高橋誠一郎 公式ホームページ

01月

「終末時計」の時刻と「自衛隊」の役割――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(3)

『永遠の0(ゼロ)』の第2章で百田氏は長谷川に、「あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない」と語らせていました。

しかし、政治家や高級官僚が決めた「国策」に対してその問題点をきちんと考えることをせずに、「わしたち兵士にとっては関係ない」として「考えること」を放棄し、「国策」に従順に従ったことが、満州や中国、韓国だけでなく、ガダルカナルや沖縄、さらに広島と長崎の悲劇を生んだのではないでしょうか。

若い頃に学徒動員で満州の戦車部隊に配属された作家の司馬遼太郎氏は、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とことを証言しています。そして、自分もそのような教育を受けた「その一人です」と語った司馬氏は、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

こうして司馬氏は、「愛国心」を強調しつつ、「国家」のために「白蟻」のように勇敢に死ぬことを青少年に求める一方で、このような「国策」を批判した者を「非国民」として投獄した戦前の教育観を鋭く批判していたのです。

*   *

文芸評論家の小林秀雄は一九三九年に書いた「歴史について」と題する『ドストエフスキイの生活』の序で、「歴史は決して繰返しはしない。たゞどうにかして歴史から科学を作り上げようとする人間の一種の欲望が、歴史が繰返して呉れたらどんなに好都合だらうかと望むに過ぎぬ」と記して、科学としての歴史的方法を否定していました〔五・一七〕。

しかし、人が一回しか生きることができないことを強調したこの記述からは、一種の「美」は感じられますが、親から子へ子から孫へと伝えられ、伝承される「思想」についての認識が欠けていると思われます。

たとえば、絶大な権力を一手に握ったことで「東条幕府」と揶揄された東条英機内閣で商工大臣として満州政策にも関わっていた岸信介氏は、首相として復権した1957年5月には「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁して、「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたのです。

そのような祖父の岸氏を敬愛する安倍首相は戦前の日本を高く評価しているばかりでなく、岸内閣の元で進められた「原子力政策」を福島第一原子力発電所事故の後でも継続しようとしており、安倍政権が続くと満州事変から太平洋戦争へと突入した戦前の日本と同じ悲劇が「繰り返される」危険性が高いと思われるのです。

過去を美しく描いて「過去の栄光」を取り戻そうとするだけでは、問題は何も解決できません。今回は「核兵器」の限定使用の危険性が高まっている現在の状況を踏まえて、「平和学」的な意味での「積極的平和主義」の視点から、日本の「自衛隊」が何をすることが世界平和にもっとも効果的かを考察することにします。

* 「『終末時計』残り3分に」 *

まず注目したいのは、アメリカの科学誌『原子力科学者会報』が、2015年01月22日に、核戦争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえ、残り時間を「0時まであと何分」という形で象徴的に示す「終末時計」が、再び残り3分になったと発表したことです。

このことを伝えた「The Huffington Post」紙は、コストや安全性、放射性廃棄物、核兵器への転用への懸念などをあげて「原子力政策は失敗している」ことを強調し、核廃棄物に関する議論などを積極的に行うよう求めています。

1947年に創設された終末時計は東西冷戦による核戦争の危機を評価の基準として、当初は「残り7分」に設定されていましたが、ソ連も原爆実験に成功した1949年からは「残り3分」に、米ソで競うように水爆実権が繰り返されるようになる1953年1960年までは最悪の「残り2分」となりました(下の表を参照)。

その後、核戦争が勃発する寸前にまで至った「キューバ問題」を乗り越えたことから「終末時計」は「残り12分」に戻ったものの、アメリカ・スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故で状況が悪化した「終末時計」は、ようやくアメリカとソ連が戦略兵器削減条約に署名した1991年に「残り17分」にまで回復しました。

ソ連が崩壊したことで冷戦が解消されたことでしばらくはそこに留まったのですが、皮肉なことにソ連が崩壊してアメリカが唯一の超大国となったあとで時計の針が再び前に動き、「福島第一原発の事故後の2012年には終末まで5分に進められた」。そして、今回は悪化する地球環境問題などを踏まえて、1949年と同じ「残り3分」にまで悪化しているのです。

終末時計

 

*   *

『永遠の0(ゼロ)』で百田氏は「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川に、「だが誰も戦争をなくせない」と続けさせていました。

たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。しかし、「終末時計」の時刻が示している事態は、「武力」では何も根本的な解決ができないことを何よりも雄弁に物語っているだけでなく、「核兵器」が用いられるような戦争がおきれば、《生きものの記録》の主人公が恐れたように地球自体が燃え上がってしまうということです。

一方、アメリカ軍に「平和」の問題を預けていた日本政府は冷戦という状況もあり、これまでは「核兵器の廃絶」に積極的には動いてきませんでした。このことが世界における「放射能」の危険性の認識が深まらなかった一因だと思われます。

また、今日の「日本経済新聞」(デジタル版)は、「日本の火山、活動期入りか 震災後に各地で活発との見出しで、「国内の火山活動が活発さを増している」ことを報じています。

それゆえ私は、「自衛隊」が世界で尊敬される組織として存在するためには、「防衛力」は、自国を「自衛することができるだけの力」にとどめて、巨大な自然災害から「国民」を守るだけでなく、広島や長崎における「放射能」被害の大きさ学んでそれを世界に伝える「部隊」を設立して、世界各国の軍関係者への広報活動を行うべきだと考えています。

*   *

むろん、このようなことは沖縄の住民など「国民の声」を聞く耳を持たないばかりでなく、地球を創造し日本列島を地殻変動で形成するなど、人間の科学力では予知し得ないような巨大なエネルギーを有している「自然への畏怖の念」も感じられない安倍政権では一笑にふされるだけでしょう。

しかし、現在の地球が置かれている状況を直視するならば、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識して、核兵器の廃絶と脱原発への一歩を「国民」が勇気を持って踏み出す時期に来ていると思います。

 

「十字軍」の歴史とBBCの報道姿勢

 

