高橋誠一郎 公式ホームページ

ドストエフスキー

「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』」を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

文芸評論家・小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」についての考察を発表した際には、「テキストからの逃走」といういくぶん刺激的な題名を付けました。

その一番大きな理由は「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と原作のテキストとは全く違う解釈をして、「自分の物語」を創作していたことによります。

もう一つの理由は、自らがナチズムの迫害にあった社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』において、ヒトラーの考えと社会ダーウィニズムとの係わりに注目して、ヒトラーが「自然の法則」の名のもとに「権力欲を合理化しよう」とつとめていたことを指摘していたためです。

「神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こる」としたフロムは、「これを倫理的な破綻だとした」(ウィキペディア)のですが、彼の説明は第一次世界大戦の後で経済的・精神的危機を迎えたドイツにおいて、なぜ独裁的な政治形態が現れたかを解明していると言えるでしょう。

このことに私が注目したのは、ドストエフスキーが『罪と罰』において行っていた主人公の「非凡人の理論」の批判が、「非凡民族の理論」の危険性をも示唆していたためです。

フロムが指摘した「自由からの逃走」という問題は、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観からいまだに脱却していないと思える現在の日本の政治状況にも重なっていると思えます。

(「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」参照)。

 

「小林秀雄の『虐げられた人々』観と黒澤明作品《愛の世界・山猫とみの話》」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

戦時中の一九四三年一月に公開された映画《愛の世界・山猫とみの話》(青柳信雄監督)が黒澤明監督の映画ときわめて似た特徴を持つことは、黒澤明研究会の会員の間で以前から話題になっていたようで、研究上映会が昨年の七月二七日に行われました。

 その結果、この映画にはテーマだけでなく、映像の面でもその後の黒澤映画を予告するようなシーンが多く見られたことで、急遽、九月一日に研究例会の議題として取りあげられ、会員によるそれぞれの視点からの発表が行われました。

 この研究例会では原作が佐藤春夫の提案により、俳句の連歌的な趣向により合作という形で発表されたことや、その後、如月敏と黒川慎の脚本で高峰秀子の主演による映画化がなされたが、黒川慎という名前が黒澤明監督のペンネームであり、最終的には黒澤明がまとめていたことが、いくつもの資料をとおして明らかにされました。

 その詳しい内容については、いずれ黒澤明研究会の『会誌』に掲載されることになると思いますので、ご期待下さい。

 私も「映画《愛の世界》と長編小説『虐げられた人々』――黒澤明監督と「大地主義」」という題でドストエフスキー作品との比較をしました。そこでは時間的な都合もあり、小林秀雄の『虐げられた人々』観との比較はできなかったので、「映画・演劇評」のページでは映像的な面にも言及しながら、この問題を掘り下げることにしたいと思います。 

「映画《野良犬》と『罪と罰』」を「映画・演劇評」に掲載誌ました

 

先日、『黒澤明研究会誌』第30号が届きました。

「白熱教室」と題して行われた映画《野良犬》についての討議の記録を中心に、本号にも様々な視点からの充実した内容の論考が満載されていますが、「巻頭言」から「編集後記」にいたるまでどの記述からも黒澤明監督に対する深い敬愛の念が感じられました。

私自身は、現在執筆中の『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を読み解く』の核となる論文の一つ「科学者(知識人)の傲慢と民衆の英知――映画《生きものの記録》と長編小説『死の家の記録』」と、エッセーを投稿しています。

ここでは「復員兵と狂犬」と題した「映画《野良犬》と『罪と罰』」論を「映画・演劇評」に掲載しました。

「詩人プレシチェーエフとチェーホフ」の考察を「主な研究活動」に掲載しました

 

来る11月23日に「ドストエーフスキイの会」の例会で、著名なチェーホフ研究者の中本信幸氏による「チェーホフとドストエフスキー」という発表があります。(「ドストエーフスキイの会、第218回例会報告要旨のお知らせ」参照)。

「チェーホフとドストエフスキー」というテーマでの発表は最近なされていなかったのですが、『死の家の記録』との関係も深いのではないかと私が感じていたチェーホフの『サハリン島』にも言及されるとのことで、今からたいへん楽しみにしています。

なぜならば、ドストエフスキーは「農奴解放」や「言論の自由」を求めたためにシベリアに流刑されることになったのですが、その頃にきわめて親しかった詩人のプレシチェーエフが、劇作家オストロフスキーからチェーホフへの橋渡しをもしていたと思われるからです.

