高橋誠一郎 公式ホームページ

黒澤明

講演「黒澤明監督の倫理観と自然観」の感想が桝谷裕氏のブログに

《生きものの記録》に関する記事をネットで探していたところ、「黒澤明監督とドストエフスキー」と題するブログ記事で俳優の桝谷氏が講演の感想を書かれていたのを見つけました。

そのブログ記事では私の講演の要点が適確にまとめられているだけでなく、その後の質疑応答や岩崎雅典監督の映画の紹介も記されていました。だいぶ時間が経ってはいますが、人名などの誤植を一部改めた形で、お礼の意味も込めてこのブログに転載させて頂くことにします。(行替えなどを変更させて頂いた箇所は/で示しています)。

リンク→「黒澤明監督の倫理観と自然観」

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「黒澤明監督の倫理観と自然観――《生きものの記録》から映画《夢》へ」/という講演会に行きました。(「地球システム・倫理学会」研究例会)/高橋誠一郎氏(元東海大学教授、現桜美林大学非常勤講師)。

黒澤明監督がドストエフスキーの影響を強く受けていたことを中心に、黒澤明監督の自然観、倫理観について話されました。

1ドストエフスキーの「罪と罰」の人類滅亡の悪夢と、映画「夢」の「赤富士」と「鬼哭」

2原爆を描いた映画「生きものの記録」とその時代

3映画「デルス・ウザーラ」における環境倫理

4映画「夢」における黒澤明監督の倫理観と自然観

おわりに ラスコーリニコフの復活と映画「夢」の第八話「水車のある村」

「地下室の手記」で主人公は、弱肉強食の思想や統計学、さらには功利主義など、近代西欧の主要な流れの哲学と対決している、というイギリスの研究者(ピース)の指摘を紹介されました。殺害を正当化する(近代西欧の思想に影響されている)ラスコーリニコフに、流刑地のシベリアで人類滅亡の悪夢を見せることで、弱肉強食の思想や、自己を絶対化して自然を支配し他者を抹殺する非凡人の理論の危険性を示唆していると話されました。

黒澤明監督がドストエフスキーについて「生きていく上でつっかえ棒になることを書いてくれてる人です」と話していたこと。

第五福竜丸事件を受けて製作され、1955年に公開された「生きものの記録」を撮った黒澤明監督が、核の利用を鋭く批判していたこと。

「核っていうのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体がね、人間が思い上がっていると思うの、ぼくは」 「人間は全てのものをコントロールできると考えているのがいけない。傲慢だ。」/と語り、まるで福島の出来事を予感していたかのよう。

1953年にアメリカatoms for the peaceということが言われ、それに呼応するかのように日本は原子力利用に向かって動き出し、/「生きものの記録」が公開された1955年は、日本で「原子力基本法」が成立した年(原子力元年といえる年)でした。「生きものの記録」は興行的には振るわなかったそうです。 「直視しない日本人」ということも黒澤明監督が言っていたとも紹介されました。

主に「夢」を中心に、シーンごとに、ドストエフスキーの思想、自然観、「罪と罰」、ラスコーリニコフとの対応を話されました。 正直言って「夢」は私にとってとらえどころのない作品ですが、新たな視点で見直してみたいです。

会場は主に研究者の方々。質疑応答で、核の問題からチェルノブイリ、福島へ。また映画「デルス・ウザーラ」から自然観、少数民族の問題、アイヌの話。宗教観まで話は広がりました。

福島のその後を映画に撮られている岩崎雅典監督も会場にいらして、撮影の中で見えてきた福島の様子問題をお話してくださいました。「福島 生きものの記録 シリーズ3~拡散~」が6月日比谷図書館で上映されるそうです。(6/25、26、29)

観念的な話ではなく、人間の本質と、今目の前で起きている具体的出来事が常に結びついた話でした。

*   *   *

筆者の桝谷裕氏のブログには、11月28日(土)に行われる「父と暮せば」(作井上ひさし)の一人語りなどの《公演予定》も記されていますので、以下にブログのアドレスも記載しておきます。

