高橋誠一郎 公式ホームページ

2013年

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅳとブログの題名を説明している記事を掲載しました

 

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅳとして、12月9日以降のブログ記事と「風と大地と」という題名の由来を説明している記事を「ブログ記事・タイトル一覧」(物件)に掲載しました。

「特定秘密保護法案」関連の記事は朱で示し、「司馬作品から学んだこと」は青い字で示してあります。

「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで

「特定秘密保護法案」が不意に法案として提出されたときにまず浮かんだのは、司馬遼太郎氏がご存命だったら、厳しい批判のエッセーを多くの新聞や雑誌に発表して頂けただろうという思いでした。

しかし、司馬氏はすでに鬼籍に入られており、司馬氏の深い理解者だった作家の井上ひさし氏、ジャーナリストの青木彰氏、さらに文明学者の梅棹忠夫氏なども亡くなられていました。

こうして、多くの不備があるにもかかわらず、唐突に提出されたこの法案は、きちんとした批判が新聞や雑誌で行われず、国会での十分な議論も行われる前に強行採決されたのです。

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この「特定秘密保護法」が成立したとの報に接した時には、強い怒りを感じるとともに、司馬氏がこの「無残」ともいえる議会の状況を眼にされなくてよかったとも感じました。

なぜならば、司馬氏は『世に棲む日日』(文春文庫)において、当時は狂介と名乗っていた山県有朋が相手を油断させてたうえで「夜襲」をしかけたことを、武士ではなく足軽の発想であると厳しく断罪していたからです。

司馬氏の重い感慨を代弁していると思えるような半藤一利氏の記事「転換点 いま大事なとき」が、18日の「朝日新聞」に掲載されましたので、司馬氏の言葉とともに紹介して起きます。

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「この国はどこに向かおうとしているのでしょう。個人情報保護法だけでも参っていたのですが、特定秘密保護法ができた。絶望的な気分です。個人情報保護法で何が起きたか。軍人のメモや日記を調べに防衛省防衛研究所を訪ねても、「個人情報」にかこつけて見せてくれなくなった。」

歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。」

 「自民党の憲法改正草案には『公益および公の秩序』という文言が随所に出てきます。『公益』『公の秩序』はいくらでも拡大解釈ができる。この文言が大手をふるって躍り出てくることが、戦前もそうでしたが、歴史の一番おっかないところです。」

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 このような「悪法」を国民の強い反対にもかかわらず強行採決した安倍政権の支持率が今も高いのは、「アベノミクス」と名付けられた「バブル」を煽るような経済政策による一時的な好景気(感)に支えられたものだと思われますが、経済を優先させて日本人の倫理観を喪失させた「バブル」経済にもっとも厳しかった「有識者」の一人が司馬遼太郎氏でした。

「大地」の重要性をよく知っていた司馬氏は、「土地バブル」の頃には、「大地」が「投機の対象」とされたために、「日本人そのものが身のおきどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっている」ことを「明石海峡と淡路みち」(『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)で指摘していたのです。

しかも戦前や戦中の日本における「公」の問題も考察していた司馬氏は、「正しい意味での公」という「倫理」の必要性を次のように記していたのです。

すなわち、司馬氏は「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったとしました。そして司馬氏は、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。

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 半藤氏は「この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います」と結んでいます(「朝日新聞」12月18日、38面)。

私も司馬遼太郎の研究者として新聞記者・正岡子規の気概を受け継ぎつつ、これからもこのホームページをとおして21世紀の新しい文明の形を考察し、それを発信していきたいと考えています。

最後に、ブログのタイトル「風と大地と」の由来を説明している記事のリンク先を記しておきます。

アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』(ブログ)7月20日

「大地主義」と地球環境8月1日

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

「特定秘密保護法」の危険性を指摘した11月29日のブログ記事で次のように記しました。

「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。

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実際、この「特定秘密保護法」を強行採決した後で政府与党は、国会できちんと議論し、国民の了解を得て進めるべき重要な問題を次々と閣議のみで決定しています。

本来は先の参議院選挙は過去と同じような形で原発の進めるのかそれとも脱原発を選ぶのかという、将来の「国のかたち」が問われるべき選挙だったと思いますが、NHKやマスコミによって「衆参のねじれ」が解消できるかどうかという問題にすり替えられていたように思えます。

しかも、福島第一原子力発電所の汚染水の問題などが隠蔽されたままで行われたことや小選挙区制という制度によって、政府与党は少ない得票率で圧倒的な議席数を獲得しました。

