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08月

安倍首相の「嘘」と「事実」の報道――無責任体質の復活(8)

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このブログでは衆議院選挙を前にした昨年の12月に書いた一連の記事で、「景気回復、この道しかない」としてアベノミクスを前面に出した安倍政権と戦前・戦時中の軍事政権の手法の類似性を示すことで、「言葉」や「約束」を大切にしない「安倍政権」の危険性を指摘してきました。

内閣の支持率などを見ると今もこの手法やスローガンに騙されている「国民」は少なくないようですが、今日の「東京新聞」朝刊は「首相『支持受けた』というが… 安保法案は公約271番目」という見出しの記事で、安倍首相の「嘘」を明確に指摘しています。

「事実」を書くという新聞の基本的な役割を果たした重要な記事だと思いますので、以下にその全文を引用しておきます(太字は引用者)。

*   *   *

安全保障関連法案をめぐり、安倍晋三首相が「法整備を選挙で明確に公約として掲げ、国民から支持を頂いた」と繰り返している。法案内容に国民の反対が根強いことへの反論の一環だ。しかし、昨年衆院選の自民党公約では、安保法案の説明はごくわずかしかない。解散時は経済政策を前面に押し出し、安保法案は公約の全二百九十六項目の中で、二百七十一番目の一項目にすぎない。 (皆川剛)

参院の審議が始まってからも、野党は各種の世論調査を挙げ「ほとんどの国民が法案内容の説明が十分でないと答えている。国民の過半数が法案に憲法違反の疑いがあると認識している」(維新の小野次郎氏)などと批判を続けている。

これに対し、首相は「さきの衆院選では昨年七月の閣議決定に基づき、法制を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民から支持を頂いた」と、安保法案は選挙で公約済みと強調する。

しかし昨年の自民党公約では、安保法制への言及は二百七十一番目だっただけでなく、「集団的自衛権の行使容認」は見出しにも、具体的な文言にもない。歴代政権が違憲としてきた集団的自衛権の行使を認めるという、国のあり方を根本から変える政策なのに目立たない位置付けだった。

二〇一二年衆院選の公約に入っていた「集団的自衛権の行使を可能とする」という文言は一三年の参院選から消え、「法整備を進める」という表現になった。

昨年十一月の衆院解散直後の会見では、安倍首相は「アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか。それを問う選挙であります」と明言し、自主的な発言は経済政策と地方創生に終始。記者から「集団的自衛権行使容認の閣議決定は争点に位置づけるか」と問われて初めて、「そうしたすべてにおいて国民に訴えていきたい」とだけ答えた。

共同通信社の八月中旬の調査では、安保法案が「憲法に違反していると思う」は55・1%に上り、「違反していると思わない」の30・4%を大きく上回る。法案の今国会成立にも62・4%が反対している。

*   *   *

今日の「東京新聞」朝刊には「SEALDs呼び掛け 全国60カ所でデモ」という見出しで、日本の各地で行われた「全国若者一斉行動」の模様がカラー写真と共に詳しく掲載されていました。

「日本新聞博物館」の常設展には、治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の状況が示されたコーナーもありますが、現代の日本でも権力者にすりよるために「御用新聞」と化して「事実」を伝えようとしない新聞もあるなかで、「平和の俳句」を掲げる「東京新聞」は、「孤高の新聞」と呼ばれた新聞『日本』の陸羯南や正岡子規などの思いを受け継いでいると感じます。

リンク→新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

これまでもがんばりを見せてきた地方紙に続いて、「毎日新聞」や「朝日新聞」などの大新聞にも「事実」を見つめた気骨のある記事が連日掲載されることを期待しています。

 

安倍政権の無責任体質・関連の記事一覧

アベノミクスと武藤貴也議員の詐欺疑惑――無責任体質の復活(7)

原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6)

「新国立」の責任者は誰か(2)――「無責任体質」の復活(5)

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)

原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)

TPP交渉と安倍内閣――「無責任体質」の復活(2)

「戦前の無責任体系」の復活と小林秀雄氏の『罪と罰』の解釈

大義」を放棄した安倍内閣(2)――「公約」の軽視

「大義」を放棄した安倍内閣

 

アベノミクスと武藤貴也議員の詐欺疑惑――無責任体質の復活(7)

