原発事故の後も福島県に残ってこどもたちの健康を守るための「放射能測定」などの地道なボランティア活動を行っている吉野裕之氏を招いての研究会が、7月11日に日本ペンクラブの「子どもの本委員会」と「環境委員会」との共催で開催されました。
掲載が遅れてだいぶ以前のことになってしまいましたが、今回の研究会からも多くのことを学びましたので、「主な研究」にその時の報告とその後の経過を踏まえて私の感想を記しておきます。
原発事故の後も福島県に残ってこどもたちの健康を守るための「放射能測定」などの地道なボランティア活動を行っている吉野裕之氏を招いての研究会が、7月11日に日本ペンクラブの「子どもの本委員会」と「環境委員会」との共催で開催されました。
掲載が遅れてだいぶ以前のことになってしまいましたが、今回の研究会からも多くのことを学びましたので、「主な研究」にその時の報告とその後の経過を踏まえて私の感想を記しておきます。
世田谷文学館「友の会」主催の講座「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」を下記のような形で行います。
講義の内容や文献については、「主な研究」を参照してください。
日時: 6月27日(金) 午後2時~4時
場所: 世田谷文学館 2階 講義室
参 加 費:700円
申込締切日:6月16日(月)
5月22日に大飯原発の再稼働差し止め訴訟で、最大の争点だった耐震性の目安となる「基準地震動」について「(炉心溶融に結び付く)一二六〇ガルを超える地震が来ないとの科学的根拠に基づく想定は、本来的に不可能」と判断し、一二六〇ガルを超える地震が起きる危険性が否定できないとした画期的な判決が出ました。
その内容を「東京新聞」の記事によって紹介したあとで、司馬遼太郎氏の記述をとおして日本の司法制度の問題を確認することにします。
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使用済み核燃料の保管状況について「福島原発事故では4号機の使用済み核燃料が危機的状況に陥り、住民の避難計画が検討された」と指摘。関電の「堅固な施設は必要ない」との主張に対し、「国民の安全が何よりも優先との見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しに基づく対応」と断じた。そのうえで「危険性があれば運転差し止めは当然」と指摘。福島事故で検討された住民への避難勧告を根拠に、原告百八十九人のうち二百五十キロ圏内の百六十六人の請求を認めた。
また、生存権と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には許されない」ことで、原発事故で豊かな国土と国民生活が取り戻せなくなることが「国富の喪失」だと指摘。福島事故は「わが国が始まって以来、最大の環境汚染」であり、環境問題を原発推進の根拠とする主張を「甚だしい筋違い」と断じた。
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このような判断は、「地殻変動」によって国土が形成され、いまも大地震が続く日本の地理的な状況からすれば、ごく当然のものと思われます。
しかし、このような判決が「画期的」となってしまう理由を司馬氏は、司法卿・江藤新平を主人公にした長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』などの作品で明らかにしようとしていました。
すなわち、『坂の上の雲』で正岡子規の退寮問題と内務省とのかかわりにふれていた司馬氏は、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通が、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたと記していました(文春文庫、第1巻「征韓論」)。
フランスの民法を取り入れて近代的な司法制度を確立するために、井上馨や山県有朋などの汚職を厳しく取り締まろうとした江藤新平の試みは、「国家」を重視した当時の「薩長独裁政権」によってつぶされていたのです。
こうして、「プロシア風の政体」を取り入れて「国民」ではなく「国家」を重視した日本の司法制度の下では、列車事故などを引き起こした運転手などに対する「責任」は厳しく問う一方で、戦争など「国策」の名のもとに行った指導者に対しては、いかにその被害がおおきくても、その「責任」を問うことがまれとなり、それが後の「昭和別国」へとつながることを、長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』などで強く示唆していました。
原発の再稼働問題だけでなく「特定秘密保護法」や「集団自衛権」などをとおして次第に明らかになってきたのは、 第二次安倍政権が目指しているのは、敗戦によってつぶされた「プロシア風の政体」を「取り戻す」強い意思であるように見えます。
高裁や最高裁の判事が、原発の再稼働問題などでどのような判決をだすのかによって、司法制度の「独立性」が明らかになるでしょう。
日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』を書いた司馬遼太郎氏が、その後で江戸時代におきた日露の戦争の危機を防いだ商人を主人公とした『菜の花の沖』を書いていたことは、あまり知られていないようです。
ナポレオンは1769年にコルシカ島で生まれていましたが、同じ年に淡路島で生まれた商人の高田屋嘉兵衛の言動を生き生きと描いたこの長編小説は、司馬氏のロシア観や文明観を考えるうえでもきわめて重要だと思えます。
