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憲法

映画『新聞記者』を読み解く(1)――権力による情報の「操作」と「隠蔽」の問題に鋭く切り込む快心作

「映画 新聞記者」の画像検索結果

映画『新聞記者』では人気俳優の松坂桃李が主人公の一人を演じているにも関わらず、テレビでは映画『新聞記者』の前宣伝を見ることは全くなかった。それゆえ、私には戦前や戦中と同じような厳しい「報道統制」が敷かれているのかとすら思えた。

しかし、政府による言論の弾圧と常に直面している「報道」の問題をとおして、自民党の「憲法」案に記されている緊急事態条項の危険性にも肉薄しているこの映画は、上映館数はそれほど多くないにも関わらず、一時は映画興行収入のランキングで8位も記録した。

ソ連の末期には「言論の自由の重要性」を訴えた劇の切符を求める長い行列ができていた。

ここでは黒澤映画などと比較することにより、「言論の自由」がなくなり始めている現代日本の政治の闇に鋭く迫ることで、観客にも現実を変革する一歩を踏み出すことを求めるような力を有しているこの映画の内容と特徴を紹介することにしたい。

   *   *   *

【 映画パンフレット 】 新聞記者

 国会議事堂が中央に白く浮かび上がる夜の風景が映っている映画『新聞記者』のパンフレットを開くと、記者たちが働く大きな部屋の写真が見開きで載っており、その下に「この国に”新聞記者”が必要なのか――?」という文字が白い文字で打ち込まれている。

 実際、官房長官の記者会見などで見られるように、問題のある発言に対しても鋭い質問は飛ばず、ほとんどの記者が黙ってワープロを打つ映像がしばしばみられる。

8月9日には「上からの指示で公文書」を改ざんをさせられ、自殺した近畿財務局職員がいたにもかかわらず、森友問題では元財務省幹部らが再び不起訴となった。一方、この映画はフィクションという手法で、政府による言論の弾圧と常に直面している「報道」の問題を、主人公たちの内面をとおして描いており、テレビだけでなく警察や特捜までもが沈黙するようになり、高級官僚の「法意識」や「道徳観」が地に落ちたとも思えるこの時代に、報道に携わる「新聞記者」が政治の闇にどこまで迫れるかを鋭く問う力作となっている。

しかも、強大化した官邸の権力に高級官僚もひれ伏すようになるなかで、内閣情報調査室に出向して現政権を維持するために公安と連携して政敵のスキャンダルを創り上げることを命じられた元外務相のエリート官僚の苦悩をとおして彼の「良心」の問題にも迫っている。

8月8日に丸の内ピカデリーで映画『新聞記者』を再び観た際にも、冒頭から最後の場面まで一気に引きこまれて見入ってしまった。私が黒澤映画に熱中するようになったのは、映画《白痴》で小林秀雄の『白痴』論とはまったく異なる解釈を行っているように、黒澤監督には勝れた文学作品のすぐれた理解があった。また、NHKで大河ドラマ化された長編小説『坂の上の雲』の作者・司馬遼太郎も、「つくる会」によって「明治の賛美者」に仕立てられたが、ロシア文学に親しんでいた彼は「幕末から現代に至る「神国思想」の厳しい批判者であった。それゆえ、本稿では黒澤明の映画や司馬の幻の長編小説『ノモンハン』に注意を向けながら、映画『新聞記者』を読み解くことにしたい。

映画『新聞記者』予告編

→討論「権力とメディア

 
(書き進める中でこの稿は何度も書き直しているので、全部を書き終えた時から改訂の日時を記すことにする。2019年8月21日)。

(参考:パンフレット『新聞記者』)。

「緊急事態条項」の危険性(旧)

 戦前の価値観への復帰を目指す「日本会議」に支えられ、「自国第一主義」を掲げるアメリカ大統領の意向に忠実な安倍首相が目指す改憲の草案には、国会も通さずに政府が自由に法律を制定できるというヒトラーが悪用した #緊急事態条項 も含まれている。 

今回の参議院選挙では「年金問題」が焦点の一つとなっているが、ここでは「緊急事態条項」関連の連続ツイートを再掲することによって、問題点を整理しておきたい。

 

 

     *   *   *

改憲施行を「早期」とし、(1)自衛隊の明記(2)緊急事態対応(4)教育充実を掲げた自民党の「憲法改正」案は、いずれも戦前の日本への価値観への回帰を目指す「日本会議」の意向に沿っているように見える。/https://twitter.com/stakaha5/status/1080361123822501889

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動――「祭政一致」の政治を目指した岩倉具視の賛美 → 公式ホームページ http://stakaha.com/?p=5320   ↓ https://twitter.com/stakaha5/status/1133569549326938114 … … …

安倍首相の「改憲」方針と日露戦争の勝利の賛美の危険性 →ホームページhttp://www.stakaha.com/?p=8226  写真は天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた奉安殿 ↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/1133207399379099648

安倍首相の「改憲」方針と「緊急事態」案 →今度の選挙で自民党が勝利すれば、神道政治連盟国会議員懇談会の会長・安倍首相は「国難」を理由に、キリスト教だけでなく仏教の弾圧も可能になる。→樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版) ↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/929583905488769025

 

安倍首相の「改憲」方針と「明治維新」の「廃仏毀釈」運動 神道政治連盟国会議員懇談会・会長の安倍首相と公明党・山口代表の不思議な関係。→http://www.stakaha.com/?p=5349   ↓ https://twitter.com/stakaha5/status/920152277477834753 …  (写真は破壊された石仏) /https://twitter.com/stakaha5/status/957178181341003776

麻生副総理は憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言していたが、ヒトラーが手に入れた #緊急事態条項 は国会も通さずに政府が自由に法律を制定できる全権委任法だった。↓https://twitter.com/stakaha5/status/957178181341003776

