高橋誠一郎 公式ホームページ

「特定秘密保護法」

〈白票と 棄権は危険な 白旗だ〉

毎回、選挙前には抗議の意を込めて「白票」をという呼びかけや、自分の選びたい候補がいないなら「棄権」しようと呼びかける動きがあるようです。

しかし、投票率が低いと選挙がやり直しになる制度を持つ国ならば有効かもしれませんが、日本では「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を閣議で決めた政権への白紙委任状になります。

学徒動員で戦車兵となった作家の司馬遼太郎氏は、自衛隊の海外への派遣には強く反対して、「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」と記していました(『歴史の中の日本』)。

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亡くなられた元俳優の菅原文太氏に続いて俳優の宝田明氏が、3日夕方に放送されたNHKの「ゆうどき」で、幼少時代に旧満州でソ連侵攻を体験し、命からがら引き揚げてきた悲惨な過去を振り返りつつ、「人間の起こす最も大きな罪は戦争」「戦争を起こしてはいけないというメッセージを発信し続けたい」と戦争反対を主張したとの記事が7日付けの「日刊ゲンダイ」に載っています。

リンク→「間違った選択すれば戦争」…宝田明氏の発言にNHK大慌て /日刊ゲンダイ‎ – 19 時間前/故・菅原文太氏に続き、芸能界の大物がまた「反安倍」の狼煙を上げた――と話題になっている/

映画《ゴジラ》(監督:本多猪四郎、1954年)で重要な役を演じていた宝田明氏は、噛み締めるように「無辜の民が無残に殺されることがあってはいけない。間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうでない方向の人を選ぶ(べき)……」と訴えたとのことです。

 

 

菅原文太氏の遺志を未来へ

元俳優の菅原文太氏が亡くなられたことが報じられました。

謹んで哀悼の意を表するとともに、震災後に「日刊ゲンダイ」のインタビューで語った記事(デジタル版)と、震災後の活動が比較的詳しく書かれている「日刊スポーツ」デジタル版の記事をご紹介することで菅原氏の強い遺志の一端をお伝えすることにします。

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「ポスト震災を生き抜く」

あれだけの大震災と原発事故を経て、日本人の意識が違う流れに変わるかな、と期待したけど、変わらないな。何も変わらないと言っていいほど。戦後の日本はすべてがモノとカネに結びついてきた。そこが変わらないとな。

俺は09年から有機栽培に取り組んできた。在来種を扱うタネ屋は数えるほどで、売られている野菜は「F1」といって一代限りで、タネを残せない一代交配種で作られている。農薬もハッキリ言って毒だよ。米軍がベトナム戦争で散布した枯れ葉剤のお仲間さ。極論すれば農薬と化学肥料とF1種で成り立っているのが、今の日本の農業じゃないのか。

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

農業も原発もアメリカの実験場だ

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

農薬いっぱいの土壌からできたコメや野菜でいいのか。化学肥料と農薬を使わない本当の土壌にタネをまけば、よく根を張って力強くおいしい作物ができる。「農」が「商」だけになってはダメだ。「工」にもあらずだ。このトシになって、今さら夢はないけどな、農業を安全な本来の姿に戻したい。それが最後の望みだね。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

国はカネがない、増税しかないと言うけど、ぜひ聞いてみたい。日本人が汗水流して稼いだカネはどこへ消えたんですか、と。何兆円と稼いだカネが雲散霧消したのなら、この国にはどんなハイエナやハゲタカが群がっているんだ。(後略)

【日刊ゲンダイ新春特別インタビュー、2012年1月1日号より抜粋】

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「菅原文太さん、安倍政権に反対の政治活動」(「日刊スポーツ」デジタル版、2014年12月2日)

菅原さんは2012年に俳優を引退後、政治活動に熱心に取り組んだ。政治支援グループを立ち上げ、安倍政権が進める特定秘密保護法や原発再稼働などの方針に反対。米軍普天間飛行場移設問題が争点になった沖縄県知事選では、移設反対派候補の集会に参加。代表作「仁義なき戦い」のセリフを引用し、「絶対に戦争をしてはならない」と訴えた。

菅原さんは先月1日、沖縄県知事選で、普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志氏の決起集会に出席した。那覇市のスタジアムで1万人を前に「政治の役割にはふたつある。1つは、国民を飢えさせてはならない。もう1つ。絶対に戦争をしないこと」と訴えた。

