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ドストエーフスキイの会

堀田善衞の『白痴』観――『若き日の詩人たちの肖像』をめぐって

二〇一八年が生誕百周年に当たっていた堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』(一九六八年)は、大学受験のために上京した翌日に二・二六事件に遭遇した主人公が、「赤紙」によって召集されるまでの暗く重い日々を若き詩人たちとの交友をとおして克明に描き出している。

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

注目したいのはその第一部のエピグラフには「驚くべき夜であつた。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であつた」(米川正夫訳)という言葉で始まるドストエフスキーの『白夜』の文章が置かれていることである。

第一部の終わり近くではラジオから流れてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から「異様な衝撃」と「明らかにある種の脅迫」を感じた主人公は、続いて流れてきた「フランスのただの流行歌(シャンソン)」に「異様な感銘」を受け、「異様なことに、いますぐ何かをしなければならぬ」と思って背広を着て外に出る(引用は集英社文庫より、巻数は上下で、頁数は漢数字で示す)。

そして、「空には秋の星々がガンガンガラガラに輝いていた」のを見て、「若者は、星を見上げて、つい近頃に読んだある小説の書き出しのところを思い出しながら、坂を下りて行った」と書き、『白夜』の冒頭の文章を引用した堀田は、「小説は、二十七歳のときのドストエフスキーが書いたものの、その書き出しのところであった」と説明している(上・一一五~一一七)。

こうして、「いますぐ何かをしなければならぬ」と考えた主人公は、かなり習熟していたドイツ語を捨てて、開戦直前に法学部政治学科から当時は敵性言語とされたフランス語を学んで仏文科に転科している。このことについてフランス文学者の鹿島茂は、当時は「それだけが唯一の抵抗」ということだっただろうと書いている(『堀田善衞を読む――世界を知り抜くための羅針盤』集英社新書)。『白夜』のエピソードは主人公の生涯の転機となる決断とも深くかかわっていたのである。

ドストエフスキーは『白夜』を書いた後で、オーストリア帝国の要請によるハンガリー出兵の前に起きたペトラシェフスキー事件で逮捕されていた。そのことに注目するならば、ここで堀田が主人公の呼び方を「少年」から「若者」に変えているのは、危険な文書の所持で逮捕され、召集令状で戦場へと駆り出されることになる主人公の運命をも示唆していると思える。

実際、『若き日の詩人たちの肖像』では「物品のように」「どさりと淀橋署の留置場へ放り込まれ」、そこで一三日間拘留されたあとで若者に「皇国史観」を説教した人物について、「『罪と罰』に出て来る素晴らしく頭がよくて、読んでいる当方までが頭がよくなるように思われるあの検事のことがちらと頭をかすめた」と記されているのである(上・一七〇)。

この長編小説に登場する「詩人たち」のモデルの一人である作家の福永武彦を父に持つ池澤夏樹は、「プロレタリア文学の人たちもつぶされて」しまった後の時代は、他の作家の小説ではほとんど描かれていないのに対して、「慶応仏文科」や「荒地」、「マチネ・ポエティク」などさまざまなグループの詩人たちの「たくさんの仲間が捕まり、拷問され、殺される」ことが頻繁に起きていたこの時代のことを『若き日の詩人たちの肖像』が描いていることの意義を指摘している。

注目したいのは、この長編小説の中頃で「詩人兼小説家の人」である堀辰雄をモデルとした「成宗の先生」が住んでいる「その家の書斎にも灯がついている」のを見た後で、再び『白夜』の冒頭の句を「口のなかでとなえて」みた若者が、『白夜』の主人公とムィシキンとの精神的な連続性に注意を促していることである。

すなわち、「こういう文章こそ若くなければ書けなかったものだったろう、と気付いた。二十七歳のドストエフスキーは、カラマーゾフでもラスコルニコフでもまだまだなかったのだ」と最初は感じた若者は、その後で「けれども、この文章ならば、あるときのムイシュキン公爵の口から出て、それを若者が自分の耳で直接公爵から聞くとしても、そう不思議でも不自然でもないだろう……」と続けているのである(上・三一一~三一二)。

さらに、「成宗の先生」と出会って立ち話をしていた際に、特高刑事の目つきから「殺意に燃えたラゴージンの眼」を思い出して、「ほとんどうわの空」で「謎」のような言葉を語っていた(下・八三)。

「ランボオとドストエフスキーは同じですね。ランボオは出て行き、ドストエフスキーは入って来る。同じですね」。

この記述だけではその意味は分からないが、堀田が戦争の時代に急いで書き上げた卒論で、「ランボオとドストエフスキー作『白痴』の主人公ムイシュキン公爵とを並べてこの世に於ける聖なるもの」を考察していたことに注目するならば、この言葉が主人公の全存在にも関わるような重みをもっていることは確かだろう。

その後で堀田は主人公の若者にとってのムィシキンの意味を、部屋に閉じこもって『白痴』を読みつづけた若者の感想をとおして明らかにしている。長編小説『白痴』に対する作者の強い愛着も示されているので、少し長くなるが引用しておきたい(下・九三~一〇一)。

「学校へも行かず、外出もせず、課された鈍痛は我慢をすることにし、若者はとじこもって本を読みつづけた。ドストエフスキーの『白痴』は、何度読んでも、大きな渦巻きのなかへ頭から巻き込むようにして若者を巻き込み、ときには、その大渦巻きの、回転する水の壁が見えるように思い、エドガー・ポオの大渦巻き(メイルストローム)さえが垣間見えるかと思うことさえあった。とりわけて、その冒頭が若者の思考や感情の全体を占めていた。/――なるほど! 絶対の不可能を可能にするには、こうすればいいのか!/と」。

そして、「その冒頭の三頁ほどを、毎日毎日読みかえした。古本屋で買った英訳と、白柳君に借りた仏訳の双方があったので、米川正夫訳と三冊の本を対照しながら読み返してみていた」と書いた堀田は『白痴』冒頭の記述を引用している(表記は現代の表記に改めた)。

「十一月下旬のこと、珍しく暖かいとある朝の九時頃、ペテルブルグ・ワルシャワ鉄道の一列車は、全速力を出してペテルブルグに近づきつつあった。空気は湿って霧深く、夜は辛うじて明け放れたように思われた。汽車の窓からは右も左も十歩の外は一物も見分けることが出来なかった。旅客の中には多少外国帰りの人もあったが、それよりも寧ろ余り遠からぬ所から乗って来た小商人(こあきんど)連の多い三等車が一番こんでいた。こんな場合の常として、誰も彼も疲れ切って、一晩の中に重くなった目をどんよりさせ、体のしんまで凍(こご)えきっていた。どの顔もどの顔も霧の色にまぎれて蒼黒く見える」。

この文章について、「あのロシアの平べったい平原の、ところどころに森や林や広大な水たまりなどのあるところを、汽車がひた走りに走って行く、その走り方のリズムのようなものが、この文章に乗って来ていることが、じかに肌に感じられる」と記した堀田は、ドストエフスキーが主人公のムィシキンをこう描写していることに注意を促している。

