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司馬遼太郎

司馬遼太郎氏の遺言――「二十一世紀に生きる君たちへ」

最近、司馬氏が孫の世代の子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」というエッセーを読み返したところ、その文章が「子供たち」だけではなく、現在の状況も予期したかのように、これから戦場へと駆り出される可能性のある若い世代や中年、さらには私たち老年の世代にも向けられた遺言のように思えてきました。

なぜならば、そこで「自己を確立」することの必要性を記した司馬氏は、「自己といっても、自己中心におちいってはならない」と記し、「自国」だけでなく「他国」の歴史や文化をも理解できることの重要性を強調してこう記していたのです。

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助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

他人の痛みを感じることと言ってもいい。

やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」

「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」

みな似たような言葉である。

この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根といっても本能ではない。だから、私たちは訓練してそれを身につけねばならないのである。

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(「二十一世紀に生きる君たちへ」『十六の話』中公文庫、初出は『小学国語』六年下、大阪書籍株式会社、1989年5月)。

 

 

 

『坂の上の雲』の改竄から『永遠の0(ゼロ)』へ

ヘイトスピーチとも思われるような過激な発言を繰り返している作家の百田尚樹氏がなぜ、NHKの経営委員として留まっていられるのかを不思議に思っていました。

しかし、『永遠の0(ゼロ)』の山場が日露戦争時の新聞報道をめぐる議論であったことを知って、その理由が分かったと思いました。

リンク→宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

学徒動員で満州の戦車部隊に配属され22歳で敗戦を迎えて、どうして「こんなバカなことをする国」になってしまったんだろうと真剣に悩み、『坂の上の雲』で戦争の問題を深く考察した作家の司馬遼太郎氏は、この作品を「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」であると語り、その理由を「うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね」と説明していました(司馬遼太郎『「昭和」という国家』、NHK出版、一九九八年、三四頁)。

リンク→改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

一方、自作の『永遠の0(ゼロ)』について、百田氏は昨年8月16日のツィッターで「でもたしかに考えてみれば、特攻隊員を賛美したかもしれない、彼らの物語を美談にしたかもしれない。しかし賛美して悪いか!美談にして悪いか!日本のために命を捨てて戦った人たちを賛美できない人にはなりたくない。これは戦争を肯定することでは決してない。」とつぶやき、自分の小説が映像化されて視覚的な映像に多くの若者が影響されることをむしろ願っています。

しかし、彼の「つぶやき」は論理のすり替えであり、「戦争」という特殊な状況下で、自分の生命をも犠牲にして特攻に踏み切った「カミカゼ特攻隊員」の勇気を否定する人は少ないでしょう。ただ、司馬氏が戦車兵として選ばれたときには死を覚悟したと書いていましたが、多くの日本兵は「特攻兵」と同じような状況に立たされていたのです。

百田氏は「特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!」とつぶやいていますが、ここでも論点が強引にすり替えられており、「罵り言葉」を用いているのは本人なのです。

問われるべきは、敗戦がほぼ必至であったにもかかわらず、戦争を続けさせた政治家や戦争を煽った文学者の責任なのです。そのことに気づきつつも論点を巧妙にすり替えていることで、政治家や文学者の責任を読者から「隠蔽」している百田氏の言動は「詐欺師」的だといわねばならないでしょう。

そのような作家がNHKの経営委員として留まっている中で行われる今回の総選挙は、異常であると私は感じています。

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追記:ツィッターのような短い文章は「情念」を伝えるには適していますが、「論理」を伝えるには短すぎるのでこれまでは避けてきました。しかし、選挙も近づいてきまし、あまり時間もありませんので、これからは短い文章も載せることにします。

 

