高橋誠一郎 公式ホームページ

「特定秘密保護法」

「特定秘密保護法」と司馬遼太郎のナショナリズム観

特定秘密保護法」は国会できちんと議論されることなく政府与党によって強行採決されましたが、このことについてNHK新会長は、「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と会見で語りました。

ジャーナリストとしての自覚に欠けたこのような発言からは、国民の不安とナショナリズムを煽ることでこの法案の正当性を主張した政府与党の方針への追従の姿勢が強く感じられ、戦前の日本もこのような認識からずるずると戦争へと引き込まれていったのだろうと痛感しました。

今回は「自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている」瀬戸内寂聴氏への朝日新聞のインタビュー記事を引用し、その後で司馬氏のナショナリズム観を紹介することでこの法律の危険性を示すことにします。

*   *   *

「朝日新聞」(1月11日)

 年内に施行される「特定秘密保護法」に対し、作家の瀬戸内寂聴さん(91)が「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」と批判の声を上げた。10日、朝日新聞のインタビューに答え、自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている。

 表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。

 首相が集団自衛権の行使容認に意欲を見せ、自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。

 戦争に行く人の家族は、表向きかもしれませんが、みんな「うちもやっと、お国のために尽くせる」と喜んでいました。私の家は男がいなかったので、恥ずかしかったぐらいでした。それは、教育によって思い込まされていたからです。

 そのうえ、実際は負け戦だったのに、国民には「勝った」とウソが知らされ、本当の情報は隠されていました。ウソの情報をみんなが信じ、提灯(ちょうちん)行列で戦勝を祝っていたのです。

 徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。

*   *   *

長編小説『坂の上の雲』において常に皇帝や上官の意向を気にしながら作戦を立てていたロシア軍と比較することで、自立した精神をもって「国民」と「国家」のために戦った日本の軍人を描いた司馬遼太郎氏は、その終章「雨の坂」では主人公の一人の秋山好古に、厳しい検閲が行われ言論の自由がなかったロシア帝国が滅びる可能性を予言させていました。

そして日露戦争当時のロシア帝国と比較しながら司馬氏は、「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は潰滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)」と指摘していたのです(『この国のかたち』第一巻、文春文庫)。

   *   *   *

司馬氏は明治維新後の「征韓論」が藩閥政治の腐敗から生じた国内の深刻な対立から眼をそらさせるために発生していたことを『翔ぶが如く』(文春文庫)で指摘していました。

現在の日本でも参議院選挙の時と同じように、近隣諸国との軋轢については詳しく報道される一方で、国内で発生し現在も続いている原子炉事故の重大な危険性についての情報は厳しく制限されていると思えます。

今回のNHK会長の発言だけでなく、その発言を問題ないとした菅官房長官の歴史認識からは、戦争中に大本営から発表された「情報」と同じような危険性が強く感じられます。

「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで

「特定秘密保護法案」が不意に法案として提出されたときにまず浮かんだのは、司馬遼太郎氏がご存命だったら、厳しい批判のエッセーを多くの新聞や雑誌に発表して頂けただろうという思いでした。

しかし、司馬氏はすでに鬼籍に入られており、司馬氏の深い理解者だった作家の井上ひさし氏、ジャーナリストの青木彰氏、さらに文明学者の梅棹忠夫氏なども亡くなられていました。

こうして、多くの不備があるにもかかわらず、唐突に提出されたこの法案は、きちんとした批判が新聞や雑誌で行われず、国会での十分な議論も行われる前に強行採決されたのです。

   *   *   *

この「特定秘密保護法」が成立したとの報に接した時には、強い怒りを感じるとともに、司馬氏がこの「無残」ともいえる議会の状況を眼にされなくてよかったとも感じました。

なぜならば、司馬氏は『世に棲む日日』(文春文庫)において、当時は狂介と名乗っていた山県有朋が相手を油断させてたうえで「夜襲」をしかけたことを、武士ではなく足軽の発想であると厳しく断罪していたからです。

司馬氏の重い感慨を代弁していると思えるような半藤一利氏の記事「転換点 いま大事なとき」が、18日の「朝日新聞」に掲載されましたので、司馬氏の言葉とともに紹介して起きます。

