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「アベノミクス」の詐欺性(3)――公的年金運用の「ハイリスク」の隠蔽

2014年11月25日に書いた「株価と年金」というブログ記事では、安倍内閣が価対策として、「127兆円規模の公的年金を運用する世界最大級の機関投資家である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」に、「年金の運用額を引き上げるという改革案」を打ち出させたことに対しては、当初から厳しい批判があったことを紹介していました。

すなわち、松井克明氏は「GPIF改革が年金を破壊? 巨額損失の危険も 株価対策に年金を利用という愚策」という題名の記事(『Business Journal』7月2日)を、前GPIF運用委員の小幡績慶氏は「寄稿 GPIF改革四つの誤り 政治介入で運用は崩壊する」という記事(「週刊ダイヤモンド」ダイヤモンド社/6月21日号)を書いていたのです。

こうして、「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、年金の運用額を引き上げるという改革案を打ち出したこと」に対しては、当初から経済学者から強い批判が出ていました。

しかし、これに対して安倍政権は何らの対策もとらず、国民への説明もしていなかったのですが、2016年1月19日付け「日刊ゲンダイ」(デジタル版)は、6日連続で下落した日経平均株価の異常事態を受けて、16日のTBS「報道特集」でGPIFの損失リスクに対する感想を問われた「アベノミクスの“生みの親”とされる浜田宏一・米エール大名誉教授」が、〈損をするんですよと(国民に)言っておけと、僕はいろんな人に言いました〉が、〈でも(政府側は)それはとてもおっかなくて、そういうことは言えないと〉と語っていたと報じて、次のように結んでいます(朱色は引用者)

〈浜田教授が「ハイリスク・ハイリターン」について国民に説明しろ、と指摘していたにもかかわらず、安倍政権は頬かむりしたワケだ。…中略…国民を愚弄するにもホドがある。〉

*   *   *

「株価と年金」というブログ記事では、〈昔から「素人は相場には手を出すな」という格言がありますが、株の素人の私から見ると現政権全体が「相場師」化している〉ように感じますと批判しました。

それから一年以上が過ぎた現在、状況は一層厳しくなっているように見えます。

安倍首相はこのような事態をむかえても「改憲」に前のめりのようですが、道義的に最初にしなければならないのは、自民党が抱え込んでいる疑惑のある議員の問題や、「ハイリスク」についての説明を果たしてこなかった自分の責任を明らかにすることでしょう。

ことに、「国民の生命や財産」にも深く関わるマイナンバー制度やTPP交渉の責任者である甘利明・内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に、金銭授受の疑惑が浮かんできたことは経済界との癒着が目立つ安倍内閣の体質を物語っており、安倍首相は任命責任を取って一刻も早くに退陣すべきだと思われます。

(2016年1月22日。青字の箇所を訂正、追加。副題を変更)

 

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「自主憲法を日本人の手で作り上げなければいけない」」として、「改憲」を目指す安倍自民党が昨年提出した「戦争法」が、日本政府に軍国化を迫った「第3次アーミテージ・リポート」の内容ときわめて近いものであったことが国会の質疑応答で明らかになりました。

同じように安倍政権はアベノミクスの一環として、それまでの自民党の「公約」に反してTPP秘密交渉への参加も決めていましたが、これも「日本の原発再稼働やTPP参加、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃」を求めた「第3次アーミテージ・リポート」の要求に沿うものであったことも明らかになっています。

アメリカの要求に従って、一部の大企業と軍需産業の利益にはなるが、大多数の「日本国民」には犠牲を強いる安倍政治は、ドイツの作家シラーなどが戯曲『ウィリアム・テル』(ヴィルヘルム・テル)で描いた14世紀の悪代官ヘルマン・ゲスラーの暴政に似ていると思われます。

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(アルトドルフのマルクト広場にあるウィリアム・テル記念碑。写真は「ウィキペディア」より)