「とある三等の窓近く、夜明け頃から二人の旅客が、膝と膝を突き合わせて、腰掛けていた。どちらも若い人で、どちらも身軽げなおごらぬ扮装(いでたち)。どちらもかなり特徴のある顔形をしていて、どちらも互に話でも始めたい様子であった(……)向いの席の相客は、思いもかけなかったらしい湿っぽい露西亜の十一月の夜のきびしさを、顫(ふる)える背に押しこたえねばならなかったのである」。

この後で、「天使のような人物を、ロシアという現実のなかへ、人間の劇のなかへつれ込むのに、汽車という、当時としての新奇なものに乗せた、あるいは乗せなければなかった、そこに、ある痛切な、人間の悲惨と滑稽がすでに読みとられるのである」と書いた堀田は、「この不自由で限りのある人間の世界というものについての、刺すような悲しみが若者に取りついていた」と続けている。

ことに、「たとえ小説の中でも羽根をつけて飛んで来るわけには行かないから、天使は、(……)外国、すなわち外界から汽車にでも乗せて入って来ざるをえないのだ」(傍点は著者)という文章は、堀田がこの長編小説を正確に読み解いていることを物語っているだろう。なぜならば、スイスでの治療をほぼ終えたムィシキン公爵が混沌としている祖国に帰国する決意をしたのは、母方の親戚の莫大な遺産を相続したとの知らせに接したためだったからである。

ドストエフスキーは小説の冒頭で思いがけず莫大な遺産を相続したムィシキンとロゴージンの共通点を描くとともに、その財産をロシアの困窮した人々の救済のために用いようとした主人公と、その大金で愛する女性を所有しようとしたロゴージンとの友情と対立をとおして、彼らの悲劇にいたる帝政ロシアの社会問題を浮き彫りにしていた。

そして、「小説を読み通して行って、その終末にいたって、天使はやはり人間の世界には住みつけないで、ふたたび外国の、外界であるスイスの癲狂院へもどらざるをえないのである」と記した堀田は、「白痴、というと何やら聞えはいいかもしれないが、天使は、人間としてはやはりバカであり阿呆でなければ、不可能、なのであった」と続けた後で、若者が「成宗の先生」に語った「謎」のような言葉の意味をこう説明していた。

「左様――ムイシュキン公爵は汽車に乗って入って来たが、ランボオは、詩から、その自由のある筈の詩の世界を捨てて出て行ってしまい、おまけに生まれのヨーロッパからさえも出て行ってしまった、というのが、若者が成宗の先生に言ったことの、その真意であった」。

実は、二〇〇七年に上梓した拙著 『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』でも、「昭和初期」の時代を描いた『若き日の詩人たちの肖像』と『白夜』との比較を行っていた。だが、ムィシキンが「外界」から「入って」来たことに傍点をつけて注意を促しているこの文章が、「天皇機関説」事件で「立憲主義」が崩壊する前年の一九三四年の『白痴』論で、「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」という解釈をした小林秀雄を強く念頭に置いて書かれていた可能性に気付いたのは、『黒澤明で「白痴」を読み解く』を書いていた時のことであった(同書、一八九頁)。

『黒澤明で「白痴」を読み解く』大

「しかしなんにしてもド氏の小説は面白い、面白くてやり切れなかった。とりわけて、ド氏が小説というものの枠やルールを無視して勝手至極なことをやらかしてくれるところが面白かった」と書いた堀田は、「『白痴』はその終末で若者に泪を流させた」と続けて、結末の異常性を強調した小林秀雄とは正反対の解釈を記していたのである。

ド ストエフスキー作品との関連で興味深いのは、堀田がその直後に「これも二度目か三度目のくりかえしにかかった『悪霊』の方は、ところどころ爆笑させられるようなシーンがあって面白かった」と書き、出産の手助けを求められたキリーロフが「僕はお産をすることが下手でね」と語る場面を紹介していることである(下・一〇一)。

『白痴』論から『悪霊』論への移行は唐突のようにも感じられるが、若者がスタヴローギンについて「天使ムィシキン公爵の逆の極みである、絶世の怪物、悪魔である」と規定していることに留意するならば、この文章も一九三七年の『悪霊』論で「スタヴロオギンは、ムイシュキンに非常によく似てゐる、と言つたら不注意な読者は訝るかも知れないが、二人は同じ作者の精神の沙漠を歩く双生児だ」と書いていた小林を強く意識していることが感じられる。

堀田が記した『悪霊』論はこれが最初ではなく、日米安全保障条約の改定に反対する世論が盛り上がり、大規模なデモが行われていた時期を背景にした長編小説『審判』(一九六三年)でも、出産を迎えた被爆者の女子学生との関連でより詳しく記されていた。

しかもこの長編小説では原爆パイロットをモデルとした人物が重要な役割を演じているが、一九六二年には原爆の非人道性を知って自分を犯罪者と見なすようになり、精神病院に収容されたイーザリー少佐の往復書簡の翻訳が『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(篠原正瑛訳、筑摩書房)と題されて発行されていた。

ヒロシマわが罪と罰―原爆パイロットの苦悩の手紙 (ちくま文庫)(書影は「アマゾン」より)

そのことを考慮するならば、『悪霊』にも言及していた長編小説『審判』には、湯川秀樹博士との対談では原爆を産み出した「技術」の問題を「道義心」の視点から厳しく批判しながら、その後は核問題について沈黙し、「ヒットラーと悪魔」では『悪霊』にも言及しながら戦時中に書いた『我が闘争』の書評を引用していた小林秀雄の科学観や歴史観への強い批判が込められていたと思われる。

一方、『若き日の詩人たちの肖像』の第四部では兵隊検査の終わった主人公の呼び方が「男」となり、『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の話に凝っていたアリョーシャというあだ名の若者が「惟道(かんながら)の道」を説くようになり、アッツ島玉砕の報道が入った時には軍神たちを侮辱したとして妻を激しく殴りつけたことが描かれている。

召集令状が来たことを知らせる実家からの電報が届いて「警察で殺されるよりも、軍隊の方がまだまし」と感じた主人公の男は、『白夜』の文章についてこう記している(下・三八九)。

「郵便局からの帰りに空を仰いでみると、冬近い空にはお星様ががらがらに輝いていたが、そういう星空を見るといつも思い出す、二十七歳のときのドストエフスキーの文章のことも、別段に感動を誘うということもなかった」。

この長編小説は出兵前に故郷に帰って北の海を見た男の厳しい感慨で結ばれている。「鉛色の北の海には、男がこれまでに耳にしたありとあらゆる音楽の交響を高鳴らせてどうどうと寄せて来ていた。それだけで、充分であった」。

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私的なことになるが、大学に入ってからドストエフスキーの初期作品の重要性だけでなく、日露の近代化の比較というテーマを研究することの必要性を強く感じたのは、堀田善衞のこの作品と出会ったことが大きな一因となっていた。

