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司馬遼太郎

NHK新会長の発言と報道の危機――司馬遼太郎氏の報道観をとおして

 

私は1994年4月から1年間、1876年創設という古い伝統を持つイギリス・ブリストル大学で、ロシアと日本の近代化の比較をテーマとして研究する機会を与えられました。そのことが私のドストエフスキー研究に大きな意味を持っていることはすでに書きました。

このときのイギリスでの滞在はロシア文学の研究だけでなく、植民地の問題やアヘン戦争などイギリスの近代化の問題の考察の面でも大きな意味がありましたが、それ以外にも自然保護を行うナショナルトラスト運動やイギリスにおける公共放送の役割の認識も深めることができました。

たとえば、BBCやITNといったテレビ局のニュースの解説者にアフリカ系の黒い肌の人がいたりして、民族問題に対する姿勢を感じたりもしました。これは過去に植民地を持っていたイギリスや民族問題をつねに抱えているアメリカなどでは常識なのでしょうが、新鮮な驚きでした。

また、公共放送としても、NHKと比較すると報道も国際情勢を広い視点からなるべく客観的に伝えようとしていることにも強い共感を覚え、戦前や戦中の日本における報道のあり方が自国中心主義であったことを鋭く批判していた作家の司馬遼太郎氏の言葉を改めて思い出してもいました。

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すでに多くの新聞が報じていますが、NHKの籾井(もみい)勝人会長は25日の会見で、日本の戦時中の行動や植民地支配に対する反省が感じられないような発言を繰り返し、その後「就任の記者会見という場で私的な考えを発言したのは間違いだった。私の不徳の致すところです。不適当だったと思う」と反省の弁を述べたとのことです。

しかし、公共放送のトップが私的な見解とはいえ、会見でこのような発言をすることは、報道機関のトップとしての資質に欠けると言わねばならないでしょう。

ここでは「報道」根幹に関わる「特定秘密保護法」についての発言を大きく取り上げた「東京新聞」の本日付の社説の一部を引用しておきます。

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籾井氏は、NHKが従うべき放送法第一条の「目的」に掲げられた「不偏不党」の意味を取り違えてはいないか。例えば、昨年暮れの臨時国会で与党が強行可決した特定秘密保護法である。

籾井氏は就任会見で「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と述べた。

 同法は、防衛・外交など特段の秘匿が必要とされる「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す内容だが、法律の乱用や人権侵害の可能性が懸念されている。

にもかかわらず「昔の(治安維持法の)ようになるとは考えにくい」と言い張るのは、一方的な見解の押し付けにほかならない。

秘密保護法を推進した安倍晋三首相側への明らかなすり寄りで、もはや不偏不党とはいえない。

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原発事故の大きさを隠蔽していると思えるような報道からは政権との癒着が疑われるような感じを強く受けていましたが、今回の会見からはNHKが自立した公共放送の資格を放棄した観すらあります。

最近はNHKのニュース番組や報道番組をあまり見なくなっているので、詳しい状況を分析することはできませんが、本日付けの「沖縄タイムス」には新会長の発言に関連して次のような社説が載っていました。

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24日夜に放送されたNHKスペシャル「返還合意から18年 いま“普天間”を問う」は、政府の広報番組のような内容だった。

小野寺五典防衛大臣の言い分をえんえんと流すだけ。名護市長選の意味を問い直すこともなく、辺野古移設反対の民意を丁寧に伝えることもなかった。

NHKの内部で何が起きているのか。受信料を徴収している以上、説明責任を果たすことが不可欠である。

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このブログでも書いたように司馬氏の原作を元にしたスペシャルドラマ《坂の上の雲》が、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の人々を美しく描き出した大河ドラマ《龍馬伝》を挟んで放映されたことは、イデオロギーの危険性を指摘していた司馬氏の意向に反していたばかりでなく、日本のナショナリズムを煽ることになり、選挙結果にも大きく影響したと考えています(ブログ記事〈改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」〉参照)。

そればかりではなく、近隣の国々のナショナリズムをも煽り建てることになり、東アジアの緊張を高める結果になったと思えます。

「国家」の名の下に「国民」に「沈黙」と「犠牲」を強いて「亡国への坂」をころがった「昭和初期の日本」の問題点を鋭く指摘した司馬氏の考察は、ブログ記事「司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性」で紹介していましたが、現在の日本はその時と非常に似てきていると思えますので、再掲しておきます。