先ほど武藤議員が離党届を提出したとのニュースが飛び込んできました。

武藤貴也衆議院議員が知人に未公開株の購入を持ち掛け金銭トラブルになっているとの週刊誌報道に関して、自民党の谷垣禎一幹事長が「事実関係を把握した上で報告したい」と説明したとの共同通信の記事が「東京新聞」に載ったのは今朝の朝刊でした。

この件について、『週刊文春』の記事を紹介した「朝日新聞」のデジタル版は「武藤氏は昨年、ソフトウェア会社の未公開株について『国会議員枠で買える』と持ち掛け、23人から計約4100万円を集めた。しかし、実際には株は購入されず、6人分の約700万円分が返済されていないという」と報じています。

〈アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金〉と題する記事を書いたのは、去年の11月のことでしたが、今回の事件は目先の利益の追求に追われて、「国民の生命」を軽視する安倍政権の「金権政治」を象徴していると思われます。

さらに、安倍首相に近い自民党議員の勉強会「文化芸術懇話会」にも出席していた武藤議員の「核武装論」や復古的な「歴史観」と「道徳観」は、「違憲」の疑いが強い危険な「安全保障関連法案」をごり押ししている安倍政権の思想とも深く関わっていると思われます。

武藤議員の問題は国会でもきちんと議論されるべきでしょう。

なお、現在は書く暇がないのですが、いずれ「安倍談話の問題点」についても、きちんと論じたいと考えています。

 

武藤貴也議員関連の記事一覧

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

武藤貴也議員の核武装論と安倍首相の核認識――「広島原爆の日」の前夜に

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

 

アベノミクス関連の記事一覧

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

「アベノミクス」とルージンの経済理論(*ルージンは『罪と罰』に登場する利己的な中年の弁護士)

アニメ《火垂るの墓》が8月14日に日本テレビで放映

高畑勲監督のアニメ映画《かぐや姫の物語》などについては、このHPでも何回か取り上げてきましたが、野坂昭如氏の原作を元にしたアニメ《火垂るの墓》(1988年)が本日、日本テレビ「金曜ロードSHOW」で夜9時から放映されます。

戦後70年に当たって、もう一度あの戦争の無謀さと悲惨さを考えるためも必見のアニメでしょう。

なお、翌週の21日には《おもひでぽろぽろ》(1991年)が、28日には身近な地域の環境問題を狸の視点から描いた《平成狸合戦ぽんぽこ》(1994年)が放映されるとのことです。

 

高畑勲監督関連の記事一覧

映画人も「安全保障関連法案」反対のアピール

《かぐや姫の物語》が3月13日にテレビ初放送

《かぐや姫の物語》考Ⅱ――「殿上人」たちの「罪と罰」

《かぐや姫の物語》考Ⅰ――「かぐや姫」と 『竜馬がゆく』

「リレートーク 表現の自由が危ない!」を「新着情報」に掲載

 

「あかりちゃん」Part2と中東研究者の「安保法案」反対声明

「文明史」的な理解を欠いた形でこの法案を解説した自民党・広報の「教えて!ヒゲの隊長」の説明を分かりやすく論破した、YouTubeの【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみたの視聴回数が、オリジナル版の2倍近い986、078回となりもうすぐ100万回に達しようとしています。

7月28日には自民党のムービー教えて!ヒゲの隊長 Part2」が公開されましたが、その10日後の8月8日に「あかりちゃん」のPart2も公開され、このムービーもすでにオリジナル版の視聴回数を超えています。

  リンク→【あかりちゃん#2】HIGE MAX あかりのデス・ロード

ヒゲの隊長をロボットにしているのは、少しやりすぎかとも思いましたが、自民党のオリジナル版自体が「一家に一台必要」と言われた佐藤氏が「それじゃあ、ヒゲロボだな」いう台詞でヒゲの隊長の説明の必要を強調していたのです。

ことに自衛隊が「駆けつけ警護」することの危険性をNGOで活動している方の言葉で説明している箇所は説得力を持っていますが、『日刊ゲンダイ』(8月11日デジタル版)も、中東研究者105人が安保法案に反対との声明を発表したことを報道しています。

「現代イスラム研究センター」理事長の宮田律氏は「安保法案を通してしまうと、中東の過激派組織まで刺激する可能性がある。中東社会は日本の平和主義を信頼しています。それをかなぐり捨て、米国に追随すれば、いずれ日本も泥沼の対テロ戦争にハマっていくことになるのではないか」と語っていたのです。

