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原発事故関連記事一覧

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からまもなく5年になりますので、これまでに書いた原発事故関連の記事一覧を掲載します。

 

原発事故関連記事一覧

〈「原発ビジネス」の衰退〉を転載12月22日

安倍政権の人権感覚と福島の被曝線量――無責任体制の復活(9)12月20日

原子力艦の避難判断基準の見直しと日本の「原子力の平和利用」政策11月8日

原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6)8月12日

川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(に)くき者」8月10日

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)8月2日

原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)8月2日

IAEA報告書による国と東電の批判と政治家の責任6月12日

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入 12月3日

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」2014年12月1日

〈「放射能の除染の難しさ」と「現実を直視する勇気」〉を「主な研究」に掲載 7月30日

原発再稼働差し止め判決と日本の司法制度5月30日

「原発の危機と地球倫理」を「主な研究」に掲載5月29日

真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して5月23日

「STAP細胞」騒動と原発の再稼働問題4月12日

福島原発事故とチェルノブイリ原発事故3月12日

ドストエーフスキイの会「第220回例会のご案内」を転載します3月12日

「第五福竜丸」事件と「特定秘密保護法」3月2日

「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》3月1日

「脱原発を考えるペンクラブの集い」part4、開催のお知らせ1月18日

原発事故の隠蔽と東京都知事選1月17日

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」 11月24日

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故(10月17日 )

消えた〈公論〉と司馬遼太郎氏の危惧(8月7日 )

消えた「時論公論」(?)(8月6日 )

汚染水の危機と黒澤映画《夢》(8月4日 )

汚染水の深刻さと劇《石棺》(8月1日 )

汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(7月28日 )

「映画・演劇評」に「劇《石棺》から映画《夢》へ」を掲載しました(7月8日)

5年前のレベル7の大事故を振り返る――「首相談話草案」をめぐって

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からまもなく5年になることで、新聞各社も、当時の大事故を振り返る記事や現在の状況に迫る記事が目立って来ているようです。

このブログでは事故当時の最高責任者・菅直人氏を講演者に招いて、「福島原発事故 ― 総理大臣として考えたこと」と題して行われた2014年3月15日の「脱原発を考えるペンクラブの集い」での講演の内容を紹介していました。

リンク→真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

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一方、昨日(2月20日)の「東京新聞」朝刊は、〈赤字で「重要原稿草案 2011・3・20」と書かれた首相談話草案の全文を掲載しました。

その冒頭で「政府の責任を認めて謝罪し、原発を所管する経済産業省や東電の責任追及を約束〉したこの談話草案は、首都圏からの避難を呼び掛けるとともに脱出の際には、「西日本に向かう列車などに、妊娠中、乳幼児を連れた方を優先して乗車させていただきたい」とし、「どうか、国民一人ひとりが、冷静に行動し、いたわり合い、支え合う精神で、どうかこの難局を共に乗り切っていただきたい」と訴えていたのです。

リンク→原発事故 政府の力では皆様を守り切れません 首都圏避難で首相談話草案 :社会

この文面からは日本を襲った前代未聞の大事故の危険性がまざまざと甦ってきます。

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一方、このような大事故にもかかわらず、安倍政権は目先の利益にとらわれて国内にある原発の温存だけでなく、海外への輸出をいまだにはかっています。

しかし、今日も〈関西電力は二十日、再稼働の最終準備を進めている高浜原発4号機(福井県高浜町)の原子炉補助建屋内で、放射性物質を含む一次冷却水漏れがあったと発表した〉との記事が載りました。

日本の自然環境を無視した19世紀的な「アベノミクス」の危険性はいっそう明白になってきたように思われます。

なかなか原発の問題をきちんと追うことは出来ませんでしたが、次のブログ記事ではこれまでに書いた原発事故関係の記事一覧を掲載します。

自民党政権の「核の傘」政策の危険性――1961年に水爆落下処理

安倍政権は沖縄で再び住民の意思を全く無視した形で辺野古の基地建設を強引に進めていますが、1962年の「キューバ危機」の際には、沖縄が核戦争の戦場になる危険性があったという衝撃的な事実を2015年3月14日の「東京新聞」朝刊が伝えていました。

リンク→終末時計の時刻と回避された「核攻撃命令」

今日、2016年2月17日の「朝日新聞」夕刊は、「61年に水爆落下処理、爆発寸前」であったことを証言して、「核兵器の廃絶を」目指す元米兵の活動を伝えています。その一部をデジタル版により紹介しておきます。

〈米国が1980年代に公表した32件の重大核兵器事故「ブロークンアロー」。それらの詳細は長く伏せられてきたが、近年、機密が少しずつ解除され始めた。そのうち一つの事故の処理に携わった元兵士は、核爆発は免れたものの危機一髪だった当時の状況を次世代に語り継いでいる。〉

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「大東亜戦争」へと踏み切った東条政権の閣僚を務めた祖父・岸信介氏のイデオロギーを受け継いだ安倍晋三氏は、核兵器やその技術を元にした原子力発電所の危険性を認識せずに、「憲法」に違反して原発や武器の輸出政策に大きく舵を切る一方で、「復古」的な世界観に基づいて「改憲」を声高に唱え始めています。

