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「核兵器禁止条約交渉」への不参加と安倍首相の「積極的平和主義」

昨日(3月28日)のNHKニュースは、「核兵器禁止条約交渉」に日本が不参加を表明したことを伝えるとともに、「唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えてきた日本も参加しないことを表明し、核軍縮をめぐる各国の立場の違いが際立つ形となっています」と説明しています。

日本が交渉に参加しないという方針を表明したことについて、〈被爆者の代表として国連で演説を行った日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の藤森俊希事務局次長は「日本政府はこれまで唯一の戦争被爆国という枕言葉をよく使ってきたが、その唯一の戦争被爆国は私たち被爆者が期待することと全く逆のことをしており、賛同できるものではない。日本政府は世界各国から理解が得られるよう、核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と〉、日本政府の対応を批判したことも伝えています。

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今回の事態により2016年の広島市で行われた平和記念式典のあいさつで核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則に言及しなかった安倍首相の「積極的平和主義」や公明党などの賛成により強行採決された「安全保障法案」の危険な本質がいっそう明らかになったと思えます。

それだけでなく戦争を美化する思想の持ち主であることから防衛大臣に抜擢されながら、自分もかかわっていた森友学園問題で、虚偽答弁を繰り返したかだけでなく、自衛隊の「日報」隠蔽問題にも深く関わる稲田朋美氏を未だに重視している安倍内閣の無責任さや危機管理能力のなさも浮かび上がってきました。

それゆえ、2016年8月7日に書いた「安倍首相の「核兵器のない世界」の強調と安倍チルドレンの核武装論」を再掲します。

このような事態になることを危惧して急いで上梓した拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の書影と関連する記事へのリンク先も記しておきます。

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(広島と長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲、1945年8月、図版は「ウィキペディア」より)

安倍首相が広島市で行われた平和記念式典のあいさつで、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則に言及しなかったことが波紋を呼んでいます。

以下、新聞などの記事によって簡単に紹介した後で、安倍首相が本気で「核兵器のない世界」を願うならば、「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』(2014年4月22日号)に投稿していた武藤貴也議員を参院特別委員会に呼んでその見解を質し、今も同じ考えならば議員辞職を強く求めるべき理由を記したいと思います。

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平和記念式典の後で行われた被爆者団体代表との面会では、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として非核三原則を堅持しつつ、世界恒久平和の実現に向けた努力をリードすることを誓う」と述べ、これに関し菅官房長官も同日午前の記者会見で「非核三原則は当然のことで、考えにまったく揺るぎはない」と説明したとのことです。

しかし、これらの「誓い」や「説明」の誠実さに疑問が残るのは、すでに多くの新聞や報道機関が指摘しているように、その前日に行われた参院特別委員会で中谷元・防衛相が、戦争中の他国軍への後方支援をめぐり、核兵器を搭載した戦闘機や原子力潜水艦などへの補給は「法律上除外する規定はない」として、法律上は可能との認識を示す一方で、「非核三原則があり提供はありえない」とも述べていたからです。

枝野幸男・民主党幹事長が批判をしているように、武器輸出三原則などの大幅な緩和をしたばかりでなく、「弾薬は武器ではない、その武器ではないもののなかに、ミサイルも入る(と言う)。それに核弾頭が載っていてもそれが(輸送可能な弾薬の範囲に)入る」と説明した安倍内閣の閣僚が、「非核三原則があります、(だから輸送しない)と言っても、ほとんど説得力をもたない」でしょう。

さらに、被爆者団体代表との面会で安全保障関連法案が、「憲法違反であることは明白。被爆者の願いに背く法案だ」として撤回を強く求められた安倍首相は、「平和国家としての歩みは決して変わることはない。戦争を未然に防ぐもので、必要不可欠だ」と答えたようですが、すでに武器輸出三原則などの大幅な緩和をしている安倍首相が、「平和国家としての歩みは決して変わることはない」と主張することは事実に反しているでしょう。

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今回の安倍氏の「あいさつ」で最も重要と思われるのは、秋の国連総会で新たな核兵器廃絶決議案を提出する方針の安倍首相が、「核兵器のない世界の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意」を表明し、来年のG7(主要七カ国)外相会合が広島で開かれることを踏まえて「被爆地からわれわれの思いを国際社会に力強く発信する」とも述べていたことです。

このこと自体はすばらしいと思いますが、国際社会に向けたパフォーマンスをする前に安倍首相にはまずすべきことがあると思われます。

それは安倍氏が本気で「核兵器のない世界」を願うならば、「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』(2014年4月22日号)に投稿していた武藤議員を参院特別委員会に呼んでその見解を質し、今も同じ考えならば議員辞職を強く求めるべきことです。

参院特別委員会でも「安全保障関連法案」には多くの深刻な問題があることが次々と明らかになっているにも関わらず、「強制採決」に向けて粛々と審議が行われているように見えます。

