以前のブログにも記しましたが、執筆中の拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』(仮題、人文書館)では新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が俳人・正岡子規の成長をどのように描き、子規の視線(まなざし)をとおして日露戦争をどのように分析しているかを考察しています。
子規との関連で新聞『日本』の性格についても調べているのですが、その中で強く感じるのは明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」によって言論が規制され、何度も発行停止などの厳しい処分を受けながら、言論人としての節を曲げずに、経済的に追い詰められながらも新聞を発行し続けた社主・陸羯南などの明治人の気概です。
いつ倒産するかも分からない新聞社に入社した正岡子規も給与が安いことを卑下することなく、むしろそのような新聞の記者であることを「誇り」として働いていたのです。
司馬氏は『坂の上の雲』の「あとがき」で、ニコライ二世の戴冠式に招かれて「ロシア宮廷の荘厳さ」に感激した山県有朋が日本の権力を握ったことが、昭和初期の「別国」につながったことも示唆していました。それは明治の人々が当時の「独裁政権」に抗してようやく勝ち取った「憲法」がないがしろにされることで、「国民」の状態が「憲法」のないロシア帝国の「臣民」に近づいたということだと思えます。
新聞記者だった司馬氏が長編小説『坂の上の雲』を書いた大きな理由は、冷厳な事実をきちんと調べて伝える「新聞報道」の重要性を示すためだったと私は考えています。
昨年の参議院選挙の頃にもそのようなことを強く思ってHPを立ち上げていたので、汚染水の流出と司馬氏の「報道」観について記したブログ記事を再掲し、その後で『日刊ゲンダイ』のデジタル版に掲載された〈朝日「吉田調書」誤報騒動のウラで東電が隠してきた“事実” 〉という記事を紹介することにします。
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汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(2013年7月28日 )
日本には「人の噂も75日」ということわざがあるが、最近になって発覚した事態からは、同じことが再び繰り返されているという感じを受ける。
参議院選挙後の22日になって放射能汚染水の流出が発表されたが、報道によれば「東電社長は3日前に把握」していたことが明らかになり、さらに27日には福島第一原発2号機のタービン建屋地下から延びるトレンチに、事故発生当時とほぼ同じ1リットル当たり計23億5000万ベクレルという高濃度の放射性セシウムが見つかったとの発表がなされた。
汚染水の流出の後では、この事実の隠蔽に関わった社長を含む責任者の処分が発表されたが、問題の根ははるかに深いだろう。
たとえば、参議院選挙を私は、「日本の国土を放射能から防ぐという気概があるか否か」が問われる重大な選挙だと考えていた。しかしほとんどのマスコミはこの問題に触れることを避けて、「衆議院と参議院のねじれ解消」が最大の争点との与党寄りの見方を繰り返して報道していた。
「臭い物には蓋(ふた)」ということわざもある日本では、「見たくない事実は、眼をつぶれば見えなくなる」かのごとき感覚が強く残っているが、事実は厳然としてそこにあり、眼をふたたび開ければ、その重たい事実と直面することになる。
このことを「文明論」的な視点から指摘していたのが、歴史小説家の司馬遼太郎氏であった。再び引用しておきたい(「樹木と人」『十六の話』)。
チェルノブイリでおきた原子炉事故の後で司馬氏は、「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていた(傍線引用者)。
さらに司馬氏は、「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と冷静に続けていた。
きれいな水に恵まれている日本には、過去のことは「水に流す」という価値観も昔からあり、この考えは日本の風土には適応しているようにも見える。
だが、広島と長崎に原爆が投下された後では、この日本的な価値観は変えねばならなかったと思える。なぜならば、放射能は「水に流す」ことはできないからだ。
チェルノブイリの原子力発電所は「石棺」に閉じ込めることによってなんとか収束したが、福島第一原子力発電所の事故は未だに収束とはほど遠い段階にあり、「海流というものは地球を漂流して」いる。
日本人が眼をつぶっていても、いずれ事実は明らかになる。(後略)
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朝日「吉田調書」誤報騒動のウラで東電が隠してきた“事実” (日刊ゲンダイ)
「東電はまだまだ重要な事実を隠している」──あの未曽有の事故から3年8カ月。原発事故情報公開弁護団が1枚のファクスから新たな疑惑を発掘した。福島第1原発の2号機が危機的状況に陥っていた3月15日の朝、東電本店が姑息な隠蔽工作を行っていた疑いが浮き彫りとなった。
問題のファクスは、当日午前7時25分に福島第1原発の吉田昌郎所長が原子力安全・保安院に送信したものだ。現在も原子力規制委のホームページに公開されている。ファクスにはこう記されている。
〈6時~6時10分頃に大きな衝撃音がしました。準備ができ次第、念のため『対策本部』を福島第2へ移すこととし、避難いたします〉
今まで重要視されることのなかったファクスだが、きのうの会見で弁護団が突きつけた「新事実」は傾聴に値する。メンバーの海渡雄一氏はこう言った。
「『対策本部』自体を福島第2へ移すことは、第1に人員が残っていたとしても、彼らは対策の主力ではなくなる。まぎれもなく『撤退』だと考えられます」
■まぎれもなく「撤退」
となると、朝日新聞が「誤報」と認めた「吉田調書報道」に新たな解釈が生じる。朝日の第三者機関「報道と人権委員会(PRC)」は、当該記事が「撤退」と断定的に報じたことを問題視。今月12日に「『撤退』という言葉が意味する行動はなかった。第1原発には吉田所長ら69人が残っており、対策本部の機能は健在だった」とする見解をまとめ、「重大な誤りがあり、記事取り消しは妥当」と断じたが、いささか早計すぎたのではないか。
まず結論ありきで、「PRCは『撤退はなかった』と言い切るだけの根拠を調べ抜いたのか。重大な疑念が生じる」(海渡氏)と非難されても仕方ない。 問題にすべきは東電の隠蔽体質の方だ。当日午前8時30分に行われた本店の記者会見では、作業員650人の移動先を「第1原発の安全な場所」と発表。第2原発に移動した事実には一切触れなかった。
「吉田所長のファクスは『異常事態連絡様式』という公式な報告書で、本店が内容を把握していないわけがありません。『撤退』した事実の隠蔽を疑わざるを得ません」(海渡氏)
同じくメンバーで弁護士の小川隆太郎氏はこう話した。
「政府はまだ当日、現場にいた作業員ら771人分の調書を開示していない。今後、明らかにしていくべきです」
福島原発事故の真相はまだ闇に包まれたままだ。
(2014年11月19日/『日刊ゲンダイ』/デジタル版)
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