黒澤明監督とドストエフスキー 桝谷 裕 -yutaka masutani …

yutakamasutani.blog13.fc2.com/blog-entry-628.html

長崎でのパグウォッシュ会議と「核使用禁止」決議への日本の棄権

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(東宝製作・配給、1955年、図版は「ウィキペディア」より)。

米国のビキニ水爆実験によって「第五福竜丸」や周辺の島々の人々が被爆した悲劇の反省から湯川秀樹博士ら著名な科学者10人が署名した1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」を実現するために始まったパグウォッシュ会議が、原爆投下から七十年を迎える今年、約40カ国から200人近くが参加して、被爆地の長崎で開かれています。

しかし、このような中、核兵器の使用禁止や廃絶のための法的枠組みづくりの努力を呼び掛ける決議案が、国連総会第1委員会(軍縮)で2日、を賛成多数で採択されたにもかかわらず、原爆の容認と原発の推進政策をとり続けてきた日本政府はまたも、被爆国でありながら、棄権に回ったとの報道がなされました。

岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していない安倍政権は、そればかりでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めています。安倍政権の危険性をこれからもきちんと指摘していかねばならないでしょう。

リンク→第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》

リンク→映画 《福島 生きものの記録》(岩崎雅典監督作品 )と黒澤映画《生きものの記録》

なぜ今、『罪と罰』か(2)――「ゴジラ」の咆哮と『罪と罰』の「呼び鈴」の音

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1954年の3月1日にアメリカ軍による水爆「ブラボー」の実験が行われました。この水爆が原爆の1000倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、160キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員が被爆しました。

この事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》の脚本「死の灰」(黒澤明、橋本忍、小國英雄)を書き始めました。

水爆実験に同じような衝撃を受けた本多猪四郎監督が同じ年の11月に公開したのが映画《ゴジラ》でした。この映画を久しぶりに見た時に感じたのは、冒頭のシーンが第48回アカデミー賞で作曲賞、音響賞、編集賞などを受賞したスティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)を、映像や音楽の面で先取りしていたことです。

《ジョーズ(Jaws)》の内容はよく知られていると思いますが、観光地で遊泳していた女性が大型の鮫に襲われて死亡するが、事態を軽く見せるために「事実」を隠そうとした市長などの対応から事件の隠蔽されたために、解決が遠ざかることになったのです。

一方、映画《ゴジラ》の冒頭では、船員達が甲板で音楽を演奏して楽しんでいた貨物船「栄光丸」が突然、白熱光に包まれて燃え上がり、救助に向かった貨物船も沈没するという不可解な事件が描かれていました。伊福部昭作曲の「ゴジラ」のライトモチーフは、一度聴いたら忘れられないような強いインパクトを持っているが、その理由を作曲家の和田薫はこう説明しています。

「円谷英二さんから特に画を観させてもらったというエピソードがありますよね。あの曲は低音楽器を全て集めてやったわけですが、画を観なければ、ああいう極端な発想は生まれません」(『初代ゴジラ研究読本』、122頁)。

この言葉は映像と音楽の深い関わりを説明していますが、実は、長編小説『罪と罰』でも、若き主人公が「悪人」と見なした高利貸しの老婆のドアの呼び鈴を鳴らす場面も、あたかも悲劇の始まりを告げる劇場のベルのように響き、読者にもその音が聞こえるかのように描かれているのです。

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ゴジラはなかなかその姿をスクリーンには現わさず、観客の好奇心と不安感を掻きたてるのですが、遭難した漁師の話を聞いた島の老人は大戸島(おおどしま)に伝わる伝説の怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと語り、昔はゴジラの被害が大きいときには若い女性を人身御供として海に捧げていたが、今はその代わりにお神楽を舞っているのだと説明します。

暴風雨の夜に大戸島に上陸して村の家屋を破壊し、死傷者を出した時にも「ゴジラ」はまだその全貌を現してはいないのですが、島に訪れた調査団の前に現れた「ゴジラ」の頭部を見た古代生物学者の山根博士(志村喬)は、国会で行われた公聴会で発見された古代の三葉虫と採取した砂を示しながら、おそらく200万年前の恐竜だろうと次のように説明します。