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ロシア帝国の高級官僚たちとの類似を意識しながら司馬は、日露戦争のあとで「教育機関と試験制度による人間が、あらゆる分野を占めた」が、「官僚であれ軍人であれ」、「それぞれのヒエラルキーの上層を占めるべく約束されていた」彼らは、「かつて培われたものから切り離されたひとびとで」あり、「わが身ひとつの出世ということが軸になっていた」とした。

そして、「かれらは、自分たちが愛国者だと思っていた。さらには、愛国というものは、国家を他国に対し、狡猾に立ちまわらせるものだと信じていた」とし、「とくに軍人がそうだった」とした後で司馬は、「それを支持したり、煽動したりする言論人の場合も、そうだった」と続けたのである(「あとがき」『ロシアについて』、文春文庫)。

 このような考察を踏まえて司馬はこう記すのである。「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」。

 さらに晩年の『風塵抄』で司馬は、「昭和の不幸は、政党・議会の堕落腐敗からはじまったといっていい」と書き、「健全財政の守り手たちはつぎつぎに右翼テロによって狙撃された。昭和五年には浜口雄幸首相、同七年には犬養毅首相、同十一年には大蔵大臣高橋是清が殺された」と記し、「あとは、軍閥という虚喝集団が支配する世になり、日本は亡国への坂をころがる」と結んだ(『風塵抄』Ⅱ、中公文庫)。

《かぐや姫の物語》考Ⅱ――「殿上人」たちの「罪と罰」

 

ブログ記事「《かぐや姫の物語》考Ⅰ」に書いたように、高畑勲監督のアニメ映画《かぐや姫の物語》は、竹から生まれた「かぐや姫」が美しい乙女となり五人の公達や「帝」から求婚されながら、それを断って月に帰って行くという原作のSF的な筋を忠実に活かしながら、日本最古の物語を現代に甦えらせていました。

ただ、「かぐや姫の罪と罰」というこの映画のキャッチフレーズにひかれて見たこともあり、『罪と罰』のとの関連では今ひとつ物足りない面もありました。なぜならば、レフ・クリジャーノフ監督の映画《罪と罰》でもラスコーリニコフが殺した老婆たちの血で「大地を汚した」ことの「罪」を批判するソーニャの次のような言葉もきちんと描かれていたからです。

「いますぐ行って、まず、あなたが汚した大地に接吻なさい。それから全世界に、東西南北に向かって頭を下げ、皆に聞こえるようにこう言うの。『私が殺しました!』 そうすれば、神さまはあなたに再び生命を授けてくださる」(第5部第4節)。

また、ドストエフスキーには夢の中で他の惑星に行くというSF的な短編小説『おかしな男の夢』もあります。

それゆえ、「かぐや姫の罪と罰」というキャッチフレーズを持つこのアニメ映画でも福島第一原子力発電所の事故で明らかになったような環境汚染の問題が、「月」からの視線で描かれているのかもしれないとの期待を密かに抱いていたのです。

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結果的にいうとそれは過大すぎる期待でしたが、「かぐや姫の罪と罰」こそ描かれてはいないものの、庶民たちから集めた税で優雅に暮らしながらもその問題には気づかない「殿上人」たちの「罪と罰」は、きちんと描かれているという感想を持ちました。

先日のブログ記事では 『竜馬がゆく』における「かぐや姫」のテーマに言及しましたが、司馬氏は『竹取物語』が書かれたと思われる平安時代の頃の制度を鎌倉幕府の成立との関係をとおして,明治維新後の日本における「公」という理念の問題点を鋭く指摘していたのです。ここでは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』 (人文書館、2009年、120頁)からその箇所を引用しておきます。

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司馬は武士が「その家系を誇示する」時代にあって、竜馬に自分は「長岡藩才谷村の開墾百姓の子孫じゃ。土地をふやし金をふやし、郷士の株を買った。働き者の子孫よ」とも語らせているのである(四・「片袖」)。

ここで竜馬が自分を「開墾百姓の子孫」と認識していることの意味はきわめて重いと思われる。なぜならば、「公地公民」という用語の「公とは明治以後の西洋輸入の概念の社会ということではなく、『公家(くげ)』という概念に即した公」であったことを明らかにした司馬が、鎌倉幕府成立の歴史的な意義を高く評価しているからである(『信州佐久平みち、潟のみちほか』『街道をゆく』第9巻、朝日文庫)。

