ブリストル大学名誉教授のピース氏は、イギリスで生まれた功利主義の哲学やイギリスの歴史家バックルが『イギリス文明史』に記した文明観をドストエフスキーが主人公に正面から批判させていることをイギリスの思想的潮流をもきちんとふまえて、『ドストエフスキイの「地下室の手記」を読む』で明らかにしています。
一方、ドストエフスキー論の「大家」と見なされている小林秀雄は、この作品の直後に書かれた長編小説『罪と罰』についても論じていますが、主人公ラスコーリニコフの妹の婚約者である中年の弁護士ルージンについては不思議なことにほとんど言及していません。しかし、舌先三寸で白を黒と言いくるめるような自己中心的で、功利主義的な思想の持ち主であるこの弁護士がラスコーリニコフの主要な論敵の一人であることを思い起こすならば、小林秀雄は現代の問題とも深く関わる思想的な課題から目をそらした形で『罪と罰』の解釈を行っていたといわねばならないでしょう。
このような小林秀雄のドストエフスキー論の問題は、原発事故を直視しないであたかもなかったかのように通り過ぎようとしている政府の現実認識とも通じていると感じています。問題の根は深いようですので、じっくりと考えていきたいと思います。