「海底洞窟にでもひそんでいて、彼等だけの生存を全うして今日まで生きながらえて居った……それが この度の水爆実験によって、その生活環境を完全に破壊された。もっと砕いて言えば あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります……」。

ここで注目したいのは、山根博士が古代の恐竜「ゴジラ」が水爆実験によって、安住の地を奪われたために出現したと説明していることです。その説明はビキニ沖での水爆実験によって、「第五福竜丸」事件を引き起こした後も、冷戦下で互いに核実験を繰り返す人間の傲慢さを痛烈に批判し得ているばかりか、黒澤監督が映画《夢》の第六話「赤富士」で予告することになる福島第一原子力発電所の大事故の危険性をも示唆していたと思えます。

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『罪と罰』のあらすじはよく知られていますが、「人間は自然を修正している、悪い人間だって修正したてもかまわない、あいつは要らないやつだというなら排除してもかまわない」という考え方を持っていた主人公が、高利貸しの老婆を殺害したあとの苦悩が描かれています。

現在の日本でも「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と解釈した文芸評論家・小林秀雄長編小説の『罪と罰』論が影響力を保っているようですが、ここで重要なのは、この時期のドストエフスキーが「大地主義」という理念を唱えていたことであり、ソーニャをとおしてロシアの知識人というのはロシアの大地から切り離された人たちだと批判をしていたことです。

たとえば、ソーニャは「血で汚した大地に接吻しなさい、あなたは殺したことで大地を汚してしまった」と諭し、それを受け入れた主人公は自首をしてシベリアに流されますが、最初のうちは「ただ一条の太陽の光、うっそうたる森、どこともしれぬ奥まった場所に湧き出る冷たい泉」が、どうして囚人たちによってそんなに大事なのかが分からなかったラスコーリニコフが、シベリアの大自然の中で生活するうちに「森」や「泉」の意味を認識して復活することになる過程が描かれているのです。

このような展開は一見、小説を読んでいるだけですとわかりにくいのですが、ロシア文学者の井桁貞義氏は、スラヴには古くから「聖なる大地」という表現があり、さらに古い叙事詩の伝説によって育った庶民たちは、大地とは決して魂を持たない存在ではなく、つまり汚されたら怒ると考えていたことを指摘しています。つまり、富士山が大噴火するように、汚された大地も怒るのです。

そして、ソーニャの言葉に従って、大地に接吻してから自首したラスコーリニコフはシベリアの大地で「人類滅亡の悪夢を」見た後で、自分が正当化していた「非凡人の理論」の危険性を実感するようになることです。

この意味で『罪と罰』で描かれている「呼び鈴」の音は、単にラスコーリニコフの悲劇の始まりを告げているだけではなく、「覚醒」と「自然観の変化」の始まりをも示唆しているように思えます。

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(序)――「安倍談話」と「立憲政治」の危機

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(3)――事実(テキスト)の軽視の危険性

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(4)――弁護士ルージンと19世紀の新自由主義

映画《静かなる決闘》から映画《赤ひげ》へ――拙著の副題の説明に代えて

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(《静かなる決闘》のポスター、図版は「ウィキペディア」より)

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』を公刊したのは昨年のことになりますが、副題の一部とした黒澤映画《静かなる決闘》があまり知られていないことに気づきました。

ドストエフスキーの長編小説『白痴』を原作とした黒澤映画《白痴》の意義を知るうえでも重要だと思えますので、ここでは映画《赤ひげ》に至るまでの医師を主人公とした黒澤映画の内容を簡単に紹介しておきます。

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1965年に公開された映画《赤ひげ》((脚本・井手雅人、小國英雄、菊島隆三、黒澤明)では、長崎に留学して最先端の医学を学んできた若い医師の保本登(加山雄三)と「赤ひげ」というあだ名を持つ師匠の新出去定(三船敏郎)との緊迫した関係が「患者」たちの治療をとおして描かれていることはよく知られています。

