高橋誠一郎 公式ホームページ

2014年

御嶽山の噴火と川内原発の再稼働――映画《夢》と「自然支配」の思想

 

御嶽山の噴火と川内原発の再稼働――映画《夢》と「自然支配」の思想

 

一、地震予知と火山噴火予知の難しさ

27日に長野、岐阜両県にまたがる御嶽山(3067メートル)が突然、噴火し、28日現在も山頂付近の登山道などで31人が心肺停止になっているのが発見されたとのニュースが流れています。この噴火からは火山の噴火や地震の予知などの難しさとともに、人間に恵みを与えてくれる大自然の力の脅威を改めて痛感させられました。

「東京新聞」の本日付けの社説は「地球上には約千五百の活火山がある。日本列島には、そのうち百十、約7%が集中している」が、「大学の研究者など火山専門家が常駐する観測施設があるのは桜島(鹿児島県)や有珠山(北海道)など五カ所だけ」であることを指摘し、「火山国に暮らすわれわれとしては」、「謙虚に火山を恐れ、よく備えなければならない」と記しています。

そして、原子力規制委員会が「今月、周辺に活火山群がある鹿児島県の九州電力川内原発について、新規制基準にかなうと判断した」ことに、「原発は、対応できるのか」との重大な疑問を呈しています。

二,原発の推進と19世紀の「自然支配の思想」

すでにこのHPでも引用していたように日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉は、西欧文明の優越性を主張したバックルの文明観に依拠しながら、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていました。

このような福沢の文明観について歴史学者の神山四郎は、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判しています(『比較文明と歴史哲学』)。

このような文明観が原発の推進を掲げる現政権や日本の経済界などでは受けつがれたことが、地殻変動により形成されていまもさかんな火山活動が続き地震も多発している日本列島に、原爆と同じ原理によって成り立っている原子力発電所を建設させ、福島第一原子力発電所の大事故を引き起こしたといえるでしょう。しかも、今回は運良く免れることができたものの、東京電力の不手際と優柔不断さにより関東一帯が放射能で汚染され、東京をも含む関東一帯の住民が避難しなければならない事態とも直面していたのです。

慧眼な思想家であった福沢諭吉ならば原発事故に遭遇したあとでは、その見解を変えて、「反核」「脱原発」運動の先頭に立っていたと思われます。しかし、19世紀の「自然支配」の思想を未だに信じている経済産業省や産業界は、大自然の力への敬虔な畏れの気持ちを持たないように見える首相をかつぐことで、大惨事の後も原発の再稼働や輸出の政策を強引に推し進めています。

このような経済産業省の姿勢からは、文明史家の司馬遼太郎氏が強く批判していた「参謀本部の思想」が連想させられます。「参謀本部」がミッドウェー海戦での大敗北についての情報を隠す一方で、「神州無敵」などのスローガンで「国民」を欺いたことが、沖縄での悲惨な戦闘や広島・長崎の被爆という悲劇を生み出していたのです。

三、映画《夢》における「知識人」の批判と民衆の叡智

1986年のチェルノブィリ原発事故の後で詳しくこの事故について調べた黒澤明監督は、作家のガルシア゠マルケスが対談で「核の力そのものがいけないのではなくて、(中略)核の使い方を誤った人がいけないんじゃないでしょうか」と、「核の平和利用」もありうると主張したことに対して、次のように批判していました。

「核っていうのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体がね、人間が思い上がっていると思うの、ぼくは」と語り、「人間はすべてのものをコントロールできると考えているのがいけない。傲慢だ」。

この言葉にはドストエフスキーの『罪と罰』などをとおして、「知識人」の「良心」の問題を深く考察した黒澤監督の「原発」観だけでなく、自然観が明確に語られていると思います。実際、放射性廃棄物の中にはプルトニウムのように半減期が長く、安全なレベルまで放射能が減少するまでには10万年近くかかるものもあることが以前から指摘されており、目先の利益だけでなく、後の世代のことや日本の自然環境を考えるならば、そのような廃棄物を産み出す「原発」の推進は「傲慢」だといえるでしょう。

