高橋誠一郎 公式ホームページ

黒澤明

「シネ・ヌーヴォ」で「黒澤明映画祭」が開催

 

お知らせが遅くなりましたが、関西の映画・映像情報ウェブマガジン「キネプレ」によれば、『七人の侍』誕生60周年を記念し、黒澤明監督の作品全30本を上映する「黒澤明映画祭」が、大阪・九条のシネ・ヌーヴォで明日の10月25日(土)から8週間にわたって開催されるとのことです。

「東京新聞」(9月4日)夕刊の「反核 黒沢映画に光り」という見出しの記事は、映画《生きものの記録》(1955年)が最初は「もし、鳥がこれを知ったなら」だったというタイトルだったという野上照代氏の証言を紹介するとともに、ビキニ事件に着想を得たこの映画が「各地の映画祭などで上映されている」ことを伝えています。

「調べれば調べるほど、その巨匠っぷりに驚いています」と語り、黒澤映画の全貌を伝えようとする志と今回の企画に深く共感しましたので、以下にその記事を引用し、サイトを紹介しておきます。

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今回は、今年2014年が『七人の侍』が作られて60年であることを記念して、これまで多くの監督や俳優の周年特集を実施してきたミニシアター、シネ・ヌーヴォが「黒澤明映画祭」を企画した。1943年の『姿三四郎』から、遺作となった1993年の『まあだだよ』まで、全30作品を8週間にわたって上映する予定。黒澤明全作品が揃うのは、2010年に実施された「黒澤明 生誕100年祭」以来だという。

『羅生門』(1950年)、『七人の侍』(1954年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『天国と地獄』(1963年)などの有名作ももちろん、それ以外の作品も堪能できるという企画。「世界のクロサワ」と呼ばれ、多くの映画人に多大な影響を与えた黒澤監督だが、映画ファン以外の人でも、その魅力に触れ、再発見する絶好の機会になりそうだ。 「調べれば調べるほど、その巨匠っぷりに驚いています。本当にとてつもない人だなと。そんな偉大さを体感してほしい」と話す、シネ・ヌーヴォ支配人の山崎さん。 同館公式ツイッターでは「シネ・ヌーヴォ社運を賭けとります」と宣言し大きな反響に。「たくさんの方に足を運んで頂けますように!」と呼びかけている。

■サイト

黒澤明映画祭

シネ・ヌーヴォ

シネ・ヌーヴォの社運賭けた黒澤明映画祭 大阪で全30作一挙上映

 

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

標記の拙著に関しては発行が大幅に遅れて、ご迷惑や心配をおかけしていますが、ようやく新しい構想がほぼ固まりました。

本書では「黒塊(コツクワイ)」演説を行ったことが咎められて松山中学を中退して上京し、「栄達をすてて」文学の道を選んだ正岡子規に焦点を絞ることで、新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が子規の成長をどのように描いているかを詳しく考察しています。

長編小説『坂の上の雲』では、子規の死後に起きた日露戦争における戦闘場面の詳しい描写や戦術、さらには将軍たちの心理の分析などに多くの頁が割かれていますので、それらを省略することに疑問を持たれる方もおられると思います。

しかし、病いを押してでも日清戦争を自分の眼で見ようとしていた子規の視野は広く、「写生」や「比較」という子規の「方法」は、盟友・夏目漱石やその弟子の芥川龍之介だけでなく、司馬氏の日露戦争の描写や考察にも強い影響を及ぼしていると言っても過言ではないように思えます。

司馬氏は漱石の長編小説『三四郎』について「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記しています。子規と漱石との交友や、子規の死後の漱石の創作活動をも視野に入れることで、長編小説『坂の上の雲』の「文明論的な」骨太の骨格を明らかにすることができるでしょう。

『坂の上の雲』の直後に書き始めた長編小説『翔ぶが如く』で司馬氏は、「征韓論」から西南戦争に至る時期を考察することで、「近代化のモデル」の真剣な模索がなされていた明治初期の日本の意義をきわめて高く評価していました。明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」は、新聞『日本』の記者となった子規だけでなく、「特定秘密保護法」が閣議決定された現代日本の言論や報道の問題にも深く関わると思われます。