この作品を論じたフランス文学者の鹿島も「自分と全く違うものを学ぶということは、比較が可能になるということです」と書き、「比較を進めることによって、逆に、自分とは何かが分かってくる。あるいは、自分たちと比較することによって、他者が分かってくる」と指摘している。

この作品では「戦争に至る大変暗い時代」が如実に書かれていると指摘した池澤も、同じ『堀田善衞を読む――世界を知り抜くための羅針盤』(集英社新書)に収められた論考で「この作品は、自分のものの考え方、思想を支えてくれる大きな柱となっています」と続けている。

近著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社)では、『若き日の詩人たちの肖像』については、「復古神道」との関連で少しだけ触れた。昨今の日本はますます昭和初期の暗い時代に似てきているので、その厳しい時代を生き抜いた若者を主人公とした堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』を本格的に考察する著作を書きたいと思っている。(本稿では敬称は略した)。

(『ドストエーフスキイ広場』第28号、2019年、121~127頁、12月6日、一部削除)

ドストエーフスキイの会、第50回総会と251回例会(報告者:高橋誠一郎)のご案内

第50回総会と251回例会のご案内を「ドストエーフスキイの会」のホームページより転載します。

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第50回総会と251回例会のご案内

   下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

 日 時2019518日(土)午後1時30分~5時

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡:03-3402-7854 

総会:午後130分から40分程度、終わり次第に例会

議題:活動・会計報告、運営体制、活動計画、予算案など

例会報告者:高橋誠一郎氏

題 目: 堀田善衛のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に

      *会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:高橋誠一郎(たかはし せいいちろう

東海大学教授を経て、現在は桜美林大学非常勤講師。世界文学会、日本比較文学会、日本ロシア文学会などの会員。研究テーマ:日露の近代化と文学作品の比較。著書に『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』、『黒澤明と小林秀雄』など。近著に『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(会員と例会出席者には送料無料、税抜きで頒布、申し込みは→info@seibunsha.net)。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

 

第251回例会報告要旨

堀田善衞のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に

堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』は、大学受験のために上京した翌日に「昭和維新」を目指した将校たちによる二・二六事件に遭遇した主人公が、「赤紙」によって召集されるまでの暗く重い日々を若き詩人たちとの交友をとおして克明に描き出しています。

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

その第一部の題辞ではペトラシェフスキー事件で逮捕されてシベリア流刑になるドストエフスキーが書いた『白夜』冒頭の文章が引用されています。しかも、この長編小説で堀田は『白夜』ばかりでなく、『罪と罰』や『白痴』、『悪霊』などについての考察をも行っているのです(『ドストエーフスキイ広場』第28号、「堀田善衞の『白痴』観」参照)。

前回の例会で福井勝也氏はアニメ映画の世界的巨匠である宮崎駿氏の言葉を引用しながら、「堀田は日本では珍しい世界文学者のタイプであって、これから評価が高まる作家」と位置付け、「白夜について」(1970)も堀田が自覚的に自分は『白夜』の主人公さながらにフラニョール(遊歩者)であることを表明し、ドストエフスキーのフェリエトニスト的側面に関心を持っていたらしいと指摘しました。

これらの指摘に私も全面的に賛成です。なぜらば、『若き日の詩人たちの肖像』で戦争末期の「学徒動員」を厳しく批判しつつ、「鴨長明がルポルタージュをしていたような事態が刻々に近づきつつあるように予感される。『方丈記』は実にリアリズムの極を行く、壮烈なルポルタージュであった」と記した堀田は、『方丈記私記』で鴨長明について「心よりもからだの方が先に身を起こし、足の方から歩き出してしまう行動人」と規定しているように、『白夜』への関心は『方丈記』につながっているからです。

さらに、私は堀辰雄の小説『風立ちぬ』や『菜穂子』などを組み込んだ宮崎駿監督のアニメ映画《風立ちぬ》には、同時代を描いた堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』からの強い影響がみられると考えています。このアニメではナチス・ドイツの秘密警察についても描かれていることも、ゲッベルス宣伝相の暴力的な演説の後に『白夜』冒頭の文章が対置されているこの長編小説の構造と深く関わっているでしょう。

この映画で描かれている関東大震災の直後に発生した火事の広がりの圧倒的な描写も、『方丈記私記』で描かれている東京大空襲後の烈風による「合流火災」の記述から影響を受けていると思えます。

それとともに注目したいのは、『罪と罰』の人物体系を深く研究して『破戒』を書いた島崎藤村が、長編小説『春』で自殺に至る北村透谷の苦悩や考察を詳しく描いていたのと同じように、『若き日の詩人たちの肖像』では芥川龍之介の自殺についての考察が、慶応仏文グループの芥川比呂志との交友などをとおして何度も行われていることです。

さらに、この長編小説では「マチネ・ポエティクス」のグループの詩人たちとの交友も描かれていますが、堀田はその一員であった福永武彦や中村真一郎の三人で、核実験場とされた島から飛来する怪獣を描いた映画《モスラ》(1961)の原作を書いています。

このことに留意するならば、アメリカ人の原爆パイロットをモデルとした『零から数えて』(1960)と『審判』(1963)の二つの長編小説が『若き日の詩人たちの肖像』(1968)と密接なつながりを持っていることは明らかでしょう。

すなわち、『若き日の詩人たちの肖像』は過去を振り返るだけでなく、現在を凝視し未来を見つめるような視点も有しているのです。

ただ、序章と四つの部からなるこの長編小説では詩人だけでなく演劇のグループや、多くの作家も実名で描かれるなど複雑な構造をしています。それゆえ、今回の発表では筋や人物体系だけでなく、「題辞」という手法にも注目しながらテキストを忠実に読み込むことにより、主人公が成宗の先生(堀辰雄)に語る「ランボオは出て行き、ドストエフスキーは入って来る。同じですね」という謎のような言葉の意味に迫りたいと思います。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

(2019年4月13日、4月27日、書影とリンク先を追加)

堀田善衞の『白痴』観――『若き日の詩人たちの肖像』をめぐって(『ドストエーフスキイ広場』第28号より転載)

『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(1)――真珠湾の二つの光景

(2)「海ゆかば」の精神と主人公

(3)小林秀雄の芥川龍之介観と『白痴』論の批判

 

ドストエーフスキイの会、第247回例会(報告者紹介:坂庭淳史氏)のご案内

第247回例会のご案内を「ニュースレター」(No.148)より転載します。

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第247回例会のご案内

   下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

 今回は会場が変わります。要ご注意!                                       

2018915日(土)午後2時~5

場 所早稲田大学文学部戸山キャンパス32号館224教室

             地下鉄東西線・「早稲田」下車

報告者:坂庭 淳史 氏

題 目: タルコフスキー映画におけるドストエフスキーとの信仰と生に関する対話

    会場費無料

報告者紹介:坂庭淳史(さかにわ あつし)