すなわち、司馬によれば「公地公民」とは、「具体的には京の公家(天皇とその血族官僚)が、『公田』に『公民』を縛りつけ、収穫を国衙経由で京へ送らせることによって成立していた制度」だったのである。そして、このような境遇をきらい「関東などに流れて原野をひらき、農場主になった」者たちが、「自分たちの土地所有の権利を安定」させるために頼朝を押し立てて成立させたのが鎌倉幕府だったのである。

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それゆえ、『坂の上の雲』において農民が自立していた日本と「農奴」とされてしまっていたロシアの農民の状態を比較しながら、戦争の帰趨についても論じて司馬遼太郎氏は、「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた」と指摘したのです。

そして「大地」の重要性をよく知っていた司馬氏は、「土地バブル」の頃には、「大地」が「投機の対象」とされたために、「日本人そのものが身のおきどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっている」ことも指摘していました。

さらに、明治以降の日本において「義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったことに注意を促した司馬氏は、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです(『甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』、『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)。

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実際、司馬氏が若い頃には「俺も行くから 君も行け/ 狭い日本にゃ 住み飽いた」という「馬賊の唄」が流行り、「王道楽土の建設」との美しいスローガンによって多くの若者たちが満州に渡ったが、1931年の満州事変から始まった一連の戦争では日本人だけでも300万人を超える死者を出すことになったのです。

同じように「原子力の平和利用」という美しいスローガンのもとに、推進派の学者や政治家、高級官僚がお墨付きを出して「絶対に安全である」と原子力産業の育成につとめてきた戦後の日本でも「大自然の力」を軽視していたために2011年にはチェルノブイリ原発事故にも匹敵する福島第一原子力発電所の大事故を産み出したのです。

それにもかかわらず、「積極的平和政策」という不思議なスローガンを掲げて、軍備の増強を進める安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、今も解決されていない福島第一原子力発電所の危険性から国民の眼をそらし、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出などに躍起になっているように見えます。

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日本の庶民が持っていた自然観をとおして、「タケノコ」と呼ばれていた頃からの「かぐや姫」の成長を丁寧に描き出すとともに、「天」をも恐れぬ「殿上人」の傲慢さをも描き出して日本最古の物語を現代に甦えらせたアニメ映画《かぐや姫の物語》は、現代の「大臣(おおおみ)」たちの「罪」をも見事に浮き彫りにしているといえるでしょう。

名作《となりのトトロ》と同じように、時の経過とともにこの作品の評価も高まっていくものと思われます。

 

《かぐや姫の物語》考Ⅰ――「かぐや姫」と 『竜馬がゆく』

 

ブログ記事「新しい「風」を立ち上げよう(2014年1月1日)」では 前評判通りに水彩画を元にした繊細できれいなタッチで描かれていた高畑勲監督の映画《かぐや姫の物語》にも簡単に言及していましたが、この映画は日本の誰もが知っている『竹取物語』をとおして、身近な地域の環境問題を狸の視点から描いた《平成狸合戦ぽんぽこ》(1994年)のように地球環境に対する高畑勲監督の強い思いが反映されている作品でした。

今回はまず司馬遼太郎氏の 『竜馬がゆく』における「かぐや姫」のエピソードをとおして、日本の庶民が持っていた自然観をとおして当時の「殿上人」の価値観を痛烈に批判していた日本最古の物語が持つ世界観の広がりと現代性を考えてみたいと思います。

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長編小説『竜馬がゆく』は、師・勝海舟との出会いで世界的な視野を得て日本の改革をめざし、「歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」土佐の郷士の息子・坂本龍馬(以下、竜馬と記す)の生涯を壮大な構想力で描き出していました。

ことに厳しい身分制度に苦しんでいた土佐の郷士と上士との対立を描いた前半や、薩長同盟を成立させたあとで、その司馬氏が「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断固として規定したもの」と高く評価した「第二策」を含む「船中八策」を書き上げてから暗殺されるまでを描いた後半は圧巻ともいえる迫力で読者を引きつけます。

