高橋誠一郎 公式ホームページ

ドストエフスキー

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

Albert_Einstein_Head

(Oren J. Turnerによる写真1947年。「ウィキペディア」より)

 

アインシュタインのドストエフスキー観 

これまで5回にわたって文芸評論家・小林秀雄氏と数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社、1965年)にも注意を払いながら、1962年に発行された『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)における「良心」の問題を考察してきました。

読者の中にはここまでこだわらなくてもよいと考える方も少なくないと思われますので、最後にこの問題とドストエフスキー研究者としての私とのかかわりを簡単に確認しておきます。

アメリカの大統領にナチス・ドイツが核兵器の開発をしていることを示唆した自分の手紙が核兵器の開発と日本へ投下につながったことを知った物理学者のアインシュタインは、その後、核兵器廃絶と戦争廃止のための努力を続け、それは水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していました。

注目したいのは、そのアインシュタインがドストエフスキーについて、「彼はどんな思想家よりも多くのものを、すなわちガウスよりも多くのものを私に与えてくれる」と述べていたことです。(クズネツォフ、小箕俊介訳『アインシュタインとドストエフスキー』れんが書房新社、1985年、9頁)。

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』でイワンに非ユークリッド幾何学についても語らせていますので、アインシュタインの言葉はこの小説における複雑な人間関係や人間心理の鋭い考察から、彼が哲学的・科学的な強いインスピレーションを得たと考えることも可能です。

しかし、それとともに重視すべきと思われるのは、『カラマーゾフの兄弟』では自分の言葉がスメルジャコフに「父親殺し」を「教唆」していたことに気づいたイワンが、深い「良心の呵責」に襲われ意識混濁や幻覚を伴う譫妄症にかかっていたことです。

殺人を実行したわけではなく、言葉や思想による「使嗾」だけにもかかわらず苦しんだイワンの心理をこれほどに深く描いたドストエフスキーに私は倫理的な作家を見いだしていましたが、広島や長崎に原爆が投下されたことを知った後のアインシュタインの言動も、原爆パイロット・イーザリー少佐に重なる言動が少なくないと言えるでしょう。

一方、それまでの自分の『カラマーゾフの兄弟』観を覆して、「アリョーシャというイメージを創(つく)るのですが、あれは未完なのです。あのあとどうなるかわからない。また堕落させるつもりだったらしい」と語った小林氏の解釈は、イワンの「良心の呵責」という重たい倫理的なテーマをもあやふやにしてしまっていると思われます。

 

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

リンク→『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

800px-Atomic_cloud_over_Hiroshima

(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

 「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)――ムィシキン公爵と「狂人」とされた「軍人」

『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)には、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」を1955年に発表していたバートランド・ラッセルの「まえがき」も収められていました。

ラッセルはその「まえがき」を次のように書き始めています。少し長くなりますが引用して起きます。

「イーザリーの事件は、単に一個人に対するおそるべき、しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく、われわれの時代の、自殺にもひとしい狂気をも性格づけている。先入観をもたない人間ならば、イーザリーの手紙を読んだ後で、彼が精神的に健康であることに疑いをいだくことのできる者はだれもいないであろう。従って私は、彼のことを狂人であると定義した医師たちが、自分たちが下したその診断が正しかったと確信していたとは、到底信ずることができない。彼は結局、良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら、そのことを懺悔したために罰せられるところとなった。…中略…彼とおなじ社会に生きる人々は、彼が大量殺戮に参加したことに対して彼に敬意を示そうとしていた。しかし、彼が懺悔の気持ちをあらわすと、彼らはもちろん彼に反対する態度にでた。なぜならば、彼らは、彼の懺悔という事実の中に行為そのもの〔原爆投下〕に対する断罪を認めたからである」。

*   *

「あとがき」を書いたユンクによれば、イーザリー少佐は「広島でのあのおそるべき体験の後、何日間も、だれとも一言も口をきかなかった」ものの、戦後は「過去のいっさいをわすれて、ただただ金もうけに専心し」、「若い女優と結婚」してもいました。