経済学に関しては素人ですが、素人でも分かるような「TPP」の危険な点を以下に記した後で、最後に正岡子規が編集主任をしていた新聞『小日本』における「秘密主義」批判の記事を再掲しておきます。

明治に書かれたこの記事は、「秘密主義」を貫く一方で、報道機関への圧力を強めている安倍政権と「薩長藩閥政府」との類似性を示唆していると思えるからです。

*   *   *

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の秘密交渉の結果が一部、明らかになりましたが、やはり農業や牧畜などに限っただけでも大幅な譲歩を強いられていたことが明らかになりました。

「東京新聞」の記事によれば、この結果を受けてようやく民主党が中間報告案で「国益守れず」と明記し、TPPへの政府承認案に反対する方向を示したとのことです。

これに対して与党からは「選挙目当てで方針を変えるのか」などの批判が出ているようですが、原発の危険性に気づいた小泉元首相が脱原発に転換したように、その政策の間違いに気づいた時にはすばやく対応することが重要でしょう。

ことに、これから世界的な食糧危機が予想される中で、国民の生命や健康に深くかかわる「食料自給率」の低下は、「国家の安全保障」をも脅かすと思えるからです。

*   *   *

これまでは外国からの圧力により「規制緩和」が、あたかも絶対的な正義のように見られていましたが。最近起きた痛ましいバス事故の遠因は、バス事業への参加への「規制緩和」にあったことが指摘されています。

現状でのTPPへの政府承認案は農業の衰退をまねくばかりでなく、「食品添加物・遺伝子組み換え食品・残留農薬などの規制緩和」により、食の安全を脅かし、「医療保険の自由化・混合診療の解禁により、国保制度の圧迫や医療格差が広がりかねない」危険性があるのです。

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)では、自由貿易が謳われていますが、その反面、著作権の大幅な延長に見られるように、「規制強化」の側面も強く持っているようです。

ことに「ISDS条項(ISD条項)」は、「当該企業・投資家が損失・不利益を被った場合、国内法を無視して世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターに提訴することが可能」としています。この条項は、グロ-バル産業には有利でも、国内産業には不利益であり、日本の独自性をも損なう危険性があるように思われます。

また、「一度自由化・規制緩和された条件は当該国の不都合・不利益に関わらず取り消すことができない」という21世紀の規定とは思えない不思議なラチェット規定を、安倍政権が一方的に認めてしまったことにも問題があるでしょう。

*   *   *

明治27年4月29日に子規が編集主任を務めていた新聞『小日本』は第一面に掲載された「政府党の常語」という題名の記事で、「感情」、「譲歩」、「文明」、「秘密」などの用語を取り上げていました。

ことに「藩閥政府」の問題点を鋭く衝いた「秘密」は、原発事故のその後の状況や、国民の健康や生命に深く関わるTPPの問題など多くが隠されている現代の「政府党の常語」を批判していると思えるほどの新鮮さと大胆さを持っているように思えます。以前のブログ記事でも引用しましたが、再び全文を引用しておきます。

秘密秘密何でも秘密、殊には『外交秘密』とやらが当局無二の好物なり、如何にも外交政策に於ては時に秘密を要せざるに非ず、去れどそは攻守同盟とか、和戦談判とかいふ場合に於て必要のみ、普通一般の通商条約、其条約の改正などに何の秘密かこれあらん、斯かる条項は成るべく予め国民一般に知らしめて世論の在る所を傾聴し、国家に民人に及ぼす利害得喪を深察するこそ当然なれ、去るに是れをも外交秘密てふ言葉の裏に推込(おしこ)めて国民の耳目に触れしめず、斯かる手段こそ当局の尊崇する文明の本国欧米にては専制的野蛮政策とは申すなれ、去れど此一事だけは終始(しじう)一貫して中々厳重に把持せらるゝ当局の心中きたなし卑し」(青字は引用者)。

 