   *   *   *

「この国はどこに向かおうとしているのでしょう。個人情報保護法だけでも参っていたのですが、特定秘密保護法ができた。絶望的な気分です。個人情報保護法で何が起きたか。軍人のメモや日記を調べに防衛省防衛研究所を訪ねても、「個人情報」にかこつけて見せてくれなくなった。」

歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。」

 「自民党の憲法改正草案には『公益および公の秩序』という文言が随所に出てきます。『公益』『公の秩序』はいくらでも拡大解釈ができる。この文言が大手をふるって躍り出てくることが、戦前もそうでしたが、歴史の一番おっかないところです。」

    *   *   *

 

 このような「悪法」を国民の強い反対にもかかわらず強行採決した安倍政権の支持率が今も高いのは、「アベノミクス」と名付けられた「バブル」を煽るような経済政策による一時的な好景気(感)に支えられたものだと思われますが、経済を優先させて日本人の倫理観を喪失させた「バブル」経済にもっとも厳しかった「有識者」の一人が司馬遼太郎氏でした。

「大地」の重要性をよく知っていた司馬氏は、「土地バブル」の頃には、「大地」が「投機の対象」とされたために、「日本人そのものが身のおきどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっている」ことを「明石海峡と淡路みち」(『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)で指摘していたのです。

しかも戦前や戦中の日本における「公」の問題も考察していた司馬氏は、「正しい意味での公」という「倫理」の必要性を次のように記していたのです。

すなわち、司馬氏は「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったとしました。そして司馬氏は、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。

   *    *   *

 半藤氏は「この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います」と結んでいます(「朝日新聞」12月18日、38面)。

私も司馬遼太郎の研究者として新聞記者・正岡子規の気概を受け継ぎつつ、これからもこのホームページをとおして21世紀の新しい文明の形を考察し、それを発信していきたいと考えています。

最後に、ブログのタイトル「風と大地と」の由来を説明している記事のリンク先を記しておきます。

アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』(ブログ)7月20日

「大地主義」と地球環境8月1日

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

「特定秘密保護法」の危険性を指摘した11月29日のブログ記事で次のように記しました。

「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。

   *   *   *

実際、この「特定秘密保護法」を強行採決した後で政府与党は、国会できちんと議論し、国民の了解を得て進めるべき重要な問題を次々と閣議のみで決定しています。

本来は先の参議院選挙は過去と同じような形で原発の進めるのかそれとも脱原発を選ぶのかという、将来の「国のかたち」が問われるべき選挙だったと思いますが、NHKやマスコミによって「衆参のねじれ」が解消できるかどうかという問題にすり替えられていたように思えます。

しかも、福島第一原子力発電所の汚染水の問題などが隠蔽されたままで行われたことや小選挙区制という制度によって、政府与党は少ない得票率で圧倒的な議席数を獲得しました。

このような形で成立した政権が、短期間に「この国のかたち」をも根本的にかえてしまうような制度を次々と決定していることには、重大な危機感を覚えざるをえません。

   *   *   *

 ことに、安倍政権がこれらの政策を「愛国心」の名の下に正当化していることについては、「東京新聞」(12月14日)が次のように指摘していました。

「安倍内閣が来週決定する国家安全保障戦略に『愛国心』を盛り込む方針だという。なぜ心の問題にまで踏み込む必要があるのか、理解に苦しむ。「戦争できる国」への序章なら、容認できない。(中略)

 文書になぜ「愛国心」まで書き込む必要があるのか。最終的な文言は調整中だが、安全保障を支える国内の社会的基盤を強化するために『国を愛する心を育む』ことが必要だという。生まれ育った国や故郷を嫌う人がいるのだろうか。心の問題に踏み込み、もし政策として愛国的であることを強制するのなら、恐ろしさを感じざるを得ない。

 そもそも、周辺国の愛国教育に懸念を持ちながら、自らも愛国教育を進めるのは矛盾ではないか。ナショナリズムをあおり、地域の不安定化に拍車をかけてしまわないか、慎重さも必要だろう(後略)」。

   *   *   *

実は、司馬遼太郎氏も、「坂の上」から「亡国への坂」に至る過程を分析することで、「国家」の名の下に「国民」に「沈黙」と「犠牲」を強いた「昭和初期の日本」における「愛国心」の問題を考察していました。

ここでは拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)の175頁から、深い危惧の念が記された文章を引用しておきます。

