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ドストエフスキー

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の写真を掲載

 

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『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の表紙と帯が完成しましたので、拙著の写真をトップページの「お知らせ」と「主な研究(活動)」、および「著書・共著」のページにも掲載しました。                  

これに伴い以前に掲載していた目次も訂正し、「著書・共著」のページを更新しました。リンク先→近刊『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

 

「あとがきに代えて」でも記しましたが、「テキスト」という「事実」を自分の主観によって解釈し、大衆受けのする「物語」を「創作」するという小林の方法は、厳しい現実を直視しないで威勢のよい発言をしていた鼎談「英雄を語る」などにおける歴史認識にも通じていると思えます。このような方法の問題がきちんと認識されなければ、国民の生命を軽視した戦争や原発事故の悲劇が再び繰り返されることになるでしょう。

注 1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたのである。この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していた。(「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

                                                                        

 
黒澤監督のドストエフスキー観をとおして、小林秀雄のドストエフスキー観や「原子力エネルギー」観の問題点を明らかにしようとした拙著が、現政権の危険な原発政策を変えるために、いささかでも貢献できれば幸いです。加筆・2014年6月29日)
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〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉を「主な研究」に掲載

 

文芸評論家・小林秀雄は太平洋戦争の直前の一九四〇年八月に林房雄や石川達三と「英雄を語る」という題名で鼎談を行っていました。日本の近代を代表する「知識人」の小林が行っていたこの鼎談は、『罪と罰』におけるラスコーリニコフの「非凡人の理論」や「良心」の問題とも深く関わっていると思えます。

しかし、この重要な鼎談の内容は研究者にもまだあまり知られていないようです。                    拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)では、小林の「原子力エネルギー」観の問題についても詳しく論じたので、〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉という題でそれらの問題点を簡単に考察し、「主な研究」のページに掲載します。

「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

文芸評論家の小林秀雄は、功利主義を主張するルージンとの対決などを省いた形で考察した1934年の「『罪と罰』についてⅠ」で、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注――ラスコーリニコフ)には現れぬ」とし、エピローグは「半分は読者の為に書かれた」と解釈していました〔六・四五、五三〕。

そして、1936年に発表した「『罪と罰』を見る」と題した映画評で小林は、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》などを厳しく批判していたのです。

私は、スタンバーグ監督の映画を高く評価していた黒澤明が同じ年に、P・C・L映画撮影所(東宝の前身)に助監督として入社したことに注意を払うことで、黒澤映画《夢》が長編小説『罪と罰』と同じような「夢」の構造をしているのは偶然ではなく、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》の理解などをふまえて、エピローグや「良心」などについての小林秀雄の解釈を映像という手段で批判的に考察していた可能性が強いことを示唆しました(リンク先→「小林秀雄の映画《罪と罰》評と黒澤明」)。

 

昨日は憲法の意味を国民に説くべき「憲法記念日」でしたが、幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。

「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツがどのような事態を招いたかをきちんと認識するためにも1935年に公開されたスタンバーグ監督の映画《罪と罰》は重要でしょう。

この映画についてはあまり知られていないようなので、小林秀雄の映画評を簡単に紹介した後で、この映画の内容と現代的な意義を「映画・演劇評」で考察しました(リンク先→「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」

 

 

ドストエフスキー作品の重み――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て

 

先日、ウクライナ出身の翻訳者の日常と過去を描いたドキュメンタリー映画《ドストエフスキーと愛に生きる》を観てきました。

冒頭の夜汽車のシーンは印象的でしたが、それはスターリンの粛正によって父を失い、ナチスによるキエフ占領の際には友人のユダヤ人を虐殺された主人公の生きた暗い時代とその中で必死で生きた彼女の生き方を象徴するようなシーンだったからでしょう。

ドキュメンタリー映画なので手法は全く異なっていましたが、映像をとおして知識人の「責任」を鋭く問いかけていた黒澤監督の映画《夢》を見たあとのような重たい感銘が残りました。

ことに、長編小説『罪と罰』を『罪と贖罪』と訳したという説明からは、彼女が『罪と罰』における「良心」の用法を深く理解していると感じました。

この映画が今も上映中とのことを知った時には、現在のウクライナ情勢が影響しているのかとも考えましたが、見終わったあとでは、この映画の映像と言葉の力によるものだということが分かりました。