しかし、私生活での表面的な成功にもかかわらず、イーザリー少佐は夜ごとに夢の中で、「広島の地獄火に焼かれた人びとの、苦痛にゆがんだ無数の顔」を見るようになり、「自分を罪を責める手紙」や「原爆孤児」のためのお金を日本に送ることで、「良心の呵責」から逃れようとしたのですが、アメリカ大統領が水爆の製造に向けた声明を出した年に自殺しようとしました。

自殺に失敗すると、今度は「偉大なる英雄的軍人」とされた自分の「正体を暴露し、その仮面をひきむく」ために、「ごく少額の小切手の改竄」を行って逮捕されます。しかし、法廷では彼には発言はほとんど許されずに、軽い刑期で出獄すると、今度は強盗に入って何も取らずに捕まり、「精神」を病んだ傷痍軍人と定義されたのです(ロベルト・ユンク「良心の苦悩」)。

*   *

このようなイーザリー少佐の行為は、「敵」に対して勝利するために、原爆という非人道的な「大量殺人兵器」の投下にかかわった「自分」や「国家」への鋭い「告発」があるといえるでしょう。

イーザリー少佐と手紙を交わしたG・アンデルスは、核兵器が使用された現代の重大な「道徳綱領」として「反核」の意義を次のように記しています。「いまやわれわれ全部、つまり“人類”全体が、死の脅威に直面しているのである。しかも、ここでいう“人類”とは、単に今日の人類だけではなく、現在という時間的制約を越えた、過去および未来の人類をも意味しているのである。なぜならば、今日の人類が全滅してしまえば、同時に、過去および未来の人類も消滅してしまうからである。」(55頁)。

さらに、ロベルト・ユンクも「狂人であると定義」されたイーザリー少佐の行為に深い理解を示して「われわれもすべて、彼と同じ苦痛を感じ、その事実をはっきりと告白するのが、本来ならば当然であろう。そして、良心と理性の力のことごとくをつくして、非人間的な、そして反人間的なものの擡頭と、たたかうべきであろう」と書き、「しかしながら、われわれは沈黙をまもり、落ちつきはらい、いかにも“分別を重ねつくした”かのようなふりをしているのである」と続けているのです(264-5頁)。

*   *

これらの記述を読んでドストエフスキーの研究者の私がすぐに思い浮かべたのは、「殺すなかれ」という理念を語り、トーツキーのような利己的で欲望にまみれた19世紀末のロシアの貴族たちの罪を背負うかのように、再び精神を病んでいったムィシキンのことでした。

この長編小説を映画化した黒澤映画《白痴》を高く評価したロシアの研究者や映画監督も主人公・亀田の形象にそのような人間像を見ていたはずです。

文芸評論家の小林秀雄氏も1948年の8月に行われた物理学者・湯川秀樹博士との対談「人間の進歩について」では、「私、ちょうど原子爆弾が落っこったとき、島木健作君がわるくて、臨終の時、その話を聞いた。非常なショックを受けました」と切り出し、こう続けていたのです。

「人間も遂に神を恐れぬことをやり出した……。ほんとうにぼくはそういう感情をもった」。

それにたいして湯川が太陽熱も原子力で生まれていることを指摘して「そうひどいことでもない」と主張すると、「高度に発達する技術」の危険性を指摘しながら、次のように厳しく反論していました。

「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」(拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、139頁)。

*   *

湯川博士との対談を行った時、小林氏は日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識して、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指して平和のための活動をすることになるアインシュタインと同じように考えていたと思えます。

しかし、1965年に数学者の岡潔氏と対談で哲学者ベルグソン(1859~1941)と物理学者アインシュタイン(1879~1955)との議論に言及した小林氏は、「アインシュタインはすでに二十七八のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか」ときわめて否定的な質問をしているのです(『人間の建設』、新潮文庫、68頁)。