「欲しがりません勝つまでは」と「景気回復、この道しかない。」

総選挙が公示され、 一斉に各党のポスターが張り出されました。

「景気回復、この道しかない。」

という文字と安倍首相の横顔が印刷された自民党のポスターは、

「アベノミクス」を前面に出すことで、分かりやすくもありインパクトがありました。

しかし、至る所に掲示されるようになったこのポスターを見ているうちに、

「国民」の目を戦争の実態から逸らし、

今の困窮生活が一時的であるかのような幻想を振りまいた、

「欲しがりません勝つまでは」という

戦時中のスローガンと似ていることに気づきました。

このことに注目するならば、

今回の総選挙で本当の「争点」とすべきは、

「戦前の日本を取り戻そう」としている安倍政権を選ぶか否かだと思われます。

安倍政権が目先の利権を全面に出したにもかかわらず、沖縄知事選では翁長知事が当選しました。

私たち、いわゆる「本土の人間」も、目先の利益を前面に出した安倍政権の「スローガン」に惑わされずに、

自分たちの国の大地や河川、子孫たちの「生命」を守る選択をして、「日本人」の誇りを示したいものです。

*   *   *

ついでながら、「与党」として安倍政権の進める政策を実質的に支援している「公明党」にもロシア史の研究者の視点から一言。

かつての自民党には「現実」を重視しつつ、戦争の惨禍をも踏まえて「理想」を語る政治家も多くいました。

しかし、ブログ記事「宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)」で確認したように、現在の安倍政権は「歴史認識」の問題を最重要視する「イデオロギー政党」化していると思われます。

1917年10月のロシア革命では、人事と要職を握ったボリシェヴィキによってメンシェヴィキや農業に基盤を置いた社会革命党左派は徐々に排除されましたが、「昭和初期」の日本でも共産党や民主主義者だけでなく、当時の創価学会も排除の対象とされていました。

現在の安倍政権が選挙に勝って圧倒的な権力を獲得したあとでは、百田氏のように公然と「歴史的な事実」をねじ曲げてでも権力者に媚びようとする者が優遇され、それを批判する者は遠ざけられ排除されるようになると思われます。

なぜならば、権力がある人物に集中すると、その権力者に気に入られるためにより過激な発言をしたり、それを行動に移すようになる者が出てくるからです。

*   *   *

繰り返すことになりますが、「司馬史観」論争の頃からの流れを考慮するならば、「戦前の日本を取り戻そう」としている安倍政権を選ぶか否かに、総選挙の「争点」を転換しなければならないでしょう。

司馬氏が 『竜馬がゆく』で描いたように、「憂国」の念から脱藩した幕末の志士・坂本龍馬は、幕臣だった師の勝海舟などの理解も得て、それまで憎しみあっていた薩摩と長州の同盟を成立させることで、アメリカとの交渉を秘密裏に行おうとした大老・井伊直弼が権力を握る徳川幕府を打倒したばかりでなく、「憲法」の樹立に向けた方向性をも示していました。

リンク→『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

私たちもそろそろ全野党だけでなく、「公明党」や安倍政権の危険性を認識している自民党員をも取り込んだ形で、「戦前の日本を取り戻そう」としている安倍政権に対抗できるような全国民的な同盟を結ぶという長期的な展望を持つべき時期にきていると思えます。

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

前回の記事では『ビジネスジャーナル』の記事によりながら、「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている」と宮崎監督が厳しく批判したことや、百田氏が「全方位からの集中砲火」を浴びているようだと語ったことを紹介し、それはこの小説の「いかさま性と危険性」に多くの読者が気づき始めたからだろうという判断を記しました。

全部で12の章とプロローグとエピローグから成るこの小説については、小説の構成の意味など考えるべきことがいろいろありますが、今回はクライマックスの一つでも「歴史認識」をめぐる激しい口論のシーンを考察することで、『永遠の0(ゼロ)』の問題点を明らかにしたいと思います。

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小説の発端は語り手の「ぼく」が、「戦争体験者の証言を集めた本」を出版する新聞社のプロジェクトのスタッフに採用された「姉」を手伝うことになるところから始まります。

こうして、特攻隊員として死んだ実の祖父のことを知る「当時の戦友たち」をたずねて話を聞く中で、新聞記者・高山の影響もあり特攻隊員のことを「狂信的な愛国者」と思っていた「姉」の考えが次第に変わっていく様子が描かれているのです。

