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正岡子規

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』を脱稿。

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装画:田主 誠。版画作品:『雲』

ようやく『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の「第五章」と「終章」の校正を終えて、先ほど校正原稿をポストに投函してきました。

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)を刊行したのが2009年のことでしたので、6年に近くかかってしまったことになります。

この間に福島第一原子力発電所の大事故が起きたにもかかわらず、自然の摂理に反したと思える原発の再稼働に向けた動きが強まったことから、急遽、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』を書き上げたことが、執筆が大幅に遅れた一因です。

ただ、多くの憲法学者や元最高裁長官が指摘しているように「憲法」に違反している可能性の高いにもかかわらず、政府与党は前回の選挙公約にはなかった「安全保障関連法案」を強行な手段で成立させようとしています。このような状況を見ていると、原発の問題は後回しにしてでも日英同盟を結んで行った日露戦争の問題点に迫った本書を先に書き上げるべきだったかもしれないとの後悔の念にも襲われます。

しかし、前著での問題意識が本書にも深く関わっているので、私のなかではやはり自然な流れでやむをえなかったのでしょう。

*   *   *

一方、昨日の講演で自民党の高村副総裁は、国民の理解が「十分得られてなくても、やらなければいけない」と述べて、「国民」の反対が強いにもかかわらず、自公両党の議員により参院でも「戦争法案」を強行採決する姿勢を明確に示しています。

それゆえ、「なぜ今、『坂の上の雲』」なのかについて記した短い記事を数回に分けて書くことにより、この長編小説における新聞記者・正岡子規の視点をとおしてこの法案の危険性を明らかにしたいと思います。

 

 

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)

2023/10/29, X(旧ツイッター)を投稿

安倍首相の「嘘」と「事実」の報道――無責任体質の復活(8)

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このブログでは衆議院選挙を前にした昨年の12月に書いた一連の記事で、「景気回復、この道しかない」としてアベノミクスを前面に出した安倍政権と戦前・戦時中の軍事政権の手法の類似性を示すことで、「言葉」や「約束」を大切にしない「安倍政権」の危険性を指摘してきました。

内閣の支持率などを見ると今もこの手法やスローガンに騙されている「国民」は少なくないようですが、今日の「東京新聞」朝刊は「首相『支持受けた』というが… 安保法案は公約271番目」という見出しの記事で、安倍首相の「嘘」を明確に指摘しています。

「事実」を書くという新聞の基本的な役割を果たした重要な記事だと思いますので、以下にその全文を引用しておきます(太字は引用者)。

*   *   *

安全保障関連法案をめぐり、安倍晋三首相が「法整備を選挙で明確に公約として掲げ、国民から支持を頂いた」と繰り返している。法案内容に国民の反対が根強いことへの反論の一環だ。しかし、昨年衆院選の自民党公約では、安保法案の説明はごくわずかしかない。解散時は経済政策を前面に押し出し、安保法案は公約の全二百九十六項目の中で、二百七十一番目の一項目にすぎない。 (皆川剛)

参院の審議が始まってからも、野党は各種の世論調査を挙げ「ほとんどの国民が法案内容の説明が十分でないと答えている。国民の過半数が法案に憲法違反の疑いがあると認識している」(維新の小野次郎氏)などと批判を続けている。

これに対し、首相は「さきの衆院選では昨年七月の閣議決定に基づき、法制を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民から支持を頂いた」と、安保法案は選挙で公約済みと強調する。

しかし昨年の自民党公約では、安保法制への言及は二百七十一番目だっただけでなく、「集団的自衛権の行使容認」は見出しにも、具体的な文言にもない。歴代政権が違憲としてきた集団的自衛権の行使を認めるという、国のあり方を根本から変える政策なのに目立たない位置付けだった。

二〇一二年衆院選の公約に入っていた「集団的自衛権の行使を可能とする」という文言は一三年の参院選から消え、「法整備を進める」という表現になった。

昨年十一月の衆院解散直後の会見では、安倍首相は「アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか。それを問う選挙であります」と明言し、自主的な発言は経済政策と地方創生に終始。記者から「集団的自衛権行使容認の閣議決定は争点に位置づけるか」と問われて初めて、「そうしたすべてにおいて国民に訴えていきたい」とだけ答えた。

