高橋誠一郎 公式ホームページ

岸信介

「終末時計」の時刻と「自衛隊」の役割――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(3)

『永遠の0(ゼロ)』の第2章で百田氏は長谷川に、「あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない」と語らせていました。

しかし、政治家や高級官僚が決めた「国策」に対してその問題点をきちんと考えることをせずに、「わしたち兵士にとっては関係ない」として「考えること」を放棄し、「国策」に従順に従ったことが、満州や中国、韓国だけでなく、ガダルカナルや沖縄、さらに広島と長崎の悲劇を生んだのではないでしょうか。

若い頃に学徒動員で満州の戦車部隊に配属された作家の司馬遼太郎氏は、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とことを証言しています。そして、自分もそのような教育を受けた「その一人です」と語った司馬氏は、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

こうして司馬氏は、「愛国心」を強調しつつ、「国家」のために「白蟻」のように勇敢に死ぬことを青少年に求める一方で、このような「国策」を批判した者を「非国民」として投獄した戦前の教育観を鋭く批判していたのです。

*   *

文芸評論家の小林秀雄は一九三九年に書いた「歴史について」と題する『ドストエフスキイの生活』の序で、「歴史は決して繰返しはしない。たゞどうにかして歴史から科学を作り上げようとする人間の一種の欲望が、歴史が繰返して呉れたらどんなに好都合だらうかと望むに過ぎぬ」と記して、科学としての歴史的方法を否定していました〔五・一七〕。

しかし、人が一回しか生きることができないことを強調したこの記述からは、一種の「美」は感じられますが、親から子へ子から孫へと伝えられ、伝承される「思想」についての認識が欠けていると思われます。

たとえば、絶大な権力を一手に握ったことで「東条幕府」と揶揄された東条英機内閣で商工大臣として満州政策にも関わっていた岸信介氏は、首相として復権した1957年5月には「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁して、「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたのです。

そのような祖父の岸氏を敬愛する安倍首相は戦前の日本を高く評価しているばかりでなく、岸内閣の元で進められた「原子力政策」を福島第一原子力発電所事故の後でも継続しようとしており、安倍政権が続くと満州事変から太平洋戦争へと突入した戦前の日本と同じ悲劇が「繰り返される」危険性が高いと思われるのです。

過去を美しく描いて「過去の栄光」を取り戻そうとするだけでは、問題は何も解決できません。今回は「核兵器」の限定使用の危険性が高まっている現在の状況を踏まえて、「平和学」的な意味での「積極的平和主義」の視点から、日本の「自衛隊」が何をすることが世界平和にもっとも効果的かを考察することにします。

* 「『終末時計』残り3分に」 *

まず注目したいのは、アメリカの科学誌『原子力科学者会報』が、2015年01月22日に、核戦争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえ、残り時間を「0時まであと何分」という形で象徴的に示す「終末時計」が、再び残り3分になったと発表したことです。

このことを伝えた「The Huffington Post」紙は、コストや安全性、放射性廃棄物、核兵器への転用への懸念などをあげて「原子力政策は失敗している」ことを強調し、核廃棄物に関する議論などを積極的に行うよう求めています。

1947年に創設された終末時計は東西冷戦による核戦争の危機を評価の基準として、当初は「残り7分」に設定されていましたが、ソ連も原爆実験に成功した1949年からは「残り3分」に、米ソで競うように水爆実権が繰り返されるようになる1953年1960年までは最悪の「残り2分」となりました(下の表を参照)。

その後、核戦争が勃発する寸前にまで至った「キューバ問題」を乗り越えたことから「終末時計」は「残り12分」に戻ったものの、アメリカ・スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故で状況が悪化した「終末時計」は、ようやくアメリカとソ連が戦略兵器削減条約に署名した1991年に「残り17分」にまで回復しました。

ソ連が崩壊したことで冷戦が解消されたことでしばらくはそこに留まったのですが、皮肉なことにソ連が崩壊してアメリカが唯一の超大国となったあとで時計の針が再び前に動き、「福島第一原発の事故後の2012年には終末まで5分に進められた」。そして、今回は悪化する地球環境問題などを踏まえて、1949年と同じ「残り3分」にまで悪化しているのです。