その最大の山場が新聞記者の高山隆司と「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則との対決が描かれている第9章です。

そこで、かつて政治部記者だった高山にわざと「特攻隊員は一種のテロリストだった」という単純で偏った「カミカゼ」観を語らせた百田氏は、その言葉に激昂した武田が「馬鹿者! あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか」、「報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな」と怒鳴りつけさせ、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけた武田の次のような言葉を描いています。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」

*   *   *

作家の司馬氏も「勇気あるジャーナリズム」が、「日露戦争の実態を語っていれば」、「自分についての認識、相手についての認識」ができたのだが、それがなされなかったために、日本各地で日本政府の弱腰を責めたてる「国民大会が次々に開かれ」、放火にまで走ることになったと記して、ナショナリズムを煽り立てる報道の問題を指摘していました(『「昭和」という国家』NHK出版、1998年)。

しかし、『蘇峰自伝』の「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました。

自分の弟で作家の蘆花から「そうなら国民に事情を知らせて諒解させれば、あんな騒ぎはなしにすんだでしょうに」と問い質されると、蘇峰は「お前、そこが策戦(ママ)だよ。あのくらい騒がせておいて、平気な顔で談判するのも立派な方法じゃないか」と答えていたのです(徳富蘇峰『蘇峰自伝』中央公論社、1935年。および、ビン・シン『評伝 徳富蘇峰――近代日本の光と影』、杉原志啓訳、岩波書店、1994年参照)。

つまり、思想家・德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは、彼が「反戦を主張した」からではなく、戦争の厳しい状況を知りつつもそれを隠していたからなのです。

司馬氏が『この国のかたち』の第一巻において、戦争の実態を「当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば、以後の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい」と記していたことに留意するならば、司馬氏の鋭い批判は、蘇峰と彼の『国民新聞』に向けられていたとも想像されるのです。

さらに「カミカゼ」の問題とも深く関わると思われるのは、第一次世界大戦の最中の1916(大正5)年に書いた『大正の青年と帝国の前途』で德富蘇峰が、明治と大正の青年を比較しながら、「此の新時代の主人公たる青年の、日本帝国に対する責任は奈何」と問いかけ、「世界的大戦争」にも対処できるような「新しい歴史観」の必要性を強調していたことです(筑摩書房、1978年)。

リンク→  司馬遼太郎の教育観  ――『ひとびとの跫音』における大正時代の考察

司馬氏は日露戦争以降の日本で強まった「自殺戦術とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を長編小説『坂の上の雲』で厳しく批判していましたが、「忠君愛国」の思想の重要性を唱えるようになった蘇峰は、『大正の青年と帝国の前途』において白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても、白蟻が「先頭から順次に其中に飛び込み」、その死骸でそれを埋め尽し、こうして「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを大正の青年も持つべきだと記していたのです。

リンク→ 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

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作家の司馬遼太郎氏が亡くなられた後で起きた1996年の「司馬史観」論争の翌年には、安倍晋三氏を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられ、戦後の歴史教育を見直す動きが始まっていました。

これらのことを考慮するならば、安倍首相との対談で「百人が読んだら百人とも、高山のモデルは朝日新聞の記者だとわかります」と語って、朝日新聞の名前を挙げて非難したとき(『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』、66頁)、百田氏は厳しい言論統制下で記事を書いていた新聞記者よりも重大な責任を負うべき戦前の思想家や政治家など指導者たちの責任を「隠蔽」しているように見えます。

『永遠の0(ゼロ)』では語り手の姉が「来年の終戦六十周年の新聞社のプロジェクトのスタッフに入れたのよ」と語っていましたが、私自身は日露戦争勝利百周年となる2005年からは日本が軍国主義へと後戻りする流れが強くなるのではないかという怖れと、NHKの大河ドラマでは長編小説『坂の上の雲』の内容が改竄されて放映される危険性を感じて司馬作品の考察を集中的に行っていました。