しかも、黒澤監督の発言は日本の「自然地理的な状況」を踏まえてのものでもあるとも感じます。なぜならば、黒澤監督のもとでチーフ助監督を務めた経験もある森谷司郎監督は、海底に異変が起きていることを発見し、続いて東京大地震、富士山噴火、そして列島全体が沈没するという壮大なテーマの長編小説『日本沈没』を橋本忍の脚本で1973年に映画化していたのです。

古代では「天変地異」を天が人間に伝える警告と捉えていましたが、それは民衆の「迷信」と見なすべきではなく、むしろ日頃から大地や自然と接して暮らすことから得た民衆の「叡智」と考えるべきでしょう。

原発事故が描かれている映画《夢》の第六話「赤富士」で、幼い子供たちを連れた母親に「原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない、とぬかした奴等は、ゆるせない!」と厳しく批判させていた黒澤監督は、第八話の「水車のある村」では古代の「モーゼのような髭を生やした」水車小屋の老人にこう語らせていたのです。

多くの「知識人」は、「人間を不幸せにする様なものを一生懸命発明して得意になっている。また、困った事に、大多数の人間達は、その馬鹿な発明を奇跡の様に思って有難がり、その前にぬかずく。/そしてそのために、自然が失われ、自分達も亡んで行くことに気がつかない」。

御嶽山の噴火と映画《夢》」より改題

『文明の未来 いま、あらためて比較文明学の視点から』が東海大学出版部より発行

お知らせが遅くなりましたが、東海大学出版部から今年の5月に『文明の未来 いま、あらためて比較文明学の視点から』が下記のような内容で出版されました。

『文明の未来』honto(書影は「honto」より)

「比較文明学会創立三〇周年を記念して刊行された論文集。自然と文明の関係性の再確立、西欧近代の知の超克、グローバリズムの問い直しなど、現代の比較文明学共通の課題と関心に収斂した問題が記述されている。」

編集:比較文明学会30周年記念出版編集委員会
出版社: 東海大学出版部
発売日: 2014/5/15
単行本: 318ページ
価格: 3000円+税
ISBN-10: 4486019830
ISBN-13: 978-4486019831

私も標記の題名で論文を寄稿しましたので、そのレジュメを「主な研究」に掲載しました。

リンク→司馬遼太郎の文明観―-古代から未来への視野(レジュメ)

(11月8日、改題)

 

ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を転載、「主な研究」に「傍聴記」を掲載

リンク「広場」23号合評会・「傍聴記」

 

ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.124)より転載します。

*   *   *

第223回例会のご案内 

       下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2014927日(土)午後2時~5

場 所:千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

℡:03-3402-7854

報告者:北岡淳也 氏

題 目: 晩年のドストエフスキーと「人民の意志」連続テロ事件

                      

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:北岡淳也(きたおか じゅんや)

1945年生まれ、早大文学部卒。

著書に「ドストエフスキー・クライシス ─   ユートピアと千年王国」。

 *   *   *

1878年1月、ザスーリッチによるトレーポフ特別市長官暗殺未遂事件に始まる連続テロは8月、クラフチンスキーによる憲兵司令長官、メゼンツェフ暗殺、翌、79年には3月、ミルスキーによるドレンチェリン長官襲撃事件、4月、ソロヴィヨフによるアレクサンドルⅡ世暗殺未遂事件、11月、列車爆破事件、80年にはハルトゥーリンによる冬宮爆破事件とつづいて、81年3月1日に、アレクサンドルⅡ世がエカテリーナ運河ぞいでグリュネヴィツキーの自爆テロによって横死した。急進派ナロードニキによる花々しいテロの時代に、「悪霊」の作者、ドストエフスキーは81年1月28日にひっそりと自宅で死亡した。

