高橋誠一郎 公式ホームページ

ドストエフスキー

人質事件に思う

『永遠の0(ゼロ)』の考察はここ数日で書き終えたいと思っていたのですが、「テロリストの集団」によって日本人が人質となり身代金を要求されるという事態が発生しました。

拙著『「罪と罰」を読む』(1996)の「あとがき」に書きましたが、1993年の夏に学生を引率してモスクワを訪れた際、私自身が強盗にあって殺されかけるという経験をしました。その際にはピストルをこめかみに当てられながら、「富んだ外国人」を殺しても彼らは『罪と罰』の若い主人公・ラスコーリニコフのように後悔することはないだろうとも感じていました。

「集団的自衛権」の行使という形で日本が戦争に荷担するようになれば、日本人が人質となるような事態を招くのではないかと恐れていましたので、人質となった方々のことを考えると頭の中が白くなってしまうような日々を過ごしており、日本政府には彼らの生命を救うべく最大の努力を払ってもらいたいと願っています。

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人質をとって脅すテロリストの非道は厳しく咎めねばなりませんが、「イスラム国」と名乗る集団が説得力を持った背景としては、「貧富の極端な格差」やテロリストへの攻撃として正当化されている爆撃による市民や子供たちの膨大な死傷者の数を挙げるべきでしょう。

たとえば、「東京新聞」は、【ロンドン共同】の報道として下記の記事を載せています。

「国際非政府組織(NGO)のオックスファムは19日、世界で貧富の差が拡大しており、この傾向が続けば、来年には最も裕福な上位1%の人々の資産合計が、その他99%の資産を上回ると予測する報告を発表した。

*  報告によると、上位1%の資産は2009年に世界全体の44%だったが、14年には48%に増え、1人当たりで270万ドル(約3億2千万円)に達した。一方、下位80%の庶民の平均資産は、その約700分の1に当たる3851ドルで、合計しても世界全体の5・5%にしかならないという。」

かつて、ロシアの「農奴制」の廃絶や言論の自由などを求めてシベリアに流刑になったドストエフスキーは、ロンドンを訪れた際にそこの労働者たちの生活の悲惨さに驚いたことを『夏に記す冬の手記』で詳しく記していました。

【ロンドン共同】の記事からは、21世紀の世界は果たして豊かになったのだろうかという深刻な思いに駆られます。

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「戦争」という手段で「テロ」が撲滅できるかという問題については、9.11の同時多発テロの後で「戦争とテロ」について考察し、日本価値観変動研究センターの季刊誌「クォータリーリサーチレポート」に連載しました。それは「戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて」という題名で2005年に日本ペンクラブの「電子文藝館」に転載されています。

今後は今回の人質事件にも絡んで「集団的自衛権」の問題が白熱してくると思われますので、今回はその内から最初の〈「新しい戦争」と教育制度〉の一部と「戦争とテロ」に関する下記の4編の論考を「主な研究」の頁に再掲します。

少し古い出来事を扱っていますが、「問題の本質」は変わっていないと思われるからです。

3、「報復の連鎖」と「国際秩序」の崩壊

4、「非凡人の理論」とブッシュ・ドクトリン

5、「核兵器の先制使用」と「非核三原則の見直し」

6、「日英同盟」と「日米同盟」

 

リンク→戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて

ドストエーフスキイの会「第225回例会」のご案内、「主な研究」に「傍聴記」を掲載

リンク→ 木下豊房氏「小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観」を聴いて

 

ドストエーフスキイの会「第225回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.126)より転載します。

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第225回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                    

 日 時2015年1月24日(土)午後2時~5時

 場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:泊野竜一 氏

題目: 『カラマーゾフの兄弟』における対話表現の問題

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:泊野竜一(とまりの りょういち)

