「主な研究(活動)」の記事が増えてきましたので、固定ページに記していた以下の文章を「研究活動・前史」というタイトルで、「投稿記事」のページに移動しました 。
「研究活動・前史」/「引率時の体験とIDSでの発表」/「追記」
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「年表」の固定ページも訂正しました。
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ブログ記事「新しい「風」を立ち上げよう(2014年1月1日)」では 前評判通りに水彩画を元にした繊細できれいなタッチで描かれていた高畑勲監督の映画《かぐや姫の物語》にも簡単に言及していましたが、この映画は日本の誰もが知っている『竹取物語』をとおして、身近な地域の環境問題を狸の視点から描いた《平成狸合戦ぽんぽこ》(1994年)のように地球環境に対する高畑勲監督の強い思いが反映されている作品でした。
今回はまず司馬遼太郎氏の 『竜馬がゆく』における「かぐや姫」のエピソードをとおして、日本の庶民が持っていた自然観をとおして当時の「殿上人」の価値観を痛烈に批判していた日本最古の物語が持つ世界観の広がりと現代性を考えてみたいと思います。
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長編小説『竜馬がゆく』は、師・勝海舟との出会いで世界的な視野を得て日本の改革をめざし、「歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」土佐の郷士の息子・坂本龍馬(以下、竜馬と記す)の生涯を壮大な構想力で描き出していました。
ことに厳しい身分制度に苦しんでいた土佐の郷士と上士との対立を描いた前半や、薩長同盟を成立させたあとで、その司馬氏が「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断固として規定したもの」と高く評価した「第二策」を含む「船中八策」を書き上げてから暗殺されるまでを描いた後半は圧巻ともいえる迫力で読者を引きつけます。
『竜馬がゆく』においては桂浜の描写だけでなく、江戸に出る途中で上士の娘・お田鶴と相宿となった際には、郷士のせがれの竜馬が堅苦しさを嫌って宿をでて浜で空と海を見ながら野宿する場面などが秀逸で、そのお田鶴様と竜馬の恋愛がこの長編小説の前半を彩っています。しかも興味深いのは、司馬氏が「お田鶴さまはかぐや姫のように美しい」という伝説が城下にあったと記していることです(拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年参照)。
「かぐや姫」への言及は、「世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず」と描かれ、さらに「そのような時から、女に求婚することを『よばひ』と言うようになった」と書かれていたことを思い起こさせます。
司馬氏はこのことも踏まえて 書いていたようで、竜馬が家老の妹・お田鶴の部屋に忍んで行こうとしたことを「土佐では若者の夜這いというのはふつうになっていたが、家老屋敷に夜這いにでかける例は、ちょっとなかろう」と簡単に記しています」(「一・「寅の大変」)。
現代の感覚からすると「夜這い」という言葉は少し野卑な感じがしますが、『ウィキペディア』には「『夜這い』の語は本来結婚を求める「呼ぶ」に由来する言葉とされている」との注が付けられています。そして、司馬氏も淡路島に生まれた高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』では、南方の風俗の影響を強く残しているこの「夜這い」という風俗について、「娘のもとに若者が通ってきて、やがて妊ると自然に夫婦になるのである。若者が単数であることのほうがむしろめずらしい」としながらも、娘が「妊ったときは、その子の父となる者に対する指名権は娘がもつ」と詳しく説明しているのです(一・「妻問い」)。
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『竜馬がゆく』では実在の歴史的人物をモデルに描かれていることはよく知られていますが、「竹取物語」に登場する「好色の」右大臣安倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂などは672年に起きた壬申の乱で功績をあげた実在の人物であり、石作皇子は宣化天皇の四世孫で「石作」氏と同族だった多治比嶋が、もっとも否定的に描かれている車持皇子は、母の姓が「車持」である藤原不比等がモデルになっている可能性が高いとされています(『ウィキペディア』)。