「私は少年時代、なぜ竹やりを持たされたのか。今振り返っても笑止千万だ」

政治を考えるとき、自らの戦争体験があった。辺野古移設を容認し3選を目指した仲井真弘多氏を「戦争を前提に沖縄を考えている」と批判。代表作「仁義なき戦い」のラストシーンで口にした、「弾はまだ残っとるがよ」というセリフを引用し「仲井真さんに(その言葉を)ぶつけたい。沖縄は国のものではない」と主張した。翁長氏当選の流れを生んだ場になった。(後略)

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日本ペンクラブ・前会長の井上ひさし氏も「憲法」や言論の自由の自由、さらに農業の重要性をも強調されていました。

菅原氏の言葉と活動は、原発事故の現在の実態だけでなく、国民の生命の問題にも深く関わるTPP交渉をも幕末の幕府と同じように国民にはその内容を示さないままに一方的に進め、さらに「特定秘密保護法」で問題点を隠そうとしている安倍政権の危険性を明らかにしていると思われます。

菅原氏は「日刊ゲンダイ」のインタビューを「なにより2012年こそ被災地に生きる人々にとって良い一年になって欲しい。本当に祈っているよ」という言葉で結んでいました。氏の強い遺志を受け継ぎ、2015年を良い年にするためにも今回の総選挙では独裁的な傾向を強める安倍政権に対して NO という意思を示しましょう。

 

追記:「東京新聞」の朝刊にも詳しい記事が載っていましたが、サイト「デモクラ資料室」の12月2日のブログには「菅原文太さんが遺したメッセージ」が掲載されています。

 

「ダメよ~ダメダメ」、「集団的自衛権」

今年話題になった言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」が発表されました。年間大賞にお笑いコンビ日本エレキテル連合の「ダメよ~ダメダメ」と、安倍内閣が7月に行使容認を閣議決定した「集団的自衛権」が選ばれたとのことです。

いつもはあまり関心を払っていなかったのですが、総選挙を控えた今年の流行語大賞は、「アベノミクス」の陰で安倍政権が決めた「集団的自衛権」の危険性を、期せずしてわさびの聞いた言葉で見事に表現する結果になっていると思います。

総選挙でもこの庶民感覚を活かして、「集団的自衛権」だけでなく「特定秘密保護法」をも閣議で決定した安倍政権に、NO を突きつけましょう。

リンク→総選挙と「争点」の隠蔽

追記:

「集団的自衛権」が持つ重大な危険性については、外国での「カミカゼ」の認識と評価との関連で言及する予定ですが、過去のブログでも言及していた記事がありましのでリンク先を示しておきます。

リンク→「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の失効 (2014年7月2日)

「長崎原爆の日」と「集団的自衛権」(8月10日)

 

 

 

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論をこのブログに書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められていました。

しかし、ウェブ上には原作の『永遠の0(ゼロ)』が浅田次郎氏の『壬生義士伝』と坂井三郎氏の『大空のサムライ』のパクリとか、コピペの箇所も多いとの指摘が少なくなかったので、映画を見ないままに今日に至っていました。

ノーベル賞候補とまで騒がれたSTAP細胞の論文におけるコピペ問題はまだ記憶に新しいのですが、人文系の分野でもコピペの問題は指摘されており、引用文献と参考文献とは重みが異なるので、引用したならばその箇所をきちんと明記すべきでしょう。

そのようなこともあり、いくつかの話題となった事柄以外は百田尚樹という作家についてはほとんど知らなかったのですが、前回のブログ記事「政府与党の報道への圧力とNHK問題」に関連して調べたところ、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)があることが分かりました。

これまでこの著書に気づかなかったのは迂闊(うかつ)だったと思いますが、安倍氏が総理に再就任した翌年の12月27日に出版された本書からは、今回の総選挙の手法の問題点も浮かび上がってきます。

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ようやく読み終わった段階ですが、次のような目次からは新たに総理として選ばれることになる安倍氏の政治的な抱負と放送作家・百田氏の著作の宣伝とが非常に上手に組み合わされていることが感じられます。

第1章 取り戻すべき日本とは何か

第2章 『永遠の0(ゼロ)』の時代、

『海賊とよばれた男』の時代

第3章 「安倍晋三 再登板待望論」に初めて答える

第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる

  • さらば! 売国民主党政権
  • 百田尚樹 特別書き下ろし「安倍晋三論」

第5章 安倍総理大臣、熱き想いを語る ──日本をもう一歩前に

勇ましい文章が並んでいますが、政治の素人である私が目次を見て驚愕したのは、百田氏が書いた「第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる」には、「さらば! 売国民主党政権」という記述があることです。

