選挙後の7月23日から始まる実質的にはたった2日間のTPP交渉のために「官僚100人が海外出張」との記事が、13付けの日刊ゲンダイのネットに載っていました。
TPPには日本の食糧を産み出す「大地」に関わる農業以外に、医療や原発など日本人の生命にも影響を与えるような多くの重大な分野が含まれていることが指摘されていますが、私はその面での専門家ではないので、TPPと幕末から明治初期の日本を揺るがした不平等条約との類似点を「文明論」的な視点から2点挙げて、その危険性を指摘しておきます。
最初に挙げられるのは、主な事項がすでに入っている諸国で決められており後から入る国にはこれを覆すことができない点で、次に挙げられるのは、そのような重要な条約の内容が全く「国民」には明かされていないことです。
これは「文明」の進度という尺度から、「先進国」が「後進国」に武力を背景にしてでも「開国」を求めることが正しいとされていた幕末時の国際情勢と、それに対する国内の激しい反応を思い起こさせます。
ナショナリズムの問題を論じた14日付けのブログ記事では、ペリー提督が率いるアメリカの艦隊が「品川の見えるあたりまで近づき、日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放った」ことに触れて、これは「もはや、外交ではない。恫喝であった。ペリーはよほど日本人をなめていたのだろう」と激しい言葉を司馬氏が名作 『竜馬がゆく』において記していたことを確認しました。
このようなアメリカをはじめとする「先進」西欧諸国の要求に対しては、多くの日本人が「情報の公開と言論の自由」を求めましたが、それらを封殺した幕府がほぼ独断で諸外国の要求を受け入れたことがたことが、大老・井伊直弼の暗殺と討幕運動につながったことはよく知られています。
司馬氏の視線の鋭さは、維新後の「薩長独裁政権」が諸外国との交渉には弱腰である一方で、「情報の公開と言論の自由」を求めたが民衆の運動を封殺しようとしたことが、「自由民権運動」だけでなく、西南戦争や時の権力者・大久保利通の暗殺を引き起こしたことを指摘していることです。
少し長くなりますが、大久保の暗殺者についての考察が記されている『翔ぶが如く』の「紀尾井坂」の章から引用しておきます。
「――大久保を殺そう。というふうに島田が決意したのは、飛躍でもなんでもない。殺すという表現以外に自分の政治的信念をあらわす方法が、太政官によってすみずみまで封じられているのである。幕末の志士も、ほとんどのものが口をあわせたように、『言路洞開』を幕府に対して要求してきた。野の意見を堂々と公表させよ、あるいは公議の場に持ちこませよ、という意味であり、幕府はそれを極度に封じ、私的に横議する者があっても『浮浪』として捕殺した。幕末における暗殺の頻発は、ひとつには在野を無視したための当然の力学的現象ともいえなくなく、(中略) 明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った。福沢諭吉が西郷の死のあと『丁丑公論』を書いたのは、政府に対する抵抗の精神は当然許容さるべきだということを説くためであった。」
衆院選での「公約」を反故にして、急遽、参加を決めたTPPの内容が、「日本国民」に不利なことが明らかになったとき、国内情勢は明治初期のような混乱した様相をしめすことになる危険性があるように思えます。
目先の経済的な利益にとらわれずに、10年後の日本の将来を考えるような投票が求められるでしょう。