高橋誠一郎 公式ホームページ

司馬遼太郎

「終末時計」の時刻と「自衛隊」の役割――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(3)

『永遠の0(ゼロ)』の第2章で百田氏は長谷川に、「あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない」と語らせていました。

しかし、政治家や高級官僚が決めた「国策」に対してその問題点をきちんと考えることをせずに、「わしたち兵士にとっては関係ない」として「考えること」を放棄し、「国策」に従順に従ったことが、満州や中国、韓国だけでなく、ガダルカナルや沖縄、さらに広島と長崎の悲劇を生んだのではないでしょうか。

若い頃に学徒動員で満州の戦車部隊に配属された作家の司馬遼太郎氏は、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とことを証言しています。そして、自分もそのような教育を受けた「その一人です」と語った司馬氏は、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

こうして司馬氏は、「愛国心」を強調しつつ、「国家」のために「白蟻」のように勇敢に死ぬことを青少年に求める一方で、このような「国策」を批判した者を「非国民」として投獄した戦前の教育観を鋭く批判していたのです。

*   *

文芸評論家の小林秀雄は一九三九年に書いた「歴史について」と題する『ドストエフスキイの生活』の序で、「歴史は決して繰返しはしない。たゞどうにかして歴史から科学を作り上げようとする人間の一種の欲望が、歴史が繰返して呉れたらどんなに好都合だらうかと望むに過ぎぬ」と記して、科学としての歴史的方法を否定していました〔五・一七〕。

しかし、人が一回しか生きることができないことを強調したこの記述からは、一種の「美」は感じられますが、親から子へ子から孫へと伝えられ、伝承される「思想」についての認識が欠けていると思われます。

たとえば、絶大な権力を一手に握ったことで「東条幕府」と揶揄された東条英機内閣で商工大臣として満州政策にも関わっていた岸信介氏は、首相として復権した1957年5月には「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁して、「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたのです。

そのような祖父の岸氏を敬愛する安倍首相は戦前の日本を高く評価しているばかりでなく、岸内閣の元で進められた「原子力政策」を福島第一原子力発電所事故の後でも継続しようとしており、安倍政権が続くと満州事変から太平洋戦争へと突入した戦前の日本と同じ悲劇が「繰り返される」危険性が高いと思われるのです。

過去を美しく描いて「過去の栄光」を取り戻そうとするだけでは、問題は何も解決できません。今回は「核兵器」の限定使用の危険性が高まっている現在の状況を踏まえて、「平和学」的な意味での「積極的平和主義」の視点から、日本の「自衛隊」が何をすることが世界平和にもっとも効果的かを考察することにします。

* 「『終末時計』残り3分に」 *

まず注目したいのは、アメリカの科学誌『原子力科学者会報』が、2015年01月22日に、核戦争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえ、残り時間を「0時まであと何分」という形で象徴的に示す「終末時計」が、再び残り3分になったと発表したことです。

このことを伝えた「The Huffington Post」紙は、コストや安全性、放射性廃棄物、核兵器への転用への懸念などをあげて「原子力政策は失敗している」ことを強調し、核廃棄物に関する議論などを積極的に行うよう求めています。

1947年に創設された終末時計は東西冷戦による核戦争の危機を評価の基準として、当初は「残り7分」に設定されていましたが、ソ連も原爆実験に成功した1949年からは「残り3分」に、米ソで競うように水爆実権が繰り返されるようになる1953年1960年までは最悪の「残り2分」となりました(下の表を参照)。

その後、核戦争が勃発する寸前にまで至った「キューバ問題」を乗り越えたことから「終末時計」は「残り12分」に戻ったものの、アメリカ・スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故で状況が悪化した「終末時計」は、ようやくアメリカとソ連が戦略兵器削減条約に署名した1991年に「残り17分」にまで回復しました。

ソ連が崩壊したことで冷戦が解消されたことでしばらくはそこに留まったのですが、皮肉なことにソ連が崩壊してアメリカが唯一の超大国となったあとで時計の針が再び前に動き、「福島第一原発の事故後の2012年には終末まで5分に進められた」。そして、今回は悪化する地球環境問題などを踏まえて、1949年と同じ「残り3分」にまで悪化しているのです。

終末時計

 

*   *

『永遠の0(ゼロ)』で百田氏は「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川に、「だが誰も戦争をなくせない」と続けさせていました。

たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。しかし、「終末時計」の時刻が示している事態は、「武力」では何も根本的な解決ができないことを何よりも雄弁に物語っているだけでなく、「核兵器」が用いられるような戦争がおきれば、《生きものの記録》の主人公が恐れたように地球自体が燃え上がってしまうということです。

一方、アメリカ軍に「平和」の問題を預けていた日本政府は冷戦という状況もあり、これまでは「核兵器の廃絶」に積極的には動いてきませんでした。このことが世界における「放射能」の危険性の認識が深まらなかった一因だと思われます。

また、今日の「日本経済新聞」(デジタル版)は、「日本の火山、活動期入りか 震災後に各地で活発との見出しで、「国内の火山活動が活発さを増している」ことを報じています。

それゆえ私は、「自衛隊」が世界で尊敬される組織として存在するためには、「防衛力」は、自国を「自衛することができるだけの力」にとどめて、巨大な自然災害から「国民」を守るだけでなく、広島や長崎における「放射能」被害の大きさ学んでそれを世界に伝える「部隊」を設立して、世界各国の軍関係者への広報活動を行うべきだと考えています。