   *   *   *  

ロシア帝国の高級官僚たちとの類似を意識しながら司馬は、日露戦争のあとで「教育機関と試験制度による人間が、あらゆる分野を占めた」が、「官僚であれ軍人であれ」、「それぞれのヒエラルキーの上層を占めるべく約束されていた」彼らは、「かつて培われたものから切り離されたひとびとで」あり、「わが身ひとつの出世ということが軸になっていた」とした。

そして、「かれらは、自分たちが愛国者だと思っていた。さらには、愛国というものは、国家を他国に対し、狡猾に立ちまわらせるものだと信じていた」とし、「とくに軍人がそうだった」とした後で司馬は、「それを支持したり、煽動したりする言論人の場合も、そうだった」と続けたのである(「あとがき」『ロシアについて』、文春文庫)。

 このような考察を踏まえて司馬はこう記すのである。「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」。

 さらに晩年の『風塵抄』で司馬は、「昭和の不幸は、政党・議会の堕落腐敗からはじまったといっていい」と書き、「健全財政の守り手たちはつぎつぎに右翼テロによって狙撃された。昭和五年には浜口雄幸首相、同七年には犬養毅首相、同十一年には大蔵大臣高橋是清が殺された」と記し、「あとは、軍閥という虚喝集団が支配する世になり、日本は亡国への坂をころがる」と結んだ(『風塵抄』Ⅱ、中公文庫)。

 (2016年2月10日。リンク先を追加)

関連記事一覧

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

「学問の自由」と「特定秘密保護法」――情報公開と国民の主権

 

11月25日の定例記者会見で川勝平太・静岡県知事は、「特定秘密保護法案」について「悪法だ」と述べるとともに、その理由を「国家権力は国民の生活や生命を守るために存在する。権力の源泉は情報。主権は国民にあり、情報を知らなくていいという態度は間違っている」と説明していました。

 その川勝平太・知事が12月12日の定例記者会見でも、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法」について、「情報は誰のものなのかという議論がなく、成立は拙速。(内閣の)支持率が下がったのは健全な国民の判断だ」と改めて批判したことが朝日新聞のデジタル版で伝えられています。

 *   *   *

このような川勝知事の発言につながったのは、「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した「情報を隠蔽」する性質が強いことや、「国権」を強調することで「人権」を押さえつける性質の強いものであることが、成立後にいっそう明らかになってきたからでしょう。

たとえば、11月29日に自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していた自民党の石破茂幹事長は、12月11日の日本記者クラブでの記者会見では、会見後に発言を撤回したものの、特定秘密保護法によって指定される「特定秘密」を報道機関が報道し、安全保障に影響が生じた場合には、記者らが罰せられる可能性があるとの認識を示したのです。

*   *   *

「東京新聞」5日の一面にはこの「法」に反対する決議や声明を出した団体の「一覧表」が掲載されていましたが、今日の「応答室だより」では、この一覧にもれていた団体や学会から指摘が続いたことが記されています。

川勝平太・静岡県知事は比較文明学会の理事でもありますが、「表現の自由」だけでなく「学問の自由」をも犯す危険性の強いこの「特定秘密保護法」に対する反対の声は、政治的な考えの違いを超えて様々な場からこれからも広めていく必要があるでしょう。

「国家」による「情報の隠蔽」の危険性については、作家の司馬遼太郎氏が何度も語っていましたので、別の機会に稿を改めて記すことにします。

「問い」としての沖縄――『島惑ひ』と『島影』(ともに人文書館)を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

今日、大城貞俊氏の『島影 慶良間や見いゆしが』(人文書館)が届きました。

以前にご贈呈頂いた伊波敏男氏の『島惑ひ 琉球沖縄のこと』(人文書館)と同じように、沖縄の歴史を踏まえつつ、日常的な生活の視点から厳しい状況を描いて書き手の感性が光る作品だと思いました。

*   *   *

沖縄の問題は、きわめて重く、どのようなを切り口から記せばよいかが分からず、作品についての感想を書くことはこれまで延び延びになってきました。アメリカ軍と戦って勝てる可能性もなくなっていたにも関わらず、日本軍は沖縄を戦場として戦ったことで悲惨な状況を生み出していました。そして、戦後も政府はアメリカ軍の基地を沖縄に押しつけてきたのです。

しかし、伊波敏男氏は「特定秘密保護法」の危険性についてホームページ「かぎやで風」で「国凍てて民唇寒し枯れ落ち葉」と詠んでいますが、12月6日に「特定秘密保護法」が強行採決されたことで、今後は日本全体が急速に「沖縄化」していくことになると思われます。

