高橋誠一郎 公式ホームページ

『坂の上の雲』

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年)

ISBN978-4-903174-33-4_xl 

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館のホームページより転載)

 

目次  

序章 木曽路の「白雲」と新聞記者・正岡子規

一、子規の「かけはしの記」と漱石の『草枕』

二、子規の時代と「写生」という方法

三、本書の構成  

第一章 春風や――伊予松山と「文明開化」

一、辺境から眺める

二、「あらたな仕官の道」――秋山好古の青春

三、「まげ升〔のぼ〕さん」

四、司法省法学校と士官学校のこと

五、一二歳の編集者「桜亭仙人」と「黒塊(コツクワイ)」演説

六、松山中学と小説『坊つちゃん』  

第二章 「天からのあずかりもの」――子規とその青春

一、「文明開化のシンボル」――鉄道馬車

二、「栄達をすててこの道を」――子規の決断

三、真之の「置き手紙」――海軍兵学校と英国式教育

四、ドイツ人を師として――好古と陸軍大学校

五、「笑止な猿まね」――日露の近代化の比較

六、露土戦争とロシア皇帝の暗殺

七、「泣かずに笑へ時鳥」――子規と畏友・漱石のこと

八、「時代の後ろ盾」――子規の退寮事件  

第三章 「文明」のモデルを求めて――「岩倉使節団」から「西南戦争」へ

一、『翔ぶが如く』――「明治国家の基礎」の考察

二、「征韓論」――「呪術性をもった」外交

三、「文明史の潮合」に立つ

四、ポーランドへの視線とロシア帝国と日本の比較

五、「新聞紙条例と讒謗律」から「神風連と萩の乱」へ

六、「乱臣賊子」という用語――ロシアと日本の「教育勅語」  

第四章  「その人の足あと」――子規と新聞『日本』

一、「書(ふみ)読む君の声近し」――陸羯南と子規

二、「国民主義」と「大地主義」

三、陸羯南と加藤拓川

四、獺祭書屋(だっさいしょおく)主人

五、羯南という号――「北のまほろば」への旅

六、新聞『小日本』と小説「月の都」

七、日清戦争と詩人の思想

八、子規の「従軍記事」

九、「愚陀仏庵」での句会――「写生」という方法  

第五章 「君を送りて思ふことあり」――子規の眼差し

一、「竹ノ里人」の和歌論と真之――「かきがら」を捨てる

二、「倫敦消息」――漱石からの手紙

三、「澄んだ眼をしている男」――広瀬武夫のピエール観

四、虫のように、埋め草になって――「国民」から「臣民」へ

五、奇跡的な「大航海」と夢枕に立つ「竜馬」

六、新聞の「叡智(えいち)と良心」

七、驀進(ばくしん)する「機関車」と新聞『日本』

八、「明治の香り」――秋山好古の見識  

終章 「秋の雲」――子規の面影

一、「雨に濡れる石碑」

二、「僕ハモーダメニナッテシマツタ」――子規からの手紙

三、「柿喰ヒの俳句好き」と広田先生

四、「写生の精神」  

参考文献

本書関連・正岡子規簡易年表

あとがき  

 

お詫びと訂正

カバー・そでに記載されている私の肩書きに間違いがありましたので、お詫びの上、訂正致します。

(誤)比較文明学会理事→(正)元比較文明学会理事  

 

書評・紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

‘18.03.31   紹介『異文化交流』第18号(佐藤浩一氏)

‘17.03.31   書評『比較文学』第59巻(松井貴子氏)

‘17.03.13   書評『ユーラシア研究』第55号(木村敦夫氏)

 →新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」人文書館のブックレビュー

‘16.11.15   書評 『比較文明』No.32(小倉紀蔵氏)  

 →新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』、人文書館のブックレビュー

‘16.07.10 書評 『世界文学』No.123(大木昭男氏)

  →『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』、人文書館のブックレビュー

‘16.02.16 紹介 『読書会通信』154号(長瀬隆氏)

 →「『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』を推挙する」  

 

リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

リンク→年表Ⅲ、正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)  

(2019年2月25日、加筆)