 

「ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』」を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

3月に行われた「ドストエーフスキイの会」の第214回例会で私は、「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」という小林秀雄の解釈を中心に「テキストからの逃走」と題して小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」を考察しました。発表後の質疑応答の際には「Ⅰ」だけでなく、「『白痴』についてⅡ」にもふれた方が分かり易かったとの感想も頂きました。

 また、『ドストエーフスキイ広場』の第22号には、「『見る』という行為――ムイシュキン公爵とアデライーダ」と題された川崎浹氏の論考が掲載されており、この号の合評会では木下豊房氏が「ドストエフスキーのリアリズムの深さ、独自性」という視点から川崎氏の論考を高く評価しています。

 これら二つの点は小林秀雄と黒澤明監督のムィシキン観とも深く関わっていると思われるので、「ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』」を「主な研究(活動)」に掲載しました。

〈日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって〉を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

昨日、日本トルストイ協会での講演のレジュメを掲載しましたが、懇親会の席ではドストエフスキーの日本における受容についてのご質問がありましたので、「欧化と国粋のサイクル」という比較文明学会的な視点から、この問題を考察した標記の論考を「主な研究(活動)」に掲載しました。

この論文ではトルストイには言及していませんが、第3節で日露戦争の後で書かれた夏目漱石の長編小説『三四郎』における夏目漱石の考察に触れつつ、「日露戦争」と「祖国戦争」との類似性を指摘したことが、トルストイの『戦争と平和』と比較しながら『坂の上の雲』を分析した拙著 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)につながることになりました。

また、この論考では『罪と罰』の受容に絞ったために、それ以前のドストエフスキーの作品には言及していませんが、クリミア戦争敗北後の価値が混乱して西欧的な価値を主張する西欧派とロシア固有の価値を主張するスラヴ派の間で激しい議論が交わされていた時期に、ドストエフスキーは「大地主義」を唱えて、改革のゆるやかな前進の可能性を探っていました。

この試みは「欧化と国粋のサイクルの克服」という視点からはきわめて重要な試みでしたが、左右の思想の激しい対立の間で両派から批判され、検閲により発行停止にあったこともあり挫折してしまいました。そればかりでなく、その後もニーチェの哲学からの強い影響を受けて、ドストエフスキーは『地下室の手記』でそれまでの理想を捨てたとして、それ以前に書かれた作品を軽視したシェストフの解釈がロシアで広く受け入れられることになったのです。

そして、日本が国際連盟から脱退して国際社会からは孤立するようになっていた日本でも、「シェストフ的な不安」が広く受け入れられ、シェストフの解釈から強い影響を受けた文芸評論家の小林秀雄も、「大地主義」の時代に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』などの長編小説を軽視していました。

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー刀水書房、2002年)では、これらの長編小説や旅行記『冬に記す夏の印象』などの意義を詳しく考察しましたが、この著書を書いていた当時にも、日本が再び「国粋」のサイクルに入っているという強い危機感を抱いていましたが、その後の流れはますます加速しているようです。

ロシアや日本のように伝統が重んじられる国の大きな問題点は、司馬遼太郎氏が指摘していたように、特殊性が強調される一方で普遍性が軽視されて、冷静な議論がなされないためにブレーキがきかなくなって、情念に流され、革命や戦争のような破局にまで突き進んでしまう危険性が強いのです。

そのような危険性を回避するためにも、クリミア戦争敗戦後の混乱の時期にドストエフスキーが描いたこれらの作品はもう一度、真剣に読み直される必要があるでしょう。

「トルストイで司馬作品を読み解く」のレジュメを「主な研究(活動)」に掲載しました

 

2013年9月28日に昭和女子大学で、「トルストイで司馬作品を読み解く――『坂の上の雲』と『翔ぶが如く』を中心に」という題名の講演を行いました。

故藤沼貴前会長や川端香男里現会長はじめ著名な研究者を擁し、多くのすぐれた研究を積み重ねてこられたこの会で講演する機会を与えられたことを光栄に思っています。

最初は「『戦争と平和』で司馬作品を読み解く」という題名で発表しようと考えていました。しかし、大逆事件の前年に森鴎外は小説『青年』で、夏目漱石をモデルとした登場人物に、日本ではトルストイさえも「小さく」されていると語らせていましたが、それはドストエフスキーについてもあてはまると思えます。

『戦争と平和』のエピローグで「祖国戦争」の勝利のあとでたどるロシアの厳しい歴史を示唆したトルストイは、「日露戦争」の最中には敢然と戦争の惨禍を指摘していました。

一方、現在の日本ではきちんとした議論もないままに、「特定秘密保護法案」さえもが採択されそうな状況となり、福島第一原子力発電所の事故の状況さえも「国家的な秘密」とされたり、兵士が不足しているアメリカ政府の要請によって日本の若者が戦場へと送られる危険性が強くなってきています。

それゆえ講演ではまず、トルストイのドストエフスキー観をとおして日本の近代化のモデルとなったロシアの近代化の問題点を指摘し、その後で『戦争と平和』を強く意識しながら『坂の上の雲』を書いた司馬遼太郎の『翔ぶが如く』における「教育」と「軍隊」の制度や「内務省」と「法律」の問題の考察を明らかにすることで、トルストイの現代的な意義に迫ろうとしました。

ただ、長編小説『翔ぶが如く』はあまり有名な作品ではないので、司馬文学の愛読者以外の方にとっては少し難しい講演になってしまったと反省しており、論文化する際には、やはり『戦争と平和』と『坂の上の雲』の比較になるべく焦点を絞って書くようにしたいと考えています。

司会の労を執られた木村敦夫氏や事務局長の三浦雅正己氏はじめ、関係者の方々にこの場をお借りして感謝の意を表します。

小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」を考察した「テキストからの逃走」の発表要旨を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