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「アベノミクス」の詐欺性(1)――「トリクルダウン」理論の破綻

〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――「欧化と国粋」のねじれの危険性〉と題した1月16日のブログ記事では、〈次回からは少し視点をかえて、1902年にはイギリスを「文明国」として「日英同盟」を結んだ日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのかを考えることで、安倍政権の危険性を掘り下げることにします〉と書いていました。

しかし、「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」を連呼して「国民」を悲惨な戦争へと導いた、かつての東条英機内閣のように「大言壮語」的なスローガンの一つである「アベノミクス」のという経済方針の詐欺的な手法が明らかになってきました。それゆえ、〈日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのか〉という問題は宿題として、しばらくは「アベノミクス」の問題を考えることにします。

*   *   *

今回、取り上げる「トリクルダウン(trickle-down)」理論とは「ウィキペディア」によれば、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」という経済理論で、「新自由主義の代表的な主張の一つ」であるとのことです。

「アベノミクス」という経済政策については、経済学者ではないので発言を控えていましたが、ドストエフスキーは1866年に書いた長編小説『罪と罰』で、利己的な中年の弁護士ルージンにこれに似た経済理論を語らせることで、この弁護士の詐欺師的な性格を暴露していました。

リンク→「アベノミクス」とルージンの経済理論

一方、敗戦後の一九四六年に戦前の発言について問い質されて、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない」と語り、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と居直っていた小林秀雄は、意外なことに重要な登場人物であるルージンについては、『罪と罰』論でほとんど言及していないのです(下線は引用者)。

このことは「僕は無智だから反省なぞしない」と啖呵を切ることで戦争犯罪の問題を「黙過」していた小林が、「道義心」の視点から「原子力エネルギー」の問題点を一度は厳しく指摘しながらも、原発の推進が「国策」となるとその危険性を「黙過」するようになったことをも説明しているでしょう。

より大きな問題は、自民党の教育政策により小林氏の著作が教科書や試験問題でも採り上げられることにより、「僕は無智だから反省なぞしない」という道徳観が広まったことで、自分の発言に責任を持たなくともよいと考える政治家が議会で多数を占めるようになったと思えることです。

そのことは国民の生命や安全に直結する昨年の「戦争法案」の審議に際しての安倍晋三氏の答弁に顕著でしたが、今年も年頭早々に「トリクルダウン」理論の推進者から驚くべき発言が出ていたようです。

*   *   *

2016年1月4日 付けの「日刊ゲンダイ」(デジタル版)は、〈「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然〉との見出しで、これまで「トリクルダウンの旗振り役を担ってきた」元総務相の竹中平蔵・慶応大教授が、テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」で、〈アベノミクスの“キモ”であるトリクルダウンの効果が出ていない状況に対して、「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」と平然と言い放った〉ことを伝えているのです(朱色は引用者)。

そして記事は、経済学博士の鎌倉孝夫・埼玉大名誉教授の次のような批判を紹介しています。

「以前から指摘している通り、トリクルダウンは幻想であり、資本は儲かる方向にしか進まない。竹中氏はそれを今になって、ズバリ突いただけ。つまり、安倍政権のブレーンが、これまで国民をゴマカし続けてきたことを認めたのも同然です」

つまり、安倍政権全体が『罪と罰』で描かれていた中年の弁護士ルージンと同じような詐欺師的な性格を持っていることが次第に明らかになってきているのです。

国民が自分たちの生命や財産を守るためには、「戦争法」を廃止に追い込み、一刻も早くにこの内閣を退陣させることが必要でしょう。

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

isbn978-4-903174-33-4_xl  装画:田主 誠/版画作品:『雲』

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

このブログの読者のなかには、ロシア文学や比較文学の研究者である私が、政治や神道の問題にまで踏み込むことに眉をひそめる方もおられるかもしれません。

しかし、歴史や文学作品の分析をとおして、「日露の近代化」を考察してきた私からみると、現在起きている多くの事態は、欧米列強が「文明開化」の名のもとに「開国」を強要した時期ときわめて似た危険な様相を示していると思われるのです。