所属・身分は早稲田大学大学院文学研究科人文科学専攻ロシア語ロシア文化コース後期博士課程1年。源ゼミに所属。研究テーマは、修士課程では、対話表現としての長広舌と沈黙との問題を、ドストエフスキー作品において取り扱った。博士課程では、19-20世紀ロシア文学における対話表現の問題を研究していきたいと考えている。具体的に研究する作品としては、ドストエフスキーの作品を中心として、その先駆となるもの、あるいは後継となるものとして、オドエフスキー、ゴーゴリ、アンドレーエフ、ガルシン、ブリューソフの作品を選択。そして、その間の変化の中での「分身」「狂気」「内的対話」の問題に取り組む予定。

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 『カラマーゾフの兄弟』における対話表現の問題                            

ドストエフスキーは、知人宛ての書簡で、『カラマーゾフの兄弟』の中に、ある宗教的な意図を含めたことを記している。それは、「プロとコントラ」の章においてイワンが語る涜神論は、次の「ロシアの僧侶」の章においてゾシマ長老の思想に論破されるというものである。この二つの章には、相似的な構造が用意され、宗教論争上のイワンの敗北とゾシマ長老の勝利が対照的に示される予定であったことが伺える。だが「ロシアの僧侶」の原稿を出版社に送った直後、ドストエフスキーは、この目論見が揺らいでしまったと、別の書簡で告白している。一体どうしてそのようなことが起こったのであろうか。

ドストエフスキーは長編小説中で、一つの独特な対話表現を用いていると考えられる。それは、対話者の片方は長広舌を続け、もう片方は沈黙しそれを拝聴するという形式をもっている。つまり見かけ上は、一方的なモノローグの様相を呈している。ところがこれは、通常の相互通行の対話よりも、はるかに豊かな内的対話の表現となっているのである。

ドストエフスキーに特徴的である対話表現が、もっとも発達していると考えられるのは、『カラマーゾフの兄弟』の中の《大審問官》である。そこで《大審問官》における二人の主要登場人物である、大審問官とキリストと目される男の対話に注目し、これに具体的な分析を加えることとする。

分析の結果、この対話表現には以下のような4つの特徴が存在すると見られる。まず、対話者の片方が沈黙を守り、その様子もほとんどわからない「聞き手の様子不明の特徴」。次に、長広舌を揮う対話者が、相手の発言を遮り、かつまた相手の発言を先取りしてまで、自らの発言を聞くことを強要する「長広舌強要の特徴」。そして、今度は逆に、長広舌を揮っていた対話者が、沈黙を守る相手に発言を乞うようになる「返答要請の特徴」。最後に、見かけ上の対話は終了するが、対話者の心の中で内的な対話が永続する「対話継続の特徴」である(このような対話表現を仮に「長広舌と沈黙との対話」と呼ぶこととする)。

そこで「プロとコントラ」と「ロシアの僧侶」の二つの章の中にある、《大審問官》と、「故大主教ゾシマ長老の生涯」における対話を分析することを試みると、どちらも「長広舌と沈黙との対話」の体をなしていると見られる。したがって、この二つの対話は、そのもっとも重要な特徴である「対話継続の特徴」を有していると考えられる。それならば、この二つの対話は対話者の内部においては終了しないし、結論も確定しないということとなる。つまり、これらの対話は、その表現方法によって、対話者間の議論に優劣をつけうるような性質のものではなくなってしまったのではないかと思われる。

すなわち、ドストエフスキーが生み出した文学上の表現方法である「長広舌と沈黙との対話」が、作者の、イワンの涜神論が、ゾシマ長老の思想に論破されるというような宗教的な意図を結果的に裏切ってしまっているのである。以上のような読みの可能性を、ここでは提案したい。

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 例会の「事務局便り」については、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

「アベノミクス」とルージンの経済理論

ルージンとは誰のことか分からない方が多いと思いますが、ルージンとはドストエフスキーの長編小説『罪と罰』に出て来る利己的な中年の弁護士のことです。

日本の「ブラック企業」について論じた以前の記事で、ロシアの近代化が「農奴制」を生んだことを説明した頃にも、「アベノミクス」という経済政策がルージンの説く経済理論と、うり二つではないかという印象を持っていたのですが、経済学者ではないので詳しい考察は避けていました。