しかし、黒澤映画において「医者」と「患者」のテーマが描かれたのはこの作品が最初ではなく、戦後に公開された黒澤映画の初期の段階からこのテーマは重要な役割を演じていました。

たとえば、映画《白痴》(1951年)では沖縄で戦犯とされ死刑になる寸前に無実が判明した復員兵が主人公として描かれていましたが、1949年に公開された映画《静かなる決闘》(原作・菊田一夫『堕胎医』、脚本・黒澤明・谷口千吉)でも、軍医として南方の戦場で治療に当たっていた際に悪性の病気に罹っていた兵士の病気を移されてしまった医師・藤崎(三船敏郎)を主人公としていたのです。

しかも、最初の脚本では『罪なき罰』と題されていたこの映画では、自殺しようとしていたところを藤崎に助けられ見習い看護婦となっていた峰岸(千石則子)の眼をとおして、最愛の女性との結婚を強く願いながらも、病気を移すことを怖れて婚約を解消した医師が苦悩しつつも、貧しい人々の治療に献身的にあたっている姿が描かれていました。

さらに、その前年の1948年に公開された映画《酔いどれ天使》(脚本・植草圭之助・黒澤明)でも、どぶ沼のある貧しい街を背景に、闇市に君臨しつつも敗戦によって大きな心の傷を負って虚無的な生き方をしていたヤクザの松永(三船敏郎)と、「栄達に背を向けて庶民の中に」根をおろした開業医の真田(志村喬)との緊張した関係が描かれていました。

医師の真田は暴力的な脅しにも屈せずに、肺病に冒されていた松永の心身を治療して何とか更生させようとしていたのですが、真田の願いにもかかわらず、組織のしがらみから松永は殺されてしまいます。

しかし、《酔いどれ天使》の結末近くでは、肺病に冒されてこの病院に通っていた若い女子学生(久我美子)が、「ねえ、先生、理性さえしっかりしてれば結核なんてちっとも怖くないわね」と語り、医師の真田が「ああ、結核だけじゃないよ、人間に一番必要な薬は理性なんだよ!」と応じる場面があり、未来への希望も描かれていたのです。

長編小説『白痴』の主人公は、小林秀雄の解釈などではその否定的な側面が強調されていますが、ドストエフスキーはムィシキンに「治療者」としての性質も与えていました。それゆえ、医師を主人公としたこれらの映画は、長編小説『白痴』をより深く理解する助けにもなると思われます。

(2015年12月9日、図版を追加)

リンク→『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

「映画《惑星ソラリス》をめぐって」を「映画・演劇評」に掲載

黒澤監督とタルコフスキー監督のドストエフスキー観に迫った堀伸雄氏の二つの論文に強い知的刺激を受けて書いた論文「映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観」が、黒澤明研究会の『会誌』第33号に掲載されました。たいへん遅くなりましたが、「映画・演劇評」のページに転載します。

この論文では映画《惑星ソラリス》とドストエフスキーの『罪と罰』との関係だけでなく、『おかしな男の夢』とのつながりにも言及しました。

注では記しませんでしたが、その考察に際しては「ドストエーフスキイの会」第215回例会で「ドストエーフスキイとラスプーチン ――中編小説『火事』のラストシーンの解釈」という題で発表された大木昭男氏の考察からも強い示唆を受けています。

ドストエフスキーが1864年に書いたメモで、人類の発展を「1,族長制の時代、2,過渡期的状態の文明の時代、3,最終段階のキリスト教の時代」の三段階に分類していたことを指摘した大木氏は、『火事』とドストエフスキーの『おかしな男の夢』の構造を比較することで、その共通のテーマが「己自らの如く他を愛せよ」という認識と「新しい生」への出発ということにあると語っていたのです。

この指摘は長編小説『白痴』の映画化にも強い関心をもっていたタルコフスキーのドストエフスキー観を理解するうえでも重要でしょう。

 

リンク→映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観

リンク→大木昭男氏の「ドストエーフスキイとラスプーチン」を聴いて

リンク→《かぐや姫の物語》考Ⅱ――「殿上人」たちの「罪と罰」

原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6)