しかし、太平洋戦争における「特攻隊員」を語り手の祖父としたこの小説に日露戦争のテーマが巧みに隠されていることには気付かず、いままで見過ごしてしまいました。

百田氏は先に挙げた共著の対談で、「安倍総理も先ほどおしゃっていたように、この本を読んだことによって、若い人が日本の歴史にもう一度興味を持って触れてくれることが一番嬉しいですね」と語っていました(67頁)。

司馬氏を敬愛していた宮崎監督が「神話の捏造」と百田氏の『永遠の0(ゼロ)』(単行本、太田出版、2006年。文庫本、講談社、2009年)を厳しく批判したのは、大正の青年たちに「白蟻」の勇敢さをまねるように教えた德富蘇峰の歴史認識を重要視する安倍首相が強引に進める「教育改革」の危険性を深く認識したためだと思えます。

今回は急で「大義のない」総選挙となりましたが、「親」や「祖父・祖母」の世代である私たちは、安倍政権の「教育政策」が「子供たち」や「孫たち」の世代にどのような影響を及ぼすかを真剣に考えるべき時期に来ていると思われます。

リンク→《風立ちぬ》と映画《少年H》――「《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」

(続く)

 映画《風立ちぬ》関連の記事へのリンクは、「宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』」のシリーズが完結した後で、一括して掲示します。

 

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

今朝の「東京新聞」朝刊は自民党の谷垣幹事長がインタビューで今回の総選挙が「アベノミクス」の信を問うものであることを強調するとともに、「原発は重要な電源」と位置づけていることを紹介しています。

この発言は、昨年の参議院議員選挙の前に、放射能汚染水の流出の「事実」を「東電社長は3日前に把握」していたにもかかわらず、そのことが発表されたのが選挙後であったことを思い起こさせます。

リンク→汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(2013年7月28日 )

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安倍首相が日本の国民だけでなく、全世界に向けて発信した汚染水は「完全にブロックされている」という公約は、信頼できるのでしょうか。

「東京新聞」(2014年12月1日 )付の記事で「海洋汚染、収束せず 福島第一 本紙調査でセシウム検出」との見出しで、安倍政権が「隠蔽」を試みている原発事故の一端を大野孝志・山川剛史両氏の署名入りの記事で明らかにしていますので、その一部をここで引用しておきます。

〈東京電力福島第一原発至近の海で、本紙は放射能汚染の状況を調べ、専用港の出入り口などで海水に溶けた状態の放射性セシウムを検出した。事故発生当初よりは格段に低い濃度だが、外洋への汚染が続く状況がはっきりした。〉

〈東電は原子力規制委員会が定めた基準に沿って海水モニタリングをしているが、日々の公表資料は「検出せず」の記述が並ぶ。計測時間はわずか十七分ほどで、一ベクレル前後の汚染はほとんど見逃すような精度しかない。大型魚用の網で小魚を捕ろうとするようなものだ。

東電の担当者は「国のモニタリング基準に沿っている」と強調する。

原子力規制委事務局の担当者は「高濃度汚染がないか監視するのが目的。迅速性が求められ、精度が低いとは思わない」としている。

しかし、かつての高い汚染時なら、精度が低くても捕捉できたが、現在のレベルなら、やり方を変えないと信頼できるデータは出ない。汚染が分からないようにしているのではないかとの疑念を招きかねない。〉

獨協医科大学の木村真三准教授(放射線衛生学)の次のような言葉でこの記事は結ばれています。

「高性能な測定機器を使っても、短時間の測定では、国民や漁業関係者から信頼される結果を得られない。海の汚染は続いており、東電は事故の当事者として、汚染の実態を厳密に調べ、その事実を公表する義務がある」。

*   *

すでに記しましたが、作家の司馬氏が若い頃には「俺も行くから 君も行け/ 狭い日本にゃ 住み飽いた」という「馬賊の唄」が流行り、「王道楽土の建設」との美しいスローガンによって多くの若者たちが満州に渡っていました。