初めての試みとして、これから「映画・演劇評」のページに感想を記していきたいと思います。

5月2日以降も各地の映画館で上映されるようなので、映画や映画館の簡単な情報の後に、公式サイトも記しておきます。

追記:リンク先『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)」

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『ドストエフスキーと愛に生きる』(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)

監督・脚本:ヴァディム・イェンドレイコ/出演: スヴェトラーナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット/製作:ミラ・フィルム

2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭 優秀賞、市民賞の2冠を受賞

一切の妥協を許さないスヴェトラーナ・ガイヤーの織り成す深く静かな翻訳の世界と、丁寧な手仕事が繰り返される彼女の静かな日常を追う。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。

 


 

上映中:作品分数:93分

開始時間、29日、13:15、30日、13:15、19:00、1日、13:15、19:00、2日、13:15

料金:一般¥1,600 / 学生¥1,300(平日学割¥1,100)

会場:渋谷のミニシアター「渋谷アップリンク」

追記:リンク「公式サイト」 

ドストエーフスキイの会「第220回例会のご案内」を転載します

お知らせが遅くなりましたが、「第220回例会のご案内」と「報告要旨」を「ニュースレター」(No.121)より転載します。

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下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                      

日 時2014年3月22日(土)午後2時~5時

 場 所:千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

        ℡:03-3402-7854

報告者:堀 伸雄 氏

題 目: 黒澤明と「カラマーゾフの兄弟」に関する一考察

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 報告者紹介:堀 伸雄(ほり のぶお)

1942年(昭和17)生まれ。日本ビクター㈱定年後、新興企業で上場準備、監査を担当。現在はフリー。「黒澤明研究会」会員。世田谷文学館「友の会」運営に参加。同「友の会」の講座で「黒澤映画と『核』」(2012)、「核を直視した四人の映画人たち」(2013)を担当。論文「試論・黒澤明の戦争観」「『野良犬』における悪」(黒澤明研究会会誌)など。資料・記録集「黒澤明 夢のあしあと」(黒澤明研究会編・共同通信社・1999年)の編纂に参加。

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第220回例会報告要旨

“創造は記憶である。”黒澤明が生前、随所で口にしていた言葉である。創造は、単なる瞬時の閃きや直感からではなく、倦まず弛まず蓄積してきた芸術的渉猟による記憶から生まれるとの信念を抱いていた。黒澤は、その記憶の引き出しから溢れ出るイマジネーションをシナリオとして書きなぐる。黒澤明の記憶の大きな分野を占めていたのが、ドストエフスキー、トルストイ、バルザック、シェイクスピアである。特に、こだわったのが『白痴』であり、苦闘の末に映像化した(1951公開)。国内での一般的な評価は、惨憺たるものがあったが、旧ソ連のグリゴーリー・M・コージンジェフ監督は、黒澤版『白痴』をもって、「古典を映画に再現した奇蹟である」と絶賛した。

然るに、黒澤明は、ドストエフスキーの最高傑作かつ生涯最後の作品となった『カラマーゾフの兄弟』については、『白痴』をはじめ、『罪と罰』、『虐げられた人々』、『死の家の記録』等の作品に比べ、なぜかあまり語っていない。例えば、「キネマ旬報」1977年4月上旬号の映画評論家・清水千代太との対談「黒澤明に訊く」や、1981年にNHK教育テレビで放映された「黒澤明のマイブック」、1993年の大島渚監督との対談「わが映画人生」等の中で、『白痴』やドストエフスキーに対する思いを、かなり詳述しているにもかかわらず、『カラマーゾフの兄弟』については、特に言及はしていない。2007年4月から京都の龍谷大学と黒澤プロダクションの共同監修により、インターネットに公開されている「黒澤デジタルアーカイブ」に掲載された膨大な黒澤の直筆ノート等を確認しても見当たらない。

その中にあって、『カラマーゾフの兄弟』について注目したい数少ない発言がある。1975年8月に「サンデー毎日」に掲載された小説家・森敦(1912~1989)との対談と、1993年発行のインタビュー集「黒澤明・宮崎駿・北野武~日本の三人の演出家」(ロッキング・オン)での発言である。前者では、「いま、ドストエフスキーのもので何かやるとすれば、『カラマーゾフの兄弟』ね。(中略)ドストエフスキーが書けなかったところを書いてみたいという気持ちはありますね」、後者では、「アリョーシャっていう神学校に行っている天使みたいな弟がいるでしょ?それもドストエフスキーのノートによるとそのアリョーシャは最後に妻(ママ)の暗殺を企てるんですよね。で、ラディカルな革命家になっていくんですよね。そういう予定だったみたいだけど、それはびっくりですよ。あの天使みたいな存在がね」と語っているのである。何れも、ドストエフスキーが生前に構想を抱いていたと思われる『カラマーゾフの兄弟』の「続編」に着目した発言である。黒澤明は、一体、どんなことを考えていたのだろうか。