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九州電力が11日に川内原発1号機の原子炉が「事故時の責任不明のまま」再稼働しました。

このような事態になった経緯をいくつかのブログ記事などを参考に簡単に振り返ることにより、「国民の生命や安全」を無視して、「私利私欲」から「利権」に走る危険な安倍政権の実態に迫りたいと思います。

*   *

川内原発の再稼働は、「原子力規制委員会が策定した新規制基準に基づく」ものですが、その原子力規制委員会は2011年3月11日に発生した東京電力福島原子力発電所事故の際に、自民党政権下に設置されていた原子力安全・保安院が、経済産業省の管轄でもありその対応があまりにもずさんであったために、新たに立ち上げられた組織でした。

平成25年1月9日に発表された文書では「原子力規制委員会の組織理念」が次のように高らかに謳われていました*1。

原子力にかかわる者はすべからく高い倫理観を持ち、常に世界最高水準の安全を目指さなければならない。/我々は、これを自覚し、たゆまず努力することを誓う。(中略)原子力に対する確かな規制を通じて、人と環境を守ることが原子力規制委員会の使命である。」

*   *

2012年9月にその組織の委員長に田中俊一氏が就任した際には、強い懸念の声が聞かれました。東北大学工学部で原子力工学を学んだ田中氏が、日本原子力研究開発機構等を経て日本原子力学会の第28代会長を務め、内閣府原子力委員会委員長代理や内閣官房参与などを歴任するなど、まさに「原子力ムラ」の有力者だったからです。

それでも「初期のころの規制委は、5人の委員のうちの地震学者の島崎邦彦氏が、かなり厳しい意見を電力会社に浴びせるなど、ある程度の“原発抑止力”を発揮しようとする姿勢が見えたようにも思われた」と書いたジャーナリストの鈴木耕氏は、「だがそれは、どうも『世を欺く仮の姿』だったらしい」と続けています*2。

なぜならば、2014年9月に新たに委員に任命された田中知氏が、日本原子力学会の元会長というれっきとした原子力ムラの村長クラスで」、「原子力事業者から多額の寄付や報酬(判明しているだけで760万円以上)を受け取っていた」からです。

しかも、民主党政権時代に定められた原子力行政に関するガイドラインの「規制委員の欠格条件」には、「直近の3年間に原子力事業者等及びその団体の役員をしていた者」という項目があり、2010年〜2012年に原子力産業協会理事という役職に就いていた田中知氏は、当然、原子力規制委員になれるはずはなかったのです。

鈴木氏はこう続けています。「だが、当時の石原伸晃環境相は『民主党時代のガイドラインについては考慮しない』と国会で答弁、安倍政権として平然とガイドラインを破棄した。歯止めを簡単に取っ払ってしまったのだ。」

*   *

菅官房長菅は「原子力規制委員会において安全性が確認された原発は再稼動を進める」と発言し、原子力規制委員会の判断を再稼働の理由にしています。

しかし、2014年7月16日に「適合性審査」に川内原発はクリアしたと発表した原子力規制委員会の記者会見で、田中俊一・委員長は記者の質問にこたえて、次のような驚くべき発言をしていたのです。

「安全審査ではなくて、基準の適合性を審査したということです。ですから、これも再三お答えしていますけれども、基準の適合性は見ていますけれども、安全だということは私は申し上げませんということをいつも、国会でも何でも、何回も答えてきたところです。」

つまり、川内原発の「安全性」はクリアされていないのです。このことについては「リテラ』が分析していますので、詳しくはその記事をお読みください

川内原発の再稼動審査で行われたおそるべき「非合法 … – リテラ

*   *

その記事の中で最も注目したのは、「新規制基準では、原発の敷地内に火山噴火による火砕流などが及ぶ場合は立地不適となり、本来は川内原発もこれに抵触するため再稼働は認められないだろうと考えられていた」にもかかわらず、「九電も規制委も、川内原発が稼動している数十年の間に噴火は来ないとして立地不適にしなかった」ことである。

