『ドストエーフスキイ広場』の創刊号に掲載された拙論「ドストエーフスキイのプーシキン観」についてのお問い合わせを頂きました。
その内容はすでにその後に執筆した拙著に組み込んでいると思っていましまたが、調べて見るとまだ完全な形では収録されていないことが分かりました。
1991年の古い論考ですが、『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、初版1996年、新版2000年)から、『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)を経て、近著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』に至る一連の拙著につながる私の問題意識が色濃く出ている論考です。
それゆえ、人名表記などはそのままの形で、ホームページの「主な研究」に転載することにしました(→ドストエーフスキイのプーシキン観――共生の思想を求めて)
以下に、この論考の「目次」を掲載しておきます。
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序章 「ねずみ」たちについて
第一章 社会正義を求めて ーーペトラシェーフスキイ事件まで
第一節 『貧しき人々』と『駅長』
第二節 「ネワ河の幻影」と『青銅の騎士』
第三節 「警告するもの」としての良心
第二章 殺すことについての考察 ーー良心の問題をめぐって
第一節 「良心」の「自己流の解釈」
第二節 『地下生活者の手記』と『その一発』
第三節 『罪と罰』と『スペードの女王』