アリョーシャが教会から俗界に出て、魂の遍歴を辿り変貌していくという最も神秘的な部分に黒澤明がこだわりを抱き続けていたという事実は、特に、黒澤の後期から晩年にかけて、新たな創作への萌芽や作風の変容を予感させ、さらには黒澤自身の人間観・宗教観を考えるうえでも、看過できないように思われる。

今回の報告では、そのような視点から、身勝手な深読みではないかとの批判を覚悟のうえで、特に『乱』(1985公開)とシナリオ『黒き死の仮面』(未映画化・1977)を仮説的に考察し、併せ、一黒澤映画ファンとして、黒澤明の生涯と黒澤作品から感じ取れるドストエフスキーの精神を語らせていただくこととする。

― 参考文献:『全集黒澤明』(岩波書店1987~2002)所収のシナリオ(第3巻「白痴」「生きる」・第4巻「生きものの記録」・第6巻「乱」・最終巻「夢」「黒き死の仮面」)、『蝦蟇の油~自伝のようなもの』(黒澤明・岩波書店・1984)、『黒澤明 夢のあしあと』(黒澤明研究会・共同通信社・1999)

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

「黒澤明・小林秀雄関連年表」を更新して、「年表」のページに掲載しました

 

「黒澤明・小林秀雄関連年表」(ドストエフスキー論を中心に)を更新して「年表」のページに掲載しました。

昨年の12月に掲載した年表では、『罪と罰』の「非凡人の理論」の理解とも関わる小林秀雄の1940年の『我が闘争』の書評(1940)や、「英雄を語る」と題して行われた鼎談などには触れていませんでした。

近日中にそれらも含めた年表を作成する予定ですと記していましたが、拙著の執筆に時間がかかり、ようやくそれらも追加することができました。

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この間に、年表など多くの点で依拠させて頂いていた『大系 黒澤明』の編者の浜野保樹氏の訃報が届きました。

黒澤明研究の上で大きな仕事をされた方を失ったという喪失感にも襲われます。心からの哀悼の意を表します。

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文芸評論家の小林秀雄は非常に大きな存在で、仕事は日仏の文学や思想、さらに絵画論や音楽論など多岐に及んでいますが、年表ではドストエフスキー論を中心に拙著の内容と関わる事柄に絞って記載しました。

ただ、例外的に芥川龍之介論にも言及しているのは、小林秀雄の歴史認識のもっとも厳しい批判者の一人と思われる司馬遼太郎氏の小林秀雄観に関わるからです。

この問題も大きなテーマですので、いずれ稿を改めてこのブログでも書くようにしたいと考えています。

 

ボルトコ監督のテレビ映画《白痴》の感想を「映画・演劇評」に掲載しました

 

黒澤明監督の映画《白痴》は、観客の入りを重視した経営陣から「暗いし、長い。大幅カットせよ」と命じられてほぼ半分の分量に短縮されたために、字幕で筋の説明をしなければならないなど異例の形での上映となり、日本では多くの評論家から「失敗作」と見なされました。

しかし、黒澤監督は自分にとってのこの映画の意味を次のように語っていました。

「これは実は《羅生門》の前からやろうときめてた。ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んで、どうしても一度はやりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタがちがうけど作家として一番好きなのはドストエフスキーですね。生きていく上につっかえ棒になることを書いてくれてる人です。更に僕はこの写真を撮ったことによってドストエフスキーがずいぶんよく判ったと思うのだけど、あの作家は一見客観的でないような場面も、肝心のところになると見事に客観的になってるのね。…中略…あれは僕の失敗作という定説だけど、結果としちゃ僕にとっては失敗じゃなかった。」

実際、ドストエフスキー研究者の新谷敬三郎氏は、「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いていましたが、この映画は『白痴』の原作を熟知している本場ロシアや海外、そして日本の研究者たちからはきわめて高く評価されました。

