「目次」
はじめに―― 歴史認識の問題と『坂の上の雲』
第一章 若き司馬遼太郎と方法の生成
冒険小説『敵中横断三百里』/モンゴルからの視点と『史記』/『ロシアについて――北 方の原形』/徳冨蘆花への関心とトルストイ理解/トルストイのドストエフスキー観と司 馬遼太郎/学徒出陣と「敵」としてのロシア
第二章 幕末の日本とロシア
ロシア船による密航の試みとクリミア戦争/井伊直弼とアレクサンドル二世「暗殺」の比 較/「竜馬」像の変遷と「明治国家の呪縛」/ロシア宮廷と山県有朋/「隠蔽」という方 法と歴史的事実
第三章 ロシアと日本の近代化の比較
ロシアの「西洋化」と「国粋」/「文明国」の情報の問題/言語教育と「コトバの窓」/ 「西洋化」の再考察/コザックと武士の比較
第四章 日露戦争と「国民国家」日本の変貌
旅順要塞とセヴァストーポリの攻防/広瀬武夫と石川啄木のマカロフ観/専制国家と官僚 /ポーランドの併合と韓国併合/「国家を越えた人間の課題」/「勝利の悲哀」
終章 司馬遼太郎の文明観
『坂の上の雲』映像化の問題点/「亡国への坂をころがる」/「皮相上滑りの開化」/「特殊性」から「普遍性」へ
注/関連年表
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「はじめに」より
『坂の上の雲』を書き終えたあとで司馬は、「私などの知らなかった異種の文明世界を経めぐって長い旅をしてきたような、名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」と書くが、この言葉は日露戦争という近代の大戦争の考察をとおして、司馬がいかに帝政ロシアという「異種の文明世界」の奥深くにまで入り込んで観察していたかを物語っていると思える。
それゆえ本書では、『坂の上の雲』を書き終えた後で、江戸時代に勃発寸前までに至った日露の衝突の危機を防いだ商人高田屋嘉兵衛を主人公とした大作『菜の花の沖』を一九七九年から八二年にかけて書いた司馬が、一九八六年には『ロシアについて――北方の原形』で、ロシアという国家の原形にも迫ろうとしたにも注意を払いながら、日本とロシアの近代化の問題に焦点を当てることで、司馬のロシア観の深まりを考察することにしたい。
この作業をとおして、司馬遼太郎が単なる流行作家ではなく、現代の世界状況をも予見するような、すぐれた文明史家であったことを示すだけでなく、なぜ司馬が『坂の上の雲』の映像化を禁じたのかをも明らかにできるだろう。