に広がっています。

『安全保障関連法案に反対する学者の会』のアピールへの賛同者(学者・研究者)の人数は、8月3日9時00分現在で12,853人に達し、各大学にも「有志の会」が次々と発足しているとのことです。

リンク→http://anti-security-related-bill.jp

また、8月2日には主催者発表で高校生など約5000人が参加し、「廃案」を訴えたデモが渋谷で行われ、「高校生による大規模な政治デモは異例で、世代を超えて広がる法案への反発を象徴する光景となった」と記した「東京新聞」は、都立高三年の受験生が「友達から何してんだと言われる。でもこれが今、おれのやるべきこと」と切り出したことも伝えています。

安倍首相は「尊皇攘夷」を唱えた長州の一部の志士に自分の思いを重ねているようですが、政権運営の方法や手段は、むしろ米国と秘密裏に条約を結ぶ一方で厳しい言論弾圧を行った井伊直弼の方法に似ているのです。

「知恵の梟は夜飛ぶ」という諺がありますが、「憲法」を否定する安倍政権の「反知性主義」を指摘した学者たちに続いて、「利権」とは無関係の多くの若者たちが日本を救おうとした幕末の志士たちのように立ち上がっていることに、危機に際して日本の民主主義が目覚めたと実感しています。

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機、写真は「ウィキペディア」より)

 

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)

東電の勝俣恒久元会長(75)、武藤栄(さかえ)元副社長(65)と、武黒(たけくろ)一郎元副社長(69)の三人について業務上過失致死傷罪で起訴すべきとした東京第五検察審査会の議決が出たことを受けて、先ほど〈原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)〉というブログ記事をアップしました。

そこではサイト「文芸ジャンキー・パラダイス」の2013年7月12日の記述を紹介していましたが、その記述が「首相がデマを流していいのか?」と題されていたのは、「そうならないよう万全の態勢を整えている」と国会答弁をしていただけでなく、事故当時の最高責任者・菅直人氏を安倍晋三氏がメルマガで激しく誹謗中傷していたことを次のように批判していたからです。少し長くなりますが引用します(太字は引用者)。

*   *

福島原発事故で菅元首相が海水注入を止めたためメルトダウンを引き起こし、福島原発事故がひどくなったというデマが今も広く信じられている。

管元首相は事故時に放射性物質の予測拡散情報を公開せず、国民を無用な被曝に晒したことから、僕は菅氏に対して憤りを感じている。だが、安倍氏は無実の罪を菅氏になすりつけて、自分へ批判が向かないようにしており、その行為はあまりに姑息すぎる。

安倍氏は事故直後の2011年5月20日のメルマガで次のように記している。

「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、 やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」/「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです

だがその後の調査で、実際は福島第一原発・吉田所長の判断で海水注入は中止されてなかったし、菅首相から中止指示があったという指摘についても、国会の原発事故調査委員会において「中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだった」ことを武黒本人が認めている。 さらに、当時安倍氏は情報の出所として「(経産省の)柳瀬か(保安院の)寺坂に聞けば分かる」と記者達に吹聴し、多くの記者が柳瀬氏に問い合わせたところ「ありえません」「安倍さんの言っていることは嘘です」と返答したという。

100歩譲って、事故直後は情報の混乱があり、安倍氏が誤った知識を得たのもやむなしとしよう。だが、問題は参院選直前の現時点(2013年7月12日)においても、公式WEBでその文章が削除もされずお詫び訂正もされてないこと(引用者注――現在は削除されているようです)。

それゆえ安倍氏の支持者は今も「自民政権だったら事故は防げた。フクシマの事故はすべて管元首相のせい」とネットに書きまくっている。あまりに悪質すぎる。 菅氏のブログにその苦悩が綴られているので転載したい。

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/column15.html

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「ネットを利用した安倍晋三総理の巧妙な名誉毀損」2013年07月11日