しかし、国際社会にむけて未来志向の「美しい言葉」をいくら語っても、武藤議員の発言を厳しく問いただすことをしなければ、「日本を、取り戻す。」を選挙公約にした安倍政権の本当の狙いは、戦前の「日本人的価値観」と軍事大国の復活にあるのではないかという疑いを晴らすことはできないでしょう。

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→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画、2016)

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無責任な政治家と終末時計の時刻

終末時計(図版は「ウィキペディア」より)

(縦軸には残りの時刻が横軸には年号が示されており、クリックすると画像が鮮明になります)

豊洲市場問題で責任を問われている石原慎太郎元都知事(現「日本会議」代表委員)は今日の記者会見で責任逃れに終始していたが、国会議員に当選した翌年の国会では、「非核三原則」を「核時代の防衛に対する無知の所産」のせいだと批判していた((拙著『ゴジラの哀しみ』4頁)。

さらに、八木秀次・現「日本教育再生機構」理事長との『正論』(産経新聞社)2004年11月号での対談では、「いっそ北朝鮮からテポドンミサイルが飛来して日本列島のどこかに落ちればいい。そうすれば日本人は否応もなく覚醒するでしょう」と語っていた(同上、170頁)。

一方、現実からの逃避とも思えるこのような政治家の無責任な発言や安倍現首相などの無作為などから地球規模の危機は進み、朝日新聞は今年1月27日のデジタル版に次のような記事を掲載していた。

「米国の科学者らが毎年公表している地球滅亡までの残り時間を示す「終末時計」が2年ぶりに30秒進められ、残り2分半になった。核兵器増強を主張するトランプ米大統領の就任や北朝鮮の核実験、地球温暖化などを重く見た。米国と旧ソ連が対立した冷戦時代以来の深刻さという。」

そして今日の「東京新聞」は文化欄に「終末時計が30秒進む 恐怖の時代に刻々と…」の見出しで、次のように結ばれる池内了・総合研究大学大学院名誉教授の記事を掲載している。

「世界が不安定化して一触即発の状況になりつつあるという警告で、軍国主義化する日本も例外ではない。終末時計を見て、今私たち人類が陥っている愚かしさをじっくり考えてみる必要がありそうである。」

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

(はじめに 1、「原爆の申し子」としてのゴジラ 2,水爆「ブラボー」の実験と「第五福竜丸」事件 3,水爆大怪獣「ゴジラ」 4,核戦争の恐怖と映画《生きものの記録》 5,チェルノブイリ原発事故と「第三次世界大戦」 6,福島第一原子力発電所事故と映画《夢》 7,黒澤明と作家ガルシア・マルケスとの対談)

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(↑ 画像をクリックで拡大できます ↑)

【映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌をたどるとともに、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物の言動を詳しく分析することによって、神話的な歴史観で原発を推進して核戦争にも対処しようとしている「日本会議」の危険性を明らかにし、黒澤明監督と宮崎駿監督の映画に描かれた自然観に注目することにより、核の時代の危機を克服する道を探る】。

稲田朋美・元防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(改訂版)

はじめに

新聞やテレビのニュースなどをとおして、「森友学園」問題の本質とその根の深さが徐々に明らかになってきている。

菅野完氏の『日本会議の研究』では「『生命の実相』を掲げて講演する稲田朋美・自民党政調会長(当時)」と園児たちに「愛国行進曲を唱和させる塚本幼稚園」との深い関係についてもふれられていた(221~232頁)。

さらに今日(3月4日)は、「復古」的な価値観を語る稲田朋美・防衛相が国会で、虚偽答弁の疑いのある発言をしていたことも判明したので、以下にそれに関する記事と考察を追記する。

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昨年に12月に安倍首相とともにハワイの真珠湾を訪問して戦没者慰霊式典に出席していた稲田朋美防衛相は、帰国すると靖国神社に参拝して「神武天皇の偉業に立ち戻り」、「未来志向に立って」参拝したと語った。

その時は弁護士でもある稲田氏が明治の薩長政権が掲げた「王政復古」の理念の流れに沿う「神武天皇の偉業」に立ち戻ることと「未来志向」との論理的な矛盾を無視していることに驚かされた。

今度は森友学園理事長に感謝状を授与していた稲田防衛相が、2月22日の国会質疑で民進党の大西健介議員の前から塚本幼稚園を知っていたかとの質問に、「聞いたことはありますけれど、その程度でございます」と答弁していたにもかかわらず、15年3月に「保守の会」会長の松山昭彦氏がFacebookに書いた記述によっていたが顧問弁護士を努めていたことが判明した。

この後、松山氏は「顧問弁護士だったのは稲田先生の旦那さんの方でした」と訂正したが、菅野完氏の3月12日のインタビューと平成17年の文書によって、夫の稲田龍示氏だけでなく稲田朋美防衛相も森友学園の訴訟代理人を務めていたことが明らかなった。

