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2013年

三宅正樹著『文明と時間』(東海大学出版会、2005年)を「書評・図書紹介」に掲載しました

三宅正樹教授は本書で日本の比較文明学の先駆者の一人である山本新氏の『周辺文明論――欧化と土着』(神川正彦・吉澤五郎編、刀水書房、1985年)や神川正彦氏の論文の考察をとおして、今も日本の政治家などに強い影響力を持っているハンチントンの大著『文明の衝突と世界秩序の再編成』(1996年、邦訳『文明の衝突』)におけるロシア観や日本観の問題に鋭く迫っています。

比較文明学的な広い視野で「文明」や「近代化」の問題を考察した本書は、ロシアとの北方領土問題だけでなく、中国や韓国との間でも領土問題に揺れるようになった現在の日本を冷静に考えるためにも重要な示唆に富んでいるといえるでしょう。

終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

68回目の終戦記念日が訪れました。

記念式典での「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、あたうる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」との安倍首相の式辞も報道されています。しかし、そこにはこれまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」の文言もなかったことも指摘されています(『日本経済新聞』ネット版)。

すでにブログにも記しましたが、8月6日の「原爆の日」に広島市長は原爆を「絶対悪」と規定し、9日の平和宣言では田上市長も、4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える80カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」と強く批判し、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と糾弾していました。

安倍首相が美しい言葉を語っている時も、「原子力の平和利用」というスローガンによって政治家たちの主導で建設された福島第一原子力発電所事故は収束してはおらず、莫大な量の汚染水が国土と海洋を汚し続けているのです。

このような状況を見ながら強く感じたのは、終戦直後の日本政府の対応との類似性です。

8月11日付の『東京新聞』は、大きな見出しで「英国の核開発を主導し、『原爆の父』と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士」が、「日本への原爆投下から約四カ月後、『米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している』と強く批判していたことが」、「英公文書館に保管されていた文書で分かった」ことを報じるとともに、広島では放射線の影響で「推計十四万人」が、長崎でも「推計七万人四千人が死亡し」、「被爆の五~六年後には白血病が多発」するようになったことも記してアメリカによる隠蔽の問題を指摘していました。

*    *      *

同じような隠蔽は一九五四年三月にビキニ沖で行われたアメリカの水爆実験によりで日本の漁船「第五福竜丸」が被爆するという事件の後で公開された映画《ゴジラ》でも行われていました。

『ウィキペディア』の「ゴジラ(1954年の作品)」という項目によれば、「アメリカのハリウッド資本に買い取られ」、テリー・モース監督のもと追加撮影と再編集がされたこの作品は、1956年に『怪獣王ゴジラ』(和訳)という題名で全米公開されましたが、「当時の時代背景に配慮したためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いました。

なぜならば、本多猪四郎監督は「ゴジラ」が出現した際のシーンでは、核汚染の危険性について発表すべきだという記者団と、それにたいしてそのような発表は国民を恐怖に陥れるからだめだとして報道規制をした日本政府の対応も描き出していたのです。

本多監督は、「原爆については、これは何回も言っているけど、ぼくが中国大陸から帰ってきて広島を汽車で通過したとき、ここには七十五年、草一本も生えないと聞きながら、板塀でかこってあって、向こうが見えなかったという経験があった」とも語っています。

しかし、広島・長崎の被爆による放射能の問題を占領軍となったアメリカの意向に従って隠蔽した日本政府は、その後もアメリカなどの大国が行う核実験などには沈黙を守り、「第五福竜丸事件」の際にも被害の大きさの隠蔽が図られ、批判者へのいやがらせなどが起きたのです。

それゆえ、映画《ゴジラ》には情報を隠蔽することの恐ろしさや科学技術を過信することへの鋭い警告も含まれていたといえるでしょう。

リンク→『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

「ウィキペディア」によれば、「アメリカで正式な完全版の『ゴジラ』が上映されたのは2005年」とのことなので、アメリカの多くの国民は2005年にようやく「核実験」によって生まれた「ゴジラ」の哀しみを知ったといえるでしょう。

「平和憲法」がアメリカによって作られたと信じ、その「改変」を目指している安倍首相には、原爆の悲惨さと「ゴジラ」の哀しみにも日本人としてきちんと向き合ってほしいと願っています。

近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の発行に向けて

(2016年4月17日、改訂し図版を追加。6月21日、近著の紹介を追加)

 