しかし、岸政権などが強引に批准した「核の傘」政策は、日本国民の生命を守るどころか脅かすものだったのです。このことだけでも沖縄の県民が、安倍晋三氏が進めている沖縄の軍備強化に危機感を持っている理由は明らかでしょう。

リンク→岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧

「寺田透の小林秀雄観」関連記事一覧

「寺田透の小林秀雄観」関連記事一覧をブログと「主な研究」の「タイトル一覧Ⅱ」に掲載します。

子規の「歌よみに与ふる書」と文芸評論家・小林秀雄

作品の解釈と「積極的な誤訳」――寺田透の小林秀雄観(1)

「陶酔といふ理解の形式」と隠蔽という方法――寺田透の小林秀雄観(2)

「物質への情熱」と「好奇心に満ちた多様性」――寺田透の小林秀雄観(3)

正岡子規と島崎藤村の出会い――「事実」を描く方法としての「虚構」

 

「なぜ今、『罪と罰』か」関連記事一覧を「主な研究」に再掲

ドストエフスキー関係の記事が見つけにくくなりましたので、何回か連載した記事は、「主な研究」に再掲することにしました。

まず、「なぜ今、『罪と罰』か」(1~9)を、「主な研究」の「タイトル一覧Ⅱ」に再掲します。

リンク→「なぜ今、『罪と罰』か」、関連記事一覧

宮崎議員の辞職と丸川環境相の発言撤回――無責任体質の復活(9)

妻の出産を機に育児休暇を取得する考えを表明して話題となっていた自民党の宮崎謙介衆院議員が12日に、記者会見で女性タレントとの不倫を認め、「自らの主張と軽率な行動のつじつまが合わないことを深く反省」して議員辞職願を提出したとの記事が今日の「東京新聞」に載りました。

一方、東京電力福島第一原発事故後に国が除染の長期目標を年間被ばく線量一ミリシーベルト以下に定めたことに「何の根拠もない」と発言していた丸川珠代環境相も12日に記者会見して発言を撤回して被災者に謝罪したものの、引責辞任は否定したとのことです。

宗教学者の島薗進氏は今日のツイッターで、真宗大谷派が2月1日に「関西電力高浜原子力発電所の再稼働に関する声明―原子力発電に依存しない社会を願って」を発表し、「他のいのちを顧みないものは、自らのいのちも見失います。そして、それは未来のいのちをも脅かすことになるのです。私たちは、原子力発電に依存し続けようとする人間の愚かさや核利用をめぐる無責任なあり方を、あらためて直視しなければなりません」と記していることを伝えています。

環境大臣の任務が国民の生命や安全を守ることであることに留意するならば、丸川珠代環境相の発言責任や安倍首相の任命責任は、議員辞職願を提出した宮崎議員よりもはるかに大きいと思えます。

安倍政権の支持団体であり日本の自然を大切に考えている筈の「神社本庁」は、このような事態をどのように把握しているのでしょうか。

武藤貴也議員と高市早苗総務相の「美しいスロ-ガン」――戦前のスローガンとの類似性

昨日は、〈高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統〉という記事で高市議員の発言の危険性を指摘しました。

しかし、テレビなどでは戦前の日本を思わせる厳しい「言論統制」につながるこの発言の危険性がきちんと取り上げられていないようです。

これゆえ、ここではジャーナリズムではもうすでに過去の人となったようですが、一時、「時の人」となった武藤貴也議員の「憲法」観との比較を「美しいスローガン」をとおして行ってみます。

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元・衆院平和安全法制特別委員会のメンバーであった武藤貴也議員は、自身のオフィシャルブログに、「私には、守りたい美しい日本がある。先人たちが、こんなに素晴らしい国を残してくれたのだから」という「美しいスロ-ガン」を掲げていました。

その武藤議員がどのような価値を「美しい」と感じているかは、2012年7月23日に「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」という題で書かれた文章により明らかでしょう。

「最近考えることがある。日本社会の様々な問題の根本原因は何なのかということを」と切り出した後藤氏は、「憲法の『国民主権・基本的人権の尊重・平和主義』こそが、「日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」とし、「滅私奉公」の重要性を次のように説いている。

〈「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。…中略…国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」と いう「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。〉  

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戦前や戦中の日本における「公」の問題も深く考察していた司馬遼太郎氏は、「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったと指摘していました(『甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』、『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)。

事実、元・衆院平和安全法制特別委員会のメンバーであった武藤貴也議員が高く評価した作家の百田尚樹氏は、小説『永遠の0(ゼロ)』において徳富蘇峰の『国民新聞』を「反戦新聞」のように描いていましたが、徳冨蘇峰は『大正の青年と帝国の前途』において、自分の生命をもかえりみない「白蟻」の勇敢さを褒め称えて、「若者」に「白蟻」のような存在になることを求めていたのです。