*   *

むろん、このようなことは沖縄の住民など「国民の声」を聞く耳を持たないばかりでなく、地球を創造し日本列島を地殻変動で形成するなど、人間の科学力では予知し得ないような巨大なエネルギーを有している「自然への畏怖の念」も感じられない安倍政権では一笑にふされるだけでしょう。

しかし、現在の地球が置かれている状況を直視するならば、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識して、核兵器の廃絶と脱原発への一歩を「国民」が勇気を持って踏み出す時期に来ていると思います。

 

「ワイマール憲法」から「日本の平和憲法」へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(2)

 

『永遠の0(ゼロ)』において次に注目したいのは、「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川が、「だが誰も戦争をなくせない」と続けていたことです。

この言葉からは絶望した者の苛立ちがことに強く感じられます。たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。

しかし、このような長谷川の認識には大きな落とし穴があります。それは広島・長崎に原爆が投下されたあとでは、世界の大国が一斉に核兵器の開発に乗り出していたことです。多くの科学者が「国益」の名のもとにその開発に従事するようになり、さらに強力な水爆や「原子力潜水艦」が製造され、1962年のキューバ危機では地球が破滅するような核戦争が勃発する危機の寸前にまでいたっていたのです。

つまり、「核兵器」を持つようになって以降においては、いかに「核兵器」の廃絶を行うかに地球の未来はかかっているのです。しかし問題はこのような深刻な事態にたいして、被爆国の政府である自民党政権が「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたことです。

さらに、1957年5月には満州の政策に深く関わり、開戦時には重要閣僚だったために、A級戦犯被疑者となっていたが復権した岸信介氏首相が「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁していたのです。

*   *

このような状況の下で、57年の9月には「日米が原爆図上演習」を行っていたことが判明したことを「東京新聞」は1月18日の朝刊でアメリカの「解禁公文章」から明らかにしています。

「七十年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は当時、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。五四年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。 文書は共同通信と黒崎輝(あきら)福島大准教授(国際政治学)の同調査で、ワシントン郊外の米国立公文書館で見つかった。 五八年二月十七日付の米統合参謀本部文書によると、五七年九月二十四~二十八日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習「フジ」を実施した。場所は記されていないが、防衛省防衛研究所の日本側資料によると、キャンプ・ドレイク(東京都と埼玉県にまたがる当時の米軍基地)内とみられる。」

「核兵器」や「放射能」の危険性をきちん認識し得なかったという点で、岸信介元首相は、世界各国が「自衛」のために核兵器を持ちたがるようになった冷戦後の国際平和の面でも大きな「道徳的責任」があると言えるでしょう。

*   *

「核兵器」を用いても勝利すればよいとするこのような戦争観とは正反対の見方を示したのが、作家の司馬遼太郎氏でした。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。

注目したのは、日本には原発が54基もあるという宮崎駿監督の指摘を受けて、作家の半藤一利氏が「そのうちのどこかに1発か2発攻撃されるだけで放射能でおしまいなんです、この国は。いまだって武力による国防なんてどだい無理なんです」と語っていることです。(『腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫)(68頁)。

*   *

この意味で注目したいのは、湾岸戦争後に「改憲」のムードが高まってくると、日本では敗戦後の「平和憲法」と第一次世界大戦の敗戦後のドイツの「ワイマール憲法」を比較して、揶揄することが流行ったことです。

リンク→麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

すでに引用したように、百田氏もツイッターで「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す」と記していました。互いに殺しあいを行う戦場では何を語っても無意味であり、声を上げる前に射殺されるだろうことは確実なので、「そこで戦争は終わる」ことはありえません。しかし、「もし、9条の威力が本物なら、…中略…世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」と書いていることの一端は真実を突いているでしょう。

イスラム教の国に十字軍を派遣したことがなく、アフガンや中東において医療チームなどが平和的な活動を続けてきた日本はそれなりに信頼される国になっており、交渉役としての重要な役を担えるようになっていたのです(安倍政権によって、これまでに積み上げられた信頼は一気にブルドーザーのような力で崩されていますが…)。

*   *

一方、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、ヒトラーについて次のように書いていました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか。…中略…政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

実際、「人種の価値に優劣の差異があることを認め(中略)、永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と主張して、「復讐」の戦争へと自国民を駆り立てた『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創った「ワイマール憲法」下の平和を軟弱なものとして否定しました。

さらにヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への新たな、しかし破滅への戦争へと突き進んだのです。

*   *

これまで見てきたことから明らかなように、第1次世界大戦後の「ワイマール憲法」と「核兵器」が使用された第2次世界大戦後に成立した日本の「平和憲法」では、根本的にその働きは異なっており、「核兵器」や「原発」の危険性をもきちんと視野に入れるとき「日本の平和憲法」が果たすべき役割は大きいと思われます。

私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきているのです。

侮辱された主人公――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(12)

ネタバレあり

単行本には次のような著者からのコメントが付けられていたとのことです。

この小説のテーマは「約束」です。

言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です。

しかし、読者からのコメントも添えておきましょう。

この小説のテーマは「詐欺」です。

言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語です。

小説『永遠の0(ゼロ)』がなぜ400万部を超えるほどに売れたか不思議でしたが、その理由は未だに「オレオレ詐欺」に騙されてしまう日本人が多いことと深く関連していると思われます。