終末時計

 

*   *

『永遠の0(ゼロ)』で百田氏は「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川に、「だが誰も戦争をなくせない」と続けさせていました。

たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。しかし、「終末時計」の時刻が示している事態は、「武力」では何も根本的な解決ができないことを何よりも雄弁に物語っているだけでなく、「核兵器」が用いられるような戦争がおきれば、《生きものの記録》の主人公が恐れたように地球自体が燃え上がってしまうということです。

一方、アメリカ軍に「平和」の問題を預けていた日本政府は冷戦という状況もあり、これまでは「核兵器の廃絶」に積極的には動いてきませんでした。このことが世界における「放射能」の危険性の認識が深まらなかった一因だと思われます。

また、今日の「日本経済新聞」(デジタル版)は、「日本の火山、活動期入りか 震災後に各地で活発との見出しで、「国内の火山活動が活発さを増している」ことを報じています。

それゆえ私は、「自衛隊」が世界で尊敬される組織として存在するためには、「防衛力」は、自国を「自衛することができるだけの力」にとどめて、巨大な自然災害から「国民」を守るだけでなく、広島や長崎における「放射能」被害の大きさ学んでそれを世界に伝える「部隊」を設立して、世界各国の軍関係者への広報活動を行うべきだと考えています。

*   *

むろん、このようなことは沖縄の住民など「国民の声」を聞く耳を持たないばかりでなく、地球を創造し日本列島を地殻変動で形成するなど、人間の科学力では予知し得ないような巨大なエネルギーを有している「自然への畏怖の念」も感じられない安倍政権では一笑にふされるだけでしょう。

しかし、現在の地球が置かれている状況を直視するならば、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識して、核兵器の廃絶と脱原発への一歩を「国民」が勇気を持って踏み出す時期に来ていると思います。

 

「ワイマール憲法」から「日本の平和憲法」へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(2)

 

『永遠の0(ゼロ)』において次に注目したいのは、「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川が、「だが誰も戦争をなくせない」と続けていたことです。

この言葉からは絶望した者の苛立ちがことに強く感じられます。たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。

しかし、このような長谷川の認識には大きな落とし穴があります。それは広島・長崎に原爆が投下されたあとでは、世界の大国が一斉に核兵器の開発に乗り出していたことです。多くの科学者が「国益」の名のもとにその開発に従事するようになり、さらに強力な水爆や「原子力潜水艦」が製造され、1962年のキューバ危機では地球が破滅するような核戦争が勃発する危機の寸前にまでいたっていたのです。

つまり、「核兵器」を持つようになって以降においては、いかに「核兵器」の廃絶を行うかに地球の未来はかかっているのです。しかし問題はこのような深刻な事態にたいして、被爆国の政府である自民党政権が「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたことです。

さらに、1957年5月には満州の政策に深く関わり、開戦時には重要閣僚だったために、A級戦犯被疑者となっていたが復権した岸信介氏首相が「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁していたのです。

*   *

このような状況の下で、57年の9月には「日米が原爆図上演習」を行っていたことが判明したことを「東京新聞」は1月18日の朝刊でアメリカの「解禁公文章」から明らかにしています。

「七十年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は当時、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。五四年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。 文書は共同通信と黒崎輝(あきら)福島大准教授(国際政治学)の同調査で、ワシントン郊外の米国立公文書館で見つかった。 五八年二月十七日付の米統合参謀本部文書によると、五七年九月二十四~二十八日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習「フジ」を実施した。場所は記されていないが、防衛省防衛研究所の日本側資料によると、キャンプ・ドレイク(東京都と埼玉県にまたがる当時の米軍基地)内とみられる。」

「核兵器」や「放射能」の危険性をきちん認識し得なかったという点で、岸信介元首相は、世界各国が「自衛」のために核兵器を持ちたがるようになった冷戦後の国際平和の面でも大きな「道徳的責任」があると言えるでしょう。

*   *

「核兵器」を用いても勝利すればよいとするこのような戦争観とは正反対の見方を示したのが、作家の司馬遼太郎氏でした。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。