『竜馬がゆく』においては桂浜の描写だけでなく、江戸に出る途中で上士の娘・お田鶴と相宿となった際には、郷士のせがれの竜馬が堅苦しさを嫌って宿をでて浜で空と海を見ながら野宿する場面などが秀逸で、そのお田鶴様と竜馬の恋愛がこの長編小説の前半を彩っています。しかも興味深いのは、司馬氏が「お田鶴さまはかぐや姫のように美しい」という伝説が城下にあったと記していることです(拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年参照)。

「かぐや姫」への言及は、「世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず」と描かれ、さらに「そのような時から、女に求婚することを『よばひ』と言うようになった」と書かれていたことを思い起こさせます。

司馬氏はこのことも踏まえて 書いていたようで、竜馬が家老の妹・お田鶴の部屋に忍んで行こうとしたことを「土佐では若者の夜這いというのはふつうになっていたが、家老屋敷に夜這いにでかける例は、ちょっとなかろう」と簡単に記しています」(「一・「寅の大変」)。

現代の感覚からすると「夜這い」という言葉は少し野卑な感じがしますが、『ウィキペディア』には「『夜這い』の語は本来結婚を求める「呼ぶ」に由来する言葉とされている」との注が付けられています。そして、司馬氏も淡路島に生まれた高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』では、南方の風俗の影響を強く残しているこの「夜這い」という風俗について、「娘のもとに若者が通ってきて、やがて妊ると自然に夫婦になるのである。若者が単数であることのほうがむしろめずらしい」としながらも、娘が「妊ったときは、その子の父となる者に対する指名権は娘がもつ」と詳しく説明しているのです(一・「妻問い」)。

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 『竜馬がゆく』では実在の歴史的人物をモデルに描かれていることはよく知られていますが、「竹取物語」に登場する「好色の」右大臣安倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂などは672年に起きた壬申の乱で功績をあげた実在の人物であり、石作皇子は宣化天皇の四世孫で「石作」氏と同族だった多治比嶋が、もっとも否定的に描かれている車持皇子は、母の姓が「車持」である藤原不比等がモデルになっている可能性が高いとされています(『ウィキペディア』)。

一方、 『竜馬がゆく』で土佐には武家町家をとわず城下の女たちが「着かざって社寺へ物詣に出かけたり、親戚知人の家にあそびに行ったりして、一日、あそび暮らす」という「女正月」の日があることを紹介して、この日に家老の妹お田鶴が江戸の話を聞きたいと福岡家の預郷士である坂本家を不意に訪れたことを記した司馬氏は、「楽しい話だと竜馬の心のなかまで洗われるような笑顔でころころと笑って」くれたお田鶴さまが、「時候のあいさつでもするようなさりげなさで」にこにこしながら、当時は「大公儀」とされていた幕府を、「みなさんで倒しておしまいになれば?」と問いかけたとし、自分は病弱なので結婚をする気持ちはないが、「仮にお嫁にゆくとすれば、坂本さまに貰っていただきたいと思いました」と明かした彼女が、「あす、戌の下刻(夜九時)屋敷の裏木戸をあけておきますから、忍んでいらっしゃいません?」と語ったと続けているのです。

しかも、司馬氏はお田鶴さまは、会話の際に「話ながら膝の上で小さな折り紙を折っていた」お田鶴が帰り際に竜馬に渡したのは、折り紙の船であったと書いています。 身分の違いから叶うことのない恋の形見のように、お田鶴が船好きの竜馬に折り紙の小さな船を織って渡すというこの場面も印象的なシ-ンですが、後に伝奇小説の『風の武士』を読んだ時には、この船と「かぐや姫」の物語がより印象的に用いられていたことを知りました。

このように見てくるとき「お田鶴さま」の章で、「あの桂浜の月を追って果てしもなく船出してゆくと、どこへゆくンじゃろ」と「子供っぽいこと」を考えていた竜馬の視線もまた遠い異国だけでなく、日本の遠い過去にも向けられていたと言えるかもしれません。

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福島第一原子力発電所の大事故はチェルノブイリ原発事故に匹敵するものといわれてきましたが、チェルノブイリでは「石棺」によって放射能の流出は止まったのですが、フクシマからはいまも汚染水の流出は止まらず、日本の大地や海を汚し続けています。