一方、 『竜馬がゆく』で土佐には武家町家をとわず城下の女たちが「着かざって社寺へ物詣に出かけたり、親戚知人の家にあそびに行ったりして、一日、あそび暮らす」という「女正月」の日があることを紹介して、この日に家老の妹お田鶴が江戸の話を聞きたいと福岡家の預郷士である坂本家を不意に訪れたことを記した司馬氏は、「楽しい話だと竜馬の心のなかまで洗われるような笑顔でころころと笑って」くれたお田鶴さまが、「時候のあいさつでもするようなさりげなさで」にこにこしながら、当時は「大公儀」とされていた幕府を、「みなさんで倒しておしまいになれば?」と問いかけたとし、自分は病弱なので結婚をする気持ちはないが、「仮にお嫁にゆくとすれば、坂本さまに貰っていただきたいと思いました」と明かした彼女が、「あす、戌の下刻(夜九時)屋敷の裏木戸をあけておきますから、忍んでいらっしゃいません?」と語ったと続けているのです。
しかも、司馬氏はお田鶴さまは、会話の際に「話ながら膝の上で小さな折り紙を折っていた」お田鶴が帰り際に竜馬に渡したのは、折り紙の船であったと書いています。 身分の違いから叶うことのない恋の形見のように、お田鶴が船好きの竜馬に折り紙の小さな船を織って渡すというこの場面も印象的なシ-ンですが、後に伝奇小説の『風の武士』を読んだ時には、この船と「かぐや姫」の物語がより印象的に用いられていたことを知りました。
このように見てくるとき「お田鶴さま」の章で、「あの桂浜の月を追って果てしもなく船出してゆくと、どこへゆくンじゃろ」と「子供っぽいこと」を考えていた竜馬の視線もまた遠い異国だけでなく、日本の遠い過去にも向けられていたと言えるかもしれません。
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福島第一原子力発電所の大事故はチェルノブイリ原発事故に匹敵するものといわれてきましたが、チェルノブイリでは「石棺」によって放射能の流出は止まったのですが、フクシマからはいまも汚染水の流出は止まらず、日本の大地や海を汚し続けています。
そのようななかで現代の「殿上人」ともいうべき安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出に躍起になっているように見えます。
高畑勲監督のアニメ映画《かぐや姫の物語》は、竹から生まれた「かぐや姫」が美しい乙女となり五人の公達や「帝」から求婚されながら、それを断って月に帰って行くという原作の筋を忠実に活かしつつも、子供のころからの「かぐや姫」の成長を丁寧に描くことで、日本最古の物語を現代に甦えらせているといえるでしょう。
ブログの題名「風と大地と」を説明している下記の記事をトップページにも掲載しました。
《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志(2013年10月6日 )
《風立ちぬ》Ⅱ――大地の激震と「轟々と」吹く風 (8月17日)
「大地主義」と地球環境(8月1日)
アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』(7月20日)
12月9日以降のブログ記事タイトル一覧Ⅳもトップページにも掲載しました。
謹賀新年
本年もよろしくお願いします。
昨年は原発の輸出だけでなく弾薬の譲渡、さらには「特定秘密保護法」の強行採決などたくさんの危険な出来事が続きましたが、今年はなんとかよい年にしたいものです。
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気分を変えるために大晦日に、高畑勲監督の映画《かぐや姫の物語》を妻と見てきました。
日本最古の物語を題材にしたこのアニメ映画では、現代の「殿上人」ともいえる大臣や高級官僚が忘れてしまった昔からの日本の自然観がきちんと描かれており、この映画にも「風が吹いている」と感じて新たな気持ちで年を越えることができました。
このブログでも《風立ちぬ》の感想とともに、この映画についても記していきたいと思っています。
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正岡子規は立身出世の道が開かれている東京帝国大学卒業を断念して、日本の言語や文化に根ざした俳句を詳しく調べ直し、俳句の「日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖」になりました(「春や昔」『坂の上の雲』第1巻、文春文庫)。
今年こそは司馬遼太郎氏が敬愛した正岡子規に焦点をあてて『坂の上の雲』を読み解く著書を発行したいと考えています。
高校や大学の頃には小説や詩を書いていましたので、今回は子規の心意気に感じて初心に戻り、拙いながらも一句披露します。
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新春に核廃絶の「風立ちぬ」