ネットを利用し、嘘の情報を流すことで安倍晋三氏は私と民主党に対する重大な名誉毀損行為を行い、訂正の要求に応じないことで今も名誉毀損行為を続けている。

選挙戦を戦っていて、 多くの人の間でいったん定着した誤解を解く事がいかにむつかしいかを痛感している。福島原発事故で、当時の菅総理が海水注入を止めたためメルトダウンを引き起こし、福島原発事故がひどくなったという今も広く信じられている誤解。この嘘の情報を最初にネット上に発表したのが2011年5月20日付けの安倍晋三氏のメルマガ。この総理経験者のメルマガ情報を翌日の読売新聞と産經新聞が大々的に取り上げた。さらに何度も国会で同趣旨の質問を自民党議員が繰り返すことでマスコミに取り上げさせた。そして、6月2日に提出された菅内閣不信任案の理由の一つとされた。敵ながらあっぱれとでもいうべき見事な一連の情報操作だ。

その後海水注入は停止されていなかったことが故吉田所長自らの発言で明らかになったが、そのことは一般の人にまで伝わらず、菅総理が海水注入を止めて、メルトダウンが起きたという誤解だけが広く今日まで残っている。安倍氏と自民党のこうした一連の行為は私個人に対するだけでなく、民主党に対しても重大な名誉毀損に当たる。

誤解を解くためには安倍晋三氏に誤りを認めさせて、謝罪させる必要がある。安倍氏の発表がネット上のメルマガであったので、私もネット上でこれまで何度も誤りを認めて訂正と謝罪をするよう求めてきた。しかし、一切の反応はない。ネット選挙が解禁された中で、ネットを利用して嘘の情報を選挙開始前に流しておいて、それを訂正しないという事は選挙の公平性からも許されない行為だ。しかもそれを行ったのが当時でも総理経験者で今再び総理の座に在る安倍晋三氏本人となればなおさらのことだ。ネット選挙解禁を強力に進めた安倍総理の責任は重い。週明けまで安倍総理から何らかの反応がない場合には名誉毀損を正す他の手段を検討せざるを得ない。

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この菅氏のブログを紹介したサイトの管理者は「安倍氏はデマを流したことを、菅氏や民主党だけでなく、原発の耐震性問題(配管が地震に弱い)から目をそらさせたことで、国民に謝罪するべきだ」と記すとともに、次のような元通産(経産)省官僚・古賀茂明氏の言葉も紹介しています。

「福島第一原発の事故が収束せず、事故原因さえ解明されていない状況で、総理がトップセールスで原発を売り歩くことは倫理的に許されない。まだ新しい安全基準も完全には出来上がっていないのに各国に原発を売り歩く安倍総理は世界へ原発事故と核拡散の種をばら撒く『死の商人』である」(2013.6)

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かつて、このブログでは『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」という記事で、他党を誹謗して「さらば! 売国民主党政権」と語った百田尚樹氏の「憎悪表現」の問題を指摘しました。

それとともにこの書では〈「愛国心」や「モラル」の必要性が強く唱えられる一方で、戦争を起こした者や原発事故を引き起こした者たちの責任には全く言及されていないこと〉にも注意を促していました。

第二次安倍政権が発足してから起きた一連の出来事や発言からは、権力を握れば何でも出来ると考えているような安倍政権の「傲慢さ」と「無責任さ」や、岸信介氏が閣僚として加わっていた「東條英機内閣」との類似性が強く感じられます。

今回の東京第五検察審査会の議決を受けて菅元首相は、昨日のブログ記事で「安倍内閣は福島原発事故の十分な検証もできていない中で、川内原発の再稼働を急ごうとしている。安倍内閣は日本を滅ぼしかねない『亡国政権』だ」と厳しい批判をしています。

この言葉は大げさではなく、「アベノミクス」を前面に出した「公約」によって選挙に勝利したあとでは権力を背景に、「法治国家」や「民主主義の国」とは思えないような「強権的な手法」で沖縄の基地建設や、原発の再稼働、さらに自衛隊の軍隊化などが進められています。

「原発事故」を一刻も早くに収束して「国民の生命」や「国土」を守るためには、今回の「戦争法案」の「白紙撤回」だけでなく安倍首相の辞任を要求することが必要でしょう。

原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機、写真は「ウィキペディア」より)

 

原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)