リンク→「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在

しかし、デモクラTVの「山田厚史のホントの経済」という番組で「新語・流行語大賞」の候補にもノミネートされた「トリクルダウン」という用語の説明を聞いて、私の印象がそう的外れではないという思いを強くしました。

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「ウィキペディア」によれば、「トリクルダウン(trickle-down)」理論とは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」という経済理論で、「新自由主義の代表的な主張の一つであり」、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが「この学説を忠実に実行した」レーガノミクスを行ったとのことです。

興味深いのは、『罪と罰』の重要人物の一人である中年の弁護士ルージンが主人公・ラスコーリニコフに上着の例を出しながら、これまでの倫理を「今日まで私は、『汝の隣人を愛せよ』と言われて、そのとおり愛してきました。だが、その結果はどうだったでしょう? …中略…その結果は、自分の上着を半分に引きさいて隣人と分けあい、ふたりがふたりとも半分裸になってしまった」と批判していたことです。

そしてルージンは「経済学の真理」という観点から、このような倫理に代わるものとして、「安定した個人的事業が、つまり、いわば完全な上着ですな、それが社会に多くなれば多くなるほど、その社会は強固な基礎をもつことになり、社会の全体の事業もうまくいくとね。つまり、もっぱらおのれひとりのために利益を得ながら、私はほかでもないそのことによって、万人のためにも利益を得、隣人にだって破れた上着より多少はましなものをやれるようになるわけですよ」と自分の経済理論を説明していたのです(二・五)。

ルージンは「新自由主義」の用語を用いれば「富める者」である自分の富を増やすことで、貧乏人にもその富の一部が「したたる」ようになると、「アベノミクス」に先んじて語っていたとも思えるのです。

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「トリクルダウン理論」については、「実証性の観点からは、富裕層をさらに富ませれば貧困層の経済状況が改善することを裏付ける有力な研究は存在しないとされている」ことだけでなく、レーガノミクスでは「経済規模時は拡大したが、貿易赤字と財政赤字の増大という『双子の赤字』を抱えることになった」ことも指摘されています。

その理由をシャンパングラス・ツリーの図を用いながら、分かり易く説明していたのが山田厚史氏でした。私が理解できた範囲に限られますが、氏の説明によれば結婚式などで用いられるシャンパングラス・ツリーでは、一番上のグラスに注がれてあふれ出たシャンパンは、次々と下の段のグラスに「滴り落ち」ます。

しかし、経済においてはアメリカに巨万の富を有する者や企業が多く存在するように、頂点に置かれてシャンパンを注がれるグラス(大企業)自体は、大量のシャンパン(金)を注がれてますます巨大化するものの、それらを内部留保金として溜め込んでしまうのです。それゆえ、下に置かれたシャンパングラス(中小企業)は、ほとんどシャンパン(金)が「滴り落ち」てこないので、ますます貧困していくことになるのです。

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「トリクルダウン理論」の危険性に気付けば、日本よりも150年も前に行われたピョートル大帝の「文明開化」によって、「富国強兵」には成功していたロシア帝国でなぜ農民の「農奴化」が進んだかも明らかになるでしょう(商業と農業との違いはありますが…)。 再び『罪と罰』に話を戻すと、ドストエフスキーがペテルブルクに法律事務所を開こうとしているかなりの財産を持つ45歳の悪徳弁護士ルージンにこのような経済理論を語らせた後で、ラスコーリニコフにそのような考えを「最後まで押しつめていくと、人を切り殺してもいいということになりますよ」(二・五)と厳しく批判させていたのは、きわめて先見の明がある記述だったと思えます。

しかし、文芸評論家の小林秀雄は意外なことに重要な登場人物であるルージンについては、『罪と罰』論でほとんど言及していないのです。そのことはマルクスにも言及したことで骨のある評論家とも見なされてきた小林秀雄が『白痴』論で「自己中心的な」貴族のトーツキーに言及することを避けていたことにも通じるでしょう。 しかしそれはすでに別のテーマですので、ここでは「アベノミクス」という経済政策の危険性をもう一度示唆して終わることにします。

