高橋誠一郎 公式ホームページ

2014年

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

経済学の専門家でない私が消費税の問題を論じても説得力は少ないだろうとの思いは強いのですが、この問題は「国民」の生活や生命にも重大な影響を及ぼすと思えますので、ここでは司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』にも言及しながら今回は武器の輸出入の問題を扱うことで、今は一時的にはうまくいっているように見えるアベノミクスが孕んでいる危険性を考察してみたいと思います。(HPの構成上、記事はトップに表示されますが、前回の記事「アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金」の続きです)。

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原発や武器の輸出と兵器購入の問題

アベノミクスにからむもう一つの大きな問題は、「原発問題」を隠すことで前回の選挙に勝った安倍政権が、原発の再稼働に積極的に行動しただけでなく、海外へも安倍首相自らがトップセールスを行っています。しかし、一時的には国内の企業に利益をもたらすかもしれませんが、輸出された国で事故が起きれば、企業や官僚、政治家に有利な今の法律ではその負担を日本国民がひき受けねばならなくなる可能性が強いことです。

リンク→原爆の危険性と原発の輸出

さらに武器の輸出を禁じていたにこれまでの自民党政権とは異なり、安倍政権は「経済活性化」のためという理由を掲げて、軍需が大きな比重を占めていた戦前のような経済体制への復帰を進めています。

素人の私にとってこの問題の象徴的な事柄と思えるのは、米軍基地を抱える沖縄などが「MV22オスプレイ」を持ち込ませないように強く求めていたにもかかわらず、防衛省が「来年度の概算要求に計上していた垂直離着陸機の機種選定」で正式決定し、「予算が認められれば2018年度に納入の予定」とのことが伝えられたことです。

しかし、今度の総選挙の費用が「過去の衆院選と同じ七百億円前後の経費が必要になる見通し」であることを伝えた「東京新聞」の11月22日の朝刊は、「国政選挙は一二年の衆院選、昨年の参院選と合わせて三年連続。この三年間で千九百億円程度の税金が選挙事務に費やされることになる」ことを明らかにしています。

政府は「中期防衛力整備計画」で、1機100億円以上とみられるオスプレイを18年度までに17機導入する方針を明記しているようですが、大幅な財政赤字が続いているだけでなく、「政府債務残高のGDP(国内総生産)比は財政破たんに追い込まれたギリシャをも上回る水準にあるとされる」にもかかわらず、消費税の増税分は「年金・医療・介護・少子化対策などの社会福祉」にあてるとの公約に反した大金の使い方がされているように感じます。

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オスプレイの購入と「日英同盟」

ブログ「ミリプロNews」は、オスプレイ6 機を購入することで合意していたイスラエルがオスプレイの購入をキャンセルするようだと報じたIsrael Hayom 紙の記事を伝えた後で、「イスラエルがキャンセルした場合、日本が最初の米国以外でオスプレイを導入する国になる可能性もある」と記しています。

これらの記事を読んで最初に思い出したのは、作家の司馬遼太郎氏が『坂の上の雲』で、日英同盟を結ぶことになる日本がイギリスから多くの最新の軍艦を購入していたことを詳しく描いていたことです。

公共放送であり国民からの「受信料」で運営されているNHKが3年間という長い期間にわたって放映したスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の影響で、多くの方が「日露戦争」を肯定的に考えるようになったと思われます。

しかし、太平洋戦争当時の指導者が「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと指導者たちの「自国中心主義」をエッセー「石鳥居の垢」で厳しく批判していた司馬氏は、『昭和という国家』(NHK出版)でも、「日露戦争の終わりごろからすでに現れ出てきた官僚、軍人」などの「いわゆる偉い人」には、「地球や人類、他民族や自分の国の民族を考える、その要素を持っていなかった」と記しています。

このことを考慮するならば、司馬氏は政治家と高級官僚だけでなく軍需産業にも富をもたらした日露戦争が、一般の庶民からは富を奪うことになったと考えていたのではないでしょうか。

リンク→ 改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

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製艦費と「月給の一割」の天引き

司馬氏はシリーズ『街道をゆく』の『本郷界隈』の巻で、夏目漱石が日露戦争後に書いた長編小説『三四郎』で、三四郎の向かいに坐った老人が「一体戦争は何のためにするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない」と嘆いたと描いていることに注意を促していたのです。

