高橋誠一郎 公式ホームページ

『罪と罰』

「『復活』の二つの訳とドストエフスキーの受容」を「主な研究」に掲載

 長編小説『坂の上の雲』において、戦時中の新聞報道の問題を指摘していた司馬氏は、「この不幸は戦後にもつづく」と続け、「もし日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、『ロシア帝国の敗因』といったぐあいの続きものを連載するとすれば」、ロシア帝国は「みずからの悪体制にみずからが負けた」という結論になったであろうと書いていました(六・「大諜報」)。

注目したいのは、その司馬氏が後に自分の後輩でもあるジャーナリストで筑波大学の教授となった青木彰氏に、新聞『日本』において「中道主義の言論活動を展開した」陸羯南についての「講座」を設けてはどうかという提案をしていたことです。

実は新聞『日本』は、日露戦争がまだ終結する前の明治三八(一九〇五)年四月五日から一二月二二日まで約九ヵ月にわたって、農奴の娘カチューシャを誘惑して捨てた貴族の主人公の苦悩をとおしてロシアの貴族社会の腐敗を厳しく暴いた内田魯庵訳によるトルストイの長編小説『復活』を連載していたのです。

しかも、ドストエフスキーの『罪と罰』も訳していた魯庵は、「元来神経質なる露国の検閲官」という注釈を付けながら「抹殺」、「削除」された箇所も具体的に指摘していました。

*   *

昨年の3月に「日本トルストイ協会」で行われた講演会では、内田魯庵訳の『復活』への二葉亭四迷の関わりが詳しく考察され、12月にはトルストイの劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座百年を記念したイベントも開かれました。

 さらに、夏には藤沼貴・日本トルストイ協会前会長による長編小説『復活』の新しい訳が岩波文庫から出版され、「解説」には『罪と罰』の結末との類似性の指摘がされていました。その記述からは「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」とした文芸評論家の小林秀雄の『罪と罰』解釈の問題点が改めて浮き彫りになりました。

『復活』とその訳に注目することによりドストエフスキーとトルストイの作品の内的な深い関係を考察したエッセーを書きましたので、「主な研究」のページに掲載します。

 

 

井桁貞義著『ドストエフスキイ 言葉の生命』(群像社、2003年)を「書評・図書紹介」に掲載

2016年に第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムが、『罪と罰』の出版150周年を記念してスペインのグラナダで開催されます。

論文「『罪と罰』と二〇世紀後半の日本」などが収められている井桁貞義著『ドストエフスキイ 言葉の生命』  (群像社、2003年)の書評を、ご紹介が遅くなりましたが「書評・図書紹介」のページに掲載しました。

本書に収録されていなかった映画《白痴》論は、『ドストエフスキイと日本文化――漱石・春樹、そして伊坂幸太郎まで』(教育評論社、2011年)の第4章「ドストエフスキイと黒澤明」に収められています。

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の世界的なベストセラー『21世紀の資本』が日本でもたいへん話題になっています。

解説の記事などを読むと経済が成長すれば低所得者にも恩恵が波及するとの考えに懐疑的な見方を示し、安倍政権の「アベノミクス」とは一線を画しているとのことです。

ピケティ氏の強みは、この問題をたくさんの資料を読み込むことによって説得力を持つ形で、「トリクルダウン(trickle-down)」理論を批判し得ていることでしょう。

*   *

「トリクルダウン(trickle-down)」理論の問題点はよく知られており、ドストエフスキーも長編小説『罪と罰』で悪徳弁護士ルージンの説く「アベノミクス」と似た経済理論を厳しく批判していました。

リンク→「アベノミクス」とルージンの経済理論

興味深いのは、正岡子規が編集主任を務めた新聞『小日本』が、明治27年3月29日に、「貧と富」と題する論説記事を載せて金持ちの横暴を厳しく批判するとともに、格差の問題点を指摘して「極富の人に救済の義務」を説いていたことです。その一部をここに再掲します。

