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大地

「放射能の除染の難しさ」と「現実を直視する勇気」

 

原発事故の後も福島県に残って、こどもたちの健康を守るための「放射能測定」などの地道なボランティア活動を行っている吉野裕之氏は、「空間線量」などを毎日計り続けると精神的にきつくなると説明し、個人的に放射線量を測り続けることの難しさときちんとした組織的な対応が必要であると指摘した。

すなわち、「地表から5㎝、50㎝、1メートルの3点」や同じ道でもアスファルトの部分と植え込みのある部分を測定すると、同じ地点でも高さが違うだけで放射能の値は異なることや、近い場所にもホットスポットが存在していることが明らかになったのである。

安倍政権の説明を受け入れるならば、きちんとした「放射能の除染」が行われれば再び子供たちも健康に暮らせるとの印象を受ける。しかし、汚染された土地を取り除くということは、何十年もかけて創り上げた豊かな「土壌」をはぎ取ることを意味するだけでなく、教育施設や市街地だけでなく、山や森にも降り注いだ放射能は、時間の経過と共に雨や風によって市街地にも流れてくるので、一度除染をすればそれで完了したことにはならないのである。

今回の報告を聞いて「放射能の除染」という作業の難しさを改めて強く感じるととともに、このような困難な状況にもかかわらず子供たちの健康を守る地道な活動を続けているひとびとの誠実な活動を通じて未来に向けての展望も見えてくるように思えた。

2015年に仙台で開かれる国連による「防災会議」でも、「複合災害」という形で原発事故の問題も取り上げられることになったとのことなので、福島県外にいる者としても「原発の危険性」と事故の予防を今後もを訴え続けていきたい。

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ボランティアの方々のこのような地道な努力を徒労に感じさせるような事態が7月14日に発生した。すなわち、「福島県南相馬市で昨年秋に収穫されたコメから基準値(一キログラム当たり一〇〇ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された」のでである。

これに対して東電の広報担当者は当初、「がれき撤去でセシウムが遠くまで飛散したとの見方に関し『否定できないが、コメの基準値超えとの因果関係は分からない』」と農水省に対して説明していた。しかし、それから10日もたたない23日には、がれきの撤去作業との関係が明白になった。「東京新聞」のデジタル版から引用しておく。

「福島第一原発のがれき撤去で飛散した放射性セシウムが昨年八月、数十キロ離れた水田のコメなどを汚染した可能性が出ている問題で、東京電力は二十三日、この撤去作業で飛散した放射性物質が一兆一二〇〇億ベクレルに上ったとの推計結果を明らかにした。原子力規制委員会の廃炉に関する会合で説明した。」

現在も「平常時の放出量は毎時一〇〇〇万ベクレルのため」、「免震重要棟前で観測された放射性物質濃度を基に毎時二八〇〇億ベクレルの放出が四時間続いたとして試算」すると、「一時間当たり二万八千倍に相当する」放射能が飛散したことになる。

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東電は「敷地外の汚染との関連は分からないが、がれき撤去での飛散防止対策は強化する」としているとのことだが、1986年のゴルバチョフ書記長の時に起きたチェルノブイリ原発事故に際しては、ソ連は全力を注いでともかくも「石棺」を作りあげて、放射能を封じ込めることになんとか成功していた。

一方、安倍総理が「放射能の汚染水」はせき止められていると胸をはって海外に「公約」した日本では、未だに「汚染水」の問題だけでなく、「平常時の放出量は毎時一〇〇〇万ベクレル」と記されているように、大気中の「放射能」も完全にはせき止められていない。

昨日の朝刊にはカナダの外相から安倍政権の支持率低下の理由を聞かれた菅官房長官が、「国民が安全保障に臆病だから」と答えたとの短い記事が載っていた。

事実はその反対で、近隣諸国との対立については多くの情報を発して危機感を煽っている「安倍政権」が、日本に今在る「原発事故」の「危険性を直視する勇気がなく」、きちんとした対応を取ることができていないことに多くの国民が気づき始めたからだと思える。

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会場では国際協力NGOセンター(JANIC)、ADRA Japan、こどもみらい測定所の共同製作によって作られた小冊子『はかる、知る、くらす。――子供たちを放射能から守るために、わたしたちができること。』が回覧された。

ここではその目次を紹介しておく。

第1章 放射能ってなに?

菅谷昭さんに聞く/「被ばくによる健康被害と、私たちができること」

第2章 放射線測定について

小豆川勝見さんに聞く/「測定を続けることの意義」

座談会/「市民測定所が見てきたこと、これから行なうこと」

第3章 「これから」をくらすために

絵で見る「これからをくらすためのポイント集」/ 5つの気をつけること

最初にこの冊子を読んだ時には、イラスト入りの子供にも分かり易い冊子なのでこの冊子が廉価で販売されればよいと考えたが、その後の事故の状況や住民避難の安全性も確保されていないうちに、強引に原発を再稼働しようとしている政官財の「原子力ムラ」の行動を見ている中で、このような冊子は原発を再稼働しようとしている電力会社が、周辺の住民に配布すべきだろうと考えるようになった。

その理由の一つは、安倍政権が危険な火山地帯にある川内原発の再稼働も強引に進めていることである。

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7月25日の「東京新聞」には次のような記事が掲載されていた。    

「火山の巨大噴火リスクを抱える九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)で、九電は予兆を察知した場合には核燃料を安全な場所に緊急移送すると明言しながら、実際には原子炉を止めて運び出すまでに二年以上かかる上、搬出方法や受け入れ先の確保なども具体的に検討していないことが分かった。(小倉貞俊)」

「文明史家」ともいえる司馬遼太郎氏は、「土地バブル」を煽って「大地」に対する日本人の感覚を狂わせた政治家や大蔵省の対応を厳しく批判して次のように記していた。

「本来、生産もしくは基本的には社会存立の基礎であり、さらに基本的にいえば人間の生存の基礎である土地が投機の対象にされるという奇現象がおこった。大地についての不安は、結局は人間をして自分が属する社会に安んじて身を託してゆけないという基本的な不安につながり、私どもの精神の重要な部分を荒廃させた。」(『土地と日本人』中公文庫)。

原発の再稼働や海外への輸出によって利益を上げようとしている安倍政権や経産省には「事実を直視」する勇気が欠けているばかりでなく、人智を超えた圧倒的な「自然の力」に対する敬虔な「畏れ」の気持ちも欠けているように見える。

司馬氏がすでに指摘していたように、近代化を急いだ日本では、いまだに「国策」として決められた「政策」が失敗しても、誰も責任を取らなくてもよい制度になっているようだが。しかし、「国民の生命」や「大地」、さらには「地球環境」に重大な危険を与えるような事態に対しては、企業だけでなく官僚や政治家に対しても「倫理的な責任」を求めるような制度を確立することが必要だと思える。