注目したのは、日本には原発が54基もあるという宮崎駿監督の指摘を受けて、作家の半藤一利氏が「そのうちのどこかに1発か2発攻撃されるだけで放射能でおしまいなんです、この国は。いまだって武力による国防なんてどだい無理なんです」と語っていることです。(『腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫)(68頁)。

*   *

この意味で注目したいのは、湾岸戦争後に「改憲」のムードが高まってくると、日本では敗戦後の「平和憲法」と第一次世界大戦の敗戦後のドイツの「ワイマール憲法」を比較して、揶揄することが流行ったことです。

リンク→麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

すでに引用したように、百田氏もツイッターで「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す」と記していました。互いに殺しあいを行う戦場では何を語っても無意味であり、声を上げる前に射殺されるだろうことは確実なので、「そこで戦争は終わる」ことはありえません。しかし、「もし、9条の威力が本物なら、…中略…世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」と書いていることの一端は真実を突いているでしょう。

イスラム教の国に十字軍を派遣したことがなく、アフガンや中東において医療チームなどが平和的な活動を続けてきた日本はそれなりに信頼される国になっており、交渉役としての重要な役を担えるようになっていたのです(安倍政権によって、これまでに積み上げられた信頼は一気にブルドーザーのような力で崩されていますが…)。

*   *

一方、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、ヒトラーについて次のように書いていました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか。…中略…政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

実際、「人種の価値に優劣の差異があることを認め(中略)、永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と主張して、「復讐」の戦争へと自国民を駆り立てた『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創った「ワイマール憲法」下の平和を軟弱なものとして否定しました。

さらにヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への新たな、しかし破滅への戦争へと突き進んだのです。

*   *

これまで見てきたことから明らかなように、第1次世界大戦後の「ワイマール憲法」と「核兵器」が使用された第2次世界大戦後に成立した日本の「平和憲法」では、根本的にその働きは異なっており、「核兵器」や「原発」の危険性をもきちんと視野に入れるとき「日本の平和憲法」が果たすべき役割は大きいと思われます。

私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきているのです。

「戦争の批判」というたてまえ――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(5)

『永遠の0(ゼロ)』についてのブログ記事を書き始めてから、太平洋戦争を批判的に考えている人でもこの本を評価している読者が少なくないことに気づきました。

たとえば、『マガジン9』のスタッフの寺川薫氏は、〈どうしても違和感を覚えてしまう『永遠の0』への「戦争賛美」批判〉という題名の「コラム」で、ツイッターなどで「憎悪表現」を多用する百田氏とその作品とは区別すべきであるとし、「対話」の必要性を強調しています。

〈私は小説を読み終えたとき「この作品のどこが戦争賛美、特攻隊賛美なのだろう」と素直に疑問を感じました。以下に記す旧日本軍上層部に対する批判や、特攻という作戦そのものへの批判などをしっかりと書き込んでいるだけでも、少なくとも「戦争賛美」や「特攻賛美」と本作を切り捨てるのは間違いだと思います。〉

2014年3月14日付けの記事ですので、すでに見解は変わっているかもしれませんが、「人を信じたい」という思いが率直に記されている文章だと思います。しかし、それゆえに小説『永遠の0(ゼロ)』の構造に惑わされているとも感じました。

「オレオレ詐欺」の場合は、少なくとも数日中には、被害者がだまされていたことを分かると思います。一方、「五族協和」「八紘一宇」などの「美しい神話」が語られていた「昭和国家」では、敗戦になるまで多くの「国民」がそれを信じ込まされていたのです。

そのような「神話」を支える「美しい物語」と同じような働きをしている『永遠の0(ゼロ)』を讃えることは、意図せずに人々を「戦争」へと導く働きに荷担してしまう危険性がありますので少し長くなりますが、この文章を詳しく検証することで問題点に迫りたいと思います。

*   *

  「『永遠の0』では、旧日本軍の組織としてのダメさ加減や作戦の杜撰さなどに対する記述が繰り返し出て」くることを指摘した寺川氏は、次のような戦争批判の記述をその具体的な例として挙げています。

〈たとえば、太平洋戦争の分岐点となったガダルカナルでの戦いを取り上げ、戦力の逐次投入による作戦の失敗や、参謀本部が兵站を軽視したことによって多くの兵士が餓死や病死したことが書かれています。また、ゼロ戦の航続距離の長さを過信した愚かな作戦によって、多くのパイロットの命が失われたことなども記述されています。