ドストエフスキーの友人で宗務院長官のポベドノスツェフは彼の作品について検閲官の役割をはたしている。政治的には保守陣営の大立者で、黒百人組にも深く関係している。

ところで、ミルスキーによるドレンチェリン第三課長官暗殺未遂事件に加担したピョートル・ラチコフスキーという人物、─ 彼は20世紀初頭、第三課長官になり、操り師、ラチコフスキーの偉名をとる ─ ペテルブルグ市の一般事務職員がテロの時代のさなか、79年4月に第三課職員として地下工作活動の世界に入っていく。

彼はドストエフスキーの作品を愛読していた。その時代、ドストエフスキーは「カラマゾフの兄弟」を雑誌に連載していた。作家は市民ホールなどでも章ごとに朗読している。ラチコフスキーも朗読会に聴衆のひとりとして聴きにいった。作家本人が読むと、俳優の朗読とは違った味わいがある。

現代イギリスの政治学者、テイラーによると、アレクサンドルⅡ世暗殺事件は近代政治テロの原点であるという。

この事件の真相にフィクションを用いて迫れないだろうか、それは30年近く前に、ドストエフスキーの死に疑問をもったこと、調べているうちにその当時、宮廷女官が言ったという「ロシアはこの2、3カ月のうちに大きく変る」という言葉が噂となって流布していたという。

アレクサンドルⅡ世とドストエフスキーの死で、ロシア・ルネッサンスといわれる時代は幕をおろした。では誰が幕引きを仕組んだのか。

Ⅱ世が死亡した瞬間、皇太子がアレクサンドルⅢ世に即位した。政治権力にキレ目があってはならない。皇太子の教育者、ポベドノスツェフはⅡ世の死以後、毎日、教会で鎮魂の儀式を欠かさなかったと伝えられる。彼の勧めもあって、ドストエフスキーはⅢ世に80年末、「カラマゾフの兄弟」を献本している。場所はアニチコフ宮殿である。

冬宮は改革派のアレクサンドルⅡ世、大理石宮は急進派のコンスタンチン大公、アニチコフ宮殿はポベドノスツェフ、皇太子らの保守派、上層部の分裂は深まり、社会の矛盾は深刻さをます。急進派のテロは相次ぎ、露土戦争で経済は悪化する時代、ドストエフスキーは「カラマゾフの兄弟」を書きあげた。

 *   *   *

 会の活動についてはドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

  

『欧化と国粋』の「事項索引」を「著書・共著」に掲載

 

リンク先→ 『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(事項索引)

 

昨日のブログでも記したように、日露の「文明開化」の類似性と問題点に迫る講義用の著作として作成した『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、2002年)には、付録として「人名索引」の他に「事項索引」も付けていました。

なぜならば、比較文明学の創始者といわれるトインビーは、世界戦争を引き起こすにいたった近代西欧の「自国」中心の歴史観を大著『歴史の研究』において「自己中心の迷妄」と厳しく批判していましたが、自国を「文明」としたイギリスの歴史家バックルも『イギリス文明史』で、歴史を「文明(中央)ー半開(周辺)ー野蛮(辺境)」と序列化していました。そしてそのような理解に沿って言語にも「文明語ー国語ー方言」という序列が生まれたのです。

しかし、「周辺」や「半開」などの用語だけでなく、拙著の題名とした「欧化」や「国粋」という用語もまだ広くは使われていないので、学生や読者の理解を助けるためにこの「事項索引」を編んでいました。

「事項索引」の項目のうち作品名は「人名索引」に移動しましたが、作者が明確でないものなどは残し、語順の一部を訂正して掲載しました。

*     *   *

「事項索引」では「良心」という用語も取り上げましたが、残念ながら、日本のドストエフスキー研究では『罪と罰』においての中心的な位置を占めている「良心」の問題がいまだに軽視されています。