*   *

『永遠の0(ゼロ)』が読者に「感動」を与えた理由は、司法試験に4度も落ちて「自信もやる気も失せて」いた主人公の健太郎が、関係者への取材をとおして祖父の生き方を知って自信を取り戻すという構造を持っているからでしょう。

すなわち、フリーのライターをしている姉の慶子から「ニート」と呼ばれていた「ぼく」は、姉の慶子から「本当のおじいさんがどんな人だったのか、とても興味があるわ。だってこれは自分のルーツなのよ」と説得されてこの企画に参加することになります。

この小説は、最初の取材では「海軍一の臆病者」、「何よりも命を惜しむ男だった」と非難された主人公の祖父が、取材をとおして「家族への深い愛」と奇跡的な操縦術を持つ勇敢なパイロットであったことが次第に明らかになるという構造をしています。

注目したいのは、「真珠湾」と題された第3章で健太郎が、「ぼくにガッツがないのも、久蔵じいさんの血が入っているせいかもしれないね」とこぼすと祖母の再婚相手だった祖父の大石が、「馬鹿なことをっ!」と怒鳴りつけるように言い、さらに「清子は小さい頃から頑張り屋だった。どんな時にも弱音を吐いたことがない」と説明したと記されていることです。

この文章からは、大石が血はつながっていない孫を温かく励ます祖父のように読めます。

しかし、「父が亡くなったのは26歳の時よ。今の健太郎と同じなのよ」(63)と語って自分の父・久蔵と息子との比較を行った健太郎の母・清子は、「父がどんな青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と続けているのです。

*   *

映画《永遠の0(ゼロ)》の宣伝文では「60年間封印されていた、大いなる謎――時代を超えて解き明かされる、究極の愛の物語」と大きく謳われています。

実際、「流星」と題された第12章ではかつて大石が祖母の松乃に対して求婚した際には、「宮部さんは私にあなたと清子ちゃんのことを託したのです。それゆえ、わたしは生かされたのです。もし、それがかなわないなら、私の人生の意味はありません」とまで語っていたことが描かれています。

それほどまでに宮部のことを尊敬していたのならば、なぜ大石は「父がどんな青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と願っていた松乃の娘・清子に、「命の大切」さを訴えていた宮部の理念を伝えようとせず、60年間も「沈黙を守り続けていた」のでしょうか。

*   *

おそらく、その最も大きな理由の一つは、この小説に「自分のルーツ」探し的な構造を持たせるためだと思われます。

たとえば、第5章の「ガダルカナル」で、「なぜ、今日まで生きてきたのか、いまわかりました。この話をあなたたちに語るために生かされてきたのです」と語った井崎源次郎は、「いつの日か、私が宮部さんに代わって、あなたたちにその話をするためだったのです」と続けています。

第6章ではラバウルで機体の整備にあたっていた永井が、久蔵がプロにもなれるような囲碁の名手であったとの逸話を語ります。

第8章の「桜花」では、「祖父の話を聞くのは辛い」と語った姉に対して、先の井崎の言葉を受けるかのように「ぼく」は、「でもね、ぼくは今度のことは何かの引き合わせのように感じてるんだ。六十年もの間、誰にもしられることのなかった宮部久蔵という人間が、今こうしてぼくの前に姿を見せ始めているんだ」と語り、さらに「奇跡」と言う単語を用いながら、「これって、もしかしたら奇跡のようなことじゃないかと思っている」と続けているのです。

*   *

作家・司馬遼太郎氏の言葉を用いて官僚制度の問題点が鋭く指摘されていた第7章「狂気」では、姉弟の次のような会話が描かれていました。

「もしかしたら官僚的組織になっていたからだと思う」

「そうか――責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね」

(中略)

「でも、日本の軍隊の偉い人たちは、本当に兵士の命を道具みたいに思っていたのね」

「その最たるものが、特攻だよ」

ぼくは祖父の無念を思って目を閉じた。

*   *

「兵士の命を道具みたいに思っていた」、「その最たるものが、特攻だよ」と健太郎は結論していましたが、その問題を「特攻」だけに集約することはできないでしょう。

「命の大切」さを訴えていた祖父のことを詳しく大石から聞かされていれば、「白蟻」のような勇敢さで死ぬように教育されていた戦前の人々の苦しさや、「五族協和」が謳われた満州における「棄民政策」や原爆の問題点も、この姉弟はよく認識しえていたはずなのです。

進化した「オレオレ詐欺」では、様々な役を演じるグループの者が、重要な情報については「沈黙」しつつ、限られた情報を一方的に伝えることによって次第に被害者を信じ込ませていきます。

この小説でも宮部の内面が描かれることはなく「60年間封印されて」、第三者からの聞き取りを通して「生命を大切」にした「英雄・宮部」の「美しい死」が描かれているのです。

こうして、大石の沈黙こそが巧妙に構成された順番に従って登場する「特攻隊員」たちの語る言葉によって、「命の大切」さを訴えていた宮部の理念ではなく、一部上場企業の元社長・武田が賛美した徳富蘇峰と同じ思想を持つと思われる大石=百田氏の思想を植え付けることにつながっているのだと思われます。

妻や娘と再会するために「命を大切」にしていた宮部久蔵の最愛の松乃を自分のものとした善良なようにみえる大石賢一郎は、久蔵の大切な孫達の思想をも支配することになったのです。