この時、小林秀雄氏は「狂人であると定義」されたイーザリー少佐に深い理解を示したロベルト・ユンクが書いているように、かつて語っていた原水爆の危険性については「沈黙をまもり、落ちつきはらい、いかにも“分別を重ねつくした”かのようなふりをしている」ように思われます。

トーツキーのようなロシアの貴族の行為に深い「良心の呵責」を覚えたムィシキンをロゴージンの「共犯者」とするような独自な解釈も、小林氏のこのような「良心」解釈と深く結びついているようです。

 

リンク→

小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観

小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

 

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

800px-Atomic_cloud_over_Hiroshima

(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)――良心の問題と「アイヒマン裁判」

前回のブログ記事では触れませんでしたが、小林秀雄氏が『ヒロシマわが罪と罰』についての沈黙を守った最も大きな理由は、この書物ではこのころ世界を揺るがしていたアイヒマンの裁判のことにも言及されていたからではないかと私は考えています。

ドストエフスキーは『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフに、非凡人は「自分の内部で、良心に照らして、流血をふみ越える許可を自分に与える」(下線引用者)のだと説明させていました。

一方、著者の一人のG・アンデルスは、「何百万という人間、ユダヤ人、ポーランド人、ジプシーなどの、みな殺し計画にあずかり、この計画を実行にうつした人間」であるアイヒマンが、「自分は“テロの機構の中の一本の小さなネジ”にすぎなかった、そして、ヒトラーへの忠誠の誓いを誠実に実行したにすぎなかったのだと、“良心にかけて”証言しているのだ」と原爆パイロットのC・イーザリーに説明していたのです(244-5頁)。

さらにG・アンデルスは、ケネディ大統領に送った1961年1月13日付けの書簡で、アイヒマンの裁判のことにも言及しながら、原爆パイロットのC・イーザリーを次のように弁護していました。

「ちがいます。イーザリーは決してアイヒマンの同類ではありません。それどころか、まさにアイヒマンとはまったく対蹠的な、まだ望みのある実例なのです。自己の良心の欠如をメカニズムに転嫁しようとするような男とちがって、イーザリーは、メカニズムこそ良心にとっておそるべき脅威であるということを、はっきりと認めているのです。そして、そのことによって彼は、今日における道徳的な根本問題の核心を、ほんとうに突いているのです。」(218-9頁)

*   *

一方、「非凡民族」という思想にもつながるラスコーリニコフの「非凡人の理論」の危険性を軽視していた小林氏は、鼎談「英雄について」でヒトラーを「小英雄」と見なしていました。

さらに、1940年に書いた『わが闘争』の書評では「これは天才の方法である、僕はこの驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、もう天才のペンを感じた、僕には、ナチズムといふものが、はつきり解つた気がした、(以下略)」とヒトラーを賛美していたのです。

問題はこのような初出における記述が、『全集』に収められる際に変えられていることです。このことを果敢に指摘した菅原健史氏の考察を拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』から引用しておきます。

〈初出時と『全集』との文章の差異を克明に調べた菅原健史は、『全集』では「天才のペン」の前に、《一種邪悪なる》という言葉が加筆されていることを指摘し、そのために『全集』に依拠した多くの研究者が、戦時中から小林がヒトラーを「一種邪悪なる天才」と見破っていたとして小林の洞察力を賞讃していたことに注意を促している。

しかも菅原は、初出では引用した個所の直前には「彼(引用者注──ヒトラーのこと)は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く、そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる」という記述があったが、その部分は『全集』では削除されていることも指摘している。〉

数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社)について考察した〈「不注意な読者」をめぐって(2)〉では、小林秀雄氏が「ドストエフスキーという人には、これも飛び切りの意味で、狡猾なところがあるのです」と語り、小説の構造の秘密を「かぎ出さなくてはいけないのです。作者はそういうことを隠していますから」と主張していたことを紹介した後で、私は次のような疑問を記していました。