さらに、「教育勅語」を暗唱させるだけでなく、「愛国行進曲」を唱和させていた塚本幼稚園には「思想教育」の懸念や「児童虐待」の疑惑もあった。その塚本幼稚園の3人もの教員が文部科学大臣優秀教員に認定されていたことも明らかになった。

安倍内閣ではほとんどの大臣が「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属しているが、「アッキード事件」とも呼ばれる今度の事態からは、彼らが重視しているのは「国民の意見」ではなく、「日本会議」の意向と「お友達の利権」であることが感じられる。

文部科学大臣の松野博一・衆議院議員もこれら二つの「国会議員懇談会」だけでなく、安倍首相を会長とする〈創生「日本」〉に所属している(『日本会議の全貌』花伝社、資料21頁)。

安倍首相夫妻と「日本会議大阪運営委員」である「森友学園」の籠池泰典・園長との関わりだけでなく、虚偽答弁と思われる稲田防衛相の発言や、どのような基準で文部科学大臣優秀教員に選ばれたのかをも追究する必要があるだろう。

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稲田朋美・自民党政調会長(当時)の発言が忠実に記録されている菅野完氏のホームページhttps://hbol.jp/129132  @hboljpからは、安倍元総理(当時)との深い繫がりだけでなく、共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)を出版していた『カエルの楽園』の作者・百田尚樹の憲法観との強い類似性も感じられる。

すなわち、「第六回東京靖国一日見真会」で稲田朋美・自民党政調会長(当時)」は、自分と主張がほとんど同じ聴衆に向かってこう語っていた。

「だいたい弁護士とか裁判所とか検察官とか特に、弁護士会ってとても左翼的な集団なんですね。なぜかというと憲法教、まぁ憲法が正しい、今の憲法が正しいと信じている憲法教という新興宗教(会場爆笑)がはびこっているんですねぇ。」(太字は菅野)

第90回帝国議会の審議を経て1946年11月3日に公布された「日本国憲法憲法」を守ろうとすることを「憲法教」と嘲笑するだけでなく、「新興宗教」とも名付けていることに驚かされるが、『カエルの楽園』の著者も2013年10月7日付のツイートでこう記していた。

「もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。」(太字は高橋)

広島と長崎に投下された原爆の悲劇が象徴的に物語っているように、科学技術の進歩に伴って兵器の威力も増大し、大規模な世界戦争が起きれば地球の破滅も予想されるようになっていた。そのような中で戦争を起こさないように努力することは、もはや単なる理想ではなく、現実的な要請だったと思える。

それゆえ、このような暴言を吐くことは現在ある戦争の危機から眼を背けるだけでなく、第90回帝国議会の審議にかかわったすべての政治家をも侮辱することにもなると思える。

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以下に、関連記事へのリンク先を記す。

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「安倍晋三記念小学校」問題――「日本会議」の危険性

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

「日本会議」の歴史観と『生命の實相』神道篇「古事記講義」

 オーウェルの『1984年』で『カエルの楽園』を読み解く――「特定秘密保護法」と監視社会の危険性

 (2017年3月4日、3月8日・14日加筆、2023年10月25日、改訂

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(1)

安倍首相夫人の挨拶(写真はネット情報より)

「東京新聞」の「こちら特報部」は、2月21日の記事でHPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載するとともに、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しで「森友学園」への【国有地払い下げ】問題を特集していました。

2月26日の朝刊でも、「『親学』こそ源流」との見出しで、「親学推進議員連盟」の初代会長を務めた安倍首相により、「戦時家庭教育指導要綱」と似ている「家庭教育支援法案」が党内の了承手続きを終えたことの危険性が「森友学園」問題との関連で指摘されていました。

そして、今日(2月28日)の「こちら特報部」(25面)では、「否定された軍国主義の要」である『教育勅語』を教育の中心に据えようとする「森友学園」の問題を特集し、安倍首相夫人が2015年5月の講演で、「教育方針は大変主人も素晴らしいと思っている」と褒め称えていたことなどを紹介するととともに、憲法学者・小林節氏の「公教育では『違憲』認可論外」との見解を紹介していました。

「森友学園」問題と「教育勅語」の問題を分析したこの記事は、戦前の日本における教育現場を分かり易く視覚的に再現したような「森友学園」問題の根幹に迫っていると思えます。

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この記事は「森友学園」が計画する小学校では、「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」を目的としているが、このような教育方針は戦前の価値観の復活をめざす「日本会議」の方針とまったく重なっていると言えよう。

なぜならば、島薗進氏が指摘しているように、「教育勅語」では「父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公など十二の項目が列挙されて」おり、「儒教の徳目に対応するような、ある程度の普遍性をもつ道徳規範」も記されているが、「始まりと終わりの部分で天皇と臣民の間の紐帯、その神的な由来、また臣民の側の神聖な義務について」述べられているという構造を持っているからである(『国家神道と日本人』岩波新書)。