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(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

* 「貧と富」 *

「貧富人生免れ難しと雖(いへど)も貧者益々貧にして富者益々富まは其極や奈何(いかん)、

文明の風吹き荒(すさ)みてより見よや此間(このあひだ)に一大溝渠(こうきょ)の作られもて行けるを、

駿台(しゆんだい)の紳士は犬を養ふに一月(ひとつき)数百万を費やす、煉瓦の室是れ犬の居る処、牛豚の肉是れ犬の食(くら)ふ処一転して万年町(ばんねんちやう)の光景に見れば犬にはあらぬ人間が居(を)る処は風雨を凌ぐには足らず食(くら)ふ処は腹を満たすにも足らず、父は病に臥して薬の供すべきなく児は饑(うゑ)に泣きて与ふるに物なし、(中略)

同しく生れて人間となる、一(ひとつ)は此(かく)の如く一は彼(かれ)の如し、極貧(きょくひん)の人に受済の権利なきも極富の人に救済の義務なき乎、窮鼠は猫を噛む、窮民益々多くして其極や如何、

今の肉食(にくじき)者は之を思はずや、

社界党は党中の尤も恐るべきものなり、」

 

小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、2015年01月22日に、核戦争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」が、「残り3分」になったと発表しました。

私自身が文学を研究する道を選んだ大きな動機は、「人類滅亡の悪夢」が描かれている『罪と罰』などをとおして戦争の危険性を訴えるためだったので、「終末時計」がアメリカに続いてソ連も原爆実験に成功した1949年と同じ「残り3分」になったことに強い衝撃を受けています。

それゆえ、「ウィキペディア」などを参考に「核兵器・原発事故と終末時計」の年表を作成しましたので、年表Ⅶとして年表のページに掲載します。

リンク→年表Ⅶ、核兵器・原発事故と終末時計

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(広島と長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲、1945年8月、図版は「ウィキペディア」より)

*  *

日本における反原爆の運動と原発事故の問題については、前著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』で考察しました。

しかし、1965年に行われた数学者の岡潔氏との対談「人間の建設」についての言及が抜けていたのでそれを補いながら、小林秀雄の「原子力エネルギー観」と歴史観との関連について簡単に記しておきます。

*  *

1947年に創設された終末時計は東西冷戦による核戦争の危機を評価の基準として、当初は「残り7分」に設定されましたが、文芸評論家の小林秀雄のすばらしい点はその翌年8月に行われた湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で、「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら批判していたことです。

しかし、年表をご覧頂ければ分かるように、日本を取り巻く核廃絶の環境はその頃から急速に悪化していき、そのような流れに沿うかのように小林秀雄の原子力エネルギーの危険性に対する指摘は陰を潜めてしまうのです。

リンク→http://zero21.blog65.fc2.com/blog-entry-130.html(湯川秀樹博士の原子力委員長就任と辞任のいきさつ)

たとえば、米ソで競うように水爆実権が繰り返されるようになる1953年から1960年までは最悪の「残り2分」となり、1962年の「キューバ危機」では核戦争が勃発する寸前にまで至りました。それを乗り越えたことにより「終末時計」は「残り12分」に戻ったものの、相変わらず「残り時間」がわずかとされていた1965年に小林秀雄は数学者の岡潔と対談しています。

ことにこの対談で哲学者ベルグソン(1859~1941)にも言及しながら物理学者としてのアインシュタイン(1879~1955)と数学者との考え方の違いについて尋ねた箇所は、この対談の山場の一つともなっています。

しかし、「(アインシュタインが――引用者注)ベルグソンの議論に対して、どうしてああ冷淡だったか、おれには哲学者の時間はわからぬと、彼が答えているのはそれだけですよ」という発言に現れているように、小林の関心は両者の関係に集中しているのです(『人間の建設』新潮文庫、60頁)。

小林秀雄はさらに、「アインシュタインはすでに二十七八のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか」とも尋ねています(太字は引用者、68頁)。