〈小林氏は本当に「作者」が「隠していること」を「かぎ出した」のだろうか、「狡猾なところがある」のはドストエフスキーではなく、むしろ論者の方で、このように解釈することで、小林氏は自分自身の暗部を「隠している」のではないだろうか。〉

「“テロの機構の中の一本の小さなネジ”にすぎなかった」と主張したアイヒマンの「良心」の問題にも鋭く迫っていた『ヒロシマわが罪と罰』は、小林氏の「良心」解釈の問題点をも浮かび上がらせているように感じます。

リンク→『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』(東京創元社)

リンク→『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

関連記事一覧

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

(2015年6月18日、写真と副題を追加。2016年1月1日、関連記事を追加)

 

映画《白痴》とポスター

 

200px-Hakuchi_poster

(松竹製作・配給、1951年、図版は「ウィキペディア」より)。

 

大学の講義のための参考資料として、上記のポスターをHPに掲載していました。

しかしこのポスターを見ているうちに、私の内にあった強い違和感の理由に気づきましたので少し記しておきます。

*   *

よく知られているように、黒澤明監督の映画《白痴》(1951)は、残念ながら、当初4時間32分あった映画が、映画会社の意向で長すぎるとして2時間46分にカットされたこともあり、日本ではあまりヒットしませんでした。

しかし、日本やロシアの研究者だけでなく、「ドストエフスキーの最良の映画」として映画《白痴》を挙げたタルコフスキーをはじめとして本場ロシアの多くの映画監督からも絶賛されました。

その理由はおそらく彼らが原作をよく知っていたために、カットされた後の版からでもこの映画が原作の本質を伝え得ていることを認識できたからでしょう。実際、拙著で詳しく検証したように、上映時間が限られるために登場人物などを省略し、筋を変更しながらも、黒澤明監督はオリジナル版で驚くほど原作に近い映像を造りあげていたのです。

収益を重視した会社の意向でカットされた後の版でも、ナスターシャ(那須妙子)を妾としたトーツキー(東畑)や、さまざまな情報を握って人間関係を支配しようとしたレーベジェフ(軽部)、さらにエパンチン将軍(大野)やイーヴォルギン将軍(香山)の家族も制限されたかたちではあれ、きちんと描かれていました。

*   *

一方、小林秀雄氏は1934年から翌年にかけて書いた「『白痴』についてⅠ」において、この長編小説について「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」と断定し、多くの重要な登場人物については、ほとんど言及していないのです。それは小林氏の『罪と罰』論について論じた際にも記したように、これれらの重要な登場人物の存在は、彼の論拠を覆す危険性を有していたからでしょう。

つまり、小林氏は多くの重要な登場人物については「沈黙」を守る、あるいはかれらwお「無視」することにより、自分の読みに読者を誘導していたと私には思えるのです。

映画《白痴》のために作成されたはずの上記のポスターは、黒澤氏の映像を用いつつも、ナスターシャをめぐるムィシキン(亀田)とロゴージン(赤間)の三角関係を中心に考察した小林秀雄氏の解釈に従った構図を示していたのです。

*   *

視覚に訴えることのできるポスターは、単なる文章よりも強い影響力を持ちやすいと思えます。おそらく会社側の意向に沿って製作されたと思われるこのポスターは、黒澤映画《白痴》よりも、小林氏の『白痴』論のポスター化であり、そのことがいっそう観客の映画に対する違和感を強めたのではないかとさえ思えるのです。

 

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

リンク→「不注意な読者」をめぐって(2)――岡潔と小林秀雄の『白痴』観

リンク→「不注意な読者」をめぐってーー黒澤明と小林秀雄の『白痴』観

 

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「人間の進歩について」と題して1948年に行われた物理学者の湯川秀樹博士との対談で、文芸評論家の小林秀雄氏は「原子力エネルギー」を産み出した「高度に発達した技術」の問題を「道義心」の視点から厳しく批判していました。