『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

31525178  

「目次」

はじめに――「平和論」の構築と『坂の上の雲』

序章 『坂の上の雲』と「司馬史観」の深化

一、『坂の上の雲』と「辺境史観」

二、事実の認識と「司馬史観」の深化

三、「司馬史観」の連続性と「皇国思想」の批判

四、「司馬史観」の深化と「国民国家」史観の批判

五、比較という方法と「司馬史観」の成熟  

第一章 「国民国家」の成立――自由民権運動と明治憲法の成立

一、「皇国」から「国民国家」へ――坂本竜馬の志

二、江戸時代の多様性と秋山好古

三、福沢諭吉の教育観と「国民国家」の形成

四、二つの方向性――「開化と復古」

五、自由民権運動と国会開設の詔勅

六、自由民権運動への危惧――「軍人勅諭」から「教育勅語」へ

第二章  日清戦争と米西戦争――「国民国家」から「帝国」へ

一,軍隊の近代化と普仏戦争

二,「文明・半開・野蛮」の序列化と「福沢史観」の変化

三、日清戦争と参謀本部――蘆花の『不如帰』と『坂の上の雲』

四、秋山好古と大山巌の旅順攻略――軍備の近代化と観察の重要性

五、立身出世主義の光と影

六、日清戦争の勝利と「帝国主義」――徳富蘇峰と蘆花の相克

七、米西戦争と「遅まきの帝国主義国」アメリカ

第三章  三国干渉から旅順攻撃へ――「国民軍」から「皇軍」への変貌

一、三国干渉と臥薪嘗胆――野蛮な帝国との「祖国防衛戦争」

二、「列強」との戦いと「忠君愛国」思想の復活

三、方法としての「写実」――「国民国家」史観への懐疑と「司馬史観」の変化

四、先制攻撃の必要性――秋山真之の日露戦争観

五、南山の死闘からノモンハン事件へ――軍隊における藩閥の考察

六、旅順の激戦と「自殺戦術」の批判――勝つためのリアリズム

七、トルストイの戦争批判と日露戦争――「情報」の問題と文学

第四章  旅順艦隊の敗北から奉天の会戦へ――ロシア帝国の危機と日本の「神国化

一、極東艦隊との海戦と広瀬武夫――ロシア人観の変化

二、提督マカロフの戦死――機械水雷と兵器についての考察

三、バルチック艦隊の栄光と悲惨――ロシア帝国の観察と考察

四、情報将校・明石元二郎と「血の日曜日事件」――帝政ロシアと革命運動

五、日露戦争と「祖国戦争」との比較――奇跡的な勝利と自国の神国化

六、奉天会戦――「軍事同盟」と「二重基準」の問題

第五章 勝利の悲哀――「明治国家」の終焉と「帝国」としての「皇国」 

一、日本海会戦から太平洋戦争へ――尊王攘夷思想の復活

二、バルチック艦隊の消滅と秋山真之の憂愁――兵器の改良と戦死者の増大

三、日露戦争末期の国際情勢と日比谷騒動――新聞報道の問題

四、蘆花のトルストイ訪問と「勝利の悲哀」――日露戦争後の日本社会

五、大逆事件と徳富蘇峰の『吉田松陰』(改訂版)

六、「軍神」創造の分析――『殉死』から『坂の上の雲』へ

終章 戦争から平和へ――新しい「公」の理念

一、日露戦争後の「憲法」論争と蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』

二、「愛国心」教育の批判と『ひとびとの跫音』

三、『坂の上の雲』から幻の小説『ノモンハン』へ

四、「昭和初期の別国」と「大東亜戦争」――統帥権の考察

五、「共栄圏」の思想と強大な「帝国」との戦争

六、「自国中心史観」の克服――「特殊」としての平和から「普遍」としての平和へ

あとがき/主要登場人物、生没年/簡易年表/引用文献と主な参考文献

 

書評と紹介

(ご対談とご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

(特別対談) 「『坂の上の雲』から見えるもの―― 司馬遼太郎の「平和観」をめぐって」『望星』8月号(伊東俊太郎氏)

書評 『比較文明』第21号(神川正彦氏)

書評 『異文化交流』第七号(田中信義氏)

紹介 『司馬遼太郎の平和観―「坂の上の雲」を読み直す―』(杉山文彦氏、2005年)

紹介 『東海大学新聞』(2005年、5月5日号)

   *   *

関連記事 高橋「教科書に採用されにくかった大作群」『ダカーポ』(2005年8月17日号)

*   *   *

「はじめに」より

司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』における歴史観をめぐっては、生前から論争が起きていましたが、イラク戦争の影響や東アジア状勢の緊張を受けて、「“坂の上の雲”をめざして再び歩き出そう」という勇ましいタイトルでの対談が雑誌に掲載されるなど、『坂の上の雲』を「日露戦争」を賛美した小説とする言論が再び増えています。 (中略)