教育勅語

(図版は「ウィキペディア」より、クリックで拡大できます)

「教育勅語」では、臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられているが、「国体」という概念は、「神武創業ノ始」からあるものではなく、「会沢正志斎が『新論』の第一部に「国体」という篇名をつけ、日本の政体のあるべき姿」を論じたことに由来していた(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、38頁)。

靖国史観(図版は紀伊國屋書店より)

しかも、『新論』が刊行された翌年の一八五七年に朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」ことから、「国体」という概念は幕末の「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになり、「神の意を奉じる天皇の軍隊」が行う戦争は、「聖戦」と位置づけられるようになったのである(同書、65~67頁)。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介を『出版ニュース』2月下旬号より転載

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『出版ニュース』2月下旬号に拙著の紹介が掲載されましたので、HP用に改行したうえで転載します。

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初代の『ゴジラ』(1954年)は冷戦下の核をめぐる〈文明論的な課題を直視した映画〉であった。

本書は『ゴジラ』を起点に、黒澤明、宮崎駿、司馬遼太郎を論じ、小説・映画がヒットした『永遠の0』に込められた戦争観、歴史観の問題を掘り下げる。

第一部は『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』に至る国産のSF怪獣映画に流れる思想を検証。

第二部は、『永遠の0』の構造をナショナリズムの危うさと報復の連鎖として位置付ける。

第三部は黒澤の『夢』『七人の侍』、宮崎の『風の谷のナウシカ』『風立ちぬ』に通底する理念を引き引き出す。

作品・作家論から戦後精神の行方をトータルに捉えた批評集。

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(『出版ニュース』 2017年2月下旬号「ブックガイド」より)

→ http://www.snews.net/news/1702c.html

オーウェルの『1984年』で『カエルの楽園』を読み解く――「特定秘密保護法」と監視社会の危険性

はじめに

「安全保障関連法案」を閣議で決定した頃から安倍首相の独裁的な手法が目立ってきたが、最近はことにその傾向が強まっているので、ジョージ・オーウェルの『1984年』で『カエルの王国』を読み解くことにより、安倍政権の中核をなしている「日本会議」のイデオロギーの危険性に注意を向ける下記の書評を書いた。

一方、札幌学院大学教授の川原茂雄氏は以下のようなツイートで『1984年』の「ニュースピーク」と安倍政権の用語の類似性を次の図版で具体的に示している。

ニュースピーク(← 画像をクリックで拡大できます)

「戦争は平和である」「自由は隷従である」「無知は力である」これはジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた独裁国家の「ニュースピーク」です。いまこの本がアメリカでベストセラーになっているそうですが、すでに日本では、このような「ニュースピーク」は現実になっています。(川原茂雄@skawahara1217

この言葉は安倍政権の危険性を分かり易く説明していると思えるが、このような現実を見えにくくしているのがノンフィクションと謳った『殉愛』や安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』の著書がある百田尚樹氏の作品だと私は考えている。

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反戦小説と謳いつつ、戦前の価値観を賛美していた『永遠の0(ゼロ)』の作者による『カエルの王国』については、気にはなりつつもそのままになっていた。

しかし「全国民必読。圧巻の最新長編」と帯で謳われ、「20万部突破!!」という大きな文字とともに、「これほどの手応えは『永遠の0』、『海賊とよばれた男』以来、これは私の最高傑作だ」という著者の言葉が記されているのを見て、やはり『永遠の0(ゼロ)』論を書いた以上は読む責任があるだろうと考えるにいたった。

読み始めてみると、洞穴に住んで「年中、他のカエルの悪口やら、滅茶苦茶なでたらめを言いまくっている」ハンドレッドという名前のカエルの言動などが面白おかしく描かれており、三章からなるこの小説を一気に読み終えてしまった。

『カエルの楽園』はノンフィクションと謳われた『殉愛』よりもはるかに深く、安倍政権の閣僚や「日本会議」の論客たちから強く支持されている作者の思想の本質を示しているように見える。

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まず、「リテラ」(2017年1月26日)に掲載された宮島みつや氏の記述を引用することによって、『カエルの楽園』の粗筋を見ておこう。

物語は国を追われた2匹のアマガエルが、「ナパージュ」という国にたどりつくところから始まる。このナパージュに住むのはツチガエル。このツチガエルたちは「一.カエルを信じろ。二.カエルと争うな。三.争うための力を持つな」という「三戒」を守り、何を謝っているのかわからないまま、「謝りソング」というものを歌っていつも謝っている。

一方、ナパージュの崖の下には「気持ちの悪い沼」があり、そこには「あらゆるカエルを飲みこむ巨大で凶悪な」ウシガエルが住んでいて、ナパージュの土地を自分たちの土地だと言い張り、侵略しようと虎視眈々と狙っているのだが、ナパージュのカエルたちは「三戒」のおかげで平和が守られていると信じている。

聡明で真実を語る存在として、安倍首相と思しきプロメテウスなるカエルや、百田自身のことらしいハンドレッドなるカエルが登場して、「三戒」破棄を主張する。

ところが、長老のデイブレイク(どう考えても朝日新聞のことだろう)に影響を受けたツチガエルたちは、これを拒否。その結果、ウシガエル(中国人)によるツチガエル(日本人)の大殺戮がおき、あっという間に国中をウシガエルに占拠され、ナパージュ(日本)は滅亡してしまう。オシマイ。

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このように簡単に粗筋を紹介した宮島氏は、「なんのひねりもないのでもうおわかりだと思うがナパージュは日本、ツチガエルは日本人。でもって、三戒は憲法9条、謝りソングは自虐史観で、凶悪なウシガエルは中国」であると指摘している。

そして、「三戒」の重要性を説く長老のデイブレイクは、「どう考えても朝日新聞のことだろう」とし、ようするに『カエルの楽園』は、「日本の過去の戦争を肯定し、憲法9条改正を扇動する極右プロパガンダ小説なのである」と結んでいる。

ただ、問題は〈G・オーウェル以来の寓話的「警世の書」〉と謳われているこの小説を買って読む読者が日本には、20万人以上もいるという現実である。

一方、米紙ニューヨーク・タイムズによると、「批判的なメディアなどを敵視するトランプ政権の発足した」20日以降の、G・オーウェル著『1984年』の「売り上げは9500%増に。出版社は既に7万5千部を増刷したが、追加発注も検討している」という事態が起き、日本でもかなり売れているとのことである。

(書影はアマゾンより) → https://t.co/v823uBPxCI

このような現象には『1984年』に描かれていたような監視社会が、技術力の進歩によって可能になったことへの危機感が如実に現れていると思われる。

すなわち、ソ連社会を風刺的に描いたとも評されてきたこの小説は、一時は「反共主義のバイブル」とも見なされたが、オーウェル自身が語っていたようにここで彼が批判しているのはソ連型の社会だけでなく、「新言語を強制し、歴史を改ざんし国民の論理的な思考を封じる」全体主義的な国家なのである。

しかも、この小説では三つの超大国――オセアニア、ユーラシア、イースタニア――が互いに争いつつ世界を支配しているが、舞台となっている超大国オセアニアの主流となっている哲学は「イングソック」で、ソ連型の国家が支配するユーラシアでは「ネオ・ボリシェヴィズム」であり、イースタニアでは「死の崇拝」あるいは、「個性の滅却」と訳すことができる哲学が主流となっている。

解説者ピンチョンの説明によれば、イースタニアとは戦前の日本型の国家をモデルとしていたのである(ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』早川書房)。

学徒出陣

出陣学徒壮行会(1943年10月21日、出典は「ウィキペディア」)

→『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(2)――「海ゆかば」の精神と主人公

『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(5)――『方丈記』の再発見と「死の美学」の克服

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前著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画、2016年)では、言論人・徳富蘇峰や作家・司馬遼太郎の歴史観に注目しながら、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物たちの発言を文学論的な手法で詳しく分析することにより、大ヒットしたこの小説が戦前の価値観への回帰を目指す「日本会議」のプロパガンダ小説ともいえるような性質を持っていることを明らかにした。

それゆえ、ここではオーウェルの『1984年』の批判精神を活かして、『カエルの楽園』を「イソップの言葉」で書かれた小説として読み解いてみることにする。

すると、「カエルを信じろ。二.カエルと争うな。三.争うための力を持つな」という「カエルの楽園」の「三戒」は、占領という実態を隠した「王道楽土」、「五族協和」、「八紘一宇」の三つのスローガンを暗示しているように思える。

つまり、ナバージュとはそれらの理想的なスローガンを掲げて建国された満州国であり、ツチガエルは夢を抱いて満州国に渡りながら、戦争末期には棄てられた移住民たちを指していたのである。

何を根拠にしているのかわからないまま、ツチガエルたちがいつも歌わされていた「勝利のソング」は、「無敵皇軍」を主張した軍歌と読むことができるだろう。

さらに、ウシガエルとされたのは二束三文で先祖伝来の土地を手放すことを強要されて「怨念」を抱いたその土地の人々であり、「聡明で真実を語る」プロメテウスやハンドレッドなるカエルは、治安維持法によって殺された『蟹工船』の小林多喜二や、「創価教育学会」の牧口常三郎などとなるだろう。

一方、長老のデイブレイクは大正の若者に「白蟻の勇気」をもつことを強要した思想家・徳富蘇峰に置き換えることができると思える。第一次世界大戦中の1916年に発行された『大正の青年と帝国の前途』において「忠君愛国の精神」の重要性を説き、「白蟻」のように勇敢に死ぬことを求めていた『国民新聞』の徳富蘇峰は、大日本言論報国会の会長として軍部の言論統制にも協力し、沖縄戦や広島・長崎の悲劇のあともあくまで戦争の続行を求めていた。