大石の高笑いが聞こえるような終わり方ですが、その笑い声には「『平和ぼけ』して戦争の悲惨さを忘れてしまった日本人をだますことは簡単だ」とうそぶく作者の百田氏の声も重なって聞こえてくるようです。

「オレオレ詐欺」やこのような「美しい物語」を、簡単に信じ込んでしまうようになる遠因は、「テキスト」の内容に感情移入して「主観的に読む」ことが勧められるようになっている最近の「国語教育」にもあると思われます。文学作品の解釈においても「テキスト」の内容を前後関係や書かれた状況をも踏まえてきちんと分析し、読み解く能力が必要でしょう。

*   *

「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』」と題した今回のテーマは、思いがけず長いシリーズとなりました。

これまでは批判的な視点からこの作品を読み解いてきましたが、「生命を大切」さを訴えた主人公・宮部久蔵の理念には、権力に幻惑される前の百田氏の思いが核になっていたとも思われます。

次回はこのような宮部久蔵の理念を現代に生かすべき方法を考えることで、このシリーズを終えることにしたいと思います。

 

歪められた「司馬史観」――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(11)

前回の記事では、『永遠の0(ゼロ)』の第10章「阿修羅」と映画《紅の豚》で描かれた空中戦のシーンとを比較することにより、「豚のポルコ」と宮部との類似性を示すとともに、作品に描かれている女性たちと主人公との関係が正反対であることを指摘しました。

同じようなことが、いわゆる「司馬史観」との関係でも言えるようです。

*   *

宮崎駿監督が「書生」として司会を務めた鼎談集『時代の風音』(朝日文庫、1997)で司馬氏は、20世紀の大きな特徴の一つとして「大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核まで至るもの」を作っただけでなく、「兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証(あかし)」とされてきたことを厳しく批判していました(「二十世紀とは」)。

しかし、このような司馬氏の深い歴史観は、『永遠の0(ゼロ)』では矮小化された形で伝えられているのです。

*   *

第7章「狂気」では慶子が、「私、太平洋戦争のことで、いろいろ調べてみたの。それで、一つ気がついたことがあるの」と弟に語りかけ、「海軍の長官クラスの弱気なことよ」と告げる場面が描かれています。

さらに慶子は「これは私の個人的意見だけど」と断りながら、「もしかしたら、彼らの頭には常に出世という考えがあったような気がしてならないの」と語り、「出世だって――戦争しながら?」と問われると、「穿ちすぎかもしれないけど、そうとしか思えないフシがありすぎるのよ」と答えています。

その答えを聞くと「ぼくは心の中で唸った。姉の意外な知識の豊富さにも驚かされたが、それ以上に感心したのが、鋭い視点だった」と書かれています。

その言葉を裏付けるかのように、慶子はさらに「つまり試験の優等生がそのまま出世していくのよ。今の官僚と同じね」と語り、「ペーパーテストによる優等生」を厳しく批判しているのです。

*   *

慶子は「これは私の個人的意見だけど」と断っていましたが、いわゆる「司馬史観」をめぐって行われた論争に詳しい人ならば、これが司馬氏の官僚観を抜き出したものであることにすぐ気づくと思います。

すなわち、軍人や官吏が「ペーパーテストによって採用されていく」、「偏差値教育は日露戦争の後にもう始まって」いたとした司馬氏は、「全国の少年たちからピンセットで選ぶようにして秀才を選び、秀才教育」を施したが、それは日露戦争の勝利をもたらした「メッケルのやり方を丸暗記」してそれを繰り返したにすぎないとして、創造的な能力に欠ける昭和初期の将軍たちを生み出した画一的な教育制度や立身出世の問題点を厳しく批判していたのです(「秀才信仰と骨董兵器」『昭和という国家』)。

つまり、「ぼく」が「心の中で唸った」「鋭い視点」は、姉・慶子の視点ではなく、作家・司馬遼太郎氏の言葉から取られていたのです。

*   *

『永遠の0(ゼロ)』では姉・慶子の言葉を受けて、「ぼく」は次のような熱弁をふるいます。

「高級エリートの責任を追及しないのは陸軍も同じだよ。ガダルカナルで馬鹿げた作戦を繰り返した辻政信も何ら責任を問われていない。…中略…ちなみに辻はその昔ノモンハンでの稚拙な作戦で味方に大量の戦死者を出したにもかかわらず、これも責任は問われることなく、その後も出世しつづけた。代わって責任は現場の下級将校たちが取らされた。多くの連隊長クラスが自殺を強要されたらしい」(371頁)。

さらに、姉の「ひどい!」という言葉を受けて「ぼく」は、「ノモンハンの時、辻らの高級参謀がきちんと責任を取らされていたら、後のガダルカナルの悲劇はなかったかもしれない」と続けています。

*   *

実はこの記述こそは作家の司馬氏が血を吐くような思いで調べつつも、ついに小説化できなかった歴史的事実なのです。

「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と記した司馬氏は、連隊長として戦闘に参加した須見新一郎元大佐の証言をとおして、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と指摘し、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよと命じた」ことを作家・井上ひさし氏との対談で紹介していたのです(『国家・宗教・日本人』)。

司馬氏が心血を注いで構想を練っていたこの長編小説は、取材のために、商事会社の副社長となり政財界で大きな影響力を持つようになっていた元大本営参謀の瀬島龍三氏との対談を行ったことから挫折していました。