このような形で成立した政権が、短期間に「この国のかたち」をも根本的にかえてしまうような制度を次々と決定していることには、重大な危機感を覚えざるをえません。

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 ことに、安倍政権がこれらの政策を「愛国心」の名の下に正当化していることについては、「東京新聞」(12月14日)が次のように指摘していました。

「安倍内閣が来週決定する国家安全保障戦略に『愛国心』を盛り込む方針だという。なぜ心の問題にまで踏み込む必要があるのか、理解に苦しむ。「戦争できる国」への序章なら、容認できない。(中略)

 文書になぜ「愛国心」まで書き込む必要があるのか。最終的な文言は調整中だが、安全保障を支える国内の社会的基盤を強化するために『国を愛する心を育む』ことが必要だという。生まれ育った国や故郷を嫌う人がいるのだろうか。心の問題に踏み込み、もし政策として愛国的であることを強制するのなら、恐ろしさを感じざるを得ない。

 そもそも、周辺国の愛国教育に懸念を持ちながら、自らも愛国教育を進めるのは矛盾ではないか。ナショナリズムをあおり、地域の不安定化に拍車をかけてしまわないか、慎重さも必要だろう(後略)」。

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実は、司馬遼太郎氏も、「坂の上」から「亡国への坂」に至る過程を分析することで、「国家」の名の下に「国民」に「沈黙」と「犠牲」を強いた「昭和初期の日本」における「愛国心」の問題を考察していました。

ここでは拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)の175頁から、深い危惧の念が記された文章を引用しておきます。

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ロシア帝国の高級官僚たちとの類似を意識しながら司馬は、日露戦争のあとで「教育機関と試験制度による人間が、あらゆる分野を占めた」が、「官僚であれ軍人であれ」、「それぞれのヒエラルキーの上層を占めるべく約束されていた」彼らは、「かつて培われたものから切り離されたひとびとで」あり、「わが身ひとつの出世ということが軸になっていた」とした。

そして、「かれらは、自分たちが愛国者だと思っていた。さらには、愛国というものは、国家を他国に対し、狡猾に立ちまわらせるものだと信じていた」とし、「とくに軍人がそうだった」とした後で司馬は、「それを支持したり、煽動したりする言論人の場合も、そうだった」と続けたのである(「あとがき」『ロシアについて』、文春文庫)。

 このような考察を踏まえて司馬はこう記すのである。「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」。

 さらに晩年の『風塵抄』で司馬は、「昭和の不幸は、政党・議会の堕落腐敗からはじまったといっていい」と書き、「健全財政の守り手たちはつぎつぎに右翼テロによって狙撃された。昭和五年には浜口雄幸首相、同七年には犬養毅首相、同十一年には大蔵大臣高橋是清が殺された」と記し、「あとは、軍閥という虚喝集団が支配する世になり、日本は亡国への坂をころがる」と結んだ(『風塵抄』Ⅱ、中公文庫)。

 (2016年2月10日。リンク先を追加)

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「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

先に掲載したブログ記事では、「グローバリゼーション」の流れに追随した安倍政権の教育政策が、「欧化と国粋」の二極化という危険性を孕んでいることを指摘しました。

そのような指摘は「言語とアイデンティティ」の重要性を認識して、「語学力」を重視し「読解力」を軽視した明治以降の言語教育の問題を指摘した司馬遼太郎氏のつぎのような記述に基づいています。敬称を略した形で引用します。

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司馬は、「言語の基本(つまり文明と文化の基本。あるいは人間であることの基本)は」、「母親によって最初に大脳に植えこまれた」「国語なのである」として、幼児期からの母国語によるきちんとした言語教育の重要性を強調している(司馬遼太郎「なによりもまず国語」『一六の話』中公文庫)。

さらに司馬は、その頃すでに持ち上がっていた「日本人は英語がへただから、多くを語らず、主張もひかえ目にする」という論理に対して、「そういうことはありえない。国語がへたなのである。英語なんて通訳を通せばなんでもない。いかに英語の達人が通訳してくれても、スピーカーの側での日本語としての国語力が貧困(多くの日本人がそうである)では、訳しようもない」と鋭い批判を放っているのである。

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2002年に国立民族学博物館で行われた比較文明学会での口頭発表にその後の考察を加えて大幅な改訂を行った論文「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「「主な研究(活動)」に掲載しました。

 

英語教育と母国語での表現力――「欧化」と「国粋」の二極化の危険性

 

