装画:田主 誠。版画作品:『雲』
ようやく『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の「第五章」と「終章」の校正を終えて、先ほど校正原稿をポストに投函してきました。
『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)を刊行したのが2009年のことでしたので、6年に近くかかってしまったことになります。
この間に福島第一原子力発電所の大事故が起きたにもかかわらず、自然の摂理に反したと思える原発の再稼働に向けた動きが強まったことから、急遽、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』を書き上げたことが、執筆が大幅に遅れた一因です。
そこで黒澤監督は、主人公の老人に「原水爆に対する不安」を持ちながらも行動しない知識人を「臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と厳しく批判させていた。(拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社)(続く)。 pic.twitter.com/cpAzHq0xAX
— 高橋誠一郎 執筆中『「悪霊」と現代日本文学』(仮題) (@stakaha5) September 2, 2017
ただ、多くの憲法学者や元最高裁長官が指摘しているように「憲法」に違反している可能性の高いにもかかわらず、政府与党は前回の選挙公約にはなかった「安全保障関連法案」を強行な手段で成立させようとしています。このような状況を見ていると、原発の問題は後回しにしてでも日英同盟を結んで行った日露戦争の問題点に迫った本書を先に書き上げるべきだったかもしれないとの後悔の念にも襲われます。
しかし、前著での問題意識が本書にも深く関わっているので、私のなかではやはり自然な流れでやむをえなかったのでしょう。
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一方、昨日の講演で自民党の高村副総裁は、国民の理解が「十分得られてなくても、やらなければいけない」と述べて、「国民」の反対が強いにもかかわらず、自公両党の議員により参院でも「戦争法案」を強行採決する姿勢を明確に示しています。
それゆえ、「なぜ今、『坂の上の雲』」なのかについて記した短い記事を数回に分けて書くことにより、この長編小説における新聞記者・正岡子規の視点をとおしてこの法案の危険性を明らかにしたいと思います。
承前2) さらに、対米戦争を始めた頃の日本の官僚についても「対米戦をはじめたいという陸軍の強烈な要求、というより恫喝(どうかつ)に対して、たれもが保身上、沈黙した」と続けていたが、「すべての資料を破棄した」と繰り返した佐川理財局長の行為は厳しく批判されるべきだろう。
— 高橋誠一郎 執筆中『「悪霊」と現代日本文学』(仮題) (@stakaha5) June 30, 2017
正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機
— 高橋誠一郎 執筆中『「悪霊」と現代日本文学』(仮題) (@stakaha5) February 11, 2022
公式ホームページ https://t.co/Vz0K5BtUG4
「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』、文春文庫、第3巻「分裂」) pic.twitter.com/FM7a0sUNm9
神風特攻隊につながる「自殺戦術」の問題点と「大和魂」の絶対化の危険性を鋭く指摘した『坂の上の雲』と子規の和歌論との関係について考察した箇所をアップした。→第5章第4節〈虫のように、埋め草になって――「国民」から「臣民」へ〉https://t.co/yXkJih5hhM https://t.co/nHjtWl9vbD pic.twitter.com/Bx2iEMF2Au
— 高橋誠一郎 執筆中『「悪霊」と現代日本文学』(仮題) (@stakaha5) June 5, 2021
リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)
2023/10/29, X(旧ツイッター)を投稿