それゆえ本書では、子規の若き叔父・加藤拓川と中江兆民との関係も視野に入れながらこの長編小説をも分析の対象とすることで、長編小説『坂の上の雲』が秘めている視野の広さと洞察力の深さを具体的に明らかにしたいと考えています。

ドストエフスキーを深く敬愛して映画《白痴》を撮った黒澤明監督は、『蝦蟇の油――自伝のようなもの』の「明治の香り」と題した章において、「明治の人々は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』に書かれているように、坂の上の向うに見える雲を目指して、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う」と書いています。

焦点を子規とその周囲の人々に絞ることによって、この作品の面白さだけでなく、「明治の人々」の「残り香」も引き立たせることができるのではないかと願っています。

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館

( 2015年8月10日、改訂と改題)

 

「長崎原爆の日」と映画《この子を残して》

 「長崎原爆の日」にちなんだ前回のブログでは、広島と長崎に2発も大量虐殺兵器を落としたアメリカ軍の「人道的な罪」を不問にした当時の日本の政治家の「道徳」観についても言及しました。                          

そのこともきちんと触れなければならないと考えるようになったきっかけは、木下恵介監督の映画《この子を残して》を拙著で考察したことにありました。

 今回はその一部をHP用に書き直すことにより、広島と長崎に落とされた「原爆」と「原発事故」の問題をとおして、「兵器」や「科学技術」と「倫理(道徳)」の問題を考えたいと思います。

リンク先→映画《この子を残して》と映画《夢》

映画《ゴジラ》考――「ゴジラ」の怒りと「核戦争」の恐怖

 「第五福竜丸」事件が起きた年に映画《ゴジラ》(原作:香山滋。脚本:村田武雄・本多猪四郎)が製作されてから、今年が60周年に当たります。アメリカで製作された《Godzilla ゴジラ》がヒットしていることもあり、NHKのBSで7月8日にデジタルリマスター版《ゴジラ》の第一作が放映されました。

 久しぶりにこの映像を見直すと、志村喬の演じた古代生物学者の山根博士などの言葉をとおして、水爆の危険性と核エネルギーの問題点が鋭く指摘されていたことに気づかされます。

 昨年の「終戦記念日」にはブログ記事の〈終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ〉で、原爆が投下された後の広島を見た体験について語った本多猪四郎監督の言葉を紹介しながら、映画《ゴジラ》が核の危険性を鋭く指摘していたことを紹介しました。

 最近、『初代ゴジラ研究読本』(洋泉社MOOK、2014年)に《ゴジラ》の脚本が掲載されましたので、今日と「広島原爆の日」の明後日の2回にわたって「映画・演劇評」のページで、黒澤映画《生きものの記録》も視野に入れながら映画《ゴジラ》を考えてみたいと思います。

 第一回の今回は〈「ゴジラ」の怒りと放射能の隠蔽〉と題して、スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)にも言及しながら、「情報」の隠蔽の問題がこれらの作品でどのように描かれているかを考察し、第二回には〈「ゴジラ」の恐怖と「核戦争」の恐怖〉と題して、タルコフスキーの映画《サクリファイス》にも言及しながら、冷戦下の軍備拡大の恐怖とソ連から観た映画《ゴジラ》の問題を考察することにします。

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐怖

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

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 リンク→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の目次

(2015年10月30日、リンク先を追加。2016年1月2日、リンク先と書影を追加)

「あとがきに代えて──小林秀雄と私」を「主な研究」に掲載

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の「あとがきに代えて」では、小林秀雄のバルザック観にも言及しながら、小林秀雄のドストエフスキー論と私の研究史との関わりを簡単に振り返りました。       

 「あとがきに代えて」を謝辞の部分を省略した形で、「主な研究」に掲載しました。                  

   リンク先→ あとがきに代えて──小林秀雄と私

 

 

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の写真を掲載

 

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『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の表紙と帯が完成しましたので、拙著の写真をトップページの「お知らせ」と「主な研究(活動)」、および「著書・共著」のページにも掲載しました。                  

これに伴い以前に掲載していた目次も訂正し、「著書・共著」のページを更新しました。リンク先→近刊『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

 

「あとがきに代えて」でも記しましたが、「テキスト」という「事実」を自分の主観によって解釈し、大衆受けのする「物語」を「創作」するという小林の方法は、厳しい現実を直視しないで威勢のよい発言をしていた鼎談「英雄を語る」などにおける歴史認識にも通じていると思えます。このような方法の問題がきちんと認識されなければ、国民の生命を軽視した戦争や原発事故の悲劇が再び繰り返されることになるでしょう。