齋藤博著『文明のモラルとエティカ――生態としての文明とその装置』(東海大学出版会、2006年)を「書評・図書紹介」に掲載しました

「書評・図書紹介」の最初のページに、学会誌『比較文明』(第23号)に掲載された『文明のモラルとエティカ――生態としての文明とその装置』の書評を再掲します。

齋藤博・東海大学名誉教授の文明学に対するご貢献については、論文集『文明と共存』の序文「混沌から共存へ」に記されているので、ここではそれを引用しておきます。

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新しい世紀を迎えた現在も世界の各地で宗教問題や民族問題を契機とした紛争が頻発し、イラク戦争も大義が見つからないままに混沌の度合いを深め、一部ではすでに宗教戦争の様相を示しているとの見方も出始めている。

このような意味で二十一世紀への新しい視点を確立するためにも、スピノザの専門的な研究成果をふまえて、「文明への問いは人間の共存の根拠を問うこと」であるとして、東海大学文明学の理論的な方向性を示された齋藤博教授の先駆的な学的試みは高く評価されねばならないだろう。

本著はそのような齋藤名誉教授の学恩を受けた大学院生卒業生の論文を中心にして編んだものであり、いわば各人における齋藤文明学の受容と自分の専門の視点からの発展が示されている。

本著が混迷から共存への方向性を模索する文明学の発展にささやかでも寄与できれば幸いである。

「アニメ映画《紅の豚》から《風立ちぬ》へ――アニメ映画《雪の女王》の手法」を「映画・演劇評」に掲載しました

  ようやく、11日に宮崎駿監督の《風立ちぬ》を見ることができました。

夏休み中ということもあり、600名ほども収容できる大ホールでの上映でしたが、最前列の数列が空いていた他は、ほとんど満席の状態でした。親子連れやカップルの多くが、巨大な入れ物に入ったポップコーンと飲み物を抱えて続々と入場してくるのを見たときには、騒音で映画に集中できないのではないかとも心配しましたが、映画が始まると画面に魅入られたように静かになりました。

このアニメ映画については、「アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』」と題したブログにまだ見ぬ前から記していましたが、見終わってからもよくぞあの複雑な世界観、文明観をアニメ映画というジャンルで描き出してくれたという思いからしばらくは席を立つことができませんでした。

これから何回かに分けてアニメ映画《風立ちぬ》の感想を「映画・演劇評」に書くことにします。

「映画・演劇評」に「映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観」を掲載しました

「黒澤明研究会」の9月例会では、映画《赤ひげ》の研究発表が行われることになりましたので、

映画《白痴》を理解する上でも重要な映画《赤ひげ》についても触れているエッセーを掲載します。

なお、映画《生きものの記録》や映画《夢》にも言及した2009年のこの小さなエッセーが、

拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)の骨格をなしていることも記しておきます。

「著書・共著」の『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)を更新しました

『黒澤明で「白痴」を読み解く』の「目次」を詳しいものと差し替えるとともに、

「はじめに」の抜粋を削除し、その代わりに私とドストエフスキー作品との出会いに触れている「あとがき」の一部を掲載しました。

今回、省いた映画《白痴》論は、いずれ「映画・演劇評」に掲載します。

なお、拙著の発行前に起きた原発事故に関心が集中してしまい、重要な方々の人名表記などに誤記がありましたので、訂正箇所を示しました。

映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》と映画《父と暮せば》

黒澤監督が映画《白痴》を撮ったことはよく知られていますが、長崎を舞台にした晩年の映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》からも、ドストエフスキーの理解の深さが感じられます。

このように書くと多くの人は奇異に感じるでしょうが、夏休みに長崎を訪れた孫たちの眼をとおして、原爆で夫を失った祖母の悲しみと怒りがたんたんと描かれているこの作品は、次のような点で『白痴』を連想させます。

1,場所の移動によって生じる主人公の祖母と子供たちとのふれあい(ここでは『白痴』とは異なり、移動してくるのは子供たちですが、その後に起こる事態は似ています)。

2,悲惨な事実には眼をつぶってでも、金儲けをしようとする打算的な世代に対する主人公と子供たちの怒り。

3,原爆という「非人道的な兵器」に、「殺意」を持った「眼」を感じる祖母の感性。

4,激しい雷から、原爆を連想して正気を失い、夫を助けようと雨の中を走り出す祖母の姿。

映画《白痴》に見られたような人間関係の激しい描写はあまりありませんが、『白痴』のテーマは響いており、心にしみこむような作品になっています。

広島を舞台に原爆によって亡くなった父と、生き残った娘との心の交流を描くほのぼのとした中にも鋭い問題提起も含んだ作家井上ひさしの劇の映画化である黒木和雄監督の《父と暮せば》とともに、「広島原爆の日」と「長崎原爆の日」には、「公共放送」であるNHKには毎年放映して頂きたいと願っています。