しかも司馬氏は、当時は「製艦費ということで、官吏は月給の一割を天引きされて」いたことに注意を向けて、「爺さんの議論は、漱石その人の感想でもあったのだろう」と続けていました(司馬遼太郎朝日文芸文庫、一九九六年、一九六頁、二七八~九頁)。

これらの文章に注目するならば、司馬氏は「憲法」を持たない「ロシア帝国」との国運を賭けた日露戦争にはかろうじて勝利したものの、この勝利がもたらした「道徳心の低下」だけでなく経済的な損失の面も、「勝利の悲哀」という題で講演した徳冨蘆花と同じようにきちんと認識していたと言えるでしょう。

このことについては急な総選挙のために執筆が遅れている拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』仮題)で明らかにしたいと考えています。

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』(1)

11月30日に書いたブログ記事〈『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」〉の冒頭では、宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論を書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められたことを記しました。

そこでは触れませんでしたが、映画《永遠の0(ゼロ)》を見る気にはなれなかった私が、この一連の記事を書くきっかけになったのは、宮崎監督がロングインタビューで百田尚樹氏の原作による映画を「神話の捏造」と酷評し、それに対して百田氏が激しい反応を示していたことでした。

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宮崎監督は《風立ちぬ》と同じ年の12月に公開予定の映画《永遠の0(ゼロ)》を雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)の誌上で次のように厳しく批判していました。

「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」(太字、引用者)。

一方、『ビジネスジャーナル』のエンジョウトオル氏の記述によれば、百田氏は映画《風立ちぬ》について、「僕は宮崎駿監督の『風立ちぬ』は面白かった。静かな名作だと思う。週刊文春にも、そう書いた」とし、「ラストで零戦が現れたとき、思わず声が出てしまった。そのあとの主人公のセリフに涙が出た。素晴らしいアニメだった」と同作を大絶賛していたとのことです。

宮崎監督のインタビュー記事を読んだあとではそのような評価が一変し、15日放送の『たかじんNOマネー BLACK』(テレビ大阪)で百田氏は「宮崎さんは私の原作も読んでませんし、映画も見てませんからね」とまくしたて、「あの人」と言いながら頭を右手で指して、「○○大丈夫かなぁ、と思いまして」と監督を小バカにし(「○○」の部分は、オンエア上はピー音が入っていた)」、映画『風立ちぬ』についても「あれウソばっかりなんですね」と激しく批判したのです(『ビジネスジャーナル』)。

民主主義的な発言を行う者は「犯罪者」か「狂人」と見なされた帝政ロシアの「暗黒の30年」と呼ばれる時代に青春を過ごしていたドストエフスキーの研究者の視点から注意を促しておきたいのは、このような発言が一般のお笑いタレントではなく、安倍首相との共著もあるNHK経営委員の百田氏からなされたことです。

「安政の大獄」で大老・井伊直弼が絶対的な権力をふるった幕末だけでなく、「新聞紙条例」や「讒謗律」が発布された明治初期の日本や、司馬遼太郎氏が「別国」と見なした「昭和初期」でも、権力の腐敗や横暴を批判する者が「犯罪者」や「狂人」のようにみなされることが起きていました。

報道への「圧力」が強められている安倍政権の状況を見ると、「あの人」と言いながら頭を右手で指して、「○○大丈夫かなぁ」と続けた百田氏の発言は、平成の日本が抱えている独裁制への危険性を示唆しているように思われます。

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NHKのニュースでは最近安倍首相の顔のクローズアップが多くなったことについては報道の問題との関連で言及しましたが、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んでいくと各章の扉の裏頁には、必ず安倍首相の顔クローズアップ写真か百田氏との二人の写真が大きく載っていることに気づきました。

この著書の題名を見た時にすぐに浮かんだのは、太平洋戦争当時の指導者を「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと、彼らの「自国中心主義」を厳しく批判していた作家・司馬遼太郎氏の言葉でした(エッセー「石鳥居の垢」、『歴史と視点』所収、新潮文庫)。

ただ、著名な作者の本からのパクリやコピペが多いことを指摘された百田氏がツイッターで「オマージュである」との弁明を載せていたことに注目すると、この著書の題名も若者の気持ちをも捉えることのできるような小説家・片山恭一氏の小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001年)と歌手・Winkの19枚目のシングルの題名「咲き誇れ愛しさよ」を組み合わせているのではないかと思うようになりました。

つまり、平成の若者向けに分かりやすく言い換えられてはいますが、この共著の内容は、「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断った太平洋戦争当時の指導者(その中には、陸軍からも関東軍からも嘱望されて「満州経営に辣腕」を振った安倍氏の祖父で高級官僚だった岸信介も含まれます)の思想ときわめて似ているのです。

