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「長崎原爆の日」と「集団的自衛権」

 

今年も広島に続いて長崎でも69回目の「原爆の日」が訪れました。この時期に痛感するのは、これほどの残虐な兵器を二度にわたって立て続けに落としたアメリカ軍の「人道的な罪」と、そのことを「道徳」の視点からきちんと問題にしてこなかった歴代の日本政府の無責任さです。                               

昨年の「広島原爆の日」には広島市の松井市長が平和宣言で、核兵器を「絶対悪」と規定するとともに被爆国である日本政府が核不拡散条約(NPT)に賛同しなかったことや、安倍政権が進めているインドとの原子力協定交渉が「核兵器を廃絶する上では障害となりかねません」と指摘しました。

その後、日本政府は核兵器の非人道性を訴える80カ国の共同声明に賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」とする強い糾弾に応えるような形で、昨年の10月に核兵器不使用を宣言する共同声明に署名しました。

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                                                                    残念ながら、核不拡散条約(NPT)への署名は見せかけだけだったようで、安倍政権は一転して、閣議の決定だけで原発の輸出だけでなく、武器の輸出も始めました。さらに「防衛白書」ではそれまでの政府見解を否定して核兵器の使用も視野に入れて核兵器の保持と改良を続けるアメリカとの軍事同盟を強く意識した「集団的自衛権」の正当性を強く主張したのです。

広島の平和式典でも安倍首相は「世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いする」と語りましたが、実質的には「国民の生命や権利」を危うくすると思われる首相の姿勢に対してその後の会合で被爆者団体代表からの「閣議決定の撤回を求める」との切実な要望に対しては沈黙を守ったのです。                   

 9日に長崎市松山町の平和公園で行われた市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での平和宣言で、田上市長は「集団的自衛権の議論を機に、安全保障のあり方が議論されている。『戦争をしない』という平和の原点が揺らいでいるのではないかとの不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている」と述べ、政府にこうした声に真摯に向き合い、耳を傾けるよう求めました。 被爆者代表も「平和の誓い」の中で安倍政権のやり方を「憲法を踏みにじる暴挙」と批判し、次のように述べました。                                        

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                                                               「原爆が もたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。(以下、略)」(「東京新聞」の記事より引用)。

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                                                                 昨年の記事で言及したようにオリバー・ストーン監督は、アメリカによる原爆の投下の正当化を「それは神話、うそだと分かった」と語るとともに、米軍が各国に軍事基地を展開していることも「非常に危ない」と批判していました(『東京新聞』朝刊、2013年8月6日付け)。実際、そのことはブッシュ大統領が行ったアフガンやイラクへの攻撃には全く「大義」や「正義」がなく、そのことが現在の中東情勢やアフガンやイラクの混迷を招いていることからも明らかでしょう。

私自身は中東やイスラムの専門家ではないので、アメリカとの「集団的自衛権」の危険性についてはここでは触れません。 その代わりに「映画・演劇評」で8月6日に放映された映画《ゴジラvsスペースゴジラ》を分析することで、「原爆」や「原発」の危険性が軽視され、「積極的平和」の名の下に堂々と原発や武器を売ることが正当化され、「集団的自衛権」が唱えられるようになった日本の問題の一端に迫りたいと思います。

  リンク先映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

「トップページ」の構成を改正

 

昨日、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が刊行されましたので、「お知らせ」と「著書・共著」の記述を改めました。

また、「トップページ」に掲載されているタイトル数が増えて見にくくなったので、各ページの「タイトル一覧」へのリンクを分かりやすくするとともに、トップページの構成を大幅に変更しました。

「Ⅳ、黒澤明・小林秀雄関連年表」を更新

 【スタンバーグ監督の映画《罪と罰》】などを追加した前回に続いて、「年表」のページにある標記の「Ⅳ、黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)」に新たな項目を追加し、誤記を訂正しました。

なお、前回の更新では【チャップリン監督の《独裁者》】を追加していましたが、それは黒澤映画《夢》がこの映画からも強い影響を受けていると思われるからです。

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 今回の主な追加事項は、1935年に公開された山本嘉次郎監督の映画《坊つちゃん》と1936年に公開された映画《吾輩は猫である》で、これらはまだ見ていないのですが、文芸作品の映画化という視点からも重要だと思えます。 

黒澤明と小林秀雄の芥川龍之介観を比較した際には、映画《羅生門》にも言及していたのでこの映画がグランプリ言及した1951年9月のヴェネツィア国際映画祭においてグランプリを受賞したことも記しました。

また、石原慎太郎の『太陽の季節』がヒットした時期は、原発推進の流れが加速した時期に重なっていました。このこととの関連で1975年に小林秀雄が、都知事選で後に原発推進だけでなく、核武装も唱えることになる石原慎太郎の推薦人となったことを記し、1995年12月には高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウムの漏洩による火災事故があったことも記載しました。

 

「原発の危機と地球倫理」を「主な研究」に掲載

 

5月24日に開催された「地球システム・倫理学会」の研究例会では、「国際社会の信頼を回復するために」と題した村田光平・元駐スイス大使の報告が行われました。                                                            

 研究例会の内容と個人的な感想を「主な研究」のページに記しましたので、ここでは2002年に発行された『原子力と日本病』の内容の一部をまず紹介しておきます(以下、敬称略)。

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 『原子力と日本病』には2002年4月にスイスのバーゼルで行われた核戦争防止のための国際医師団主催のシンポジウム「同時多発テロ後の原子力と民主主義」での発言が収録されています。                         