この対談記事を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」、「これまでの話した内容は使ってはならない」との激しい言葉を連ねた絶縁状を司馬氏に送りつけたのです(半藤一利「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

リンク→《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志(2013年10月6日 )

*   *

問題は、このような姉・慶子の変化や「ぼく」の参謀観が新聞記者の高山隆司と「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則との対決が描かれている第9章の前に描かれているために、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけた武田の次のような言葉を正当化してしまっていることです。すでにこのブログでも記しましたが、重要な箇所なのでもう一度、引用しておきます。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」

しかし、「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました(徳富蘇峰『蘇峰自伝』中央公論社、1935年)。

つまり、思想家・德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは彼が「反戦を主張した」からではなく、最初は戦争を煽りつつ、戦争の厳しい状況を知った後ではその状況を隠して「講和」を支持し、「内閣の政策の正しさを宣伝」したからであり、その「御用新聞」的な性格に対して民衆が怒りの矛先を向けたからだったのです。

*   *

司馬氏は日露戦争以降の日本で強まった「自殺戦術とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を長編小説『坂の上の雲』で厳しく批判していました。

そのような哲学を広めた代表的な思想家の一人が、『国民新聞』の社主でもあった徳富蘇峰でした。彼は第一次世界大戦中に書いた『大正の青年と帝国の前途』においては白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても、白蟻が「先頭から順次に其中に飛び込み」、その死骸でそれを埋め尽し、こうして「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」と記すようになります。

こうして蘇峰は、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを大正の青年が持つように教育すべきだと説いていたのですが、作家の司馬遼太郎氏が亡くなられた後で起きた1996年の「司馬史観」論争の後では『坂の上の雲』を「戦争の気概」を持った明治の人々を描いた歴史小説と矮小化する解釈が広まりました。

ことに、その翌年に安倍晋三氏を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられると、戦後の歴史教育を見直す動きが始まったのです。

安倍首相が母方の祖父にあたる元高級官僚の岸信介氏を深く尊敬し、そのような政治家を目指していることはよく知られていますが、厳しい目で見ればそれは戦前の日本を「美化」することで、祖父・岸信介氏やその「お友達」に責任が及ぶことを逃れようとしているようにも見えます。

安倍氏は百田氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)に収録されている対談で、『永遠の0(ゼロ)』にも「他者のために自分の人生を捧げる」というテーマがあると賞賛していました(58頁)。安倍首相と祖父・岸信介氏との関係に注目しながら百田氏の『永遠の0(ゼロ)』を読むと、「戦争体験者の証言を集めた本」を出すために、特攻隊員として死んだ実の祖父のことを知る「当時の戦友たち」をたずねて取材する姉・慶子の仕事を手伝うなかで変わっていく「ぼくの物語」は、安倍首相の思いと不思議にも重なっているようです。

百田氏は安倍首相との共著で、「安倍総理も先ほどおしゃっていたように、この本を読んだことによって、若い人が日本の歴史にもう一度興味を持って触れてくれることが一番嬉しいですね」と自著を誇っています(67頁)。

しかし、この『永遠の0(ゼロ)』で主張されているのは、巧妙に隠蔽されてはいますが、青年たちに白蟻のような勇敢さを持たすことを説いた徳富蘇峰の歴史観だと思われるのです。

*   *

「司馬史観」論争の際には『坂の上の雲』も激しい毀誉褒貶の波に襲われましたが、褒める場合も貶(けな)す場合も、多くの人が文明論的な構造を持つこの長編小説の深みを理解していなかったように思えます。

前著『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)では、司馬氏の徳冨蘆花観に注目しながら兄蘇峰との対立にも注意を払うことで『坂の上の雲』を読み解く試みをしました。

たいへん執筆が遅れていますが、近著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』(仮題、人文書館では、今回は「文明史家」とも呼べるような広い視野と深い洞察力を持った司馬遼太郎氏の視線をとおして、主要登場人物の一人であり、漱石の親友でもあった新聞記者・正岡子規が『坂の上の雲』において担っている働きを読み解きたいと考えています。

(1月18日、濃紺の部分を追加し改訂)

 

大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

アメリカの圧力によって「開国」を迫られた幕府に対して、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」というイデオロギーを叫んでいた幕末の人々を美しく描いた大河ドラマ《龍馬伝》(2010)が、選挙期間中に再放送されたことの問題については、2013年7月14日に記しました。

リンク→大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

坂本龍馬を主人公としつつもこの大河ドラマでは、岩崎弥太郎を「語り手」としたために、司馬遼太郎氏が『竜馬がゆく』で描いていた岩崎と土佐藩の上士で新政府の高官となった後藤象二郎との癒着などの問題は描かれていなかったのです。

さらに、政商・岩崎弥太郎は、明治7年の台湾出兵や明治10年の西南戦争などでは利益をあげ、巨万の財を築くことになるのです。

*   *

政府が事実上の禁輸政策だった「武器輸出三原則」の見直し策として、国際紛争で中立的な立場を取る国際機関への防衛装備品の輸出を検討しているとの報道がなされたのは、2014年2月11日のことでした。