リンク→「主な研究活動」に「『地下室の手記』の現代性――後書きに代えて」を掲載

ドストエーフスキイの会「第224回例会」のご案内

ドストエーフスキイの会「第224回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.125)より転載します。

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第224回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                    

 日 時20141129日(土)午後2時~5

 場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:木下豊房 氏

題目:小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観

*会員無料・一般参加者=会場費500円

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報告者紹介:木下豊房(きのした とよふさ

1969年、ドストエーフスキイの会の発足にあたり「発足の言葉」を起草。新谷敬三郎、米川哲夫氏らと会を起ちあげる。その後現在まで会の運営に関わる。2002年まで千葉大学教養部・文学部で30年間、ロシア語・ロシア文学を教える。2012年3月まで日本大学芸術学部で非常勤講師。ドストエフスキーの人間学、創作方法、日本におけるドストエフスキー受容の歴史を研究テーマとし、著書に『近代日本文学とドストエフスキー』、『ドストエフスキー・その対話的世界』(成文社)その他。ネット「管理人T.Kinoshita」のサイトで「ネット論集」(日本語論文・ロシア語論文)を公開中。

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小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観

木下豊房

去年、高橋誠一郎氏「テキストからの逃走―小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」(214回例会)、今年、福井勝也氏「小林秀雄のドストエフスキー、ムイシキンから「物のあはれ」へ」(221回例会)と、小林秀雄をめぐる、論争性を内に秘めた報告がなされ、去る7月には高橋氏の『黒澤明と小林秀雄―「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が上梓された。

私はこの両者の説にふれることで、自分が抱えている問題意識に火がつくのを感じた。とりわけ、高橋氏の小林批判は鮮烈で、私はそのレトリックとカリスマ性ゆえに敬遠してきた小林のドストエフスキー論の実体を解明したくなった。

「ムイシキンはスイスから還つたのではない。シベリヤから還つたのである」という表現に集約される小林の解釈に、高橋氏は多方面からの批判を加えていて、傾聴すべき点が多い。と同時に、昨年ですでに没後30年になる文学者を歴史的存在(歴史的制約を受けた存在)としてではなく、現在の時局論に引きつけ過ぎて論じているきらいがあり、また深読みと思われるところもあって、そのあたりには疑問を感じた。そこで私は、小林秀雄を歴史的存在として見て、彼の論の形成に影響した状況を踏まえて検証を試みようと思った。

俗に、小林の「ドストエフスキイの生活」はE.H.カーの剽窃であるとの噂はいまだに燻っているようであるが、その実情はどうなのか? ほとんど同年を生きた唐木順三、そしてやや後輩の森有正のドストエフスキー論、そして彼らをはじめ同時代の文学者に広く読まれたアンドレ・ジードの論、そして小林や唐木や森の論が日本で形成される時期には、おそらく未知の存在であったミハイル・バフチンの論、これらを対比して見た時に、共通する論点が多くあることに気づかされた。

それはドストエフスキーのリアリズムの性格と人間についての見方である。バルザックに代表され、ロシアではトゥルゲーネフやトルストイに見られる客観的写実主義ともいうべきリアリズムとは一線を画すドストエフスキーの内観的リアリズムともいうべきものである。そして、人間の心理の客観的分析を旨とするフロイド的精神分析に対する異口同音の批判であつた。

19世紀ロシア文学史上、ドストエフスキーにおいて人間の見方に新しい転換が起きた。徹底的に客体化されて描かれたゴーゴリの人物が、『貧しき人々』において、主観性を持った主体的人物として蘇った。いわば死者の復活である。

デカルト的理性を基盤とする19世紀の客観主義的リアリズムによって描かれる人物像はドストエフスキーの内観的リアリズムから見れば、十分に生を享受しているとは言えないだろう。ドストエフスキーの芸術思想によれば、「人間にはA=Aの同一性の等式を適用できない」 人間の本当の生は「人間の自分自身とのこの不一致の地点で営まれる」(バフチン)ドストエフスキーにとって、「人間は先ず何をおいても精神的な存在であり、精神は先ず何を置いても、現に在るものを受け納れまいとする或る邪悪な傾向性だ」(小林)