『菜の花の沖』については『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』の第4章「『他者』との対話と『文明の共生』」で詳しく考察していましたので、その時代の出来事などを年表Ⅵに追加しました。
そのような司馬氏の視野は、幕末から昭和初期にいたる時代を扱った多くの歴史小説にも反映されていました。
『司馬遼太郎とロシア』(東洋書店、ユーラシア・ブックレット、2010年)では、日露の近代化の比較を行った作品を中心に言及されている時代と作品が書かれた時期の年表を付録資料として添付しました。
誌面の都合上、一部簡略して掲載していたので、作品との関連などを補った形で「年表」のページに掲載します。
自国に敵対する国々を「悪の枢軸国」と名付けたブッシュ大統領が、アフガンだけでなくイラクとの戦争を始めてから世界では強大な軍事力を背景に自国の文明を「中心」とみなすアメリカの「グローバリゼーション」に対する反発が強まり、日本のみならず世界の各地で草の根レベルでのナショナリズムや宗教的な原理主義が広まって、再び乱世の観さえ見せ始めているように見えます。
混迷した時代には、「自尊心」と「他者への復讐」という情念を煽り立てるような発言や歴史観が強い影響力を得るようになりますが、そのような歴史観が二度にわたる世界大戦を招いていたことを考えるならば、現在に必要なのは数千年の諸文明の歴史と国際情勢を踏まえて、理性的な形で問題解決を図るような広い歴史的視野でしょう。
この意味で注目したいのは、しばしば文芸評論家によって大企業の社長や政治家に好まれる小説を書いた作家と矮小化されることの多い司馬遼太郎氏が、日本の戦国時代から江戸時代に至る混乱の時期を描いた『国盗り物語』、『梟の城』、『夏草の賦』、『功名が辻』などの時代小説で、現代にも強く見られる「桃太郎の鬼退治」的な歴史観を鋭く批判していたことです(『司馬遼太郎と時代小説――「風の武士」「梟の城」「国盗り物語」「功名が辻」を読み解く』、のべる出版企画、2006年)。
たとえば、取材でバスク地方を訪れた司馬氏は仏文学者の桑原武夫との対談「東と西の文明の出会い」では、レコンキスタ(再征服運動)と称されるイスラム教徒との戦いで異教徒の財産を没収することも認められたことが、南欧勢力による南米やアフリカなどにおける「略奪経済」や異教徒の弾圧を生み、それが日本のキリシタン禁制などにもつながっていることを明らかにしていました(『対談 東と西』、朝日文芸文庫)。
戦国時代の武将達を描いた司馬氏の時代小説にも、「文明史家」とも呼べるような司馬氏の歴史的な視野が反映されていると思えます。
先ほどアップしたブログでも少しふれましたが、当初は小林秀雄の芥川龍之論と黒澤明の映画《羅生門》との比較は大きなテーマなので、今回は省くつもりでした。
しかし、このテーマを省いてしまうと司馬遼太郎が「歌は事実をよまなければならない」(『坂の上の雲』・「子規庵」)として「写生」の重要性を訴えた子規から漱石を経て、芥川につながる日本文学の流れを踏まえている黒澤と、このような流れを軽視していると思える小林秀雄との違いが見えにくくなってしまうことに気づき、急遽、必要最小限はふれるようにしました。
そのために発行の予定が大幅に延びてしまいましたので、その一部を「主な研究」に抜粋して掲載するとともに、ドストエフスキーの初期の作品と芥川作品との関連についても少し言及しておきます。
昨日は「第五福竜丸」事件から60年に当たる日でしたが、今朝の「東京新聞」も「秘密で終わらせない ビキニ水爆実験60年 解明挑む元教師」との見出しで、元高校教師枝村三郎氏の著作を紹介して「事件は今も未解明な部分が残る」ことを伝えるとともに、この事件と昨年成立した特定秘密保護法との関連にも言及した署名記事を載せています。
「特定秘密保護法」の問題は、福島第一原子力発電所の事故がきちんと収束もしていないなか、なぜ政府がきちんとした議論もないままに「特定秘密保護法」の強行採決をしたのかという問題にも深く関わっていますので、今回はこの記事を抜粋した形で引用しておきます。
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三十年にわたる聞き取り調査で他の船の被ばくを突き止めた、太平洋核実験被災支援センター(高知県)事務局長の山下正寿さん(69)は「第五福竜丸乗組員が他船と連帯できないよう孤立させた」と憤る。
山下さんは最近、国立衛生試験所(現医薬品食品衛生研究所)が、五港での検査が終わった五四年末以降も東京・築地に入荷するマグロなどの肝臓を調べていたことを、試験所の年報で見つけた。五八年十月にも事件当時に近い放射線量を検出した分析結果が出ていた。だが、この報告を基に国が対処した記録はない。
事件当時、広島と長崎に続く核の被害に日本の反核世論は盛り上がったが、「原子力は戦争ではなく平和のために利用するべきだ」とする日米両政府は、ビキニ被ばくの全容を明らかにしようとはしなかった。
外務省は九一年に米国との外交文書を公開したが、文書の機密指定が続いていれば「ビキニ事件は永遠の秘密として闇に葬られていた」と枝村さんは指摘する。
特定秘密保護法の成立で、安全保障上の秘密が拡大解釈されかねない。東京電力福島第一原発事故の全体像をはじめ、解き明かすべき事柄がますます闇の中に埋もれていくのではないか。枝村さんは「民主主義や基本的人権の否定につながる」と危ぶんでいる。
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新聞記者・正岡子規を主人公の一人とした長編小説『坂の上の雲』で司馬遼太郎氏が最も強調していたのは、「事実の隠蔽」が国家を存亡の危機に追いやることでした。