たとえば、同時多発テロへの「報復の権利」を主張したブッシュ政権がアフガン戦争を始めた前後に開かれたある学会で、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力の「タリバン」がバーミヤン石仏を破壊したことを理由にその戦争を正当化する研究者がいたことに驚いたことがあります。

しかし、国宝クラスの重要な仏教寺院や仏像が明治初期の「廃仏毀釈」運動で破壊されていたことに注意を促した記事では、「仏教を邪教として否定し、先祖の建立した馬籠の永昌寺本堂に放火しかけて取り押さえられ」、「狂人として」座敷牢に幽閉された島崎藤村の父・正樹が、単なる「狂人」ではなく、「苦境にあえぐ村びと」を救おうと骨を折っていた真面目な人物であったことを指摘していました。

かつては長州藩の過激な「攘夷派テロリスト」であった高杉晋作や伊藤博文たちが、品川の海を見おろせる御殿山に幕府の経費で建設され、九分どおり完成していた英国公使館の焼討ちを行ったこともよく知られていますが、他国の文化や政治を武力によって強引に変え ようとするグローバリゼーション(欧化)の圧力は、かえって、それに対する強い反撥を呼びナショナリズム(国粋)を高揚させるのです。

強いグローバリゼーション(欧化)の圧力に押されて、アメリカの政策に追従している安倍政権が抱えているのも、このようなナショナリズム(国粋)の問題なのです。

*   *   *

前回の記事で指摘した神社本庁や日本会議の主張する「改憲」の署名集めのための次のような記述には、私も全面的に賛成します。

〈憲法の良い所は守り…中略…、美しい国土を守り、家族が心豊かに生活できる社会をつくりましょう。誇りある日本と子供たちの未来のために…〉

ただ、〈美しい国土を守り、家族が心豊かに生活できる社会〉を作るためならば、「神道政治連盟」がまずしなければならないのは、「公約」を反故にした安倍政権の打倒を強く国民に訴えかけることでしょう。

なぜならば、放射能で祖国の大地や河川、そして海を汚染した「福島第一原子力発電所の大事故の後でも、安倍政権はそのことをきちんと反省せずに、原発の再開だけでなく海外への輸出を試み、さらに日本の農業を疲弊させ、日本の大地を劣化させる可能性の高いTPPの交渉を国民に秘密裏に行い締結していたからです。

「神道政治連盟」が〈〈誇りある日本と子供たちの未来のため〉と謳うならば、イラク戦争を主導したアーミテージ副長官などの意向に追随して、七〇年間、戦争で他国の人間を殺さなかったというも日本の独自性を投げ捨てようとしている安倍政権をもっとも強く批判すべきだと思えるのです。

*   *   *

つまり、欧米列強の圧倒的な軍事力に屈して「文明開化」に踏み切ったために、当初から「欧化と国粋」の問題を抱えていた新政府の「ねじれ」が噴出したのが、「国家神道」というイデオロギーによって政治が動かされていた昭和初期の時代であり、岸信介氏を深く尊敬する安倍晋三氏が目指している「改憲」の危険性もそこにあるのです。

次回からは少し視点をかえて、1902年にはイギリスを「文明国」として「日英同盟」を結んだ日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのかを考えることで、安倍政権の危険性を掘り下げることにします。

(2017年1月4日、副題を変更)

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(4)――「神道政治連盟」と公明党との不思議な関係

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(写真はKei氏の2015年12月30日のツイッターより引用)

 

〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」(1)〉では、「改憲」姿勢を明確にした安倍首相の政治姿勢を「傲慢(ごうまん)だ」と厳しく批判する一方で、いまだに安倍政権の与党に留まることの正当性を訴えている公明党幹部の不思議さを指摘しました。