そのようななかで現代の「殿上人」ともいうべき安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出に躍起になっているように見えます。

高畑勲監督のアニメ映画《かぐや姫の物語》は、竹から生まれた「かぐや姫」が美しい乙女となり五人の公達や「帝」から求婚されながら、それを断って月に帰って行くという原作の筋を忠実に活かしつつも、子供のころからの「かぐや姫」の成長を丁寧に描くことで、日本最古の物語を現代に甦えらせているといえるでしょう。

 

新しい「風」を立ち上げよう(2014年1月1日)

謹賀新年

本年もよろしくお願いします。

 

昨年は原発の輸出だけでなく弾薬の譲渡、さらには「特定秘密保護法」の強行採決などたくさんの危険な出来事が続きましたが、今年はなんとかよい年にしたいものです。

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気分を変えるために大晦日に、高畑勲監督の映画《かぐや姫の物語》を妻と見てきました。

日本最古の物語を題材にしたこのアニメ映画では、現代の「殿上人」ともいえる大臣や高級官僚が忘れてしまった昔からの日本の自然観がきちんと描かれており、この映画にも「風が吹いている」と感じて新たな気持ちで年を越えることができました。

このブログでも《風立ちぬ》の感想とともに、この映画についても記していきたいと思っています。

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正岡子規は立身出世の道が開かれている東京帝国大学卒業を断念して、日本の言語や文化に根ざした俳句を詳しく調べ直し、俳句の「日本の古い短詩型に新風を入てその中興の祖」になりました(「春や昔」『坂の上の雲』第1巻、文春文庫)。

今年こそは司馬遼太郎氏が敬愛した正岡子規に焦点をあてて『坂の上の雲』を読み解く著書を発行したいと考えています。

高校や大学の頃には小説や詩を書いていましたので、今回は子規の心意気に感じて初心に戻り、拙いながらも一句披露します。

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新春に核廃絶の「風立ちぬ」

 

 

「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで

「特定秘密保護法案」が不意に法案として提出されたときにまず浮かんだのは、司馬遼太郎氏がご存命だったら、厳しい批判のエッセーを多くの新聞や雑誌に発表して頂けただろうという思いでした。

しかし、司馬氏はすでに鬼籍に入られており、司馬氏の深い理解者だった作家の井上ひさし氏、ジャーナリストの青木彰氏、さらに文明学者の梅棹忠夫氏なども亡くなられていました。

こうして、多くの不備があるにもかかわらず、唐突に提出されたこの法案は、きちんとした批判が新聞や雑誌で行われず、国会での十分な議論も行われる前に強行採決されたのです。

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この「特定秘密保護法」が成立したとの報に接した時には、強い怒りを感じるとともに、司馬氏がこの「無残」ともいえる議会の状況を眼にされなくてよかったとも感じました。

なぜならば、司馬氏は『世に棲む日日』(文春文庫)において、当時は狂介と名乗っていた山県有朋が相手を油断させてたうえで「夜襲」をしかけたことを、武士ではなく足軽の発想であると厳しく断罪していたからです。

司馬氏の重い感慨を代弁していると思えるような半藤一利氏の記事「転換点 いま大事なとき」が、18日の「朝日新聞」に掲載されましたので、司馬氏の言葉とともに紹介して起きます。

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「この国はどこに向かおうとしているのでしょう。個人情報保護法だけでも参っていたのですが、特定秘密保護法ができた。絶望的な気分です。個人情報保護法で何が起きたか。軍人のメモや日記を調べに防衛省防衛研究所を訪ねても、「個人情報」にかこつけて見せてくれなくなった。」

歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。」

 「自民党の憲法改正草案には『公益および公の秩序』という文言が随所に出てきます。『公益』『公の秩序』はいくらでも拡大解釈ができる。この文言が大手をふるって躍り出てくることが、戦前もそうでしたが、歴史の一番おっかないところです。」

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 このような「悪法」を国民の強い反対にもかかわらず強行採決した安倍政権の支持率が今も高いのは、「アベノミクス」と名付けられた「バブル」を煽るような経済政策による一時的な好景気(感)に支えられたものだと思われますが、経済を優先させて日本人の倫理観を喪失させた「バブル」経済にもっとも厳しかった「有識者」の一人が司馬遼太郎氏でした。