共同通信社の八月中旬の調査では、安保法案が「憲法に違反していると思う」は55・1%に上り、「違反していると思わない」の30・4%を大きく上回る。法案の今国会成立にも62・4%が反対している。

*   *   *

今日の「東京新聞」朝刊には「SEALDs呼び掛け 全国60カ所でデモ」という見出しで、日本の各地で行われた「全国若者一斉行動」の模様がカラー写真と共に詳しく掲載されていました。

「日本新聞博物館」の常設展には、治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の状況が示されたコーナーもありますが、現代の日本でも権力者にすりよるために「御用新聞」と化して「事実」を伝えようとしない新聞もあるなかで、「平和の俳句」を掲げる「東京新聞」は、「孤高の新聞」と呼ばれた新聞『日本』の陸羯南や正岡子規などの思いを受け継いでいると感じます。

リンク→新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

これまでもがんばりを見せてきた地方紙に続いて、「毎日新聞」や「朝日新聞」などの大新聞にも「事実」を見つめた気骨のある記事が連日掲載されることを期待しています。

 

安倍政権の無責任体質・関連の記事一覧

アベノミクスと武藤貴也議員の詐欺疑惑――無責任体質の復活(7)

原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6)

「新国立」の責任者は誰か(2)――「無責任体質」の復活(5)

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)

原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)

TPP交渉と安倍内閣――「無責任体質」の復活(2)

「戦前の無責任体系」の復活と小林秀雄氏の『罪と罰』の解釈

大義」を放棄した安倍内閣(2)――「公約」の軽視

「大義」を放棄した安倍内閣

 

新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

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(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

 

先ほど、〈川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(に)くき者」〉という記事をアップしました。

以下に、新聞記者・正岡子規関連の記事のリンク先を示しておきます。

 

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載

新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

講座 「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

年表6、正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

 

(2015年12月14日。リンク先を追加)

 自著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の紹介文を転載

正岡子規の「比較」という方法と『坂の上の雲』

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載

標記の拙著に関して昨年の10月に目次案を掲載しましたが、その後「秘密法・集団的自衛権」は「争点にならず」とした衆議院選挙が昨年末に行われ、その「公約」を裏切るような形で「安全保障関連法案」が提出されました。

「蟷螂の斧」とは知りつつもこの事態を「黙過」することはできずに、この法案の危険性を明らかにする記事を書き続けていました。そのため、6月27日に書いたブログ記事「新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚脱稿に向けて全力を集中する」と宣言したにもかかわらず、拙著の進展が大幅に遅れてしまい、読者の方々や人文書館の方々にはご心配をおかけしました。

ただ、「国会」や「憲法」を軽視して「報道」にも圧力をかけるような安倍政権の「独裁政治」を目の当たりにしたことで、今回の事態が「新聞紙条例」や「讒謗律」を発行し自分たちの意向に沿わない新聞には厳しい「発行停止処分」を下していた薩長藩閥政権ときわめて似ていることを痛感したことで、東京帝国大学を中退して新聞「日本」の記者となった正岡子規の生きた時代を実感することができました。

それゆえ、新著では明治維新以降の歴史を振り返ることにより、「戦争」や「憲法」と「報道」の問題との関わりをより掘り下げて、「安倍政治」の危険性を明らかにするだけでなく、「新聞記者」としての子規の生き方や漱石との友情にも注意を払うことで、若い人たちにも生きることの意義を感じてもらえるような著作にしたいと願っています。