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『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』の対談で百田氏は、自著『永遠の0(ゼロ)』が、「もうすぐ三百万部を突破しそうです」と語り、映画も近く封切られるので「それまでには四百万部近くいくのではないかと言われています」と豪語していました(64頁)。

宮崎監督からの批判を受けると「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う」と記した百田氏は、「文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判を怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」と記すようになります。

しかし、この小説をざっと読んだ後ではさまざまな視点からの読者からの厳しい批判は正鵠を射ており、「全方向から集中砲火」にさらされるようになったのは、子供のための「戦記物」のような文体で書かれたこの書が持ついかさま性と危険性に多くの読者がようやく気づき始めたからだと思われます。

そのような視点から見ると大ヒットしたこの小説は、「道徳の教科化」をひそか進めている安倍政権の危険なもくろみと、戦前の教育との同質性をも暴露していると言えるでしょう。

(続く)

(題名を改題し、内容も大幅に改訂。12月3日)

 

総選挙期間中、「デモクラTV」が無料公開

昨年7月12日のブログ記事でデモクラTV(http://dmcr.tv)と東京新聞を推薦しました。
リンク→デモクラTVと東京新聞を推薦しますーー新聞報道の問題と『坂の上の雲』
下記の案内が入っていましたので、お知らせします。
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総選挙期間中、デモクラTVを無料公開します。
ストリーミング、アーカイヴを含めて、
12月2日から14日まで、いつでも、だれでも、
ご覧いただけます。
ぜひお知り合いの皆様にお伝えください。
また、SNSなどで、広めていただければ
大変、助かります。

デモクラTVは、去年4月の発足以来、
平等な機会の確保による、
自由な言論の実現をめざし、
数多くの番組を制作してきました。
でも、まだまだ道半ばです。
ひょっとすると、もっと悪い方向に、
日本の言論が行ってしまいそうな気のする今日この頃です。

さらに多くの皆様に、デモクラTVをご利用いただくため、
選挙期間中に限り、すべてのコンテンツを無料公開いたします。
ぜひ、たくさんの皆様にお知らせください。
そして、面白い! この言論の場は大切だ!と思われたら、
登録して会員になってくださるよう、お口添えをお願いします。

菅原文太氏の遺志を未来へ

元俳優の菅原文太氏が亡くなられたことが報じられました。

謹んで哀悼の意を表するとともに、震災後に「日刊ゲンダイ」のインタビューで語った記事(デジタル版)と、震災後の活動が比較的詳しく書かれている「日刊スポーツ」デジタル版の記事をご紹介することで菅原氏の強い遺志の一端をお伝えすることにします。

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「ポスト震災を生き抜く」

あれだけの大震災と原発事故を経て、日本人の意識が違う流れに変わるかな、と期待したけど、変わらないな。何も変わらないと言っていいほど。戦後の日本はすべてがモノとカネに結びついてきた。そこが変わらないとな。

俺は09年から有機栽培に取り組んできた。在来種を扱うタネ屋は数えるほどで、売られている野菜は「F1」といって一代限りで、タネを残せない一代交配種で作られている。農薬もハッキリ言って毒だよ。米軍がベトナム戦争で散布した枯れ葉剤のお仲間さ。極論すれば農薬と化学肥料とF1種で成り立っているのが、今の日本の農業じゃないのか。

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

農業も原発もアメリカの実験場だ

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

農薬いっぱいの土壌からできたコメや野菜でいいのか。化学肥料と農薬を使わない本当の土壌にタネをまけば、よく根を張って力強くおいしい作物ができる。「農」が「商」だけになってはダメだ。「工」にもあらずだ。このトシになって、今さら夢はないけどな、農業を安全な本来の姿に戻したい。それが最後の望みだね。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

国はカネがない、増税しかないと言うけど、ぜひ聞いてみたい。日本人が汗水流して稼いだカネはどこへ消えたんですか、と。何兆円と稼いだカネが雲散霧消したのなら、この国にはどんなハイエナやハゲタカが群がっているんだ。(後略)

【日刊ゲンダイ新春特別インタビュー、2012年1月1日号より抜粋】

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「菅原文太さん、安倍政権に反対の政治活動」(「日刊スポーツ」デジタル版、2014年12月2日)