もちろん本作のテーマである「特攻」に関する批判も随所に出てきます。特攻はパイロットの志願ではなく強制のケースが多かったこと、米軍の圧倒的な物量や新型兵器によって特攻機のほとんどが敵艦にたどり着く前に撃ち落とされたこと、それを軍上層部は分かっていながらも特攻という作戦を続けたこと。さらには 「俺もあとから行くぞ」と言った上官たちの中には責任をとることなく戦後も生き延びた人がたくさんいたことなど、特攻という作戦を立案・推進した「軍上層部」への批判が展開されます。〉

これらの点を指摘した寺川氏は、次のように結論しています。

〈「作品」でなく「人」で判断することの愚かさは、「主張の内容」でなく、それを唱えている「人や組織」で事の是非を判断することと似ています。憲法九条、原発、死刑制度ほか国論を二分する議論はいくつもありますが、ともすると「どうせあの人(団体)が言っているのだからロクなことはない」と決めつけてしまうことが、よくあるような気がします(引用者注――「作者と作品の関係」に言及したこの文章の問題点については稿を改めて考察します)。

憲法や安全保障について具体的に国を動かそうという政権が現れたいま、少なくともそれに反対する側は、レッテル貼りをして相手を非難している場合ではなく、意見の違う相手とも、その違いを知ったうえで議論し、考えていくことが大事なのではないか――。〉

*   *

たしかに、『永遠の0(ゼロ)』の第5章には、「ガダルカナル島での陸軍兵士」の悲惨な戦いについて語られる次のような記述もあります。

少し長くなりますが具体的に引用しておきます

〈「あわれなのはそんな場当たり的な作戦で、将棋の駒のように使われた兵隊たちです。

二度目の攻撃でも日本軍はさんざんに打ち破られ、多くの兵隊がジャングルに逃げました。そんな彼らを今度は飢餓が襲います。ガダルカナル島のことを『ガ島』とも呼びますが、しばしば「餓島」と書かれることがあるのはそのためです。」

「結局、総計で三万以上の兵士を投入し、二万人の兵士がこの島で命を失いました。二万のうち戦闘で亡くなった者は五千人です。残りは飢えで亡くなったのです。生きている兵士の体にウジがわいたそうです。いかに悲惨な状況だったかおわかりでしょう。

ちなみに日本軍が『飢え』で苦しんだ作戦は他にもあります。ニューギニアでも、レイテでも、ルソンでも、インパールでも、何万人という将兵が飢えで死んでいったのです」〉。

(ガダルカナルの戦い。図版は「ウィキペディア」より)

第6章ではラバウル航空隊整備兵として祖父の機体などを整備していた元海軍整備兵曹長の永井清孝からの話を聞いた語り手の「ぼく」の激しい批判が記されています。

〈「永井に会った後、ぼくは太平洋戦争の関係の本を読み漁った。多くの戦場で、どのような戦いが行われてきたのかを知りたいと思ったのだ。

読むほどに怒りを覚えた。ほとんどの戦場で兵と下士官たちは鉄砲の弾のように使い捨てられていた。大本営や軍司令部の高級参謀たちには兵士たちの命など目に入っていなかったのだろう。」〉

*   *

これらの文章だけに注目するならば、『永遠の0(ゼロ)』は「反戦」的な強いメッセージを持った小説と捉えることも可能でしょう。

しかし、これらの文章が小説の中盤に記されており、新聞記者の高山が罵倒され、追い返されるシーンが描かれている第9章の前に位置していることに注意を払う必要があるでしょう。

戦争の「実態」に関心のある読者にとっては、第5章や第6章の描写は強く心に残ると思われますが、一般の読者にとっては小説が進みその「記憶」が薄れてきたころに、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と記者の高山が怒鳴りつけられる場面が描かれているのです。

「『永遠の0』の何が問題なのか? 」と題された冷泉彰彦氏のコラム記事は、この小説の構成の問題点に鋭く迫っていると思えます(「ニューズウィーク」、2014年02月06日、デジタル版)。