「新国立」や「TPP」の問題で、国民の多くが反対し、「憲法」にも違反している可能性が高い「戦争法案」(自称「安全保障関連法案」)を強行採決した安倍政権の無責任さを浮き彫りにする判決が7月31日に出ました。

まず、東電の勝俣恒久元会長(75)、武藤栄(さかえ)元副社長(65)と、武黒(たけくろ)一郎元副社長(69)の三人について業務上過失致死傷罪で起訴すべきとした東京第五検察審査会の議決の概要を8月1日付けの「東京新聞」朝刊によって確認したあとで、原発事故の真の「責任者」に迫りたいと思います(太字は引用者)。

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検審は議決で、「原発事業者は『万が一にも』発生する津波、災害にも備えなければならない高度な注意義務を負う」と指摘。勝俣元会長らを「福島第一原発に高さ一五・七メートルの津波が襲う可能性があるとの試算結果の報告を、遅くとも〇九年六月までに受けたが、必要な措置を怠り、津波による浸水で重大な事故を発生させた」とした。

東電は〇七年七月に柏崎刈羽原発事故などを経験し、原発が浸水すれば電源を失って重大事故が起きる危険性を把握していたとも指摘。勝俣元会長らは福島第一原発でも地震と津波による事故発生を予測でき、運転停止や防潮堤の建設などの対策を取れば、事故を避けられたと結論づけた。

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「原発事故」を引き起こしたこれらの経営者の責任がきちんと問われたことはよかったのですが、問題の根ははるかに深いようです。昨年の3月15日に行われた日本ペンクラブの「脱原発を考えるペンクラブの集い part4」 では事故当時の最高責任者・菅直人氏を講演者に招いて、「福島原発事故」の実態に迫ろうとしました。

その時に明らかになったことについては、ブログ記事に記しましたが、そこではこの原発事故と安倍首相との関わりには触れていませんでした。リンク→〈真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

2006年12月13日に行われた参議院における吉井英勝議員と安倍首相の原発事故防止関連の質疑応答については、すでにいくつもの記事が書かれていますが、今回は「首相がデマを流していいのか?」と題されたサイト「文芸ジャンキー・パラダイス」の2013年7月12日の記述によって紹介しておきます(http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/column15.html)。

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2006年参院/質疑応答の要約

吉井英勝議員「海外(スウェーデン)では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか」/安倍首相「海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない」

吉井議員「冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか」/ 安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」

吉井議員「冷却に失敗し各燃料棒が焼損した(溶け落ちた)場合の想定をしているのか」/ 安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」

吉井議員「原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測を教えて欲しい」 /安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」

吉井議員「総ての発電設備について、データ偽造が行われた期間と虚偽報告の経過を教えて欲しい」/ 安倍首相「調査、整理等の作業が膨大なものになることから答えることは困難」

吉井議員「これだけデータ偽造が繰り返されているのに、なぜ国はそうしたことを長期にわたって見逃してきたのか」/ 安倍首相「質問の意図が分からないので答えることが困難。とにかくそうならないよう万全の態勢を整えている」

関連記事→http://goo.gl/1Vw5wI 

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最近の国会で安倍首相が、「国民の生命」にも関わる「安全保障関連法案」についての質疑で、「壊れたレコードのように」まったく同じ台詞で答弁していることには呆れて、このような人物が日本国の「総理大臣」であることを恥ずかしく感じることが多いのですが、実は、2006年の参議院での質疑応答でも同じ台詞を繰り返していたのです。

しかし、「そうならないよう万全の態勢を整えている」ならば、チェルノブイリ原発事故と同じ規模でいまだに収束していない福島第一原子力発電所事故は、なぜ起きたのでしょうか。

いずれ詳しく考察したいと思いますが、最近、大きく報じられた「東芝」の粉飾決算にも新しい経営陣が大きく踏み込んだ「原発事業」が大きく関わっていたことが明らかになってきました。

これらのことも「国策」ということで「国民」の眼からは隠されてきたのだと思えます。現在の「安全保障関連法案」だけでなく、「原発事故」にも深く関わっている安倍首相の責任はきわめて大きいと言わねばならないでしょう。