宮田律氏の言葉を紹介したこの記事は、次のように結んでいます。

呼びかけ人には、駐イラク大使や駐リビア大使などを経験した元外交官も名を連ねた。安倍政権の『中東政策』に警鐘が乱打されている。」

*   *   *

自衛隊のサマワ派遣に際しては「隊員が銃を撃つ判断を迫られるなどの事態が起きていた」ことを明らかにする記事が「朝日新聞」デジタル版に載りましたので。リンク先を記しておきます。 (2015年8月20日)

銃声、群衆が陸自包囲 撃てば戦闘…サマワ駐留隊員恐怖:朝日 …

www.asahi.com/articles/ASH8C4VLCH8CUTFK00F.html

原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6)

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九州電力が11日に川内原発1号機の原子炉が「事故時の責任不明のまま」再稼働しました。

このような事態になった経緯をいくつかのブログ記事などを参考に簡単に振り返ることにより、「国民の生命や安全」を無視して、「私利私欲」から「利権」に走る危険な安倍政権の実態に迫りたいと思います。

*   *

川内原発の再稼働は、「原子力規制委員会が策定した新規制基準に基づく」ものですが、その原子力規制委員会は2011年3月11日に発生した東京電力福島原子力発電所事故の際に、自民党政権下に設置されていた原子力安全・保安院が、経済産業省の管轄でもありその対応があまりにもずさんであったために、新たに立ち上げられた組織でした。

平成25年1月9日に発表された文書では「原子力規制委員会の組織理念」が次のように高らかに謳われていました*1。

原子力にかかわる者はすべからく高い倫理観を持ち、常に世界最高水準の安全を目指さなければならない。/我々は、これを自覚し、たゆまず努力することを誓う。(中略)原子力に対する確かな規制を通じて、人と環境を守ることが原子力規制委員会の使命である。」

*   *

2012年9月にその組織の委員長に田中俊一氏が就任した際には、強い懸念の声が聞かれました。東北大学工学部で原子力工学を学んだ田中氏が、日本原子力研究開発機構等を経て日本原子力学会の第28代会長を務め、内閣府原子力委員会委員長代理や内閣官房参与などを歴任するなど、まさに「原子力ムラ」の有力者だったからです。

それでも「初期のころの規制委は、5人の委員のうちの地震学者の島崎邦彦氏が、かなり厳しい意見を電力会社に浴びせるなど、ある程度の“原発抑止力”を発揮しようとする姿勢が見えたようにも思われた」と書いたジャーナリストの鈴木耕氏は、「だがそれは、どうも『世を欺く仮の姿』だったらしい」と続けています*2。

なぜならば、2014年9月に新たに委員に任命された田中知氏が、日本原子力学会の元会長というれっきとした原子力ムラの村長クラスで」、「原子力事業者から多額の寄付や報酬(判明しているだけで760万円以上)を受け取っていた」からです。

しかも、民主党政権時代に定められた原子力行政に関するガイドラインの「規制委員の欠格条件」には、「直近の3年間に原子力事業者等及びその団体の役員をしていた者」という項目があり、2010年〜2012年に原子力産業協会理事という役職に就いていた田中知氏は、当然、原子力規制委員になれるはずはなかったのです。

鈴木氏はこう続けています。「だが、当時の石原伸晃環境相は『民主党時代のガイドラインについては考慮しない』と国会で答弁、安倍政権として平然とガイドラインを破棄した。歯止めを簡単に取っ払ってしまったのだ。」

*   *

菅官房長菅は「原子力規制委員会において安全性が確認された原発は再稼動を進める」と発言し、原子力規制委員会の判断を再稼働の理由にしています。

しかし、2014年7月16日に「適合性審査」に川内原発はクリアしたと発表した原子力規制委員会の記者会見で、田中俊一・委員長は記者の質問にこたえて、次のような驚くべき発言をしていたのです。

「安全審査ではなくて、基準の適合性を審査したということです。ですから、これも再三お答えしていますけれども、基準の適合性は見ていますけれども、安全だということは私は申し上げませんということをいつも、国会でも何でも、何回も答えてきたところです。」

つまり、川内原発の「安全性」はクリアされていないのです。このことについては「リテラ』が分析していますので、詳しくはその記事をお読みください

川内原発の再稼動審査で行われたおそるべき「非合法 … – リテラ

*   *

その記事の中で最も注目したのは、「新規制基準では、原発の敷地内に火山噴火による火砕流などが及ぶ場合は立地不適となり、本来は川内原発もこれに抵触するため再稼働は認められないだろうと考えられていた」にもかかわらず、「九電も規制委も、川内原発が稼動している数十年の間に噴火は来ないとして立地不適にしなかった」ことである。

