1996年に司馬遼太郎氏が亡くなられた後で『坂の上の雲』をめぐる「司馬史観」論争が勃発した際には、戦争をも辞さない「国民の気概」を描いた長編小説として賛美する意見にも、近隣諸国との関係の描写に誤りがあると厳しく弾劾する意見にも強い違和感を覚えました。
日露の衝突を防いだ江戸時代の商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』の後で『坂の上の雲』を読んでいたことや、ロシア文学の研究者だったことが大きいと思われますが、『坂の上の雲』という長編小説はトルストイの『戦争と平和』を強く意識しながら書かれた歴史小説だと私は考えていたからです。
「祖国戦争」と呼ばれる1812年のナポレオン率いる「大国」フランスとの戦いに際してロシアの民衆が力を発揮した愛国的な戦いを美しく描写するだけでなく、「臣民」と位置づけられた民衆には権利が認められない専制政治が行われている「ロシア帝国」の問題点をも鋭く指摘していたトルストイは、そののエピローグでは主人公の一人であるピエールに「憲法」の必要性を強く示唆させていました。
司馬氏が「大国」ロシアとの戦争をクライマックスとした『坂の上の雲』で強調していたのも、維新後に成立した、司馬氏の用語を借りれば「薩長独裁政権」に対抗した自由民権運動の流れの中でようやく「憲法」を獲得し、自立した「国民」を擁した「明治国家」と、強大な軍事力を持ちつつも「臣民」には自発的な行動が許されていなかった「ロシア帝国」との戦いという側面だったのです。
しかも司馬氏はこの長編小説の「あとがき」では、ニコライ二世の戴冠式に招かれて「ロシア宮廷の荘厳さ」に感激した山県有朋が日本の権力を握ったことが、昭和初期の「別国」につながったことも示唆していました。
山県有朋の思想的な流れにつらなる安倍政権は、「改憲」をはかるためにまず96条の改正を主張していますが、それは「この国のかたち」を決めている「憲法」をたんなる法律と同じ位置におとしめることになるでしょう。
司馬遼太郎氏の「憲法観」については、これからもこのホームページで論じていきたいと思っていますが、96条を改正しようとしている政権を選ぶことは、明治の人々が当時の「独裁政権」に抗してようやく勝ち取った「国民」という立場を捨てて、「臣民」になり下がることを意味すると思えます。
(7月18日、用語を訂正)