厳しい状況を耐えつつ、粘り強く新しい価値観の模索をしてきた沖縄のことを知ることは、これからの日本を考える上でもきわめて重要でしょう。

これらの著作についてはいずれきちんと論じたいと考えていますが、今はまだ時間的な余裕がないので「書評・図書紹介」のページでこの二作の目次などの簡単な紹介をすることにします。

それとともに、沖縄の問題を考察した司馬遼太郎氏と「沖縄の石」が重要な役割を演じている映画《白痴》について考察の一部を以下に掲載することで、沖縄問題の重要性に注意を促すことにしたいと思います。

*   *   *

*   *   *

私が初めて沖縄を訪れたのは比較文明学会第18回大会が行われた2000年のことで、ガマと呼ばれる洞窟などを見学する中でおぼろげながら沖縄戦の激しさの一端を体感することができた。

その翌年に 司馬遼太郎氏の『沖縄・先島への道』(一九七四)を考察する論文を書き、拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)に収めた。

「石垣・竹富島の章で司馬氏は、ペリーの艦隊が沖縄にも「上陸して地質調査をしたところ、石炭が豊富であることがわかったと書いていた。

その記述について、私は 「『沖縄・先島への道』での司馬の視線は、日本の近代化に大きな役割を果たしたペリーの開国交渉が、すでに沖縄の位置の戦略的な重要性を踏まえており、現在の基地の問題にも直結していることを見ていたのである」と記した。ここではその後の司馬氏の文章を引用しておく。                                  

 

*   *   *

こうして、この作品の冒頭近くにおいて司馬は、「住民のほとんどが家をうしない、約一五万人の県民が死んだ」太平洋戦争時の沖縄戦にふれつつ、「沖縄について物を考えるとき、つねにこのことに至ると、自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲って」くると書いている。

さらに、その頃論じ始められていた沖縄の独立論に触れつつ、「明治後、『日本』になってろくなことがなかったという論旨を進めてゆくと、じつは大阪人も東京人も、佐渡人も、長崎人も広島人もおなじになってしまう。ここ数年間そのことを考えてみたが、圧倒的に同じになり、日本における近代国家とは何かという単一の問題になってしまうように思える」(傍点引用者)という重たい感想を記すのである(『沖縄・先島への道』「那覇・糸満」)。

   この時、司馬遼太郎はトインビーが発した「国民国家」史観の批判の重大さとその意味を実感し、「富国強兵」という名目で「国民」に犠牲を強いた近代的な「国民国家」を超える新しい文明観を模索し始めるのである。

*   *   *

私の沖縄観が強い影響を受けているのが、映画《白痴》における「沖縄の石」のエピソードである。

映画《白痴》では、まず冒頭のシーンで、戦場から帰還した亀田欽次(ムィシキン――森雅之)が北海道に向かう船の三等室で夜中に悲鳴をあげる。近くにいた赤間伝吉(ロゴージン――三船敏郎)に問われると、自分は復員途中で戦犯として死刑の宣告を受け、銃殺寸前に刑は取りやめになったが、その後何度も発作を起こして沖縄の病院で治療したものの、癲癇性痴呆になり今も夢の中で銃殺される光景を見たのだと説明する。

 *   *   *

 後に、那須妙子をめぐって二人の緊張が高まったころに、赤間が「お守り」を大事に持っていることを知った亀田は自分は「石ころ」大切に持っていると語り、それは死刑の「そのショックで発作を起したって言ったろ……その時、夢中でその石つかんでたのさ」と説明した。

   沖縄が第二次世界大戦でも有数の激戦地となり、軍人だけでなく多くの民間人も殺されていたことを考慮するならば、この映画では激戦地沖縄で拾った「石ころ」が、戦争という悲劇のシンボルとして描かれていたように思える。

 こうして黒澤明は《白痴》において「十字架の交換」のシーンを、「お守り」と「沖縄の石」の交換に代えることで、「殺すなかれ」という理念が、キリスト教だけでなく、仏教や社会主義においても共有される「普遍的な理念」であることを視覚的に示していたのである。

*   *   *

 *   *   *

伊波敏男氏と大城貞俊氏の著作を読んで感じたのは、お二人が詩人としての感性を持った作家だということです。

「図書紹介」では著者の詩を紹介することで書評に代えます。

 