「原子力の平和利用」という美しいスローガンのもとに、推進派の学者や政治家、高級官僚がお墨付きを出して「絶対に安全である」と原子力産業の育成につとめてきた戦後の日本でも、「大自然の力」を軽視していたために2011年にはチェルノブイリ原発事故にも匹敵する福島第一原子力発電所の大事故を産み出し、その事故は今も収束せずに続いています。

それにもかかわらず、「積極的平和政策」という不思議なスローガンを掲げて、軍備の増強を進める安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、今も解決されていない福島第一原子力発電所の危険性から国民の眼をそらし、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出などに躍起になっているように見えます。

岸信介という戦前の高級官僚を祖父に持つ安倍晋三氏は、戦前を「美化」した歴史認識を持ち、それを「命の大切さを伝えたい」(58ページ)と常に思っていると語っている『永遠の0(ゼロ)』の作者・百田尚樹氏との対談を収めた共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)などで広めようとしているように見えます。

しかし、「ウィキペディア」の記述によれば、戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された高級官僚の岸氏は「満州経営に辣腕」を振い、A級戦犯被疑者として3年半拘留されていたのです。

そして、安倍総理自身が指揮官による「判断と決断の誤りによって多くの人々が命を失う」(61頁)と語り、百田氏も「日本は先の大戦で三百万以上の方が亡くなった」(68頁)と認めているように、1931年の満州事変から始まった一連の戦争は日本やアジアに大きな被害をもたらし、膨大な数の戦死者を出すことになったのです。。

「原発事故」の悲惨さを「隠蔽」することで現在は明るく見える安倍氏の「経済政策」が、半年後や1年後にどのような結果を招くかを冷静に判断しなければならないでしょう。

 

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リンク先→

安倍政権と「報道」の問題

真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

原発事故の隠蔽と東京都知事選

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故

 

 

 

 

 

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金

経済学の専門家でない私が消費税の問題を論じても説得力は少ないだろうとの思いは強いのですが、この問題は「国民」の生活や生命にも重大な影響を及ぼすと思えますので、今回は年金の問題に絞って、次回は司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』にも言及しながら武器の輸出入の問題を扱うことで、私が経済至上主義と捉えているアベノミクスの問題点を考察してみたいと思います。

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株価の操作と年金問題

今回の衆議院の解散に際して、安倍首相は「消費税の10%に上げることを17年4月まで先送りにする」ことの是非を問うために総選挙を行うと説明したと伝えられています。

しかし、2014年4月に消費税が5%から8%に増税される際には「社会福祉財源の充実と安定化」が謳われ、具体的には消費税の増税分は「年金・医療・介護・少子化対策などの社会福祉」にあてると説明されていました。

問題は、最近になって株価が値下がりを始めると、「株価に敏感な安倍政権は成長戦略に本腰を入れ、6月13日には安倍首相自らが経済財政諮問会議で法人税を『数年内に20%台に引き下げる』と明言」しただけでなく、さらに、127兆円規模の公的年金を運用する世界最大級の機関投資家である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、年金の運用額を引き上げるという改革案を打ち出したことです。

この「改革」については、「GPIF改革が年金を破壊? 巨額損失の危険も 株価対策に年金を利用という愚策」という題名の『Business Journal』7月2日の記事で松井克明氏が、「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社/6月21日号)の『寄稿 GPIF改革四つの誤り 政治介入で運用は崩壊する』という記事では前GPIF運用委員の小幡績慶應義塾大学ビジネススクール准教授が、「GPIF改革は株価操作の道具ではない。年金の長期運用を改善するための100年の計の改革であり、それ以上でもそれ以下でもなく、これは年金運用への政治介入であり、長期的に運用環境を破壊し、大きな損失をもたらす」と警鐘を鳴らし、さらに、臼杵政治名古屋市立大学教授が「経済政策のために公的年金が自国株式への投資を拡大した例も耳にしたことがない」、「経済活性化を目的とした日本株投資の増額は(略)欧米の年金基金の常識でもある『加入者の利益のための運用』に合致するのか疑問である」と、「日経ヴェリタス」(日本経済新聞社/6月15日~21日号)に批判的な記事を載せていることを紹介して、こう結んでいます。「普段は株式投資に前のめり論調の日経や「ダイヤモンド」ですらも疑問を投げかけているのが、現在の政府主導のGPIF改革なのだ」。