それゆえ、原爆の投下に関わってしまったことを厳しく反省したパイロットの苦悩が描かれている著作『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』については、小林氏も「道義心」の視点から高く評価するのが当然だと思われるのです。

では、なぜ小林氏は原爆の問題を考える上で重要なこの著作に全く言及していないのでしょうか。その理由の一つは、原爆パイロットと書簡を交わしていたG・アンデルスが1960年7月31日付けの手紙で、東条内閣において満州政策に深く関わった経済官僚から大臣となった岸信介氏を次のように厳しく批判していたためだと思われます。

*   *

「つまるところ、岸という人は、真珠湾攻撃にはじまったあの侵略的な、領土拡張のための戦争において、日本政府の有力なメンバーの一人だったということ、そして、当時日本が占領していた地域の掠奪を組織し指導したのも彼であったということがすっかり忘れられてしまっているようだ。こういう事実がある以上、終戦後アメリカが彼を三年間監獄に入れたということも、決して根拠のないことではない。誠実な感覚をそなえたアメリカ人ならば、この男、あるいはこの男に協力した人間と交渉を持つことを、いさぎよしとしないだろうと思う。」

歿後30年を契機に小林氏と満州との関わりが明らかになってきましたが、座談会では、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した」と語りつつも、秘かに「良心の呵責」を覚えていたと思われる小林氏にとって、岸氏の話題は触れたくないテーマの一つだったと考えられるのです。

*   *

読者の中には、小林氏が言及していない著作との関係を考察してもあまり意味はないと考える人もいるでしょう。たしかに普通の場合は、人は自分が関心を払っていないテーマについては語らないからです。

しかし、文芸評論家の小林秀雄氏の場合は異なっているようです。長編小説『罪と罰』の筋において中年の利己的な弁護士ルージンとラスコーリニコフとの論争が、きわめて重要な役割を担っていることはよく知られています。また、このブログでは悪徳弁護士ルージンの経済理論と安倍政権の主張する「トリクルダウン理論」との類似性を指摘しました。→「アベノミクス」とルージンの経済理論

一方、小林氏の『罪と罰』論ではルージンへの言及がほとんどないのですが、それは重要な登場人物であるルージンの存在は、彼の論拠を覆す危険性を有していたからでしょう。つまり、小林氏はルージンについての「沈黙」を守る、あるいは「無視」することにより、自分の読みに読者を誘導していたと私には思えるのです。

リンク→小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観

 リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

関連記事一覧

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

(2016年1月1日、関連記事を追加)

中川久嗣著『ミシェル・フーコーの思想的軌跡』(東海大学出版会、2013年)を「書評・図書紹介」に掲載

書評にも書きましたが、私がフーコーを強く意識するようになったのは、『講座比較文明』第1巻の『比較文明学の理論と方法』(伊東俊太郎・梅棹忠夫・江上波夫監修、神川正彦・川窪啓資編、朝倉書店、1999年)に掲載された中川氏の「ヨーロッパ近代への危機意識の深化(2)――ニーチェとフーコー」を読んだときでした。

その論文をきっかけにフーコーの著作を比較文明学の視点から読むようになった私は、『狂気の歴史』や『監獄の誕生』などの著作がドストエフスキーを強く意識して書かれていることに気づいたのです。

『ミシェル・フーコーの思想的軌跡――<文明>の批判理論を読み解く』が発行されてからだいぶ時間が経ってしまいましたが、学会誌『文明研究』に短い書評論文を書きましたので、「書評・図書紹介」に掲載します。

私はフーコーの専門家ではないので、中川氏の著作の意義をきちんと伝え得ているかには疑問も残りますが、日本が文明の岐路にさしかかっているとも思える現在、問題の根源を直視するためにも哲学や歴史の研究者のみならず、文学や比較文明学をめざす若手の研究者にもぜひ読んでもらいたいと願っています。

リンク→書評論文、中川久嗣著『ミシェル・フーコーの思想的軌跡――<文明>の批判理論を読み解く』(東海大学出版会、2013年)