短編「悪魔の開幕」(1973)で #手塚治虫 は、「国民のすべての反対をおしきって 憲法を改正して」、「核兵器の製造にふみ切った」丹波首相の「非常大権」のもとで、言論の自由が奪われた近未来の日本を描き出していた。 #緊急事態条項 ↓  /https://twitter.com/stakaha5/status/1034354084692680704

安倍政権は国連委から「ヘイト対策」の強化勧告を受けている。島崎藤村は日露戦争後に長編小説『破戒』で「教育勅語」の「忠孝」の理念を説く校長や議員たちが、一方で激しい用語で差別を広めていたことを具体的に描いていた。↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/1031819433700777984

明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫り、「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が書いたドストエフスキー論と「日本会議」の思想とのつながりを示唆する。#緊急事態条項  /https://twitter.com/stakaha5/status/1096272955716190208

安倍首相は「明治維新」を賛美するが、司馬遼太郎は「王政復古」から敗戦までが約80年であることをふまえて、「明治国家の続いている八十年間、その体制側に立ってものを考えることをしない人間は、乱臣賊子とされた」と指摘していた(「竜馬像の変遷」)。#緊急事態条項 /https://twitter.com/stakaha5/status/907828420704395266

アメリカで再編集された映画《怪獣王ゴジラ》について、映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いたとし、「大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っていた。 /https://twitter.com/stakaha5/status/1140241338593472513

戦前の価値観への復帰を目指す「日本会議」に支えられ、「自国第一主義」を掲げるアメリカ大統領の意向に忠実な安倍首相が目指す改憲の草案には、国会も通さずに政府が自由に法律を制定できるというヒトラーが悪用した #緊急事態条項 も含まれている。 / https://twitter.com/stakaha5/status/1142248031640645634

 

防衛関連株を大量保有する稲田・元防衛大臣を総裁特別補佐に任命した安倍首相と稲田氏の戦争観の危険性。http://www.stakaha.com/?p=6190  #緊急事態条項 以下のユーチューブは小畑幸三郎氏のツイッターより引用。↓  / https://twitter.com/batayanF3/status/1142287405703057408

戦前の価値観を戦後も堅持していた岸元首相を尊敬する安倍首相たちが目指す「改憲」と「緊急事態条項」の危険性。 以下のユーチューブはDr.ナイフ 氏のツイートより引用。↓ https://twitter.com/knife9000/status/1074591539651764226 …

憲法学者の樋口陽一氏:「敗戦で憲法を『押しつけられた』と信じている人たちは、明治の先人たちが『立憲政治』目指し、大正の先輩たちが『憲政の常道』を求めて闘った歴史から眼をそらしているのです」(『「憲法改正」の真実』集英社新書)。 https://twitter.com/stakaha5/status/916070530695946241

安倍政権主要メンバーの憲法観。 稲田朋美・元防衛大臣「国民の生活が大事なんていう政治は間違っている」、長勢甚遠・元法務大臣「基本的人権、国民主権、平和主義を無くしてこそ自主憲法」。 以下のユーチューブは小畑幸三郎氏のツイートより引用。↓ https://twitter.com/batayanF3/status/1053648606538788864

東條英機内閣の重要閣僚であった岸信介・元首相を尊敬する「日本会議」系の代議士たちが閣僚のほとんどを占める安倍自民党は、これまでの「自由民主党」とはまったく異なる反自由と反民主の政党となっている。https://twitter.com/stakaha5/status/925278688236658690

「八紘一宇は大切にしてきた価値観」と語っていた三原じゅん子氏の反対t討論を聞くと、彼女に発言させた安倍首相をはじめとする「日本会議」系の議員は、国会を自分たちのイデオロギーの宣伝の場としている印象さえ受ける。 →https://twitter.com/stakaha5/status/1143144525566599168 …

(昭和19年発行の十銭紙幣の表側。八紘一宇塔が描かれている。)

堀田善衞の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』」は大学受験のために上京した翌日に「昭和維新」を唱える将校たちが起こした2.26事件に遭遇した主人公が「赤紙」によって召集されるまでの重苦しい日々を若き詩人たちとの交友をとおして描き出している。https://twitter.com/stakaha5/status/946242366490341376

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン

堀田善衛は「昭和維新」を唱えた青年将校たちによる二・二六事件の前日に上京した若者と詩人たちとの交友を通して治安維持法が強化された暗い昭和初期を自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で描いた。#緊急事態条項  /https://twitter.com/stakaha5/status/930086230250831872

(2023/06/21、改訂、改題)

明治維新の「祭政一致」の理念と安倍政権が目指す「改憲」の危険性

安倍晋三首相は六日放送のNHK番組で、「憲法は国の未来、理想を語るもの。日本をどういう国にするかという骨太の議論が国会で求められている」と語り、「改憲」の議論が進む事への期待を改めて表明しました(「東京新聞」)。

しかし、問題は防衛大臣をPKO日報隠蔽問題の責任により辞任した稲田朋美元防衛相が安倍首相とともにハワイの真珠湾を訪問して戦没者慰霊式典に出席して帰国すると靖国神社に参拝して「神武天皇の偉業に立ち戻り」、「未来志向に立って」参拝したと語っていたことです。

安倍首相に重用された稲田氏は、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、初代国家公務員制度担当大臣、第56代自由民主党政務調査会長などを歴任し、防衛大臣を辞任した後も、改めて自民党総裁特別補佐・筆頭副幹事長に任命されているのです。

 その彼女が語った「神武天皇の偉業」に立ち戻るという理念は、安倍首相が賛美している「明治維新」の初期に「古代復帰を夢見る」平田派の国学者たちが主導した「祭政一致」の政策を支えるものでした。

彼らの行ったキリスト教の弾圧や「廃仏毀釈」運動などは強い反発にあい挫折しましたが、安倍首相が重用している稲田氏はそのような理念の信奉者なのです。

(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。「ウィキペディア」)

昨日は、安倍氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』』(ワック株式会社、2013年)などで安倍政権の宣伝相的な役割を果たしている百田氏の問題を振り返りました。今回は主に稲田氏関わる関連記事へのリンク先を記しておきます。

*   *  *

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「森友学園」問題

「日本会議」の歴史観と『生命の實相』神道篇「古事記講義」

稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(増補版)

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

重大な選挙の年を迎えて――「立憲主義」の確立を!