注 1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたのである。この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していた。(「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

                                                                        

 
黒澤監督のドストエフスキー観をとおして、小林秀雄のドストエフスキー観や「原子力エネルギー」観の問題点を明らかにしようとした拙著が、現政権の危険な原発政策を変えるために、いささかでも貢献できれば幸いです。加筆・2014年6月29日)
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「主な研究」に掲載した〈黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎〉を更新して再掲

 

 拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』がようやく校了となりました。

 本書もだいぶ時間をかけて書いていたのですが、  全体を書き終えた後で読むと論理的なつながりが弱い箇所があることに気づきました。    

 ことに、小林秀雄がムィシキンの批判者として重要視していたラドームスキーについてはあまり知られていないようなので、プーシキンの主人公と同じ名前のエヴゲーニーという名前を持つラドームスキーの役割を詳しく分析しました。このことにより、 映画《白痴》から映画《赤ひげ》への流れと、黒澤明のドストエフスキー理解の深まりがいっそう明確になったのではないかと考えています。

 それゆえ、「はじめに――黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎」においても黒澤明と小林秀雄の「対談」に至るまでとその後の流れを厳格に時間軸に沿って記すとともに、 「原子力エネルギー」だけでなく「大地主義」についても記すことで、 両者の見解の違いを明瞭にしました。

リンク先 →黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎

 

〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉を「主な研究」に掲載

 

文芸評論家・小林秀雄は太平洋戦争の直前の一九四〇年八月に林房雄や石川達三と「英雄を語る」という題名で鼎談を行っていました。日本の近代を代表する「知識人」の小林が行っていたこの鼎談は、『罪と罰』におけるラスコーリニコフの「非凡人の理論」や「良心」の問題とも深く関わっていると思えます。

しかし、この重要な鼎談の内容は研究者にもまだあまり知られていないようです。                    拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)では、小林の「原子力エネルギー」観の問題についても詳しく論じたので、〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉という題でそれらの問題点を簡単に考察し、「主な研究」のページに掲載します。

「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

文芸評論家の小林秀雄は、功利主義を主張するルージンとの対決などを省いた形で考察した1934年の「『罪と罰』についてⅠ」で、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注――ラスコーリニコフ)には現れぬ」とし、エピローグは「半分は読者の為に書かれた」と解釈していました〔六・四五、五三〕。

そして、1936年に発表した「『罪と罰』を見る」と題した映画評で小林は、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》などを厳しく批判していたのです。

私は、スタンバーグ監督の映画を高く評価していた黒澤明が同じ年に、P・C・L映画撮影所(東宝の前身)に助監督として入社したことに注意を払うことで、黒澤映画《夢》が長編小説『罪と罰』と同じような「夢」の構造をしているのは偶然ではなく、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》の理解などをふまえて、エピローグや「良心」などについての小林秀雄の解釈を映像という手段で批判的に考察していた可能性が強いことを示唆しました(リンク先→「小林秀雄の映画《罪と罰》評と黒澤明」)。

 

昨日は憲法の意味を国民に説くべき「憲法記念日」でしたが、幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。

「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツがどのような事態を招いたかをきちんと認識するためにも1935年に公開されたスタンバーグ監督の映画《罪と罰》は重要でしょう。

この映画についてはあまり知られていないようなので、小林秀雄の映画評を簡単に紹介した後で、この映画の内容と現代的な意義を「映画・演劇評」で考察しました(リンク先→「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」

 

 

拙著『黒澤明と小林秀雄』、予約注文の受付開始のお知らせ

 

予約注文の受付開始のお知らせ

ようやく、拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)を脱稿しました。

 四六判上製、304頁、2500円(本体価格)で、7月に出版される予定です。
 
 この度は成文社のご厚意で、 6月末日までに予約注文をされた方には、2割引きで販売して頂くことになりました。

ご購入をご希望の方は、所属の学会・研究会名を、 所属されていない場合は本HPでご覧になったことをご記入の上、 直接、成文社のメールアドレス(info@seibunsha.net)へお申し込みください。
 
 なお、最新の目次は「著書・共著」のリンク先「近刊『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社) 」に掲載しました。