それまで政権を担っていた政党に対して「売国」という、誹謗・中傷の域に達した形容詞を付けることは許されないと思われるのですが、安倍総理も当然、見て校正も行っていると思われるこの共著では、そのような過激な項目があるだけでなく、対話のなかでもしばしばそれに類した言葉が百田氏から発せられているのです。

本の内容紹介によれば、「小説を通して多くの読者に『日本の素晴らしさ』『日本人の美しさ』を伝えてきた百田尚樹。百田作品から国の命運を思い続けた安倍総理。月刊誌『WiLL』に掲載されたふたりの対談や日本再生論を書籍化」とあります。 このような二人の深い関係やその後の経過から判断すると、国際的にも大きな問題となった日本におけるヘイトスピーチ(「憎悪表現」「憎悪宣伝」「差別的表現」「差別表現」などと訳される)の発端の一因が総理と放送作家がタッグを組んで出版したこの著に記された「憎悪宣伝」にあるのではないかとさえ思われてきます。

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実は、自分の思想とは対立する考えの持ち主やそのグループを「売国奴」などの用語で非難して、追い落とし自分たちが権力を握ろうとする傾向は、「尊皇攘夷思想」が強かった幕末の日本でも目立っていました。

それゆえ、 『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判して、現代にも受け継がれている「神国思想」の危険性を指摘していたのです( 『竜馬がゆく』第2巻、「勝海舟」)。リンク→『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

問題は鉄道などの運転手が事故を起こせば厳しく罰せられるにもかかわらず、「国策」として行われた「戦争」を指導した軍人や政治家、高級官僚がその罪をほとんど問われず、その被害の重みを「国民」が一方的に背負わされることになったことです。

同じことは東京電力・福島第一原子力発電所の大事故の際にも起きました。東京電力の幹部社員だけでなく、推進した議員と官僚、さらにはそれを大々的に広告した会社などの責任は問われることはなく、「絶対安全」だという言葉を信じていた多くの住民が今も「原発事故の避難民」として苦しい生活を余儀なくされているのです。

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安倍首相と百田尚樹氏の共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んで気づいたことの一つは、「愛国心」や「モラル」の必要性が強く唱えられる一方で、戦争を起こした者や原発事故を引き起こした者たちの責任には全く言及されていないことです。

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この共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』には安倍政権の問題点が集約されているように思われますので、これからも分析していきたいと思います。

ここで確認しておきたいのは、この書で安倍氏が賞賛している『永遠の0(ゼロ)』におけるコピペの問題に関連して、「方々で言ってることやけど、『永遠の0』は、浅田次郎先生の名作『壬生義士伝』のオマージュである」との2012年6月29日付けの百田氏の弁明がウェブ上のツイッターに載っていることです。

しかし、日本ペンクラブ会長でもある浅田次郎氏は、「特定秘密保護法案」や「集団的自衛権」などの決定の方法について、「これら民主的な手順をまったく踏まない首相の政治手法は非常識であり、私たちはとうてい認めることはできない」と厳しく批判しているのです(日本ペンクラブ・ホームページ)。 『永遠の0(ゼロ)』という小説が安倍氏の政治手法を厳しく批判している浅田氏の著作の「オマージュ」という説明は、苦し紛れの言い訳のようにしか聞こえてきません。

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この問題の根は深いので、次回は〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍晋三氏の「愛国」の手法〉という題で、ノンフィクションとフィクションの問題をとおして安倍首相の政治手法の問題を考え、最後に映画《永遠のゼロ》の原作を厳しく批判した宮崎駿監督の言葉をとおして、イデオロギー(正義の大系)を厳しく批判した司馬遼太郎氏の言葉の重みを再考察したいと思います。

(2019年1月5日、加筆、2024/05/06、加筆)

政府与党の「報道への圧力」とNHK問題

先のブログ記事をまだ書き終わらないときに、「自民党が衆院解散の前日、選挙期間中の報道の公平性を確保し、出演者やテーマなど内容にも配慮するよう求める文書を、在京テレビ各局に渡していたこと」を報じる記事が今朝の「東京新聞」朝刊だけでなく、「日刊ゲンダイ」のデジタル版にも載っていたことが分かりました。