明けましておめでとうございます。

堀田善衛の生誕100周年を迎えた昨年も

日本はまだ「夜明け前」の暗さが続きました。

安倍政権はいまだにアメリカ第一主義に追随した政策を行っているばかりか、

被爆国でありながら「核兵器禁止条約」に反対し、

国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を発表するなど、

国際的な孤立を深めています。

核兵器禁止条約

©共同通信社、「拍手にこたえる被爆者・サーロー節子さん」

 

しかし、「立憲民主党」が創設され、立憲野党の共闘が進んだことで、

なんとか「立憲主義」の崩壊がくい止められました。

ようやく安倍政権の危険性の認識も世界に拡がり、

日本でもそれを自覚してきた人々が増えてきています。

Enforcement_of_new_Constitution_stamp(←画像をクリックで拡大できます)

今年こそ民衆の英知を結集して

なんとか未来への希望の持てる年になることを念願しています。

本年もよろしくお願いします。

明治時代の「立憲主義」から現代の「立憲民主党」へ――立憲野党との共闘で政権の交代を!

戦前の価値観と国家神道の再建を目指す「日本会議」に対抗するために、立憲野党と仏教、キリスト教と日本古来の神道も共闘を!

→核の危険性には無知で好戦的な安倍政権から日本人の生命と国土を守ろう

→国際社会で「孤立」を深める好戦的なトランプ政権と安倍政権
 
 

追記: 

ここ数年の懸案であった『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』が2月に刊行されました。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社

ここでは青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解くことで、徳富蘇峰の英雄観を受け継いだ小林秀雄の『罪と罰』論の危険性を明らかにし、現代の「立憲主義」の危機に迫っています。

→はじめに 危機の時代と文学――『罪と罰』の受容と解釈の変容  

→あとがきに代えて   「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

明治維新の「祭政一致」の理念と安倍政権が目指す「改憲」の危険性

 
 
(2019年6月1日、加筆)

新刊『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

(装丁:山田英春)

ISBN978-4-86520-031-7 C0098
四六判上製 本文縦組224頁
定価(本体2000円+税)
2019.02

→ http://www.seibunsha.net/books/ISBN978-4-86520-031-7.htm

〔青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解き、島崎藤村の『破戒』や『夜明け前』との関連に迫る。→  https://twitter.com/stakaha5/status/1087718612624764929

〔さらに、「教育勅語」渙発後の北村透谷たちの『文学界』と徳富蘇峰の『国民の友』との激しい論争などをとおして「立憲主義」が崩壊する過程を考察し、蘇峰の英雄観を受け継いだ小林秀雄の『罪と罰』論の危険性を明らかにする。→ https://twitter.com/stakaha5/status/1087720436148985856

 

目次

はじめに 危機の時代と文学――『罪と罰』の受容と解釈の変容   

 

第一章 「古代復帰の夢想」と「維新」という幻想――『夜明け前』を読み直す

はじめに 黒船来航の「うわさ」と「写生」という方法

一、幕末の「山林事件」と「古代復帰の夢想」

二、幕末の「神国思想」と「天誅」という名のテロ

三、裏切られた「革命」――「神武創業への復帰」と明治の「山林事件」

四、新政府の悪政と「国会開設」運動

五、「復古神道」の衰退と青山半蔵の狂死

 

第二章 一九世紀のグローバリズムと日露の近代化――ドストエフスキーと徳富蘇峰

はじめに 徳富蘇峰の『国民之友』と島崎藤村

一、人間の考察と「方法としての文学」

二、帝政ロシアの言論統制と『貧しき人々』の方法

三、「大改革」の時代と法制度の整備

四、ナポレオン三世の戦争観と英雄観

五、横井小楠の横死と徳富蘇峰

六、徳富蘇峰の『国民之友』とドストエフスキーの『時代』

 

第三章 透谷の『罪と罰』観と明治の「史観」論争――徳富蘇峰の影

はじめに 北村透谷と島崎藤村の出会いと死別

一、『罪と罰』の世界と北村透谷

二、「人生相渉論争」と「教育勅語」の渙発

三、「宗教と教育」論争と蘇峰の「忠君愛国」観

四、透谷の自殺とその反響

 

第四章 明治の『文学界』と『罪と罰』の受容の深化

はじめに 『文学界』と『国民之友』の廃刊と島崎藤村

一、樋口一葉と明治の『文学界』

二、『文学界』の蘇峰批判と徳冨蘆花

三、『罪と罰』における女性の描写と樋口一葉

四、正岡子規の文学観と島崎藤村――「虚構」という手法

五、日露戦争の時代と言論統制

 

第五章 『罪と罰』で『破戒』を読み解く――差別と「良心」の考察

はじめに 『罪と罰』の構造と『破戒』

一、「事実」の告白と隠蔽

二、郡視学と校長の教育観――「忠孝」についての演説と差別

三、丑松の父と猪子蓮太郎の価値観

四、「鬱蒼たる森林」の謎と植物学――ラズミーヒンと土屋銀之助の働き

五、「内部の生命」――政治家・高柳と瀬川丑松

六、『破戒』と『罪と罰』の結末

            

第六章 『罪と罰』の新解釈とよみがえる「神国思想」――徳富蘇峰から小林秀雄へ

はじめに 蘇峰の戦争観と文学観

一、漱石と鷗外の文学観と蘇峰の歴史観――『大正の青年と帝国の前途』

二、小林秀雄の『破戒』論と『罪と罰』論――「排除」という手法

三、小林秀雄の『夜明け前』論とよみがえる「神国思想」

四、書評『我が闘争』と『罪と罰』――「支配と服従」の考察

五、小林秀雄と堀田善衞――危機の時代と文学

あとがきに代えて   「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

初出一覧

参考文献

 