「黒澤明監督の倫理観と自然観」の要旨を掲載

Poster20150523

 はじめに――黒澤監督のドストエフスキー観と黒澤映画《夢》

ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで「人類滅亡の悪夢」を描いていたが、今年の初めには世界が滅亡する時間を示す「終末時計」が冷戦時の1949年と同じ「残り3分」に戻ったと発表された。原水爆の問題を正面から取り上げた黒澤明監督(1910~98年)の映画《生きものの記録》(1955年)から原子力発電所事故を予告したような映画《夢》(1990年)への深まりを地球倫理の視点から考察する。

黒澤監督が映像をとおして描いたようにドストエフスキーの文明観や倫理観はきわめて深いので、『罪と罰』や『白痴』などにも簡単に言及しながら、作家を深く敬愛したソ連の映画監督タルコフスキーとの深い交友や映画《デルス・ウザーラ》をも視野に入れることにより、映画《夢》に至る黒澤監督の自然観や倫理観に迫る。

そのことにより、単に19世紀的な自然観の危険性と絶望的な状況を描くだけでなく、『罪と罰』の結末のように復活の可能性もきちんと示していた黒澤映画《夢》の素晴らしさも明らかにできるだろう。

 Ⅰ、『罪と罰』の「人類滅亡の悪夢」と映画《夢》の「赤富士」と「鬼哭」

a、広島・長崎の悲劇と核兵器の開発競争

b、長編小説『罪と罰』との出会い――キューバ危機からベトナム戦争へ

c、黒澤映画《白痴》における「復員兵」の主人公と「殺すなかれ」という倫理

、映画《生きものの記録》とその時代

430px-Ikimono_no_kiroku_poster 

(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

a、「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》

b、「季節外れの問題作」

c、《Я живу в страхе(私は恐怖の中で生きている)》

d、湯川秀樹博士と文芸評論家・小林秀雄との対談をめぐって

、映画《デルス・ウザーラ》における環境倫理

a、シベリアの環境問題と映画《デルス・ウザーラ》の筋と構想

b、シベリアの環境問題と「自然支配の思想」の批判

c、ドストエフスキーの自然観とタルコフスキーの映画《惑星ソラリス》

、映画《夢》における黒澤明監督の倫理観と自然観

a、『罪と罰』における夢の考察と映画《夢》の構造

b、「やせ馬が殺される夢」と「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」の各話

c、「死んだ老婆が笑う夢」と第四話「トンネル」の戦死した部下たちの亡霊

d、「人類滅亡の悪夢」と第六話「赤富士」・第七話「鬼哭」

fc2_2013-09-21_18-19-44-152

(画像はブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より。http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da039753df523c21dcd451020f1e99c …

おわりに――ラスコーリニコフの「復活」と第八話「水車のある村」

資料 年表「終末時計の時刻と黒澤映画」

 

リンク→黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

リンク→年表8,核兵器・原発事故と終末時計

(2015年5月27日、図版とリンク先を追加。2016年4月29日、改訂 )

「『復活』の二つの訳とドストエフスキーの受容」を「主な研究」に掲載

 長編小説『坂の上の雲』において、戦時中の新聞報道の問題を指摘していた司馬氏は、「この不幸は戦後にもつづく」と続け、「もし日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、『ロシア帝国の敗因』といったぐあいの続きものを連載するとすれば」、ロシア帝国は「みずからの悪体制にみずからが負けた」という結論になったであろうと書いていました(六・「大諜報」)。

注目したいのは、その司馬氏が後に自分の後輩でもあるジャーナリストで筑波大学の教授となった青木彰氏に、新聞『日本』において「中道主義の言論活動を展開した」陸羯南についての「講座」を設けてはどうかという提案をしていたことです。

実は新聞『日本』は、日露戦争がまだ終結する前の明治三八(一九〇五)年四月五日から一二月二二日まで約九ヵ月にわたって、農奴の娘カチューシャを誘惑して捨てた貴族の主人公の苦悩をとおしてロシアの貴族社会の腐敗を厳しく暴いた内田魯庵訳によるトルストイの長編小説『復活』を連載していたのです。