こうして、作者が揶揄していると思われる単語の代わりに別な単語を挿入するだけで、「死の崇拝」あるいは「個性の滅却」と訳される哲学が主流となっていたイースタニアと、満州国の建設に関わった岸信介元総理や「徹底した人命軽視の思想」で戦争を遂行していた戦前の旧日本軍の思想がきわめて似ていることがわかる。

しかも、『1984年』で繰り返して示されるオセアニアの三つのスローガン、「戦争は平和なり」、「自由は隷従なり」、「無知は力なり」は、ナチス・ドイツの哲学をもじったものであるが、最初の「戦争は平和なり」というスローガンは、「特定秘密保護法」を強行採決した安倍政権が掲げる「積極的平和主義」に対する痛烈な批判となり得ているように思える。

つまり、「イソップの言葉」で書かれた小説として読み直すとき『カエルの楽園』は、「現人神」と「祭政一致」という「国体」を守るためにすべての国民が生命を投げ出して戦うことが求められていた戦前の「白蟻の楽園」の実態を鋭く暴くとともに、「安倍政権」が行おうとしている「改憲」の危険性を見事に示していると言えるだろう。

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

(2017年2月11日、副題を追加。2月13日、4月5日、6月3日加筆、2019年6月21日、ツイートとリンク先を追加、2024/05/09、ツイートを追加)。

トップページの〈目次〉の項目を「国民の安全と経済の活性化のために脱原発を」と改題

2月3日には福島第一原子力発電所第二号機を調べたところ、内部の空間放射線量が数十秒の被ばくで人が死亡するレベルの530シーベルトに上るばかりでなく、 足場に大穴があり、作業がささらに難しくなったことが報道されました。

しかし、9日には新たに射線量が毎時650シーベルトと推定されたと発表され、足場の問題だけでなく、あまりにも射線量が多すぎるためにロボットでさえも、しばらくすると作業ができなくなることも判明しました。

今、テレビは東京都の豊洲問題を大々的に報じていますが、はるかに重大なのは福島第一原子力発電所事故の問題だと思われます。

それゆえ、トップページの目次の「黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観」を副題とし、上記の表記に改題します。

国民の安全と経済の活性化のためにも、原発を過去のエネルギーに。

本日(2月3日)の「東京新聞」の朝刊は「廃炉費用 いつのまにか高くつく」と題した社説で「クリーンで安全で安い」と自公政権が宣伝してきた原発の問題を鋭く指摘しています。

それゆえ、ここではこれまでツイッターに書いてきた私の見解と、映画をとおして原水爆や原発の危険性を指摘していた「黒澤明監督本多猪四郎監督の核エネルギー観」へのリンク先を示した後で、「東京新聞」社説を全文転載します。

*   *   *

〔大手電力会社の広告宣伝は42年間で2兆4000億円にも及び、政府広報予算も含めれば数倍にも膨れあがる(本間龍『原発プロパガンダ』)。国民の安全と経済の活性化だけでなく、国際社会のためにも原発は過去のエネルギーとすべきだろう。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/770972800915939328

〔アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年には世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の七分前であることに注意を促していた。しかし、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り三分」に戻ったと発表した。(図版は「ウィキペディア」より)〕。

リンク→ https://twitter.com/stakaha5/status/807404018741821440

〔ドイツでは、「事故が起きると、ほかのどんなエネルギー源よりも危険である。次の世代に廃棄物処理などを残すのは倫理的問題がある。原子力より安全なエネルギー源がある」との理由で脱原発に既に踏み切っている。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/803603174812577793

〔地震国でありながら国民の生命と安全とを危険にさらす原発の稼働を進め、原発の輸出を「成長戦略」の柱とする安倍政権の「異常性」については、「原発プロパガンダ」に負けないためにも、新聞などだけではなく一人一人が粘り強く指摘し続けていく必要があります。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/801263299857764352

〔台湾の政府も「脱原発」に踏み切った。原発の危険性と直面している県とその周辺だけでなく、大阪や東京など大都市の住民も、原爆や経済の問題を隠蔽している安倍政権の実態にそろそろ目覚めるべき時だろう。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/790341230563434496

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を――黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観

  *   *   *

「廃炉費用 いつのまにか高くつく」(「東京新聞」社説)

福島第一原発の天文学的事故処理費用、「過去に原発の恩恵を受けてきたから」と、結局は国民に広くツケ回し。過去に支払い済みの料金を値上げして、差額を徴収するなんて。そんなの、ありか。

東京電力福島第一原発の事故処理費。二十一兆五千億円。東京都の予算の三倍以上、とんでもない数字である。二〇一三年の暮れまでは十一兆円と見積もられていたが、二倍近くに増えた。

溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しだけでプラス六兆円という。

何しろ放射能の壁の中、人が直接触れられない、近づくことも不可能な別世界。とてつもなく困難な作業ということである。

東電は今月、2号機直下にロボットを投入し、溶け落ちた燃料の在りかを探る。事故から六年になろうとする今も、“敵”の居場所さえ、はっきりとはつかめていない。長い時間と巨額の費用をかけて、牛歩を続けていくしかない。この先いくらかかるか分からない、天井知らずということだ。

その費用は、誰が払うのか。

東電が賄うならば、電気代、政府が肩代わりするなら税金-。結局は、消費者、国民に、ツケが回るということだ。

賠償費用も約八兆円。経済産業省の考えるツケ回しの手法は、あまりにも理不尽だ。

託送料金。すなわち、電力自由化後も既存大手の独占状態にある送電線の利用料を引き上げて、原発の電気を買わない新電力の利用者からも、「過去分」として、広く、浅く、取り立てようというのである。「新電力の利用者も、過去に原発の恩恵にあずかったから-」と、よく分からない理由をつけて、東電救済にひた走る。しかもそれが、われわれの知らないところで決められる。

政府は避難指示を徐々に解除し、賠償を順次打ち切る方針だ。

被害者の救済には原因企業の存続が不可欠と言いながら、事故原因の究明、被害の実態把握はそこそこに、補償費の抑制をひたすら急ぐ-。水俣事件とそっくりだ。

安全対策に限りはない。欧米や台湾で原発の新設が行き詰まるのは、福島に学んだからだ。“安全代”の急騰が、東芝という巨大企業の屋台骨さえ、揺るがしているではないか。

もちろん、被害者の補償を含め、事故の後始末には十分な予算をつぎ込むべきである。しかし、だからこそ、「原発の電気は安い」などとは言わせない。

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2016年を振り返って――『ゴジラの哀しみ』の構想をめぐって

今年も残り少なくなってきました。

先ほどは、「無敵皇軍」「八紘一宇」「王道楽土」「五族共存」などの「美しいスローガン」を繰り返して、国民を戦争に駆り立てていた戦前の価値観を取り戻そうとして「改憲」を目指す安倍首相の2016年の発言集という説明とともに「リテラ」の記事をリツイートしました。→ http://lite-ra.com/2016/12/post-2811.html … @litera_webさんから

ここでは発行までに約1年を費やした『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の構想を記したツイッター記事をとおして今年6月の出来事を振り返っておきます。

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*   *   *

6月19日

ほとんどが「日本会議」のお仲間からなる内閣を率いる安倍首相のめざす「改憲」は、「専制的」で「反憲法」の色彩が強い内容になる危険性が高い。→ 安倍首相「次の国会から改憲議論」 参院選後 具体的に条文審査:政治(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016062090070558.html …

6月20日

国民に背を向けて権力者の圧力に屈するNHKに強い危機感を覚える。→「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」の感想、stakaha.com/?p=6033lite-ra.com/2016/06/post-2… @litera_webさんから

6月21日

「天災のことを考えたら我々は仕事が出来ません」と語っていた田中委員長の発言を振り返っておく。→原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6) | 高橋誠一郎 公式ホームページ stakaha.com/?p=4813

6月21日

近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』のお知らせ。原爆と原発の問題や歴史認識など安倍政権の問題点を可視化して考察。stakaha.com/?p=6110 (図版は露語版「ウィキペディア」) pic.twitter.com/uNsZBnxHLP

6月24日

筆者は映画の素人に過ぎないが、原発の大事故が描かれている黒澤映画《夢》の第六話「赤富士」を考察するなかで、この映画にも監督補佐として参加していた本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》をきちんと考察する必要性を感じた。

〔註――「映画《夢》が公開されたのは一九九〇年のことであったが、脚本の第一稿が書き上げられたのはチェルノブイリ原発事故が起きた一九八六年のことであった」(拙著『ゴジラの哀しみ』)より〕。

2) 一九七五年に公開された映画《メカゴジラの逆襲》を最後に本多監督が東宝から去ったことは、「先端技術をスマートに駆使して敵を撃破退する“格好いい”自衛隊」が描かれるようになる「ゴジラ」映画の変貌も示唆しているだろう。

3)一方、映画《ゴジラ》の翌年に公開された黒澤映画《生きものの記録》は、興行的には大失敗に終わったが、『モスラの精神史』で指摘されているように、この映画が映画《モスラ》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》を繋いでいる可能性が高い。

4)初代のゴジラがスクリーンに姿を現したのは、日本国憲法が公布されたのと同じ一一月三日のことであったが、このことは宮崎駿監督が小説『永遠の0(ゼロ)』の映画化を「神話の捏造」と厳しく批判した理由を考える上でも重要だろう。

5)小林節氏が指摘しているように「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている」現在、本書では映画《ゴジラ》などの考察をとおして原爆や原発だけでなく、「日本会議」的な歴史認識の危険性にも迫りたい。

6月24日

「安全保障関連法」が、「戦争法」であったことを裏付けるエンブレムです。→キャンペーン「陸上自衛隊に新エンブレムの撤回を求めます!」 に賛同をお願いします!