しかも、火山学者から「巨大噴火」の可能性を指摘されると田中委員長が「そんな巨大噴火が起きれば、九州が全滅する。原発の問題ではない」と言い放ったことを、松崎純氏は「これは子供でもインチキだと分かる詭弁だろう」と指摘しています。

このような田中氏の発言からは私が連想したのは、黒澤映画《夢》の第六話「赤富士」で原発事故の収束のために最期まで踏みとどまって国民の被害を最小限にとどめようと努力せずに、苦しみから逃れるために自殺を選ぶ原子力関係者の姿でした。そこからは「原子力にかかわる者はすべからく高い倫理観」を持たねばならないとした「組織理念」が微塵も感じられないのです。

民主党時代に制定されたガイドラインを平然と破棄し、原子力規制委員会を促進委員会のように変貌させて、国民の半数以上が反対であるにも関わらず再稼働を許可した安倍政権は、「国民の生命や安全」のことは考えていない「不道徳」な政権であるといわねばならないでしょう。

 

*1 原子力規制委員会の組織理念www.nsr.go.jp/nra/gaiyou/idea.html

*2 5 原子力規制委員会田中俊一委員長の悲しい変貌 – マガジン9www.magazine9.jp/article/hu-jin/15907/

「新国立」の責任者は誰か(2)――「無責任体質」の復活(5)

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前回は少しフライング気味の記事を書いてしまったかと少し案じていましたが、やはり「新国立」の建設計画の裏には莫大な利権があったようです。

リンク→「新国立」の責任者は誰か――「無責任体質」の復活

『毎日新聞』8月7日付の記事や『週刊新潮』8月13日・20日号の特集記事に続いて『リテラ』が、森元首相の不正とかつての派閥の親分に尽くす安倍首相の問題に鋭く深く切り込んでいました。その記事へのリンク先lite-ra.comとリード文を以下に記しておきます(8月11日)。

 

新国立競技場の不正が次々判明! 森元首相に施工業者の …

13 時間前 – 親分子分でめちゃくちゃに(左・安倍晋三公式サイトより/右・森喜朗公式サイトより) ザハ案の白紙見直しが決まった新国立競技場だが、一方で、ここまでの混乱を生んだ裏に、政府と政治家の詐欺的とも言える不正工作があったことが、 …

 

関連する記事一覧

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原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)

TPP交渉と安倍内閣――「無責任体質」の復活(2)

「戦前の無責任体系」の復活と小林秀雄氏の『罪と罰』の解釈

 

 

新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

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(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

 

先ほど、〈川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(に)くき者」〉という記事をアップしました。

以下に、新聞記者・正岡子規関連の記事のリンク先を示しておきます。

 

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載

新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

講座 「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

年表6、正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

 

(2015年12月14日。リンク先を追加)

 自著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の紹介文を転載

正岡子規の「比較」という方法と『坂の上の雲』

川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(にく)き者」

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan(←画像をクリックで拡大できます)。

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機、写真は「ウィキペディア」より)

 

川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(にく)き者」

原子力規制委員会は「周辺に活火山群がある鹿児島県の九州電力川内原発について、新規制基準にかなうと判断」していましたが、この判断に従って九州電力は川内原発1号機の原子炉を明日、再稼働させると発表しました。

また、菅官房長官は10日の記者会見で「第一義的には責任は事業者にあるが、万が一事故が起きた場合、国が先頭に立って原子力災害への迅速な対応や被災者への支援を行っていく」と語ったとのことです。

しかし、福島第一原子力発電所の大事故がいまだに収束してはおらず、原子力災害の被災者への十分な対応もできていない現状を考慮するならば、菅氏の説明はほとんど説得力を持っていないように見えます。

川内原発の再稼働の危険性については、〈御嶽山の噴火と川内原発の再稼働――映画《夢》と「自然支配」の思想で詳しく考察しましたが、記者会見での安倍首相と菅官房長官の言葉から思い出したのは、「功労なくして顕地に立ち、器識なくして要路を占め、天を畏れず、人に省みず、政事家気取をなす者の面、悪(にく)むべし。」という新聞『小日本』に記された子規の言葉でした。