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

私は法律家ではないので具体的な比較はできませんが、「今世紀最大の悪法」と思える「特定秘密保護法」が、十分な審議もなされないまま、審議の過程で修正を重ねるという醜態を示しながらも、これまでの国会での手続きや法案が抱える多くの欠陥を無視して、昨日、強行採決されました。

この事態を受けて、日本新聞協会(会長・白石興二郎読売新聞グループ本社社長)が、「運用次第では憲法が保障する取材、報道の自由が制約されかねず、民主主義の根幹である国民の『知る権利』が損なわれる恐れがある」と指摘する声明を発表しました。

日本ジャーナリスト会議は「法律の廃止と安倍内閣の退陣」を要求し、日本雑誌協会日本書籍出版協会の委員会も「取材・記事作成に重大な障害となることを深く憂慮する。法案の可決成立に断固抗議する」と声明を出しました。

この法律の問題点を早くから指摘していた日本ペンクラブも、「特定秘密保護法案強行採決に抗議する」という声明を出しました。(リンク 日本ペンクラブ声明「特定秘密保護法案強行採決に抗議する」

特定秘密保護法に反対する学者の会」も3181名の学者と746名の賛同者の名前で、右記の「抗議声明」を発表しました(リンクhttp://anti-secrecy-law.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7.html

*   *   *

一方、安倍政権はこの「特定秘密保護法」が審議されているさなかに、国民の生活や国家の方向性に深く関わる重要な事柄を決めていました。

いくつかの新聞記事によりながら3点ほどを指摘しておきます。まず、5日には「武器輸出を原則として禁ずる武器輸出三原則」を見直して、「武器輸出管理原則を作ること」が決められ、その一方で民主党政権が打ち出していた「2030年代に原発をゼロとする」目標が撤回されました。

さらに、6日の閣議では「特定秘密の廃棄について『秘密の保全上やむを得ない場合、政令などで(公文書管理法に基づく)保存期間前の廃棄を定めることは否定されない』とする答弁書が出されました。

「特定秘密保護法」の強行採決は、原発事故や基地問題などの重要な「情報」を国民に知らせることを妨げ、官僚や権力者には都合の悪い「事実」を破棄する一方で、国民の「言論の自由」を奪うという安倍政権の危険な方向性を具体的に国民の前にさらしたといえるでしょう。

*   *   *

アニメ映画《風立ちぬ》で示唆され、映画《少年H》で具体的に描かれたような、自分の考えていることも言えない息苦しい時代が、目の前に来ているようにも思われます。

しかし、司馬遼太郎氏が描いていたように、危機の時代に強権的な手法を用いた江戸幕府を倒し、さらに「坂本竜馬」が危惧したような圧倒的な力で他の勢力を抑圧した「薩長連立幕府」にたいして「憲法」の必要性を認めさせた自由民権運動のような輝かしい歴史を日本は持っています。(前回のブログ記事司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」参照)。

これまで政治的な視点で矮小化されてきたと思える長編小説『坂の上の雲』については、「新聞紙条例」から「明治憲法」の発布に至る過程や、自由民権運動と陸羯南の新聞『日本』との関係にも注意を払いながら、新聞記者としての正岡子規に焦点を当てて来春から本格的に再考察したいと考えています。

(2016年2月10日。リンク先を追加)

リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

 

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

今も、国会の前では「特定秘密保護法案」の慎重審議や廃案を求めて、忙しい時間を割いて1万5千にも達する人々が寒空の下で「声」を挙げているとの報道がなされています。

自民党が6月に発表した選挙公約には「特定秘密保護法」の文字もなく、首相が国会冒頭の所信表明でも言及していませんでした。その「法案」は、国家の未来をも左右するような重要性を持つにもかかわらず、原発事故の「隠蔽」など問題のある報道もあって参議院選挙に勝った与党は、数の力で強引に押し通そうとしているのです。

政府与党の政治家たちの言動からは、人々の切実な「声」をも「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と記すなど、「民」の心の痛みを思いやる姿勢を失ってしまっているかのようにも見えます。

一方、そのような現在の政治家たちを見て想起するのは、 長編小説『竜馬がゆく』において「歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた」と描かれている坂本龍馬(以下、竜馬と記す)の勇気と行動力のことです。