早稲田大学文学学術院教授。専門は19世紀ロシア文学・思想。最近の著書に『プーシキンを読む』(ナウカ出版、2014年)、論文に「黒澤明『生きる』とロシア文学」(『比較文学年誌』早稲田大学比較文学研究室、2015年)、訳書にアルセーニー・タルコフスキー『雪が降るまえに』(鳥影社、2007年)など。

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247回例会報告要旨

タルコフスキー映画におけるドストエフスキーとの信仰と生に関する対話

 ソヴィエトを代表する映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932₋1986)は生涯でわずか8本の作品しか撮ることができなかったが、彼の映画は独特の映像美はもとより、そこに表現された哲学的思索によって現在でも多くの人々を魅了している。タルコフスキーは国内外の映画はもちろん、思想や文学についても造詣が深く、彼の日記『殉教録』や映像論などをまとめた著書『刻印された時間(映像のポエジア)』の中には、ベルジャーエフやシェストフ、トルストイ、あるいはトーマス・マンやヘルマン・ヘッセ、カルロス・カスタネダといったさまざまな人々の名が見られる。なかでもタルコフスキーが長年に渡って強い関心を持ち続けていたのが、フョードル・ドストエフスキーであった。今回の発表では、タルコフスキーの創作世界において、彼がドストエフスキーに対してどのようなまなざしを向けていたのか、あるいはドストエフスキーがどのような役割を果たしていたのかを考えてみたい。

 タルコフスキーはドストエフスキーの精神的末裔とも称され、その思想の類縁性はこれまでにも多くの研究者たちによって語られてきた。彼があたためていた数多くの作品構想の中には『分身』や『罪と罰』といった題名も見られるが、彼の実際の作品の中でドストエフスキーの小説や思想と直接に結びついているシーンは残念ながら数えるほどしかなく、しかもわずかに触れられている程度でしかない。

 ここで注目したいのは、以下の三つの事実である。

 第一には、その実現可能性はともかく、ドストエフスキーその人についての映画の計画である。彼が最も信頼していた俳優アナトーリー・ソロニーツィン(1934-1982)を作家役と決めて構想したものの、この俳優の癌による早世とともに計画自体も立ち消えになってしまったようだ。しかし、タルコフスキーのドストエフスキーへの心酔ぶりはこの事実からも理解できるし、ソロニーツィンがその他のタルコフスキー作品で演じた役柄なども、タルコフスキーによるドストエフスキー像を考えるうえでは参考になるだろう。

 第二に、小説『白痴』の映画化の模索である。彼が1970年代から1986年末に亡くなるまで記していた日記には、恒常的と言ってもいいほどに『白痴』に対する何らかの記述がある。他の構想と比べてみても作品の実現の可能性は十分にあったようだが、ゴスキノ(国家映画委員会)との長いせめぎ合いの末、撮影許可はとうとう下りなかった。それでも、『白痴』についてタルコフスキーが書き残した印象的なシーンや小説や登場人物の分析、映画化を想定した配役のメモ、あるいはドストエフスキー作品に基づくソ連映画へのコメントや、わずかながらに残されている黒澤明の映画『白痴』に関する言及などから、彼がどのような『白痴』を撮ろうとしていたのかを推測することができる。

 第三には、1986年に公開されたタルコフスキー最後の作品『サクリファイス』でわずかに示されるドストエフスキー世界へのリンクである。冒頭のシーンで、この映画の主人公アレクサンデルが、かつては俳優であり、『白痴』のムイシュキン公爵を演じて成功した過去を持っていることが語られる。『白痴』やムイシュキン公爵に関してそれ以上に語られることはなく、この設定はさほど大きな意味を持っていないようにも思える。そのせいか、この設定はこれまで十分には注目されてこなかった。しかし、この映画を『白痴』(あるいはドストエフスキーの世界)に重ねるならば、そこにはタルコフスキーによる信仰と生にまつわるドストエフスキーとの対話が見えてくる。

 今回の発表では、近年のタルコフスキー研究も紹介しながら、以上のことを中心に検討していく。

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前回の「合評会報告」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会、第246回例会(合評会)のご案内と過去の例会一覧

「第246回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.147)より転載します。

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第246回例会のご案内

  『広場』27号の合評会です。論評者の報告時間を10分程度と制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。                                          

日 時2018年7月14日(土)午後2時~5時         

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡:03-3402-7854 

             

掲載主要論文の論評者と司会者

 清水論文:「祭り」‐『悪霊』版ワルプルギスの夜 ―近藤靖宏氏

大木論文:「スタヴローギンの告白」について ―福井勝也氏

高橋論文:『罪と罰』から『破戒』へ―北村透谷を介して ―池田和彦氏

齋須論文:ドストエフスキーの土壌主義と「ロシア民衆の理想像」ザドンスクのチーホン ―木下豊房氏

木下論文:『カラマーゾフの兄弟』におけるヨブ記の主題とゾシマ長老像、およびその思想の源流 ―大木昭男氏

宇山論文:『カラマーゾフの兄弟』の語りの構造をめぐる試論―泊野竜一氏

エッセイ、学会報告:フリートーク

 司会:熊谷のぶよし氏       

 

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

*前回例会の「傍聴記」と「会計報告」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

追記:例会の一覧を更新しました。

「ドストエーフスキイの会」例会一覧(第218回~第246回)

ドストエーフスキイの会、第243回例会(赤淵里沙子氏)のご案内

第243回例会のご案内が未掲載でした。

お詫びの上、「ニュースレター」(No.144)より転載します。

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第243回例会のご案内

 下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                         

日 時2018113日(土)午後2時~5

場 所千駄ヶ谷区民会館

(JR原宿駅下車7分)  ℡:03-3402-7854  

報告者:赤淵里沙子 氏

題 目:『悪霊』にみる思想、信仰と集団の必然性

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:赤渕里沙子(あかふち りさこ)

 現在、早稲田大学ロシア語ロシア文学コース4年生に在学中。2015~2016年、サンクトペテルブルク国立大学に留学。来年度から同コース修士課程に進学予定。ドストエフスキーとの関連で、19世紀から20世紀初頭までのロシア思想を中心に研究。

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243回例会報告要旨

『悪霊』にみる思想、信仰と集団の必然性

  『罪と罰』において、ドストエフスキーは既存の道徳に不信をもったある個人の精神世界を掘り下げ、社会に開示した。変わらぬ日常の中で、たった一人、変化を経験した個人がどのような末路を辿るのか、それが『罪と罰』では描かれている。時代が進んで、作家は再び罪を犯す人間についての作品に取りかかる。しかしそこでとりあげたのは、個人ではなく集団の心理であった。法と戦うラスコーリニコフという直線的な構図は、『悪霊』においてより複雑なものへと拡大される。疑いを抱いた青年ラスコーリニコフは、その不信の芽を植え付けた40年代の知識人、また、西欧のニヒリズムを体現する革命家、そして彼に魅了され賛同していくロシア国民をはじめ、様々な要素へと分裂し、より詳細に描かれていく。