目次に関しては微調整がまだ必要かも知れませんが、題名だけでなく構成もだいぶ改訂しましたので、新しい題名と目次案を「著書・共著」に掲載します。

リンク『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年

新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

昨日、「日本新聞博物館」で行われている「孤高の新聞『日本』――羯南、子規らの格闘」展に行ってきました。

チラシには企画展の主旨が格調高い文章で次のように記されています。

*   *

1889(明治22)年に陸羯南(くが・かつなん)は新聞「日本」を創刊し、政府や政党など特定の勢力の宣伝機関紙ではない「独立新聞」の理念を掲げ、頻繁な発行停止処分にも屈することなく、政府を厳しく批判し、日本の針路を示し続けました。また、初めて新聞記者の「職分」を明確に提示し、新聞発行禁止・停止処分の廃止を求める記者連盟の先頭にも立ちました。

また、羯南の高い理想、人徳にひかれて日本新聞社には正岡子規ら大勢の俊英が集い、羯南亡き後、内外の主要新聞に散り、こんにちの新聞の基礎づくりに貢献しました。本企画展では、新聞「日本」の人々の、理想の新聞を追求した軌跡を200点を超す資料やパネルで紹介します。

*   *

実際、1,新世代の記者たち、2,「日本」登場、3,新聞というベンチャー、4,子規と羯南、5,羯南を支えた人々、6,理念と経営のはざまで、7、再評価 の7つのコーナーから成る企画展はとても充実しており、「理想の新聞を追求した」新聞「日本」の軌跡を具体的に知ることができました。

ことに司馬作品の研究者である私にとっては、新聞『日本』の記者となる子規を主人公の一人とした長編小説『坂の上の雲』や『ひとびとの跫音』を書いただけでなく、産経新聞社の後輩で筑波大学の教授になった青木彰氏への手紙などで、「陸羯南と新聞『日本』の研究」の重要性を記していた司馬遼太郎氏の熱い思いを知ることが出来、たいへん有意義でした(なお、企画展は8月9日まで開催)。

また、常設展も幕末からの新聞の歴史が忠実に展示されており、「特定秘密保護法」の閣議決定以降、強い関心をもっていましたので、ことに治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の状況が示されたコーナーからは現代の新聞の置かれている状況の厳しさも感じられました。

リンク→

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

*   *

それだけに帰宅してから見た下記のような内容のニュースには非常に驚かされました(引用は「東京新聞」デジタル版による)。

「安倍晋三首相に近い自民党若手議員の勉強会で、安全保障関連法案をめぐり報道機関に圧力をかけ、言論を封じようとする動きが出た」ばかりでなく、勉強会の講師を務めた作家の百田尚樹氏は「『沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない』などと述べた」。

この後でこのことを聞かれた百田氏は、ツイッターに「沖縄の二つの新聞社はつぶれたらいいのに、という発言は講演で言ったものではない。講演の後の質疑応答の雑談の中で、冗談として言ったものだ」などと弁解したようです。

このような無責任な記述は言論人としての氏の資質を正直に現しており、百田尚樹氏と共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を発行していた安倍首相の責任も問われなければならないでしょう。

今回の事態は「国会」や「憲法」を軽視する安倍政権が、「新聞紙条例」を発行して自分たちの意向に沿わない新聞には厳しい「発行停止処分」を下していた薩長藩閥政権ときわめて似ていることを物語っていると思えます。

この問題についてはより詳しく分析しなければならないとも感じていますが、今は新聞と憲法や戦争の問題を検閲の問題などの問題をとおしてきちんと検証するためにも、執筆中の拙著『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』の脱稿に向けて全力を集中することにします。

*   *

リンク→『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法

 

映画《風立ちぬ》論Ⅵ――漱石の『草枕』と映画《風立ちぬ》(2)

前回は夏目漱石の『草枕』が「大好きですね」と宮崎監督が語っていることの紹介から始めましたが、次の言葉からは熱烈な愛読者であることが伝わってきます。

「いずれにしましてもぼく、『草枕』が大好きで、飛行機に乗らなきゃいけないときは必ずあれを持っていくんです。どこからでも読めるところも好きなんです。終わりまで行ったら、また適当なところを開いて読んでりゃいい。ぼくはほんとうに、『草枕』ばかり読んでいる人間かもしれません(笑)」(『腰抜け愛国談義』文春ジブリ文庫、2013年)。