書評・紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

‘19.07.20 書評 『世界文学』129号(大木昭男氏)

‘19.06.30 書評 「長瀬隆のホームページ」(長瀬隆氏)新著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』に寄せて

‘19.04.06 書評 『図書新聞』04.13号(中山弘明氏)飛躍を恐れぬ闊達な「推論」の妙──「立憲主義」の孤塁を維持していく様相

      (成文社のHPより)

(2018年12月23日、改訂。2019年1月22日、カバーの写真を追加。2019年2月15日発行、7月29日、書評を追加)

「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

本書の構想を何回か変更したために予想以上に手間取りましたが、ようやく原稿を脱稿しました。

日露戦争の直後に自費出版された島崎藤村の長編小説『破戒』については学生の頃からずっと気になっていました。『罪と罰』から強い影響を受けていることが以前から指摘されているこの長編小説では、激しい差別ばかりでなく教育制度の問題の考察をとおして、危機の時代における「支配と服従」の問題にも鋭く迫っているからです。

しかも、暗い昭和初期の時代に島崎藤村は、武家社会の横暴を見たことから平等な世の中を目指して「平田篤胤没後の門人」となり、「維新」のために奔走した彼の父・島崎正樹を主人公のモデルとした長編小説『夜明け前』を連載していました。

この長編小説の完結後に日本ペンクラブの初代会長に就任した藤村の作品を論じた文芸評論家・小林秀雄の評論と「『罪と罰』についてⅠ」とを考察するとき、「天皇機関説」事件で「立憲主義」が崩壊する前年に書かれ、現在も影響力を保っている小林のドストエフスキー論の問題点が浮かび上がってきます。

ただ、私が日本文学の専門家ではないことや、幕末から明治初期までの激動の時代が描かれている『夜明け前』を読み解くためには、「復古神道」だけでなく維新後の藩閥政府による宗教政策をも理解しなければならなかったために執筆を躊躇していました。

しかし、グローバリズムの強い圧力に対抗して世界の各地でナショナリズムが台頭する中、日本でも二〇一八年が「明治維新」の一五〇年ということで、「維新」を讃美する発言や評論だけでなく、独裁的な藩閥政府との厳しい闘いをとおして獲得した「立憲主義」をも揺るがすような発言や動きも強まっています。

それゆえ、本書では日露の近代化の比較という視点から、北村透谷の評論や島崎藤村の『破戒』や『夜明け前』などの作品をとおして、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ権力と自由の問題に肉薄していた『罪と罰』を詳しく読み解くことにしました。『罪と罰』の受容とその変容をとおして幕末から昭和初期にいたる日本の歴史を振り返ることは、「明治維新」一五〇年を迎えた現代の日本を考えるうえでも重要だからです。

たとえば、江戸時代に起きた日露の戦争の危機を防いだ商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』を書いた作家の司馬遼太郎氏はエッセー「竜馬像の変遷」で「明治国家」をこう記していました。

「人間は法のもとに平等である」というのが「明治の精神であるべき」で、「こういう思想を抱いていた人間がたしかにいたのに、のちの国権的政府によって、はるか彼方に押しやられてしまった」。そして司馬氏は「結局、明治国家が八十年で滅んでくれたために、戦後社会のわれわれは明治国家の呪縛から解放された」と続けていたのです。

明治が四五年で終わったことを考えると、「明治国家が八十年で滅んでくれた」という記述は不正確のようにも思えますが、「王政復古」が宣言された一八六八年から敗戦の一九四五年までが、約八〇年であることを考えるならば、明治国家の賛美者とされることの多い司馬氏は、「明治国家」を昭和初期の敗戦まで続いた国家として捉えていたといえるでしょう。

しかも『竜馬がゆく』で、幕末の「神国思想」が「明治になってからもなお脈々と生き続けて熊本で神風連(じんぷうれん)の騒ぎをおこし国定国史教科書の史観」となったと記し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループ」にひきつがれたと書いた司馬氏は、『この国のかたち』の第五巻で幕末における「復古神道」の影響の大きさを「篤胤によって別国が湧出したのである」と説明していました。

幕末と昭和初期の「神国思想」の連続性を指摘した司馬氏が、「昭和初期」を「別国」あるいは「異胎」の時代と呼んで批判していたことを想起するならば、ここでも「別国」という独特の単語が用いられていることは、昭和の「神国思想」と平田篤胤の「復古神道」との関係をも強く示唆していると思われます。

一九三八年の日中戦争で戦死した戦車隊の陸軍中尉西住小次郎が「軍神」とされたことについても、司馬氏は「明治このかた、大戦がおこるたびに、軍部は軍神をつくって、その像を陣頭にかかげ、国民の戦意をあおるのが例になった」と『竜馬がゆく』を執筆中の一九六四年に指摘していました(『歴史と小説』、集英社文庫)。

このとき司馬氏の批判は小林秀雄の歴史認識にも向けられていた可能性が高いと思われます。なぜならば、一九三九年に書いた「疑惑 Ⅱ」というエッセーで「インテリゲンチャには西住戦車長の思想の古さが堪えられないのである。思想の古さに堪えられないとは、何という弱い精神だろう」と書いた小林はこう続けていたからです。

「今日わが国を見舞っている危機の為に、実際に国民の為に戦っている人々の思想は、西住戦車長の抱いている様な単純率直な、インテリゲンチャがその古さに堪えぬ様な、一と口に言えば大和魂という(……)思想にほかならないのではないか」(『小林秀雄全集』第七巻)。そして小林は「伝統は生きている。そして戦車という最新の科学の粋を集めた武器に乗っている」と書いて国民の戦意を煽っていました。