ようやく、島崎藤村の長編小説『夜明け前』において「復古神道」の仏教観がどのように描かれているかを考察したことで、公明党幹部の政治姿勢の危険性をも指摘できる地点に来たと思えます。

なぜならば、「神道政治連盟」は「神社本庁」を母体として1969年に結成されましたが、その「国会議員懇談会」の会長を勤めているのが現在首相の職にある安倍晋三氏であり、「神道政治連盟」の綱領の冒頭には、「神道の精神を以て、日本国国政の基礎を確立せんことを期す」と明記されているからです。

つまり、安倍首相の政治姿勢は一般の「国民」からみれば「独裁」的な手法で「憲法」を無視しているきわめて「傲慢」な姿勢と言えるのですが、「神道政治連盟」の側から見ると「綱領」の趣旨にそった「誠実」な発言なのです。

*   *   *

このような安倍首相の政治姿勢は、昨年11月10日に日本武道館で開かれた「今こそ憲法改正を!1万人大会」でもみられました。この大会は「神道政治連盟」と志を同じくする、保守系団体・日本会議や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などによって行われたとのことですが、舞台上の巨大スクリーンに映し出されたビデオのメッセージで、安倍氏は「日本の国づくりの国民的議論を盛り上げていただいており、大変心強く思います」と語りかけていたのです。

大きな問題はいくつかの報道機関が伝えているように、神社本庁や日本会議の意向を受けて全国各地の神社が初詣客を狙って「改憲」の署名集めるという“政治運動”を行っていたことです。

たとえば、「リテラ」の梶田陽介氏の記事(2016年1月5日の)によれば、「乃木神社」では〈入り口に足を踏み入れると、たちまち、「誇りある日本をめざして」「憲法は私たちのもの」などと書かれた奇妙なのぼり旗が目に飛び込む。さらにその付近に設置されたテントでは、額縁に入った櫻井よしこ氏のポスターが鎮座! 「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」「ただいま、1000万人賛同者を募集しています。ご協力下さい」なる文言とともに…中略…A4の署名用紙と箱が置かれていた。〉

そして、〈現行憲法は宗教団体“が”「政治上の権力を行使」することを禁じているが、自民党案20条1項では、その部分を削除している。つまり、宗教団体が「政治上の権力を行使」することが可能になるのだ。また、3項の「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」というのも、神道にのみ政治活動への一体化を容認するものだ〉と安倍自民党の「改憲」案の危険性を伝えた記事はこう続けています。

〈もうお分かりだろう。安倍政権による改憲は、まさに祭政一致と国家神道の復活を宿願とする神社本庁の意向を反映したものなのだ。…中略…しかも、卑劣なことに、くだんの署名用紙には、上述した祭政一致、国家神道復活の目的などは一切書かれていない。それどころか、現在の憲法がどのように変わる可能性があるのか自体、まったく記述がないのである。…中略… 日本らしさ、美しい国土、家族が心豊かに……そんな抽象的な美辞麗句を並べ立て、なんとなくポジティヴな印象だけ与えて署名を募っているのだ。〉

この記事は〈そもそも、神社本庁という宗教法人が政権と一体化するかたちで改憲というあきらかな政治運動をしていること自体、憲法20条に反している可能性もある〉と指摘して結ばれているのです。

*   *   *

つまり、「憲法」を無視するような手法で「戦争法案」を強行採決した安倍政権とは、これまでの自民という政権とは大きく異なるきわめてイデオロギー的な政権であり、「平和」を守りたいと願う「仏教」的な理念とも大きくかけ離れているのです。

このことは昨年の「戦争法案」の国会審議に際してもすでに明らかになったと思われるのですが、日頃から安倍政権の閣僚と親しく懇談する機会の多いと思われる公明党の幹部の人達は、なぜ安倍政権の目指す「改憲」の危険性から目をつぶっているのでしょうか。

(2017年1月4日、図版を追加)

 