それゆえ司馬氏は「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。

原発事故の後もその危険性を直視せずに、目先の利益にとらわれて原発や武器の輸出という「軍拡政策」に走るとともに、「アベノミクス」という「ギャンブル的な経済政策」を行ってきた安倍政権によって、日本は重大な危機に陥っていると思われます。

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一方、強圧的な「電波停止」発言を行った高市総務大臣の「公式サイト」にも「美しく、強く、成長する国、日本を」という、「王道楽土」や「八紘一宇(はっこういちう)」などの戦前のスローガンと似た「美しいスローガン」が掲げられていました。

しかし、高市議員の「電波停止」発言が「放送法」に違反している可能性があるばかりでなく、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定されている憲法にも反する発言との指摘がすでになされています。

さらに問題は、現在の「日本国憲法」を守ろうとする発言を多く放送する放送局には「電波停止」もありうるとした高市議員の発言が、シールズの主張を「彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と批判していた武藤議員の発言とも通じているように見えることです。

これらの発言には戦前の日本の著しい「美化」がありましたが、そのような「日本」に「復帰」させないためにも、安倍政権の閣僚や「総務大臣」を勤めている高市議員がどのような「憲法」観を持っているかを、報道機関や民主主義団体ばかりでなく仏教界やキリスト界、そして日本の自然や大地だけでなく地球環境をも大切に思う神道の人々は、よりきびしく追求すべきだと思えます。

(2016年2月12日。副題と青い字の箇所を追加)

関連記事一覧

高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統

「内務省の負の伝統」関連の記事一覧

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

武藤貴也議員の核武装論と安倍首相の核認識――「広島原爆の日」の前夜に

安倍首相の「核兵器のない世界」の強調と安倍チルドレンの核武装論

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

百田直樹氏の小説『永遠の0(ゼロ)』関連の記事一覧

「内務省の負の伝統」関連の記事一覧

先ほど、〈高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統という記事をアップしました。

以下に、司馬遼太郎氏の作品をとおして考察した「内務省の負の伝統」関連の記事のリンク先を示しておきます。

 

関連記事一覧

「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

司馬遼太郎の「治安維持法」観

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について 

高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統

昨日は安倍首相が国会答弁で「改憲」を繰り返した問題を取り上げましたが、「東京新聞」は今日(2月10日)の朝刊で、Q&Aの形で高市総務相が高市早苗総務相が八日に続き九日も衆院予算委員会で、テレビ局などが放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した」ことを報道していました。

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A 心配なのは報道を萎縮させる動きだ。自民党は昨年四月、報道番組でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸批判したテレビ朝日のそれぞれの幹部から事情を聴取した。昨年十一月には、放送倫理・番組向上機構(BPO)が自民党によるNHK幹部の聴取を「圧力」と批判した。その後、看板キャスターらの降板決定が相次ぎ、報道のあり方を危ぶむ声もある。

Q やっぱり心配だね。

A 民主党の細野豪志政調会長は九日の記者会見で「放送法四条を振りかざして、メディアの萎縮をもたらすと非常に危惧する」と述べた。報道圧力と受け取られる政権側の発言は国会で議論になりそうだ。

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この高市発言を読んで思い出したのは、昨年の夏に問題となった作家の百田尚樹氏の発言のことでした。

すなわち、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』があり、さらには元NHK経営委員を務めた作家の百田直樹氏が、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと自分が発言したことに関して、昨年、8月8日に東京都内で記者会見を行って「一民間人がどこで何を言おうと言論弾圧でも何でもない」と述べていたのです。

この発言に関して当初は百田氏を擁護していた安倍首相が3日の「衆院特別委員会」で「心からおわび」との発言をしたのに続き、菅官房長官も翁長知事との4日夜の会談で、沖縄をめぐる発言について「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝していました。

リンク→元NHK経営委員・百田尚樹氏の新聞観

しかし、安倍政権は陳謝する一方で陳謝させられたことに対する仕返しのように今度は閣僚が、上から目線で「放送や報道の萎縮につながる」発言を公然と始めたように思われます。

安倍政権の強圧的な姿勢については、〈安倍政権による「言論弾圧」の予兆〉(2014年12月13日)でも論じましたが、かつての内務省の流れを強く受け継いでいる総務省の大臣である今回の高市発言からは、ドイツ帝国にならって「内務省」の権限を強化し、「新聞紙条例」などで言論を厳しく弾圧した明治時代の「薩長藩閥政府」との類似性と危険性を強く感じます。

リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

〈司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって〉を「主な研究」に掲載

先ほど、論文〈司馬遼太郎と小林秀雄――「軍神」の問題をめぐって〉を二つに分割しましたので、後半の部分も「主な研究」に掲載します。

「司馬遼太郎と小林秀雄(2)」の構成は以下のとおりです。

はじめに

一、司馬遼太郎の『殉死』と芥川龍之介の『将軍』

二、小林秀雄の『将軍』観と司馬遼太郎の「軍神」批判

 

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(1)――歴史認識とイデオロギーの問題をめぐって

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって