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5年前のレベル7の大事故を振り返り、新たな一歩へ

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から早くも5年をむかえたことで、新聞各社は「東日本潰滅の危機」さえあった当時の大事故を振り返る記事を掲載し、テレビ局も現在の状況に迫るニュース番組を放送しました。

リンク→真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

一方、原発事故による放射能「汚染水」問題さえも収束していないにもかかわらず、「アンダーコントロール」と世界に宣言していた安倍首相は、10日の記者会見でも「原子力規制委員会が判断した世界最高レベルの新たな規制基準」を強調しながら、「再稼働を進めるとの一貫した方針に変わりない」と表明しました。

しかも、このように危険な「原発」の再稼働を強引に行う安倍内閣は、旧ソ連のような言論への圧力も強めています。

それゆえ、ここではこのホームページを立ち上げるきっかけともなった1988年に『人間の場から』第10号に発表した論稿「劇《石棺》から映画《夢》へ」をふりかえりつつ、福島第一原子力発電所の大事故を映画《夢》などをとおして考察した2013年の記事へのリンク先と記事の章立てを示すことにします。

過去をきちんと学ぶことにより、未来への可能性も見えてくるでしょう。

「劇《石棺》から映画《夢》へ」の構成

はじめに チェルノブイリ原発事故と劇《石棺》/  一、「演じることと見ること」/ 二、劇《石棺》/ 三、映画《夢》と福島第一原子力発電所の事故/ 四、日本の原発行政と「表現の自由」

リンク劇《石棺》から映画《夢》へ

高浜原発に停止命令――21世紀のエネルギー政策への英断

大津地裁が「新基準で安全といえず」として、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止める決定をしました。

このことを報じた10日付けの「東京新聞」は、〈東京電力福島第一原発事故の原因究明が進んでいない状況を重視し、政府が「世界一厳しい」と強調する原子力規制委員会の新規制基準に「関電の主張や説明の程度では公共の安心、安全の基礎と考えるのはためらわざるを得ない」と疑問を呈した。〉ことを伝えるとともに、〈申し立てた住民は原発の半径約七十キロまでの範囲に居住。各地の原発で同じ条件を当てはめれば立地県外でも多くの自治体に影響し、広域被害の議論に一石を投じそうだ。〉と記しています。

「福島第一原発事故の避難生活による体調悪化などが原因の「震災関連死」は2月末時点で、岩手、宮城、福島3県で計3405人に上った」事実を伝えた「東京新聞」は、「11日で震災から丸5年。長期にわたる避難が、被災者の心身に影響し続けている」とも記しています。

「朝日新聞」(デジタル版)も大津地裁の決定を受けて、小泉元首相が、「国民の根強い原発に対する不安や、原発事故を起こしてはいけないという、国民の意思をよく受け止めたものではないか」と述べるとともに、高浜原発1、2号機の再稼働を、原子力規制委員会が例外扱いで認めたことを「安全第一といいながら、収益第一になっている」と批判したことも伝えています。

一方、実質的には原発事故による放射能「汚染水」問題さえも収束していないにもかかわらず、「アンダーコントロール」と世界に宣言していた安倍首相は、10日の記者会見で「原子力規制委員会が判断した世界最高レベルの新たな規制基準に適合した原発だけ再稼働を進めるとの一貫した方針に変わりない」と表明したとのことです。

しかし問題は、NHKの経営委員会などと同じように、安倍内閣の意向に忠実な者が選ばれているとしか思えない「原子力規制委員会」の判断自体が怪しくなって来ていることです。

明日は福島第一原子力発電所の大事故から5年を迎えますので、勇ましい言葉で「国民」を煽る一方で、利権を重視して「国民の生命や財産」に対しては責任を取ろうとしない安倍内閣の問題をとおして、21世紀のエネルギー政策を問う記事を書きたいと思います。

リンク→「原子力規制委員会」関連記事一覧

リンク→原発事故関連記事一覧

百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性

百田氏は2014年11月にツイッターで、〈たかじん氏の娘が出版差し止め請求の裁判を起こしてきた。裁判となれば、今まで言わなかったこと、本には敢えて書かなかったいろんな証拠を、すべて法廷に提出する。一番おぞましい人間は誰か、真実はどこにあるか、すべて明らかになる。世間はびっくりするぞ。〉と記していました。

