高橋誠一郎 公式ホームページ

08月

「アニメ映画《紅の豚》から《風立ちぬ》へ――アニメ映画《雪の女王》の手法」を「映画・演劇評」に掲載しました

  ようやく、11日に宮崎駿監督の《風立ちぬ》を見ることができました。

夏休み中ということもあり、600名ほども収容できる大ホールでの上映でしたが、最前列の数列が空いていた他は、ほとんど満席の状態でした。親子連れやカップルの多くが、巨大な入れ物に入ったポップコーンと飲み物を抱えて続々と入場してくるのを見たときには、騒音で映画に集中できないのではないかとも心配しましたが、映画が始まると画面に魅入られたように静かになりました。

このアニメ映画については、「アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』」と題したブログにまだ見ぬ前から記していましたが、見終わってからもよくぞあの複雑な世界観、文明観をアニメ映画というジャンルで描き出してくれたという思いからしばらくは席を立つことができませんでした。

これから何回かに分けてアニメ映画《風立ちぬ》の感想を「映画・演劇評」に書くことにします。

「映画・演劇評」に「映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観」を掲載しました

「黒澤明研究会」の9月例会では、映画《赤ひげ》の研究発表が行われることになりましたので、

映画《白痴》を理解する上でも重要な映画《赤ひげ》についても触れているエッセーを掲載します。

なお、映画《生きものの記録》や映画《夢》にも言及した2009年のこの小さなエッセーが、

拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)の骨格をなしていることも記しておきます。

「著書・共著」の『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)を更新しました

『黒澤明で「白痴」を読み解く』の「目次」を詳しいものと差し替えるとともに、

「はじめに」の抜粋を削除し、その代わりに私とドストエフスキー作品との出会いに触れている「あとがき」の一部を掲載しました。

今回、省いた映画《白痴》論は、いずれ「映画・演劇評」に掲載します。

なお、拙著の発行前に起きた原発事故に関心が集中してしまい、重要な方々の人名表記などに誤記がありましたので、訂正箇所を示しました。

映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》と映画《父と暮せば》

黒澤監督が映画《白痴》を撮ったことはよく知られていますが、長崎を舞台にした晩年の映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》からも、ドストエフスキーの理解の深さが感じられます。

このように書くと多くの人は奇異に感じるでしょうが、夏休みに長崎を訪れた孫たちの眼をとおして、原爆で夫を失った祖母の悲しみと怒りがたんたんと描かれているこの作品は、次のような点で『白痴』を連想させます。

1,場所の移動によって生じる主人公の祖母と子供たちとのふれあい(ここでは『白痴』とは異なり、移動してくるのは子供たちですが、その後に起こる事態は似ています)。

2,悲惨な事実には眼をつぶってでも、金儲けをしようとする打算的な世代に対する主人公と子供たちの怒り。

3,原爆という「非人道的な兵器」に、「殺意」を持った「眼」を感じる祖母の感性。

4,激しい雷から、原爆を連想して正気を失い、夫を助けようと雨の中を走り出す祖母の姿。

映画《白痴》に見られたような人間関係の激しい描写はあまりありませんが、『白痴』のテーマは響いており、心にしみこむような作品になっています。

広島を舞台に原爆によって亡くなった父と、生き残った娘との心の交流を描くほのぼのとした中にも鋭い問題提起も含んだ作家井上ひさしの劇の映画化である黒木和雄監督の《父と暮せば》とともに、「広島原爆の日」と「長崎原爆の日」には、「公共放送」であるNHKには毎年放映して頂きたいと願っています。

〈 「映画・演劇評」に「長崎原爆の日」にちなんで映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》を掲載しました〉より改題。(5月8日)

リンク→黒澤映画《八月の狂詩曲(ラプソディー)》

 

「長崎原爆の日」と日本の孤立化

広島に続いて長崎でも68回目の「長崎原爆の日」が訪れた。この時期に起きたことは、多くの人がすでに知っていることとは思うが、自分自身の備忘録としても残しておきます。