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北朝鮮の「水爆実験」と日本の核武装論者

昨日、北朝鮮が「水爆実験を行った」と発表したことで、「国際社会」が厳しい対応を検討し始め、日本のマスコミもこの問題を大きく取り上げています。

たしかに、「ラッセル・アインシュタイン宣言」で、世界を破滅させる危険性が指摘されている水爆実験を21世紀に入っても行う政治感覚は、厳しく批判されなければならないでしょう。

リンク→ラッセル・アインシュタイン宣言-日本パグウォッシュ会議

その一方で注目したいのは、核の危険性を指摘している宗教学者の島薗進氏がきむらとも氏の下記のツイートを紹介していることです。

「自衛隊も日本分析センターも、政府の要請でキセノンなど空気中の放射性物質測定開始した」とNHKが報じているが、311直後こんな報道は即座にあったか。「国産」の放射能汚染は安全だから騒ぐ必要ないが、「北朝鮮産」の放射能汚染だから危険と言うわけか。ならば、素晴らしきWスタンダードだ。」

実際、福島第一原子力発電所の大事故による放射能汚染については、最近、EUの調査機関などによりその汚染の実態は日本の政府が発表しているものよりはるかに大きい可能性が指摘され始めているのです。

リンク→欧州:日本の国土の約15%が「徹底的な放射能監視地域」に …

spotlight-media.jp/article/233058112628169725

*   *   *

さらに以前のブログ記事でも言及したように自民党の中には、昨年、復古的な「歴史観」と「道徳観」を披露して批判された武藤貴也衆議院議員など北朝鮮と同じように「核武装」しようとすることを公言している議員がかなりいます。

「核武装論」関連の記事一覧

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

武藤貴也議員の核武装論と安倍首相の核認識――「広島原爆の日」の前夜に

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

 

つまり、かつては自分でも核武装論を唱えていたばかりでなく、党内に多くの核武装論者を抱え、さらに「違憲」の疑いが強い危険な「安全保障関連法」を強行採決して、原発だけでなく武器の輸出も積極的に始めようとしている安倍政権には、北朝鮮を非難する資格はないと思われます。

日本が国際的にも信頼される国家となり、世界の平和に貢献するためには、他国の問題点は厳しく非難する一方で、政権に不利な情報は新聞やテレビなどの情報機関に強い圧力をかけることで隠蔽している安倍政権に代わる政権を、一日も早くに樹立することが必要でしょう。

リンク→NHK新会長の発言と報道の危機――司馬遼太郎氏の報道観をとおして

「アインシュタインとドストエフスキー」の「傍聴記」を「主な研究」に掲載

昨年の11月21日(土)に行われた「ドストエーフスキイの会」の第230回例会では、「アインシュタインとドストエフスキー」という題名で、長瀬隆氏による発表がありました。

原水爆の悲劇の反省から1955年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を行ったアインシュタインのドストエフスキー観には、学生の頃から強い関心を持っていました。

また、1948年の湯川秀樹博士との対談では「人間の進歩について」で原子力エネルギーを「道義心」の視点から強く批判していた小林秀雄が、数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社、1965年)では、なぜかアインシュタインの批判をしていたことを不思議にも感じていました.

今回の発表は、『カラマアゾフの兄弟』論で「完全な形式が、続編を拒絶してゐる」と断言していた小林秀雄が、なぜ「あれは未完なのです」と語るようになったのかを考える上でもきわめて示唆に富むものでした。

「傍聴記」を「主な研究」に掲載します。

リンク→長瀬隆氏の「アインシュタインとドストエフスキー」を聴いて

 

 

ドストエーフスキイの会「第231回例会のご案内」

 ドストエーフスキイの会「第231回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.132)より転載します。

*   *   *

第231回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                      

日 時2016年1月23日(土)午後2時~5時       

場 所場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854 

報告者:田中沙季 

 題 目: 現代に『カラマーゾフの兄弟』は可能か

――チェーホフ記念モスクワ芸術座『カラマーゾフ』をめぐって

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:田中沙季(たなか さき)