*    *   *

『漱石先生ぞな もし』(文春文庫)の作者でもある半藤一利氏が「それはともかく、『草枕』は一種のファンタジーです。漱石がつくりだした桃源郷と言ってもいい」語ると宮崎監督も「惨憺たる精神状態のときに書いたものだと言われるけれど、だからこそいいものになったような気もします」と答えています。

 

私にとって興味深かったのは、「おっしゃるとおり『草枕』は、ノイローゼがいちばんひどかったときの作品なんですね」と指摘した半藤氏が、「これは私呑んだときによくしゃべることなんですけれどね。『草枕』という小説は、若い頃につくった俳句を引っぱりだしてきて、漱石はそれを眺めながら、うん、こいつを使おうと考えた。それら俳句に詠んだ描写を書いているんです」と語り、「ですからあの小説は、漱石自ら『俳句小説』だといっていますね」と続けていることです。

この説明を聞いて、宮崎監督は「そういえばはじめて読んだとき、主人公の青年は絵描きなのに、なぜ俳句ばかり詠んでいるんだろうと不思議に思ったのを思い出しました(笑)。でも、いや、ぼくは『草枕』は好きです。何度読んでも好きです」と応じています。

*    *   *

宮崎監督と半藤氏とのこれらの会話を読んで思い出したのは、夏目漱石と正岡子規との関係でした。

たとえば、冒頭の文章に続いて、風景を詠もうとする画工(えかき)の試みが次のように描かれています。

「やがて、長閑(のどか)な馬子唄(まごうた)が、春に更(ふ)けた空山(くうざん)一路の夢を破る。憐(あわ)れの底に気楽な響きがこもって、どう考えても画にかいた声だ。/ 馬子唄の鈴鹿(すずか)越ゆるや春の雨/ と、今度は斜(はす)に書き付けたが、書いて見て、これは自分の句でないと気が付いた。」

全集の注はこの句も子規が明治25年に書いた「馬子唄の鈴鹿(すずか)上るや春の雨」を踏まえていることを示唆しています。

半藤氏は漱石が「若い頃につくった俳句を引っぱりだしてきて」、それをこの小説で用いていると指摘していましたが、現在、執筆中の『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』では、新聞記者となる子規と漱石との深い交友にも焦点をあてて書いています。その中で改めて感じるのは、漱石という作家が子規との深い交友とお互いの切磋琢磨をとおして生まれていることです。

このことを踏まえるならば、この時、漱石は漫然と若い頃を思い出していたのではなく、病身をおして木曽路を旅した子規が翌年の明治二五年五月から六月にかけて「かけはしの記」と題して新聞『日本』に連載した紀行文のことを思い浮かべていたのではないかと思えるのです。

ことに『草枕』の冒頭の「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。/智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい」という文章は、大胆すぎる仮説かもしれませんが、「かけはしの記」の冒頭に記されている次のような文章への「返歌」のような性質を持っているのではないかと思えます。

「浮世の病ひ頭に上りては哲学の研究も惑病同源の理を示さず。行脚雲水の望みに心空になりては俗界の草根木皮、画にかいた白雲青山ほどにきかぬもあさまし」。

漱石の処女作となった『吾輩は猫である』が、子規の創刊した『ホトトギス』に掲載されたことはよく知られていますが、結核を患って若くして亡くなった子規が漱石に及ぼした影響については、さらに研究が深められるべきでしょう。

*    *   *

宮崎監督はロンドンのテムズ川の南、チェイスというところにある漱石記念館やテート・ギャラリーを訪れたことに関連して、『三四郎』における絵画について語っています。

すなわち、「記念館に足を踏み入れたとき、ぼくはもうそれだけで胸がいっぱい。なにかもう、『漱石さん、あのときはご苦労さまでした』って感じで」と語った宮崎監督は、「ロンドンではテート・ギャラリーの、漱石が足しげく通ったというターナーとラファエル前派の部屋にも行きました」と語り、次のように続けているのです。