しかも、ドストエフスキーの『罪と罰』も訳していた魯庵は、「元来神経質なる露国の検閲官」という注釈を付けながら「抹殺」、「削除」された箇所も具体的に指摘していました。

*   *

昨年の3月に「日本トルストイ協会」で行われた講演会では、内田魯庵訳の『復活』への二葉亭四迷の関わりが詳しく考察され、12月にはトルストイの劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座百年を記念したイベントも開かれました。

 さらに、夏には藤沼貴・日本トルストイ協会前会長による長編小説『復活』の新しい訳が岩波文庫から出版され、「解説」には『罪と罰』の結末との類似性の指摘がされていました。その記述からは「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」とした文芸評論家の小林秀雄の『罪と罰』解釈の問題点が改めて浮き彫りになりました。

『復活』とその訳に注目することによりドストエフスキーとトルストイの作品の内的な深い関係を考察したエッセーを書きましたので、「主な研究」のページに掲載します。

 

 

第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムのお知らせ

2016年の6月7日から10日にかけて第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムがスペインのグラナダで開催されます。詳しい内容についてはリンク先で情報をご確認ください。

 第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムの情報

  リンクhttp://www.ugr.es/~feslava/ids2016/index.html 

 国際ドストエフスキー学会(IDS)の情報

  リンク→ http://www.dostoevsky.org/

今回も多くの研究者の方に参加して頂けることを願っています。

(これまでのシンポジュウムについては、下記の著作の第3部を参照してください)。

 

33

リンク→ドストエフスキー その対話的世界

 

 

 

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の世界的なベストセラー『21世紀の資本』が日本でもたいへん話題になっています。

解説の記事などを読むと経済が成長すれば低所得者にも恩恵が波及するとの考えに懐疑的な見方を示し、安倍政権の「アベノミクス」とは一線を画しているとのことです。

ピケティ氏の強みは、この問題をたくさんの資料を読み込むことによって説得力を持つ形で、「トリクルダウン(trickle-down)」理論を批判し得ていることでしょう。

*   *

「トリクルダウン(trickle-down)」理論の問題点はよく知られており、ドストエフスキーも長編小説『罪と罰』で悪徳弁護士ルージンの説く「アベノミクス」と似た経済理論を厳しく批判していました。

リンク→「アベノミクス」とルージンの経済理論

興味深いのは、正岡子規が編集主任を務めた新聞『小日本』が、明治27年3月29日に、「貧と富」と題する論説記事を載せて金持ちの横暴を厳しく批判するとともに、格差の問題点を指摘して「極富の人に救済の義務」を説いていたことです。その一部をここに再掲します。

shonihon

(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)

* 「貧と富」 *

「貧富人生免れ難しと雖(いへど)も貧者益々貧にして富者益々富まは其極や奈何(いかん)、

文明の風吹き荒(すさ)みてより見よや此間(このあひだ)に一大溝渠(こうきょ)の作られもて行けるを、

駿台(しゆんだい)の紳士は犬を養ふに一月(ひとつき)数百万を費やす、煉瓦の室是れ犬の居る処、牛豚の肉是れ犬の食(くら)ふ処一転して万年町(ばんねんちやう)の光景に見れば犬にはあらぬ人間が居(を)る処は風雨を凌ぐには足らず食(くら)ふ処は腹を満たすにも足らず、父は病に臥して薬の供すべきなく児は饑(うゑ)に泣きて与ふるに物なし、(中略)

同しく生れて人間となる、一(ひとつ)は此(かく)の如く一は彼(かれ)の如し、極貧(きょくひん)の人に受済の権利なきも極富の人に救済の義務なき乎、窮鼠は猫を噛む、窮民益々多くして其極や如何、

今の肉食(にくじき)者は之を思はずや、

社界党は党中の尤も恐るべきものなり、」