 この意味で、作家の問題意識が、個人の内面世界での考察を経て、改めて社会を舞台として展開されたのが『悪霊』といえよう。そしてそこで現れてきたのは、ただ一つ五人組という集団のみではない。物語において様々なレベルで形成され、それぞれに思想を抱く集団を観察することで、作品の詳細な理解へとつながり、また集団という概念を念頭に置くことで、スタヴローギンの苦悩を異なる側面から眺めることができると考える。

 この『悪霊』執筆時に、ドストエフスキーがネチャーエフ事件から受けた印象というのも、そもそも集団性への関心が根底にあってのものだった。というのも、彼がこの事件に強いインスピレーションを受けたのは、平凡で善良な人間たちが、ネチャーエフによる思想の感化にさらされたときに、途轍もなく醜悪な殺人をやってのける、つまり集団が思想に食いつくされ、その道徳観が理解しがたいものへと変化してしまう、その過程に驚愕を覚えたからである。西欧から流れ込んでくる無神論的社会主義に若者たちが惹かれていった当時、集団と思想の相互関係への意識が、少なからずドストエフスキーに抱かれていたことは、作品の外において書簡や『作家の日記』でしばしば言及されていることからも明らかである。

 『悪霊』においては、作家の集団性への意識はまず「町」という形で現れてくる。アントン氏による事件の叙述として進められる作品の語りが、実質的にはその情報の大部分に噂や評判といった町の人々の声が介在するもので、それらが登場人物たちの言動を左右する重要な要素として作用していることからも、それは観察できる。また、ピョートルやステパンによる外部からの思想的な脅威に対して、土着の内部として現れてくる「町」は、インテリゲンツィヤに対して浮かび上がってくるロシアの農民層とパラレルで捉えることができる。ドストエフスキ

ーは、国民性として集団に共通して抱かれる思想というものに強い信頼を寄せていたが、彼が当時社会の抱える精神的な揺らぎに対してもっていた危惧が、安定的なロシアという土に根の繋がった民衆を象徴する「町」として現れたのだと考えられよう。

 一方で、対抗する勢力としてピョートルによってもたらされる無神論的革命思想は、人々の抱く既存の道徳を破壊することで、社会を変革しようと試みる。改革は政治形態の置き換えに留まってはならず、集団の精神的な変化を契機とする根本的な部分からの転覆を目指すのであり、その視点から、彼らもまた集団を形成して社会へとアプローチする。物語の舞台である町それ自体も、ピョートル率いる五人組や、それに対抗して現れるフェージカと放火犯たちの一派など、いくつかの集団から成る集合体で捉えられることを確認し、その一方で強烈に作用するスタヴローギンの集団を分裂させる力が、究極の思想としての信仰の非実現を導く要素の一つとして考えられるのではないかという可能性を提示していきたい。

ドストエーフスキイの会、第242回例会(報告者:齋須直人氏)のご案内

第242回例会のご案内を「ニュースレター」(No.143)より転載します。

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第242回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                    

日 時2017年11月25日(土)午後2時~5時       

場 所千駄ヶ谷区民会館

(JR原宿駅下車7分)  ℡:03-3402-7854 

報告者:齋須直人 氏 

題 目: 『白痴』、「大罪人の生涯」、『悪霊』における対話による道徳教育

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:齋須直人(さいす なおひと)

1986年生まれ。京都大学文学研究科スラブ語学スラブ文学専修博士課程に在中。論文「ザドンスクのチーホンの「自己に勝つ」ための教えとスタヴローギンの救済の問題について」(ロシア語ロシア文学研究49号、2017)、 «О влиянии Достоевского на творчество Т.Манна во время мировых войн (世界大戦期におけるドストエフスキーのトーマス・マンの作品への影響について)» (ドストエフスキーと現代―2014年 第29回 スターラヤ・ルッサ国際学会論集―、2015)、他。

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第242回例会報告要旨

題目:『白痴』、「大罪人の生涯」、『悪霊』における対話による道徳教育  

ドストエフスキー本人の宗教的立場と結びつけつつ、この作家の作品に見られる道徳教育のモチーフを論じることには困難がある。ドストエフスキーの作品は、ポリフォニック小説として読まれるようになってから、作品内で作家自身の立場も相対化されることとなり、作家の作品創造の目的や、作品全体を通して作家が何を主張したかったかについて考察することについて慎重になる必要が生じた。そのため、この作家の作品を、あたかも一定の作品創造の目的があるかのように解釈することが多かれ少なかれ必要とされるような読み方、例えば、登場人物の成長物語(ビルディングスロマン、聖者伝など)として読むことが容易ではなくなっている。作品の中での教育のモチーフ(特に道徳教育)を読み解く際も、教育がある程度一定の価値観に従って人を導くものである以上、同様の問題がある。しかし、ドストエフスキーの作品の中で、成長物語や教育の要素は独自のあり方で存在している。そして、これらの要素と作家自身の立場を完全に切り離すことはできない。特に、作品を描くさい、ドストエフスキーが若者の道徳教育に強い問題意識を持っていたとすれば尚更である。報告者は、作品の芸術的形式に十分注意を払いつつ、作家の宗教思想と作品の全体性が矛盾しないものとして作品を読み解くことを目標とし、ドストエフスキーの作品における、対話を通した道徳教育を研究テーマの一つとしている。

1860~70年代、土壌主義者であるドストエフスキーは西欧の教育を受けた階級の人々と民衆との乖離をロシア社会の根本的な問題とみなしていた。彼はロシアのインテリゲンツィヤと民衆との一体化が、両者のロシア正教への信仰を基礎としてもたらされるものと考えた。特に、作家が懸念していたのはロシアの若者たちに、社会主義やポジティヴィズムを基礎としたニヒリズムが広まっていることだった。1870年3月25日のマイコフに宛てた書簡で、ドストエフスキーは「大罪人の生涯」の構想(結局書かれることなく終わった)について詳しく書いているが、それに際し、次のように述べている:「ニヒリズムについては何も言いません。待ってください、ロシアの土壌から引き離された、この上位層はまだ完全に腐っているのです。お分かりでしょうか、私には次のことが頭に浮かぶのです。つまり、この多くの最もろくでなしの若者たち、腐っている若者たちが、最終的には本物のしっかりした土壌主義者に、純粋なロシア人になるということが」。そして、後に、『悪霊』の創作ノートにおいて、作家は次のように記している:「我々は形(образы)を失ってしまった、それらはすぐさま拭い去られてしまい、新しい形も隠されてしまっている。(…)形を持たない人々は、信念や科学、いかなる支点も持たず、社会主義の何かしらの秘密を説いている。(…)全てのこれら確固としたものを持たない大衆を捕えているのは冷笑主義である。指導者を持たない若者たちは見捨てられている」。ドストエフスキーにとって、新しい世代への宗教・道徳教育についての問題は重要なものであった。彼は、迷える若者たちを導く肯定的な人間像(образ положительного человека)を創造することを自己の課題とした。そして、この課題を『白痴』、「大罪人の生涯」、『悪霊』において実現しようとした。