しかし、ドストエフスキーが「大地主義」を高らかに唱えていた時期に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』、『冬に記す夏の印象』、さらには『地下室の手記』など、クリミア戦争の敗戦後に書かれた作品でも「良心」の問題が重要な位置を占めていたことがわかるでしょう。

「権力」や「いじめ」などの用語や「制度」の問題にも注意しながら、これらの作品における「良心」の問題を注意深く読み解くことは、『罪と罰』の正確な理解にもつながると思えます。

*     *   *

 

お詫びと訂正

2004年は日本がイギリスとの「軍事同盟」を結んで行った日露戦争が開始されてから100周年を迎え、またそれに関連して司馬遼太郎の『坂の上の雲』がテレビドラマ化されて、「軍備」の必要性が強調される可能性が生じていました。

「あとがき」では「核兵器」の危険性にも触れましたが、「被爆国」でもあるだけでなく「日露戦争」に際しては国内ではなく韓国や中国の領土で激しい戦闘を行っていた日本が「日露戦争」の勝利を強調して軍備の増強を進めると近隣諸国との軋轢が深まることが予想されました

そのこともあり本書を急いで書き上げたのですが、いくつもの重大な誤記がありました。お詫びの上、訂正いたします。

 

69頁 9行目 誤「一八五四年から年間」 →正「一八五四年から五年間」

74頁 2行目 誤「劇評家」 →正「詩人」

77頁 後ろから3行目 誤(45) →正(44)

102頁 後ろから3行目 誤「近づこう」 →正「近づこうと」

103頁 後ろから3行目  誤「四年間」→ 正「五年間」

146頁 3行目 誤「そこに見るのものは」 → 正「そこに見るものは」

152頁 後ろから8行目 誤「自分の足で立つ時がきている → 正「自分の足で立つ時がきている」

162頁 9行目 誤「歴史・文化類型」→ 正「文化・歴史類型」

174頁 後ろから5行目 誤『坊ちゃん』→ 正『坊っちゃん』

174頁 後ろから5行目 誤『坊ちゃん』→ 正『坊っちゃん』

188頁 8行目 誤「反乱のを」→ 正「反乱を」

191頁 7行目 誤「滅ぼすと滅ぼさるると云うて可なり」→ 正「滅ぼすと滅ぼさるるのみと云うて可なり」(下線部を追加)

193頁 2行目 誤「奴隷の如くに圧制」したいものだと →正「奴隷の如くに圧制」したいという

196頁 後ろから3行目 誤「広田の向かいに座った」 →正「三四郎の向かいに座った」

199頁 後ろから6行目 誤「平行現象」→ 正「並行現象」

『欧化と国粋』(刀水書房)の「人名・作品名索引」を「著書・共著」に掲載

リンク先→ 『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(人名・作品名索引)

『虐げられた人々』や『死の家の記録』、さらには『冬に記す夏の印象』などのクリミア戦争の敗戦後に書かれた作品を中心に考察することで、日露の「文明開化」の類似性と問題点に迫ろうとした『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、2002年)には、付録として「人名索引」と「事項索引」を付けていました。

ただ、著者名と作品名が分かれていると探しにくいので、HP上では「事項索引」の項目のうち作品名は「人名索引」に移動して作者名の後に掲載しました。

また、本の「索引」では注の頁数も表示していましたが、ここではそれを省く代わりに一回しか出てこない人名や作品名でも重要と思われる場合には記載することにしました。

なお、『欧化と国粋』以降の著作ではロシア語の読みに近い形で人名などを表記していたものを一般的な表記に改めましたが、「索引」での表記は元のままにしてあります。

〈「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立〉を「主な研究」に掲載

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房)の序章の一部を、「著書・共著」のページで紹介していましたが、そのページ内ではかえって見つけにくいので、「主な研究」のページに移動するとともに改題しました。

日本がアメリカなど欧米の強い圧力で「開国」や「文明開化」を迫られていた時期に起きていた露土戦争は、イギリスやフランスなどがトルコ側に参戦したためにクリミアで激しい戦争が行われました。

