日本では「孫」と名乗る人物からの電話でありもしない事実を伝えられると「祖父や祖母」の世代が簡単に信じてしまうという「オレオレ詐欺」が今も多発しています。
そのことを不思議に思っていた私は、語り手の「ぼく」とその姉が「自分のルーツ」を求めて主人公・宮部久蔵についての取材を重ねるうちに、「臆病者」とされた祖父の美しい家族愛や「カミカゼ」特攻隊員たちの実像を知ることになる『永遠の0(ゼロ)』を読み終えた後では、この小説の構造が「オレ、オレ詐欺」の構造ときわめて似ているという印象を受けました。
なぜならば、「オレオレ詐欺」も初期には一人が「孫」になりすまして、どうしても今、金がほしいという理由を語っていたのですが、その後、大規模な劇場型のものが現れ、何人もの人間が「孫」や「被害者」、「警察官」などの役を演じ分けて壮大な「物語」を作り上げ、相手を信じ込ませるようになってきているからです。
(振り込め詐欺 撲滅キャンペーン 巣鴨信用金庫。図版は「ウィキペディア」より)
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小説の発端は前回の記事「宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)」でも記したように、語り手の「ぼく」が「戦争体験者の証言を集めた本」を出版する新聞社のプロジェクトのスタッフに採用された「姉」を手伝うことになるところから始まります。
こうして、特攻隊員として死んだ実の祖父のことを知る「当時の戦友たち」をたずねて話を聞く中で、新聞記者・高山の影響もあり特攻隊員のことを「狂信的な愛国者」と思っていた「姉」の考えが次第に変わり、恵まれた境遇にいる新聞記者の高山ではなく、祖父・大石賢一郎の事務所でアルバイトをしながら司法試験を目指していた藤木秀一との真の愛に目覚めるたようになっていく過程が描かれているのです。
小説の構造を詳しく分析するたけの時間的な余裕がありませんので、ここでは講談社文庫によって『永遠の0(ゼロ)』の構成をまず示しておきます。
「プロローグ/ 第1章 亡霊 11頁/ 第2章 臆病者 27頁/ 第3章 真珠湾 55頁/ 第4章 ラバウル 122頁/ 第5章 ガダルカナル 194頁/ 第6章 ヌード写真 256頁/ 第7章 狂気 299頁/ 第8章 桜花(おうか) 376頁/ 第9章 カミカゼアタック 415頁/ 第10章 阿修羅 452頁/ 第11章 最後 503頁/ 第12章 流星 531頁/ エピローグ」
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この小説の第9章「カミカゼアタック」ではプロジェクトの企画者である新聞記者の高山が、「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則からその平和思想を批判され、「帰ってくれたまえ」と言われてすごすごと退散する場面が描かれています。
ただ、新聞記者の高山隆司との対決で、武田貴則の方に分があるように見えるのは、それまでの小説の流れで最初は誠実そうに見えていた新聞記者・高山の軽薄さに対する読者の反発が生まれるような構造になっているためだと思われます。
たとえば、第7章「狂気」で百田氏は戦時中に小学校の同級生の女性と結婚した特攻兵の谷川に、戦場で命を賭けて戦っていた自分たちと、日本国内で暮らしていた住民を比較して、次のような激しい怒りの言葉を吐かせています。
すなわち、「戦争が終わって村に帰ると、村の人々のわしを見る目が変わっていた。」と語った谷川は、「昨日まで『鬼畜米英』と言っていた連中は一転して『アメリカ万歳』と言っていた。村の英雄だったわしは村の疫病神になっていたのだ。」と続けていたのです。
ここには現実認識の間違いや論理のすり替えがあり、「一億玉砕」が叫ばれた日本の国内でも、学生や主婦に竹槍の訓練が行われ、大空襲に襲われながら生活し、また「鬼畜米英」というような「憎悪表現」を好んで用いていたのは、戦争を煽っていた人たちで一般の国民はそのような表現に違和感を覚えながら、処罰を恐れて黙って従っていたと思われます。
映画《少年H》でも描かれていたように、戦後になると一転して「アメリカ万歳」と言い始めたのも庶民ではなく、「時流」を見るのに敏感な政治家たちだったのです。
しかし、百田氏は谷川に「戦後の民主主義と繁栄は、日本人から『道徳』を奪った――と思う。/ 今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。六十年前はそうではなかった」と語らせているのです。
宮崎監督の「神話の捏造」という批判に対して、百田氏は「私は徹底して戦争を、特攻を否定している」と反論していましたが、三百万以上の自国民を死に至らしめただけでなく、韓国を併合し、満州を植民地化してアメリカ、イギリス、オランダ、中国などと戦争することになる当時の「道徳」を百田氏は賛美していたのです。
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ゆっくりと分析すると面白いのですが、最大の山場である第9章に至るまでには、この小説には様々な伏線が引かれており、「海軍一の臆病者」、「何よりも命を惜しむ男だった」と非難された祖父が、「家族への深い愛」と奇跡的な操縦術を持つ勇敢なパイロットであったことが関係者への取材をとおして次第に明らかになるという「家族の物語」的な構造を持っています。
しかし、その一方で新聞記者の高山には、戦争への批判を封じた「新聞紙条例」や「讒謗律」など一連の法律に言及して反論する機会は与えられていません。
「ぼく」の姉の慶子もフリーライターとはいえ30歳という年齢を考えれば、戦争や当時の状況についてのかなりの知識をもっているはずなのですが、かつての「特攻隊員」たちの言葉から衝撃を受け、「表情を曇らせ」涙を流すだけで、自分が引き受けた仕事を投げ出して弟に任せるようになったと描かれているのです。
それらの箇所を読んだ後では、最初は誠実そうに見えるが次第にその軽薄さが明らかになる新聞記者の高山という人物は、実は「オレオレ詐欺」のヒール(悪役)を演じる人物であり、姉の慶子もその助手をしているように思われました。
なぜならば、新聞記者の高山の「カミカゼ」観を批判するための根拠として百田氏が第9章で武田貴則に徳富蘇峰の歴史観に言及させていたからです。
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以前に書いたブログ記事では自分が宣伝したい「人物」の「正しさ」を強調するために、それに反対する人物やグループを徹底的にけなし追い詰めるという『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)で用いられていた手法が、今回のノンフィクション『殉愛』の手法と似ていることを指摘しました。
リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法
主人公の「美談」が描かれているとされたノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)については、記述とは異なる多くの写真がウェブ上に流れ、また屋鋪氏の実の娘にも裁判で訴えられたことで、その「事実性」に疑問が生じ、返金を求める多くの書き込みがされています。
偽りの物語で多くの読者や観客の涙を誘った『永遠の0(ゼロ)』は、400万部以上も売れたとされていますが、その最大の宣伝者である安倍氏に対しても返金を求めるべきでしょう。その前にまずは総選挙で意思を表示したいものです。
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「忠君愛国」の思想の重要性を唱えるようになった蘇峰は、『大正の青年と帝国の前途』において自分の生命をも顧みない「白蟻」の勇敢さをたたえていたことについてはブログでもすでに記しました。
しかし、その記述だけではわかりにくいと思われますので、次回はもう少し深く『永遠の0(ゼロ)』と蘇峰の「尊皇攘夷思想」との関わりを分析することにします。
(2016年11月18日、図版を追加)