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05月

『黒澤明 樹海の迷宮』刊行記念特別上映会のお知らせを転載

『黒澤明 樹海の迷宮』刊行記念特別上映会のお知らせを黒澤明研究会のHPより転載します。

 

日程 2015年5月31日(日)~6月4日(木)  

会場 新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F)

「デルス・ウザーラ」公開40周年

『黒澤明 樹海の迷宮 映画「デウス・ウザーラ」全記録1971~1975』(野上照代・他著/小学館)  刊行記念特別上映会

・5/31(日) 『七人の侍』 (トークショーあり)

・6/ 1(月) 『羅生門』『醜聞(スキャンダル)』

・6/ 2(火) 『天国と地獄』『蜘蛛巣城』(トークショーあり)

・6/ 3(水) 『悪いやつほどよく眠る』『どん底』

・6/ 4(木) 『まあだだよ』『AK ドキュメント黒澤明』

映画と講演の夕べ『デルス・ウザーラ』(トークショーあり)

リンク→詳細はこちら

「黒澤明監督の倫理観と自然観」の要旨を掲載

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 はじめに――黒澤監督のドストエフスキー観と黒澤映画《夢》

ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで「人類滅亡の悪夢」を描いていたが、今年の初めには世界が滅亡する時間を示す「終末時計」が冷戦時の1949年と同じ「残り3分」に戻ったと発表された。原水爆の問題を正面から取り上げた黒澤明監督(1910~98年)の映画《生きものの記録》(1955年)から原子力発電所事故を予告したような映画《夢》(1990年)への深まりを地球倫理の視点から考察する。

黒澤監督が映像をとおして描いたようにドストエフスキーの文明観や倫理観はきわめて深いので、『罪と罰』や『白痴』などにも簡単に言及しながら、作家を深く敬愛したソ連の映画監督タルコフスキーとの深い交友や映画《デルス・ウザーラ》をも視野に入れることにより、映画《夢》に至る黒澤監督の自然観や倫理観に迫る。

そのことにより、単に19世紀的な自然観の危険性と絶望的な状況を描くだけでなく、『罪と罰』の結末のように復活の可能性もきちんと示していた黒澤映画《夢》の素晴らしさも明らかにできるだろう。

 Ⅰ、『罪と罰』の「人類滅亡の悪夢」と映画《夢》の「赤富士」と「鬼哭」

a、広島・長崎の悲劇と核兵器の開発競争

b、長編小説『罪と罰』との出会い――キューバ危機からベトナム戦争へ

c、黒澤映画《白痴》における「復員兵」の主人公と「殺すなかれ」という倫理

、映画《生きものの記録》とその時代

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(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

a、「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》

b、「季節外れの問題作」

c、《Я живу в страхе(私は恐怖の中で生きている)》

d、湯川秀樹博士と文芸評論家・小林秀雄との対談をめぐって

、映画《デルス・ウザーラ》における環境倫理

a、シベリアの環境問題と映画《デルス・ウザーラ》の筋と構想

b、シベリアの環境問題と「自然支配の思想」の批判

c、ドストエフスキーの自然観とタルコフスキーの映画《惑星ソラリス》

、映画《夢》における黒澤明監督の倫理観と自然観

a、『罪と罰』における夢の考察と映画《夢》の構造

b、「やせ馬が殺される夢」と「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」の各話

c、「死んだ老婆が笑う夢」と第四話「トンネル」の戦死した部下たちの亡霊

d、「人類滅亡の悪夢」と第六話「赤富士」・第七話「鬼哭」

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(画像はブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より。http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da039753df523c21dcd451020f1e99c …

おわりに――ラスコーリニコフの「復活」と第八話「水車のある村」

資料 年表「終末時計の時刻と黒澤映画」

 

リンク→黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

リンク→年表8,核兵器・原発事故と終末時計

(2015年5月27日、図版とリンク先を追加。2016年4月29日、改訂 )

「憲法記念日」と「子供の日」に寄せて――「積極的平和主義」と「五族協和」というスローガン

まだ福島第一原子力発電所事故も修復していないなか、汚染水は「アンダーコントロール」であると宣言した安倍政権は、日本の沖縄の民意を無視して辺野古基地の建設も強行しています。

その安倍政権は「積極的平和主義」を掲げて、憲法の改定も声高に語り始めていますが、「満州国」に深く関わった祖父の岸信介首相を尊敬する安倍氏が語る「積極的平和主義」は、「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」が連想されます。

すでにこのブログでも何回か触れたように「満州国」などの実態は、それらの「美しいスローガン」とは正反対のものだったのです。ただ、現在はまだ拙著の執筆に追われており、この問題についてじっくりと考える時間的な余裕がないので、ここでは、「子供の日」に寄せて――司馬遼太郎と「二十一世紀に生きる君たちへ」という題名で昨年の5月5日に書いたブログの記事の一部を改訂した上で抜粋しておきます。

*     *   *

幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。他民族への憎しみを煽りたて、「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツの政策がどのような事態を招いたかはよく知られています。悲劇を繰り返さないためにも、今日は「子供の日」ですので、司馬氏の歴史観と 「二十一世紀に生きる君たちへ」の意味を確認したいと思います。

司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(太字は引用者、『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。

司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。

たとえば、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る」と説明した司馬氏は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていました。(太字は引用者、五・「船中八策」)。

司馬氏が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思えます。

子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」「身につけ」た者を司馬氏は「日本人」と呼んでいるのです。

*   *   *

子供や孫の世代を再び他国への戦場へと送り出す間違いと悲劇を繰り返さないためにも、時代小説などで戦争を描き続けていた司馬氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章は重要でしょう。