〈「安全保障関連法案」の危険性――「国民の生命」の軽視と歴史認識の欠如〉と題した7月3日のブログ記事を私は次のように結んでいました。
「なお、原水爆の危険性を軽視した岸信介政権と同じように、原水爆だけでなく原発の問題も軽視している安倍晋三政権の危険性については、別の機会に改めて論じたいと思います。」
これを書いた時に意識していたのは、なかなか言及する暇がなかった5月24日の「東京新聞」朝刊第1面の〈核兵器禁止 誓約文書も賛同せず 被爆国で「核の傘」 二重基準露呈〉という北島忠輔氏の署名入りの記事のことでした。以下にその主な箇所を引用しておきます。
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「核なき世界」に向け国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は二十二日、四週間の議論をまとめた最終文書を採択できず決裂、閉幕した。被爆七十年を迎える日本は、唯一の被爆国として核兵器の非人道性を訴えたが、核の被害を訴えながら、米国の「核の傘」のもと、核を否定できない非核外交の二面性も浮かんだ。
会議では、核兵器の非人道性が中心議題の一つとなった。早急な核廃絶を訴える一部の非保有国の原動力となり、オーストリアが提唱した核兵器禁止への誓約文書には、会議前には約七十カ国だった賛同国が閉幕時には百七カ国まで増えた。…中略…日本は「核保有国と非保有国に共同行動を求める」(岸田文雄外相)との姿勢で臨んだが、両者が対立する問題では橋渡し役を果たせなかった。また、早急な核廃絶に抵抗する保有国と足並みをそろえて誓約文書に反対する立場をとった。」
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この記事から浮かんでくるのは、世界で唯一の被爆国でありながら「誓約文書に反対する立場」をとる安倍政権の奇妙な姿勢ですが、その方向性は安倍首相の祖父・岸信介の政権で決められていたように思えます。
なぜならば、毎日新聞が1月18日朝刊の第1面で〈日米が「核使用」図上演習〉という題名で、「米公文書」で明らかになった次のような事実を示していたからです。以下にその主な箇所を引用しておきます。
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「70年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。54年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。(中略)58年2月17日付の米統合参謀本部文書によると、57年9月24~28日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習『フジ』を実施した。」
そして、「当時の岸信介首相は『自衛』のためなら核兵器を否定し得ないと国会答弁」しており、「核保有の選択肢を肯定する一部の発想は、その後も岸発言をよりどころに暗々裏に生き続けている」と指摘した日米史研究家の新原昭治氏の話を紹介しているのです。
つまり、「東条英機」内閣の重要な閣僚として「鬼畜米英」を唱えて「国民」を悲惨な戦争に駆り立てた岸首相は、戦後にはアメリカの「核政策」を批判するどころかその悲惨さを隠蔽して、「核兵器」の使用さえも認めていたのです。
このような岸首相の「核政策」が、いまだにアメリカのアンケートでは「核の使用」を正当化する比率が半数を超えているという現状だけでなく、核戦争など人類が生み出した技術によって、世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」が、再び「残り3分」になったと今年の科学誌『原子力科学者会報』で発表されたような事態とも直結しているとも思えます。
(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)
(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)
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このような日本政府の「核政策」は、日本の「代表的な知識人」である小林秀雄の言説にも反映しているようです。
すなわち、1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、戦争に対して不安を抱いた同人の林房雄が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけられると「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていた小林秀雄は、湯川秀樹との対談では、「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら厳しく批判していたにもかかわらず、「原子力の平和利用」が「国策」となると沈黙してしまったのです(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁。不二出版、復刻版、2008~2011年)。
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「東京新聞」は今日(7月7日)夕刊の署名記事で、原発再稼働の政府方針を受けて「火山の巨大噴火リスクや周辺住民の避難計画の不十分さなどいくつも重要な問題が山積したまま、九州電力川内原発1号機(鹿児島県)が、再稼働に向けた最終段階に入った」ことを伝えています。
さらにこの記事は、「巨大噴火の場合は、現代の科学による観測データがなく、どんな過程を経て噴火に至るかよく分かっていない」などとの火山の専門家からの厳しい指摘があるだけでなく、「避難計画は、国際原子力機関(IAEA)が定める国際基準の中で、五つ目の最後のとりでとなる」にもかかわらず、「避難住民の受け入れ態勢の協議などはほとんどされていない」ことも紹介しています。
「周辺住民の避難計画」も不十分なままで強引に原発再稼働を進めようとする安倍政権の姿勢からは、満州への移民政策を進めながら戦争末期には多くの移民を「棄民」することになった岸信介氏の政策にも通じていると感じます。
両者の政策に共通なのは、スローガンは威勢がよいが長期的な視野を欠き、利益のために「国民の生命」をも脅かす危険な政策であることです。
(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)
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