このように客体化を拒む精神、自意識というものは、他者を客体としてではなく、もう一つの主体として認知する「われ-汝」の二人称的関係を希求する(バフチン、唐木順三)

しかしこの関係はきわめて不安定で、時空間の因果の網に拘束されない現時制の瞬間においてしか成立しない。それは過去化され、時空間で相対化された時、客体化を免れえない運命にある。この問題は作者の主人公に対する態度とともに、作中の人物間の関係にかかわる作品の主題としても現象するのが特徴である。

これをムイシキン像についていうならば、小説の前半では、登場人物達を読者に開示する二人称的、語り手的な機能を担わされ、読者はムイシキンとの出会いを通じて、人物関係図を知らされる。後半に至って、ナスターシャへのプロポーズの事件以降、彼は他の人物達との距離を失い、事件の渦中に巻き込まれて、客体化され、いわばトラブルメーカーに頽落していく。最終段階の創作ノートには「キリスト教的な愛―公爵」という記述があるのをおそらく知りながら、観念の意匠に敏感な小林は、人々に不安を与える無能なムイシキン、しかし作者が愛さないではおれない存在としてのムイシキンの現実を強調した。 ここに小林は作者の憐憫の眼差しを見ている。

最後にこの「憐憫」=「あわれ」の眼差が、小林の隣接する著作「本居宣長」の「あはれ」の概念とどう関係していくのか、福井氏の問題提起を受けて考えてみたい。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」など会の活動については、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を転載、「主な研究」に「傍聴記」を掲載

リンク「広場」23号合評会・「傍聴記」

 

ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.124)より転載します。

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第223回例会のご案内 

       下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2014927日(土)午後2時~5

場 所:千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

℡:03-3402-7854

報告者:北岡淳也 氏

題 目: 晩年のドストエフスキーと「人民の意志」連続テロ事件

                      

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:北岡淳也(きたおか じゅんや)

1945年生まれ、早大文学部卒。

著書に「ドストエフスキー・クライシス ─   ユートピアと千年王国」。

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1878年1月、ザスーリッチによるトレーポフ特別市長官暗殺未遂事件に始まる連続テロは8月、クラフチンスキーによる憲兵司令長官、メゼンツェフ暗殺、翌、79年には3月、ミルスキーによるドレンチェリン長官襲撃事件、4月、ソロヴィヨフによるアレクサンドルⅡ世暗殺未遂事件、11月、列車爆破事件、80年にはハルトゥーリンによる冬宮爆破事件とつづいて、81年3月1日に、アレクサンドルⅡ世がエカテリーナ運河ぞいでグリュネヴィツキーの自爆テロによって横死した。急進派ナロードニキによる花々しいテロの時代に、「悪霊」の作者、ドストエフスキーは81年1月28日にひっそりと自宅で死亡した。

ドストエフスキーの友人で宗務院長官のポベドノスツェフは彼の作品について検閲官の役割をはたしている。政治的には保守陣営の大立者で、黒百人組にも深く関係している。

ところで、ミルスキーによるドレンチェリン第三課長官暗殺未遂事件に加担したピョートル・ラチコフスキーという人物、─ 彼は20世紀初頭、第三課長官になり、操り師、ラチコフスキーの偉名をとる ─ ペテルブルグ市の一般事務職員がテロの時代のさなか、79年4月に第三課職員として地下工作活動の世界に入っていく。

彼はドストエフスキーの作品を愛読していた。その時代、ドストエフスキーは「カラマゾフの兄弟」を雑誌に連載していた。作家は市民ホールなどでも章ごとに朗読している。ラチコフスキーも朗読会に聴衆のひとりとして聴きにいった。作家本人が読むと、俳優の朗読とは違った味わいがある。