広島の平和式典に参加したオリバー・ストーン監督は、アメリカによる原爆の投下の正当化を「それは神話、うそだと分かった」と語るとともに、米軍が各国に軍事基地を展開していることも「非常に危ない」と批判しました(『東京新聞』、6日付け、朝刊)。

広島市の松井一実市長は6日の平和宣言で、核兵器を「絶対悪」と規定するとともに、4月にスイス・ジュネーブであった核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会などででは、核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同するなど、「核廃絶を訴える国が着実に増加している」のに、日本政府が賛同しなかったことを批判していました。

日本政府が進めている「インドとの原子力協定交渉についても、「良好な経済関係の構築に役立つ」としても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません」とも指摘していました。

9日の平和宣言で田上市長も、4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える80カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」と強く批判し、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と糾弾しました。

NPT非加盟のインドとの原子力協定交渉についても「核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化する」と懸念を示した。イスラエルやパキスタン、さらには北朝鮮などが現在、NPTに加盟していないことを思い起こすならば、この交渉が北朝鮮との非核化交渉にも影を落とすことは確実でしょう。

日本は島国ということもあり、国際的な視点から見ると奇妙に思える安倍首相の憲法観や麻生副総理のワイマール憲法観には、国内からの厳しい批判は出ていません。戦前の日本のように、いつの間にか「国際政治から孤立化」する危険性さえ見え始めています。

この意味で思い出されるのは黒澤明監督が、長崎で被爆した祖母を主人公とした映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》(一九九一)で、アメリカで経済的に成功した親戚に招かれたことで有頂天となり、アメリカの原爆投下を批判しない子供の世代を、孫たちの視点をとおして描くことで、日本の問題点を浮き彫りにしていたことです。

このことについてはすでに、拙著で触れていましたので「映画・演劇評」で引用しておきます。

「著書・共著」に『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)を掲載しました

今日のブログに書いた「麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

という題名の記事で、司馬遼太郎氏の普仏戦争観やヒトラー観にふれましたので、

この問題を論じている標記の著作の「はじめに」の抜粋と「目次」を

「著書・共著」のページに掲載しました。

麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた麻生副総理の発言は内外に強い波紋を呼びました。

しかし、この問題の討議をするために野党側から求められていた衆院予算委員会での集中審議開催を与党が拒否したために、重要な問題についての論戦もないままに臨時国会がわずか7月2日から7日までの期間で閉会することになったようです。

今回の与党側の対応は、「寝た子を起こすな」という慣用句がある日本独特のものでしょう。

マス・メディアからも辞任を求めるような強い論調の記事はあまり書かれていないようなので、「汚染水の流出と司馬氏の「報道」観」というブログ記事に書いたように、「人の噂も75日」ということわざもある日本では、この発言についても多くの人は忘れることになるでしょう。

 しかし、世界の多くの国々は、「過去を水に流す」という文化を持つ日本とは異なり、事実を文書に残すことを重視する文化を持っています。

麻生副総理の今回の発言は、欧米などを中心にこれからもことあるごとに引用されることになると思いますので、ここではナチス政権の誕生と日露戦争との関わりを簡単に記しておきます。

                       *      *    *

『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創ったワイマール憲法下の平和を軟弱なものとして否定しました。

その一方でヒトラーは、フランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進んだのです。

問題は、「明治国家」で日本の陸軍がモデルにしたのが、普仏戦争に勝利したそのプロイセン陸軍だったことです。『坂の上の雲』でこのことにも詳しくふれていた司馬氏は、日露戦争での勝利を強調することの危険性も熟知していたのです。

あまり知られていないようなので、司馬氏のヒトラー観を紹介します。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」と問いかけた司馬氏は、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判していたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

消えた〈公論〉と司馬遼太郎氏の危惧

昨日、ブログに書いた「消えた「時論公論」(?)」という記事で、8月2日(金)の深夜午前0時から10分間、「原発汚染水危機 総力対応を」とのタイトルで、汚染水への緊急の対策の必要性を訴えた解説委員・水野倫之氏の放送内容が、その後のインターネット上のNHKの「最新の解説」欄などでは見つからないと記しました。