「大地」の重要性をよく知っていた司馬氏は、「土地バブル」の頃には、「大地」が「投機の対象」とされたために、「日本人そのものが身のおきどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっている」ことを「明石海峡と淡路みち」(『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)で指摘していたのです。

しかも戦前や戦中の日本における「公」の問題も考察していた司馬氏は、「正しい意味での公」という「倫理」の必要性を次のように記していたのです。

すなわち、司馬氏は「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったとしました。そして司馬氏は、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。

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 半藤氏は「この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います」と結んでいます(「朝日新聞」12月18日、38面)。

私も司馬遼太郎の研究者として新聞記者・正岡子規の気概を受け継ぎつつ、これからもこのホームページをとおして21世紀の新しい文明の形を考察し、それを発信していきたいと考えています。

最後に、ブログのタイトル「風と大地と」の由来を説明している記事のリンク先を記しておきます。

アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』(ブログ)7月20日

「大地主義」と地球環境8月1日

「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

先に掲載したブログ記事では、「グローバリゼーション」の流れに追随した安倍政権の教育政策が、「欧化と国粋」の二極化という危険性を孕んでいることを指摘しました。

そのような指摘は「言語とアイデンティティ」の重要性を認識して、「語学力」を重視し「読解力」を軽視した明治以降の言語教育の問題を指摘した司馬遼太郎氏のつぎのような記述に基づいています。敬称を略した形で引用します。

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司馬は、「言語の基本(つまり文明と文化の基本。あるいは人間であることの基本)は」、「母親によって最初に大脳に植えこまれた」「国語なのである」として、幼児期からの母国語によるきちんとした言語教育の重要性を強調している(司馬遼太郎「なによりもまず国語」『一六の話』中公文庫)。

さらに司馬は、その頃すでに持ち上がっていた「日本人は英語がへただから、多くを語らず、主張もひかえ目にする」という論理に対して、「そういうことはありえない。国語がへたなのである。英語なんて通訳を通せばなんでもない。いかに英語の達人が通訳してくれても、スピーカーの側での日本語としての国語力が貧困(多くの日本人がそうである)では、訳しようもない」と鋭い批判を放っているのである。

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2002年に国立民族学博物館で行われた比較文明学会での口頭発表にその後の考察を加えて大幅な改訂を行った論文「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「「主な研究(活動)」に掲載しました。

 

「学問の自由」と「特定秘密保護法」――情報公開と国民の主権

 

11月25日の定例記者会見で川勝平太・静岡県知事は、「特定秘密保護法案」について「悪法だ」と述べるとともに、その理由を「国家権力は国民の生活や生命を守るために存在する。権力の源泉は情報。主権は国民にあり、情報を知らなくていいという態度は間違っている」と説明していました。

 その川勝平太・知事が12月12日の定例記者会見でも、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法」について、「情報は誰のものなのかという議論がなく、成立は拙速。(内閣の)支持率が下がったのは健全な国民の判断だ」と改めて批判したことが朝日新聞のデジタル版で伝えられています。

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このような川勝知事の発言につながったのは、「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した「情報を隠蔽」する性質が強いことや、「国権」を強調することで「人権」を押さえつける性質の強いものであることが、成立後にいっそう明らかになってきたからでしょう。

たとえば、11月29日に自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していた自民党の石破茂幹事長は、12月11日の日本記者クラブでの記者会見では、会見後に発言を撤回したものの、特定秘密保護法によって指定される「特定秘密」を報道機関が報道し、安全保障に影響が生じた場合には、記者らが罰せられる可能性があるとの認識を示したのです。

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「東京新聞」5日の一面にはこの「法」に反対する決議や声明を出した団体の「一覧表」が掲載されていましたが、今日の「応答室だより」では、この一覧にもれていた団体や学会から指摘が続いたことが記されています。

川勝平太・静岡県知事は比較文明学会の理事でもありますが、「表現の自由」だけでなく「学問の自由」をも犯す危険性の強いこの「特定秘密保護法」に対する反対の声は、政治的な考えの違いを超えて様々な場からこれからも広めていく必要があるでしょう。

「国家」による「情報の隠蔽」の危険性については、作家の司馬遼太郎氏が何度も語っていましたので、別の機会に稿を改めて記すことにします。

「問い」としての沖縄――『島惑ひ』と『島影』(ともに人文書館)を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