一方、一九七二年に発表したエッセーで当時の日本の戦車はソ連などと比較するとすでに時代遅れのタイプであると指摘した司馬氏は、「戦車であればいいじゃないか。防御鋼板の薄さは大和魂でおぎなう」とした「参謀本部の思想」を厳しく批判していたのです(「戦車・この憂鬱な乗り物」)。

こうして、一九〇二年には日英同盟の締結に沸いていた日本は、それからわずか四〇年足らずの一九四一年にイギリスとアメリカを「鬼畜米英」と断じて、「神武東征」の神話と「皇軍無敵」を信じて無謀な太平洋戦争へと突入していました。それは日米同盟を強調しつつ復古的な教育改革をおこなっている日本の未来をも暗示しているでしょう。

それゆえ、戦前の「大和魂」の美化と「神国思想」を批判した司馬氏は、劇作家・井上ひさし氏との対談で、戦後に出来た新しい憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語り、「ぼくらは戦後に『ああ、いい国になったわい』と思ったところから出発しているんですから」、「せっかくの理想の旗をもう少しくっきりさせましょう」と続けていたのです。(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』講談社)。

司馬氏との対談もある憲法学者の樋口陽一氏も、「幕末維新の時代には『一君万民』という旗印で平等を求める動き」があり、その後も「全国各地で民間の憲法草案が出ていた」ことに注意を促して「日本国憲法」が明治の「立憲主義」を受け継いでいることを明らかにしています。

さらに、樋口氏は井上氏との共著『日本国憲法を読み直す』(岩波現代文庫)の「文庫版あとがき」で、「井上ひさしの不在という、埋めることのできない喪失感を反芻しながら、一九九三~九五年の対論を読み返した。(……)そのことにつけても、日本の現実を私たち二人と同様に――いや、もっとはげしく――憂えていた司馬遼太郎さんのことを、改めて思う」と記しているのです。

 このような日本の状況や「憲法」についての議論を踏まえて、本書では司馬氏が深く敬愛していた正岡子規や夏目漱石の「写実」や「比較」という方法に注目しながら、広い視野を持っていた明治の文学者たちの考察をとおして、「弱肉強食の理論」や「非凡人の理論」の危険性を描いていた『罪と罰』の現代的な意義に迫ろうとしました。

一九世紀のグローバリズムにも匹敵するような強い圧力に対抗するために、世界中で広がっている「自国第一主義」の影響下に歴史修正主義やヘイトスピーチが横行し、国の公文書の改竄や隠蔽すらもなされ、各国で軍拡が進んでいる現在、『罪と罰』をきちんと読み解くことによって原水爆の危険性を踏まえて成立した日本国憲法の現代的な意義をも明らかにできると考えたからです。(「あとがきに代えて」より) 

近刊『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

「様々なる意匠」と「隠された意匠」――小林秀雄の手法と現代

→ 第50回総会と251回例会(報告者:高橋誠一郎)のご案内

(「堀田善衛のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に」)

 (2019年1月5日、加筆。2月24日、5月2日、リンク先を追加)

カジノ法案やアベノミクスを強行した安倍政権の危険性を指摘していた枝野演説

緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」(書影は「アマゾン」より)

『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」 』が8月9日に刊行された。

格調高い日本語で「安倍政権が不信任に足る7つの理由」が明確に述べられており、「解説」も丁寧で分かり易い。(→https://twitter.com/stakaha5/status/1030785554604937216

7世紀末の持統天皇の時代に「すごろく禁止令が発令」されてから日本では「賭博は違法」であったことに注意を促すことで、「カジノ法案」を強行した安倍政権が強調する「歴史と伝統」の欺瞞を指摘し得ている(24頁)。

そのことにより「立憲主義」の大切さを理解し得ない安倍政権が、「大政奉還」のあとで武力による革命で権力を握った「藩閥政府」に連なっていることを明らかにし、「明治維新」賛美の危険性も浮かび上がらせている。⇒追記1,2

さらに、「聞かれたことに答えずに聞かれていないことを答えている」総理の政治姿勢に対する批判は、きわめて鋭い(77~78頁)。ヤジがきわめて激しかったのは、これらの指摘が問題の核心を突いていたからだと思える。

第196回国会を「民主主義と立憲主義の見地から、憲政史上最悪の国会」と呼ぶ一方で(110頁)、良識ある与党議員に「立憲主義」の大切さを真正面から訴えかけたこの演説は、多くの国民の熱い共感を呼んだ。

この演説ばかりでなく、これまでも問題点を浮き彫りにして話題となった国会での質問はたくさんある。本書が端緒となって、多くの名演説が政府の答弁や「解説」とともに単行本化されることを望みたい。

本書の「もくじ」

本書の刊行理由
不信任決議案を提出した7つの理由
災害対応よりカジノ法案を優先した安倍政権は信任に値せず!
不信任の理由その1 高度プロフェッショナル制度の強行
不信任の理由その2 カジノ法案の強行
不信任の理由その3 アベノミクスの失敗
不信任の理由その4 政治と社会のモラルを低下させるモリカケ問題
不信任の理由その5 ごまかしだらけの答弁。そして民主主義を無視した強行採決
不信任の理由その6 行き詰まる外構と混乱する安全保障政策
不信任の理由その7 官僚システムの崩壊
未来と過去に対して謙虚な姿勢を

解説「国会研究の視点から枝野演説を読む」 田中信一郎
解説「働き方改革法案の審議にみる騙しと開き直りの常態化」 上西 充子

(追記1)

「東京新聞」も8月19日 朝刊の第一面で「明治150年賛美は危険」と題して、「明治期につくられた民間の憲法草案『五日市憲法』」の「発見のきっかけとなったのは」、戦争を繰り返してきた「明治以降百年間の日本の歩みを賛美する政府の歴史観への疑問」であることを伝えている。(図版は「東京新聞TOKYO Web」より)

(追記2)

安倍首相は「明治維新」が「これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から」解き放ったと語ったが、評論家の半藤一利氏は夏目漱石における「維新」の用法などを踏まえて、実態はむしろその反対であったことを明らかにしている。

