高橋誠一郎 公式ホームページ

07月

憲法96条の改正と「臣民」への転落ーー『坂の上の雲』と『戦争と平和』

1996年に司馬遼太郎氏が亡くなられた後で『坂の上の雲』をめぐる「司馬史観」論争が勃発した際には、戦争をも辞さない「国民の気概」を描いた長編小説として賛美する意見にも、近隣諸国との関係の描写に誤りがあると厳しく弾劾する意見にも強い違和感を覚えました。

日露の衝突を防いだ江戸時代の商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』の後で『坂の上の雲』を読んでいたことや、ロシア文学の研究者だったことが大きいと思われますが、『坂の上の雲』という長編小説はトルストイの『戦争と平和』を強く意識しながら書かれた歴史小説だと私は考えていたからです。

「祖国戦争」と呼ばれる1812年のナポレオン率いる「大国」フランスとの戦いに際してロシアの民衆が力を発揮した愛国的な戦いを美しく描写するだけでなく、「臣民」と位置づけられた民衆には権利が認められない専制政治が行われている「ロシア帝国」の問題点をも鋭く指摘していたトルストイは、そののエピローグでは主人公の一人であるピエールに「憲法」の必要性を強く示唆させていました。

司馬氏が「大国」ロシアとの戦争をクライマックスとした『坂の上の雲』で強調していたのも、維新後に成立した、司馬氏の用語を借りれば「薩長独裁政権」に対抗した自由民権運動の流れの中でようやく「憲法」を獲得し、自立した「国民」を擁した「明治国家」と、強大な軍事力を持ちつつも「臣民」には自発的な行動が許されていなかった「ロシア帝国」との戦いという側面だったのです。

しかも司馬氏はこの長編小説の「あとがき」では、ニコライ二世の戴冠式に招かれて「ロシア宮廷の荘厳さ」に感激した山県有朋が日本の権力を握ったことが、昭和初期の「別国」につながったことも示唆していました。

山県有朋の思想的な流れにつらなる安倍政権は、「改憲」をはかるためにまず96条の改正を主張していますが、それは「この国のかたち」を決めている「憲法」をたんなる法律と同じ位置におとしめることになるでしょう。

司馬遼太郎氏の「憲法観」については、これからもこのホームページで論じていきたいと思っていますが、96条を改正しようとしている政権を選ぶことは、明治の人々が当時の「独裁政権」に抗してようやく勝ち取った「国民」という立場を捨てて、「臣民」になり下がることを意味すると思えます。

(7月18日、用語を訂正)

 

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

分かりやすい平易な文章で描かれてはいますが、厳しい歴史認識も記されている長編小説『坂の上の雲』が、NHKのスペシャル大河ドラマとして2006年から放映されることが決まったと知った時には、強い危機感を持ちました。

征韓論から日清戦争をへて、日露戦争にいたる明治の日本を描いたこの長編小説を冷静に読み解かなければ、国内のナショナリズムを煽(あお)るだけでなく、それに対する反発からロシアや中国、さらには韓国のナショナリズムも煽られて、日本とこれらの国々や、欧米との関係にも深い亀裂が生じることになると思われたからです。

脚本を書いていた才能ある作家・野沢尚氏の自殺のためにテレビドラマ《坂の上の雲》の放映は延期となりましたが、ふたたびその構想が浮上したときには、坂本龍馬を主人公とした大河ドラマ《龍馬伝》(2010)を間に挟んだ形で、2009年から2011年の3年間にわたるスペシャルドラマとして放映されることなりました。

名作 『竜馬がゆく』で司馬遼太郎氏は、ペリー提督が率いるアメリカの艦隊が「品川の見えるあたりまで近づき、日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放った」ことに触れて、これは「もはや、外交ではない。恫喝であった。ペリーはよほど日本人をなめていたのだろう」と激しい言葉を記していました。

しかし、土佐における上士と郷士との血で血を洗うような激しい対立をもきちんと描いていた司馬氏は、「尊王攘夷の志士」だった若き竜馬がすぐれた「比較文明論者」ともいえるような勝海舟と出会ったことで急速に思想的な生長を遂げていく様子を描いています。

「時勢の孤児」になることを承知しつつも、「戦争によらずして一挙に回天の業」を遂げるために「船中八策」を編み出した竜馬は、暗殺されることになるのですが、司馬氏はこの長編小説を「若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」という詩的な言葉で結んでいました。