しかし、日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識したアインシュタインは、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指し、それは彼が亡くなった1955年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していたのです。

リンク→ラッセル・アインシュタイン宣言-日本パグウォッシュ会議

湯川博士との対談では「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の危険性を小林が鋭く指摘していたことを思い起こすならば、ここでもアインシュタインの「道義心」を高く評価すべきだったと思えるのですが、そのような彼の活動の意義はまったく無視されているのです。

*  *

その理由の一端は、「歴史の一回性」を強調し、科学としての歴史的方法を否定した1939年の「歴史について」と題する『ドストエフスキイの生活』の次のような序で明らかでしょう。

「歴史は決して繰返しはしない。たゞどうにかして歴史から科学を作り上げようとする人間の一種の欲望が、歴史が繰返して呉れたらどんなに好都合だらうかと望むに過ぎぬ。そして望むところを得たと信ずるのは人間の常である」〔五・一七〕。

さらに、評論家の河上徹太郎と1979年に行った「歴史について」と題された対談でも、「煮詰めると歴史問題はどうなります? エモーション(感情、感動、編集部注)の問題になるだろう」と河上に語りかけた小林は、「なんだい、エモーションって……」と問われると、「歴史の魂はエモーショナルにしか掴めない、という大変むつかしい真理さ」と説明しているのです。

たしかに、「エモーション」を強調することで「歴史の一回性」に注意を促すことは、一回限りの「人生の厳粛さ」は感じられます。しかし、そこには親から子へ子から孫へと伝承される「思想」についての認識や、法律制度や教育制度などのシステムについての認識が欠けていると思われます。

「歴史の一回性」を強調した歴史認識では、同じような悲劇が繰り返されてしまうことになると思われますし、私たちが小林秀雄の歴史観を問題にしなければならないのも、まさにその点にあるのです*

*  *

そのような問題意識を抱えながらベトナム戦争の時期に青春を過ごしていた私は、伝承される「思想」や法律制度や教育制度などのシステムについての分析もきちんと行うためには、「文学作品」の解釈だけではなく、「文明学」の方法をも取り入れてドストエフスキー作品の研究を行いたいと考えたのでした。

それから半世紀以上も過ぎた現在、人類が同じような問題に直面していることに愕然としますが、学生の頃よりは少しは知識も増え、伝達手段も多くなっていますので、この危機を次世代に引き継がせないように全力を尽くしたいと思います。

*  *

注 *1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

重大な問題は、戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたことである。

この言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示したのである。(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁。不二出版、復刻版、2008~2011年)。

(2015年6月4日、注を追加。6月11日、写真を追加)

 

小林秀雄と「一億玉砕」の思想

前回のブログ記事で書いたように。本来は国民の「生命を守り」、豊かな生活を保障するためにある「国家」が、自分たちの責任を放棄して「国民」に「一億玉砕」を命じるのはきわめて異常であると思います。

かつて、そのことを考えていた私は「戦争について」というエッセーで「銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであらう。僕にはこれ以上の覚悟が考へられないし、又必要だとも思はない」と書いていた文芸評論家の小林秀雄が、戦前の発言について問い質されると「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない」と語っていた文章に出会ってたいへん驚きました。

『永遠の0(ゼロ)』という小説を私が詳しく分析しようと思ったきっかけの一つは小林秀雄の歴史認識の問題でしたので、ここでは林房雄との対談の一節を引用しておきます。

*   *

1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていました。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていました。

この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していたのです。(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

*   *

「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」という林房雄の無責任な発言には唖然とさせられましたが、戦後は軍人の一部がA級戦犯として処刑される一方で、戦争を煽っていたこれらの文学者の責任はあまり問われることはなく、小林秀雄の文章は深く学ぶべきものとして、大学の入試問題でもたびたび取り上げられていたのです。