〈問題は「個々の特攻隊員の悲劇」へ感情移入する余りに、「特攻隊全体」への同情や「特攻はムダではなかった」という心情を否定しきれていないのです。作戦への批判は入っているのですが、本作における作戦批判は「主人公達の悲劇性を高める」セッティングとして「帳消しに」されてしまうのです。その結果として、観客なり読者には「重たいジレンマ」を感じることなく、悲劇への共感ないし畏敬の念だけが残ってしまうのです。〉

*   *

原作の『永遠の0(ゼロ)』を高く評価する一方で、映画《永遠の0(ゼロ)》を「小説とは似て非なる映画」と厳しく批判した寺川氏自身の次の文章は、小説自体の問題点をも浮き彫りにしていると思われます。

〈それに対して映画ですが、「どうしてこのような作品になってしまったのか」と私は残念に思います。その理由は簡単。上記の小説でしっかりと描かれた軍部批判や特攻批判等の部分が相当薄まっていて、「特攻という問題」が「個人の問題」に見えてしまうからです。〉

そして、筆者は「この作品にとっての生命線である「軍部批判」や「特攻批判」の要素を薄めてしまっては、まったく別の作品となってしまいます。」と続けています。

映画から受けた印象についての感想は、「軍部批判」や「特攻批判」の記述が「戦争に批判的」な読者をも取り込むために組み込まれた傍系の逸話に留まり、この小説の流れには本質的な影響を及ぼしてはいないことを明らかにしていると思われます。

*   *

この小説の構造で感心させられた点は、主に「空」で戦ったパイロットの視点から戦争を描いていることです。そのために、「五族協和」「八紘一宇」などの「美しい神話」を信じて、満州国に移民した「満蒙開拓移民」の悲惨な実態や、植民地における現地の民衆と日本人との複雑な関係は全く視野に入ってこないことです。

最近書いた論文「学徒兵 木村久夫の悲劇と映画《白痴》」では、中国名・李香蘭で多くの映画に出演していたために祖国を裏切ったという罪で銃殺になるはずだった女優の山口淑子氏が、日本人であることが証明されて無罪となり、戦後は「贖罪」として平和活動をされていたことにも触れました。

リンク→学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴》

『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』と題された山口氏の著書の「獄中からの手紙」では、満州国皇帝につながる王族の一員で、日本人の養女となった川島芳子氏の悲劇が描かれています。「軍上層部」への批判が記されているものの『永遠の0(ゼロ)』では批判は「軍上層部」で留まり、「満州経営に辣腕」を振った岸信介氏などの高級官僚や、戦争の準備をした政治家、さらには徳富蘇峰などの思想家にはまったく及んでいません。

たとえば、第一章では武田の「反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた」という言葉が描かれています。しかし、すでに見たように、『国民新聞』が焼き討ちされたのは、政府の「御用新聞」だったからであり、しかも、蘇峰は『大正の青年と帝国の前途』において、自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを褒め称えていたのです。

「論理」よりも「情念」を重視する傾向がもともと強い日本では、疑うよりは人を信じたいと考える善良な人が、再び小説『永遠の0(ゼロ)』の構造にだまされて、戦争への道を歩み出す危険性が高いと思われます。

(2016年11月18日、図版を追加)

 

 

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』(1)

11月30日に書いたブログ記事〈『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」〉の冒頭では、宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論を書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められたことを記しました。

そこでは触れませんでしたが、映画《永遠の0(ゼロ)》を見る気にはなれなかった私が、この一連の記事を書くきっかけになったのは、宮崎監督がロングインタビューで百田尚樹氏の原作による映画を「神話の捏造」と酷評し、それに対して百田氏が激しい反応を示していたことでした。

*   *

宮崎監督は《風立ちぬ》と同じ年の12月に公開予定の映画《永遠の0(ゼロ)》を雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)の誌上で次のように厳しく批判していました。

「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」(太字、引用者)。

一方、『ビジネスジャーナル』のエンジョウトオル氏の記述によれば、百田氏は映画《風立ちぬ》について、「僕は宮崎駿監督の『風立ちぬ』は面白かった。静かな名作だと思う。週刊文春にも、そう書いた」とし、「ラストで零戦が現れたとき、思わず声が出てしまった。そのあとの主人公のセリフに涙が出た。素晴らしいアニメだった」と同作を大絶賛していたとのことです。