*   *   *

 司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。

 司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。

 たとえば、勝海舟から国際情勢を詳しく聞いていた竜馬は、「砲煙のなかで歴史を回転させるべきだ」という中岡慎太郎の方法に対しては強い危惧を、「いまのままの情勢を放置しておけば、日本にもフランスの革命戦争か、アメリカの南北戦争のごときものがおこる。惨禍は百姓町人におよび、婦女小児の死体が路に累積することになろう」と想像したと書いています(五・「船中八策」)。

 そのような事態を日本でも起こさないようにと苦慮していた竜馬が思いついたのが「船中八策」であり、司馬氏はその策を聞いて憤慨した亀山社中の若者・中島作太郎(信行)との対話をとおして「時勢の孤児になる」ことを選んだ竜馬の「大勇」を次のように描いています。

*   *   *

  「坂本さん、あなたは孤児になる」という指摘に対して、「覚悟の前さ」と竜馬に答えさせていた司馬は、別れ際に「時勢の孤児になる」と批判したのは言いすぎだったと詫びた中島作太郎に対して、「言いすぎどころか、男子の本懐だろう」と竜馬に夜風のなかで言わせたのである。

 そして、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る。」と説明した司馬は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていた(下線引用者、五・「船中八策」)。

 司馬が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思える。子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」、「身につけ」た者を司馬は、「日本人」と呼んでいるのである。

  「時勢の孤児」

 興味深いのはこの前の場面で、「もし天がこの地上に高杉を生まなかったならば、長州はいまごろどうなっていたかわからない。」という感慨を抱いた竜馬に、二ヵ月前に亡くなった高杉晋作のことを思い出させながら、「面白き、こともなき世を、おもしろく」という辞世の上の句を晋作が詠んで苦吟していると、看病していた野村望東尼(もとに)が、「住みなすものは心なりけり」と続けたことを紹介した司馬が、おりょうに、「思い出したときが供養だというから、今夜は高杉の唄でもうたってやろう」と、竜馬が「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」という晋作の唄を三味線をひきながら歌ったことも描いていることである。

 晋作が攘夷派の同志たちによって暗殺される危険性を熟知しながら、「大勇」を発揮して、長州藩の滅亡の危機を救うために藩代表の使節として四国艦隊との講和交渉に臨んでいたことを思い起こすならば、この場面は日本を内戦から救うために竜馬が重大な覚悟をしたことをも暗示していると思われる。事実それは、かつて竜馬が北添を諫めたように時勢という強烈な流れに逆らって船出をするような決断であり、「時勢の孤児」になるような危険な道でもあった。

 しかも、高杉晋作や桂小五郎、井上聞多などと下関の酒亭で酒を飲んだ際に、「世が平いだあと、どう暮らす」ということが話題になった際に、「両刀を脱し、さっさと日本を逃げて、船を乗りまわして暮らすさ」と答えた竜馬が、高杉がくびをかしげたのを見て、すかさず「君は俗謡でもつくって暮らせ」と語ったことも描いていた司馬は、「はるか下座に伊藤俊輔、山県狂介らがいた。みな維新政府の顕官になり華族に列した連中である。」と続けていたのである。

 つまり、薩摩藩や幕府に対する影響力を強めているイギリスやフランスの思惑にはまって、悲惨な内戦を起こさないように、「戦争によらずして一挙に回天の業」を遂げられる策を必死に探して、「日本を革命の戦火からすくうのはその一手しかない」として竜馬が出したのが、大坂へ行く船中で書き上げた、いわゆる「船中八策」であった。

 (中略)

  さらに、「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんたん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という「第二策」について司馬は、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい。」と位置づけ、「余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている。」と続けている(下線引用者)。

 そして、「他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない。」と書いた司馬は、「この点、竜馬だけがとびぬけて異例であったといえるだろう。」と続けている。(中略)

 つまり、「流血革命主義」によって徳川幕府を打倒しても、それに代わって「薩長連立幕府」ができたのでは、「なんのために多年、諸国諸藩の士が流血してきた」のかがわからなくなってしまうと考えた竜馬は、それに代わる仕組みとして、武力ではなく討論と民衆の支持によって代議士が選ばれる議会制度を打ち立てようとしていたのである。

