リンク先→ 『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(事項索引)
昨日のブログでも記したように、日露の「文明開化」の類似性と問題点に迫る講義用の著作として作成した『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、2002年)には、付録として「人名索引」の他に「事項索引」も付けていました。
なぜならば、比較文明学の創始者といわれるトインビーは、世界戦争を引き起こすにいたった近代西欧の「自国」中心の歴史観を大著『歴史の研究』において「自己中心の迷妄」と厳しく批判していましたが、自国を「文明」としたイギリスの歴史家バックルも『イギリス文明史』で、歴史を「文明(中央)ー半開(周辺)ー野蛮(辺境)」と序列化していました。そしてそのような理解に沿って言語にも「文明語ー国語ー方言」という序列が生まれたのです。
しかし、「周辺」や「半開」などの用語だけでなく、拙著の題名とした「欧化」や「国粋」という用語もまだ広くは使われていないので、学生や読者の理解を助けるためにこの「事項索引」を編んでいました。
「事項索引」の項目のうち作品名は「人名索引」に移動しましたが、作者が明確でないものなどは残し、語順の一部を訂正して掲載しました。
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「事項索引」では「良心」という用語も取り上げましたが、残念ながら、日本のドストエフスキー研究では『罪と罰』においての中心的な位置を占めている「良心」の問題がいまだに軽視されています。
しかし、ドストエフスキーが「大地主義」を高らかに唱えていた時期に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』、『冬に記す夏の印象』、さらには『地下室の手記』など、クリミア戦争の敗戦後に書かれた作品でも「良心」の問題が重要な位置を占めていたことがわかるでしょう。
「権力」や「いじめ」などの用語や「制度」の問題にも注意しながら、これらの作品における「良心」の問題を注意深く読み解くことは、『罪と罰』の正確な理解にもつながると思えます。
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お詫びと訂正
2004年は日本がイギリスとの「軍事同盟」を結んで行った日露戦争が開始されてから100周年を迎え、またそれに関連して司馬遼太郎の『坂の上の雲』がテレビドラマ化されて、「軍備」の必要性が強調される可能性が生じていました。
「あとがき」では「核兵器」の危険性にも触れましたが、「被爆国」でもあるだけでなく「日露戦争」に際しては国内ではなく韓国や中国の領土で激しい戦闘を行っていた日本が「日露戦争」の勝利を強調して軍備の増強を進めると近隣諸国との軋轢が深まることが予想されました。
そのこともあり本書を急いで書き上げたのですが、いくつもの重大な誤記がありました。お詫びの上、訂正いたします。
69頁 9行目 誤「一八五四年から四年間」 →正「一八五四年から五年間」
74頁 2行目 誤「劇評家」 →正「詩人」
77頁 後ろから3行目 誤(45) →正(44)
102頁 後ろから3行目 誤「近づこう」 →正「近づこうと」
103頁 後ろから3行目 誤「四年間」→ 正「五年間」
146頁 3行目 誤「そこに見るのものは」 → 正「そこに見るものは」
152頁 後ろから8行目 誤「自分の足で立つ時がきている → 正「自分の足で立つ時がきている」
162頁 9行目 誤「歴史・文化類型」→ 正「文化・歴史類型」
174頁 後ろから5行目 誤『坊ちゃん』→ 正『坊っちゃん』
174頁 後ろから5行目 誤『坊ちゃん』→ 正『坊っちゃん』
188頁 8行目 誤「反乱のを」→ 正「反乱を」
191頁 7行目 誤「滅ぼすと滅ぼさるると云うて可なり」→ 正「滅ぼすと滅ぼさるるのみと云うて可なり」(下線部を追加)
193頁 2行目 誤「奴隷の如くに圧制」したいものだと →正「奴隷の如くに圧制」したいという
196頁 後ろから3行目 誤「広田の向かいに座った」 →正「三四郎の向かいに座った」
199頁 後ろから6行目 誤「平行現象」→ 正「並行現象」