「絵を前にして立っていると、ああ、ここに漱石が立っていたに違いない、と。そのなかに羊の群れが丘の上でたわむれている絵がありまして、ああ、これがきっと、『三四郎』の「ストレイシープ」だなんて思って、また胸が(笑)。」

このブログでは司馬遼太郎氏が「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記していた漱石の『三四郎』についてたびたび言及してきました。

実は、『草枕』でも女主人公・那美の従兄弟の久一が招集されて戦地に赴くことだけでなく、彼女の別れた夫が一旗あげようとして満州に渡ろうとしているなど日露戦争の影も色濃く描かれているのです。

映画《風立ちぬ》における時代の鋭い描写には、宮崎監督の漱石の深い理解が反映されていると思えます。

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興味深いのは、半藤氏が「『草枕』という小説は、言葉が古くて難しいからいまの若い人たちには読めないんですよ。だから私、若い人たちに『草枕』は英語で読め、と言っています」と語ったことに対して、宮崎監督が「どこかでそうお書きになっていましたね。ぼくはわかんないとこは平気でとばして読んでいます(笑)」とやんわりと反論していたことです。

私も宮崎監督に同感で、初めのうちは分かりにくくても、やはり日本語で読むことで『草枕』という小説が持つ日本語のリズムも伝わってくるし、何度も読み返すことで、その面白さや深さやも伝わってくると考えています。

宮崎監督がこの後で、「なにしろ『草枕』は、ほんとに情景がきれいなんです。しかもその鮮度がいまでもまったく失われていないんです」と語ると、その言葉を受けて半藤氏も、「漱石の小説で、絵巻になっているのは『草枕』だけですね」と応じています。

ロンドンのテート・ギャラリーには、『三四郎』の「ストレイシープ」に関わる画だけでなく、悲劇『ハムレット』のヒロイン・オフェリヤを描いたジョン・エヴァレット・ミレイの絵や朦朧体で描かれたターナーの絵も多く飾られていました。

これらの絵画からの印象も映画《風立ちぬ》における深い叙情に反映されているのではないかと思えます。

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半藤氏はカナダのピアニストのグレン・グールドが『草枕』とトーマス・マンの『魔の山』を、「二十世紀の最高傑作に挙げた」ことも指摘しています。

映画《風立ちぬ》における『魔の山』のテーマについてはすでに記していましたが、この二つの作品を読むことにより映画で描かれている時代の理解も深まるでしょう。

 

リンク→《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影

 

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

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(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

 

「特定秘密保護法」が国会での十分な議論も行われる前に強行採決された際には、次のように語っていた半藤一利氏の記事「転換点 いま大事なとき」をこのブログに掲載しました。

歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。」

そして半藤氏は「この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います」と結んでいました(太字は引用者)。

リンク→「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで

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しかし、テロリストによる人質殺害事件があったことで、重要な「情報」はさらに隠されるようになっただけでなく、大新聞やテレビなどのマスコミでは政権の対応を批判することすらも自粛するような傾向さえ強くなってきているようです。

掲載が遅くなりましたが、9日には「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」が発表されていましたので、それを伝える「東京新聞」の2月10日付けの記事を転載しておきます。

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〈人質事件後「あしき流れ」 政権批判自粛にノー〉

過激派「イスラム国」による日本人人質事件が起きてから、政権批判を自粛する雰囲気がマスコミなどに広がっているとして、ジャーナリストや作家らが九日、「あしき流れをせき止め、批判すべきことは書く」との声明を発表した。

ジャーナリストの今井一さんらがまとめ、表現に携わる約千二百人、一般の約千五百人が賛同した。音楽家の坂本龍一さん、作家の平野啓一郎さん、馳星周さんら著名人も多い。今井さんは、国会で政府の事件対応を野党が追及したニュースの放映時間が一部を除き極めて短かったと述べた。

声明は、人質事件で「政権批判を自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会まで支配しつつある」と指摘。「非常時に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めれば、あらゆる非常時に批判できなくなる。結果的に翼賛体制の構築に寄与することになる」と警鐘を鳴らしている。