その後、報道にも携わっている友人から確かに削除されているので、「自主規制」したものと思われるとのメールが入りました。

福島第一原子力発電所における汚染水への緊急対策の必要性を訴えた水野氏の解説は政治的なものではなく、「国民の生命」や日本の大地、さらには地球環境にもかかわる重要な見解だったと思われます。

長編小説『坂の上の雲』において常に皇帝や上官の意向を気にしながら作戦を立てていたロシア軍と比較することで、自立した精神をもって「国民」と「国家」のために戦った日本の軍人を描いた司馬遼太郎氏は、その終章「雨の坂」では主人公の一人の秋山好古に、厳しい検閲が行われ言論の自由がなかったロシア帝国が滅びる可能性を予言させていました。

そして日露戦争当時のロシア帝国と比較しながら司馬氏は、「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は潰滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)」と指摘していたのです(『この国のかたち』第一巻、文春文庫)。

現在の日本でも近隣諸国との軋轢については詳しく報道される一方で、国内で発生している原子炉の重大な危険性についての情報は制限されていると思えます。いったい、「公共放送」のNHKは、本来ならばより大々的に報道すべき解説の内容を、誰の意向を気にして「自主的に規制」しなければならなかったのでしょうか。

今日も民間の新聞やニュースは、東電が「地下の汚染水が遮水壁をすでに乗り越えている可能性を認めた」ことを報じています。

「原発汚染水危機 総力対応を」というタイトルの解説は、「国民の生命」を守る勇気ある解説であり、再放送を強く要望したいと思います。

消えた「時論公論」(?)

「映画・演劇評」に書いた「劇《石棺》から映画《夢》へ」という記事にも書いたことですが、「ロシア帝国」の厳しい検閲のもとに作品を書いていた作家ドストエフスキーの研究をしているので、「検閲」のことにどうしても敏感になります。

汚染水の危機と黒澤映画《夢》」と題した8月4日のブログ記事で、8月2日(金)の深夜午前0時から10分間、「原発汚染水危機 総力対応を」とのタイトルで、汚染水への緊急の対策の必要性を訴えた解説委員・水野倫之氏の放送の内容をお伝えしました。

ただ、その時点ではまだ詳しい文字情報が出ていなかったので、(副題などについては、後日確認します)と記していました。

ブログを書いた8月4日の時点では土日を挟んでいるので、まだ記事が掲載されないのだと考えていたのですが、その後、インターネット上の「NHK解説委員室」にある「最新の解説」欄や「最新の解説30本」という欄を見ても、記事が見つからないので気になっています。

8月1日付けの時論公論 「日韓関係に司法の壁」出石直・解説委員)の次に出てくるはずの水野氏の解説記事がなく、

8月3日付けの時論公論 「”夢の降圧剤”問われる臨床研究」(土屋敏之・解説委員)へと飛んでいるのです。

なぜなのでしょうか。私のホームページ上の問題で、私だけが検索ができないのならばよいのですが…。

「国民の生命」にも関わる問題への勇気ある解説だったので、ぜひ再放送をしていただきたいと願っています。

 

原爆の危険性と原発の輸出

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

68回目の「広島原爆の日」が訪れました。しかし、「核廃絶」という日本人の悲願にもかかわらず、むしろ「核拡散」の危険性が広がっているようにさえ見えます。

先日のブログでは、汚染水の危機と「報道」の問題について記しましたが8月3日の毎日新聞(ネット版)は、「原発輸出:国民負担に直結 国のリスク不十分な説明」という署名記事で「国会」での十分な議論もなく進められている「原発輸出」の危険性を指摘しています。地球環境だけでなく、国民の経済にも直結するきわめて重要な問題なので引用しておきます。

記事は「日本が安全確認体制を整備しないまま、原発輸出を強力に推進し続ける背景には」、原発事故の責任を「原発を規制する国(立地国)が負う」と規定している原子力安全条約の存在があるが、「インドには電気事業者だけでなく、製造元の原発メーカーにも賠償責任を負わせる法律があり、米国はこの法律を理由に輸出に消極的とされる」と指摘しています。