その百田氏がノンフィクションを謳った『殉愛』(百田尚樹/幻冬舎)の第9回口頭弁論が、3月2日に東京地裁で開かれたとのことです(「リテラ」3月3日)。

この裁判の模様を伝えた記事は、作者の証言からは「むしろ、百田氏自身の“ずさんな取材”の実態ばかりが露呈した」と記していましたが、3月5日には「リテラ」は次のように報じています。

*   *   *

だが、百田氏は全く懲りていないらしい。4日に配信したメールマガジンで裁判報告をしているのだが、いきなりこう切り出したのだ。

〈その裁判は、私が書いた『殉愛』という小説に関係したものです。〉

え、小説!? この本は〈かつてない純愛ノンフィクション〉(『殉愛』帯の惹句)だったはずだが、小説だったの!? ……一応、百田氏はつづけて〈『殉愛』はやしきたかじん氏の最後の2年間を描いたノンフィクションです。〉とも書いているが、これは今後、「小説のつもり」とでも言い訳するための布石なのだろうか……。

*   *   *

問題は、売るためには「事実」をも歪めて書くことも許されるという「ノンフィクション」観を持つ小説家の百田氏が、安倍政権によって、「事実」を報道することが求められている「公共放送」のNHKの経営委員に任命されていたことです。

このブログでは「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』」と題した一連の記事で、「この小説のテーマは「約束」です。 /言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です。」との「著者からのコメント」の付けられたこの小説の構造が、「オレオレ詐欺」の手法ときわめて似ていることを指摘し、「言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語」を美化したこの小説の「詐欺」性に注意を促してきました。

同じようなことは、『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)の共著者でもある安倍晋三氏の政治にも当てはまるでしょう、

百田氏の著作の「フィクション性」や関係者の人々への「誹謗」や「中傷」が焦点になっているこの裁判は、戦前の標語と同じように「威勢が良く」、「美しい」スローガンによって原発事故の「事実」から眼を逸らし、「アベノミクス」の負の側面を隠している安倍政治の危険性をも暴露するものになっていると感じます。

 リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

リンク→〈「昭和初期の別国」と『永遠の0(ゼロ)』〉関連記事一覧

高市早苗総務相の「電波停止」発言と報道の危機――「私たちは怒っています!」

「環境の日」を知らなかった丸川珠代環境相が、メディアについて「自分の身を安全なところにおいて批判していれば商売が成り立つ」「文句は言うけど何も責任は取らない」などと批判的な発言していたことも報じられていました。

しかし、先ほども記したように、2013年6月18日に「東京電力福島第一原発事故で死者が出ている状況ではない」として原発の再稼働を求めて、「政治家を辞めるべき」と厳しい批判を浴びた高市氏が総務大臣となると、政権の独裁的な手法を批判するメディアを敵視して、恫喝的な発言を繰り返していることにはきわめて大きな問題があると思われます。

リンク→内務省の負の伝統」関連の記事一覧

このような状態にたいして、29日に日本記者クラブで記者会見を開いた金平茂平氏らのキャスターが「私たちは怒っています!」との声をあげ、「電波法停止発言は憲法、放送法の精神に反している」という声明を発表しました。

このニュースは昨日の、「朝日新聞」デジタル版で大きく報じられていましたが、今朝の「東京新聞」の「こちら特報部」でも、「息苦しさまん延」「負けられぬ戦い」などの見出しとともに大きく報じられていました。

この記事では田原総一朗氏が、高市氏の発言を「恥ずかしい発言で、全テレビ局の全番組が抗議すべきだ」と訴えたほか、鳥越俊太郎氏が「負ければ戦前のような大本営発表になる」と語ったことも伝えています。

一方、谷垣禎一幹事長は、27日放送のBS朝日の番組で「私はそういうことに自民党が踏み込んでいくのは非常に慎重で、それが自民党の放送政策だと思っている」と高市発言に否定的な考えを示したとのことです。