30日の夜9時現在もまだ、人質になっている後藤健二さんとヨルダン人のモアズ・カサスベ中尉の解放は行われていません。なんとか、交渉が成立して無事に戻られる事を願っています。

このような中、25日のNHK・日曜討論での発言に続いて安倍首相は、「読売新聞」(デジタル版)によれば、29日の衆院予算委員会でも民主党議員の質問に対して「領域国の受け入れ同意があれば、自衛隊の持てる能力を生かし、救出に対して対応できるようにすることは国の責任だ」と答弁していました。

「人質の生命」が問題となっているこの時期に、「武力」があればこのような事態を解決できるとして自衛隊の積極的な海外での活用を促すことは、「人質」の救出に真剣に取り組んでいる交渉にも影響を与える危険な発言だと思えます。

*   *

このような発言は「十字軍」の歴史についてのきちんとした認識の欠如とも結びついていると思えます。かつてイギリスに研究で滞在していた際に「リチャード獅子心王はならず者だった」というBBCの放送を見て強い感銘を受けたことがありました。

イスラム教が支配地域の宗教については寛容であったことは知られていますが、一九九四年にイギリスで見たBBCの番組は、これまで十字軍の英雄とされてきた「リチャード獅子心王がならず者であった」ことを明らかにしていたのです。さらに、この番組は、「正義の戦争」とされてきた十字軍遠征が、実際には利権を確保するための嘘と略奪と欺瞞に満ちた戦争であり、それがジハードと呼ばれるイスラム教徒の抵抗を生み出したことをも具体的に説明していました。

かつて自国の軍隊が行った非道な行為を冷静に客観的に検証しようとするBBCのこの番組を見た際には、日本のNHKとの報道姿勢や「公共」意識の違いに驚かされました。

それゆえ、このことにふれた2004年の記事で私は、「十字軍遠征に加わらなかった日本は、イスラム教徒とキリスト教徒との仲介者たる地位を保持するためにも、キリスト教原理主義を基盤とするブッシュ政権によって要請された自衛隊の派遣を取りやめて、一刻も早くにイラクからの撤退を決断するべきであろう」と結んでいました。

*   *

しかし、安倍政権の下で政権の言うなりになっている籾井会長や「憎悪表現」を多用している作家の百田氏などが重用されることにより、現在の日本の「公共放送」NHKからは、世界的な視野を持つ「歴史認識」が急速に失われているように感じられます。

さらに問題は、兵器や原発の輸出にも舵を切った安倍政権がこのようなNHKを利用することで戦争への気概を国民に植え付けようとし、「自衛隊」の海外派遣にその頃よりもはるかに前のめりになっていることです。

「五族協和」や「王道楽土」などの「美しいスローガン」のもとに建国された「満州国」に渡った「開拓民」が敗戦時に被った被害についてはすでに触れましたが、大企業や目先の利益を重視したこのような政策では、海外に派兵される「自衛隊員」ばかりでなく、日本の国民も再び未曾有の悲劇に巻き込まれる危険性が高いと思われます。

それゆえ、「核の時代」における「新しい自衛隊」のあり方を考察することで、「『永遠の0(ゼロ)』を超えて」のシリーズを終えるようにしたいと思います。

人質殺害の報に接して

残念ながら、人質となっていた湯川さんが殺害されたことが明らかになりました。

むろんこのような残虐非道な行為は許されるべきではなく、その罪は厳しく問われねばならないでしょう。

ただ、問題だと思えるのは25日のNHK・日曜討論に出演した安倍首相が、このことを踏まえて「この(テロ殺害事件)ように海外で邦人が危害に遭ったとき、自衛隊が救出できるための法整備をしっかりする」との発言をしたことです(「日刊ゲンダイ」デジタル版)。

「武力」があればこのような事態は防げたとするこのような発言には、これまでの戦争の歴史のきちんとした認識の欠如から来る大きな落とし穴があると思われます。

それゆえ、前回アップした「戦争と文学――自己と他者の認識に向けて」の記事の前に、現在の状況と以前の戦争との関わりについての考察を追加した増補版を掲載します。

リンク→戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて

 

追記

記事をアップした後で「東京新聞」の今日の夕刊・第一面に下記の記事が載っていましたので、その一部を転載します。

宗教という単語から古いと感じる人も多いようですが、「核の時代」においては、「殺すなかれ」という思想はきわめて現代的な考えだと思われるからです。

ジャーナリストの後藤さんは戦場における子供の問題など広い視点から活動されており、「安倍政権」が人質の救出に動かない中、何とか救出を試みられていた方なので、解放されることを強く望みます。

*   *

「後藤さん救って、空爆もやめて 命と平和 宗教超え祈り」

イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」とみられるグループに拘束されたフリージャーナリスト後藤健二さん(47)の解放を求め、キリスト教や仏教などの信者が二十七日、内閣官房に要請書を提出し、首相官邸周辺で祈念集会を開いた。イスラム教徒らも賛同し後藤さんの無事を祈る中、参加者は「宗教は違っても、平和への思いと命が大事なことは同じ」と訴えた。

 

 

人質事件に思う

『永遠の0(ゼロ)』の考察はここ数日で書き終えたいと思っていたのですが、「テロリストの集団」によって日本人が人質となり身代金を要求されるという事態が発生しました。

拙著『「罪と罰」を読む』(1996)の「あとがき」に書きましたが、1993年の夏に学生を引率してモスクワを訪れた際、私自身が強盗にあって殺されかけるという経験をしました。その際にはピストルをこめかみに当てられながら、「富んだ外国人」を殺しても彼らは『罪と罰』の若い主人公・ラスコーリニコフのように後悔することはないだろうとも感じていました。

「集団的自衛権」の行使という形で日本が戦争に荷担するようになれば、日本人が人質となるような事態を招くのではないかと恐れていましたので、人質となった方々のことを考えると頭の中が白くなってしまうような日々を過ごしており、日本政府には彼らの生命を救うべく最大の努力を払ってもらいたいと願っています。

*   *

人質をとって脅すテロリストの非道は厳しく咎めねばなりませんが、「イスラム国」と名乗る集団が説得力を持った背景としては、「貧富の極端な格差」やテロリストへの攻撃として正当化されている爆撃による市民や子供たちの膨大な死傷者の数を挙げるべきでしょう。

たとえば、「東京新聞」は、【ロンドン共同】の報道として下記の記事を載せています。

「国際非政府組織(NGO)のオックスファムは19日、世界で貧富の差が拡大しており、この傾向が続けば、来年には最も裕福な上位1%の人々の資産合計が、その他99%の資産を上回ると予測する報告を発表した。

*  報告によると、上位1%の資産は2009年に世界全体の44%だったが、14年には48%に増え、1人当たりで270万ドル(約3億2千万円)に達した。一方、下位80%の庶民の平均資産は、その約700分の1に当たる3851ドルで、合計しても世界全体の5・5%にしかならないという。」

かつて、ロシアの「農奴制」の廃絶や言論の自由などを求めてシベリアに流刑になったドストエフスキーは、ロンドンを訪れた際にそこの労働者たちの生活の悲惨さに驚いたことを『夏に記す冬の手記』で詳しく記していました。

【ロンドン共同】の記事からは、21世紀の世界は果たして豊かになったのだろうかという深刻な思いに駆られます。

*   *

「戦争」という手段で「テロ」が撲滅できるかという問題については、9.11の同時多発テロの後で「戦争とテロ」について考察し、日本価値観変動研究センターの季刊誌「クォータリーリサーチレポート」に連載しました。それは「戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて」という題名で2005年に日本ペンクラブの「電子文藝館」に転載されています。

今後は今回の人質事件にも絡んで「集団的自衛権」の問題が白熱してくると思われますので、今回はその内から最初の〈「新しい戦争」と教育制度〉の一部と「戦争とテロ」に関する下記の4編の論考を「主な研究」の頁に再掲します。

少し古い出来事を扱っていますが、「問題の本質」は変わっていないと思われるからです。

3、「報復の連鎖」と「国際秩序」の崩壊

4、「非凡人の理論」とブッシュ・ドクトリン

5、「核兵器の先制使用」と「非核三原則の見直し」

6、「日英同盟」と「日米同盟」

 

リンク→戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて

「ワイマール憲法」から「日本の平和憲法」へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(2)

 

『永遠の0(ゼロ)』において次に注目したいのは、「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川が、「だが誰も戦争をなくせない」と続けていたことです。

この言葉からは絶望した者の苛立ちがことに強く感じられます。たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。

しかし、このような長谷川の認識には大きな落とし穴があります。それは広島・長崎に原爆が投下されたあとでは、世界の大国が一斉に核兵器の開発に乗り出していたことです。多くの科学者が「国益」の名のもとにその開発に従事するようになり、さらに強力な水爆や「原子力潜水艦」が製造され、1962年のキューバ危機では地球が破滅するような核戦争が勃発する危機の寸前にまでいたっていたのです。

つまり、「核兵器」を持つようになって以降においては、いかに「核兵器」の廃絶を行うかに地球の未来はかかっているのです。しかし問題はこのような深刻な事態にたいして、被爆国の政府である自民党政権が「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたことです。

さらに、1957年5月には満州の政策に深く関わり、開戦時には重要閣僚だったために、A級戦犯被疑者となっていたが復権した岸信介氏首相が「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁していたのです。

*   *

このような状況の下で、57年の9月には「日米が原爆図上演習」を行っていたことが判明したことを「東京新聞」は1月18日の朝刊でアメリカの「解禁公文章」から明らかにしています。

「七十年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は当時、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。五四年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。 文書は共同通信と黒崎輝(あきら)福島大准教授(国際政治学)の同調査で、ワシントン郊外の米国立公文書館で見つかった。 五八年二月十七日付の米統合参謀本部文書によると、五七年九月二十四~二十八日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習「フジ」を実施した。場所は記されていないが、防衛省防衛研究所の日本側資料によると、キャンプ・ドレイク(東京都と埼玉県にまたがる当時の米軍基地)内とみられる。」

「核兵器」や「放射能」の危険性をきちん認識し得なかったという点で、岸信介元首相は、世界各国が「自衛」のために核兵器を持ちたがるようになった冷戦後の国際平和の面でも大きな「道徳的責任」があると言えるでしょう。

*   *

「核兵器」を用いても勝利すればよいとするこのような戦争観とは正反対の見方を示したのが、作家の司馬遼太郎氏でした。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。

注目したのは、日本には原発が54基もあるという宮崎駿監督の指摘を受けて、作家の半藤一利氏が「そのうちのどこかに1発か2発攻撃されるだけで放射能でおしまいなんです、この国は。いまだって武力による国防なんてどだい無理なんです」と語っていることです。(『腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫)(68頁)。

*   *

この意味で注目したいのは、湾岸戦争後に「改憲」のムードが高まってくると、日本では敗戦後の「平和憲法」と第一次世界大戦の敗戦後のドイツの「ワイマール憲法」を比較して、揶揄することが流行ったことです。

リンク→麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

すでに引用したように、百田氏もツイッターで「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す」と記していました。互いに殺しあいを行う戦場では何を語っても無意味であり、声を上げる前に射殺されるだろうことは確実なので、「そこで戦争は終わる」ことはありえません。しかし、「もし、9条の威力が本物なら、…中略…世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」と書いていることの一端は真実を突いているでしょう。

イスラム教の国に十字軍を派遣したことがなく、アフガンや中東において医療チームなどが平和的な活動を続けてきた日本はそれなりに信頼される国になっており、交渉役としての重要な役を担えるようになっていたのです(安倍政権によって、これまでに積み上げられた信頼は一気にブルドーザーのような力で崩されていますが…)。

*   *

一方、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、ヒトラーについて次のように書いていました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか。…中略…政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

実際、「人種の価値に優劣の差異があることを認め(中略)、永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と主張して、「復讐」の戦争へと自国民を駆り立てた『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創った「ワイマール憲法」下の平和を軟弱なものとして否定しました。

さらにヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への新たな、しかし破滅への戦争へと突き進んだのです。

*   *

これまで見てきたことから明らかなように、第1次世界大戦後の「ワイマール憲法」と「核兵器」が使用された第2次世界大戦後に成立した日本の「平和憲法」では、根本的にその働きは異なっており、「核兵器」や「原発」の危険性をもきちんと視野に入れるとき「日本の平和憲法」が果たすべき役割は大きいと思われます。

私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきているのです。

フィクションから事実へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(1)

百田尚樹氏は『永遠の0(ゼロ)』の内容に関連して、「私は徹底して戦争を、特攻を否定している」と語っていました。この小説が読者の心に訴えかける力を持った一因は、「生命が大切」だと訴えた主人公・宮部久蔵の理念には、権力に幻惑されて「憎悪表現」を用いるようになる以前の百田氏の純真な思いが反映されていたからだと思われます。

それゆえ、今回は「生命が大切」というこの小説の主人公・宮部久蔵の理念を生かすためにはどうすべきなのかを、「臆病者」と題された第2章での長谷川の言葉を数回にわたって詳しく分析することで考えてみたいと思います。

*   *

戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だった長谷川は、開口一番に久蔵のことを「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」と決めつけ、さらに「奴はいつも逃げ回っていた。勝つことよりも己の命が助かることが奴の一番の望みだった」と語ります。

それに対して、「命が大切というのは、自然な感情だと思いますが?」と慶子が言うと長谷川は「それは女の感情だ」といい、「それはね、お嬢さん。平和な時代の考え方だよ」と続け、「みんながそういう考え方であれば、戦争なんか起きないと思います」という慶子の反論に対しては、小学生に諭すように次のように断言しているのです。

「人類の歴史は戦争の歴史だ。もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう…中略…だが誰も戦争をなくせない。今ここで戦争が必要悪であるかどうかをあんたと議論しても無意味だ。…中略…あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない。」

これに対して慶子は何も言えずに黙ってしまっていたのですが、祖父の「思い」を大切にするならば、「それは女の感情だ」と決めつけた長谷川に対してきちんした反論をすべきだったでしょう。以下に長谷川の特徴的な論理を3つほど抽出して問題点を明らかにすることにします。

*   *

「命が大切というのは、自然な感情」ではなく、「平和な時代の考え方だ」。

この論理の危険性については、『罪と罰』の読者には改めて繰り返す必要はないと思えますが「平和な時代」であれば、人を殺せば殺人罪に問われますが、戦時中では「敵を多く殺した者が英雄として讃えられ、勲章を与えられるのです。

それゆえ、古今のすぐれた政治家は、そのような「戦争の時代」にならないように叡智を働かせていたのです。

一方、〈武器輸出に支援金…安倍政権が「戦争できる日本」へ本格始動〉の見出しで「東京新聞は」、安倍政権が戦後の自民党政権でさえ制限していた「武器の輸出」に踏み切り、一気に軍事大国への道を進み始めていることを指摘しています。

「兵器を売ることで日本が世界に戦争の火だねをばらまいてしまうこと」になると指摘した埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏は、「日本は『死の商人』になってしまいます」との強い危惧を語っていたのです。

リンク→大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

*   *

前回は〈この小説のテーマは「約束」です。言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です〉との著者からのコメントに対して、読者からのコメントとして、次のような激しい言葉を記しました。

〈この小説のテーマは「詐欺」です。言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語です。〉

このとき私が想起していたのは小説『永遠の0(ゼロ)』の内容だけではなく、「大東亜共栄圏」の確立を目指して始めた「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」のことでした。

すでにこのブログでも何回か触れたように「満州国」などの実態は、それらの「美しいスローガン」とは正反対のものだったのです。

*   *

同じような響きは安倍政権が掲げる「積極的平和主義」からも聞き取れます。

語義からも感じられるように「積極的平和主義」という用語は、最初に唱えられた「平和学」の用法とは全く正反対の意味で用いられています。

すなわち、「ウィキペディア」によれば、【「積極的平和」は1942年、米国の法学者クインシー・ライトが消極的平和とセットで唱えたのが最初とされる。その後、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングは消極的平和を「戦争のない状態」、積極的平和を戦争がないだけではなく「貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」と定義した。この定義が「積極的平和(主義)」の世界での一般的な解釈となって】おり、「日本でも平和学では20世紀から同様に解釈されて」いるとのことなのです。

つまり、「積極的平和主義」という用語からは、「攻撃は最大の防御」という用語と同じような危険な響きが感じられのです。

このように見てくるとき、「命が大切というのは、自然な感情」ではなく、「平和な時代の考え方だ」と決めつけた長谷川の考えは、「積極的平和主義」を謳う安倍政権の方向性を擁護する考えだったのです。

リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

リンク→百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性

(2016年3月9日。改題し、リンク先を追加)

侮辱された主人公――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(12)

ネタバレあり

単行本には次のような著者からのコメントが付けられていたとのことです。

この小説のテーマは「約束」です。

言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です。

しかし、読者からのコメントも添えておきましょう。

この小説のテーマは「詐欺」です。

言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語です。

小説『永遠の0(ゼロ)』がなぜ400万部を超えるほどに売れたか不思議でしたが、その理由は未だに「オレオレ詐欺」に騙されてしまう日本人が多いことと深く関連していると思われます。

*   *

『永遠の0(ゼロ)』が読者に「感動」を与えた理由は、司法試験に4度も落ちて「自信もやる気も失せて」いた主人公の健太郎が、関係者への取材をとおして祖父の生き方を知って自信を取り戻すという構造を持っているからでしょう。

すなわち、フリーのライターをしている姉の慶子から「ニート」と呼ばれていた「ぼく」は、姉の慶子から「本当のおじいさんがどんな人だったのか、とても興味があるわ。だってこれは自分のルーツなのよ」と説得されてこの企画に参加することになります。

この小説は、最初の取材では「海軍一の臆病者」、「何よりも命を惜しむ男だった」と非難された主人公の祖父が、取材をとおして「家族への深い愛」と奇跡的な操縦術を持つ勇敢なパイロットであったことが次第に明らかになるという構造をしています。

注目したいのは、「真珠湾」と題された第3章で健太郎が、「ぼくにガッツがないのも、久蔵じいさんの血が入っているせいかもしれないね」とこぼすと祖母の再婚相手だった祖父の大石が、「馬鹿なことをっ!」と怒鳴りつけるように言い、さらに「清子は小さい頃から頑張り屋だった。どんな時にも弱音を吐いたことがない」と説明したと記されていることです。

この文章からは、大石が血はつながっていない孫を温かく励ます祖父のように読めます。

しかし、「父が亡くなったのは26歳の時よ。今の健太郎と同じなのよ」(63)と語って自分の父・久蔵と息子との比較を行った健太郎の母・清子は、「父がどんな青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と続けているのです。

*   *

映画《永遠の0(ゼロ)》の宣伝文では「60年間封印されていた、大いなる謎――時代を超えて解き明かされる、究極の愛の物語」と大きく謳われています。

実際、「流星」と題された第12章ではかつて大石が祖母の松乃に対して求婚した際には、「宮部さんは私にあなたと清子ちゃんのことを託したのです。それゆえ、わたしは生かされたのです。もし、それがかなわないなら、私の人生の意味はありません」とまで語っていたことが描かれています。

それほどまでに宮部のことを尊敬していたのならば、なぜ大石は「父がどんな青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と願っていた松乃の娘・清子に、「命の大切」さを訴えていた宮部の理念を伝えようとせず、60年間も「沈黙を守り続けていた」のでしょうか。

*   *

おそらく、その最も大きな理由の一つは、この小説に「自分のルーツ」探し的な構造を持たせるためだと思われます。

たとえば、第5章の「ガダルカナル」で、「なぜ、今日まで生きてきたのか、いまわかりました。この話をあなたたちに語るために生かされてきたのです」と語った井崎源次郎は、「いつの日か、私が宮部さんに代わって、あなたたちにその話をするためだったのです」と続けています。

第6章ではラバウルで機体の整備にあたっていた永井が、久蔵がプロにもなれるような囲碁の名手であったとの逸話を語ります。

第8章の「桜花」では、「祖父の話を聞くのは辛い」と語った姉に対して、先の井崎の言葉を受けるかのように「ぼく」は、「でもね、ぼくは今度のことは何かの引き合わせのように感じてるんだ。六十年もの間、誰にもしられることのなかった宮部久蔵という人間が、今こうしてぼくの前に姿を見せ始めているんだ」と語り、さらに「奇跡」と言う単語を用いながら、「これって、もしかしたら奇跡のようなことじゃないかと思っている」と続けているのです。

*   *

作家・司馬遼太郎氏の言葉を用いて官僚制度の問題点が鋭く指摘されていた第7章「狂気」では、姉弟の次のような会話が描かれていました。

「もしかしたら官僚的組織になっていたからだと思う」

「そうか――責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね」

(中略)

「でも、日本の軍隊の偉い人たちは、本当に兵士の命を道具みたいに思っていたのね」

「その最たるものが、特攻だよ」

ぼくは祖父の無念を思って目を閉じた。

*   *

「兵士の命を道具みたいに思っていた」、「その最たるものが、特攻だよ」と健太郎は結論していましたが、その問題を「特攻」だけに集約することはできないでしょう。

「命の大切」さを訴えていた祖父のことを詳しく大石から聞かされていれば、「白蟻」のような勇敢さで死ぬように教育されていた戦前の人々の苦しさや、「五族協和」が謳われた満州における「棄民政策」や原爆の問題点も、この姉弟はよく認識しえていたはずなのです。

進化した「オレオレ詐欺」では、様々な役を演じるグループの者が、重要な情報については「沈黙」しつつ、限られた情報を一方的に伝えることによって次第に被害者を信じ込ませていきます。

この小説でも宮部の内面が描かれることはなく「60年間封印されて」、第三者からの聞き取りを通して「生命を大切」にした「英雄・宮部」の「美しい死」が描かれているのです。

こうして、大石の沈黙こそが巧妙に構成された順番に従って登場する「特攻隊員」たちの語る言葉によって、「命の大切」さを訴えていた宮部の理念ではなく、一部上場企業の元社長・武田が賛美した徳富蘇峰と同じ思想を持つと思われる大石=百田氏の思想を植え付けることにつながっているのだと思われます。

妻や娘と再会するために「命を大切」にしていた宮部久蔵の最愛の松乃を自分のものとした善良なようにみえる大石賢一郎は、久蔵の大切な孫達の思想をも支配することになったのです。

大石の高笑いが聞こえるような終わり方ですが、その笑い声には「『平和ぼけ』して戦争の悲惨さを忘れてしまった日本人をだますことは簡単だ」とうそぶく作者の百田氏の声も重なって聞こえてくるようです。

「オレオレ詐欺」やこのような「美しい物語」を、簡単に信じ込んでしまうようになる遠因は、「テキスト」の内容に感情移入して「主観的に読む」ことが勧められるようになっている最近の「国語教育」にもあると思われます。文学作品の解釈においても「テキスト」の内容を前後関係や書かれた状況をも踏まえてきちんと分析し、読み解く能力が必要でしょう。

*   *

「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』」と題した今回のテーマは、思いがけず長いシリーズとなりました。

これまでは批判的な視点からこの作品を読み解いてきましたが、「生命を大切」さを訴えた主人公・宮部久蔵の理念には、権力に幻惑される前の百田氏の思いが核になっていたとも思われます。

次回はこのような宮部久蔵の理念を現代に生かすべき方法を考えることで、このシリーズを終えることにしたいと思います。

 

歪められた「司馬史観」――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(11)

前回の記事では、『永遠の0(ゼロ)』の第10章「阿修羅」と映画《紅の豚》で描かれた空中戦のシーンとを比較することにより、「豚のポルコ」と宮部との類似性を示すとともに、作品に描かれている女性たちと主人公との関係が正反対であることを指摘しました。

同じようなことが、いわゆる「司馬史観」との関係でも言えるようです。

*   *

宮崎駿監督が「書生」として司会を務めた鼎談集『時代の風音』(朝日文庫、1997)で司馬氏は、20世紀の大きな特徴の一つとして「大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核まで至るもの」を作っただけでなく、「兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証(あかし)」とされてきたことを厳しく批判していました(「二十世紀とは」)。

しかし、このような司馬氏の深い歴史観は、『永遠の0(ゼロ)』では矮小化された形で伝えられているのです。

*   *

第7章「狂気」では慶子が、「私、太平洋戦争のことで、いろいろ調べてみたの。それで、一つ気がついたことがあるの」と弟に語りかけ、「海軍の長官クラスの弱気なことよ」と告げる場面が描かれています。

さらに慶子は「これは私の個人的意見だけど」と断りながら、「もしかしたら、彼らの頭には常に出世という考えがあったような気がしてならないの」と語り、「出世だって――戦争しながら?」と問われると、「穿ちすぎかもしれないけど、そうとしか思えないフシがありすぎるのよ」と答えています。

その答えを聞くと「ぼくは心の中で唸った。姉の意外な知識の豊富さにも驚かされたが、それ以上に感心したのが、鋭い視点だった」と書かれています。

その言葉を裏付けるかのように、慶子はさらに「つまり試験の優等生がそのまま出世していくのよ。今の官僚と同じね」と語り、「ペーパーテストによる優等生」を厳しく批判しているのです。

*   *

慶子は「これは私の個人的意見だけど」と断っていましたが、いわゆる「司馬史観」をめぐって行われた論争に詳しい人ならば、これが司馬氏の官僚観を抜き出したものであることにすぐ気づくと思います。

すなわち、軍人や官吏が「ペーパーテストによって採用されていく」、「偏差値教育は日露戦争の後にもう始まって」いたとした司馬氏は、「全国の少年たちからピンセットで選ぶようにして秀才を選び、秀才教育」を施したが、それは日露戦争の勝利をもたらした「メッケルのやり方を丸暗記」してそれを繰り返したにすぎないとして、創造的な能力に欠ける昭和初期の将軍たちを生み出した画一的な教育制度や立身出世の問題点を厳しく批判していたのです(「秀才信仰と骨董兵器」『昭和という国家』)。

つまり、「ぼく」が「心の中で唸った」「鋭い視点」は、姉・慶子の視点ではなく、作家・司馬遼太郎氏の言葉から取られていたのです。

*   *

『永遠の0(ゼロ)』では姉・慶子の言葉を受けて、「ぼく」は次のような熱弁をふるいます。

「高級エリートの責任を追及しないのは陸軍も同じだよ。ガダルカナルで馬鹿げた作戦を繰り返した辻政信も何ら責任を問われていない。…中略…ちなみに辻はその昔ノモンハンでの稚拙な作戦で味方に大量の戦死者を出したにもかかわらず、これも責任は問われることなく、その後も出世しつづけた。代わって責任は現場の下級将校たちが取らされた。多くの連隊長クラスが自殺を強要されたらしい」(371頁)。

さらに、姉の「ひどい!」という言葉を受けて「ぼく」は、「ノモンハンの時、辻らの高級参謀がきちんと責任を取らされていたら、後のガダルカナルの悲劇はなかったかもしれない」と続けています。

*   *

実はこの記述こそは作家の司馬氏が血を吐くような思いで調べつつも、ついに小説化できなかった歴史的事実なのです。

「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と記した司馬氏は、連隊長として戦闘に参加した須見新一郎元大佐の証言をとおして、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と指摘し、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよと命じた」ことを作家・井上ひさし氏との対談で紹介していたのです(『国家・宗教・日本人』)。

司馬氏が心血を注いで構想を練っていたこの長編小説は、取材のために、商事会社の副社長となり政財界で大きな影響力を持つようになっていた元大本営参謀の瀬島龍三氏との対談を行ったことから挫折していました。

この対談記事を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」、「これまでの話した内容は使ってはならない」との激しい言葉を連ねた絶縁状を司馬氏に送りつけたのです(半藤一利「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

リンク→《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志(2013年10月6日 )

*   *

問題は、このような姉・慶子の変化や「ぼく」の参謀観が新聞記者の高山隆司と「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則との対決が描かれている第9章の前に描かれているために、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけた武田の次のような言葉を正当化してしまっていることです。すでにこのブログでも記しましたが、重要な箇所なのでもう一度、引用しておきます。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」

しかし、「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました(徳富蘇峰『蘇峰自伝』中央公論社、1935年)。

つまり、思想家・德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは彼が「反戦を主張した」からではなく、最初は戦争を煽りつつ、戦争の厳しい状況を知った後ではその状況を隠して「講和」を支持し、「内閣の政策の正しさを宣伝」したからであり、その「御用新聞」的な性格に対して民衆が怒りの矛先を向けたからだったのです。

*   *

司馬氏は日露戦争以降の日本で強まった「自殺戦術とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を長編小説『坂の上の雲』で厳しく批判していました。

そのような哲学を広めた代表的な思想家の一人が、『国民新聞』の社主でもあった徳富蘇峰でした。彼は第一次世界大戦中に書いた『大正の青年と帝国の前途』においては白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても、白蟻が「先頭から順次に其中に飛び込み」、その死骸でそれを埋め尽し、こうして「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」と記すようになります。

こうして蘇峰は、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを大正の青年が持つように教育すべきだと説いていたのですが、作家の司馬遼太郎氏が亡くなられた後で起きた1996年の「司馬史観」論争の後では『坂の上の雲』を「戦争の気概」を持った明治の人々を描いた歴史小説と矮小化する解釈が広まりました。

ことに、その翌年に安倍晋三氏を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられると、戦後の歴史教育を見直す動きが始まったのです。

安倍首相が母方の祖父にあたる元高級官僚の岸信介氏を深く尊敬し、そのような政治家を目指していることはよく知られていますが、厳しい目で見ればそれは戦前の日本を「美化」することで、祖父・岸信介氏やその「お友達」に責任が及ぶことを逃れようとしているようにも見えます。

安倍氏は百田氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)に収録されている対談で、『永遠の0(ゼロ)』にも「他者のために自分の人生を捧げる」というテーマがあると賞賛していました(58頁)。安倍首相と祖父・岸信介氏との関係に注目しながら百田氏の『永遠の0(ゼロ)』を読むと、「戦争体験者の証言を集めた本」を出すために、特攻隊員として死んだ実の祖父のことを知る「当時の戦友たち」をたずねて取材する姉・慶子の仕事を手伝うなかで変わっていく「ぼくの物語」は、安倍首相の思いと不思議にも重なっているようです。

百田氏は安倍首相との共著で、「安倍総理も先ほどおしゃっていたように、この本を読んだことによって、若い人が日本の歴史にもう一度興味を持って触れてくれることが一番嬉しいですね」と自著を誇っています(67頁)。

しかし、この『永遠の0(ゼロ)』で主張されているのは、巧妙に隠蔽されてはいますが、青年たちに白蟻のような勇敢さを持たすことを説いた徳富蘇峰の歴史観だと思われるのです。

*   *

「司馬史観」論争の際には『坂の上の雲』も激しい毀誉褒貶の波に襲われましたが、褒める場合も貶(けな)す場合も、多くの人が文明論的な構造を持つこの長編小説の深みを理解していなかったように思えます。

前著『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)では、司馬氏の徳冨蘆花観に注目しながら兄蘇峰との対立にも注意を払うことで『坂の上の雲』を読み解く試みをしました。

たいへん執筆が遅れていますが、近著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』(仮題、人文書館では、今回は「文明史家」とも呼べるような広い視野と深い洞察力を持った司馬遼太郎氏の視線をとおして、主要登場人物の一人であり、漱石の親友でもあった新聞記者・正岡子規が『坂の上の雲』において担っている働きを読み解きたいと考えています。

(1月18日、濃紺の部分を追加し改訂)

 

大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

アメリカの圧力によって「開国」を迫られた幕府に対して、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」というイデオロギーを叫んでいた幕末の人々を美しく描いた大河ドラマ《龍馬伝》(2010)が、選挙期間中に再放送されたことの問題については、2013年7月14日に記しました。

リンク→大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

坂本龍馬を主人公としつつもこの大河ドラマでは、岩崎弥太郎を「語り手」としたために、司馬遼太郎氏が『竜馬がゆく』で描いていた岩崎と土佐藩の上士で新政府の高官となった後藤象二郎との癒着などの問題は描かれていなかったのです。

さらに、政商・岩崎弥太郎は、明治7年の台湾出兵や明治10年の西南戦争などでは利益をあげ、巨万の財を築くことになるのです。

*   *

政府が事実上の禁輸政策だった「武器輸出三原則」の見直し策として、国際紛争で中立的な立場を取る国際機関への防衛装備品の輸出を検討しているとの報道がなされたのは、2014年2月11日のことでした。

それ以降、矢継ぎ早に「武器の輸出」に向けた整備が行われてきました。「東京新聞」の記事によって簡単に時系列に沿って整理しておきます。

4月1日の夕刊:政府が閣議で「武器や関連技術の海外提供を原則禁止してきた武器輸出三原則を四十七年ぶりに全面的に見直し、輸出容認に転じる新たな三原則を決定した」。

6月12日:「政府が防衛装備移転三原則で武器輸出を原則認めたことを受け」て、武器の国際展示会に13社が参加した。

12月17日:「防衛省が、武器を輸出する日本企業向けの資金援助制度の創設を検討」

「国の資金で設立した特殊法人などを通して、低利で融資できるようにする。また輸出した武器を相手国が使いこなせるよう訓練や修繕・管理を支援する制度なども整える。武器輸出を原則容認する防衛装備移転三原則の決定を受け、国としての輸出促進策を整備する」。

*   *

このような流れの危険性について翌日の記事は〈武器輸出に支援金…安倍政権が「戦争できる日本」へ本格始動 〉の見出しで、埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏の「日本は『死の商人』になってしまいます」との強い危惧を紹介していました。

「アベノミクスの成長戦略には兵器の輸出がしっかり組み込まれているのです。今後は途上国へのODAも自衛隊が使うことになるでしょう。国民の税金で殺人兵器の開発を活発化させても国民の生活にプラスにならない。それどころか財政をさらに逼迫させます。忘れてならないのは兵器を売ることで日本が世界に戦争の火だねをばらまいてしまうこと。ところが三菱重工などの労組は武器輸出に反対するどころか、会社に協力しているありさまです。このままでは安倍首相によって、日本は戦前のような、戦争ができる国に作り変えられてしまいます」。

*   *

年が明けて今年の1月14日には、「膨らむ防衛予算 中期防の『枠』突破ペース」との見出しで、防衛予算がいかに増大したかが詳しく示されていました。

「中谷元・防衛相は十三日、二〇一五年度予算編成で防衛費が前年度比2・0%増の四兆九千八百一億円と、過去最大になることを明らかにした。一四年度補正予算案の防衛費(二千百十億円)と合計すると五兆一千九百十一億円となり、一五年度予算の概算要求額(五兆五百四十五億円)を上回る計算。政府の中期防衛力整備計画(中期防)を超えるペースで、防衛費が歯止めなく膨張している実態が鮮明になった。政府は十四日、一五年度予算案を閣議決定する」。

さらに、「そもそもこの金額は、補正予算を含めていない。防衛省によると中期防の枠は当初予算を合計するだけで補正予算は原則として考慮しないという。中期防は米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設関連費用をはじめとした米軍再編関係の経費も除いており、実際の防衛費を反映していない」ことを指摘した記事は、法政大の小黒一正准教授(公共経済学)の次のような言葉で結んでいます。

「政府の財政事情が厳しい中で、防衛費を増額し続けることには限界がある。政府全体で予算の活用法を再検証しなければ、効果のはっきりしない防衛費の膨張が続くことになる」。

*   *

本日付の記事も「暮らし抑え 防衛重視 安倍政権 予算案決定」」との大見出しで、防衛費が増大する一方で政権の基地政策に反対する翁長(おなが)知事が当選した沖縄に対する振興予算は前年度から百六十二億円も減らされ、また消費税値上げの理由とされていた「社会保障」への予算配分も減らされていることを指摘しています。

*   *   *

このように見てくるとき、政商・岩崎弥太郎を語り手としたNHKの大河ドラマ《龍馬伝》が、どのような役割を担わされていたかは明白だと思われます。

今年のNHKの大河ドラマ《花燃ゆ》が始まりましたが、安倍首相の郷土の英雄・吉田松陰の末妹で、松陰の弟子・久坂玄瑞の妻となる杉文を主役としたこの大河ドラマでは何が描かれるのかも注視しなければならないでしょう。

モデルとしてのアニメ映画《紅の豚》――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(10)

昨年末の記事では、「侮辱された主人公・宮部久蔵」という題名の記事を最終回にしたいと書きましたが、その後、重要なこととをいくつか書き漏らしていましていたことに気づきました。その一つが宮崎駿監督のアニメ映画《紅の豚》と『永遠の0(ゼロ)』との関係です。

「アニメ映画《紅の豚》から映画《風立ちぬ》へ――アニメ映画《雪の女王》の手法」と題した2013年8月13日の記事では、第一次世界大戦後に起きた世界恐慌のために国民生活は破綻寸前となり、荒廃と混沌の時代となったイタリアを舞台とした映画《紅の豚》については次のように簡単に記していました。

〈1992年に公開された「中年男のためのマンガ映画」《紅の豚》では、生々しい戦闘場面も含んではいたが、主人公のパイロット・マルコが「空賊」との戦いでは人を殺さない人物と設定されているだけではなく、「飛べない豚は、ただの豚だ」とうそぶく「クールな豚」にデフォルメすることによって、現実の重苦しさからも飛翔することのできるアニメ映画となっていた。〉

*   *

『永遠の0(ゼロ)』の第10章「阿修羅」では剣豪・武蔵の生き方にあこがれて敵機との空中戦を好んだ海軍上等飛行兵曹の景浦介山への取材のことが描かれています。

ここで景浦は宮部久蔵に「模擬空戦」を挑んで断られると、敵機との戦いの後に機銃を発射して無理矢理に空中戦をしかけて敗れると後ろから機銃を掃射したが、宮部は撃たなかったというエピソードを語るのです。

このシーンを読んでいた私は強い既視感にとらわれました。すでに気づかれた読者も多いと思いますが、空中戦のシーンが描かれていない映画《風立ちぬ》とは異なり、宮崎映画《紅の豚》では「豚のポルコ」と若きアメリカの飛行艇乗りカーチスとの空中戦では、主人公が相手からは撃たれても、自分からは打ち返さなかったという名シ-ンが描かれていたのです。

映画《風立ちぬ》を最初に見た際には泣いたと語った百田氏が、映画《紅の豚》のこのシーンから強い印象を受けたことは想像に難くはありません。実際、『永遠の0(ゼロ)』でも無闇に撃墜数を誇る景浦にたいして諫めた宮部が背後から撃たれても撃墜せず、自爆しようとした景山を止めた人物と設定されていたのです。

このことを思い起こすならば、宮崎映画の多くのファンは「命の大切」さを訴えていた宮部に「豚のポルコ」を無意識のうちに重ねて見ていたと思えます。

*   *

ただ、映画《紅の豚》と『永遠の0(ゼロ)』を比較すると大きな違いも浮かびあがってきます。

ポルコに淡い恋心を抱く乙女フィオは、祖父の経営するピッコロ社の設計士を務めて、颯爽と働いている姿が描かれていますが、語り手の「ぼく」の姉・慶子はフリーライターであるにも関わらず泣いてばかりいるだけで、結局は仕事も弟にまかせることになります。

また、ポルコが愛するマダム・ジーナはホテル・アドリアーノの経営者で、いざとなるとたくましい行動力を示しますが、主人公宮部が愛した妻の松乃は、後に大石からも愛されることになりますが、ひたすら待つだけの女性として描かれているのです。そして、会計事務所の社長をしているという娘の清子の人間像もこの小説からはほとんど浮かんでこないのです。

*   *

最も異なる点は、映画《紅の豚》では、第一次世界大戦でイタリア空軍のパイロットとして、多くの敵のパイロットを殺し、仲間の死も目撃した主人公のポルコが飛行中に見た幻想的な「雲の平原」のシーンが描かれていました。

そこでは敵機との激しい空中戦で疲労して意識を失ったポルコが、遥か上空を不思議な雲がひとすじ流れているのを見るのですが、それは空に散った飛行機の列で、雲間からは同僚のベルコーニの機も現れて、その列に合流してしまうのです。

ここでは敵味方関係なく散った飛行機が描かれることで、戦争という「野蛮な手段」によって国家間の問題を解決しようとすることのむなしさが映像として描かれており、さらに生き残ったマルコが「豚のポルコ」に変身するという設定により、復讐心に駆られて次の戦争を起こす人間の愚かさも象徴的に描かれていました。

一方、『永遠の0(ゼロ)』では、主人公が愛する妻や娘を残して「格好よく玉砕」(?)し、敵船の艦長からも賞賛されるというシーンが描かれているのです。

それゆえ、映画《紅の豚》を見た後では清涼感が残るのにたいして、『永遠の0(ゼロ)』の結末からは裏切られたような後味の悪さが残り、そのことが百田氏の小説を批判的に論じたいと思ったきっかけにもなっていたのです。