しかも、評論家の河上徹太郎と1979年に行った「歴史について」と題された対談で、「歴史の魂はエモーショナルにしか掴めない」と説明した小林は、「歴史の『おそろしさ』を知り抜いた上での発言と解していいのだな」と河上から確認されると、「それは合理的な道ではない。端的に、美的な道だと言っていいのだ」と断言していました。

『罪と罰』を論じて「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と解釈していた小林秀雄が、果たして「歴史の『おそろしさ』を知り抜いた」と言えるでしょうか。「同じ過ちを犯さないため」に「歴史を学ぶ」ことを軽視して、小林秀雄のように「情念」を強調する一方で歴史的な「事実」を軽視すると、日本人は同じ過ちを繰り返して「皆んな一緒に滅びて」しまう危険性があるのではないでしょうか。

リンク→『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社、2014)

小林秀雄の著書の題名には「考えるヒント」という読者を魅了するようなすぐれた題名の本もありますが、しかし、彼の方法は「考える」ことを断念して「白蟻」のような勇敢さを持つように大正の若者たちに説いた徳富蘇峰の方法に近いのです。

地殻変動によって国土が形成され、地震や火山の活動が再び活発になっている今、19世紀の「自然支配」の思想を未だに信じている経済産業省や産業界は、大自然の力への敬虔な畏れの気持ちを持たないように見える安倍首相を担いで原発の推進に邁進しています。

原発や戦争の危険性には目をつぶって「景気回復、この道しかない。」と国民に呼びかける安倍政権のポスターからは、「欲しがりません勝つまでは」と呼びかけながら、戦況が絶望的になると自分たちの責任には触れずに「一億玉砕」と呼びかけた戦前の政治家と同じような体質と危険性が漂ってくるように思えます。

リンク→「一億総活躍」という標語と「一億一心総動員」 

(2016年2月17日。リンク先を追加)

「アベノミクス」とルージンの経済理論

ルージンとは誰のことか分からない方が多いと思いますが、ルージンとはドストエフスキーの長編小説『罪と罰』に出て来る利己的な中年の弁護士のことです。

日本の「ブラック企業」について論じた以前の記事で、ロシアの近代化が「農奴制」を生んだことを説明した頃にも、「アベノミクス」という経済政策がルージンの説く経済理論と、うり二つではないかという印象を持っていたのですが、経済学者ではないので詳しい考察は避けていました。

リンク→「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在

しかし、デモクラTVの「山田厚史のホントの経済」という番組で「新語・流行語大賞」の候補にもノミネートされた「トリクルダウン」という用語の説明を聞いて、私の印象がそう的外れではないという思いを強くしました。

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「ウィキペディア」によれば、「トリクルダウン(trickle-down)」理論とは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」という経済理論で、「新自由主義の代表的な主張の一つであり」、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが「この学説を忠実に実行した」レーガノミクスを行ったとのことです。

興味深いのは、『罪と罰』の重要人物の一人である中年の弁護士ルージンが主人公・ラスコーリニコフに上着の例を出しながら、これまでの倫理を「今日まで私は、『汝の隣人を愛せよ』と言われて、そのとおり愛してきました。だが、その結果はどうだったでしょう? …中略…その結果は、自分の上着を半分に引きさいて隣人と分けあい、ふたりがふたりとも半分裸になってしまった」と批判していたことです。

そしてルージンは「経済学の真理」という観点から、このような倫理に代わるものとして、「安定した個人的事業が、つまり、いわば完全な上着ですな、それが社会に多くなれば多くなるほど、その社会は強固な基礎をもつことになり、社会の全体の事業もうまくいくとね。つまり、もっぱらおのれひとりのために利益を得ながら、私はほかでもないそのことによって、万人のためにも利益を得、隣人にだって破れた上着より多少はましなものをやれるようになるわけですよ」と自分の経済理論を説明していたのです(二・五)。

ルージンは「新自由主義」の用語を用いれば「富める者」である自分の富を増やすことで、貧乏人にもその富の一部が「したたる」ようになると、「アベノミクス」に先んじて語っていたとも思えるのです。