昔から「素人は相場には手を出すな」という格言がありますが、株の素人の私から見ると現政権全体が「相場師」化しているような感じさえ受け、「消費税の増税」の是非を問うという説明は単なる口実のように見えます。

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リンク先

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

「欲しがりません勝つまでは」と「景気回復、この道しかない。」

「アベノミクス」とルージンの経済理論(ルージンは『罪と罰』に出て来る利己的な悪徳弁護士)

(12月3日。以前の題名「アベノミクス(経済至上主義)と消費税の増税」より改題。2016年6月22日、リンク先を追加)

「電子文藝館に寄稿した論考」のリンク先を掲載

 

「日本ペンクラブ電子文藝館」に寄稿した論考のリンク先が見つけにくいとのご指摘がありましたので、下記に示します。

なお、「主な研究活動」タイトル一覧のⅠとⅡにも常時、掲載するようにしました。

 

リンク先→「主な研究(活動)」タイトル一覧

「主な研究(活動)」タイトル一覧Ⅱ   

 

 司馬遼太郎の教育観  ――『ひとびとの跫音』における大正時代の考察2006/12/12

 戦争と文学――自己と他者の認識に向けて(2005/11/04)

司馬遼太郎の夏目漱石観  ――比較の重要性の認識をめぐって(2004/03/10)

安倍政権と「報道」の問題

以前のブログにも記しましたが、執筆中の拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』(仮題、人文書館)では新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が俳人・正岡子規の成長をどのように描き、子規の視線(まなざし)をとおして日露戦争をどのように分析しているかを考察しています。

子規との関連で新聞『日本』の性格についても調べているのですが、その中で強く感じるのは明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」によって言論が規制され、何度も発行停止などの厳しい処分を受けながら、言論人としての節を曲げずに、経済的に追い詰められながらも新聞を発行し続けた社主・陸羯南などの明治人の気概です。

いつ倒産するかも分からない新聞社に入社した正岡子規も給与が安いことを卑下することなく、むしろそのような新聞の記者であることを「誇り」として働いていたのです。

司馬氏は『坂の上の雲』の「あとがき」で、ニコライ二世の戴冠式に招かれて「ロシア宮廷の荘厳さ」に感激した山県有朋が日本の権力を握ったことが、昭和初期の「別国」につながったことも示唆していました。それは明治の人々が当時の「独裁政権」に抗してようやく勝ち取った「憲法」がないがしろにされることで、「国民」の状態が「憲法」のないロシア帝国の「臣民」に近づいたということだと思えます。

新聞記者だった司馬氏が長編小説『坂の上の雲』を書いた大きな理由は、冷厳な事実をきちんと調べて伝える「新聞報道」の重要性を示すためだったと私は考えています。

昨年の参議院選挙の頃にもそのようなことを強く思ってHPを立ち上げていたので、汚染水の流出と司馬氏の「報道」観について記したブログ記事を再掲し、その後で『日刊ゲンダイ』のデジタル版に掲載された〈朝日「吉田調書」誤報騒動のウラで東電が隠してきた“事実” 〉という記事を紹介することにします。

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 汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(2013年7月28日 )

日本には「人の噂も75日」ということわざがあるが、最近になって発覚した事態からは、同じことが再び繰り返されているという感じを受ける。

参議院選挙後の22日になって放射能汚染水の流出が発表されたが、報道によれば「東電社長は3日前に把握」していたことが明らかになり、さらに27日には福島第一原発2号機のタービン建屋地下から延びるトレンチに、事故発生当時とほぼ同じ1リットル当たり計23億5000万ベクレルという高濃度の放射性セシウムが見つかったとの発表がなされた。