1988年生まれ。早稲田大学文学研究科博士後期課程ロシア語ロシア文化コース在学中。論文「ドストエフスキイ『白痴』における陰謀:イッポリートをめぐって」『ロシア研究の未来:文化の根源を見つめ、展開を見通す:井桁貞義教授退職記念論集』(2013年)、「Ф.М. ドストエフスキーの『白痴』終局における言葉、行為、空間」『ロシア語ロシア文学研究』(2014年)。

*   *   *

231回例会報告要旨

 現代に『カラマーゾフの兄弟』は可能か

――チェーホフ記念モスクワ芸術座『カラマーゾフ』をめぐって

                 田中沙季

本報告では、2013年からチェーホフ記念モスクワ芸術座で上演されている劇『カラマーゾフ』における演出の方法や脚色の分析を通して、現代社会のコンテクストの中でФ.М.ドストエフスキーの作品を表現することの意味を問うてみたい。

上演時間が4時間30分に及ぶこの長大な劇は、ゾシマ長老の庵室で、低く鈍いBGMが鳴る中、黒い革張りのソファーに腰かけた登場人物たちが議論をする場面から始まっている。舞台上の調度品や人物たちの衣装は現代的ではあるものの、会話は『カラマーゾフの兄弟』そのままであり、重苦しい雰囲気である。ところがゾシマ長老が庵室の外へ出ると、舞台に異変が起こる。突然舞台の両脇からスクリーンが現れて、客席の脇に立っているホフラコヴァ夫人役の女優をアップで映し出す。彼女はハンドマイクを持って舞台上のゾシマ長老に対して病気の娘リザヴェータの話をし始めるのだが、その姿はテレビのトークショーの観客そのものだ。そうかと思うと今度は舞台上にリザヴェータが車椅子で登場し、画面が彼女の正面を映し出すやいなや大音量でロシアのポップミュージックが流れ出す。そして音楽が止むと再びBGMが鳴り始め、何事もなかったかのように暗い雰囲気に戻っていく。

信じがたいことかもしれないが、『カラマーゾフ』という劇では4時間半にわたってこのようなことが起こり続ける。フョードルとイヴァン、アリョーシャの間でなされる「神はあるか」という問答の後に、ドミートリーがロシアの歌謡曲とともに殴りこんできて舞台が一気に滑稽な場面へと変容したり、スメルジャコフが舞台上で目玉焼きを作ったり、イヴァンが幼児虐待の話をアリョーシャに聞かせる場面の後で、いきなりゾシマ長老の死を報道する「ワイドショー」のスタジオに舞台が急転したり、グルーシェンカが派手な衣装を着て『カリンカ』に合わせて踊ったり、僧侶がロックを歌いだしたりと、ありとあらゆる局面に現代的なもの、大衆的なもの、通俗的なものが付加され、聖なるものが排除されているのだ。

ドストエフスキー研究の第一人者であるЛ.И. サラスキナは芸術座のサイトに「(演出家の)К. ボゴモロフは自身の作品を『カラマーゾフ』と正確に名づけている。『兄弟』という言葉を取り除いてしまったのだ。このことは同胞愛が存在するためには兄弟が必要だというドストエフスキーの言葉に通じている」というコメントを寄せている。「同胞愛」のない『カラマーゾフ』が描き出しているのはひたすらに肉体的快楽のみが追及されている地獄の世界であり、そこでは当然アリョーシャとイリューシャら少年たちとの交流の場面はカットされているし、ゾシマ長老でさえ通俗的なテレビ番組のパロディによって戯画化されている。