それ以降、矢継ぎ早に「武器の輸出」に向けた整備が行われてきました。「東京新聞」の記事によって簡単に時系列に沿って整理しておきます。

4月1日の夕刊:政府が閣議で「武器や関連技術の海外提供を原則禁止してきた武器輸出三原則を四十七年ぶりに全面的に見直し、輸出容認に転じる新たな三原則を決定した」。

6月12日:「政府が防衛装備移転三原則で武器輸出を原則認めたことを受け」て、武器の国際展示会に13社が参加した。

12月17日:「防衛省が、武器を輸出する日本企業向けの資金援助制度の創設を検討」

「国の資金で設立した特殊法人などを通して、低利で融資できるようにする。また輸出した武器を相手国が使いこなせるよう訓練や修繕・管理を支援する制度なども整える。武器輸出を原則容認する防衛装備移転三原則の決定を受け、国としての輸出促進策を整備する」。

*   *

このような流れの危険性について翌日の記事は〈武器輸出に支援金…安倍政権が「戦争できる日本」へ本格始動 〉の見出しで、埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏の「日本は『死の商人』になってしまいます」との強い危惧を紹介していました。

「アベノミクスの成長戦略には兵器の輸出がしっかり組み込まれているのです。今後は途上国へのODAも自衛隊が使うことになるでしょう。国民の税金で殺人兵器の開発を活発化させても国民の生活にプラスにならない。それどころか財政をさらに逼迫させます。忘れてならないのは兵器を売ることで日本が世界に戦争の火だねをばらまいてしまうこと。ところが三菱重工などの労組は武器輸出に反対するどころか、会社に協力しているありさまです。このままでは安倍首相によって、日本は戦前のような、戦争ができる国に作り変えられてしまいます」。

*   *

年が明けて今年の1月14日には、「膨らむ防衛予算 中期防の『枠』突破ペース」との見出しで、防衛予算がいかに増大したかが詳しく示されていました。

「中谷元・防衛相は十三日、二〇一五年度予算編成で防衛費が前年度比2・0%増の四兆九千八百一億円と、過去最大になることを明らかにした。一四年度補正予算案の防衛費(二千百十億円)と合計すると五兆一千九百十一億円となり、一五年度予算の概算要求額(五兆五百四十五億円)を上回る計算。政府の中期防衛力整備計画(中期防)を超えるペースで、防衛費が歯止めなく膨張している実態が鮮明になった。政府は十四日、一五年度予算案を閣議決定する」。

さらに、「そもそもこの金額は、補正予算を含めていない。防衛省によると中期防の枠は当初予算を合計するだけで補正予算は原則として考慮しないという。中期防は米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設関連費用をはじめとした米軍再編関係の経費も除いており、実際の防衛費を反映していない」ことを指摘した記事は、法政大の小黒一正准教授(公共経済学)の次のような言葉で結んでいます。

「政府の財政事情が厳しい中で、防衛費を増額し続けることには限界がある。政府全体で予算の活用法を再検証しなければ、効果のはっきりしない防衛費の膨張が続くことになる」。

*   *

本日付の記事も「暮らし抑え 防衛重視 安倍政権 予算案決定」」との大見出しで、防衛費が増大する一方で政権の基地政策に反対する翁長(おなが)知事が当選した沖縄に対する振興予算は前年度から百六十二億円も減らされ、また消費税値上げの理由とされていた「社会保障」への予算配分も減らされていることを指摘しています。

*   *   *

このように見てくるとき、政商・岩崎弥太郎を語り手としたNHKの大河ドラマ《龍馬伝》が、どのような役割を担わされていたかは明白だと思われます。

今年のNHKの大河ドラマ《花燃ゆ》が始まりましたが、安倍首相の郷土の英雄・吉田松陰の末妹で、松陰の弟子・久坂玄瑞の妻となる杉文を主役としたこの大河ドラマでは何が描かれるのかも注視しなければならないでしょう。

〈黒雲を 白雲に変える 風の音〉

 

謹賀新年

本年もよろしくお願いします。

 

昨年は、「武器輸出三原則」の閣議に決定による変更から始まって、「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」の閣議決定と、「国会」や「国民」の声だけでなく、最近盛んになっている火山活動や大雨などの自然現象を「天の声」として素直に聞く耳を持たない政策が進められました。年末に急遽行われた総選挙では、安倍政権の問題点に「国民」の眼が向く前だったので、与党が大幅な議席数を保持しました。

しかし、極端な「排外主義」を掲げる「次世代の党」がほぼ壊滅状態になり、「原発推進」や「アベノミクス」の危険性に気づいた議員の議席数が増えていることも注目されます。

改革への「風の音」は、かすかではありますが聞こえ始めてきていると思います。

*   *

昨年は、積年の課題であった小林秀雄論を『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)という形で出版することができました。ドストエフスキー論に絞りつつも、評論の「神様」とも呼ばれる小林氏の問題点を明らかにした書物でしたが、多くの方から熱いご感想や励ましの言葉を頂きました。

今年は延び延びになっていた『司馬遼太郎の視線――子規と「坂の上の雲」と』(仮題)を人文書館から出版する予定です。

本年はよりよい年にしたいと思います。

 

 

「議論」を拒否する小説の構造――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(8)

ここのところ考察してきたコラムで寺川氏は、〈憲法や安全保障について具体的に国を動かそうという政権が現れたいま、少なくともそれに反対する側は、レッテル貼りをして相手を非難している場合ではなく、意見の違う相手とも、その違いを知ったうえで議論し、考えていくことが大事なのではないか――。〉と書いていました。