この問題について「東京新聞」は、「報道の自由への不当な介入や圧力といえる対応だ。『公平』と繰り返す文書の内容からは、安倍政権が報道機関による批判報道におびえていることがうかがえる」との立教大の服部孝章教授(メディア法)のコメントを掲載するとともに、夕刊には菅義偉官房長官が28日の記者会見で「政党の立場からすれば、不公平なことがされないよう行動することも重要ではないか」と文書に理解を示したことが記されています。

一方、「日刊ゲンダイ」のデジタル版は「選挙報道に露骨な注文…安倍自民党がテレビ局に“圧力文書”」との見出しで、この文書の〈文中には「公平中立」「公平」が13回も繰り返されている〉ことを指摘して、「要するに自民党に不利な放送をするなという恫喝だ」と指摘し、「まさに言論の封殺だ」と続けた後で、政治評論家・森田実氏の次のようなコメントを紹介しています。

「自民党がこんな要望書を出したのは初めてでしょう。萩生田氏は党副幹事長のほかに総裁特別補佐を務める政権の中心メンバー。その幹部が自民党には『自由』も『民主主義』も存在しないことを宣言した。実に恥ずべき行為です。」

「公平性」を求めるならば自民党は、会長の籾井勝人氏を始め百田尚樹・経営委員など明らかに「公平」を欠くと思われる問題発言を繰り返している方々を安倍首相の「お仲間」として優遇しているNHKの問題を解決してから、民間に対する「報道の公平」を求める声明を出すべきだったでしょう。

リンク→「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

「政府与党の選挙干渉とNHK問題」より改題

 

「寝ていろ」的な手法と「違憲状態」判決

今回の総選挙は、原発事故の問題だけでなく、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」などの国会で十分な議論が尽されるべき重要な法案を、閣議で決定したことの是非がまず問われるべきにもかかわらず、「消費税の延長」の是非という聞こえのよい名目で行われます。

しかも、「国民」に十分な考える余裕を与えないままで行われる今回の「姑息」な選挙の方法は、2000年6月の総選挙に際して「まだ決めていないという人が40%いる。こういう人たちが寝てしまってくれれば、それでいいんだが」(「NIKKEI NET」)と語った森元首相の発言を思い起こさせます。

「寝てしまってくれれば」という森元首相の発言にはまだ、首相の個人的な「希望」というニュアンスがありましたが、今回の安倍首相とそのブレーンの手法からは、「命令」的なニュアンスが強く感じられます。

「一票の格差」が最大2・43倍だった衆議院選挙に対しては最高裁が2012年に「違憲状態」との判決を出していましたが、昨日の「東京新聞」は、「昨年七月の参院選を最高裁は『違憲状態』と断じた。一票の格差が最大四・七七倍もあったからだ。司法は選挙制度の抜本是正を促しており、怠慢な国会の姿勢こそ、厳しく問われるべきである」との社説を掲載しています。

「違憲状態」のままで、「争点」を隠して行われる今回の総選挙に際しては、眼(まなこ)をしっかりと開けて強圧的な「安倍政権」の問題点を見極めねばならないと思います。

リンク→ 総選挙と「争点」の隠蔽

 

総選挙と「争点」の隠蔽

年末が近づく中、衆議院が解散されて12月14日に総選挙が行われることになりましたが、昨日の「東京新聞」朝刊の第2面には、「秘密法・集団的自衛権」は、「争点にならず」とした菅官房長官の会見の短い記事が掲載されていました。

「菅義偉官房長官は19日の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に踏み切った7月の閣議決定や、12月10日に施行される特定秘密保護法の是非は次期衆院選の争点にはならないとの認識を示した。/ 集団的自衛権行使に関し「自民党は既に憲法改正を国政選挙の公約にしており(信を問う)必要はない。限定容認は現行憲法の解釈の範囲だ」と強調した。秘密保護法についても「いちいち信を問うべきではない」と指摘した。/ 同時に「何で信を問うのかは政権が決める。安倍晋三首相はアベノミクスが国民にとって最も大事な問題だと判断した」と述べた。

この発言からは「汚染水」の問題が深刻な問題となっていたにもかかわらず、その事実が隠されたままで行われた昨年7月の参議院議員選挙のことが思い起こさせられます

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安倍首相は国際社会にむけて「汚染水」の問題は「アンダーコントロール」であると宣言することで国民にも安全性を訴えていましたが、今朝の「東京新聞」には以前から指摘されていた「汚染水の凍結止水」という方法が無理だということが判明し、東京電力が新たな方法を模索し始めたという記事が載っています。