クリミア戦争やその敗北後の「大改革」の時代をドストエフスキーの作品をとおして考察することは、「集団的自衛権」という名前で「軍事同盟」の必要性が再び唱えられるようになった日本の未来を考える上でも重要だと思われます(8月29日改訂)。

リンク先→「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅵを掲載し、「映画・演劇評」のタイトル一覧Ⅱを更新

 

  昨日、「ブログ記事」タイトル一覧Ⅵを、「ブログ記事タイトル一覧」のページに掲載しました。

  リンク先→「ブログ記事」タイトル一覧Ⅵ

これに伴い、「映画・演劇評」のタイトル一覧Ⅱも更新しました。

  リンク先→「映画・演劇評」タイトル一覧Ⅱ 

「長崎原爆の日」と映画《この子を残して》

 「長崎原爆の日」にちなんだ前回のブログでは、広島と長崎に2発も大量虐殺兵器を落としたアメリカ軍の「人道的な罪」を不問にした当時の日本の政治家の「道徳」観についても言及しました。                          

そのこともきちんと触れなければならないと考えるようになったきっかけは、木下恵介監督の映画《この子を残して》を拙著で考察したことにありました。

 今回はその一部をHP用に書き直すことにより、広島と長崎に落とされた「原爆」と「原発事故」の問題をとおして、「兵器」や「科学技術」と「倫理(道徳)」の問題を考えたいと思います。

リンク先→映画《この子を残して》と映画《夢》

「長崎原爆の日」と「集団的自衛権」

 

今年も広島に続いて長崎でも69回目の「原爆の日」が訪れました。この時期に痛感するのは、これほどの残虐な兵器を二度にわたって立て続けに落としたアメリカ軍の「人道的な罪」と、そのことを「道徳」の視点からきちんと問題にしてこなかった歴代の日本政府の無責任さです。                               

昨年の「広島原爆の日」には広島市の松井市長が平和宣言で、核兵器を「絶対悪」と規定するとともに被爆国である日本政府が核不拡散条約(NPT)に賛同しなかったことや、安倍政権が進めているインドとの原子力協定交渉が「核兵器を廃絶する上では障害となりかねません」と指摘しました。

その後、日本政府は核兵器の非人道性を訴える80カ国の共同声明に賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」とする強い糾弾に応えるような形で、昨年の10月に核兵器不使用を宣言する共同声明に署名しました。

*  *  *

                                                                    残念ながら、核不拡散条約(NPT)への署名は見せかけだけだったようで、安倍政権は一転して、閣議の決定だけで原発の輸出だけでなく、武器の輸出も始めました。さらに「防衛白書」ではそれまでの政府見解を否定して核兵器の使用も視野に入れて核兵器の保持と改良を続けるアメリカとの軍事同盟を強く意識した「集団的自衛権」の正当性を強く主張したのです。

広島の平和式典でも安倍首相は「世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いする」と語りましたが、実質的には「国民の生命や権利」を危うくすると思われる首相の姿勢に対してその後の会合で被爆者団体代表からの「閣議決定の撤回を求める」との切実な要望に対しては沈黙を守ったのです。                   

 9日に長崎市松山町の平和公園で行われた市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での平和宣言で、田上市長は「集団的自衛権の議論を機に、安全保障のあり方が議論されている。『戦争をしない』という平和の原点が揺らいでいるのではないかとの不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている」と述べ、政府にこうした声に真摯に向き合い、耳を傾けるよう求めました。 被爆者代表も「平和の誓い」の中で安倍政権のやり方を「憲法を踏みにじる暴挙」と批判し、次のように述べました。                                        

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                                                               「原爆が もたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。(以下、略)」(「東京新聞」の記事より引用)。