しかし、司馬は『坂の上の雲』の終章を「雨の坂」と名付けることで、“坂の上の雲”が日露戦争後には明るい白雲から、「国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」「大東亜戦争」にまで続く黒い雨雲に変わっていたことを象徴的に示していました。(中略)

司馬遼太郎の弟分とも見なされるほどに親しかった後輩の青木彰氏は、司馬の「ファンと称する政治家、官僚、財界人といった人々」が、司馬作品を誤読していることに対して、「もっとちゃんと読めばいいのにと私は思いますが」と厳しい苦言を呈しています(『司馬遼太郎と三つの戦争――戊辰・日露・太平洋』朝日新聞社)。

『坂の上の雲』をきちんと読み直すことは、「自国の正義」を主張して「愛国心」などの「情念」を煽りつつ「国民」を戦争に駆り立てた近代の戦争発生の仕組みを知り、「現実」としての「平和」の重要性に気づくようになる司馬の歴史認識の深まりを明らかにするためにも焦眉の作業だと思えます。    

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)

4877039090

 

「目次」より

はじめに――「新しい戦争」と「グローバリゼーション」

第一章 激動の時代とアイデンティティの模索――『竜馬がゆく』

ペリー艦隊の来航と幕末の日本

福沢諭吉の文明観と方法としての比較

英雄化と神話化――『竜馬がゆく』と『白痴』

「国民」の成立――勝海舟と坂本竜馬

「正義」とテロリズムの考察

「美学」から「事実」へ――「叙述の方法」と作風の変化

二つの方向性――「開化」と「復古」

第二章  「文明の衝突」と「他者」の認識――『坂の上の雲』

「国民国家」の成立と教育制度

教育における「欧化と国粋」の対立

前期「司馬史観」と後期「福沢史観」

ロシア認識の深まり――方法としての「写実」

日本の鏡としてのロシア――「他者」と「自己」の認識

「坂の上の雲」の彼方に――「雨の坂」

第三章  「国民国家」史観の批判――『沖縄・先島への道』

「琉球王朝」の考察――周辺文明論の視点から

アイデンティティの危機と歴史認識

日本文化論の変容と「司馬史観」の変化

近代的な教育と戦争

「正義」の戦争と「野蛮」の征伐

「報復の権利」と「復讐」の連鎖

「多様性」の考察――方言とヤポネシア論

第四章 「文明の共生」と「他者」との対話――『菜の花の沖』

黒潮の流れが結ぶ世界――『菜の花の沖』の構造

江戸期の日本とロシアの比較――高田屋嘉兵衛の時代

「文明」と「野蛮」の考察――周辺文明論的な視点から

高田屋嘉兵衛の国家観と「江戸文明」の独自性

比較文明学的な視野と言語の問題

多様な価値の認識――方法としての対話

第五章 「公」としての地球――司馬遼太郎の文明観

「文明開化」とグローバリゼーション

「ひとびと」の認識――坂本竜馬から中江兆民へ

二つの憲法――明治憲法と平和憲法

他者の認識――「公」としての「自然」

注/  引用・参考文献

書評と紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

書評 『比較文明』第19号(米山俊直氏)

書評 『比較思想』第30号(寺田ひろ子氏)

書評 『異文化交流』第7号(金井英一氏)

紹介 『異境』第18号(来日ロシア人研究会)

紹介 『軍事問題資料』(2003年)

 

*   *   *

「あとがき」より

『竜馬がゆく』を学生時代に読んだ私は、それまでの時代小説にはなかったような雄大な構想に魅了された司馬氏の作品を愛読するようになった。ただ、すべての作品を丹念に読むという熱心な読者ではなく、その時々に暇を見つけては本屋の棚に並んでいる氏の作品を買って読むというタイプの気まぐれな読者だったし、司馬氏の豊かな想像力に感心していただけでもあった。

しかし、日露戦争を描いた長編小説『坂の上の雲』を読み終えた後では、歴史上の人物を描き出す氏の視線が、日本やロシアという国家そのものへの問いと直結していたことを知り、さらに、日露戦争の危機もはらんでいた二つの異なる文明国の接触を未然に防いだ江戸時代の商人、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた『菜の花の沖』を読んだ時には、想像力を羽ばたかせて書いていた以前の時代小説的な作風から、時代考証に支えられた重厚な作風に変わってきていることに驚かされ、その周辺文明論的な視野の広がりと深まりに感嘆した。こうして、『ロシアについてーー北方の原形』を読んだ時には、氏の文明観を一度きちんとした形で考察せねばならないと感じた。残念ながら、それを果たせないうちに司馬遼太郎氏が突然亡くなられ、私は「文明史家司馬遼太郎の死を悼む」という短文を同人誌に発表した。