事実、黒澤映画《白痴》はナスターシヤをめぐるムィシキンとロゴージンとの「欲望の三角形」だけに焦点を絞ることなく、かつての父親の同僚だったエパンチン将軍の秘書として仕えることになったばかりでなく、莫大な持参金の見返りにすでに関心を失い始めていた美女ナスターシヤとの結婚を強要されたイーヴォルギン家の長男ガヴリーラの屈辱と、将軍の三女アグラーヤへの秘めた野望を、二つの家族の構成やそれぞれの性格をきちんと説得力豊かに描いていたのです。

それゆえ、最近も比較文学者の清水孝純氏が長編小説『白痴』を映画化した「黒澤のこの小説に対する深い愛着」を指摘するとともに、その際に黒澤監督が「『白痴』という小説から得た感動を回転軸として、文学言語を映画言語に転換する」という「戦略」をとっていることを指摘しています(「黒澤明の映画『白痴』の戦略」、『『白痴』を読む――ドストエフスキーとニヒリズム』(九州大学出版会、2013年)。

ただ、舞台を日本に移したこともあり黒澤映画《白痴》では、ギリシア正教を受け入れたロシアの歴史や思想の背景や、カトリックを受け入れたポーランドや西欧との激しい思想的対立を扱うことはできませんでした。また、時間的な制限のために黒澤映画では、トーツキーとの縁談話がおきていた長女アレクサンドラと、絵画の才能に恵まれて鋭い観察眼も有している次女のアデライーダの二人を一人にして描いていました。

一方、黒澤映画からの影響も強くみられるボルトコ監督のテレビ映画《白痴》では、全10回のシリーズとして放映されたために、原作のとおりにエパンチン家の三姉妹をボッティチェリの絵画《春》に描かれた「三美神」のように美しい姉妹として、それぞれの個性をきちんと描き出していました。

だいぶ前に書いたものですが、このテレビ映画について書いたエッセーを「映画・演劇評」に掲載しました。

ドストエーフスキイの会、「第219回例会のご案内」と「報告要旨」を転載します

 

お知らせが遅くなりましたが、「第219回例会のご案内」と「報告要旨」を「ニュースレター」(No.120)より転載します。

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下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                

日 時:2014年1月25日(土)午後6時~9時

場 所:千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分) ℡:03―3402―7854 

報告者:金 洋鮮 氏(職業:フリー、大阪外国大学地域文化東欧博士前期過程終了、新潮新人賞評論部門、最終候補「三位一体のラスコーリニコフ」)

題 目:謎のトライアングル(スヴィドリガイロフの場合)

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第219回例会報告要旨

 

 芸術作品の粋を評価するうえで欠かせない「韜晦」と「虚実皮膜」、この最も重要なふたつの要素を極めた作家が、ドストエフスキーだと思う。言い換えれば、彼の作品ほど謎とリアリティに満ちた作品は古今東西ないのではないだろうか?

 バフチンの「ドストエフスキーの詩学」によって、登場人物の対話がポリフォニックであることは、今やドストエフスキー読者にとって人口に膾炙したものとなっているが、言葉だけでなく人物そのものが多重であることを付け加えたい。

 作家はピカソに先駆けて、人物を360度の視座から捉えるキュビズム手法を、逸早くその作品に取り入れた。

それゆえ一読ぐらいでは、画期的な描写により衝撃を受けたとしても、その内容の把握はおぼつかない。

『罪と罰』は、彼の全作品においてキュビズムが最も際立った作品で、登場人物の殆どが、キュビズムを把握しやすいアンビヴァレントで描かれているということを、最も謎とされているスヴィドリガイロフと彼の恋を通して確認したい。

スヴィドリガイロフは過去においては少女姦、下男殺し、そして現行では妻を毒殺した、その背後にどれほどの闇があるのか測りようのない真っ黒な人物として現れる。

が、キルポーチンが指摘したように(スヴィドリガイロフはどこにおいても一本調子で書かれていない、彼は、一見そうみるような黒一色の人物ではない[・・・]スヴィドリガイロフは悪党、淫蕩で、シニカルであるくせに小説全体にわたって数々の善行を行うが、それは他の作中人物たちをみんな合わせたよりも多いほどである。)