 *   *   *

                                                                 昨年の記事で言及したようにオリバー・ストーン監督は、アメリカによる原爆の投下の正当化を「それは神話、うそだと分かった」と語るとともに、米軍が各国に軍事基地を展開していることも「非常に危ない」と批判していました(『東京新聞』朝刊、2013年8月6日付け)。実際、そのことはブッシュ大統領が行ったアフガンやイラクへの攻撃には全く「大義」や「正義」がなく、そのことが現在の中東情勢やアフガンやイラクの混迷を招いていることからも明らかでしょう。

私自身は中東やイスラムの専門家ではないので、アメリカとの「集団的自衛権」の危険性についてはここでは触れません。 その代わりに「映画・演劇評」で8月6日に放映された映画《ゴジラvsスペースゴジラ》を分析することで、「原爆」や「原発」の危険性が軽視され、「積極的平和」の名の下に堂々と原発や武器を売ることが正当化され、「集団的自衛権」が唱えられるようになった日本の問題の一端に迫りたいと思います。

  リンク先映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

「広島原爆の日」と映画《モスラ》の「反核」の理念

69回目の「広島原爆の日」の今日、広島市中区の平和記念公園では平和記念式典が営まれました。

以下に「東京新聞」によって、その式典の式辞の内容を振り返っておきます。

*   *   *

「松井市長は原爆を「子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪った『絶対悪』」と強調。武力ではなく、未来志向の対話が重要だとし「被爆者の人生を自身のこととして考え、行動を」と呼び掛け、政府に対しても「名実ともに平和国家の道」を歩み続けるように求め、被爆地として核兵器廃絶への積極的な取り組みをあらためて世界に訴えた」。

 その一方で、「大きな議論を巻き起こした集団的自衛権行使容認には直接言及せず」、「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が発生した二〇一一年から、毎年述べてきた被災地への思いや原発、エネルギー政策にも触れなかった」。

*   *   *

それは「広島原爆の日」の前日にあたる昨日、これまでは「集団的自衛権行使について『憲法九条で許容される範囲を超えるものであり、許されない』と明記」されてきた「項目を削除」し、「集団的自衛権」を高らかに主張した安倍内閣の「防衛白書」に配慮したためだと思える。

すなわち、「小野寺五典防衛相は五日の閣議で、二〇一四年版防衛白書を報告した」が、そこでは「集団的自衛権行使を容認した七月一日の閣議決定について『わが国の平和と安全を一層確かなものにしていくうえで、歴史的な重要性を持つ』と強調され」、さらに、「日本と密接な関係にある他国へ武力攻撃が発生し、国民の生命、権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、必要最小限度の武力行使が許されるとした新たな三要件」が明記されていた。

 「さらに、半世紀近く武器や関連技術の海外提供を原則禁止してきた武器輸出三原則を廃止し、輸出を解禁した防衛装備移転三原則も紹介。国内の軍需産業の振興に向けて、米国などとの武器の共同開発を積極的に進め、軍事的な連携を強化する方針も盛り込んだ」この白書は、「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していると説明」し、具体的に中国などを名指しして批判していた(「東京新聞」8月5日夕刊)。

このような「軍事同盟」や「憲法」軽視の危険性については、日露戦争を詳しく分析した司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』を読み解くことで明らかにしたいと考えています(近刊『司馬遼太郎の視線(まなざし)――「坂の上の雲」と子規と』仮題、人文書館)。

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映画《ゴジラ》をめぐる対話で「核戦争の危機」について触れつつ、本多監督は「これを何とか話し合いができるようなところへね、ゴジラが出てこなきゃいけない。僕はそういうものがね、作品として描けるようになるならね、思いきって作りたいですけれども(後略)」と語っていました。

そのような思いで製作された映画《モスラ》(1961年)の理念を受け継いでいると思える《ゴジラ vs モスラ》が、昨日、テレビ東京で放映されました。その感想などを、映画《ゴジラ》考――「ゴジラ」の怒りと「核戦争」の恐怖 の第三回目として、近いうちにアップしたいと思います。

 リンク先→映画《モスラ》と「反核」の理念

    (8月8日、リンク先を追加)