汚染水の流出の後では、この事実の隠蔽に関わった社長を含む責任者の処分が発表されたが、問題の根ははるかに深いだろう。

たとえば、参議院選挙を私は、「日本の国土を放射能から防ぐという気概があるか否か」が問われる重大な選挙だと考えていた。しかしほとんどのマスコミはこの問題に触れることを避けて、「衆議院と参議院のねじれ解消」が最大の争点との与党寄りの見方を繰り返して報道していた。

「臭い物には蓋(ふた)」ということわざもある日本では、「見たくない事実は、眼をつぶれば見えなくなる」かのごとき感覚が強く残っているが、事実は厳然としてそこにあり、眼をふたたび開ければ、その重たい事実と直面することになる。

このことを「文明論」的な視点から指摘していたのが、歴史小説家の司馬遼太郎氏であった。再び引用しておきたい(「樹木と人」『十六の話』)。

チェルノブイリでおきた原子炉事故の後で司馬氏は、「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていた(傍線引用者)。

さらに司馬氏は、「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と冷静に続けていた。

きれいな水に恵まれている日本には、過去のことは「水に流す」という価値観も昔からあり、この考えは日本の風土には適応しているようにも見える。

だが、広島と長崎に原爆が投下された後では、この日本的な価値観は変えねばならなかったと思える。なぜならば、放射能は「水に流す」ことはできないからだ。

チェルノブイリの原子力発電所は「石棺」に閉じ込めることによってなんとか収束したが、福島第一原子力発電所の事故は未だに収束とはほど遠い段階にあり、「海流というものは地球を漂流して」いる。

日本人が眼をつぶっていても、いずれ事実は明らかになる。(後略)

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 朝日「吉田調書」誤報騒動のウラで東電が隠してきた“事実” (日刊ゲンダイ)

「東電はまだまだ重要な事実を隠している」──あの未曽有の事故から3年8カ月。原発事故情報公開弁護団が1枚のファクスから新たな疑惑を発掘した。福島第1原発の2号機が危機的状況に陥っていた3月15日の朝、東電本店が姑息な隠蔽工作を行っていた疑いが浮き彫りとなった。

問題のファクスは、当日午前7時25分に福島第1原発の吉田昌郎所長が原子力安全・保安院に送信したものだ。現在も原子力規制委のホームページに公開されている。ファクスにはこう記されている。

〈6時~6時10分頃に大きな衝撃音がしました。準備ができ次第、念のため『対策本部』を福島第2へ移すこととし、避難いたします〉

今まで重要視されることのなかったファクスだが、きのうの会見で弁護団が突きつけた「新事実」は傾聴に値する。メンバーの海渡雄一氏はこう言った。

「『対策本部』自体を福島第2へ移すことは、第1に人員が残っていたとしても、彼らは対策の主力ではなくなる。まぎれもなく『撤退』だと考えられます」

■まぎれもなく「撤退」

となると、朝日新聞が「誤報」と認めた「吉田調書報道」に新たな解釈が生じる。朝日の第三者機関「報道と人権委員会(PRC)」は、当該記事が「撤退」と断定的に報じたことを問題視。今月12日に「『撤退』という言葉が意味する行動はなかった。第1原発には吉田所長ら69人が残っており、対策本部の機能は健在だった」とする見解をまとめ、「重大な誤りがあり、記事取り消しは妥当」と断じたが、いささか早計すぎたのではないか。

まず結論ありきで、「PRCは『撤退はなかった』と言い切るだけの根拠を調べ抜いたのか。重大な疑念が生じる」(海渡氏)と非難されても仕方ない。 問題にすべきは東電の隠蔽体質の方だ。当日午前8時30分に行われた本店の記者会見では、作業員650人の移動先を「第1原発の安全な場所」と発表。第2原発に移動した事実には一切触れなかった。

「吉田所長のファクスは『異常事態連絡様式』という公式な報告書で、本店が内容を把握していないわけがありません。『撤退』した事実の隠蔽を疑わざるを得ません」(海渡氏)