島崎藤村も日露戦争後に自費出版した『破戒』において、「教育勅語」の「忠孝」の理念を説く校長や教員たちの言動をとおして、現代のヘイトスピーチに近い用語により差別が広まっていたことを描いていた。

夏目漱石の明治観と「明治維新」という用語

(2019年2月9日、追加、2023/11/30、改題と追加)

新著の発行に向けて

 一ヵ月ほど前に目次案をアップしましたが、その後、何度も読み返す中でまだテーマが絞り切れていないことが判明しました。各章に大幅に手を入れた改訂版をアップし、旧版の「目次案」を廃棄しました。

 発行の時期は少し遅れるかも知れませんが、現在、日本が直面している困難な問題がより明確になったのではないかと思えます。専門外の方や若者にも分かり易く説得力のある本にしたいと考えていますので、もう少しお待ち下さい。(2018年6月22日)

 

目次案旧版。新版へのリンク先は本稿の文末参照)

〔青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解く〕

 

はじめに 

危機の時代と文学

→ 一、「国粋主義」の台頭と『罪と罰』の邦訳

 二、教育制度と「支配と服従」の心理――『破戒』から『夜明け前』へ

 

序章 一九世紀のグローバリズムと『罪と罰』

一、人間の考察と「方法としての文学」

二、帝政ロシアの言論統制と『貧しき人々』の方法

三、「大改革」の時代と法制度の整備

四、「正義の戦争」と「正義の犯罪」

 

第一章 「古代への復帰」と「維新」という幻想――『夜明け前』を読み直す

はじめに 黒船来航の「うわさ」と「写生」という方法

一、幕末の「山林事件」と「古代復帰の夢想」

二、幕末の「神国思想」と「天誅」という名のテロ

三、裏切られた「革命」――「神武創業への復帰」と明治の「山林事件」

四、新政府の悪政と「国会開設」運動

五、「復古神道」の衰退と半蔵の狂死

 

第二章 「『罪と罰』の殺人罪」と「教育と宗教」論争――徳富蘇峰の影

はじめに 徳富蘇峰の『国民之友』と『文学界』

一、『国民之友』とドストエフスキーの雑誌『時代』

二、北村透谷のトルストイ観と「『罪と罰』の殺人罪」

三、「教育勅語」の渙発と評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」

四、徳富蘇峰の『吉田松陰』と透谷の「忠君愛国」批判

五、透谷の死とその反響

 

第三章 明治の『文学界』と『罪と罰』の受容の深化――「虚構」という手法

はじめに 『文学界』と『国民之友』の廃刊――「立憲主義」の危機

一、民友社の透谷批判と『文学界』

二、樋口一葉の作品における女性への視線と『罪と罰』

三、正岡子規の文学観と島崎藤村

四、日露戦争の時代と『破戒』

 

第四章 『罪と罰』で『破戒』を読み解く――――教育制度と「差別」の考察

はじめに 『罪と罰』の構造と『破戒』の人物体系

一、「差別」の正当化と「良心」の問題――猪子蓮太郎とミリエル司教

二、郡視学と校長の教育観と「忠孝」についての演説

三、「功名を夢見る心」と「実に実に情ないという心地」――父親の価値観との対立

四、ラズミーヒンの働きと土屋銀之助の役割

五、二つの夢と蓮太郎の暗殺

六、『破戒』の結末と検閲の問題

            

第五章 「立憲主義」の崩壊――『罪と罰』の新解釈と「神国思想」

はじめに 「勝利の悲哀」

一、島崎藤村の『春』から夏目漱石の『三四郎』へ

二、森鷗外の『青年』と日露戦争後の「憲法」論争

三、小林秀雄の『破戒』論と『罪と罰』論

四、よみがえる「神国思想」と小林秀雄の『夜明け前』論

 

あとがきに代えて――「憲法」の危機と小林秀雄の『夜明け前』論

→ 一、小林秀雄の平田篤胤観と堀田善衛

→ 二、「神国思想」と司馬遼太郎の「別国」観

      (2018年7月14日、7月31日、8月18日、9月2日更新)

近刊『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

『罪と罰』の受容と「憲法」の危機

              「ドストエーフスキイの会」第241回例会

『罪と罰』の受容と法制度と教育制度の考察――長編小説『破戒』を中心に

はじめに――『罪と罰』の受容と「憲法」の危機

慶応から明治に改元された1868年の4月に旧幕臣の子として生まれた内田魯庵(本名貢〔みつぎ〕、別号不知庵〔ふちあん〕)が、法学部の元学生を主人公とした長編小説『罪と罰』の英訳を読んで、「恰も広野に落雷に会って目眩き耳聾ひたるがごとき、今までに会って覚えない甚深な感動を与えられた」のは、「大日本帝国憲法」が発布された1889(明治22)年のことであった。

 『「罪と罰」をどう読むか〈ドストエフスキー読書会〉』(水声社、2016年)で紹介されているように、小林秀雄は「日本国憲法」の発布から1年後の1948年11月に発表した「『罪と罰』についてⅡ」で、魯庵のこの文章を引用して「読んだ人には皆覚えがある筈だ。いかにもこの作のもたらす感動は強い」と書いた。

この年の8月に湯川秀樹と対談「人間の進歩について」を行って原子力エネルギーの危険性を指摘していた小林秀雄のこの『罪と罰』論は、残虐な戦争と平和についての真摯な考察が反映されており、異様な迫力を持っている。

しかし、小林は「残念な事には誰も真面目に読み返そうとしないのである」と続けていたが、この長編小説ばかりでなくドストエフスキーの思想にも肉薄していた評論に北村透谷の「『罪と罰』の殺人罪」がある。明治元年に佐幕の旧小田原藩の士族の長男として生まれて苦学した北村透谷は、「憲法」が発布された年の10月に大隈重信に爆弾を投げた後に自害した来島や明治24年5月にロシア皇太子ニコライに斬りつけた津田巡査などに言及しながら、「来島某、津田某、等のいかに憐れむべき最後を為したるやを知るものは、『罪と罰』の殺人の原因を浅薄なりと笑ひて斥(しりぞ)くるやうの事なかるべし」と記していた。