しかも、火山学者から「巨大噴火」の可能性を指摘されると田中委員長が「そんな巨大噴火が起きれば、九州が全滅する。原発の問題ではない」と言い放ったことを、松崎純氏は「これは子供でもインチキだと分かる詭弁だろう」と指摘しています。

このような田中氏の発言からは私が連想したのは、黒澤映画《夢》の第六話「赤富士」で原発事故の収束のために最期まで踏みとどまって国民の被害を最小限にとどめようと努力せずに、苦しみから逃れるために自殺を選ぶ原子力関係者の姿でした。そこからは「原子力にかかわる者はすべからく高い倫理観」を持たねばならないとした「組織理念」が微塵も感じられないのです。

民主党時代に制定されたガイドラインを平然と破棄し、原子力規制委員会を促進委員会のように変貌させて、国民の半数以上が反対であるにも関わらず再稼働を許可した安倍政権は、「国民の生命や安全」のことは考えていない「不道徳」な政権であるといわねばならないでしょう。

 

*1 原子力規制委員会の組織理念www.nsr.go.jp/nra/gaiyou/idea.html

*2 5 原子力規制委員会田中俊一委員長の悲しい変貌 – マガジン9www.magazine9.jp/article/hu-jin/15907/

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

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(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

 「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)――ムィシキン公爵と「狂人」とされた「軍人」

『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)には、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」を1955年に発表していたバートランド・ラッセルの「まえがき」も収められていました。

ラッセルはその「まえがき」を次のように書き始めています。少し長くなりますが引用して起きます。

「イーザリーの事件は、単に一個人に対するおそるべき、しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく、われわれの時代の、自殺にもひとしい狂気をも性格づけている。先入観をもたない人間ならば、イーザリーの手紙を読んだ後で、彼が精神的に健康であることに疑いをいだくことのできる者はだれもいないであろう。従って私は、彼のことを狂人であると定義した医師たちが、自分たちが下したその診断が正しかったと確信していたとは、到底信ずることができない。彼は結局、良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら、そのことを懺悔したために罰せられるところとなった。…中略…彼とおなじ社会に生きる人々は、彼が大量殺戮に参加したことに対して彼に敬意を示そうとしていた。しかし、彼が懺悔の気持ちをあらわすと、彼らはもちろん彼に反対する態度にでた。なぜならば、彼らは、彼の懺悔という事実の中に行為そのもの〔原爆投下〕に対する断罪を認めたからである」。

*   *

「あとがき」を書いたユンクによれば、イーザリー少佐は「広島でのあのおそるべき体験の後、何日間も、だれとも一言も口をきかなかった」ものの、戦後は「過去のいっさいをわすれて、ただただ金もうけに専心し」、「若い女優と結婚」してもいました。

しかし、私生活での表面的な成功にもかかわらず、イーザリー少佐は夜ごとに夢の中で、「広島の地獄火に焼かれた人びとの、苦痛にゆがんだ無数の顔」を見るようになり、「自分を罪を責める手紙」や「原爆孤児」のためのお金を日本に送ることで、「良心の呵責」から逃れようとしたのですが、アメリカ大統領が水爆の製造に向けた声明を出した年に自殺しようとしました。

自殺に失敗すると、今度は「偉大なる英雄的軍人」とされた自分の「正体を暴露し、その仮面をひきむく」ために、「ごく少額の小切手の改竄」を行って逮捕されます。しかし、法廷では彼には発言はほとんど許されずに、軽い刑期で出獄すると、今度は強盗に入って何も取らずに捕まり、「精神」を病んだ傷痍軍人と定義されたのです(ロベルト・ユンク「良心の苦悩」)。

*   *

このようなイーザリー少佐の行為は、「敵」に対して勝利するために、原爆という非人道的な「大量殺人兵器」の投下にかかわった「自分」や「国家」への鋭い「告発」があるといえるでしょう。