〈 「映画・演劇評」に「長崎原爆の日」にちなんで映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》を掲載しました〉より改題。(5月8日)

リンク→黒澤映画《八月の狂詩曲(ラプソディー)》

 

「長崎原爆の日」と日本の孤立化

広島に続いて長崎でも68回目の「長崎原爆の日」が訪れた。この時期に起きたことは、多くの人がすでに知っていることとは思うが、自分自身の備忘録としても残しておきます。

広島の平和式典に参加したオリバー・ストーン監督は、アメリカによる原爆の投下の正当化を「それは神話、うそだと分かった」と語るとともに、米軍が各国に軍事基地を展開していることも「非常に危ない」と批判しました(『東京新聞』、6日付け、朝刊)。

広島市の松井一実市長は6日の平和宣言で、核兵器を「絶対悪」と規定するとともに、4月にスイス・ジュネーブであった核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会などででは、核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同するなど、「核廃絶を訴える国が着実に増加している」のに、日本政府が賛同しなかったことを批判していました。

日本政府が進めている「インドとの原子力協定交渉についても、「良好な経済関係の構築に役立つ」としても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません」とも指摘していました。

9日の平和宣言で田上市長も、4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える80カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」と強く批判し、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と糾弾しました。

NPT非加盟のインドとの原子力協定交渉についても「核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化する」と懸念を示した。イスラエルやパキスタン、さらには北朝鮮などが現在、NPTに加盟していないことを思い起こすならば、この交渉が北朝鮮との非核化交渉にも影を落とすことは確実でしょう。

日本は島国ということもあり、国際的な視点から見ると奇妙に思える安倍首相の憲法観や麻生副総理のワイマール憲法観には、国内からの厳しい批判は出ていません。戦前の日本のように、いつの間にか「国際政治から孤立化」する危険性さえ見え始めています。

この意味で思い出されるのは黒澤明監督が、長崎で被爆した祖母を主人公とした映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》(一九九一)で、アメリカで経済的に成功した親戚に招かれたことで有頂天となり、アメリカの原爆投下を批判しない子供の世代を、孫たちの視点をとおして描くことで、日本の問題点を浮き彫りにしていたことです。

このことについてはすでに、拙著で触れていましたので「映画・演劇評」で引用しておきます。

「著書・共著」に『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)を掲載しました

今日のブログに書いた「麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

という題名の記事で、司馬遼太郎氏の普仏戦争観やヒトラー観にふれましたので、

この問題を論じている標記の著作の「はじめに」の抜粋と「目次」を

「著書・共著」のページに掲載しました。

麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた麻生副総理の発言は内外に強い波紋を呼びました。

しかし、この問題の討議をするために野党側から求められていた衆院予算委員会での集中審議開催を与党が拒否したために、重要な問題についての論戦もないままに臨時国会がわずか7月2日から7日までの期間で閉会することになったようです。

今回の与党側の対応は、「寝た子を起こすな」という慣用句がある日本独特のものでしょう。

マス・メディアからも辞任を求めるような強い論調の記事はあまり書かれていないようなので、「汚染水の流出と司馬氏の「報道」観」というブログ記事に書いたように、「人の噂も75日」ということわざもある日本では、この発言についても多くの人は忘れることになるでしょう。

 しかし、世界の多くの国々は、「過去を水に流す」という文化を持つ日本とは異なり、事実を文書に残すことを重視する文化を持っています。

麻生副総理の今回の発言は、欧米などを中心にこれからもことあるごとに引用されることになると思いますので、ここではナチス政権の誕生と日露戦争との関わりを簡単に記しておきます。

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『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創ったワイマール憲法下の平和を軟弱なものとして否定しました。

その一方でヒトラーは、フランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進んだのです。

問題は、「明治国家」で日本の陸軍がモデルにしたのが、普仏戦争に勝利したそのプロイセン陸軍だったことです。『坂の上の雲』でこのことにも詳しくふれていた司馬氏は、日露戦争での勝利を強調することの危険性も熟知していたのです。

あまり知られていないようなので、司馬氏のヒトラー観を紹介します。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」と問いかけた司馬氏は、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判していたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。