少し古い記事になりますが、「東京新聞」の13日の記事に、文部科学省が「中学校の英語の授業を、原則として英語で行うことを決めた」ばかりでなく、小学校においても次のような方針が決められたことを報じていました。

「正式な教科でない『外国語活動』として実施している小学校は開始時期を小学5年から小学3年に前倒しし、5、6年は教科に格上げする」。

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この記事を読んですぐに連想したのは明治維新以降の文部官僚が行った教育政策のことでした。

正岡子規は英語の試験で苦しめられていましたが、それは当時の政府も「文明開化」のために英語のできる知識人の養成につとめていたからです。

しかし、日露戦争に勝ったことで日本が「一等国」になったとみなすようになった政府は、太平洋戦争に突入するころには英語を「敵性言語」と見なして、野球の用語からも英語を排斥するようになったのです。

ここにみられたのは「語学力」の偏重による「読解力」の軽視の結果だとも思えます。

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テレビやゲームなど視覚的な「情報」が増えてきた現在の日本では、すでに読解力の低下が見られ、文学作品などもその構造をふまえてきちんと読み解くのではなく、自分の主観による一方的な解釈を下す傾向が強くなっているようにも見えます。

母国語で書かれている「情報」を正しく読み取るだけでなく、自分の考えを正確に相手に伝えるためには、子供のころに日本語の能力を高めることが必要ですが、その時期に英語を強制的に学ばさせれることは、「英語を文明的な言語」と見なす若者を作り出す一方で、英語に対する反発をも産み出してしまうでしょう。

日本の伝統的な文化や「愛国心」を強調する一方で、経済政策だけでなく言語教育の面でもアメリカの要請に追随しているようにみえる安倍政権の政策は、「欧化と国粋」の二極化という危険性を孕んでいるように見えます。

 

「黒澤明・小林秀雄関連年表」を「年表」のページに掲載しました

 

12月15日に行われた黒澤明研究会の例会で「科学者の傲慢と民衆の英知――ドストエフスキーで映画《夢》と《生きものの記録》を解読する」と題した発表をしました。

映画《白痴》はともかく、ドストエフスキーで1954年の「第五福竜丸」事件をきっかけに撮られた《生きものの記録》や映画《夢》を解読するのは、強引過ぎると感じられる方も多いと思います。

しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグでラスコーリニコフに「人類滅亡の悪夢」を見させていましたが、1955年に公開された映画《生きものの記録》でも主人公が「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンが、そして映画《夢》では原発の爆発のシーンが描かれているのです。

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さらに《生きものの記録》が公開された翌年の12月には黒澤明と小林秀雄の対談が行われていました。

残念ながら、この対談記録は掲載されず、全体像を明らかにするような記録も残っていないのですが、断片的にはこのときの対談の模様を記した記事が残されていますので、ある程度はこの対談記録が消えた「謎」に迫ることが可能だと思われます。

この意味で重要だと思われるのは、1975年に行われた若者たちとの対談で黒澤明監督が、「小林秀雄もドストエフスキーをいろいろ書いているけど、『白痴』について小林秀雄と競争したって負けないよ。若い人もそういう具合の勉強のしかたをしなきゃいけない」と語っていたことです。

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黒澤明と小林秀雄との関係を時系列に沿って記すと、小林秀雄の「『白痴』についてⅡ」が、映画《白痴》公開の翌年から書かれていることや、長い中断を挟んで発表されたその第9章が、『虐げられた人々』のネリーを元にした少女が描かれている映画《赤ひげ》の制作発表パーティの翌年に書かれていることなどが浮かび上がってきます。

発表に際してドストエフスキーに焦点を絞って簡単な「黒澤明・小林秀雄関連年表」を作成しましたので、ホームページ用に改訂して「年表」のページに掲載します。

なお、この年表は映画《生きものの記録》と映画《夢》を論じるために作成したために、小林秀雄の『悪霊』論とも深く関わる1940年の『我が闘争』の読後感や、「英雄を語る」と題して行われた鼎談などには触れていません。

近日中にそれらも含めた年表を作成する予定です。

 

「学問の自由」と「特定秘密保護法」――情報公開と国民の主権

 

11月25日の定例記者会見で川勝平太・静岡県知事は、「特定秘密保護法案」について「悪法だ」と述べるとともに、その理由を「国家権力は国民の生活や生命を守るために存在する。権力の源泉は情報。主権は国民にあり、情報を知らなくていいという態度は間違っている」と説明していました。