菅原さんは2012年に俳優を引退後、政治活動に熱心に取り組んだ。政治支援グループを立ち上げ、安倍政権が進める特定秘密保護法や原発再稼働などの方針に反対。米軍普天間飛行場移設問題が争点になった沖縄県知事選では、移設反対派候補の集会に参加。代表作「仁義なき戦い」のセリフを引用し、「絶対に戦争をしてはならない」と訴えた。

菅原さんは先月1日、沖縄県知事選で、普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志氏の決起集会に出席した。那覇市のスタジアムで1万人を前に「政治の役割にはふたつある。1つは、国民を飢えさせてはならない。もう1つ。絶対に戦争をしないこと」と訴えた。

「私は少年時代、なぜ竹やりを持たされたのか。今振り返っても笑止千万だ」

政治を考えるとき、自らの戦争体験があった。辺野古移設を容認し3選を目指した仲井真弘多氏を「戦争を前提に沖縄を考えている」と批判。代表作「仁義なき戦い」のラストシーンで口にした、「弾はまだ残っとるがよ」というセリフを引用し「仲井真さんに(その言葉を)ぶつけたい。沖縄は国のものではない」と主張した。翁長氏当選の流れを生んだ場になった。(後略)

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日本ペンクラブ・前会長の井上ひさし氏も「憲法」や言論の自由の自由、さらに農業の重要性をも強調されていました。

菅原氏の言葉と活動は、原発事故の現在の実態だけでなく、国民の生命の問題にも深く関わるTPP交渉をも幕末の幕府と同じように国民にはその内容を示さないままに一方的に進め、さらに「特定秘密保護法」で問題点を隠そうとしている安倍政権の危険性を明らかにしていると思われます。

菅原氏は「日刊ゲンダイ」のインタビューを「なにより2012年こそ被災地に生きる人々にとって良い一年になって欲しい。本当に祈っているよ」という言葉で結んでいました。氏の強い遺志を受け継ぎ、2015年を良い年にするためにも今回の総選挙では独裁的な傾向を強める安倍政権に対して NO という意思を示しましょう。

 

追記:「東京新聞」の朝刊にも詳しい記事が載っていましたが、サイト「デモクラ資料室」の12月2日のブログには「菅原文太さんが遺したメッセージ」が掲載されています。

 

「ダメよ~ダメダメ」、「集団的自衛権」

今年話題になった言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」が発表されました。年間大賞にお笑いコンビ日本エレキテル連合の「ダメよ~ダメダメ」と、安倍内閣が7月に行使容認を閣議決定した「集団的自衛権」が選ばれたとのことです。

いつもはあまり関心を払っていなかったのですが、総選挙を控えた今年の流行語大賞は、「アベノミクス」の陰で安倍政権が決めた「集団的自衛権」の危険性を、期せずしてわさびの聞いた言葉で見事に表現する結果になっていると思います。

総選挙でもこの庶民感覚を活かして、「集団的自衛権」だけでなく「特定秘密保護法」をも閣議で決定した安倍政権に、NO を突きつけましょう。

リンク→総選挙と「争点」の隠蔽

追記:

「集団的自衛権」が持つ重大な危険性については、外国での「カミカゼ」の認識と評価との関連で言及する予定ですが、過去のブログでも言及していた記事がありましのでリンク先を示しておきます。

リンク→「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の失効 (2014年7月2日)

「長崎原爆の日」と「集団的自衛権」(8月10日)

 

 

 

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

今朝の「東京新聞」朝刊は自民党の谷垣幹事長がインタビューで今回の総選挙が「アベノミクス」の信を問うものであることを強調するとともに、「原発は重要な電源」と位置づけていることを紹介しています。

この発言は、昨年の参議院議員選挙の前に、放射能汚染水の流出の「事実」を「東電社長は3日前に把握」していたにもかかわらず、そのことが発表されたのが選挙後であったことを思い起こさせます。

リンク→汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(2013年7月28日 )

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安倍首相が日本の国民だけでなく、全世界に向けて発信した汚染水は「完全にブロックされている」という公約は、信頼できるのでしょうか。

「東京新聞」(2014年12月1日 )付の記事で「海洋汚染、収束せず 福島第一 本紙調査でセシウム検出」との見出しで、安倍政権が「隠蔽」を試みている原発事故の一端を大野孝志・山川剛史両氏の署名入りの記事で明らかにしていますので、その一部をここで引用しておきます。

〈東京電力福島第一原発至近の海で、本紙は放射能汚染の状況を調べ、専用港の出入り口などで海水に溶けた状態の放射性セシウムを検出した。事故発生当初よりは格段に低い濃度だが、外洋への汚染が続く状況がはっきりした。〉

