「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)――『カラマーゾフの兄弟』とイワンの苦悩
『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(1962年、筑摩書房)のドイツ語の原題は、『Off limits fu¨r das Gewissen――der Briefwechsel zwischen dem Hiroshima―Piloten Claude Eatherly und Gu¨nther Anders(良心の立ち入り禁止――広島パイロット、クロード・イーザリーとギュンター・アンデルスとの文通)』とのことで、「罪と罰」という単語は入っていません(ウムラウトの表記が分かれて示されています)。
それゆえ、文芸評論家の小林秀雄氏がこの著作に言及していなくても不自然ではないという解釈も可能です。
しかし、 [BOOKデータベース]によれば、この本の内容は下記のように紹介されていました。
【 “1945年8月6日、広島の上空で約45分間旋回した後、僚機エノラ・ゲイ号に向けて、私は「準備OK、投下!」の暗号命令を送りました。…”
後年、地獄火に焼かれる広島の人々の幻影に苦しみつづけ、〈狂人〉と目された〈ヒロシマのパイロット〉と哲学者との往復書簡集。それは、病める現代社会を告発してやまない。ロベルト・ユンクの精細な解説「良心の苦悩」を付す。】
* *
よく知られているように長編小説『カラマーゾフの兄弟』では、自殺したスメルジャコフに自分が殺人を「使嗾」していたことに気づいたイワンが「良心の呵責」に激しく苦しむことが描かれています。
残念ながら、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と断言していた小林秀雄の『罪と罰』論が広まって以降、日本ではドストエフスキーはあまり倫理的な作家とは見られていないようです。
しかし、高校の時に『罪と罰』と出会って主人公の感情の分析の鋭さや文明論的な広い視野に驚き、続いて『白痴』では「殺すなかれ」という高い理念を語る主人公像に魅せられていた私は、自分が殺人を「使嗾」していたかもしれないことに気づいたイワンの「良心の呵責」を描いた『カラマーゾフの兄弟』にきわめて高い倫理性を見ていました。
「良心の苦悩」と名付けられた解説でロベルト・ユンクは、「広島でのあのおそるべき体験の後、イーザリーは何日間も、だれとも一言も口をきかなかったという話が伝えられている」と記し、さらにこう続けています。
「広島と長崎への原爆投下に参加したパイロットたちを、英雄視して祭り上げようとする風潮が終戦直後に起こったとき、こうした風潮の誘惑に抵抗したのは、ただひとりイーザリーだけであった。」(268~269頁、引用は1987年出版のちくま文庫による)。
それゆえ、この本を読んだ時にはイーザリーの苦しみに『カラマーゾフの兄弟』のイワンの苦悩を重ねて読み、表題に「罪と罰」というドストエフスキー作品のテーマを組み込んだ編集者の見識に感心していたのです。
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(2016年1月1日、関連記事を追加)