          (『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、322~325頁)。

*   *   *

このブログ記事を書き終えてテレビを見たところ、「特定秘密保護法」が自民党と公明党の賛成多数により可決されたとの報道がされていました。

「テロ」への対策などを目的に、これまでの国会での手続きを無視して強引に可決されたこの法律は、原発事故や基地問題などの重要な「情報」を国民に知らせることを妨げ、国民の「言論の自由」を奪うことになるでしょう。

一部の政治家と高級官僚によって秘密裏に進められることになるこの国の政治は、近隣諸国の疑心をも生んで、東南アジアに緊張関係を作り出すことにもなると思われます。

*   *   *

私たちに求められているのはこのような事態に絶望することなく、竜馬のような「大勇」をもって、盟友・桂小五郎をはじめ多くの日本の「民」によって受け継がれた真の「国民国家」の理念を粘り強く実現することでしょう。

それは「核兵器の拡散」が進む一方で、地震多発国でも原発建設が進んでいる現在の危険な世界のあり方をも変革することにつながると思えます。

 

(2016年2月10日。リンク先を追加)

関連記事一覧

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化Ⅱ

今朝の「朝日新聞」(ネット版)は国連のピレイ人権高等弁務官が2日に行われたジュネーブでの記者会見で、「特定秘密保護法案」について「国内外で懸念があるなかで、成立を急ぐべきではない」と語った以下の記事を掲載しています。

*   *   *

 ピレイ氏は同法案が「政府が不都合な情報を秘密として認定するものだ」としたうえで「日本国憲法や国際人権法で保障されている表現の自由や情報アクセス権への適切な保護措置」が必要だとの認識を示した。

同法案を巡っては、国連人権理事会が任命する人権に関する専門家も「秘密を特定する根拠が極めて広範囲であいまいだ」として深刻な懸念を示している。

*   *   *

 

参議院選挙の公約には掲げられておらず、「寝耳に水」のような「奇襲」ともいえる形で公表されたこの「法案」に対する国内の宗教界からの批判もようやく強まっています。

たとえば、「真宗大谷派(東本願寺)」や「日本カトリック正義と平和協議会」、プロテスタント諸派の「日本キリスト教協議会」などがすでにこの「法案」への強い危惧の念を表明しています。

このHPでは11月20日に国際ペン会長の「日本政府の「特定秘密保護法案」に対する声明」を載せた後、26日には「「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化」という題の記事を掲載していました。

なぜ「孤立化」という題名を付けたかの理由を記した箇所を再掲しておきます。

*   *   *

安倍政権は、アメリカからの「外圧」を理由にこの法案の強行採決をはかっているようですが、この法案が通った後ではそのアメリカからも強い批判が出て、国際社会から「特定秘密保護法」の廃止を求められるような事態も予想されます。

かつて「国際連盟」から「満州国」の不当性を指摘された日本政府は、国連から脱退をして孤立の道を選びました。「国際社会」から強く批判をされた際に孤立した安倍政権は、どのような道をえらぶのでしょうか。

この法案の廃止や慎重審議を求めている野党だけでなく、政権与党や自民党の代議士にも国際関係に詳しい人はいると思われますので、強行採決の中止を強く求めます。

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

前回のブログ記事「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」で、人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期に、「土地に関する中央官庁にいる官吏の人に会った」司馬氏がその官僚から、「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられて、 「油断の横面を不意になぐられたような気がした」と書いていたことを紹介しました。

その後で司馬氏は、敗戦後も「内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」と続けていたのです(『翔ぶが如く』第10巻、文春文庫、「書きおえて」)。

晩年の司馬氏の写真からは、突き刺さるような鋭い視線を感じましたが、おそらく今日の日本の状況を予想して苛立ちをつのらせておられたのだと思います。

このように書くと、いわゆる「司馬史観」を批判する歴史家の方々からは甘すぎるとの反論があるでしょう。

しかしプロシアの参謀本部方式の特徴を「国家のすべての機能を国防の一点に集中するという思想である」と説明していた司馬氏は、このような方向性は当然教育にも反映されることとなり、正岡子規の退寮問題が内務官僚の佃一予(つくだかずまさ)の扇動によるものであったことを『坂の上の雲』において次のように記していたのです。拙著、 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年、74~75頁より引用します。

  *   *   *

 このような風潮の中で…中略…後に「大蔵省の参事官」や「総理大臣の秘書官」を歴任した佃一予のように、「常磐会寄宿舎における子規の文学活動」を敵視し、「正岡に与(くみ)する者はわが郷党をほろぼす者ぞ」とまで批判する者が出てきていたのです。