〈東電は原子力規制委員会が定めた基準に沿って海水モニタリングをしているが、日々の公表資料は「検出せず」の記述が並ぶ。計測時間はわずか十七分ほどで、一ベクレル前後の汚染はほとんど見逃すような精度しかない。大型魚用の網で小魚を捕ろうとするようなものだ。

東電の担当者は「国のモニタリング基準に沿っている」と強調する。

原子力規制委事務局の担当者は「高濃度汚染がないか監視するのが目的。迅速性が求められ、精度が低いとは思わない」としている。

しかし、かつての高い汚染時なら、精度が低くても捕捉できたが、現在のレベルなら、やり方を変えないと信頼できるデータは出ない。汚染が分からないようにしているのではないかとの疑念を招きかねない。〉

獨協医科大学の木村真三准教授(放射線衛生学)の次のような言葉でこの記事は結ばれています。

「高性能な測定機器を使っても、短時間の測定では、国民や漁業関係者から信頼される結果を得られない。海の汚染は続いており、東電は事故の当事者として、汚染の実態を厳密に調べ、その事実を公表する義務がある」。

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すでに記しましたが、作家の司馬氏が若い頃には「俺も行くから 君も行け/ 狭い日本にゃ 住み飽いた」という「馬賊の唄」が流行り、「王道楽土の建設」との美しいスローガンによって多くの若者たちが満州に渡っていました。

「原子力の平和利用」という美しいスローガンのもとに、推進派の学者や政治家、高級官僚がお墨付きを出して「絶対に安全である」と原子力産業の育成につとめてきた戦後の日本でも、「大自然の力」を軽視していたために2011年にはチェルノブイリ原発事故にも匹敵する福島第一原子力発電所の大事故を産み出し、その事故は今も収束せずに続いています。

それにもかかわらず、「積極的平和政策」という不思議なスローガンを掲げて、軍備の増強を進める安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、今も解決されていない福島第一原子力発電所の危険性から国民の眼をそらし、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出などに躍起になっているように見えます。

岸信介という戦前の高級官僚を祖父に持つ安倍晋三氏は、戦前を「美化」した歴史認識を持ち、それを「命の大切さを伝えたい」(58ページ)と常に思っていると語っている『永遠の0(ゼロ)』の作者・百田尚樹氏との対談を収めた共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)などで広めようとしているように見えます。

しかし、「ウィキペディア」の記述によれば、戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された高級官僚の岸氏は「満州経営に辣腕」を振い、A級戦犯被疑者として3年半拘留されていたのです。

そして、安倍総理自身が指揮官による「判断と決断の誤りによって多くの人々が命を失う」(61頁)と語り、百田氏も「日本は先の大戦で三百万以上の方が亡くなった」(68頁)と認めているように、1931年の満州事変から始まった一連の戦争は日本やアジアに大きな被害をもたらし、膨大な数の戦死者を出すことになったのです。。

「原発事故」の悲惨さを「隠蔽」することで現在は明るく見える安倍氏の「経済政策」が、半年後や1年後にどのような結果を招くかを冷静に判断しなければならないでしょう。

 

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リンク先→

安倍政権と「報道」の問題

真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

原発事故の隠蔽と東京都知事選

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故

 

 

 

 

 

百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

作家でNHK経営委員でもある百田尚樹氏の名前を私が最初に意識したのは、衆議院議員だった土井たか子氏が2014年9月20日に死去したとの報道がなされた後で、氏がツイッターで故人の土井氏を「売国奴」と罵ったことが報じられた際でした。

今回、NHKの経営委員紹介のページを調べると、2013年の11月に経営委員に就任した際には、「公共放送として、視聴者のために素晴らしい番組を提供できる環境とシステムを作ることにベストを尽くしたいと思っています」との抱負を述べていたことが分かりました。

「衆議院」の議長も勤めた故人をNHKの「放送倫理基本綱領」にも反すると思われる用語でいう一方的に罵る人物が、どのようにしてNHKの経営委員に選ばれたのでしょうか。その後、共著を発行したワックという出版社から出版された雑誌『WiLL』に書かれた次のような記事の裁判の判決が見つかりました(「ウィキペディア」)。