本報告では、作家本人の教育における立場や宗教観を適宜参照しつつ、これらの作品において対話を通した教育がいかに描かれているか検討する。これら3作品の変遷をたどることで、ドストエフスキーの作品の道徳教育のモチーフがいかに形成されていったかを明らかにしたい。『白痴』との関連では、1860年前後のヤースナヤ・ポリャーナにおけるレフ・ニコラエヴィチ・トルストイの教育活動が、主人公レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン像の形成にいかに用いられたかに着目する。「大罪人の生涯」、『悪霊』については、これらの作品の登場人物である僧チーホンと主人公との対話を、ドストエフスキーが参考にしたと考えられる、ザドンスクのチーホンの思想、また、スーフィズムとの関連に着目する。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」の主ななどは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。なお、「事務局便り」にも「国際ドストエフスキー研究集会」のことが掲載されましたのでその箇所を転載します。

◎来年2018年10月23日~26日に、ブルガリアの首都ソフィアで、国際ドストエフスキー研究集会がブルガリア・ドストエフスキー協会の主催で開催される模様です。『白痴』の公刊150周年ということで、黒澤明の『白痴』もテーマとしてとりあげられ、高橋さん所属の「黒澤明研究会」に協力要請が来ています。参加希望者は、詳しくは、高橋さんのHP-http://www.stakaha.com/ からお問い合わせてください。

ドストエーフスキイの会、第241回例会(報告者:高橋誠一郎)のご案内

ドストエーフスキイの会、第241回例会のご案内を「ニュースレター」(No.142)より転載します。

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第241回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                       

日 時2017年9月16日(土)午後2時~5時           

場 所千駄ヶ谷区民会館1階奥の和室(JR原宿駅下車7分)                       ℡:03-3402-7854

報告者:高橋誠一郎 氏

 題 目: 『罪と罰』の受容と法制度と教育制度の考察――長編小説『破戒』を中心に

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:高橋誠一郎(たかはし せいいちろう)

東海大学教授を経て、現在は桜美林大学非常勤講師。世界文学会、日本比較文学会、日本ロシア文学会などの会員。研究テーマ:日露の近代化と文学作品の比較。主な著書に『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』、『黒澤明で「白痴」を読み解く』、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(以上、成文社)、『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)など。

 

第241回例会報告要旨

『罪と罰』の受容と法制度と教育制度の考察――長編小説『破戒』を中心に

内田魯庵が法学部の元学生を主人公とした長編小説『罪と罰』の英訳を購入したのは、大日本帝国憲法が発布されて言論や結社の自由や信書の秘密などの権利が条件付きではあるが保障され、司法権も独立した明治22年のことであった。

憲法のない帝政ロシアの首都サンクト・ペテルブルクを舞台にしたこの長編小説に読みふけった魯庵は、「何うかして自分の異常な感嘆を一般の人に分ちたい」と思いたち、日本で初めて『罪と罰』の前半部分を訳出して2回に分けて刊行し、売れ行きが思わしくなかったために完訳はできなかったものの反響は大きく多くの書評が書かれた。

たとえば、自由民権運動にも参加していた北村透谷は明治24年1月に著した「『罪と罰』の殺人罪」において、「学問はあり分別ある脳髄の中に、学問なく分別なきものすら企つることを躊躇(ためら)うべきほどの悪事をたくらましめたるかを現はすは、蓋(けだ)しこの書の主眼なり」と指摘し、大隈重信に爆弾を投げた来島やロシア皇太子ニコライに斬りつけた津田巡査などに言及しながら、「来島某、津田某、等のいかに憐れむべき最後を為したるやを知るものは、『罪と罰』の殺人の原因を浅薄なりと笑ひて斥(しりぞ)くるやうの事なかるべし」と記して、『罪と罰』の深い理解を示していた。

ただ、この記述には憲法発布式典の朝に文部大臣・森有礼を襲って刺殺するという大事件を起こした国粋主義者の西野文太郎の名前が挙げられていないが、その理由はその後の流れを見れば推測できるだろう。すなわち、この事件の翌年に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記された「教育勅語」が渙発されると、それから3ヶ月後には教育勅語奉読式においてキリスト者であった第一高等中学校の教員・内村鑑三が天皇親筆の署名に対して最敬礼をしなかったことを咎められて退職を余儀なくされるという「不敬事件」がおきたが、それは「立憲政治」を覆した昭和10年の「天皇機関説事件」の遠因ともなっていたのである。

一方、長編小説『破戒』(明治39)は人物体系や筋が『罪と罰』からの強い影響を受けていることが多くの批評家や研究者から指摘されているが、島崎藤村はそこで「教育勅語」と同時に公布された「小学令改正」により郡視学の監督下に置かれた教育現場の状況を「忠孝」の理念を強調した校長の演説などをとおして詳しく描き出していた。

このような『破戒』の構造はロシアの「教育勅語」とも呼ばれる「ウヴァーロフの通達」が出された「暗黒の30年」の時代に、ドストエフスキーが『貧しき人々』において寄宿学校における教師による「体罰」や友達からの「いじめ」の問題にも言及していたことを思い起こさせるが、明治37年4月には『貧しき人々』のワルワーラの「手記」が瀬沼夏葉によって訳出されていたのである。

さらに、当時のロシアの裁判制度の問題にも踏み込んでいた『虐げられた人々』の訳を明治27年から翌年にかけて『国民之友』に連載していた内田魯庵は、日露戦争の最中に『復活』の訳を新聞『日本』に掲載して「強者のみに有利なる法律、誤りたる道徳等のために如何に無垢なる人心が汚され無辜なる良民が犠牲となるかを明らかにす」との説明を載せていた。このような魯庵の記述には功利主義を主張した悪徳弁護士ルージンとの激しい論争が描かれていた『罪と罰』の理解が反映していると思われる。

発表では『文学界』同人たちとの交友や北村透谷の『罪と罰』観が描かれている島崎藤村の長編小説『春』(明治41)だけでなく、『破戒』を「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也」と激賞した夏目漱石の『坊つちゃん』(明治39)や『三四郎』(明治41)などをも視野に入れることで、「非凡人の思想」の危険性を明らかにした『罪と罰』と「差別思想」の問題点を示した『破戒』との深い関係を明らかにしたい。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会、第238回例会(報告者:木下豊房氏)のご案内

お知らせがたいへん遅くなりましたが、第238回例会のご案内を「ニュースレター」(No.139)より転載します。

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第238回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                   

 日 時2017年3月25日(土)午後2時~5時         

場 所神宮前穏田区民会館 第3会議室(2F)   ℡:03-3407-1807 

   (会場が変更になりました。下記の案内図をご覧ください

報告者:木下豊房氏 

題 目: 『カラマーゾフの兄弟』における「ヨブ記」の主題 -イワン・カラマーゾフとゾシマ長老の「罪」の概念をめぐって-

 *会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:木下豊房(きのした とよふさ)