九日は中心メンバーの七人が会見。慶応大の小林節名誉教授(憲法学)は「今回の事件で安倍晋三首相を批判するとヒステリックな反応が出る。病的で心配している」と語った。元経済産業官僚の古賀茂明さんは「自粛が広がると、国民に正しい情報が行き渡らなくなる。その先は、選挙による独裁政権の誕生になる」と危機感をあらわにした。

*   *   *

このような現在の日本のジャーナリズムの現状を見ると、明治の新聞記者であった陸羯南や正岡子規のジャーナリストとしての気概を改めて感じます。

今回は明治27年4月29日に子規が編集主任を務めていた新聞『小日本』が第一面に掲載された「政府党の常語」という記事を紹介します。

この記事は「感情といふ熟語が近頃外政上如何にに政府党の慣用せらるゝを見よ、」という文章で始まる「第1 感情」、「第2 譲歩」、「第3 文明」、「第4 秘密」の4節からなっています。

ことに「藩閥政府」の問題点を鋭く衝いた「第4 秘密」は、原発事故のその後の状況や、国民の健康や生命に深く関わるTPPの問題など多くが隠されている現代の「政府党の常語」を批判していると思えるほどの新鮮さと大胆さを持っているように思えます。その全文を一部を太字で引用しておきます。

*   *   *

「秘密秘密何でも秘密、殊には『外交秘密』とやらが当局無二の好物なり、如何にも外交政策に於ては時に秘密を要せざるに非ず、去れどそは攻守同盟とか、和戦談判とかいふ場合に於て必要のみ、普通一般の通商条約、其条約の改正などに何の秘密かこれあらん、斯かる条項は成るべく予め国民一般に知らしめて世論の在る所を傾聴し、国家に民人に及ぼす利害得喪を深察するこそ当然なれ、去るに是れをも外交秘密てふ言葉の裏に推込(おしこ)めて国民の耳目に触れしめず、斯かる手段こそ当局の尊崇する文明の本国欧米にては専制的野蛮政策とは申すなれ、去れど此一事だけは終始(しじう)一貫して中々厳重に把持せらるゝ当局の心中きたなし卑し。

(2015年12月14日。図版とリンク先を追加)

 

新聞記者・正岡子規関連の記事一覧(追加版)

自著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の紹介文を転載

正岡子規の「比較」という方法と『坂の上の雲』

川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(に)くき者」

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載

新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

講座 「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

年表6、正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

 

 

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

 

昨年はさいたまの70代の方の〈梅雨空に「九条守れ」の女性デモ〉という俳句を、さいたま市の公民館が月報への掲載を拒否するという事件が起きました。

その後も原発の推進や辺野古の基地問題では、周辺住民や沖縄などの「国民」の声を無視する「安倍政権」による言論への締め付けは強まっているように見えます。政権によるNHKや報道機関への厳しい締め付けからは、明治初期の「藩閥独裁政権」による「新聞紙条例」や「讒謗律」さえも連想されます。

明治初期や昭和初期の日本ではこのような強権的な「権力」に対して、きちんと異議を唱えなかったために、次第に発言することが難しくなり戦争へと突入することになりました。

*    *

注目したいのは、「東京新聞」が俳壇の長老・金子兜太氏と作家のいとうせいこう氏の2人が選考する「平和の俳句」を今年の1月から毎日掲載していることです。

今日も1面だけでなく13面の全頁に特集記事が載っていました。最近の句もネットでもみることができますので転載しておきます。

*私も知らぬ戦争を我が子にさせられぬ(2月11日)

*しわしわの手からもみじの手へ九条(2月10日)

*歌いましょう war is over レノン忌に(2月8日)

* 平和とは地球を走るランナーだ(2月7日)

* 九条で夏の球児の輝けり(2月6日)

*    *

私にとって興味深いのは、陸羯南の主宰する新聞『日本』が「政府のたび重なる発行停止処分」にあったために、その「別働隊として」発刊された新聞『小日本』の編集主任を任された正岡子規が、その創刊号で「小説を寄稿する者は選択の上相当の報酬を以て之を申受くへし」、「和歌俳句を寄稿する者は選択の上之を誌上に掲くへし」として文学の振興をはかろうとしていたことです。