圧倒的な権力を有した当時の薩長藩閥政府の「新聞紙条例」や「讒謗律」にもかかわらず、敢然と権力の腐敗を厳しく批判した新聞記者としての子規の文章には、圧倒されるような気迫があります。俳句を改革した子規の業績もこのような新聞人として現実の直視から生まれているのではないかと思います。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の執筆を少し先送りしてでも、「戦争法案」の成立を阻止するためにブログの記事を私が書き続けていることも、子規の気迫に促されているところもあるようです。

今回は変体仮名を標準的な平仮名に直して、明治27年3月23日の新聞『小日本』の巻頭を飾っている「悪(にく)き者」という一連の文章の前半を紹介することにします。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)

*   *   *

 悪(にく)き者

○権謀術数は兵事に於てこそ尚(たつと)ぶ可(べ)けれ、政事就中(なかんづく)内治(ないぢ)の上に用ふ可(べ)きものに非ず。然るに今の政事社会には内治の上に之を振回(ふりまわ)し、したり顔する政事家少なからず。悪(にく)むべし。

○制を矯め命(めい)を偽はりて一世に我物顔(わがものがほ)に振舞ふ者は、悪(にく)む可(べ)き者の骨頂なり。

○正常の手段もて正常の業(げふ)を営み、富(とみ)を致してこそ名誉はあれ、人間の恥といふものを忘れ、人を欺き他を困(くるし)め、不義の財を貪り積みて扨(さて)紳商と高ぶるしれ者多し、悪(にく)むべし。

○勢家の意を迎へ、権門の心に投し、例を欧米に求めて虐政を幇(たす)け、言を英国に托して暴制を設けしめ、 才子を以て自ら居る者、学校出身の若手にまゝあり、悪(にく)む可し。

○功労なくして顕地に立ち、器識なくして要路を占め、天を畏れず、人に省みず、政事家気取をなす者の面、悪(にく)むべし。

(2015年12月22日、2017年6月5日。写真を追加)

安倍晋三首相の公約とトルーマン大統領の孫・ダニエル氏の活動――「長崎原爆の日」に(2) 

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(長崎市に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)。

 

長崎も9日、米軍が原爆を投下してから70年を迎えました。ここでは「東京新聞」の記事によりながら、長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典で語られた市長や被爆者の言葉をまず確認します。

その後で、原爆投下を命令したトルーマン大統領の孫ダニエル氏の場合と比較することにより岸信介首相の孫である安倍首相の公約の意味を考察することにします(太字は引用者)。

*   *   *

田上富久市長は平和宣言で安全保障関連法案について「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっている」と指摘しました。

注目したいのは、安倍晋三首相が今年から来年にかけて長崎や広島で主要7カ国(G7)外相会議など国際会議を開くことに触れて、「被爆地から我々の思いを国際社会に力強く発信」していくと述べつつも、被爆地の市長が求めた「安全保障関連法案」の「慎重で真摯(しんし)な審議」にはまったく触れなかったことです。

被爆者代表の谷口稜曄さん(86)は平和への誓いで「今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆すもので、許すことはできない」と安倍首相と与党を厳しく批判していました。

実際、核兵器の使用も公言しているばかりでなく、「イラク戦争」に際しては多量の「劣化ウラン弾」を使用していたアメリカ軍の「後方支援」に当たることを可能とするこの法案を強引に成立させることは、「国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく」という首相自身の言葉を裏切ることになるでしょう。

*   *   *

この意味で注目したいのは、「核兵器は残虐で人道に反する兵器です」と語った被爆者代表の谷口氏が、「廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています」と続けていたことです。

実際、8月6日放送された「報道ステーション」によれば、トルーマン大統領の孫で幼い頃から「原爆は正義」と教わってきたダニエル氏も、原爆で白血病になり12歳でなくなった佐々木禎子さんの物語『禎子と千羽鶴』を読んだことから、トルーマン大統領の孫としてできることはこの悲惨な状況を多くのアメリカ人に伝えることだと気づいたのです(トルーマンの孫としていま-」、テレビ朝日「報道ステーション」)。

アメリカだけではなく、過去最多の75カ国から大使らが出席したこの「平和式典」で、岸信介首相の孫である安倍首相が「『核兵器のない世界』の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく」と約束したことは非常に意義深いことです。

世界への「公約」を誠実に実行するためには、「核武装」を公言している武藤貴也議員を処分するとともに、「安全保障関連法案」の問題点の「慎重で真摯な審議」をすることが不可欠と思われます。

 

リンク→原子雲を見た英国軍人の「良心の苦悩」と岸信介首相の核兵器観――「長崎原爆の日」に(1) 