1969年、新谷敬三郎、米川哲夫氏らとドストエーフスキイの会を起ちあげ、「発足の言葉」を起草。その後現在まで会の運営に関わる。2002年まで千葉大学教養部・文学部で30年間、ロシア語・ロシア文学を教える。2012年3月まで日本大学芸術学部で非常勤講師。研究テーマ:ドストエフスキーの人間学、創作方法、日本におけるドストエフスキー受容の歴史。著書に『近代日本文学とドストエフスキー』(1993、成文社)、『ドストエフスキー・その対話的世界』(2002.成文社)、『ドストエフスキーの作家像』(2016、鳥影社)その他。ネット「管理人T.Kinoshita」のサイトで「ネット論集」(日本語論文・ロシア語論文)を公開中。

 

第238回例会報告要旨

『カラマーゾフの兄弟』における「ヨブ記」の主題

     -イワン・カラマーゾフとゾシマ長老の「罪」の概念をめぐって-

新約聖書とドストエフスキーとの関係は、最近の芦川進一氏、大木貞幸氏の著書、および、両氏の本会例会での報告などによってクローズアップされ、このところ、私たちのドストエフスキー読解に、大きな刺激をあたえるテーマとなっている。

もっとも「聖書とドストエフスキー」というテーマからいえば、『カラマーゾフの兄弟』にとりわけ因縁深い、旧約聖書の『ヨブ記』を無視することはできないだろう。小説にはゾシマ長老の話として、『ヨブ記』のエッセンスが詳しく紹介されているだけではなく、晩年のドストエフスキーの『ヨブ記』との再会(1875)、そして遥かさかのぼる幼年時代の思い出から、小説執筆の背景に『ヨブ記』の存在があったことが想像されるのである。

ロシアの研究者の間でのこのテーマでの研究は、1997年段階での『ドストエフスキー便覧事典』の記述『ヨブ記』の項によれば、この書の作家への影響の研究は、近年まだ事実の確認にとどまっていて、『カラマーゾフの兄弟』で部分的になされているものの、創作全体にかかわる潜在的影響の解明は今後に待たれるとされている。その後の10年間を見ても、意外にこのテーマの研究は十分に展開されたとはいえないようである。

私がこのテーマに関心を向けたきっかけは、イワンがアリョーシャとの会話で、神の否定、神の創造した世界を否定する根拠に、無辜の子供にまで及ぶ「人々の間での罪の連帯性」をあげているのに妙に引っかかるものを感じたことだった。「罪の連帯性」という用語は、かつて木寺律子さんが、自分の論文の題名にこの用語を掲げていて、あらためて気づかされたのだった。明らかにラテン語由来の「連帯性」という用語が、ロシア文化史上、いつごろからどのようなコンテクストで使われるようになったのか、にまず興味をもった。

この用語はロシアでのユートピア社会主義思想の普及に伴い、とりわけ19世紀60年代末のナロードニキの思想家達、活動家達の間で一般的なものになったらしい。なかでもドストエフスキー本人やイワン・カラマーゾフのまさに同年代人であるナロードニキの思想家ピョートル・ラヴロフ(1823-1900)にとっては、人類の意識における「連帯」はきわめて重要なキーワードだった。

他方、まったく別方向からの「連帯」概念、しかもドストエフスキーに絡む形での情報に接することになった。それはドストエフスキー研究者T.カサートキナの論文からの情報で、『貧しき人々』のエピグラフの引用元であるオドエフスキーの小説『生ける死者』には、架空の小説からのエピグラフが掲げられていて、そこには作中人物達により、「solidartis(連帯)はロシア語ではどう訳したらよいのか?」の問答がなされているのである。

ここでの「連帯」の概念を、カサートキナはゾシマ長老の思想に連なるものとしているが、これはイワンの「連帯性」とは明らかに異質なものである。イワンの論理からすれば、子供に向けられた大人の罪の「連帯性」は「原罪」の論理にほかならない。「罪における連帯性」という用語を、さらに探って行くと、こういうことがわかった。

ロシア正教会において、「原罪」についての聖アウグストの教義に基づくカトリック的解釈が聖書翻訳に付随して持ち込まれた結果、なお自然崇拝の要素を残し、「原罪」については異なる解釈を持つ正教会では、これを非公認の概念としてあつかい、「罪における連帯性」と呼ぶようになったということである。こうして見ると、イワンのいう「人々の間での罪の連帯性」の概念は、明らかに「原罪」についてのカトリックの匂いが濃厚である。

他方、オドエフスキーに発し、ドストエフスキーの念頭にもあったであろう、もう一つの「連帯」概念は、多くの辞書類の解説にも見られない独特の解釈である。むしろ、ロシア人の原初的なメンタリティに由来するものとして、ゾシマ長老の思想に反映された、オプチナ修道院を中心とする「セラフィム系流(清貧派)」の修道僧や長老(アンブローシイやチーホン・ザドンスキイなど)の東方的「自然崇拝」の思想から逆照射して理解できるのではなかろうか。そこにはまたヨブの信仰の本来の姿も浮かび上がってくるように思われる。例会では出来ればこのあたりにまで話を進めたいと思っている。

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神宮前隠田区民会館の案内図

ドストエーフスキイの会会場

地下鉄千代田線か副都心線の明治神宮前駅(1分) あるいはJR山手線原宿駅(5分)。(原宿駅下車、表参道を下って、 明治通り交差点手前右横奥)

ドストエーフスキイの会、第237回例会(報告者:大木貞幸氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、第237回例会のご案内を「ニュースレター」(No.138)より転載します。

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第237回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

 日 時2017年1月28日(土)午後2時~5時

 場 所場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

℡:03-3402-7854

報告者:大木貞幸氏

 題 目: キリストの小説――ドストエフスキー・マルコによるキリスト教批判

 *会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:大木貞幸(おおき さだゆき)

65歳。団体役員。埼玉大学理工学部卒業。40歳位から文芸誌新人賞に文学批評の投稿を続ける。年1作。対象は、大江健三郎、本居宣長、源氏物語、ロラン・バルト、柄谷行人、ドストエフスキーなど。主に表現と方法、日本的なものと西欧的なものの比較論を扱う。定年を機に「カラマーゾフ論」をまとめて、昨年3月に自費出版。同年当会に入会。

 

第237回例会報告要旨

キリストの小説――ドストエフスキー・マルコによるキリスト教批判

『カラマーゾフの兄弟』について書こうと思ったのは、マルコ福音書の、転じて「歴史」を創生するかのような高度な虚構性について考えていた際、作家がこのことの「証人」の一人であると確信したからです。ドストエフスキーが、その遺作の構想に当たって「キリストの小説」という言葉に想到したとき、作家はおそらく福音書に小説でしか達成できない世界を認め、そのモデルに相即し、かつ流動させることによってキリストその人の小説を書きうると考えた。この試みは、正教ロシアに連なることになるのですが、作家の表現はどこまでマルコに切迫し、西欧キリスト教世界に対したかを確かめようとしたものです。報告では、拙論の趣旨と概要をお話しするとともに、前後して上梓された芦川進一氏の『カラマーゾフの兄弟論』にもふれさせていただきます。