現代イギリスの政治学者、テイラーによると、アレクサンドルⅡ世暗殺事件は近代政治テロの原点であるという。

この事件の真相にフィクションを用いて迫れないだろうか、それは30年近く前に、ドストエフスキーの死に疑問をもったこと、調べているうちにその当時、宮廷女官が言ったという「ロシアはこの2、3カ月のうちに大きく変る」という言葉が噂となって流布していたという。

アレクサンドルⅡ世とドストエフスキーの死で、ロシア・ルネッサンスといわれる時代は幕をおろした。では誰が幕引きを仕組んだのか。

Ⅱ世が死亡した瞬間、皇太子がアレクサンドルⅢ世に即位した。政治権力にキレ目があってはならない。皇太子の教育者、ポベドノスツェフはⅡ世の死以後、毎日、教会で鎮魂の儀式を欠かさなかったと伝えられる。彼の勧めもあって、ドストエフスキーはⅢ世に80年末、「カラマゾフの兄弟」を献本している。場所はアニチコフ宮殿である。

冬宮は改革派のアレクサンドルⅡ世、大理石宮は急進派のコンスタンチン大公、アニチコフ宮殿はポベドノスツェフ、皇太子らの保守派、上層部の分裂は深まり、社会の矛盾は深刻さをます。急進派のテロは相次ぎ、露土戦争で経済は悪化する時代、ドストエフスキーは「カラマゾフの兄弟」を書きあげた。

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 会の活動についてはドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

  

『欧化と国粋』の「事項索引」を「著書・共著」に掲載

 

リンク先→ 『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(事項索引)

 

昨日のブログでも記したように、日露の「文明開化」の類似性と問題点に迫る講義用の著作として作成した『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、2002年)には、付録として「人名索引」の他に「事項索引」も付けていました。

なぜならば、比較文明学の創始者といわれるトインビーは、世界戦争を引き起こすにいたった近代西欧の「自国」中心の歴史観を大著『歴史の研究』において「自己中心の迷妄」と厳しく批判していましたが、自国を「文明」としたイギリスの歴史家バックルも『イギリス文明史』で、歴史を「文明(中央)ー半開(周辺)ー野蛮(辺境)」と序列化していました。そしてそのような理解に沿って言語にも「文明語ー国語ー方言」という序列が生まれたのです。

しかし、「周辺」や「半開」などの用語だけでなく、拙著の題名とした「欧化」や「国粋」という用語もまだ広くは使われていないので、学生や読者の理解を助けるためにこの「事項索引」を編んでいました。

「事項索引」の項目のうち作品名は「人名索引」に移動しましたが、作者が明確でないものなどは残し、語順の一部を訂正して掲載しました。

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「事項索引」では「良心」という用語も取り上げましたが、残念ながら、日本のドストエフスキー研究では『罪と罰』においての中心的な位置を占めている「良心」の問題がいまだに軽視されています。

しかし、ドストエフスキーが「大地主義」を高らかに唱えていた時期に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』、『冬に記す夏の印象』、さらには『地下室の手記』など、クリミア戦争の敗戦後に書かれた作品でも「良心」の問題が重要な位置を占めていたことがわかるでしょう。

「権力」や「いじめ」などの用語や「制度」の問題にも注意しながら、これらの作品における「良心」の問題を注意深く読み解くことは、『罪と罰』の正確な理解にもつながると思えます。

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お詫びと訂正

2004年は日本がイギリスとの「軍事同盟」を結んで行った日露戦争が開始されてから100周年を迎え、またそれに関連して司馬遼太郎の『坂の上の雲』がテレビドラマ化されて、「軍備」の必要性が強調される可能性が生じていました。

「あとがき」では「核兵器」の危険性にも触れましたが、「被爆国」でもあるだけでなく「日露戦争」に際しては国内ではなく韓国や中国の領土で激しい戦闘を行っていた日本が「日露戦争」の勝利を強調して軍備の増強を進めると近隣諸国との軋轢が深まることが予想されました