宮崎監督のインタビュー記事を読んだあとではそのような評価が一変し、15日放送の『たかじんNOマネー BLACK』(テレビ大阪)で百田氏は「宮崎さんは私の原作も読んでませんし、映画も見てませんからね」とまくしたて、「あの人」と言いながら頭を右手で指して、「○○大丈夫かなぁ、と思いまして」と監督を小バカにし(「○○」の部分は、オンエア上はピー音が入っていた)」、映画『風立ちぬ』についても「あれウソばっかりなんですね」と激しく批判したのです(『ビジネスジャーナル』)。

民主主義的な発言を行う者は「犯罪者」か「狂人」と見なされた帝政ロシアの「暗黒の30年」と呼ばれる時代に青春を過ごしていたドストエフスキーの研究者の視点から注意を促しておきたいのは、このような発言が一般のお笑いタレントではなく、安倍首相との共著もあるNHK経営委員の百田氏からなされたことです。

「安政の大獄」で大老・井伊直弼が絶対的な権力をふるった幕末だけでなく、「新聞紙条例」や「讒謗律」が発布された明治初期の日本や、司馬遼太郎氏が「別国」と見なした「昭和初期」でも、権力の腐敗や横暴を批判する者が「犯罪者」や「狂人」のようにみなされることが起きていました。

報道への「圧力」が強められている安倍政権の状況を見ると、「あの人」と言いながら頭を右手で指して、「○○大丈夫かなぁ」と続けた百田氏の発言は、平成の日本が抱えている独裁制への危険性を示唆しているように思われます。

*   *

NHKのニュースでは最近安倍首相の顔のクローズアップが多くなったことについては報道の問題との関連で言及しましたが、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んでいくと各章の扉の裏頁には、必ず安倍首相の顔クローズアップ写真か百田氏との二人の写真が大きく載っていることに気づきました。

この著書の題名を見た時にすぐに浮かんだのは、太平洋戦争当時の指導者を「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと、彼らの「自国中心主義」を厳しく批判していた作家・司馬遼太郎氏の言葉でした(エッセー「石鳥居の垢」、『歴史と視点』所収、新潮文庫)。

ただ、著名な作者の本からのパクリやコピペが多いことを指摘された百田氏がツイッターで「オマージュである」との弁明を載せていたことに注目すると、この著書の題名も若者の気持ちをも捉えることのできるような小説家・片山恭一氏の小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001年)と歌手・Winkの19枚目のシングルの題名「咲き誇れ愛しさよ」を組み合わせているのではないかと思うようになりました。

つまり、平成の若者向けに分かりやすく言い換えられてはいますが、この共著の内容は、「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断った太平洋戦争当時の指導者(その中には、陸軍からも関東軍からも嘱望されて「満州経営に辣腕」を振った安倍氏の祖父で高級官僚だった岸信介も含まれます)の思想ときわめて似ているのです。

*   *

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』の対談で百田氏は、自著『永遠の0(ゼロ)』が、「もうすぐ三百万部を突破しそうです」と語り、映画も近く封切られるので「それまでには四百万部近くいくのではないかと言われています」と豪語していました(64頁)。

宮崎監督からの批判を受けると「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う」と記した百田氏は、「文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判を怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」と記すようになります。

しかし、この小説をざっと読んだ後ではさまざまな視点からの読者からの厳しい批判は正鵠を射ており、「全方向から集中砲火」にさらされるようになったのは、子供のための「戦記物」のような文体で書かれたこの書が持ついかさま性と危険性に多くの読者がようやく気づき始めたからだと思われます。

そのような視点から見ると大ヒットしたこの小説は、「道徳の教科化」をひそか進めている安倍政権の危険なもくろみと、戦前の教育との同質性をも暴露していると言えるでしょう。

(続く)

(題名を改題し、内容も大幅に改訂。12月3日)

 

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

今朝の「東京新聞」朝刊は自民党の谷垣幹事長がインタビューで今回の総選挙が「アベノミクス」の信を問うものであることを強調するとともに、「原発は重要な電源」と位置づけていることを紹介しています。