この汚染水の問題だけでなく、十分な国民的議論もなく安倍政権が強引な手法で進めている「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」と「憲法」と教育の問題、さらには公約を破って交渉が進められているTPPの問題などは、いずれも「国民の生命や財産」や国際情勢、さらには地球環境にかかわる重要な問題です。

私は原発事故の重大さを「隠蔽」したままで原発の推進などを行っている安倍政権と、「国民」には重要な情報を知らせずに戦争の拡大に踏み切った第二次世界大戦時の参謀本部との類似性を感じており、このままでは経済の破綻や大事故が起きた後で、国民がようやく事実を知ることになる危険性が大きいと思っています。

原稿などに追われているこの時期にブログ記事を書くのはつらいのですが、なにも発言しないことは文学者として責任を欠くことになりますので、これまでのブログ記事も引用しながら、何回かに分けて以下の問題について私見を記すことにします。

安倍政権と「報道」の問題/アベノミクス(経済至上主義)と汚染水の問題/「特定秘密保護法」と原発事故の「隠蔽」/「集団的自衛権」と「カミカゼ」の問題/「憲法」と教育の重要性(仮題)

   11月22日、〈安倍政権の政策と「争点」の隠蔽〉より改題

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

標記の拙著に関しては発行が大幅に遅れて、ご迷惑や心配をおかけしていますが、ようやく新しい構想がほぼ固まりました。

本書では「黒塊(コツクワイ)」演説を行ったことが咎められて松山中学を中退して上京し、「栄達をすてて」文学の道を選んだ正岡子規に焦点を絞ることで、新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が子規の成長をどのように描いているかを詳しく考察しています。

長編小説『坂の上の雲』では、子規の死後に起きた日露戦争における戦闘場面の詳しい描写や戦術、さらには将軍たちの心理の分析などに多くの頁が割かれていますので、それらを省略することに疑問を持たれる方もおられると思います。

しかし、病いを押してでも日清戦争を自分の眼で見ようとしていた子規の視野は広く、「写生」や「比較」という子規の「方法」は、盟友・夏目漱石やその弟子の芥川龍之介だけでなく、司馬氏の日露戦争の描写や考察にも強い影響を及ぼしていると言っても過言ではないように思えます。

司馬氏は漱石の長編小説『三四郎』について「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記しています。子規と漱石との交友や、子規の死後の漱石の創作活動をも視野に入れることで、長編小説『坂の上の雲』の「文明論的な」骨太の骨格を明らかにすることができるでしょう。

『坂の上の雲』の直後に書き始めた長編小説『翔ぶが如く』で司馬氏は、「征韓論」から西南戦争に至る時期を考察することで、「近代化のモデル」の真剣な模索がなされていた明治初期の日本の意義をきわめて高く評価していました。明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」は、新聞『日本』の記者となった子規だけでなく、「特定秘密保護法」が閣議決定された現代日本の言論や報道の問題にも深く関わると思われます。

それゆえ本書では、子規の若き叔父・加藤拓川と中江兆民との関係も視野に入れながらこの長編小説をも分析の対象とすることで、長編小説『坂の上の雲』が秘めている視野の広さと洞察力の深さを具体的に明らかにしたいと考えています。

ドストエフスキーを深く敬愛して映画《白痴》を撮った黒澤明監督は、『蝦蟇の油――自伝のようなもの』の「明治の香り」と題した章において、「明治の人々は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』に書かれているように、坂の上の向うに見える雲を目指して、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う」と書いています。

焦点を子規とその周囲の人々に絞ることによって、この作品の面白さだけでなく、「明治の人々」の「残り香」も引き立たせることができるのではないかと願っています。

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館

( 2015年8月10日、改訂と改題)

 

「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の失効

 

「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の喪失

 

昨年の10月25日に「特定秘密保護法案」を閣議決定し、その後、強行採決していた安倍内閣は、昨日、「集団的自衛権」を閣議で決定しました。

「集団的自衛権」の重大な問題点についてはすでに新聞などでも詳しく報道されていますが、「同時多発テロ」を理由にアメリカのブッシュ大統領が主導して行ったアフガンやイラクとの戦争には「大義」がなかったことが明白になっており、それが中東情勢やアフガンなどの混乱と直結しているのです。  

 安倍政権は中国などの脅威を強調して国民の不安を煽ることで、「国民の生命」を守るためには「集団的自衛権」が必要なことを強調しています。しかし、今回の法案は福島第一原子力発電所の大事故をまだ解決し得ていない日本が、国際的なテロに巻き込まれる危険性を増やし、「国民の生命」をより脅かすものだといえるでしょう。                     