題名が示しているようにこの評論にもドストエフスキーが長編小説で問題とした法律と罪の問題に真正面から迫ろうとする迫力がある。ただ、ここでは「大日本帝国憲法」が発布される朝に文部大臣の森有礼を襲った国粋主義者・西野文太郎についてはなぜかまったくふれられていないが、それは透谷がこの事件を軽く考えていたからではなく、むしろ検閲を強く意識してあえて省かねばならなかったほど大きな事件だったためと思われる。

翌月の『文学界』第2号に掲載された透谷の評論「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」は、その理由の一端を物語っているだろう。ここで透谷は頼山陽の歴史観を賛美した山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」を次のような言葉で厳しく批判していた。

「反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は『史論』と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻(しき)りに純文学の領地を襲はんとす」(『北村透谷・山路愛山集』)。

愛山を「反動」と決めつけた文章の激しさには驚かされるが、それはキリスト教の伝道者でもあった友人の愛山がこの史論で「彼に因りて日本人は祖国の歴史を知れり」と書いて、頼山陽の「尊王攘夷思想」を讃えていたためだと思われる(277頁)。

愛山の史論が徳富蘇峰の雑誌に掲載されていたために、透谷の批判に対しては愛山だけでなく蘇峰も反論して、『国民之友』と明治の『文学界』をも巻き込んで「人生相渉論争」と呼ばれる論争が勃発した。

この論争については島崎藤村が明治時代の雑誌『文学界』の同人たちとの交友とともに、生活や論争の疲れが重なって自殺するに至る北村透谷の思索と苦悩を自伝的長編小説『春』で詳しく描いている。

ただ、そこでも注意深く直接的な言及は避けられているが、拙論〔北村透谷と島崎藤村――「教育勅語」の考察と社会観の深まり〕(『世界文学』No.125)で考察したように、この時期の透谷を苛立たせ苦しめていたのは、「教育勅語」の発布により、「大日本帝国憲法」の「立憲主義」の根幹が危うくなり始めていた当時の政治状況だったと思える。

すなわち、森有礼の暗殺後に総理大臣となった山県有朋は、かつての部下の芳川顕正を文部大臣に起用して、「親孝行や友達を大切にする」などの普遍的な道徳ばかりでなく、「天壌無窮」という『日本書紀』に記された用語を用いて、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と説いた「教育勅語」を「憲法」が施行される前月の1890(明治23)年10月30日に発布させていたのである。

しかも、後年「軍人勅諭ノコトガ頭ニアル故ニ教育ニモ同様ノモノヲ得ンコトヲ望メリ」と山県有朋は回想しているが、「教育勅語」も「軍人勅諭」を入れる箱と同一の「黒塗御紋付箱」に入れられ、さらに「教育勅語」の末尾に記された天皇の署名にたいして職員生徒全員が順番に最敬礼をするという「身体的な強要」をも含んだ儀礼を伴うことが閣議で決定された。

すると約3ヶ月後の1月には第一高等中学校で行われた教育勅語奉読式において天皇親筆の署名に対してキリスト教の信者でもあった教員の内村鑑三が最敬礼をしなかったために、「不敬漢」という「レッテル」を貼られて退職を余儀なくされるという事件が起きた。

比較文明学者の山本新が指摘しているように、この「不敬事件」によって「国粋主義」が台頭することになり、ことに1935年の「天皇機関説事件」の後では「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっていることは」、「日本の国体の精華であって、万国に類例が無いのである」と強調されるようになる。この時期になると「教育勅語」の解釈はロシア思想史の研究者の高野雅之が、「ロシア版『教育勅語』」と呼んだ、「正教・専制・国民性」の「三位一体」を強調した1833年の「ウヴァーロフの通達」と酷似してくるといえよう。

一方、島崎藤村は北村透谷よりも4歳若いこともあり、内田魯庵訳の『罪と罰』についての書評や、『文学界』と『国民之友』などの間で繰り広げられた「人生相渉論争」には加わっていないが、長編小説『春』では「一週間ばかり実家へ行っていた夫人」から何をしていたのか尋ねられた青木駿一(北村透谷)に、「『俺は考えていたサ』と」答えさせ、さらにこう続けさせていた。

「『内田さんが訳した「罪と罰」の中にもあるよ』、銭とりにも出かけないで、一体何を為(し)ている、と下宿屋の婢(おんな)に聞かれた時、考えることを為ている、とあの主人公が言うところが有る。ああいうことを既に言つてる人が有るかと思うと驚くよ。考える事をしている……丁度俺のはあれなんだね』」(『春』二十三)。

日露戦争の直後に島崎藤村が自費出版した長編小説『破戒』については、高い評価とともに当初から『罪と罰』との類似が指摘されていたが(平野謙『島崎藤村』岩波現代文庫、31頁)、そのことは長編小説『破戒』の意義を減じるものではないだろう。

たとえば、井桁貞義氏は論文「『レ・ミゼラブル』『罪と罰』『破戒』」で、「『罪と罰』では『レ・ミゼラブル』とほぼ同一の人物システムを使いながら、当時のロシアが突き当たっていた社会的な問題点と、さらに精神的な問題を摘出している」と指摘するとともに、『罪と罰』と『破戒』の間にも同じような関係を見ている。

つまり、五千万人以上の死者を出した第二次世界大戦の終戦から間もない1951年に公開された映画《白痴》で、激戦地・沖縄で戦犯として死刑の宣告を受け、銃殺寸前に刑が取りやめになった「復員兵」を主人公としつつも、長編小説『白痴』の登場人物や筋を生かして、研究者や本場ロシアの監督たちから長編小説『白痴』の理念をよく伝えていると非常に高く評価された。『破戒』はそれと同じようなことを1906年に行っていたといえるだろう。