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「トリクルダウン理論」については、「実証性の観点からは、富裕層をさらに富ませれば貧困層の経済状況が改善することを裏付ける有力な研究は存在しないとされている」ことだけでなく、レーガノミクスでは「経済規模時は拡大したが、貿易赤字と財政赤字の増大という『双子の赤字』を抱えることになった」ことも指摘されています。

その理由をシャンパングラス・ツリーの図を用いながら、分かり易く説明していたのが山田厚史氏でした。私が理解できた範囲に限られますが、氏の説明によれば結婚式などで用いられるシャンパングラス・ツリーでは、一番上のグラスに注がれてあふれ出たシャンパンは、次々と下の段のグラスに「滴り落ち」ます。

しかし、経済においてはアメリカに巨万の富を有する者や企業が多く存在するように、頂点に置かれてシャンパンを注がれるグラス(大企業)自体は、大量のシャンパン(金)を注がれてますます巨大化するものの、それらを内部留保金として溜め込んでしまうのです。それゆえ、下に置かれたシャンパングラス(中小企業)は、ほとんどシャンパン(金)が「滴り落ち」てこないので、ますます貧困していくことになるのです。

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「トリクルダウン理論」の危険性に気付けば、日本よりも150年も前に行われたピョートル大帝の「文明開化」によって、「富国強兵」には成功していたロシア帝国でなぜ農民の「農奴化」が進んだかも明らかになるでしょう(商業と農業との違いはありますが…)。 再び『罪と罰』に話を戻すと、ドストエフスキーがペテルブルクに法律事務所を開こうとしているかなりの財産を持つ45歳の悪徳弁護士ルージンにこのような経済理論を語らせた後で、ラスコーリニコフにそのような考えを「最後まで押しつめていくと、人を切り殺してもいいということになりますよ」(二・五)と厳しく批判させていたのは、きわめて先見の明がある記述だったと思えます。

しかし、文芸評論家の小林秀雄は意外なことに重要な登場人物であるルージンについては、『罪と罰』論でほとんど言及していないのです。そのことはマルクスにも言及したことで骨のある評論家とも見なされてきた小林秀雄が『白痴』論で「自己中心的な」貴族のトーツキーに言及することを避けていたことにも通じるでしょう。 しかしそれはすでに別のテーマですので、ここでは「アベノミクス」という経済政策の危険性をもう一度示唆して終わることにします。

リンク→「主な研究活動」に「『地下室の手記』の現代性――後書きに代えて」を掲載

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金

経済学の専門家でない私が消費税の問題を論じても説得力は少ないだろうとの思いは強いのですが、この問題は「国民」の生活や生命にも重大な影響を及ぼすと思えますので、今回は年金の問題に絞って、次回は司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』にも言及しながら武器の輸出入の問題を扱うことで、私が経済至上主義と捉えているアベノミクスの問題点を考察してみたいと思います。

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株価の操作と年金問題

今回の衆議院の解散に際して、安倍首相は「消費税の10%に上げることを17年4月まで先送りにする」ことの是非を問うために総選挙を行うと説明したと伝えられています。

しかし、2014年4月に消費税が5%から8%に増税される際には「社会福祉財源の充実と安定化」が謳われ、具体的には消費税の増税分は「年金・医療・介護・少子化対策などの社会福祉」にあてると説明されていました。

問題は、最近になって株価が値下がりを始めると、「株価に敏感な安倍政権は成長戦略に本腰を入れ、6月13日には安倍首相自らが経済財政諮問会議で法人税を『数年内に20%台に引き下げる』と明言」しただけでなく、さらに、127兆円規模の公的年金を運用する世界最大級の機関投資家である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、年金の運用額を引き上げるという改革案を打ち出したことです。