〈雑誌『WiLL』(2006年5月号)に「社民党(旧社会党)元党首の土井たか子を「本名『李高順』、半島出身とされる」と記述し、慰謝料1000万円と謝罪広告の請求訴訟を起こされる。2008年11月13日、神戸地裁尼崎支部は「明らかな虚偽」として『WiLL』に200万円の賠償を命じた。この判決は最高裁で確定している。〉

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を発行したのが、雑誌『WiLL』を発行しているワックであることにも注目するならば、NHKの経営委員に選ばれた百田氏がこのような発言をしたのは共著者である安倍首相の権力を背景に、最高裁での判定に意趣返しをしたようにも見えてきます。

さらに、衆議院議長をも勤めた土井たか子氏の「死」が大きく報道された際に、ツイッターでこのような発信をしたのは、その「死」をも利用して自分の存在を政権や有権者に誇示しようとしていたのではないかという「いかがわしさ」も感じます。

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先のブログ記事〈 政府与党の「報道への圧力」とNHK問題〉では書き忘れていましたが、安倍政権が復活してから、NHKのニュース番組で取り上げられる回数が増えたばかりでなく、安倍首相の顔がクローズアップされるなど、番組の「公平性」に問題があると思われるような状況が生まれています。

一方、著名人「やしきたかじん」氏と昨年、再婚した妻との「純愛」とその「死」を看取るまでの「美談」を描いた百田尚樹氏のノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)が出版される際には、その著作を民放の各局が大々的に取り上げるという事態が起きました。

NHK経営委員の百田氏の著作の宣伝方法には、「首相」という肩書きを用いて自分の見解を反映させるという安倍首相と同じ手法が用いられているように感じます。

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一般の広告だけでなく民放の番組でも「美談」が大々的に報じられたことで、百万部は確実に超えると思われたノンフィクション『殉愛』は、思わぬ所から破綻をきたします。

すでに報道されているように、記載された「事実」とは異なる多くの証拠の写真がウェブ上に流れているだけでなく、屋鋪氏の実の娘にも裁判に訴えられたことで、その「事実性」に疑問が突きつけられたのです。

この記事を書くために著書を買い求めて読んでいますが、読み始めてすぐに感じたのは、どっかで読んだことがあるというデジャブ感です。むろん、様々な記事が出ていますのでそのためもあるのですが、一番の大きな理由は自分が宣伝したい「人物」の「正しさ」を強調するために、それに反対する人物やグループを徹底的にけなし追い詰めるという『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)で用いられていた手法にあると思われます。

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)では「売国」などという「憎悪表現」と思われる用語が、民主党という政党や私たちがほとんど接する機会のない政治家に対して投げかけられていました。それゆえ、テーマと範囲が広すぎてわかりにくかったのですが、「家族」の物語を描いたこのノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)では、登場人物も多くないためにその構図が分かりやすいのです。

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様々なサイトで紹介されているので具体的な内容には踏み込みませんが、改めて感じたのは百田という人物は、分かりやすく「美しい物語」を創作し、それを宣伝する能力には長けているようだが、「人の「死」や「命」の尊厳をきちんと感じることが出来ない、自分の立身出世のみに関心がある作家だろうということです。

それと全く同じことが「身内」と「お友達」のみを重視する共著者の安倍首相にも当てはまるのではないでしょうか。

安倍氏には過去の「歴史」を美しい物語に創り変え、それを宣伝する能力には長けていても、夫や子供を失った「国民」の苦しさや哀しみ、そして現在の状況に耐えている民衆の痛みをきちんと感じることが出来ない政治家だろうということです。

今度の総選挙では、「国民」が「臣民」とさせられて、「羊」のように戦場へと送られた戦前の歴史を「取り戻させない」ためにも、重要な一票を投じたいと考えています。

追記:「百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性」という記事を書くなかで百田氏の『殉愛』という題名には、「国家」のためには「国民の生命や財産」を犠牲にしてもかまわないとして「戦前」を美化する安倍晋三氏の思想へのおもねりがあると強く感じました。

それゆえ、〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法〉を、〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想〉に改題します。

リンク→憲法96条の改正と「臣民」への転落――『坂の上の雲』と『戦争と平和』

リンク→百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性

(2016年3月9日。〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法〉より改題し、青い字の箇所とリンク先を追加) 

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論をこのブログに書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められていました。

しかし、ウェブ上には原作の『永遠の0(ゼロ)』が浅田次郎氏の『壬生義士伝』と坂井三郎氏の『大空のサムライ』のパクリとか、コピペの箇所も多いとの指摘が少なくなかったので、映画を見ないままに今日に至っていました。