さらに、この長編小説『破戒』では明治維新に際して四民平等が唱えられて、明治4年には「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」とされた「解放令」が出されていたにもかかわらず実質的には続いていた差別の問題が描かれていることはよく知られている。

しかし、藤村はここで北村透谷の理念を受け継ぐかのように、「教育勅語」と同じ明治23年10月に公布された「小学令改正」により郡視学の監督下に置かれた小学校教育の問題を、「郡視学の命令を上官の命令」と考えて、「軍隊風に児童を薫陶(くんたう)したい」と望んでいた校長と主人公・瀬川丑松との対立をとおして鋭く描きだしていた。

後に藤村が透谷を「彼は私達と同時代にあつて、最も高く見、遠く見た人の一人だ。そして私達のために、早くもいろいろな支度をして置いて呉れたやうな気がする」ときわめて高く評価していることを考えるならば、藤村が北村透谷が当時、直面していた問題を考察し続けていたことは確実だろう。

しかも、透谷が自殺した明治27年の5月から翌年の6月にかけては、帝政ロシアで農奴解放令が出された1861年1月から7月まで雑誌『時代』に連載された長編小説『虐げられた人々』の内田魯庵による訳が『損辱』という題名で『国民之友』に連載されていた。さらに、1904(明治37)年の4月には、『貧しき人々』のワルワーラの手記の部分が、「貧しき少女」という題名で瀬沼夏葉の訳により『文芸倶楽部』に掲載されていた。

福沢諭吉は自由民権運動が高まっていた1879(明治12)年に書いた『民情一新』で、ドストエフスキーが青春を過ごした西欧の「良書」や「雑誌新聞紙」を見るのを禁じただけでなく、学校の生徒を「兵学校の生徒」と見なしたニコライ一世の政治を「未曽有(みぞう)の専制」と断じていたが、「教育勅語」発布後の日本の教育制度などは急速に帝政ロシアの制度に似てきていた。

そのことを考慮するならば、島崎藤村が『破戒』を書く際に、「暗黒の30年」と呼ばれる時期に書かれた『貧しき人々』や、法律や裁判制度の改革も行われた「大改革」の時期に連載された『虐げられた人々』を視野に入れていたことは充分に考えられる。

さらに、俳人の正岡子規は当時、編集を任されていた新聞『小日本』に、日清戦争の直前に自殺した北村透谷の追悼文を掲載していたが、島崎藤村は日清戦争後の明治31年に正岡子規と会って新聞『日本』への入社についての相談をしていた。

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その新聞『日本』に日露戦争の最中に『復活』の訳を掲載した内田魯庵は、「強者のみに有利なる法律、誤りたる道徳等のために如何に無垢なる人心が汚され無辜なる良民が犠牲となるかを明らかにす」との説明を載せていた。このような魯庵の記述には功利主義を主張した悪徳弁護士ルージンとの激しい論争が描かれていた『罪と罰』の理解が反映していると思われる。

一方、弟子の森田草平に宛てた手紙で長編小説『破戒』(明治39)を「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也」と激賞した夏目漱石は、同じ年にやはり学校の教員を主人公とした『坊つちゃん』を書き、長編小説『春』(明治41年)の「最後の五六行は名文に候」と高浜虚子に書いた後で連載を始めた長編小説『三四郎』では自分と同世代の広田先生の深い考察を描き出していた。

それゆえ、今回の発表では「憲法」と「教育勅語」が発布された当時の時代状況や人間関係にも注意を払うとともに、北村透谷だけでなく正岡子規や夏目漱石の作品も視野に入れることで、「非凡人の思想」の危険性を明らかにした『罪と罰』と「差別思想」の問題点を示した『破戒』との深い関係を明らかにしたい。

そのことにより「改憲」だけでなく、「教育勅語」の復活さえも議論されるようになった現在の日本における『罪と罰』の意義に迫ることができるだろう。私自身は日本の近代文学の専門家ではないので、忌憚のないご批判や率直なご感想を頂ければ幸いである。

(2017年10月5日、改題と改訂)

「改憲」の危険性と「平凡な事実」

今年は日本国憲法が施行されて七十年になりますが、戦前の価値観の回復を目指す「日本会議」に支えられた安倍首相は憲法改正を公言し、活発な活動をしています。しかし、それは「核の時代」から目を逸らした危険な言動でしょう。

「核の時代」と「改憲」の危険性

ここでは〈「改憲」の危険性と司馬遼太郎氏の「憲法」観〉と題した2013年7月19日の記事の冒頭を省いた形で再掲します。

*   *   *

日露の衝突をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』を書く中で「近代の国家」と戦争の問題を深く考察した司馬氏は、『ロシアについて――北方の原形』という著作で次のように記していました。

「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」(「あとがき」)。

作家の井上ひさし氏との対談では、「法慣習とまでは言いませんが」と断りつつも、平和憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語り、さらに「日本が特殊の国なら、他の国にもそれも及ぼせばいいのではないかと思います」と司馬氏は続けていました(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』、講談社、1996年)。

『坂の上の雲』の後で江戸時代に起きた日露の衝突を防いだ商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした『菜の花の沖』を書き上げていた司馬氏は、この憲法が遠く江戸時代に語られた高田屋嘉兵衛の言葉にも連なっていることを知っていたのです。

ここで司馬氏が主張していることは、「一国平和主義」の幻想ではありません。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。

このような見解は、近代の「国民国家」がお互いに「富国強兵」を競い合うなかで戦争を大規模化させ、ついには三〇万人以上の人々を殺害した原子爆弾が用いられたという過去の事実を歴史小説を書く中で冷静に観察したことによるのです。

ソ連のチェルノブイリでおきた原子炉事故の後でも司馬氏は、「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と冷静に分析し、「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていました(「樹木と人『十六の話』」。

私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきていると思われます。