 その川勝平太・知事が12月12日の定例記者会見でも、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法」について、「情報は誰のものなのかという議論がなく、成立は拙速。(内閣の)支持率が下がったのは健全な国民の判断だ」と改めて批判したことが朝日新聞のデジタル版で伝えられています。

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このような川勝知事の発言につながったのは、「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した「情報を隠蔽」する性質が強いことや、「国権」を強調することで「人権」を押さえつける性質の強いものであることが、成立後にいっそう明らかになってきたからでしょう。

たとえば、11月29日に自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していた自民党の石破茂幹事長は、12月11日の日本記者クラブでの記者会見では、会見後に発言を撤回したものの、特定秘密保護法によって指定される「特定秘密」を報道機関が報道し、安全保障に影響が生じた場合には、記者らが罰せられる可能性があるとの認識を示したのです。

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「東京新聞」5日の一面にはこの「法」に反対する決議や声明を出した団体の「一覧表」が掲載されていましたが、今日の「応答室だより」では、この一覧にもれていた団体や学会から指摘が続いたことが記されています。

川勝平太・静岡県知事は比較文明学会の理事でもありますが、「表現の自由」だけでなく「学問の自由」をも犯す危険性の強いこの「特定秘密保護法」に対する反対の声は、政治的な考えの違いを超えて様々な場からこれからも広めていく必要があるでしょう。

「国家」による「情報の隠蔽」の危険性については、作家の司馬遼太郎氏が何度も語っていましたので、別の機会に稿を改めて記すことにします。

近刊『黒澤明と小林秀雄』の関連記事のタイトルを掲載しました

 

先日、近刊予定の『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』を「著書・共著」に掲載しました。

以下に、関連する記事のタイトルをあげておきます。

 

「不注意な読者」をめぐって――黒澤明と小林秀雄の『白痴』観7月7日

劇《石棺》から映画《夢》へ 7月8日

映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観 8月12日

« 黒澤映画《夢》の構造と小林秀雄の『罪と罰』観  11月5日

ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』――小林秀雄と黒澤明のムィシキン観をめぐって(11月17日)

復員兵と狂犬――映画《野良犬》と『罪と罰』11月24日

小林秀雄の『虐げられた人々』観と黒澤明作品《愛の世界・山猫とみの話》 11月26日

「問い」としての沖縄――『島惑ひ』と『島影』(ともに人文書館)を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

今日、大城貞俊氏の『島影 慶良間や見いゆしが』(人文書館)が届きました。

以前にご贈呈頂いた伊波敏男氏の『島惑ひ 琉球沖縄のこと』(人文書館)と同じように、沖縄の歴史を踏まえつつ、日常的な生活の視点から厳しい状況を描いて書き手の感性が光る作品だと思いました。

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沖縄の問題は、きわめて重く、どのようなを切り口から記せばよいかが分からず、作品についての感想を書くことはこれまで延び延びになってきました。アメリカ軍と戦って勝てる可能性もなくなっていたにも関わらず、日本軍は沖縄を戦場として戦ったことで悲惨な状況を生み出していました。そして、戦後も政府はアメリカ軍の基地を沖縄に押しつけてきたのです。

しかし、伊波敏男氏は「特定秘密保護法」の危険性についてホームページ「かぎやで風」で「国凍てて民唇寒し枯れ落ち葉」と詠んでいますが、12月6日に「特定秘密保護法」が強行採決されたことで、今後は日本全体が急速に「沖縄化」していくことになると思われます。

厳しい状況を耐えつつ、粘り強く新しい価値観の模索をしてきた沖縄のことを知ることは、これからの日本を考える上でもきわめて重要でしょう。

これらの著作についてはいずれきちんと論じたいと考えていますが、今はまだ時間的な余裕がないので「書評・図書紹介」のページでこの二作の目次などの簡単な紹介をすることにします。

それとともに、沖縄の問題を考察した司馬遼太郎氏と「沖縄の石」が重要な役割を演じている映画《白痴》について考察の一部を以下に掲載することで、沖縄問題の重要性に注意を促すことにしたいと思います。

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私が初めて沖縄を訪れたのは比較文明学会第18回大会が行われた2000年のことで、ガマと呼ばれる洞窟などを見学する中でおぼろげながら沖縄戦の激しさの一端を体感することができた。

その翌年に 司馬遼太郎氏の『沖縄・先島への道』(一九七四)を考察する論文を書き、拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)に収めた。