ノーベル賞候補とまで騒がれたSTAP細胞の論文におけるコピペ問題はまだ記憶に新しいのですが、人文系の分野でもコピペの問題は指摘されており、引用文献と参考文献とは重みが異なるので、引用したならばその箇所をきちんと明記すべきでしょう。

そのようなこともあり、いくつかの話題となった事柄以外は百田尚樹という作家についてはほとんど知らなかったのですが、前回のブログ記事「政府与党の報道への圧力とNHK問題」に関連して調べたところ、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)があることが分かりました。

これまでこの著書に気づかなかったのは迂闊(うかつ)だったと思いますが、安倍氏が総理に再就任した翌年の12月27日に出版された本書からは、今回の総選挙の手法の問題点も浮かび上がってきます。

*   *

ようやく読み終わった段階ですが、次のような目次からは新たに総理として選ばれることになる安倍氏の政治的な抱負と放送作家・百田氏の著作の宣伝とが非常に上手に組み合わされていることが感じられます。

第1章 取り戻すべき日本とは何か

第2章 『永遠の0(ゼロ)』の時代、

『海賊とよばれた男』の時代

第3章 「安倍晋三 再登板待望論」に初めて答える

第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる

  • さらば! 売国民主党政権
  • 百田尚樹 特別書き下ろし「安倍晋三論」

第5章 安倍総理大臣、熱き想いを語る ──日本をもう一歩前に

勇ましい文章が並んでいますが、政治の素人である私が目次を見て驚愕したのは、百田氏が書いた「第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる」には、「さらば! 売国民主党政権」という記述があることです。

それまで政権を担っていた政党に対して「売国」という、誹謗・中傷の域に達した形容詞を付けることは許されないと思われるのですが、安倍総理も当然、見て校正も行っていると思われるこの共著では、そのような過激な項目があるだけでなく、対話のなかでもしばしばそれに類した言葉が百田氏から発せられているのです。

本の内容紹介によれば、「小説を通して多くの読者に『日本の素晴らしさ』『日本人の美しさ』を伝えてきた百田尚樹。百田作品から国の命運を思い続けた安倍総理。月刊誌『WiLL』に掲載されたふたりの対談や日本再生論を書籍化」とあります。 このような二人の深い関係やその後の経過から判断すると、国際的にも大きな問題となった日本におけるヘイトスピーチ(「憎悪表現」「憎悪宣伝」「差別的表現」「差別表現」などと訳される)の発端の一因が総理と放送作家がタッグを組んで出版したこの著に記された「憎悪宣伝」にあるのではないかとさえ思われてきます。

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実は、自分の思想とは対立する考えの持ち主やそのグループを「売国奴」などの用語で非難して、追い落とし自分たちが権力を握ろうとする傾向は、「尊皇攘夷思想」が強かった幕末の日本でも目立っていました。

それゆえ、 『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判して、現代にも受け継がれている「神国思想」の危険性を指摘していたのです( 『竜馬がゆく』第2巻、「勝海舟」)。リンク→『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

問題は鉄道などの運転手が事故を起こせば厳しく罰せられるにもかかわらず、「国策」として行われた「戦争」を指導した軍人や政治家、高級官僚がその罪をほとんど問われず、その被害の重みを「国民」が一方的に背負わされることになったことです。

同じことは東京電力・福島第一原子力発電所の大事故の際にも起きました。東京電力の幹部社員だけでなく、推進した議員と官僚、さらにはそれを大々的に広告した会社などの責任は問われることはなく、「絶対安全」だという言葉を信じていた多くの住民が今も「原発事故の避難民」として苦しい生活を余儀なくされているのです。

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安倍首相と百田尚樹氏の共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んで気づいたことの一つは、「愛国心」や「モラル」の必要性が強く唱えられる一方で、戦争を起こした者や原発事故を引き起こした者たちの責任には全く言及されていないことです。

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この共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』には安倍政権の問題点が集約されているように思われますので、これからも分析していきたいと思います。

ここで確認しておきたいのは、この書で安倍氏が賞賛している『永遠の0(ゼロ)』におけるコピペの問題に関連して、「方々で言ってることやけど、『永遠の0』は、浅田次郎先生の名作『壬生義士伝』のオマージュである」との2012年6月29日付けの百田氏の弁明がウェブ上のツイッターに載っていることです。