それならば、それまでの「自民党の放送政策」を否定し、独裁的な手法でメディアの自粛を強要している高市氏の即時罷免を安倍氏に進言すべきでしょう。自公両党にも良心的で骨のある議員は少なくないと思われますので、自分の選挙のためではなく孫や子の世代のことまで考えて、危険な安倍政権の実体を直視して頂きたいと願っています。

「映画・演劇評」のタイトル一覧をテーマ別に変更

項目が増えてきて見つけにくくなりましたので、「映画・演劇評」のタイトル一覧を年代順からテーマ別に変更し、ブログに連載した記事のタイトルも掲載することにしました。

タイトル一覧Ⅰ.には1,黒澤映画 2,黒澤映画と深い関係のある映画を、タイトル一覧Ⅱ.のⅠには、1,ゴジラ 2,宮崎駿映画 3,その他を、 Ⅱには演劇関係を掲載します。

〈「アベノミクス」の詐欺性〉関連記事一覧

2月18日の「東京新聞」は「こちら特報部」の記事で、安倍政権が行っている「『公私混同』の公金投入」の問題として、「年金積立金の株運用拡大」、「原発交付金再稼働を重視」、さらに「辺野古周辺に直接補助金」投入していることなどを指摘していました。

このブログでも「安倍政権の経済感覚」を問題視する記事を書いていましたが、アベノミクスの問題点を指摘した一連の記事を〈「アベノミクス」の詐欺性〉としてアップします。

 

〈「アベノミクス」の詐欺性〉関連記事一覧

「アベノミクス」の詐欺性(4)――TPP秘密交渉担当・甘利明経済再生相の辞任1月29日

「アベノミクス」の詐欺性(3)――公的年金運用の「ハイリスク」の隠蔽1月21日

「アベノミクス」の詐欺性(2)――TPP秘密交渉と「公約」の破棄1月20日

「アベノミクス」の詐欺性(1)――「トリクルダウン」理論の破綻1月19日

安倍政権の経済感覚――三代目の「ボンボン」に金庫を任せて大丈夫か

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

アベノミクスと武藤貴也議員の詐欺疑惑――無責任体質の復活(7)

「アベノミクス」と「年金情報流出」の隠蔽 

「アベノミクス」とルージンの経済理論(*ルージンは『罪と罰』に登場する利己的な中年の弁護士)

〈「昭和初期の別国」と『永遠の0(ゼロ)』〉関連記事一覧

司馬遼太郎氏が「昭和初期の別国」と呼んだ時代の問題点についてはこれまでいろいろと書いてきました。

ここでは『永遠の0(ゼロ)』を論じた記事を中心に、半藤氏の一利氏の「転換点」の感想を記した記事を纏めました。

戦前の戦争のための「勇ましい標語」と安倍政権の「美しいスローガン」の類似性については、別な形でまとめることにします。

 

 〈「昭和初期の別国」と『永遠の0(ゼロ)』〉関連記事一覧

「特定秘密保護法」と「オレオレ詐欺

「集団的自衛権」と「カミカゼ」

「集団的自衛権」と『永遠の0(ゼロ)』

「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(1)

『永遠の0(ゼロ)』と「尊皇攘夷思想」

「ぼく」とは誰か ――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(2)

沈黙する女性・慶子――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(3)

隠された「一億玉砕」の思想――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(4)

小林秀雄と「一億玉砕」の思想

「戦争の批判」というたてまえ――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(5

「作品」に込められた「作者」の思想――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(6)

「作者」の強い悪意――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(7)

「議論」を拒否する小説の構造――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(8)

黒幕は誰か――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(9)

モデルとしてのアニメ映画《紅の豚》――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(10)

歪められた「司馬史観」――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(11)

侮辱された主人公――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(12)

「戦争法」関連記事一覧

安倍内閣は2008年4月の国会答弁で弾道ミサイル防衛(BMD)整備費を全体で「八千億円から一兆円程度を要する」と説明していましたが、16年度予算案を含めると、BMD関連費用は累計で約一兆五千八百億円と、既に1.5倍2倍に達していることが判明しています(2月23日、「東京新聞」)。

安倍政権の言う「安保関連法」が相手国の脅威を煽ることで軍拡を推し進めた19世紀的な「戦争法」であることは明白になってきていると思えます。

それゆえ、「安全保障関連法案」について考察した一連の記事のタイトルを「戦争法」関連記事一覧として掲載します。

 