日本比較文学会で口頭発表した論文のレジュメ注*6では、黒澤明監督と小林秀雄のドストエフスキー観との相違については、「小林秀雄のドストエフスキー観と映画《白痴》」というテーマで稿を改めて書く予定であると記していました。

小林秀雄の『白痴』論については、翌年の3月23日に行われた「ドストエーフスキイの会」の第214回例会で「テキストからの逃走――小林秀雄の「『白痴』について1」を中心に」という題名で考察しました。

報告要旨はすでに「ドストエーフスキイの会」の「ニュースレター」と「ネット」(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)に掲載されていますが、このホームページの「主な研究(活動)」のページでも再掲することにします。

発表に際しては「テキストからの逃走」という刺激的な題名を付けましたが、その一番大きな理由は「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」とテキストとは全く違う解釈をしていたことによります。

発表後の質疑応答では、「『白痴』について1」だけでなく、戦後に書かれた「『白痴』についてⅡ」も視野に入れるとより分かり易かったとのご指摘もありました。そえゆえ、現在は小林秀雄の『白痴』論を中心に『罪と罰』論をも視野に入れつつ改稿中で、『ドストエーフスキイ広場』第23号に掲載される予定です。

「黒澤映画《夢》の構造と小林秀雄の『罪と罰』観」を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

  日本比較文学会・東京支部第50回大会が日本大学文理学部で行われたのは、今から1年以上も前の2012年10月20日のことでしたが、そこで私は「黒澤明監督のドストエフスキー理解 ――黒澤映画《夢》における長編小説『罪と罰』のテーマ」と題する口頭発表を行いました。

 発表を申し込んだ当初は、副題のように映画《夢》と『罪と罰』の構造の比較のみを行うつもりでした。しかし準備を進めるなかで、現在もドストエフスキー論の「大家」とみなされている文芸評論家の小林秀雄氏の『罪と罰』論との対比をした方が、黒澤明監督の映画《夢》の特徴が明らかになるだろうと考えるようになりました。

 発表に際しては、司会者の沼野恭子氏からは適切なコメントを頂きました。また、大会の準備に当たられた関係者の方々にもたいへん遅くなりましたが、この場を借りて感謝の意を表します。

発表の際の目次は以下のとおりです。

 

  *   *   *

 

はじめに――黒澤明と小林秀雄のドストエフスキー観

  a、黒澤明監督の『白痴』観と映画《白痴》の結末

  b、長編小説『白痴』の結末と小林秀雄の解釈

    c、黒澤明のドストエフスキー観と映画《夢》

Ⅰ、『罪と罰』における夢の構造と映画《夢》

  a、映画《夢》の構造と『罪と罰』

  b、小林秀雄の『罪と罰』解釈と夢の重視

  c、「やせ馬が殺される夢」とその後の二つの夢の関連性

  d、映画《夢》の構造と土壌の描写

  e、ペテルブルグの「壮麗な眺望」とシベリアの「鬱蒼たる森」の謎

Ⅱ、『罪と罰』の「死んだ老婆が笑う夢」と第四話「トンネル」

  a、復員兵の悲鳴と「戦死した部下」たちの亡霊

  b、「死んだ老婆が笑う夢」と幽霊の話

  c、戦争の考察と「殺すこと」の問題

  d、「トンネル」における「国策」としての戦争の批判

  e、小林秀雄の戦争体験と『罪と罰』のエピローグ解釈

Ⅲ、『罪と罰』の「人類滅亡の悪夢」と第七話「鬼哭」

    a、シベリアの流刑地における「人類滅亡の悪夢」とキューバ危機

  b、小林秀雄と湯川秀樹の対談と原爆の批判

  c、第六話「赤富士」の予言性と「人類滅亡の悪夢」

   d、『罪と罰』の現代性と第七話「鬼哭」

おわりに ラスコーリニコフの「復活」と第八話「水車のある風景」

 

 「黒澤映画《夢》における長編小説『罪と罰』のテーマ」より改題(11月6日)

都築政昭著『黒澤明の遺言「夢」』(近代文芸社、2005年)を「書評・図書紹介」に掲載しました

先日、『黒澤明と小林秀雄――長編小説『罪と罰』で映画《夢》を解読する』という題名の著作を、来年の3月に発行する予定である旨を(お知らせ)の欄に記しました。

世界中を震撼させた福島第一原子力発電所の事故についての報道が、日本では次第に少なくなってきている状況は、「第五福竜丸」事件が起きた後の事態ときわめて似ているように私は感じています。

なぜ日本ではこの事件を契機に撮られた映画《生きものの記録》や原発事故を予言していた映画《夢》の評価が低いのかを明らかにするためにも、時間的にはかなりきついのですが、この著作をなんとか「第五福竜丸」事件が起きた3月には発行したいと願っています。

それゆえ、これからは学会での口頭発表や黒澤明研究会の『会誌』に発表した論文の概要を、「主な研究」や「映画・演劇評」のページに掲載していきたいと思いますが、最初にその構想が生まれるきっかけとなった都築政昭氏の『黒澤明の遺言「夢」』を簡単に紹介しておきたいと思います。