昨日のブログ記事では「第五福竜丸」事件と黒澤映画《生きものの記録》との関わりに触れましたが、福島第一原子力発電所の大事故がなぜ起きたかという「謎」はきちんと解明されねばならないでしょう。
「黒澤明・小林秀雄関連年表」(ドストエフスキー論を中心に)を更新して「年表」のページに掲載しました。
昨年の12月に掲載した年表では、『罪と罰』の「非凡人の理論」の理解とも関わる小林秀雄の1940年の『我が闘争』の書評(1940)や、「英雄を語る」と題して行われた鼎談などには触れていませんでした。
近日中にそれらも含めた年表を作成する予定ですと記していましたが、拙著の執筆に時間がかかり、ようやくそれらも追加することができました。
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この間に、年表など多くの点で依拠させて頂いていた『大系 黒澤明』の編者の浜野保樹氏の訃報が届きました。
黒澤明研究の上で大きな仕事をされた方を失ったという喪失感にも襲われます。心からの哀悼の意を表します。
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文芸評論家の小林秀雄は非常に大きな存在で、仕事は日仏の文学や思想、さらに絵画論や音楽論など多岐に及んでいますが、年表ではドストエフスキー論を中心に拙著の内容と関わる事柄に絞って記載しました。
ただ、例外的に芥川龍之介論にも言及しているのは、小林秀雄の歴史認識のもっとも厳しい批判者の一人と思われる司馬遼太郎氏の小林秀雄観に関わるからです。
この問題も大きなテーマですので、いずれ稿を改めてこのブログでも書くようにしたいと考えています。
「特定秘密保護法」は国会できちんと議論されることなく政府与党によって強行採決されましたが、このことについてNHK新会長は、「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と会見で語りました。
ジャーナリストとしての自覚に欠けたこのような発言からは、国民の不安とナショナリズムを煽ることでこの法案の正当性を主張した政府与党の方針への追従の姿勢が強く感じられ、戦前の日本もこのような認識からずるずると戦争へと引き込まれていったのだろうと痛感しました。
今回は「自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている」瀬戸内寂聴氏への朝日新聞のインタビュー記事を引用し、その後で司馬氏のナショナリズム観を紹介することでこの法律の危険性を示すことにします。
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「朝日新聞」(1月11日)
年内に施行される「特定秘密保護法」に対し、作家の瀬戸内寂聴さん(91)が「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」と批判の声を上げた。10日、朝日新聞のインタビューに答え、自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている。
表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。
首相が集団自衛権の行使容認に意欲を見せ、自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。
戦争に行く人の家族は、表向きかもしれませんが、みんな「うちもやっと、お国のために尽くせる」と喜んでいました。私の家は男がいなかったので、恥ずかしかったぐらいでした。それは、教育によって思い込まされていたからです。
そのうえ、実際は負け戦だったのに、国民には「勝った」とウソが知らされ、本当の情報は隠されていました。ウソの情報をみんなが信じ、提灯(ちょうちん)行列で戦勝を祝っていたのです。
徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。
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長編小説『坂の上の雲』において常に皇帝や上官の意向を気にしながら作戦を立てていたロシア軍と比較することで、自立した精神をもって「国民」と「国家」のために戦った日本の軍人を描いた司馬遼太郎氏は、その終章「雨の坂」では主人公の一人の秋山好古に、厳しい検閲が行われ言論の自由がなかったロシア帝国が滅びる可能性を予言させていました。
そして日露戦争当時のロシア帝国と比較しながら司馬氏は、「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は潰滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)」と指摘していたのです(『この国のかたち』第一巻、文春文庫)。
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司馬氏は明治維新後の「征韓論」が藩閥政治の腐敗から生じた国内の深刻な対立から眼をそらさせるために発生していたことを『翔ぶが如く』(文春文庫)で指摘していました。
現在の日本でも参議院選挙の時と同じように、近隣諸国との軋轢については詳しく報道される一方で、国内で発生し現在も続いている原子炉事故の重大な危険性についての情報は厳しく制限されていると思えます。
今回のNHK会長の発言だけでなく、その発言を問題ないとした菅官房長官の歴史認識からは、戦争中に大本営から発表された「情報」と同じような危険性が強く感じられます。