 そして司馬は「官界で栄達することこそ正義であった」佃にとっては、「大学に文科があるというのも不満であったろうし、日本帝国の伸長のためにはなんの役にも立たぬものと断じたかったにちがいない」とし、「この思想は佃だけではなく、日本の帝国時代がおわるまでの軍人、官僚の潜在的偏見となり、ときに露骨に顕在するにいたる」と続けたのです。

 この指摘は非常に重要だと思います。なぜならば、次章でみるように日露戦争の旅順の攻防に際しては与謝野晶子の反戦的な詩歌が問題とされ、「国家の刑罰を加うべき罪人」とまで非難されることになるのですが、ここにはそのような流れの根幹に人間の生き方を問う「文学」を軽視する「軍人、官僚の潜在的偏見」があったことが示唆されているのです。

   *   *   *

  残念ながら、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」の記事がまだ産経新聞には載っていないとのことですが、産経新聞には司馬作品の真の愛読者が多いと思います。日本を再び、昭和初期の「別国」とさせないためにも、この悪法の廃案に向けて一人でも多くの方が声をあげることを願っています。

(2016年11月2日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(5)―― 内務官僚の文学観と正岡子規の退寮問題

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に賛同の署名を送りました

 

先ほど、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に賛同の署名を送りました。

「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。

それゆえ私は、この法案は21世紀の日本を「明治憲法が発布される以前の状態に引き戻す」ものだと考えています。

  

本来ならば、私が理事を務めている学会などに緊急の動議として提出し、反対の決議をして頂きたいのですが(この記事の公表はその提案も含んでいます)、時間がないので、まずは個々の会員の方に賛同を呼びかけます。

以下に、その声明文のコピーなどを掲載します。(現時点では、「東京新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」などがこの記事を取り上げている事が報告されています)。

   *   *   *

 国会で審議中の特定秘密保護法案は、憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす立法であり、ただちに廃案とすべきです。
 特定秘密保護法は、指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残しており、指定された秘密情報を提供した者にも取得した者にも過度の重罰を科すことを規定しています。この法律が成立すれば、市民の知る権利は大幅に制限され、国会の国政調査権が制約され、取材・報道の自由、表現・出版の自由、学問の自由など、基本的人権が著しく侵害される危険があります。さらに秘密情報を取り扱う者に対する適性評価制度の導入は、プライバシーの侵害をひきおこしかねません。
 民主政治は市民の厳粛な信託によるものであり、情報の開示は、民主的な意思決定の前提です。特定秘密保護法案は、この民主主義原則に反するものであり、市民の目と耳をふさぎ秘密に覆われた国、「秘密国家」への道を開くものと言わざるをえません。さまざまな政党や政治勢力、内外の報道機関、そして広く市民の間に批判が広がっているにもかかわらず、何が何でも特定秘密保護法を成立させようとする与党の政治姿勢は、思想の自由と報道の自由を奪って戦争へと突き進んだ戦前の政府をほうふつとさせます。
 さらに、特定秘密保護法は国の統一的な文書管理原則に打撃を与えるおそれがあります。公文書管理の基本ルールを定めた公文書管理法が2009年に施行され、現在では行政機関における文書作成義務が明確にされ、行政文書ファイル管理簿への記載も義務づけられて、国が行った政策決定の是非を現在および将来の市民が検証できるようになりました。特定秘密保護法はこのような動きに逆行するものです。
 いったい今なぜ特定秘密保護法を性急に立法する必要があるのか、安倍首相は説得力ある説明を行っていません。外交・安全保障等にかんして、短期的・限定的に一定の秘密が存在することを私たちも必ずしも否定しません。しかし、それは恣意的な運用を妨げる十分な担保や、しかるべき期間を経れば情報がすべて開示される制度を前提とした上のことです。行政府の行動に対して、議会や行政府から独立した第三者機関の監視体制が確立することも必要です。困難な時代であればこそ、報道の自由と思想表現の自由、学問研究の自由を守ることが必須であることを訴えたいと思います。そして私たちは学問と良識の名において、「秘密国家」・「軍事国家」への道を開く特定秘密保護法案に反対し、衆議院での強行採決に抗議するとともに、ただちに廃案にすることを求めます。
 
2013年11月28日