そのこともあり本書を急いで書き上げたのですが、いくつもの重大な誤記がありました。お詫びの上、訂正いたします。

 

69頁 9行目 誤「一八五四年から年間」 →正「一八五四年から五年間」

74頁 2行目 誤「劇評家」 →正「詩人」

77頁 後ろから3行目 誤(45) →正(44)

102頁 後ろから3行目 誤「近づこう」 →正「近づこうと」

103頁 後ろから3行目  誤「四年間」→ 正「五年間」

146頁 3行目 誤「そこに見るのものは」 → 正「そこに見るものは」

152頁 後ろから8行目 誤「自分の足で立つ時がきている → 正「自分の足で立つ時がきている」

162頁 9行目 誤「歴史・文化類型」→ 正「文化・歴史類型」

174頁 後ろから5行目 誤『坊ちゃん』→ 正『坊っちゃん』

174頁 後ろから5行目 誤『坊ちゃん』→ 正『坊っちゃん』

188頁 8行目 誤「反乱のを」→ 正「反乱を」

191頁 7行目 誤「滅ぼすと滅ぼさるると云うて可なり」→ 正「滅ぼすと滅ぼさるるのみと云うて可なり」(下線部を追加)

193頁 2行目 誤「奴隷の如くに圧制」したいものだと →正「奴隷の如くに圧制」したいという

196頁 後ろから3行目 誤「広田の向かいに座った」 →正「三四郎の向かいに座った」

199頁 後ろから6行目 誤「平行現象」→ 正「並行現象」

『欧化と国粋』(刀水書房)の「人名・作品名索引」を「著書・共著」に掲載

リンク先→ 『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(人名・作品名索引)

『虐げられた人々』や『死の家の記録』、さらには『冬に記す夏の印象』などのクリミア戦争の敗戦後に書かれた作品を中心に考察することで、日露の「文明開化」の類似性と問題点に迫ろうとした『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、2002年)には、付録として「人名索引」と「事項索引」を付けていました。

ただ、著者名と作品名が分かれていると探しにくいので、HP上では「事項索引」の項目のうち作品名は「人名索引」に移動して作者名の後に掲載しました。

また、本の「索引」では注の頁数も表示していましたが、ここではそれを省く代わりに一回しか出てこない人名や作品名でも重要と思われる場合には記載することにしました。

なお、『欧化と国粋』以降の著作ではロシア語の読みに近い形で人名などを表記していたものを一般的な表記に改めましたが、「索引」での表記は元のままにしてあります。

〈「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立〉を「主な研究」に掲載

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房)の序章の一部を、「著書・共著」のページで紹介していましたが、そのページ内ではかえって見つけにくいので、「主な研究」のページに移動するとともに改題しました。

日本がアメリカなど欧米の強い圧力で「開国」や「文明開化」を迫られていた時期に起きていた露土戦争は、イギリスやフランスなどがトルコ側に参戦したためにクリミアで激しい戦争が行われました。

クリミア戦争やその敗北後の「大改革」の時代をドストエフスキーの作品をとおして考察することは、「集団的自衛権」という名前で「軍事同盟」の必要性が再び唱えられるようになった日本の未来を考える上でも重要だと思われます(8月29日改訂)。

リンク先→「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立

『黒澤明と小林秀雄』の「人名・作品名索引」を「著書・共著」に掲載

 

 『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の「人名・作品名索引」を作成しました。  

これまでも『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』の事項索引などを作成して、その本の「著書・共著」のページに掲載してきました。

ただ、そのページ内ではかえって見つけにくいので、「著書・共著」に索引として独立させました。

リンク先→黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(人名・作品名索引)

 

 

「あとがきに代えて──小林秀雄と私」を「主な研究」に掲載

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の「あとがきに代えて」では、小林秀雄のバルザック観にも言及しながら、小林秀雄のドストエフスキー論と私の研究史との関わりを簡単に振り返りました。       

 「あとがきに代えて」を謝辞の部分を省略した形で、「主な研究」に掲載しました。                  

   リンク先→ あとがきに代えて──小林秀雄と私