残念ながら、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の人々を美しく描き出した大河ドラマ《龍馬伝》の竜馬にはそのような深みは見られず、この大河ドラマを挟んでスペシャルドラマ《坂の上の雲》の放映が行われた後では、「国」の威信を守るためには戦争をも辞さないという「気概」を示すことが重要だと考える人々や、竜馬の理念を受けついだ明治初期の人々が獲得した「憲法」の意義をも理解しない政治家が大幅に増えたように見えます。

昨日、大河ドラマ《龍馬伝》の再放映が行われていることを知り驚愕しました。

《坂の上の雲》の放映は大きな社会的問題となりましたが、選挙戦のこの時期に大河ドラマ《龍馬伝》の再放映が行われていることも大きな政治的問題を孕んでいると思えます。

 

 

戦車兵と戦争ーー司馬遼太郎の「軍神」観(ブログ)

昨日(7月13日)にNHKの19時のニュースで「町おこし」の一環として、人気アニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台になった大洗町で訓練支援艦の艦内見学や最新型の10式戦車の展示が行われたことが、戦車の映像とともに流されていました。しかも、その後の報道ではこの企画が観光庁の実施した「第一回『今しかできない旅がある』若者旅行を応援する取組」として奨励賞を受賞したことも判明しました。

自民党が今回の選挙公約として「国防軍」の設置を挙げているばかりでなく、4月にもネット世代に向けたイベントで安倍首相が戦闘用の迷彩服を着て戦車に乗り込み、右手を挙げている写真が載っている写真が公開されていことを想起するならば、特定の政党の政策を後押しするような報道や報償が選挙違反にはならないのかと気になります。

私がこの問題を重視するのは、司馬遼太郎氏が『竜馬がゆく』を執筆中の一九六四年に「軍神・西住戦車長」というエッセーで「明治このかた、大戦がおこるたびに、軍部は軍神をつくって、その像を陣頭にかかげ、国民の戦意をあおるのが例になった」と批判し、島田謹二氏の『ロシヤにおける広瀬武夫』からは「この個性的な明治の軍人がすぐれた文化人の一面をもっていたことを知ったが、昭和の軍神はそうではなかった。学校と父親がつくった鋳型(いがた)から一歩もはみ出ていなかった」と続けていたからです(『歴史と小説』、集英社文庫)。

一昨日のブログでは司馬氏が『坂の上の雲』において、「新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽(あお)っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった」と新聞報道のあり方を厳しく批判していたことを紹介しましたが、この長編小説では広瀬武夫が重要な人物の一人として描かれていたことを思い起こすならば、「軍神」批判の記述の意味はきわめて重たいと思われます。

「改憲」が争点となっている時期だけに、「報道」には公正さが求められるでしょう。

 

 

 

 

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講座「『草枕』で司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み解く」のレジュメを「主な研究(活動)」に掲載しました

 2月19日に行われた「世田谷文学館友の会」の講座には、雪混じりの天気だったにもかかわらず、多くの会員の方に参加して頂きました。

  長編小説『翔ぶが如く』を読み解くという試みだったために、内容を詰め込みすぎた感もありましたが、講座の後では多くのご質問も頂き、私にとっては司馬氏の漱石観だけでなく、「憲法」観を再考察するよい機会となりました。

(追記:掲載される位置が正常に戻りましたので、題名を変更しました。10月18日)

 

 

 

 

デモクラTVと東京新聞を推薦しますーー新聞報道の問題と『坂の上の雲』

最近は「原発事故」や「憲法」さらに「TPP」に関しては、公共放送のNHKをはじめ大手のマスコミなどでは、報道規制が敷かれているのかと思われるほどに情報が少ないのが心配です。

文明史家の司馬遼太郎氏は、長編小説『坂の上の雲』第7巻の「退却」の章で、「日本においては新聞は必ずしも叡智(えいち)と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽(あお)っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった」と新聞報道のあり方を厳しく批判していました。

しかも、第6巻の「大諜報」の章では、「かえらぬことだが、もし日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、『ロシア帝国の敗因』といったぐあいの続きものを連載するとすれば、その結論は(中略)『ロシア帝国は日本に負けたというよりみずからの悪体制にみずからが負けた』ということになるであろう」と書いていたのです。(引用は『坂の上の雲』文春文庫初版、1978年による)。

このような日本の新聞報道の伝統的なあり方を考えるとき、原発事故直後から地道な取材で「報道特集」などを続けてきた「東京新聞」や、「原発事故」や「憲法」さらに「TPP」に関する報道を続けるインターネット放送のデモクラTVは、きわめて重要だと思えます。