「石垣・竹富島の章で司馬氏は、ペリーの艦隊が沖縄にも「上陸して地質調査をしたところ、石炭が豊富であることがわかったと書いていた。

その記述について、私は 「『沖縄・先島への道』での司馬の視線は、日本の近代化に大きな役割を果たしたペリーの開国交渉が、すでに沖縄の位置の戦略的な重要性を踏まえており、現在の基地の問題にも直結していることを見ていたのである」と記した。ここではその後の司馬氏の文章を引用しておく。                                  

 

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こうして、この作品の冒頭近くにおいて司馬は、「住民のほとんどが家をうしない、約一五万人の県民が死んだ」太平洋戦争時の沖縄戦にふれつつ、「沖縄について物を考えるとき、つねにこのことに至ると、自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲って」くると書いている。

さらに、その頃論じ始められていた沖縄の独立論に触れつつ、「明治後、『日本』になってろくなことがなかったという論旨を進めてゆくと、じつは大阪人も東京人も、佐渡人も、長崎人も広島人もおなじになってしまう。ここ数年間そのことを考えてみたが、圧倒的に同じになり、日本における近代国家とは何かという単一の問題になってしまうように思える」(傍点引用者)という重たい感想を記すのである(『沖縄・先島への道』「那覇・糸満」)。

   この時、司馬遼太郎はトインビーが発した「国民国家」史観の批判の重大さとその意味を実感し、「富国強兵」という名目で「国民」に犠牲を強いた近代的な「国民国家」を超える新しい文明観を模索し始めるのである。

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私の沖縄観が強い影響を受けているのが、映画《白痴》における「沖縄の石」のエピソードである。

映画《白痴》では、まず冒頭のシーンで、戦場から帰還した亀田欽次(ムィシキン――森雅之)が北海道に向かう船の三等室で夜中に悲鳴をあげる。近くにいた赤間伝吉(ロゴージン――三船敏郎)に問われると、自分は復員途中で戦犯として死刑の宣告を受け、銃殺寸前に刑は取りやめになったが、その後何度も発作を起こして沖縄の病院で治療したものの、癲癇性痴呆になり今も夢の中で銃殺される光景を見たのだと説明する。

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 後に、那須妙子をめぐって二人の緊張が高まったころに、赤間が「お守り」を大事に持っていることを知った亀田は自分は「石ころ」大切に持っていると語り、それは死刑の「そのショックで発作を起したって言ったろ……その時、夢中でその石つかんでたのさ」と説明した。

   沖縄が第二次世界大戦でも有数の激戦地となり、軍人だけでなく多くの民間人も殺されていたことを考慮するならば、この映画では激戦地沖縄で拾った「石ころ」が、戦争という悲劇のシンボルとして描かれていたように思える。

 こうして黒澤明は《白痴》において「十字架の交換」のシーンを、「お守り」と「沖縄の石」の交換に代えることで、「殺すなかれ」という理念が、キリスト教だけでなく、仏教や社会主義においても共有される「普遍的な理念」であることを視覚的に示していたのである。

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伊波敏男氏と大城貞俊氏の著作を読んで感じたのは、お二人が詩人としての感性を持った作家だということです。

「図書紹介」では著者の詩を紹介することで書評に代えます。

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』の概要と目次案を「著書・共著」に掲載しました

 

ここのところしばらく「特定秘密保護法案」の問題と取り組んでいたために、拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』の執筆から遠ざかっていました。

まだ、完成稿の段階ではありませんが、執筆に向けて集中力を高めるためにも、その概要と目次案を先に公開することにしました。

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この著書では映画《夢》を小林秀雄の『罪と罰』観との比較を通して考察しているだけでなく、映画《生きものの記録》とドストエフスキーの『死の家の記録』との比較も行っています。

来年はビキニ沖で行われたアメリカの水爆実験により「第五福竜丸」が被爆した事件から60周年にあたりますが、この事件をきっかけに撮られた黒澤明監督の映画《生きものの記録》(1955年)は、興行的にはたいへんな失敗となりました。

前作の《七人の侍》が大ヒットしたにもかかわらず、この映画がなぜヒットしなかったのを考えることは、チェルノブイリ原発事故と同じような規模の原発事故が福島第一原子力発電所で起こり、今も収束していない日本において、国内における原発の推進や海外への販売が進められるようになった理由を「考えるヒント」にもなるでしょう。

さらに、黒澤映画を通して小林秀雄のドストエフスキー観を考察することにより、日本の一部の研究者が矮小化して伝えようとしているドストエフスキーの全体像を明らかにすることができると思います。