そして、安倍晋三首相は「新規制基準」を前提に原発輸出を正当化したが、「原発事故から2年超を経てなお約15万人が避難する現状に照らせば、無責任な輸出は到底許されない」と結んでいます。

 インドへの原発の輸出という出来事は、印パ両国が核実験を行い核の拡散が懸念されるようになった1998年の事態をも連想させます。

古い記事になりますが、「印パ両国による核実験と核兵器廃絶の理念の構築」という題名でコラム「遠雷」に発表した記事を再掲しておきます。

*   *   *

五月一一日から一三日にかけてインドが行った五回の核実験に続いて、インドと緊張関係にあるパキスタンが二八日と三〇日に六回の核実験に踏み切った。

インドの核実験は、その直後に開催されたサミットの特別声明で強く「非難」され、日米両国は経済制裁にも踏み切っていた。このような中で各国から自制を強く求められていたパキスタンが「最高の国益に合致」するとして核実験に踏み切ったことは、米ロ英仏中の五カ国以外の核保有を禁じた核不拡散条約(NPT)が破綻の危機に瀕したことを意味する。

だが、湾岸戦争以降、非西欧諸国に野火のように広がった民族主義の台頭や、核軍縮の遅々とした歩みを冷静に振り返るならば、世界に強い衝撃を与えた今回の事態も、充分に予想され得たことであり、それは問題の根元を明らかにしたとも言える。

すなわち、NPTの無期限延長が決められた一九九五年の会議では、核廃絶の期限を明記することが非核保有国から求められたが実現しなかった。一九九六年に国連総会で採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)の直前には、国際的な激しい非難の中、フランスと中国が相次いで実験を強行し、採択以降には、米国が未臨界実験を度々繰り返している。

他方、インドは緊張関係にある中国を含む核大国に核兵器使用禁止条約の締結を求めていた。しかし、国際司法裁判所は一九九六年に、核兵器の使用を一般的には「人道的な諸原則に反する」とはしたが、広島、長崎両市長などの強い主張にもかかわらず、「自衛」の際の使用については、違法か否かの判断を回避したのである。

このような経過は、非核保有諸国に敵対国から自国が核攻撃されるのではないかという懐疑心や恐怖心を抱かせ、民族意識の高揚を招いたと思える。

故松前重義総長は、「真に平和な社会を築くこと」を「現代文明の第一の課題」とされた。核拡散の危険性が現実となった現在、私たちに求められているのは、「文明論的な視点」から、狭い意味での「国益」にとらわれることなく、地球的なレベルでの安全保障につながる「核兵器廃絶の理念」を早急に確立することであろう。

(「遠雷」『東海大学新聞』1998年6月、734号)

*   *   *

黒澤明監督はアメリカがビキニ沖の環礁で行った水爆実験によって「第五福竜丸」が被爆した事件に衝撃を受けて映画《生きものの記録》を1955年に公開していました。

大ヒットした映画《七人の侍》の翌年に公開され、やはり三船敏郎を主人公としていたこの映画は予想外の不入りに終わりましたが、ヒットしなかった原因の一つは、すでに日本でも「原子力の平和利用」という大キャンペーンが行われていたためであることはあまり知られていないようです。

日本では原発と原爆とは無縁と考える人が増えているようだが、原発の技術は原爆に結びついており、そのために北朝鮮による原子力発電所の建設が危険視されていることを忘れてはならないでしょう。

*   *   *

8月1日(木)には『はだしのゲン』など原爆の悲惨さを伝える作品が各国語で翻訳されていることを伝えるNHKの番組くらし☆解説 「原爆の悲惨さを世界に伝える」が(広瀬公巳解説委員)が放送されましたので付記しておきます。

ただ、よい番組だったと感じましたが、原爆の悲惨さを世界に伝えるためには、まず日本の政治家がこれらの本の内容をきちんと理解することは当然として、学校教育の教材としても取り入れることで「日本人」の子供たちに事実を知らせることが重要だろうと考えています。

(2017年6月3日、図版を追加)