 そのセッションで議長を務められた村田氏は、

1,「原子力利用は商業的に成り立たない」だけでなく、「原発の輸出などは言語道断」であること。

2,既存の原発に対する国際的な管理の必要性。

3,文明間の対話の必要性。

 以上の3つの重要な課題を指摘し、「我々には二つの選択が残されています。つまり、一つ目は地球の非核化を開始すること、二つ目は破局的な災害により、一つ目の地球の非核化を選ばざるを得なくなることであります」と結んでいました(『原子力と日本病』朝日新聞社、2002年、145~148頁)。

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 残念ながら、「絶対に安全」とされていた福島第一原子力発電所で、チェルノブイリ原発事故と同じレヴェル7の大事故が起き、その事故がまだ完全に収束していないにもかかわらず、日本国内にある危険性には目をつぶって、原発の輸出にむけたトップ・セールスが行われています。 

 研究例会のポスターには、「世界の安全保障問題とみなされるに至った福島事故処理に最大限の対応をしていない現状につき国際社会は批判を強めつつある」との重たい言葉が記されていました。                        

 研究例会での「地球倫理」の確立に向けた真摯で説得力ある報告と、活発な質疑応答の一部を「主な研究」に掲載します。                          

 

 

リチャード・ピース名誉教授の追悼文を「主な研究」に掲載

 

昨年の暮れにIDS副会長のリチャード・ピース(Richard Peace)名誉教授が亡くなられました。 

グローバリゼーションの強い圧力下でTPP交渉などが進められている日本では、アメリカの言語さえ習得すればどの国の人々ともきちんと分かり合えるという皮相的な考えが広がっています。そして、米語教育のみに重点が置かれる一方で、それと釣り合いをとるために「愛国主義的な教育」が進められて、急速に日本人は国際的な視野を失ってきているように見えます。

しかし、『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』(リチャード・ピース著、池田和彦訳、のべる出版企画、2006年)の「後書き」にも記しましたが、ロシアだけでなく欧米の文学や近代の歴史や哲学にも造詣が深かったピース教授は、他国を本当に知るためにはその国の言葉や歴史・文化を学ぶことが不可欠なことも深く認識されていました。

『ドストエーフスキイ広場』の第23号に短い追悼文を書きましたので、「主な研究」に掲載します。

 

年表Ⅴ、応仁の乱から徳川幕府の成立までを「年表」のページに掲載しました

リンク→ 「ブログ記事」タイトル一覧

年表Ⅴ、「応仁の乱から徳川幕府の成立まで」を「年表」のページに掲載しました

斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、長宗我部元親、山内一豊などの武将たちを描いた司馬遼太郎氏の作品を論じた拙著司馬遼太郎と時代小説――「風の武士」「梟の城」「国盗り物語」「功名が辻」を読み解く』 (のべる出版企画、2006年)の付録として、関連年表を収録していました。

 司馬氏の視野には日本の戦国時代だけでなく、レコンキスタ以降の植民地の拡大も入っていましたので、ロシアの「動乱の時代」も視野に入れて作成した関連年表の改訂版を「年表」のページに掲載しました。

 標記の年表に関連して、「乱世としての21世紀と「鬼退治史観」の克服」と題した記事をブログに書きました。

「子供の日」に寄せて――司馬遼太郎と「二十一世紀に生きる君たちへ」

5月4日にはブログの記事で「憲法」の重要性について次のように記しました。

「昨日は憲法の意味を国民に説くべき「憲法記念日」でしたが、幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。

他民族への憎しみを煽りたて、「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツの政策がどのような事態を招いたかをきちんと認識するためにも1935年に公開されたスタンバーグ監督の映画《罪と罰》は重要でしょう。」

今日は「子供の日」ですので、司馬氏の歴史観と 「二十一世紀に生きる君たちへ」の意味を確認しておきます。

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司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。

司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。

たとえば、勝海舟から国際情勢を詳しく聞いていた竜馬は、「砲煙のなかで歴史を回転させるべきだ」という中岡慎太郎の方法に対しては強い危惧を、「いまのままの情勢を放置しておけば、日本にもフランスの革命戦争か、アメリカの南北戦争のごときものがおこる。惨禍は百姓町人におよび、婦女小児の死体が路に累積することになろう」と想像したと書いています(五・「船中八策」)。

そのような事態を日本でも起こさないようにと苦慮していた竜馬が思いついたのが「船中八策」であり、司馬氏はその策を聞いて憤慨した亀山社中の若者・中島作太郎(信行)との対話をとおして「時勢の孤児になる」ことを選んだ竜馬の「大勇」を次のように描いています。

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「坂本さん、あなたは孤児になる」という指摘に対して、「覚悟の前さ」と竜馬に答えさせていた司馬は、別れ際に「時勢の孤児になる」と批判したのは言いすぎだったと詫びた中島作太郎に対して、「言いすぎどころか、男子の本懐だろう」と竜馬に夜風のなかで言わせたのである。

そして、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る。」と説明した司馬は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていた(下線引用者、五・「船中八策」)。

司馬が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思える。子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」、「身につけ」た者を司馬は、「日本人」と呼んでいるのである。

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国境を接した国々との軋轢が深まっている現在、子供や孫の世代を再び他国への戦場へと送り出す間違いと悲劇を繰り返さないためにも、時代小説などで戦争を描き続けていた司馬氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章は重要でしょう。 

(5月6日改訂)

「ブログ記事・タイトル一覧」のページにⅤを掲載しました

 

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅴとして、2014年1月14日から4月22日までのブログ記事の題名を「ブログ記事・タイトル一覧」(物件)に掲載しました。

 「ブログ記事」タイトル一覧のⅠ~Ⅳともリンクしました。