『カラマーゾフ』は『カラマーゾフの兄弟』ではない。だが過剰なまでに世俗化された演出は、現代のロシアで作品の宗教性が共感不可能なものになっていることをよく示しているといえるだろう。2013年にフジテレビ系列で放送されたドラマ『カラマーゾフの兄弟』では日本の視聴者に合わせてか、原作の中のキリスト教的なテーマを「母親」に置き換えていた。それとは対照的に、芸術座の『カラマーゾフ』では安易な置き換えをせず、むしろ宗教的なテーマの不可能性を執拗なまでに示すことで、原作と現代ロシアとの間隙を表現しているのではないだろうか。本報告では『カラマーゾフ』の分析にとどまらず、他の演劇作品や映像作品との比較も交えることで、ドストエフスキーの作品を現代社会の中で表現するにあたって生じる問題について広く考えていきたい。

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「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

前回例会の「傍聴記」は、「主な研究」のページに掲載します。

 

「日本パグウォッシュ会議」が日印原子力協定を批判

今年、長崎で開かれた「パグウォッシュ会議」については何回か、このブログでも言及してきましたが、今日の「東京新聞」夕刊は、〈「核兵器廃絶 希求裏切る」 日本パグウォッシュ会議 日印原子力協定を批判〉という見出しで次のような記事を掲載しています。

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核兵器廃絶を目指す科学者らでつくる「日本パグウォッシュ会議」は二十五日までに、核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドと日本が原子力協定の締結で原則合意したことについて「核兵器の廃絶を希求する被爆者や日本国民の期待を大きく裏切るものだ」と批判する声明を発表した。

声明は有志の連名。事実上の核保有国インドと、原発の輸出や技術協力などを可能にする協定を結ぶことは「世界の核軍縮・不拡散の規範に違反する」と指摘した。

その上で、政府が協定を締結するのであれば、インドが核実験をした場合に協定を破棄することを明文化することやインドに包括的核実験禁止条約(CTBT)批准など核軍縮の努力を要求することなどを求めた。

声明はまた、商業上の利益を優先し妥協することは「日本が積み上げてきた核軍縮外交の信頼性を失墜させる」と強い懸念を表明した。

 

「パグウォッシュ会議」関連の記事一覧

パグウォッシュ会議の閉幕と原子炉「もんじゅ」の杜撰さ

長崎でのパグウォッシュ会議と「核使用禁止」決議への日本の棄権

映画《母と暮せば》を見て

「文化の日」の叙勲とブレア元首相のイラク戦争謝罪――安倍政権の好戦的な価値観

小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

 

リンク→〈「原発ビジネス」の衰退〉を転載

リンク→明治人の気概を――安倍政権と「原子力村」との癒着

 リンク→原爆の危険性と原発の輸出

 

「忘れる」文化と「記憶」する努力(1)――「天下り」の横行  

年末を迎えて「忘年会」の季節となりました。

「忘れる」ことが美徳とされる日本で、重要なことを「記憶」しておくために、いくつかの気になっていた原発事故関連の記事を記載しておきます。

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だいぶ前のことになりますが、10月4日の朝刊一面で「東京新聞」は、福島第一原子力発電所の大事故後の「天下り」の実態を調査した次のような記事を掲載していました。

その記事は「電力会社や関連団体に天下りした国家公務員OBが少なくとも、七十一人に上る」だけでなく、原子力エネルギーを推進していた「経産省」では、自粛を呼び掛けていたにもかかわらず、「最多の十七人が再就職していた」ことが判明したことを明らかにしています。

さらに、10月11日の朝刊一面の「原発事故後 蜜月続く」と題した記事では、「原発が立地、または立地予定の十四の道県で、少なくとも四十五人の幹部OBが、原発を推進する電力会社やその関連組織に天下りしていたこと」を明らかにしています。

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「消費税の増税」がやむを得ないことが強調され、「軽減税率をめぐる与党内の交渉」が大きく伝えられる一方で、「安倍政権と原子力村との癒着」を示すこのような事態が今も進んでいるのです。

安倍政権のもとでは、日本の「経済」を立て直すことは不可能でしょう。