「国民の生命」だけでなく、近隣諸国の安全にも関わる「集団的自衛権」の問題が、国会での十分な議論や国民への説明もほとんとないままに閣議で決定された2014(平成26)年7月1日を「昭和憲法」が実質的には失効した日として、記憶せねばならないでしょう。

*   *   *   

昨年の11月13日に私は、〈「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)〉というブログ記事で次のように書きました。

「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(『翔ぶが如く』、第3巻「分裂」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

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 「文明史家」とも呼べるような広い視野を有していた作家の司馬遼太郎氏は、日本が無謀な戦争へと突入することになる歴史的な経緯を、『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』などの長編小説で描いていました。

 しかも司馬氏は、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描き、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していました(第2巻・「勝海舟」)。

「明治憲法」を有していた日本がなぜ、昭和初期の「別国」となったかについて司馬氏が明治を扱った長編小説で参謀本部や内務省の危険性に注意を促していたことに留意するならば、幕末の動乱を描きつつ司馬氏の視線が昭和初期の日本だけでなく、平成の日本にも向けられていたことは確かでしょう。

*    *   *

昨日、「あとがきに代えて――小林秀雄と私」をブログにアップし、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が私の手からは離れました。   

これからは積年の課題である『司馬遼太郎の視線(まなざし)』(仮題)に本格的に取り組むことで、「新聞記者としての正岡子規と漱石との友情」に注意を払いながら「憲法」の問題を分析することにより、「憲法」を持たなかったロシア帝国の滅亡を予告した秋山好古の言葉が終章で描かれている『坂の上の雲』の現代的な意義を解き明かすことにします。

   (7月4日、題名を〈「参謀本部の暴走」と「集団的自衛権の閣議決定」〉から変更し、記事を加筆)

 

「第五福竜丸」事件と「特定秘密保護法」

 

昨日は「第五福竜丸」事件から60年に当たる日でしたが、今朝の「東京新聞」も「秘密で終わらせない ビキニ水爆実験60年 解明挑む元教師」との見出しで、元高校教師枝村三郎氏の著作を紹介して「事件は今も未解明な部分が残る」ことを伝えるとともに、この事件と昨年成立した特定秘密保護法との関連にも言及した署名記事を載せています。

「特定秘密保護法」の問題は、福島第一原子力発電所の事故がきちんと収束もしていないなか、なぜ政府がきちんとした議論もないままに「特定秘密保護法」の強行採決をしたのかという問題にも深く関わっていますので、今回はこの記事を抜粋した形で引用しておきます。 

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 三十年にわたる聞き取り調査で他の船の被ばくを突き止めた、太平洋核実験被災支援センター(高知県)事務局長の山下正寿さん(69)は「第五福竜丸乗組員が他船と連帯できないよう孤立させた」と憤る。 

山下さんは最近、国立衛生試験所(現医薬品食品衛生研究所)が、五港での検査が終わった五四年末以降も東京・築地に入荷するマグロなどの肝臓を調べていたことを、試験所の年報で見つけた。五八年十月にも事件当時に近い放射線量を検出した分析結果が出ていた。だが、この報告を基に国が対処した記録はない。 

事件当時、広島と長崎に続く核の被害に日本の反核世論は盛り上がったが、「原子力は戦争ではなく平和のために利用するべきだ」とする日米両政府は、ビキニ被ばくの全容を明らかにしようとはしなかった。 

外務省は九一年に米国との外交文書を公開したが、文書の機密指定が続いていれば「ビキニ事件は永遠の秘密として闇に葬られていた」と枝村さんは指摘する。

 特定秘密保護法の成立で、安全保障上の秘密が拡大解釈されかねない。東京電力福島第一原発事故の全体像をはじめ、解き明かすべき事柄がますます闇の中に埋もれていくのではないか。枝村さんは「民主主義や基本的人権の否定につながる」と危ぶんでいる。

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新聞記者・正岡子規を主人公の一人とした長編小説『坂の上の雲』で司馬遼太郎氏が最も強調していたのは、「事実の隠蔽」が国家を存亡の危機に追いやることでした。

昨日のブログ記事では「第五福竜丸」事件と黒澤映画《生きものの記録》との関わりに触れましたが、福島第一原子力発電所の大事故がなぜ起きたかという「謎」はきちんと解明されねばならないでしょう。