また「スヴィドリガイロフこそ真の主人公」とミドルトン・マリが指摘する通り、「スヴィドリガイロフの方がラスコーリニコフよりも存在感がある」と感じる読者は結構いる。

清水孝純氏も彼のドーニャとの恋に「謎」を感じ、また(所詮彼の側からは、発動できない受身の求愛の形だったのです)と、従来とは違う新しい見解を述べている。

スヴィドリガイロフ側からすれば、〈私の気持は純粋そのものだったかもしれないし、それどころか、本気でふたりの幸福を築こうと思っていたかもしれませんものね!・・・私の受けた傷のほうがよほど大きかったようですよ!・・・〉と話が逆転する。

今回は反論を覚悟で、大胆な仮説を述べる。

ドストエフスキー作品には、森有正やモチュリスキーが述べたように、有に一大長編となるものが、一挿話として片付けられている。

一挿話を一大長編にするのも、ドストエフスキー作品を読む上での楽しみのひとつであろうし、それが整合性あるものであれば、聞くに耐えられるのでは・・・、このような思いで報告します。

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 例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

「黒澤明・小林秀雄関連年表」を「年表」のページに掲載しました

 

12月15日に行われた黒澤明研究会の例会で「科学者の傲慢と民衆の英知――ドストエフスキーで映画《夢》と《生きものの記録》を解読する」と題した発表をしました。

映画《白痴》はともかく、ドストエフスキーで1954年の「第五福竜丸」事件をきっかけに撮られた《生きものの記録》や映画《夢》を解読するのは、強引過ぎると感じられる方も多いと思います。

しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグでラスコーリニコフに「人類滅亡の悪夢」を見させていましたが、1955年に公開された映画《生きものの記録》でも主人公が「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンが、そして映画《夢》では原発の爆発のシーンが描かれているのです。

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さらに《生きものの記録》が公開された翌年の12月には黒澤明と小林秀雄の対談が行われていました。

残念ながら、この対談記録は掲載されず、全体像を明らかにするような記録も残っていないのですが、断片的にはこのときの対談の模様を記した記事が残されていますので、ある程度はこの対談記録が消えた「謎」に迫ることが可能だと思われます。

この意味で重要だと思われるのは、1975年に行われた若者たちとの対談で黒澤明監督が、「小林秀雄もドストエフスキーをいろいろ書いているけど、『白痴』について小林秀雄と競争したって負けないよ。若い人もそういう具合の勉強のしかたをしなきゃいけない」と語っていたことです。

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黒澤明と小林秀雄との関係を時系列に沿って記すと、小林秀雄の「『白痴』についてⅡ」が、映画《白痴》公開の翌年から書かれていることや、長い中断を挟んで発表されたその第9章が、『虐げられた人々』のネリーを元にした少女が描かれている映画《赤ひげ》の制作発表パーティの翌年に書かれていることなどが浮かび上がってきます。

発表に際してドストエフスキーに焦点を絞って簡単な「黒澤明・小林秀雄関連年表」を作成しましたので、ホームページ用に改訂して「年表」のページに掲載します。

なお、この年表は映画《生きものの記録》と映画《夢》を論じるために作成したために、小林秀雄の『悪霊』論とも深く関わる1940年の『我が闘争』の読後感や、「英雄を語る」と題して行われた鼎談などには触れていません。

近日中にそれらも含めた年表を作成する予定です。

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』の概要と目次案を「著書・共著」に掲載しました

 

ここのところしばらく「特定秘密保護法案」の問題と取り組んでいたために、拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』の執筆から遠ざかっていました。

まだ、完成稿の段階ではありませんが、執筆に向けて集中力を高めるためにも、その概要と目次案を先に公開することにしました。

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この著書では映画《夢》を小林秀雄の『罪と罰』観との比較を通して考察しているだけでなく、映画《生きものの記録》とドストエフスキーの『死の家の記録』との比較も行っています。

来年はビキニ沖で行われたアメリカの水爆実験により「第五福竜丸」が被爆した事件から60周年にあたりますが、この事件をきっかけに撮られた黒澤明監督の映画《生きものの記録》(1955年)は、興行的にはたいへんな失敗となりました。

前作の《七人の侍》が大ヒットしたにもかかわらず、この映画がなぜヒットしなかったのを考えることは、チェルノブイリ原発事故と同じような規模の原発事故が福島第一原子力発電所で起こり、今も収束していない日本において、国内における原発の推進や海外への販売が進められるようになった理由を「考えるヒント」にもなるでしょう。

さらに、黒澤映画を通して小林秀雄のドストエフスキー観を考察することにより、日本の一部の研究者が矮小化して伝えようとしているドストエフスキーの全体像を明らかにすることができると思います。