「戦争法」関連記事一覧

リメンバー、9.17(3)――「安保関連法」の成立と「防衛装備庁」の発足10月4日

リメンバー、9.17(2)――「法案審議の再開を求める申し入れ」への署名が32、000筆を超える10月4日

「安倍談話」と「立憲政治」の危機(2)――日露戦争の賛美とヒトラーの普仏戦争礼賛9月23日

リメンバー、9.17 ――「忘れる文化」と記憶の力9月22日

〈「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い〉を転載9月22日

安倍政権の「民意無視」の暴挙と「民主主義の新たな胎動」9月20日

参院特別委員会採決のビデオ判定を(4)――福山哲郎議員の反対討論と産経新聞のスクープ記事9月20日

参院特別委員会採決のビデオ判定を(3)――NHKが中継放映した「採決」の実態9月19日

参院特別委員会採決のビデオ判定を(2)――「民主主義」の重大なルール違反9月18日

参院特別委員会採決のビデオ判定を(1)―NHKの委員会中継を見て9月17日

李下に冠を正さず――ワイドショーとコメンテーター9月17日

「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相9月15日

「安倍談話」と「立憲政治」の危機(1)――明治時代の「新聞紙条例」と「安全保障関連法案」9月8日

「戦争法」(「安保関連法」)の廃止にむけて

安倍政権の閣僚たちの問題が次々と発覚するなど、世の中が激しく動いているためになかなか記事が追いつきませんが、2月19日の「東京新聞」社説は、「民主、共産、維新、社民、生活の野党五党」が「安保関連法を廃止するための法案を提出する」ことを伝えるとともに、その意義を次のように記していました。少し長くなりますが、重要な指摘なので引用しておきます。

*    *    *

「安倍政権が成立を強行した安保関連法の最大の問題点は、主に自民党が担ってきた歴代内閣が踏襲してきた、集団的自衛権の行使をめぐる政府の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変更してしまったことにある。…中略…

戦後制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。/ 日本国民だけで三百十万人の犠牲を出し、交戦国にとどまらず、近隣諸国にも多大な犠牲を強いた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。

その後、日米安全保障条約によって米軍の日本駐留を認め、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限の範囲にとどめる「専守防衛」を貫いてきた。 …中略…

自国に対する武力攻撃は実力で排除しても、海外で武力を行使することはない。日本国民の血肉と化した憲法の平和主義は、戦後日本の「国のかたち」であり、安全保障政策の根幹である。/ 安倍内閣が二〇一四年七月に行った、集団的自衛権の行使を一転認める閣議決定は、憲法の法的安定性を損ない、安保政策の根幹をゆがめるものだ。この閣議決定に基づく安保関連法に対して、多くの憲法学者が「憲法違反」と断じるのは当然だろう。

日本の安保政策を、専守防衛という本来の在り方に戻すには、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を撤回し、安保関連法を廃止する必要がある。

*    *    *

テレビなどは国家の存亡を危うくするような事態を直視せずに政治的な話題を避けているようですが、そのような姿勢では「日本新聞博物館」で展示されている治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の歴史を繰り返すことになる危険性が高いと思われます。

昨年秋の激動の時期を振り返るために、次のブログでは「安倍談話」と「立憲政治」の危機(1)――明治時代の「新聞紙条例」と「安全保障関連法案」と題した9月8日から10月4日のリメンバー、9.17(3)――「安保関連法」の成立と「防衛装備庁」の発足までの記事を「戦争法」関連記事一覧として掲載します。

「文明論(地球環境・戦争・憲法)」のページを作成し、「書評・図書紹介」より題名変更

文明論関係の記事が増えましたので「文明論(地球環境・戦争・憲法)」のページを作成し、「書評・図書紹介」より題名変更しました。

これに伴い、これまでの「著書・共著」と「書評・図書紹介」を合併しました。

なお、「文明論(地球環境・戦争・憲法)」の表題などは、いずれ暇を見て訂正したいと考えています。

今のところ、このページへは以前の「書評・図書紹介」のページから入るか、メニューの〈「核の時代」と「日本国憲法」の重要性〉からリンク先に飛ぶことができます。