この発言は、昨年の参議院議員選挙の前に、放射能汚染水の流出の「事実」を「東電社長は3日前に把握」していたにもかかわらず、そのことが発表されたのが選挙後であったことを思い起こさせます。

リンク→汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(2013年7月28日 )

*   *

安倍首相が日本の国民だけでなく、全世界に向けて発信した汚染水は「完全にブロックされている」という公約は、信頼できるのでしょうか。

「東京新聞」(2014年12月1日 )付の記事で「海洋汚染、収束せず 福島第一 本紙調査でセシウム検出」との見出しで、安倍政権が「隠蔽」を試みている原発事故の一端を大野孝志・山川剛史両氏の署名入りの記事で明らかにしていますので、その一部をここで引用しておきます。

〈東京電力福島第一原発至近の海で、本紙は放射能汚染の状況を調べ、専用港の出入り口などで海水に溶けた状態の放射性セシウムを検出した。事故発生当初よりは格段に低い濃度だが、外洋への汚染が続く状況がはっきりした。〉

〈東電は原子力規制委員会が定めた基準に沿って海水モニタリングをしているが、日々の公表資料は「検出せず」の記述が並ぶ。計測時間はわずか十七分ほどで、一ベクレル前後の汚染はほとんど見逃すような精度しかない。大型魚用の網で小魚を捕ろうとするようなものだ。

東電の担当者は「国のモニタリング基準に沿っている」と強調する。

原子力規制委事務局の担当者は「高濃度汚染がないか監視するのが目的。迅速性が求められ、精度が低いとは思わない」としている。

しかし、かつての高い汚染時なら、精度が低くても捕捉できたが、現在のレベルなら、やり方を変えないと信頼できるデータは出ない。汚染が分からないようにしているのではないかとの疑念を招きかねない。〉

獨協医科大学の木村真三准教授(放射線衛生学)の次のような言葉でこの記事は結ばれています。

「高性能な測定機器を使っても、短時間の測定では、国民や漁業関係者から信頼される結果を得られない。海の汚染は続いており、東電は事故の当事者として、汚染の実態を厳密に調べ、その事実を公表する義務がある」。

*   *

すでに記しましたが、作家の司馬氏が若い頃には「俺も行くから 君も行け/ 狭い日本にゃ 住み飽いた」という「馬賊の唄」が流行り、「王道楽土の建設」との美しいスローガンによって多くの若者たちが満州に渡っていました。

「原子力の平和利用」という美しいスローガンのもとに、推進派の学者や政治家、高級官僚がお墨付きを出して「絶対に安全である」と原子力産業の育成につとめてきた戦後の日本でも、「大自然の力」を軽視していたために2011年にはチェルノブイリ原発事故にも匹敵する福島第一原子力発電所の大事故を産み出し、その事故は今も収束せずに続いています。

それにもかかわらず、「積極的平和政策」という不思議なスローガンを掲げて、軍備の増強を進める安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、今も解決されていない福島第一原子力発電所の危険性から国民の眼をそらし、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出などに躍起になっているように見えます。

岸信介という戦前の高級官僚を祖父に持つ安倍晋三氏は、戦前を「美化」した歴史認識を持ち、それを「命の大切さを伝えたい」(58ページ)と常に思っていると語っている『永遠の0(ゼロ)』の作者・百田尚樹氏との対談を収めた共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)などで広めようとしているように見えます。

しかし、「ウィキペディア」の記述によれば、戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された高級官僚の岸氏は「満州経営に辣腕」を振い、A級戦犯被疑者として3年半拘留されていたのです。

そして、安倍総理自身が指揮官による「判断と決断の誤りによって多くの人々が命を失う」(61頁)と語り、百田氏も「日本は先の大戦で三百万以上の方が亡くなった」(68頁)と認めているように、1931年の満州事変から始まった一連の戦争は日本やアジアに大きな被害をもたらし、膨大な数の戦死者を出すことになったのです。。

「原発事故」の悲惨さを「隠蔽」することで現在は明るく見える安倍氏の「経済政策」が、半年後や1年後にどのような結果を招くかを冷静に判断しなければならないでしょう。

 

*   *   *

リンク先→

安倍政権と「報道」の問題

真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

原発事故の隠蔽と東京都知事選

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故