拙論は、2007年に執筆した未発表の評論と追加した「論註」から成ります。以下、章立てに沿って、本論と論註を併せた簡単な梗概を示します。

1 もうひとつの「福音書」――「方法」のモデル

「イエス・キリストについての本を書くこと」という覚書の二重の意味、『カラマーゾフ』における主題と方法に関する課題設定です。作家が、モデルとしての福音書に対し、記者たちと同じ位置から「もうひとつの福音書」を書こうとしたという趣旨です。

2 小児虐待の「思想」――常識の「原理」

小説の第5篇第3章と第4章「叛逆」を扱っています。「神」と「世界」と「小児の苦痛」をめぐる、イワンの思考の型の「未熟さ」を批判しています。作者がこれに気づいたこと、このことが主題の大きな転換と「方法」への踏込みになったという趣旨です。

3 「大審問官」のキリスト――「方法」の経験

第5章「大審問官」におけるイワンの劇詩の明白な「失敗」と、これを引き取った、アレクセイの接吻とイワンの歓喜の叫び、これと同時に生起した作者の方法的転換の経験という脈絡です。作者はある「形式」に想到し、初めて福音書の世界に踏込みます。

4 ゲッセマネの「憂愁」――流動するアナロギア

第6章の表題、「いまはまだそれほどはっきりしたものではない(が)」のとおり、父の家の門の前でのイワン=スメルヂャコフの交感と、マルコにおけるイエス=ユダの「分身関係」が、流動しつつ重なり、二つの「作品」が「一つ」になっていきます。

5 ペテロの「躓き」――超越論的アナロギア

第5編最終章の一挿話、「父の家の階段の下り口」でのイワンの奇怪な行動を、倫理の「内面」の点描ととらえます。そこにマルコの「大祭司の官邸の中庭」でのペテロの「躓き」、そしてありうべきペテロの倫理的行為を重ねる作家の「好奇心」を仮説します。

6 ゾシマの「罪」と「革命」――純粋倫理批判

第6篇の、若いゾシマとミハイルの「絶対的関係」が主題です。「ほんものの人殺しは殺さない」、この命題が二度目にゾシマ=イエスを訪れるミハイル=ペテロの倫理的可能性の「実現」として、「躓き」を認容せぬ作家のマルコ批判を成します。作家は純粋倫理を定着し、「一粒の麦」の死から、イエスたりうる「人間たち」の未来を望みます。

7 小説の過去と未来――「論理」の行方

「キリストの小説」の過去と未来、その敗れた論理の行方として小説全体を概観します。第11篇におけるスメルヂャコフの論理的「復活」は、この未完の大作の一つの帰結です。作家は「すべてのことに対して小説に復讐する」かのような作品を成しました。

ドストエーフスキイの会、第235回例会(報告者:金沢友緒氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、第235回例会のご案内を「ニュースレター」(No.136)より転載します。

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第235回例会のご案内

下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                       

 日 時201617日(土)午後2時~5        

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分) 第一会議室

報告者:金沢友緒氏

題 目: ドストエフスキーと「気球」

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:金沢友緒 (かなざわ ともお)

東京大学大学院博士課程修了、現在日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は18 ・19世紀のロシア文学、文化。特にロシアにおけるドイツ受容、トゥルゲーネフ、А.К.トルストイを研究している。 「А.К.トルストイと 1840 年代ロシア-『アルテミイ・セミョーノヴィチ・ベルヴェンコフスキ イ』をめぐって-」(SLAVISTIKA 28号、2012)、 «О.П.Козодавлев и И.В.Гете. Межкультурное сопоставление (コゾダヴレフとゲーテ:異文化衝突をめぐって) » ( Русская литература № 2 , 2015) 他。

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第235回例会報告要旨

ドストエフスキーと「気球」

  文学作品は多様なジャンルの影響を受けて生まれたものであり、その中の一つが科学である。イギリス、フランス等、近代西欧先進諸国における科学技術開発の歴史の中で試みられた実験や生まれた発明に対して作家達は強い関心を示しており、ロシアの作家達もその例に漏れなかった。18世紀および19世紀を通じて近代ロシア文学は飛躍的な発展を遂げたが、そのプロセスには科学の発展もまた密接に関わりをもっていたのである。

今回の報告で注目するのはその一つである「熱気球」である。18世紀後半のフランスでモンゴルフィア兄弟がおさめた実験の成功は本国のみならず諸外国でも注目を集め、「気球 (воздушный шар)」は別名、すなわち実験者兄弟からとった「モンゴルフィア(Монгольфьер)」の名で各地に広まったのである。ロシアでも反響が大きく、フランスで実験が行われた1783年に既にペテルブルグで、また翌年にはモスクワでも同様に実験が行われた。以後、気球は飛行実験や新たな交通手段の開発の模索が繰り返される中、文学においても、伝統的な飛行のモチーフとの関わりの中で重要な役割を獲得していったのである。 本報告は18世紀から19世紀にかけての気球をめぐる科学の歴史を踏まえた上で、ドストエフスキーの作品の中では「気球」がどのような形で登場し、用いられていたかを取り上げたい。

19世紀に入って気球をめぐる技術は向上を続け、ロマン派の作家達の作品の中にしばしば登場していた。しかし写実主義への移行期には、新たな日常的交通手段としての鉄道が文学の中に登場し、大きな役割を果たすようになっていった。レフ・トルストイに繰り返し登場する『アンナ・カレーニナ』の鉄道の旅や駅の描写、ドストエフスキーの『白痴』冒頭のムィシキンとロゴージンの列車内での出会いの場面はその代表的な例であろう。無論19世紀後半にフランスで出版されたジュール・ヴェルヌの『気球に乗って』のように、「気球」を用いたファンタジー文学として西欧で大きな反響を得た作品もあったが、現実の風景としての気球飛行はさほど実用的ではないため、ロシア・リアリズム文学の中ではむしろ比喩的な表現として用いられることの方が目立っていたと思われる。

ドストエフスキーの文学の中でも数多くはないものの「気球」のモチーフは登場する。やはり「気球」を比喩的に利用したものが見られ、その中でも特に意図的な利用が明確であるのが、同時代の文壇の西欧派とスラヴ派の思想的論争の背景を踏まえて書かれた、チェルヌィシェフスキー等急進陣営に対する批判である。彼の批判に対し、他の作家もまた「気球」を踏まえて応酬したのであった。

本報告ではこの議論の他に、『罪と罰』や『賭博者』に登場する「気球」についても取り上げる。また、ロシア文学の中で「気球」のモチーフが果たしてきた役割を考慮し、例えば19世紀初めから同時代の19世紀半ばにいたる作家達、В.Ф. オドエフスキー、ブルガーリン、ゲルツェン等の作品についても比較の対象として取り上げながら、ドストエフスキーの「気球」をめぐる視点について紹介したい。

気球についての言及は、ドストエフスキーを含め、近代ロシアの作家達が科学技術の発展全般についてどのような関心をもち、また創作上、どのように利用しようとしていたかを明らかにする手がかりを提供してくれるであろう。