リンク→「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」

 

 

原子雲を見た英国軍人の「良心の苦悩」と岸信介首相の核兵器観――「長崎原爆の日」に(1) 

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(長崎市に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)。

 

7月27日付けの「朝日新聞」は、長崎への原爆投下の際に写真撮影機にオブザーバーとして搭乗し、原子雲を目撃した英国空軍大佐のチェシャーの苦悩に迫る記事を「原子雲目撃者の転身」と題して掲載していました。

すなわち、「核兵器が実際に使用される場面を軍人の目で見守らせ、今後に生かそうという首相チャーチルの意向で」派遣された空軍大佐のチェシャーは、帰国後には「原爆には戦争の意味をなくすだけの威力があり、各国が保有すればむしろ平和につながる」と軍人としては報告していました。

しかし、その直後に空軍を退役したチェシャーは、戦後に「福祉財団を立ち上げ、障害者のための施設運営に奔走」するようになるのです。

チェシャーは亡くなる前年の1991年に開かれた国際会議でも、「原爆投下が戦争を早く終結させ、多くの人の命を救った」と語ってアメリカの行為を正当化していましたが、原爆雲を観た際には「安堵と、やっと終わったという希望の後から、そのような兵器を使ったことに対する嫌悪感がこみ上げてきた」と後年、自著では振り返ってもいたのです。

このことを紹介した記事は次のように結んでいます。「やむない手段だったとの信念を抱くと同時に、原爆による人道的被害に対しては良心の苦悩も抱え続けた。原子雲の目撃者から福祉の道へ転じた歩みには、その葛藤が映っている」。

*   *   *

一方、東条内閣の閣僚として満州政策に深く関わっていた岸信介氏は、首相として復権すると自国民に地獄のような苦しみを負わせた原爆投下の罪をアメリカ政府に問うことなく、むしろその意向に迎合するかのように、国会で「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と答弁していたのです。

それゆえ、広島への原爆投下に関わったことで深い「良心の呵責」を感じて、精神病院に収容された元パイロットと書簡を交わしていた精神科医のG・アンデルスも1960年7月31日付けの手紙で岸信介首相を次のように厳しく批判していました(『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房、1962年。文庫版、1987年)。

「つまるところ、岸という人は、真珠湾攻撃にはじまったあの侵略的な、領土拡張のための戦争において、日本政府の有力なメンバーの一人だったということ、そして、当時日本が占領していた地域の掠奪を組織し指導したのも彼であったということがすっかり忘れられてしまっているようだ…中略…誠実な感覚をそなえたアメリカ人ならば、この男、あるいはこの男に協力した人間と交渉を持つことを、いさぎよしとしないだろうと思う。」

私自身も「国家」を強調して「国民」には犠牲を強い、他の国民には被害を負わせた岸氏が、原爆の被害の大きさを知りつつも「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と無責任な発言をしていたことを知ったときには、たいへん驚かされ、どのような精神構造をしているのだろうかといぶかしく思い、人間心理の複雑さを感じました。

*   *   *

そのような権力者の心理をある程度、理解できるようになったのはドイツの社会心理学者であるエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読み、そのような視点から小林秀雄のドストエフスキー論を読み直してからのことでした

リンク→『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』(日高六郎訳、東京創元社、1985)

「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と長編小説『罪と罰』を解釈した文芸評論家の小林秀雄が、戦後の1946年に行われた座談会の「コメディ・リテレール」では「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」と語って、言論人としての責任を認めようとしていなかったのです。

このような小林秀雄の「罪と罰の意識」をとおして考えるとき、岸氏の心理もよく見えるようになると思われます。

つまり、独自の「非凡人の理論」によって「悪人」」と規定した「高利貸しの老婆」を殺害したラスコーリニコフは、最初は「罪の意識」を持たなかったのですが、「米英」を「鬼畜」とする戦争を主導した岸氏も自分を選ばれた特別な人間と見なしていたならば、A級戦犯の容疑に問われて拘留された巣鴨の拘置所でも「罪の意識も罰の意識も」持つことなく、復権の機会をうかがっていたことになります。

しかし、『白痴』との関連にも注目しながら、『罪と罰』のテキストを忠実に読み解くならば、ラスコーリニコフはシベリアの流刑地で「人類滅亡の悪夢」を見た後で、自分の罪の深さに気づいて精神的な「復活」を遂げたことが記されているのです。

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