「お知らせ」のページを開設し、『司馬遼太郎の視線(まなざし)ーー「坂の上の雲」と子規と』の予告を掲載しました

『司馬遼太郎の視線(まなざし)ーー「坂の上の雲」と子規と』(仮題)を現在、執筆中です。

遅筆のために刊行が大幅に遅れていますが、『「竜馬」という日本人ーー司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)に続く本書を私の司馬論の集大成にしたいと考えています。

本書刊行の目的などについては「お知らせ」(メニュー)のページを参照してください。(なお、かっこ内のメニューの表示は、ソフトの設定に対応させるための措置です)。

 

「映画・演劇評」に「映画《福島 生きものの記録》(岩崎監督)と黒澤映画《生きものの記録》を掲載しました

6月29日(土)に シンポジウム、【脱原発を考えるペンクラブの集い】pert3 「動物と放射能」が専修大学で行われました。

静かな映像とナレーターの静かな口調をとおして、「警戒区域内」に残された「生き物たち」の姿を語っていたこのドキュメンタリー映画「福島 生きものの記録」からは、自作の題名を《怒れる人間の記録》ではなく、《生きものの記録》としていた黒澤監督の先見性も伝わってきました。

ここでは黒澤映画《生きものの記録》との関わりだけでなく映画《野良犬》にも言及することで、このドキュメンタリー映画の現代的な意義に迫っています。

「主な研究活動」に「『地下室の手記』の現代性――後書きに代えて」を掲載しました。

ブリストル大学名誉教授のピース氏は、イギリスで生まれた功利主義の哲学やイギリスの歴史家バックルが『イギリス文明史』に記した文明観をドストエフスキーが主人公に正面から批判させていることをイギリスの思想的潮流をもきちんとふまえて、『ドストエフスキイの「地下室の手記」を読む』で明らかにしています。

一方、ドストエフスキー論の「大家」と見なされている小林秀雄は、この作品の直後に書かれた長編小説『罪と罰』についても論じていますが、主人公ラスコーリニコフの妹の婚約者である中年の弁護士ルージンについては不思議なことにほとんど言及していません。しかし、舌先三寸で白を黒と言いくるめるような自己中心的で、功利主義的な思想の持ち主であるこの弁護士がラスコーリニコフの主要な論敵の一人であることを思い起こすならば、小林秀雄は現代の問題とも深く関わる思想的な課題から目をそらした形で『罪と罰』の解釈を行っていたといわねばならないでしょう。

このような小林秀雄のドストエフスキー論の問題は、原発事故を直視しないであたかもなかったかのように通り過ぎようとしている政府の現実認識とも通じていると感じています。問題の根は深いようですので、じっくりと考えていきたいと思います。

「主な研究活動」に大木昭男氏の例会発表の傍聴記を掲載しました。

劇《石棺》から映画《夢》へ」でふれたように農村派の作家ラスプーチンは、ドストエフスキーを深く敬愛していました。

イタリアの国際的文学賞を受賞した短編などを収録した作家ラスプーチンの短編集『病院にて――ソ連崩壊後の短編集』〈群像社〉の翻訳を公刊した桜美林大学名誉教授・大木昭男氏の例会発表「ドストエーフスキイとラスプーチン」の傍聴記を掲載します。

「映画・演劇評」に「劇《石棺》から映画《夢》へ」を掲載

日本におけるロシア文学の受容の問題をとおして日露両国における近代化の問題を考えてきた私は、チェルノブイリの原発事故をモスクワで経験していたことで福島第一原子力発電所で起きた事故に震撼させられました。

なぜならば、文明史家とも呼べるような広い視野と深い洞察力をもった作家の司馬遼太郎氏は、『坂の上の雲』の終章「雨の坂」では「大国」フランスとの「祖国戦争」に勝利したことで自国の「神国化」が進んだことでついには革命に至った帝政ロシアと、「大国」ロシアとの「祖国防衛戦争」に勝利した後で幕末の「尊皇攘夷」のイデオロギーが復活し、ついには昭和初期の「別国」に至った「大日本帝国」との類似性をも示唆していたからです。

この問題はきわめて重要で重たい「文明論」的な課題なので、このホームページをとおしてじっくりと考えていくことにしたいと思います。

リンク→劇《石棺》から映画《夢》へ

(2016年3月25日改訂。リンク先を追加)