イーザリー少佐と手紙を交わしたG・アンデルスは、核兵器が使用された現代の重大な「道徳綱領」として「反核」の意義を次のように記しています。「いまやわれわれ全部、つまり“人類”全体が、死の脅威に直面しているのである。しかも、ここでいう“人類”とは、単に今日の人類だけではなく、現在という時間的制約を越えた、過去および未来の人類をも意味しているのである。なぜならば、今日の人類が全滅してしまえば、同時に、過去および未来の人類も消滅してしまうからである。」(55頁)。

さらに、ロベルト・ユンクも「狂人であると定義」されたイーザリー少佐の行為に深い理解を示して「われわれもすべて、彼と同じ苦痛を感じ、その事実をはっきりと告白するのが、本来ならば当然であろう。そして、良心と理性の力のことごとくをつくして、非人間的な、そして反人間的なものの擡頭と、たたかうべきであろう」と書き、「しかしながら、われわれは沈黙をまもり、落ちつきはらい、いかにも“分別を重ねつくした”かのようなふりをしているのである」と続けているのです(264-5頁)。

*   *

これらの記述を読んでドストエフスキーの研究者の私がすぐに思い浮かべたのは、「殺すなかれ」という理念を語り、トーツキーのような利己的で欲望にまみれた19世紀末のロシアの貴族たちの罪を背負うかのように、再び精神を病んでいったムィシキンのことでした。

この長編小説を映画化した黒澤映画《白痴》を高く評価したロシアの研究者や映画監督も主人公・亀田の形象にそのような人間像を見ていたはずです。

文芸評論家の小林秀雄氏も1948年の8月に行われた物理学者・湯川秀樹博士との対談「人間の進歩について」では、「私、ちょうど原子爆弾が落っこったとき、島木健作君がわるくて、臨終の時、その話を聞いた。非常なショックを受けました」と切り出し、こう続けていたのです。

「人間も遂に神を恐れぬことをやり出した……。ほんとうにぼくはそういう感情をもった」。

それにたいして湯川が太陽熱も原子力で生まれていることを指摘して「そうひどいことでもない」と主張すると、「高度に発達する技術」の危険性を指摘しながら、次のように厳しく反論していました。

「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」(拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、139頁)。

*   *

湯川博士との対談を行った時、小林氏は日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識して、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指して平和のための活動をすることになるアインシュタインと同じように考えていたと思えます。

しかし、1965年に数学者の岡潔氏と対談で哲学者ベルグソン(1859~1941)と物理学者アインシュタイン(1879~1955)との議論に言及した小林氏は、「アインシュタインはすでに二十七八のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか」ときわめて否定的な質問をしているのです(『人間の建設』、新潮文庫、68頁)。

この時、小林秀雄氏は「狂人であると定義」されたイーザリー少佐に深い理解を示したロベルト・ユンクが書いているように、かつて語っていた原水爆の危険性については「沈黙をまもり、落ちつきはらい、いかにも“分別を重ねつくした”かのようなふりをしている」ように思われます。

トーツキーのようなロシアの貴族の行為に深い「良心の呵責」を覚えたムィシキンをロゴージンの「共犯者」とするような独自な解釈も、小林氏のこのような「良心」解釈と深く結びついているようです。

 

リンク→

小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観

小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

 

映画《白痴》とポスター

 

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(松竹製作・配給、1951年、図版は「ウィキペディア」より)。

 

大学の講義のための参考資料として、上記のポスターをHPに掲載していました。

しかしこのポスターを見ているうちに、私の内にあった強い違和感の理由に気づきましたので少し記しておきます。

*   *

よく知られているように、黒澤明監督の映画《白痴》(1951)は、残念ながら、当初4時間32分あった映画が、映画会社の意向で長すぎるとして2時間46分にカットされたこともあり、日本ではあまりヒットしませんでした。

しかし、日本やロシアの研究者だけでなく、「ドストエフスキーの最良の映画」として映画《白痴》を挙げたタルコフスキーをはじめとして本場ロシアの多くの映画監督からも絶賛されました。