この「改革」については、「GPIF改革が年金を破壊? 巨額損失の危険も 株価対策に年金を利用という愚策」という題名の『Business Journal』7月2日の記事で松井克明氏が、「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社/6月21日号)の『寄稿 GPIF改革四つの誤り 政治介入で運用は崩壊する』という記事では前GPIF運用委員の小幡績慶應義塾大学ビジネススクール准教授が、「GPIF改革は株価操作の道具ではない。年金の長期運用を改善するための100年の計の改革であり、それ以上でもそれ以下でもなく、これは年金運用への政治介入であり、長期的に運用環境を破壊し、大きな損失をもたらす」と警鐘を鳴らし、さらに、臼杵政治名古屋市立大学教授が「経済政策のために公的年金が自国株式への投資を拡大した例も耳にしたことがない」、「経済活性化を目的とした日本株投資の増額は(略)欧米の年金基金の常識でもある『加入者の利益のための運用』に合致するのか疑問である」と、「日経ヴェリタス」(日本経済新聞社/6月15日~21日号)に批判的な記事を載せていることを紹介して、こう結んでいます。「普段は株式投資に前のめり論調の日経や「ダイヤモンド」ですらも疑問を投げかけているのが、現在の政府主導のGPIF改革なのだ」。

昔から「素人は相場には手を出すな」という格言がありますが、株の素人の私から見ると現政権全体が「相場師」化しているような感じさえ受け、「消費税の増税」の是非を問うという説明は単なる口実のように見えます。

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リンク先

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

「欲しがりません勝つまでは」と「景気回復、この道しかない。」

「アベノミクス」とルージンの経済理論(ルージンは『罪と罰』に出て来る利己的な悪徳弁護士)

(12月3日。以前の題名「アベノミクス(経済至上主義)と消費税の増税」より改題。2016年6月22日、リンク先を追加)

『黒澤明と小林秀雄』の「人名・作品名索引」を「著書・共著」に掲載

 

 『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の「人名・作品名索引」を作成しました。  

これまでも『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』の事項索引などを作成して、その本の「著書・共著」のページに掲載してきました。

ただ、そのページ内ではかえって見つけにくいので、「著書・共著」に索引として独立させました。

リンク先→黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(人名・作品名索引)

 

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の写真を掲載

 

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『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の表紙と帯が完成しましたので、拙著の写真をトップページの「お知らせ」と「主な研究(活動)」、および「著書・共著」のページにも掲載しました。                  

これに伴い以前に掲載していた目次も訂正し、「著書・共著」のページを更新しました。リンク先→近刊『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

 

「あとがきに代えて」でも記しましたが、「テキスト」という「事実」を自分の主観によって解釈し、大衆受けのする「物語」を「創作」するという小林の方法は、厳しい現実を直視しないで威勢のよい発言をしていた鼎談「英雄を語る」などにおける歴史認識にも通じていると思えます。このような方法の問題がきちんと認識されなければ、国民の生命を軽視した戦争や原発事故の悲劇が再び繰り返されることになるでしょう。

注 1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたのである。この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していた。(「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

                                                                        

 
黒澤監督のドストエフスキー観をとおして、小林秀雄のドストエフスキー観や「原子力エネルギー」観の問題点を明らかにしようとした拙著が、現政権の危険な原発政策を変えるために、いささかでも貢献できれば幸いです。加筆・2014年6月29日)
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〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉を「主な研究」に掲載

 

文芸評論家・小林秀雄は太平洋戦争の直前の一九四〇年八月に林房雄や石川達三と「英雄を語る」という題名で鼎談を行っていました。日本の近代を代表する「知識人」の小林が行っていたこの鼎談は、『罪と罰』におけるラスコーリニコフの「非凡人の理論」や「良心」の問題とも深く関わっていると思えます。

しかし、この重要な鼎談の内容は研究者にもまだあまり知られていないようです。                    拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)では、小林の「原子力エネルギー」観の問題についても詳しく論じたので、〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉という題でそれらの問題点を簡単に考察し、「主な研究」のページに掲載します。