ことに俳句募集では毎回「題」と期限を設定し、「寄稿は一人に付五句を超ゆへからず」、「懸賞俳句は選抜の上首位より三人の者に一ヶ月間無料にて本紙を呈すへし」とした新企画も発表していました。ここからは自分が「平民的な文学」と考えていた俳句を広めようとした子規の強い意志が感じられます。

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(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

*    *

「東京新聞」の「平和の俳句」が続くことを願っています。

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の世界的なベストセラー『21世紀の資本』が日本でもたいへん話題になっています。

解説の記事などを読むと経済が成長すれば低所得者にも恩恵が波及するとの考えに懐疑的な見方を示し、安倍政権の「アベノミクス」とは一線を画しているとのことです。

ピケティ氏の強みは、この問題をたくさんの資料を読み込むことによって説得力を持つ形で、「トリクルダウン(trickle-down)」理論を批判し得ていることでしょう。

*   *

「トリクルダウン(trickle-down)」理論の問題点はよく知られており、ドストエフスキーも長編小説『罪と罰』で悪徳弁護士ルージンの説く「アベノミクス」と似た経済理論を厳しく批判していました。

リンク→「アベノミクス」とルージンの経済理論

興味深いのは、正岡子規が編集主任を務めた新聞『小日本』が、明治27年3月29日に、「貧と富」と題する論説記事を載せて金持ちの横暴を厳しく批判するとともに、格差の問題点を指摘して「極富の人に救済の義務」を説いていたことです。その一部をここに再掲します。

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(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

* 「貧と富」 *

「貧富人生免れ難しと雖(いへど)も貧者益々貧にして富者益々富まは其極や奈何(いかん)、

文明の風吹き荒(すさ)みてより見よや此間(このあひだ)に一大溝渠(こうきょ)の作られもて行けるを、

駿台(しゆんだい)の紳士は犬を養ふに一月(ひとつき)数百万を費やす、煉瓦の室是れ犬の居る処、牛豚の肉是れ犬の食(くら)ふ処一転して万年町(ばんねんちやう)の光景に見れば犬にはあらぬ人間が居(を)る処は風雨を凌ぐには足らず食(くら)ふ処は腹を満たすにも足らず、父は病に臥して薬の供すべきなく児は饑(うゑ)に泣きて与ふるに物なし、(中略)

同しく生れて人間となる、一(ひとつ)は此(かく)の如く一は彼(かれ)の如し、極貧(きょくひん)の人に受済の権利なきも極富の人に救済の義務なき乎、窮鼠は猫を噛む、窮民益々多くして其極や如何、

今の肉食(にくじき)者は之を思はずや、

社界党は党中の尤も恐るべきものなり、」

 

〈黒雲を 白雲に変える 風の音〉

 

謹賀新年

本年もよろしくお願いします。

 

昨年は、「武器輸出三原則」の閣議に決定による変更から始まって、「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」の閣議決定と、「国会」や「国民」の声だけでなく、最近盛んになっている火山活動や大雨などの自然現象を「天の声」として素直に聞く耳を持たない政策が進められました。年末に急遽行われた総選挙では、安倍政権の問題点に「国民」の眼が向く前だったので、与党が大幅な議席数を保持しました。

しかし、極端な「排外主義」を掲げる「次世代の党」がほぼ壊滅状態になり、「原発推進」や「アベノミクス」の危険性に気づいた議員の議席数が増えていることも注目されます。

改革への「風の音」は、かすかではありますが聞こえ始めてきていると思います。

*   *

昨年は、積年の課題であった小林秀雄論を『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)という形で出版することができました。ドストエフスキー論に絞りつつも、評論の「神様」とも呼ばれる小林氏の問題点を明らかにした書物でしたが、多くの方から熱いご感想や励ましの言葉を頂きました。

今年は延び延びになっていた『司馬遼太郎の視線――子規と「坂の上の雲」と』(仮題)を人文書館から出版する予定です。

本年はよりよい年にしたいと思います。