しかし、日本ペンクラブ会長でもある浅田次郎氏は、「特定秘密保護法案」や「集団的自衛権」などの決定の方法について、「これら民主的な手順をまったく踏まない首相の政治手法は非常識であり、私たちはとうてい認めることはできない」と厳しく批判しているのです(日本ペンクラブ・ホームページ)。 『永遠の0(ゼロ)』という小説が安倍氏の政治手法を厳しく批判している浅田氏の著作の「オマージュ」という説明は、苦し紛れの言い訳のようにしか聞こえてきません。

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この問題の根は深いので、次回は〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍晋三氏の「愛国」の手法〉という題で、ノンフィクションとフィクションの問題をとおして安倍首相の政治手法の問題を考え、最後に映画《永遠のゼロ》の原作を厳しく批判した宮崎駿監督の言葉をとおして、イデオロギー(正義の大系)を厳しく批判した司馬遼太郎氏の言葉の重みを再考察したいと思います。

(2019年1月5日、加筆、2024/05/06、加筆)

政府与党の「報道への圧力」とNHK問題

先のブログ記事をまだ書き終わらないときに、「自民党が衆院解散の前日、選挙期間中の報道の公平性を確保し、出演者やテーマなど内容にも配慮するよう求める文書を、在京テレビ各局に渡していたこと」を報じる記事が今朝の「東京新聞」朝刊だけでなく、「日刊ゲンダイ」のデジタル版にも載っていたことが分かりました。

この問題について「東京新聞」は、「報道の自由への不当な介入や圧力といえる対応だ。『公平』と繰り返す文書の内容からは、安倍政権が報道機関による批判報道におびえていることがうかがえる」との立教大の服部孝章教授(メディア法)のコメントを掲載するとともに、夕刊には菅義偉官房長官が28日の記者会見で「政党の立場からすれば、不公平なことがされないよう行動することも重要ではないか」と文書に理解を示したことが記されています。

一方、「日刊ゲンダイ」のデジタル版は「選挙報道に露骨な注文…安倍自民党がテレビ局に“圧力文書”」との見出しで、この文書の〈文中には「公平中立」「公平」が13回も繰り返されている〉ことを指摘して、「要するに自民党に不利な放送をするなという恫喝だ」と指摘し、「まさに言論の封殺だ」と続けた後で、政治評論家・森田実氏の次のようなコメントを紹介しています。

「自民党がこんな要望書を出したのは初めてでしょう。萩生田氏は党副幹事長のほかに総裁特別補佐を務める政権の中心メンバー。その幹部が自民党には『自由』も『民主主義』も存在しないことを宣言した。実に恥ずべき行為です。」

「公平性」を求めるならば自民党は、会長の籾井勝人氏を始め百田尚樹・経営委員など明らかに「公平」を欠くと思われる問題発言を繰り返している方々を安倍首相の「お仲間」として優遇しているNHKの問題を解決してから、民間に対する「報道の公平」を求める声明を出すべきだったでしょう。

リンク→「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

「政府与党の選挙干渉とNHK問題」より改題

 

「寝ていろ」的な手法と「違憲状態」判決

今回の総選挙は、原発事故の問題だけでなく、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」などの国会で十分な議論が尽されるべき重要な法案を、閣議で決定したことの是非がまず問われるべきにもかかわらず、「消費税の延長」の是非という聞こえのよい名目で行われます。

しかも、「国民」に十分な考える余裕を与えないままで行われる今回の「姑息」な選挙の方法は、2000年6月の総選挙に際して「まだ決めていないという人が40%いる。こういう人たちが寝てしまってくれれば、それでいいんだが」(「NIKKEI NET」)と語った森元首相の発言を思い起こさせます。

「寝てしまってくれれば」という森元首相の発言にはまだ、首相の個人的な「希望」というニュアンスがありましたが、今回の安倍首相とそのブレーンの手法からは、「命令」的なニュアンスが強く感じられます。

「一票の格差」が最大2・43倍だった衆議院選挙に対しては最高裁が2012年に「違憲状態」との判決を出していましたが、昨日の「東京新聞」は、「昨年七月の参院選を最高裁は『違憲状態』と断じた。一票の格差が最大四・七七倍もあったからだ。司法は選挙制度の抜本是正を促しており、怠慢な国会の姿勢こそ、厳しく問われるべきである」との社説を掲載しています。

「違憲状態」のままで、「争点」を隠して行われる今回の総選挙に際しては、眼(まなこ)をしっかりと開けて強圧的な「安倍政権」の問題点を見極めねばならないと思います。

リンク→ 総選挙と「争点」の隠蔽