その理由はおそらく彼らが原作をよく知っていたために、カットされた後の版からでもこの映画が原作の本質を伝え得ていることを認識できたからでしょう。実際、拙著で詳しく検証したように、上映時間が限られるために登場人物などを省略し、筋を変更しながらも、黒澤明監督はオリジナル版で驚くほど原作に近い映像を造りあげていたのです。

収益を重視した会社の意向でカットされた後の版でも、ナスターシャ(那須妙子)を妾としたトーツキー(東畑)や、さまざまな情報を握って人間関係を支配しようとしたレーベジェフ(軽部)、さらにエパンチン将軍(大野)やイーヴォルギン将軍(香山)の家族も制限されたかたちではあれ、きちんと描かれていました。

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一方、小林秀雄氏は1934年から翌年にかけて書いた「『白痴』についてⅠ」において、この長編小説について「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」と断定し、多くの重要な登場人物については、ほとんど言及していないのです。それは小林氏の『罪と罰』論について論じた際にも記したように、これれらの重要な登場人物の存在は、彼の論拠を覆す危険性を有していたからでしょう。

つまり、小林氏は多くの重要な登場人物については「沈黙」を守る、あるいはかれらwお「無視」することにより、自分の読みに読者を誘導していたと私には思えるのです。

映画《白痴》のために作成されたはずの上記のポスターは、黒澤氏の映像を用いつつも、ナスターシャをめぐるムィシキン(亀田)とロゴージン(赤間)の三角関係を中心に考察した小林秀雄氏の解釈に従った構図を示していたのです。

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視覚に訴えることのできるポスターは、単なる文章よりも強い影響力を持ちやすいと思えます。おそらく会社側の意向に沿って製作されたと思われるこのポスターは、黒澤映画《白痴》よりも、小林氏の『白痴』論のポスター化であり、そのことがいっそう観客の映画に対する違和感を強めたのではないかとさえ思えるのです。

 

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

リンク→「不注意な読者」をめぐって(2)――岡潔と小林秀雄の『白痴』観

リンク→「不注意な読者」をめぐってーー黒澤明と小林秀雄の『白痴』観

 

〈「不注意な読者」をめぐって(2)――岡潔と小林秀雄の『白痴』観〉を「主な研究」の頁に掲載

文芸評論家の小林秀雄氏は、黒澤映画《白痴》が公開されてから1年後に書き始められた『白痴』論の末尾で次のように記していました。

「お終ひに、不注意な読者の為に注意して置くのもいゝだろう。ムイシュキンがラゴオジンの家に行くのは共犯者としてである。〈後略〉」。

「不注意な読者」という句を小林氏は以前から愛用していたが、拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』では、この表現が1951年に映画《白痴》を公開していた黒澤明監督に向けられている可能性が強いこと指摘しました。

文芸評論家の小林秀雄氏と数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社)からも同じような印象を受けましたので、両者の『白痴』観に絞って考察することで、小林秀雄のドストエフスキー観の問題点に迫りたいと思います。

リンク→「不注意な読者」をめぐって(2)――岡潔と小林秀雄の『白痴』観

リンク→「不注意な読者」をめぐって――黒澤明と小林秀雄の『白痴』観

リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

『黒澤明 樹海の迷宮』刊行記念特別上映会のお知らせを転載

『黒澤明 樹海の迷宮』刊行記念特別上映会のお知らせを黒澤明研究会のHPより転載します。

 

日程 2015年5月31日(日)~6月4日(木)  

会場 新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F)

「デルス・ウザーラ」公開40周年

『黒澤明 樹海の迷宮 映画「デウス・ウザーラ」全記録1971~1975』(野上照代・他著/小学館)  刊行記念特別上映会

・5/31(日) 『七人の侍』 (トークショーあり)

・6/ 1(月) 『羅生門』『醜聞(スキャンダル)』

・6/ 2(火) 『天国と地獄』『蜘蛛巣城』(トークショーあり)

・6/ 3(水) 『悪いやつほどよく眠る』『どん底』

・6/ 4(木) 『まあだだよ』『AK ドキュメント黒澤明』

映画と講演の夕べ『デルス・ウザーラ』(トークショーあり)

リンク→詳細はこちら