目次
日本の読者の皆様へ
序論 ロシアにおける自由の概念
『地下室の手記』を読む
序
Ⅰ 作品の背景
一、文学的背景
二、論争の背景
Ⅱ 『地下室の手記』注釈
第一部注釈
一.悪意 /二.意識 /三.壁 /四.病、苦痛 /五.責任と原因 /六.すべて美にして崇高なるもの /七.自己利益 /八.欲望 / 九.二かける二 /一〇.水晶宮 /一一.作者対読者
第二部注釈
Ⅲ 批評史・研究史
原注・訳注
付論
日本における『地下室の手記』――初期の紹介とシェストフ論争前後 池田和彦
『地下室の手記』の現代性――後書きにかえて 高橋誠一郎
参考文献/索引
書評
(この場をお借りして深く御礼申し上げます。)
書評 木下豊房氏『ドストエーフスキイ広場』第16号、2007年
(木下豊房ネット論集『ドストエフスキーの世界』www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost200.htm所収)
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日本の読者の皆様へ
ミレニアム・イヤーにあたる二〇〇〇年に、私は千葉大学でのドストエフスキイ研究集会に参加する栄をえました。たくさんの研究者が加わったこの研究集会の成功は、ドストエフスキイにたいする世界的な関心を語るだけでなく、日本においてドストエフスキイが高く評価されていることを明らかに示すものでした。
じっさいドストエフスキイは私たちの現代社会に示唆するところが多く、『地下室の手記』はドストエフスキイの鍵となる作品で、西欧文明の饒舌な思いあがりや価値観にたいする数多くの批判を提供しています。ロシアの視点から書いていたドストエフスキイは、ロンドンでの万国博に代表されるような科学や功利主義、そして一九世紀の貿易の「グローバリゼーション」が文明化を促進させる原動力であると見る西欧のオプチミスムを必ずしも共有していませんでした。(中略)
『地下室の手記』が一八六四年にはじめて発表されたとき、ロシアはすでに西欧流の改革のプログラムにのりだしていました。ドストエフスキイは、「地下室」の主人公をつうじて、ロシア社会の発展についてだけでなく、西欧の価値観そのものに多くの懸念を表明することができました。(後略)
リチャード・ピース(Richard Peace)