今日、大城貞俊氏の『島影 慶良間や見いゆしが』(人文書館)が届きました。

以前にご贈呈頂いた伊波敏男氏の『島惑ひ 琉球沖縄のこと』(人文書館)と同じように、沖縄の歴史を踏まえつつ、日常的な生活の視点から厳しい状況を描いて書き手の感性が光る作品だと思いました。

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沖縄の問題は、きわめて重く、どのようなを切り口から記せばよいかが分からず、作品についての感想を書くことはこれまで延び延びになってきました。アメリカ軍と戦って勝てる可能性もなくなっていたにも関わらず、日本軍は沖縄を戦場として戦ったことで悲惨な状況を生み出していました。そして、戦後も政府はアメリカ軍の基地を沖縄に押しつけてきたのです。

しかし、伊波敏男氏は「特定秘密保護法」の危険性についてホームページ「かぎやで風」で「国凍てて民唇寒し枯れ落ち葉」と詠んでいますが、12月6日に「特定秘密保護法」が強行採決されたことで、今後は日本全体が急速に「沖縄化」していくことになると思われます。

厳しい状況を耐えつつ、粘り強く新しい価値観の模索をしてきた沖縄のことを知ることは、これからの日本を考える上でもきわめて重要でしょう。

これらの著作についてはいずれきちんと論じたいと考えていますが、今はまだ時間的な余裕がないので「書評・図書紹介」のページでこの二作の目次などの簡単な紹介をすることにします。

それとともに、沖縄の問題を考察した司馬遼太郎氏と「沖縄の石」が重要な役割を演じている映画《白痴》について考察の一部を以下に掲載することで、沖縄問題の重要性に注意を促すことにしたいと思います。

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私が初めて沖縄を訪れたのは比較文明学会第18回大会が行われた2000年のことで、ガマと呼ばれる洞窟などを見学する中でおぼろげながら沖縄戦の激しさの一端を体感することができた。

その翌年に 司馬遼太郎氏の『沖縄・先島への道』(一九七四)を考察する論文を書き、拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)に収めた。

「石垣・竹富島の章で司馬氏は、ペリーの艦隊が沖縄にも「上陸して地質調査をしたところ、石炭が豊富であることがわかったと書いていた。

その記述について、私は 「『沖縄・先島への道』での司馬の視線は、日本の近代化に大きな役割を果たしたペリーの開国交渉が、すでに沖縄の位置の戦略的な重要性を踏まえており、現在の基地の問題にも直結していることを見ていたのである」と記した。ここではその後の司馬氏の文章を引用しておく。                                  

 

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こうして、この作品の冒頭近くにおいて司馬は、「住民のほとんどが家をうしない、約一五万人の県民が死んだ」太平洋戦争時の沖縄戦にふれつつ、「沖縄について物を考えるとき、つねにこのことに至ると、自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲って」くると書いている。

さらに、その頃論じ始められていた沖縄の独立論に触れつつ、「明治後、『日本』になってろくなことがなかったという論旨を進めてゆくと、じつは大阪人も東京人も、佐渡人も、長崎人も広島人もおなじになってしまう。ここ数年間そのことを考えてみたが、圧倒的に同じになり、日本における近代国家とは何かという単一の問題になってしまうように思える」(傍点引用者)という重たい感想を記すのである(『沖縄・先島への道』「那覇・糸満」)。

   この時、司馬遼太郎はトインビーが発した「国民国家」史観の批判の重大さとその意味を実感し、「富国強兵」という名目で「国民」に犠牲を強いた近代的な「国民国家」を超える新しい文明観を模索し始めるのである。

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私の沖縄観が強い影響を受けているのが、映画《白痴》における「沖縄の石」のエピソードである。

映画《白痴》では、まず冒頭のシーンで、戦場から帰還した亀田欽次(ムィシキン――森雅之)が北海道に向かう船の三等室で夜中に悲鳴をあげる。近くにいた赤間伝吉(ロゴージン――三船敏郎)に問われると、自分は復員途中で戦犯として死刑の宣告を受け、銃殺寸前に刑は取りやめになったが、その後何度も発作を起こして沖縄の病院で治療したものの、癲癇性痴呆になり今も夢の中で銃殺される光景を見たのだと説明する。