「対話」や「議論」の重要性はまさしく指摘されている通りなのですが、問題なのは、国民の生命にもかかわる「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」、さらには「武器や原発の輸出」などの重要なことを「国会」での十分な議論を経ずに閣議で決定している安倍政権と同じように、『永遠の0(ゼロ)』という小説も「他者」との「対話」や「議論」を拒否するような構造を持っていることです。

それゆえ、「対話」や「議論」を拒否する安倍政権の手法の危険性を明らかにするためにも、『永遠の0(ゼロ)』の構造の問題点を明らかにすることが重要だと私は考えています。

*   *

単独犯ではなく、多くの人間が様々な役を演じるような「進化」した「オレオレ詐欺」の場合は、詐欺グループからの様々な情報を一方的に聞かされることで、被害者は相手の言うことを次第に信じるようになります。

『永遠の0(ゼロ)』でも姉の慶子と「ぼく」は、「聞き取り」による取材という制約を与えられているために、相手から非難されてもきちんとした反論ができないし、読者もそのような関係を不自然だとは感じないような構造になっているのです。

たとえば、すでに見たように戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で祖父の宮部久蔵と一緒だった長谷川は、開口一番に久蔵のことを「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」と決めつけ、さらに「奴はいつも逃げ回っていた。勝つことよりも己の命が助かることが奴の一番の望みだった」と語ります。

それに対して、「命が大切というのは、自然な感情だと思いますが?」と慶子が言うと長谷川は「それは女の感情だ」と決めつけ、それはね、お嬢さん。平和な時代の考え方だよ」と続け、「みんながそういう考え方であれば、戦争なんか起きないと思います」という慶子の反論に対しては、有無を言わせぬようにこう断言しているのです。

「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう…中略…だが誰も戦争をなくせない。今ここで戦争が必要悪であるかどうかをあんたと議論しても無意味だ。」(太字引用者)。

「文学作品」では作者の思想や感性が何人かの登場人物に分与されていることが多いのですが、語り手としての「ぼく」だけでなく、長谷川にも作者の思想や感性は与えられているといえるでしょう。

*   *

「特攻」という大きなテーマの本を出版するならば、祖父が「命が大切」と語っていたことを知った後で慶子は、取材の範囲を広げるべきだったと思えます。

たとえば、海軍特攻隊隊長だった作家の島尾敏雄氏は、自分たちの水上特攻兵器がアメリカ軍からは「自殺艇」と呼ばれていたことを紹介しつつも、「私は無理な姿勢でせい一ぱい自殺艇の光栄ある乗組員であろうとする義務に忠実であった」と記し、「我々のその行為によって戦局が好転するとも考えられなかったが、それでも誰に対してしたか分からぬ約束を義理堅く大事にしていたのだ」と書いているのです(『出孤島記』)。

このような思いは、島尾氏と対談した若き司馬遼太郎氏にとっても同じだったでしょう。なぜならば、彼は自分が戦車兵として徴兵された時のことについてこう書いているのです。

「私の小さな通知書には『戦車手』と書かれていた。Aはその紙片をじっと見つめていたが、やがて、『戦車なら死ぬなぁ、百パーセントあかんなぁ』と気の毒そうにいって、顔をあげた」(「石鳥居の垢」『歴史と視点』)。

司馬氏は彼と同じ「世代の学生あがりの飛行機乗りの多くは沖縄戦での特攻で死んだ」と記していましたが(「那覇・糸満」)、特攻かそうでないかの違いはあるものの、戦車兵に要求されていたのも特攻的な精神だったのです。

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』第3章「文明」と「野蛮」の考察――『沖縄・先島への道』より、ですます体に変えて引用)

*   *

若き司馬氏は、満州に「夢と希望」をたくしていた多くの日本人を守るために自分たちは戦うのだという思いで勇気を奮い立たせていたのですが、「本土決戦」のために彼らをほとんど無防備のままに残して戦車隊が本土に引き上げるという決定を聞いたときに深い悲哀を感じていました。

実際、日本の軍隊が「本土防衛」のために引き上げたあとで、広田弘毅内閣の際に決定された「国策」に従って移民として送られていた約155万人の日本人はたいへんな困難と遭遇しました。

満州での一般人の死者は20万人を超えたのですが、開拓関係者とその家族の死者は9万人に近く、その内の1万人ほどが「婦女子や年寄りの自決」でしたが、それは「男たちが対ソ連の戦闘要員として根こそぎ召集されたためだったのです(坂本龍彦『集団自決 棄てられた満州開拓民』岩波書店、2000年)。

祖国に残された妻や娘のことを考えて「命が大切」と語っていた祖父の汚名を晴らすためにも、戦争を取材するジャーナリストとして慶子は、広田弘毅内閣の際に決定された「国策」や、青少年に「白蟻」の勇敢さを強要した徳富蘇峰の思想が招いた結果を、長谷川に伝えねばならなかったと思えます。

しかし、『永遠の0(ゼロ)』という小説では、「対話」や「議論」が封じられているだけではなく、取材の範囲も祖父の関係者への「聞き取り」という形で制限されているために、満州に視野が及ぶことはないのです。(続く)

 

〈子や孫を 白蟻とさせるな わが世代〉

%e7%99%bd%e8%9f%bb(イエシロアリ、図版は「ウィキペディア」より)

昨日、若者に向けたスローガン風のメッセージをアップしました。

一方、「特定秘密保護法」が正規式に施行される以前の11月末に「法律事務所員などを名乗る複数の男から『あなたは国家秘密を漏らした。法律違反で警察に拘束される。金を出せば何事もなかったようにする』などと電話で脅された女性が、2500万円をだまし取られたという事件が発生していました(「東京新聞」、11月23日)。