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〈陸自が、これまでの「国土防衛マーク」を捨てて、日本刀の「抜き身」をエンブレムに登場させました。「帝国陸軍軍人」が帯刀していたこと、それが飾り物ではなく実際に殺戮のために振るわれたことを記憶しているアジアの国々では戦前の「亡霊」が現れたと受け止めるでしょう〉。

(2017年7月11日、一部訂正)

 

「映画《風立ちぬ》と映画《少年H》」を再掲

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(映画《少年H》。図版は「Facebook」より)

ツイッターに大前治氏の下記のような文章が掲載されていました。

朝日新聞12月23日付「社説余滴」で拙著『逃げるな、火を消せーー戦時下トンデモ防空法』を紹介していただきました。空襲は怖くないという宣伝、空襲被害を隠す言論統制など、現代と重ねて考える題材として本書をお読みいただければ幸いです。」

この文章を読んで、拙著で次のように書いていたことを思い出しました。

「映画《少年H》の圧巻は、神戸の大空襲のシーンであろう。この場面は第三部で考察する映画《風立ちぬ》で描かれた関東大震災のシーンに劣らないような迫力で描かれている。

また、町内会で行われていたバケツ・リレーによる防火訓練も、実際には焼夷弾による火災を水では消火することはできず、そのために生命を落とした人も少なくなかった。映画でも主人公の少年と母親が最後まで消火しようと苦闘した後で道に出てみると、ほとんどの町民はすでに逃げ出していたという場面も描かれていた。このシーンは、戦争中のスローガンが実際とはかけ離れておいたことをよく示しているだろう」(『ゴジラの哀しみ』97頁)。

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映画《風立ちぬ》。図版は「Facebook」より)

一方、映画《風立ちぬ》も上のシーンではそよ風ですが、「高台に停車した列車から脱出した二郎と菜穂子の眼をとおして観客は、大地震の直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景を見ることになるが、原発事故後の『風』について宮崎監督はインタビューでこう語っている。

『福島の原発が爆発した後、風が轟々と吹いたんです。絵コンテに悩みながら、上の部屋で寝っころがっていると、その後ろの木が本当に轟々と鳴りながら震えていました』」(拙著『ゴジラの哀しみ』、155頁)。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

宮崎駿監督は映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判していましたが、この映画が大ヒットしたことや、安倍首相が戦前の価値観への回帰を目指す日本会議系の議員を重用しているために、悲惨な戦争の美化が進んでいるように見えます。

それゆえ、ここでは2014年9月22日の記事とリンク先を再掲します。

*   *   *

先日、妹尾河童氏の原作『少年H』を元にした映画《少年H》を見てきました。

夏休みも終わった平日の午前中ということもあり、観客の人数が少なかったのが残念でしたが、この映画からも宮崎駿監督の《風立ちぬ》と同じような感動を得ました。

映画《風立ちぬ》については、戦時中の問題点を示唆するシーンにとどまっており、反戦への深い考察が伝わってこないという批判があり、おそらくそれが、戦時中の苦しい時代をきちんと描いている映画《少年H》とのヒットの差に表れていると思います。

黒澤映画《生きものの記録》と司馬遼太郎氏の長編小説『坂の上の雲』などを比較しながら感じることは、問題点の本質を描き出す作品は一部の深い理解者を産み出す一方で、多くの観客や読者を得ることが難しいことです。

私としては問題点を描き出す《少年H》のような映画と同時に、大ヒットすることで多くの観客に問題点を示唆することができる《風立ちぬ》のような二つのタイプの映画が必要だろうと考えます。

ただ、司馬作品の場合に痛感したことですが、日本の評論家には作者が伝えようとする本当の狙いを広く伝えようとすることよりも、その作品を矮小化することになっても、分かりやすく説明することで作品の売り上げに貢献しようとする傾向が強いように感じています。

《風立ちぬ》のような作品も観客の印象だけにゆだねてしまうと、安易な解説に流されてしまう危険性もあるので、《風立ちぬ》に秘められている深いメッセージを取り出して多くの観客に伝えるとともに、《少年H》のような映画のよさを多くの読者に分かりやすく説明してその意義を伝えたいと考えています。

奇しくも、宮崎駿監督と妹尾河童氏は司馬遼太郎氏を深く敬愛していました。それぞれの映画のよさを再確認する上でも、《風立ちぬ》を見た人にはぜひ《少年H》をも見て、二つの映画を比較して頂きたいと思います。

リンク映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観