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 後に、那須妙子をめぐって二人の緊張が高まったころに、赤間が「お守り」を大事に持っていることを知った亀田は自分は「石ころ」大切に持っていると語り、それは死刑の「そのショックで発作を起したって言ったろ……その時、夢中でその石つかんでたのさ」と説明した。

   沖縄が第二次世界大戦でも有数の激戦地となり、軍人だけでなく多くの民間人も殺されていたことを考慮するならば、この映画では激戦地沖縄で拾った「石ころ」が、戦争という悲劇のシンボルとして描かれていたように思える。

 こうして黒澤明は《白痴》において「十字架の交換」のシーンを、「お守り」と「沖縄の石」の交換に代えることで、「殺すなかれ」という理念が、キリスト教だけでなく、仏教や社会主義においても共有される「普遍的な理念」であることを視覚的に示していたのである。

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伊波敏男氏と大城貞俊氏の著作を読んで感じたのは、お二人が詩人としての感性を持った作家だということです。

「図書紹介」では著者の詩を紹介することで書評に代えます。

 

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

私は法律家ではないので具体的な比較はできませんが、「今世紀最大の悪法」と思える「特定秘密保護法」が、十分な審議もなされないまま、審議の過程で修正を重ねるという醜態を示しながらも、これまでの国会での手続きや法案が抱える多くの欠陥を無視して、昨日、強行採決されました。

この事態を受けて、日本新聞協会(会長・白石興二郎読売新聞グループ本社社長)が、「運用次第では憲法が保障する取材、報道の自由が制約されかねず、民主主義の根幹である国民の『知る権利』が損なわれる恐れがある」と指摘する声明を発表しました。

日本ジャーナリスト会議は「法律の廃止と安倍内閣の退陣」を要求し、日本雑誌協会日本書籍出版協会の委員会も「取材・記事作成に重大な障害となることを深く憂慮する。法案の可決成立に断固抗議する」と声明を出しました。

この法律の問題点を早くから指摘していた日本ペンクラブも、「特定秘密保護法案強行採決に抗議する」という声明を出しました。(リンク 日本ペンクラブ声明「特定秘密保護法案強行採決に抗議する」

特定秘密保護法に反対する学者の会」も3181名の学者と746名の賛同者の名前で、右記の「抗議声明」を発表しました(リンクhttp://anti-secrecy-law.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7.html

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一方、安倍政権はこの「特定秘密保護法」が審議されているさなかに、国民の生活や国家の方向性に深く関わる重要な事柄を決めていました。

いくつかの新聞記事によりながら3点ほどを指摘しておきます。まず、5日には「武器輸出を原則として禁ずる武器輸出三原則」を見直して、「武器輸出管理原則を作ること」が決められ、その一方で民主党政権が打ち出していた「2030年代に原発をゼロとする」目標が撤回されました。

さらに、6日の閣議では「特定秘密の廃棄について『秘密の保全上やむを得ない場合、政令などで(公文書管理法に基づく)保存期間前の廃棄を定めることは否定されない』とする答弁書が出されました。

「特定秘密保護法」の強行採決は、原発事故や基地問題などの重要な「情報」を国民に知らせることを妨げ、官僚や権力者には都合の悪い「事実」を破棄する一方で、国民の「言論の自由」を奪うという安倍政権の危険な方向性を具体的に国民の前にさらしたといえるでしょう。

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アニメ映画《風立ちぬ》で示唆され、映画《少年H》で具体的に描かれたような、自分の考えていることも言えない息苦しい時代が、目の前に来ているようにも思われます。

しかし、司馬遼太郎氏が描いていたように、危機の時代に強権的な手法を用いた江戸幕府を倒し、さらに「坂本竜馬」が危惧したような圧倒的な力で他の勢力を抑圧した「薩長連立幕府」にたいして「憲法」の必要性を認めさせた自由民権運動のような輝かしい歴史を日本は持っています。(前回のブログ記事司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」参照)。

これまで政治的な視点で矮小化されてきたと思える長編小説『坂の上の雲』については、「新聞紙条例」から「明治憲法」の発布に至る過程や、自由民権運動と陸羯南の新聞『日本』との関係にも注意を払いながら、新聞記者としての正岡子規に焦点を当てて来春から本格的に再考察したいと考えています。

(2016年2月10日。リンク先を追加)

リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