同じくメンバーで弁護士の小川隆太郎氏はこう話した。

「政府はまだ当日、現場にいた作業員ら771人分の調書を開示していない。今後、明らかにしていくべきです」

福島原発事故の真相はまだ闇に包まれたままだ。

         (2014年11月19日/『日刊ゲンダイ』/デジタル版)

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リンク先→

真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

原発事故の隠蔽と東京都知事選

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故

 

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

標記の拙著に関しては発行が大幅に遅れて、ご迷惑や心配をおかけしていますが、ようやく新しい構想がほぼ固まりました。

本書では「黒塊(コツクワイ)」演説を行ったことが咎められて松山中学を中退して上京し、「栄達をすてて」文学の道を選んだ正岡子規に焦点を絞ることで、新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が子規の成長をどのように描いているかを詳しく考察しています。

長編小説『坂の上の雲』では、子規の死後に起きた日露戦争における戦闘場面の詳しい描写や戦術、さらには将軍たちの心理の分析などに多くの頁が割かれていますので、それらを省略することに疑問を持たれる方もおられると思います。

しかし、病いを押してでも日清戦争を自分の眼で見ようとしていた子規の視野は広く、「写生」や「比較」という子規の「方法」は、盟友・夏目漱石やその弟子の芥川龍之介だけでなく、司馬氏の日露戦争の描写や考察にも強い影響を及ぼしていると言っても過言ではないように思えます。

司馬氏は漱石の長編小説『三四郎』について「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記しています。子規と漱石との交友や、子規の死後の漱石の創作活動をも視野に入れることで、長編小説『坂の上の雲』の「文明論的な」骨太の骨格を明らかにすることができるでしょう。

『坂の上の雲』の直後に書き始めた長編小説『翔ぶが如く』で司馬氏は、「征韓論」から西南戦争に至る時期を考察することで、「近代化のモデル」の真剣な模索がなされていた明治初期の日本の意義をきわめて高く評価していました。明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」は、新聞『日本』の記者となった子規だけでなく、「特定秘密保護法」が閣議決定された現代日本の言論や報道の問題にも深く関わると思われます。

それゆえ本書では、子規の若き叔父・加藤拓川と中江兆民との関係も視野に入れながらこの長編小説をも分析の対象とすることで、長編小説『坂の上の雲』が秘めている視野の広さと洞察力の深さを具体的に明らかにしたいと考えています。

ドストエフスキーを深く敬愛して映画《白痴》を撮った黒澤明監督は、『蝦蟇の油――自伝のようなもの』の「明治の香り」と題した章において、「明治の人々は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』に書かれているように、坂の上の向うに見える雲を目指して、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う」と書いています。

焦点を子規とその周囲の人々に絞ることによって、この作品の面白さだけでなく、「明治の人々」の「残り香」も引き立たせることができるのではないかと願っています。

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館

( 2015年8月10日、改訂と改題)

 

『文明の未来 いま、あらためて比較文明学の視点から』が東海大学出版部より発行

お知らせが遅くなりましたが、東海大学出版部から今年の5月に『文明の未来 いま、あらためて比較文明学の視点から』が下記のような内容で出版されました。

『文明の未来』honto(書影は「honto」より)

「比較文明学会創立三〇周年を記念して刊行された論文集。自然と文明の関係性の再確立、西欧近代の知の超克、グローバリズムの問い直しなど、現代の比較文明学共通の課題と関心に収斂した問題が記述されている。」

編集:比較文明学会30周年記念出版編集委員会
出版社: 東海大学出版部
発売日: 2014/5/15
単行本: 318ページ
価格: 3000円+税
ISBN-10: 4486019830
ISBN-13: 978-4486019831

私も標記の題名で論文を寄稿しましたので、そのレジュメを「主な研究」に掲載しました。

リンク→司馬遼太郎の文明観―-古代から未来への視野(レジュメ)

(11月8日、改題)