私もすでに年金をもらう年齢になりましたが、同世代の中には成人に達した孫がいる人もいます。それゆえ、子や孫たちの世代を戦前のような悲惨な目に遭わせないためにも、〈「オレ、オレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』〉のシリーズをもう少し続けることで、被害者の数が増えないようにしたいと思います。

少し大げさに言えば、それが司馬遼太郎氏の作品から比較文明学的な視野の重要性を学んだ研究者としての私の責務だと考えています。

*   *

第一次世界大戦中の1916年に発行された『大正の青年と帝国の前途』で若者たちに「白蟻」の勇気をまねるように諭した徳富蘇峰は、敗色が濃厚となった1945年には「尊皇攘夷」を主張した「神風連の乱」を高く評価していしました。

このことを思い起こすならば、平成の若者を子や孫に持つ世代は、戦前の価値観や旧日本軍の「徹底した人命軽視の思想」を受け継いでおり、十分な議論もなく「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を閣議決定した安倍政権にNOを突きつけねばならないでしょう。

(2017年1月7日、図版と蘇峰の文章を追加)

「集団的自衛権」と『永遠の0(ゼロ)』

「集団的自衛権」を閣議決定した安倍首相は、百田氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)に収められた対談で、映画《永遠の0(ゼロ)》について次のように語っていました。

百田氏:映画が公開されて大ヒットしたら、どうせまた中国や韓国が『右翼映画』だとかなんとか言ってイチャモンつけてくると思います。

安倍首相:本をきちんと読めば、そのような印象を受けることはないと思いますね。

*   *

しかし、映画《永遠の0(ゼロ)》について「ウィキペディア」で調べたところ、中国や韓国だけでなくアメリカからも厳しい批判が出ていたことが分かりました。

〈アメリカ海軍の関連団体アメリカ海軍協会(英語版)は、2014年4月14日付の記事「Through Japanese Eyes: World War II in Japanese Cinema(日本人の目に映る『映画の中の第二次世界大戦』)」の中で本作の好評を危険視し、最近の日本の戦争映画について「戦争の起因を説明せず、日本を侵略者ではなく被害者として描写する」「修正主義であり、戦争犯罪によって処刑される日本のリーダーを、キリストのような殉教者だと主張している」と批判した。〉

*   *

百田氏の原作に基づくこの映画がこのように厳しい糾弾を受けるようになることは、「9.11同時多発テロ」に対するブッシュ政権の反応を考えれば、たやすく予想できたはずなのです。

これについても、拙著よりその箇所を引用しておきます。

「同時多発テロ」が発生した時も、アメリカの幾つかの報道機関では「自爆テロ」の問題を、日本軍による真珠湾の奇襲攻撃や「神風特攻隊」と重ねて論じ、日米開戦日前日の一二月六日にはラムズフェルド国防長官が「明日は二〇〇〇人以上の米国人が殺された急襲記念日だ」と発言し、「対テロ戦を行う上で、あの教訓を思い出すのは正しい」と強調した。

このような政府首脳の発言もあり、新聞も「タリバーンは旧日本軍と同じ狂信集団。核兵器の使用を我慢しなければならない理由は何もない」などという論評を相次いで載せ、「世論調査会社が調べると、五四パーセントが『対テロ戦争に核兵器は有効』と答えた」のである*26。

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)

4877039090

*   *

繰り返すことになりますが、安倍政権は「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」の危険性を隠したままで選挙に踏み切りました。

近隣諸国だけでなくアメリカとの関係も悪化させる可能性が高い危険な書物『永遠の0(ゼロ)』を絶賛している安倍首相が率いる政権には選挙でNOと言わねばなりません。

 

〈白票と 棄権は危険な 白旗だ〉

毎回、選挙前には抗議の意を込めて「白票」をという呼びかけや、自分の選びたい候補がいないなら「棄権」しようと呼びかける動きがあるようです。

しかし、投票率が低いと選挙がやり直しになる制度を持つ国ならば有効かもしれませんが、日本では「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を閣議で決めた政権への白紙委任状になります。

学徒動員で戦車兵となった作家の司馬遼太郎氏は、自衛隊の海外への派遣には強く反対して、「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」と記していました(『歴史の中の日本』)。

*   *   *

亡くなられた元俳優の菅原文太氏に続いて俳優の宝田明氏が、3日夕方に放送されたNHKの「ゆうどき」で、幼少時代に旧満州でソ連侵攻を体験し、命からがら引き揚げてきた悲惨な過去を振り返りつつ、「人間の起こす最も大きな罪は戦争」「戦争を起こしてはいけないというメッセージを発信し続けたい」と戦争反対を主張したとの記事が7日付けの「日刊ゲンダイ」に載っています。

リンク→「間違った選択すれば戦争」…宝田明氏の発言にNHK大慌て /日刊ゲンダイ‎ – 19 時間前/故・菅原文太氏に続き、芸能界の大物がまた「反安倍」の狼煙を上げた――と話題になっている/

映画《ゴジラ》(監督:本多猪四郎、1954年)で重要な役を演じていた宝田明氏は、噛み締めるように「無辜の民が無残に殺されることがあってはいけない。間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうでない方向の人を選ぶ(べき)……」と訴えたとのことです。