(中略)

価値が混沌とした時代には、自国の「正義」を強調することにより、「戦争」へ駆り立てようとする「威勢の良い」著作や論調が、戦時下の法制によって国内の腐敗を隠しつつ、強圧的な形で世論の統一を図ろうとする権力者によって重宝される。

しかし、戦時中に戦争の終結を謀ったことで、東条英機の怒りを買い二等兵として召集され、南方戦線へと飛ばされた松前重義・前東海大学総長は、生還した後には教育をとおして平和と共存の理念を高く掲げた。

高田屋嘉兵衛や坂本竜馬のように、自分の生命をも危険にさらしながら平和の可能性を真剣に模索した勇気ある人々こそが、新しい時代を切り開いてきたことを深く心に刻んでおきたい。

(後略)

*   *   *

リンク先

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(人名・書名索引)

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(事項索引)

 訂正

 下記の箇所をお詫びして訂正いたします。

8頁後から2行目  外国語大学→ 外国語学校

64頁1行目 秋古→ 好古

後ろから6行目 好古に→ 好古は

102頁4行目 (石垣・竹富島)→トルツメ

118頁後ろから4行目 いること→ いるの

130頁6行目 水面しかない湖→ 潮

後から5行目 龍馬→ 竜馬

137頁後から7行目 龍馬→ 竜馬

149頁後から6行目  国に→「国に

184頁2行目 文章日本→ 文章日本語

186頁後から2行目 ことを事を計らず→ を計らず

200頁11行目 追加、一九八五年、四六~八頁

204頁8行目 拝外と拝外→ 拝外と排外

『司馬遼太郎とロシア』(東洋書店、2010年)

4885959497

 

「目次」

はじめに―― 歴史認識の問題と『坂の上の雲』

第一章 若き司馬遼太郎と方法の生成

冒険小説『敵中横断三百里』/モンゴルからの視点と『史記』/『ロシアについて――北 方の原形』/徳冨蘆花への関心とトルストイ理解/トルストイのドストエフスキー観と司 馬遼太郎/学徒出陣と「敵」としてのロシア

第二章 幕末の日本とロシア

ロシア船による密航の試みとクリミア戦争/井伊直弼とアレクサンドル二世「暗殺」の比 較/「竜馬」像の変遷と「明治国家の呪縛」/ロシア宮廷と山県有朋/「隠蔽」という方 法と歴史的事実

第三章 ロシアと日本の近代化の比較

ロシアの「西洋化」と「国粋」/「文明国」の情報の問題/言語教育と「コトバの窓」/ 「西洋化」の再考察/コザックと武士の比較

第四章 日露戦争と「国民国家」日本の変貌

旅順要塞とセヴァストーポリの攻防/広瀬武夫と石川啄木のマカロフ観/専制国家と官僚 /ポーランドの併合と韓国併合/「国家を越えた人間の課題」/「勝利の悲哀」

終章  司馬遼太郎の文明観

『坂の上の雲』映像化の問題点/「亡国への坂をころがる」/「皮相上滑りの開化」/「特殊性」から「普遍性」へ

注/関連年表

*    *    *

「はじめに」より

『坂の上の雲』を書き終えたあとで司馬は、「私などの知らなかった異種の文明世界を経めぐって長い旅をしてきたような、名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」と書くが、この言葉は日露戦争という近代の大戦争の考察をとおして、司馬がいかに帝政ロシアという「異種の文明世界」の奥深くにまで入り込んで観察していたかを物語っていると思える。
それゆえ本書では、『坂の上の雲』を書き終えた後で、江戸時代に勃発寸前までに至った日露の衝突の危機を防いだ商人高田屋嘉兵衛を主人公とした大作『菜の花の沖』を一九七九年から八二年にかけて書いた司馬が、一九八六年には『ロシアについて――北方の原形』で、ロシアという国家の原形にも迫ろうとしたにも注意を払いながら、日本とロシアの近代化の問題に焦点を当てることで、司馬のロシア観の深まりを考察することにしたい。
この作業をとおして、司馬遼太郎が単なる流行作家ではなく、現代の世界状況をも予見するような、すぐれた文明史家であったことを示すだけでなく、なぜ司馬が『坂の上の雲』の映像化を禁じたのかをも明らかにできるだろう。